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データで見る「平成ガラパゴス洋楽史」(1)「バブル」という名の”架空”の「異国情緒都市風景」
どうも。


では、こないだの昭和の「前史」に続いて、「平成ガラパゴス洋楽史」の本編に行ってみようかと思います。


実は僕が大学に入って上京(住所は正確には横浜でしたが)をしたのが平成元年の4月でした。そういうこともあり、この年のことはよく覚えています。


「大学に入ったら、地方で聴けなかったような放送もたくさん聴けるし、ライブにもたくさん行ける」。そんな風に思って来ていました。


しかし!


僕はそこで「えっ、状況は前より悪いじゃないか」と思うことになってしまいます。


それまで僕は福岡にいて、毎週、ビルボードのシングルとアルバムのトップ20を紹介してくれる番組を聴いてたんですね。なので、そういうことはほぼ前提として当たり前で、さらに掘り下げてくれるようなコアな洋楽番組を期待してたんですね。


で、この前の年に、東京で2つめとなるFM局が開局されたのも知って、「洋楽志向」だと聞いていたので楽しみにしていたわけです。


ところが!


そこで鳴らされていたのは、たしかに洋楽と言えば洋楽だったのですが「これ、一体どこで流行ってるの?」と思うようなものでした。


これは以前、僕が「僕が日本人の洋楽離れを感じた瞬間(1)」というコラムで書いたことの繰り返しになるんですが、この当時の日本というのはバブル経済の真っただ中で、円安傾向になっていたこともありアメリカとの経済関係もすごく日本が有利になっていたわけです。そんなこともあり、これまで「アメリカに追いつき、追い越せ」みたいにして頑張っていた日本社会が急に自信を持ってしまって「アメリカなんて怖くないぜ」みたいな感じになってしまった。



そのこと自体は別に悪いことではなかったと思います。でも、だからと言って、欧米で大して流行っていない曲を使って「世界の誇る大都市東京」の都会的演出をする、という考え方はどうしても理解できませんでした。しかも番組のDJはバリバリに英語をしゃべってるのに、紹介してる曲は「へ?」というもので、そのギャップがどうにも気になって仕方がありませんでした。


まあ、おそらくは、これまでの日本になかった「アーバン・ステーション」を作ってみたかった、というのはわかるんですけどね。もしかしたら、「東京発で、世界に先駆けるヒットを作りたい」という、70年代の日本の洋楽界がやったことをアーバン・ミュージックで行ないたい、という野望があったりしたのかもしれません。


「で、なんなの、その、海外で大して売れてないのに流れていた洋楽というのは?」と思っている方もいらっしゃると思うので、ここではじめて具体的な名前を出してしまうとそれは、英米でコケてしまったスウィング・アウト・シスターの2ndアルバムとか、アメリカのジャズ・シーンでウケていた(けどアルバムの最高位は20位止まり)バーシアの「ロンドン、ワルシャワ、ニューヨーク」とか、そのバーシアが所属していたことで知られるマット・ビアンコとか。そういったところでしょうか。


このあたりの曲は当時どうしても好きになれなかったですね。それはやっぱり「オシャレ」という「機能性」のために利用されたBGMみたいな感じがどうしてもしてしまって、「アーティスト」そのものが語りかけてくるものが感じられないと思ったから。「おい待てよ。洋楽って”雰囲気”なのかよ?冗談じゃない!もっと、アーティストや音楽シーンそのものと向かい合いたいぜ」。そう思っていたから、なおさら嫌でしたね。「そんな、実態のないもの伝えるくらいなら、本場で流行ってるもの、もっと教えてよ」と思って、じれったい思いをしていました。このことに関しては、僕が当時所属していた、大学の洋楽サークルの大半の人たちが同じように怒ってました。


でも、悲しいかな、そういう「都市の空間演出型FM」は、ひとつ成功例が出てしまったら、全国的に右に習えで拡大してしまいました


一方、そうじゃない従来型のFMの方はそっちはそっちでJ-Pop、J-Rockが当たってしまったことで、そこで売れっ子になったアーティストの半ばプロモーションがメインのパーソナリティ番組がほとんどになってしまった。いわば「オールナイト・ニッポン」がFM全体に拡大してしまった、みたいなものですね。


そうなってしまうと、これまでにあったようなオーソドックスな洋楽紹介番組が立場を失ってしまったわけです。


いみじくも、この頃に「ベストヒットUSA」も終わり、「全米トップ40」もオリジナルのラジオ関東で終わり、あとはいろんな曲を流浪して存在感なく終わってしまった。あとは稀にロックとかR&Bに強い、音楽に愛のある喋り手の番組に稀に出会うこともありましたが、僕が80年代にそうしたようには、ラジオをはじめとした放送媒体に洋楽の情報源はもはや求めなくなってしまいました・・。


ちなみにこのスウィング・アウト・シスターやバーシア、マット・ビアンコといったアーティストですが、実はバブル期よりも、ポスト・バブル期、つまり1994年以降の方がオリコンでの最高位記録は実は良かったりします。これは思うに、90年前後のバブル真っただ中の頃のオリコンの輸入盤の集計が上手くなかったことで起こったか、もしくは、そうした東京の雰囲気が全国規模になるのに時間がかかったか、のどちらかでしょうね。そうした「都会的な空気の演出」というのは、バブルは終わったものの1992〜93年くらいに流行ったアシッド・ジャズのブームで延命され、それもあったからなのか、上記したアーティストは不思議と長らえたものです。


スウィング・アウト・シスターは世界のどこにもチャート・インしなくなった段階でオリコンTop20アーティストになり、1996年にTVドラマの主題歌になったことで、遂にはオリコンのシングルでトップ10に入るようになりました。バーシアの1994年のアルバムも、世界でほぼ唯一と言っていい、アルバム・チャートのトップ10入り(6位)を日本で果たしました。マット・ビアンコも、本国イギリスでは88年以降チャートから姿を消しているアーティストにもかかわらず、日本で自己最高順位を出したのは1997年(23位)だったりもします。


それらに比べると、まだアシッド・ジャズの方がイギリスのシーンで実際に起こった動きに連動はしてたし、ジャミロクワイみたいな長きに渡って人気を勝ち得たアイコンも出たし、渋谷系に象徴されるようなシーンも日本で実際に生まれたから意味はあったと思うし、発展的な生かし方も出来たと思います。そこはさすがにバブルもはじけて、うわついた雰囲気もなくなっていたからだったりするのかもしれません。その意味では良くなったと思いますが、でも、こっちも海外よりはちょっと大げさに騒ぎ過ぎて、長引かせてしまってる印象はあるかもしれません。



その後となってしまってはJ-Waveも、「洋楽かかるだけまだいいじゃん」と思える瞬間も出て来たので、今ではそこまで嫌な存在でも決してないんですが、しかし、あのバブルの時代に生まれてしまった放送傾向が「ラジオで洋楽情報を得る」という時代を終わらせてしまい、「国際都市」という名のイメージのもと、「謎の外国籍ヒット」を必要以上に生んでしまったことは否めないのかな、とは今にしてみても思います。
author:沢田太陽, category:ガラパゴス, 13:20
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最新全英チャート
どうも。


昨日からはじめてみた「平成ガラパゴス洋楽史」、さっき計算してみたら、短期じゃなくて、結構長くなりそうです。やっぱ、結構語ることは多いですね、これ。レギュラーと並行して合間合間に書いて行こうかと思っております。


では、月曜好例、全英チャート、行きましょう。


SINGLES

1(1)Talk Dirty/Jason Derulo feat 2 Chainz
2(2)Roar/Katy Perry
3(4)Counting Stars/Oberepublic
4(7)Hold On,We're Going Home/Drake feat Majid Jordan
5(5)You Make Me/AVICII
7(13)What I Might Do/Ben Pearce
8(6)Same Love/Macklemore&Ryan Lewis
9(3)It's My Party/Jessie J
10(8)Burn/Ellie Goulding


上位は先週とほぼ同じでしたね。


注目は7位にトップ10入りして来たベン・ピアースですね。マンチェスターのDJで、これが初のチャート・イン曲になります。これファンキーでなかなかカッコいいと思います。ヴォーカルが70sのソウル・フォーク・シンガーのビル・ウィザーズみたいですね。 では、圏外に行きましょう。16位初登場のこの曲で。

 


ロサンゼルス出身のダニエル、アラナ、ダッシュのハイム3姉妹によるその名もハイムのニュー・シングルです。かねてからNMEやファッション誌で評判が高く、僕自身も曲がプリンスやフリートウッド・マックに似てたりしてたから興味がありました。ただ「なかなかチャートぶ直結するようなヒットが出ないなあ」と思ってたんですが、アルバム・リリース直前にしてようやく出ましたね。これはアルバムでの展開が楽しみです。


では、アルバムに行きましょう。


ALBUMS

1(-)Mechanical Bull/Kings Of Leon
2(-)Nothing Was The Same/Drake
3(-)Alive/Jessie J
4(1)AM/Arctic Monkeys
5(-)Tattoos/Jason Derulo
6(2)True/AVICII
7(5)If You Want/London Grammer
8(-)Fire Within/Birdy
9(-)The Bones Of What You Believe/CHVRCHES
10(8)Time/Rod Stewart


キングス・オブ・レオンの、早いものでもう通算6枚目のアルバムになるんですね。これで4作連続で全英No.1です。安定してるよね。


続いて2位はドレイク。アメリカだと1、2が逆かな。


そして前作でのヒットから考えると意外と低い結果になったのが3位のジェシーJ。まあ、今作からのヒットで引っ張れてないからしょうがないかもですね。


5位は現在シングルが1位のジェイソン・デルーロ。


8位は現在17歳のインディ・フォーク・シンガーのバーディ。2ndアルバムでトップ10入りです。


そして9位はかねてから期待の高かったエレクトロ・アクト、CHVRCHESのデビュー作。すごく押されてて評判もいい割になかなかチャート・アクションにはねかえって来ない印象がありますが、一応トップ10に入ったのは良かったのではないでしょうか。


CHVRCHESの曲で今日はシメます。曲は書けてるのは僕も認めるんですけど、アーティストとしてのカラーがもう少し見えた方がいいのかなあ〜。

 


author:沢田太陽, category:全英チャート, 08:50
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データで見る「平成ガラパゴス洋楽史」(0)前史〜「昭和のビッグ・イン・ジャパン」はなぜ許せるのか
どうも。


今日から、ちょっと更新はとびとびになりますが、短期連載に行こうかと思います。


それは題して


平成ガラパゴス洋楽史


まあ、タイトルからして、何のことかおわかりになる人も少なくないとは思いますが、ここでは、平成時代(1989年〜)になってから、いかに日本における洋楽の認識が欧米のソレと大きくズレるようになり、それが問題となって来ているのか。その点について書こうと思います。


これを書くキッカケになったのには2つの出来事がありました。1つは、10月に出るHard To Explain の次号を作成中にスタッフから「日本での洋楽インディのガラパゴス事情について書いてほしい」と言われたんですね。これ正直ビックリだったんですね。なぜなら、僕じゃなくてスタッフの方からその件に関して書いてほしいと言ってきたのだから。


「海外の音楽シーンで当たり前になってることが、なんで日本の洋楽で浸透するのがこんなに遅いんだ!」という問題意識は、僕が2001年にこのブログの前身となるメルマガをはじめたときからありました。HTEを2004年にはじめた動機もまさにそれです。ただ、2010年に僕がブラジルに行くにあたって編集長も交代した時点で、そういう路線は正直考えていませんでした。僕自身の今の考え方としては、もちろん「海外との格差」というのは音楽に限らず、映画の公開やドラマの放送開始まで含めて意識はしてますが、正直今の日本での海外エンタメの受容状況というのはハッキリとはわからないので、ブラジルで生活してて得られる状況から極力客観的な立場から伝えようとしてるんですね。だから「ガラパゴス云々」ということは「日本に住んでるときのようにはいらだちを感じようにも感じられない」というのが本音でした。


それが今回、それまでそこまで強くそういうことを主張したのをあまり聞いたことがなかったスタッフの方から提案があったので「えっ」という感じだったんですね。「ということは彼ら(彼女たち、の方が人数的にはかなり多めですが)も日本での洋楽インディの受容状況にかなり危機感を覚えているんだな、と感じた次第です。


そして、もうひとつが、その「ガラパゴス」の記事をHTEで書くにあたり「資料的なことを調べたい」と思った際、僕はオリコンのサイトに行ったんですね。「あそこってたしか、結構前からのオリコンのチャートの記録が調べられるんじゃなかったっけ?」と思ったからです。そしたら「ちょっと前」どころの話ではありませんでした。1988年分から調べられました!


そこで僕はピンと来たわけです。つまり


ならば、平成以降の日本の洋楽での情報ガラパゴスになってるものを系統立てて書いてみるのがいいんじゃないか。


そこで今回思い立ってこれを書くに至ったわけです。これをちゃんとしたものにできれば、ただ単に「洋楽」というものに限定したものでなく、日本社会のもっと広いところも見えて来るのでは。そんな風にも考えたからです。


そこで、いきなり「平成」から行くことも考えたのですが、「僕がなぜ”ビッグ・イン・ジャパン”なアーティストにあまりいい顔をしなくなったか」だとか「なぜ、欧米シーンの状況が日本で遅れることに憤りを覚えるようになったか」の対比をつけるために、あえて「昭和」の状況を前史としてつけて語りたいと思います。


では、(そのゼロ)にあたる昭和の話から・・。


まずはじめに断っておきますが、僕が洋楽を聴きはじめたのは1980年の10月のことです。ですから、「昭和の洋楽」に関しては、8年と少ししか実感のあることは語れず、あとは後追いで知ったり調べたりしたこと、ということになります。


ただ、それにもかかわらず、60年代や70年代における日本の洋楽が「ガラパゴス」だったとは正直思えないです。そこにはもしかしたら、自分の生きている時代を卑下して、生きてなかった時代を美化する自分の姿というものがもしかしたらゼロではないかもしれません。


でも、むしろ、60〜70年代の方が状況としては「ガラパゴス」にはなりやすかったし、なっても仕方がない状況があったと思うんです。そりゃ、そうでしょう。その当時はインターネットやロック・フェスなんてないどころか、輸入レコード屋さえあって都内くらいのものだし、FM局だって東名阪くらいのものです。本来なら洋楽を届けるインフラとしては今よりはかなり弱い(はずだ)し、そこで「日本なりの洋楽」というのを、海外を自分勝手に思い浮かべるシーンが出来てたって決しておかしくはなかったと思うんですよね。


しかし!


それこそ「データ的」には、その頃の日本で「洋楽が極端に流行ってなかった」とか「日本でしか売れてない曲が続発した」という話はありません。僕が自分の手元持っている、昭和時代の洋楽アーティストのオリコン・チャートの結果が資料として乗っている本(「洋楽inジャパン」1995学陽書房)や、その昔にNHKの資料室にあって読んで覚えているオリコン全記録の本で覚えている知識などによりますと、たとえばこういうことがありました。


「ビージーズは1968年にオリコンのシングルで1位になっている」
「サイモン&ガーファンクルは1970年のオリコン・アルバム・チャートで10週以上1位を独占した」
「クイーンやKISS、ベイ・シティ・ローラーズ、チープ・トリックは、アルバムだけじゃなく、シングルでもオリコン100位以内に多くの曲を送り込んでいた」


そういう話を聞くと、「海外から遅れてる」どころか「もしかして今より洋楽に関してもっと進歩的だったのでは」とさえ思えませんか?あくまで「チャートの結果」であり、日本の洋楽や音楽の状況全体をさすものではありませんが、現在の日本の洋楽状況ではとても起こりえない記録ばかりです。


で、これらの記録からあまり「日本だけに特別」な感じがしないでしょ?そこがポイントなのです!


では、この当時の洋楽リスナーはどうやって海外からの情報を得ていたのか。それについて書くことにしましょう。いわゆる「全米チャート」として知られているビルボードのチャートを日本のラジオでもチェックできるようになったのは1970年のことです。これがラジオ関東の「全米トップ40」で、これは1988年くらいまで続く長寿番組となります。ただ、1970年代当時だとアメリカのトップ40は、ロックの楽曲(たとえばレッド・ツェッペリンやピンク・フロイド)は長尺でラジオのフォーマットに合わないということでかけられなかったのでこれだけでは不完全です。なのでロック関係の情報は「ミュージック・ライフ」や「ニュー・ミュージック・マガジン(今のミュージック・マガジンの前身)」で伝えられていました。僕が後追いで読んだイメージだと、前者がイギリス、後者がアメリカのロック寄りな雰囲気がありますね。アメリカン・ロックに関しては、男性ファッション誌が「アメカジ」のブームで推奨していたみたいな話もよく聞くものです。



でも、この当時、洋楽を聴くのには必ずしも上記したようなものだけに頼る必要もなかったのも事実です。各地方のAM局には洋楽のカウントダウン番組が存在して、そこでいろんなものをおさえることが可能だったのです。Tレックスやカーペンターズもこういうところからしっかり聴かれていたわけです。


で、僕がこの60〜70年代の洋楽で「伝わり損なっていたもの」というのは、あるにはあります。それはたとえばザ・フーやキンクス、ヴァン・モリソンといったところですが、「絶望的なまでの格差の大きさ」があったのはせいぜいザ・フーぐらいじゃないのかな。それが彼らの夢にまで見た最初の来日公演が2004年までずれこんでしまった原因にもなっていましたが。


ただ、この時代には「ビッグ・イン・ジャパン」の存在はかなりありました。それはたとえば、1960年代にはウォーカー・ブラザーズやビージーズ、1970年代にはクイーンやチープ・トリック、ランナウェイズなどが代表的なところでしょうか。


ウォーカー・ブラザーズやビージーズが60年代の日本で大きな人気を得たのは、「エレキギターは不潔で嫌だけど、メロディとハーモニーが美しいものは良いのでは」という、この当時の安全志向の賜物ではないのでは、と思います。前者は「明治ルックチョコレート」のCMに当時出演し、後者は「マサチューセッツ」という曲でオリコン1位になり、その頃にGSアイドルのタイガースのロンドン・ロケの映画で共演までしています。


でも、このビッグ・イン・ジャパンに悪い印象は正直ありません。なぜなら双方とも、後に海外では重要な存在になったのだから。ビージーズはご存知のように70sのディスコ全盛時の巨大アイコンになったわけだし、ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカーはソロ時代の作品がイギリスでマニアックな評価を受け、カルト・アーティストとして今でも尊敬されてますからね。


70年代のクイーンとチープ・トリックに関しては日本から先に売り出しを仕掛けたバンドです。両者ともに英米でそこまで大きかったわけではなかったのに、日本で成功したことが逆にハクになって母国まで届いてそこで注目度が高くなった。これは日本に「先見の明」があった証拠ですね。このパターンは後にも80sのボン・ジョヴィとか、00sのMUSEにまで一応、応用はされているとは思います。



もっとすごいのはランナウェイズでしょうか。この人たちに関して言えば、アメリカでの評価なんて「女の子だけでバンドをつくったキワモノ」みたいな扱いだったのに、日本ではそれがおもしろがられてバカウケし、デビュー曲の「チェリー・ボンブ(当時の表記をそのまま使っています)」はオリコンのシングルでトップ10に入ってます。結局、ランナウェイズは成功することなく解散しましたが、日本でのヒットから5年後の1982年にメンバーのジョーン・ジェットが「I Love Rockn Roll」で全米1位の特大ヒットを記録しました。いや、それだけじゃありません。今やランナウェイズは「女性パンク・バンドのパイオニア」として、きわめてリスペクトされる存在にまでなっています。


こうした話をすると、「日本人っていいセンスしてるんだな」と思わせるかもしれませんが、僕もそう思います(笑)。他の国より先にビッグになる存在を予見できていたのだから。これなら、どんなに最初期には「日本でしか人気がなかった」ものであっても、将来的にはそれがチャラになるどころか、むしろそのことで日本が誇れるもににもなるわけで。その状況でどうして「ビッグ・イン・ジャパン」を非難することができようか。それは僕もそう思います。


ただ、悲しいかな、「平成時代のビッグ・イン・ジャパン」は昭和のようにはポジティヴではありません。なぜか。それは、持っている意味が全く逆のものだからです。つまり


流行っていたときは世界も同様だったのに、最期には「日本でしか」あたらなくなっていたタイプのビッグ・イン・ジャパンだから。


そうです!ここの意味を取り違えてはなりません。そこを取り違えている人が実際に多いから「クイーンだって昔はそうだったのに、どうして”日本でだけ人気がある”のが悪いんだ!」と言い張る人が少なくない理由を生み出してしまうのです。


この2タイプのビッグ・イン・ジャパンは一見似ているようで、全く意味が違います。つまり、60〜70年代の「ビッグ・イン・ジャパン」は例えて言うなら「若いときに日本のリーグで活躍して何かを得た選手が、本国のリーグで大化けしてMVP級のスーパースターになった」みたいなものです。それに対し、90s以降のビッグ・イン・ジャパンは「かつてメジャーで活躍していた選手がショボくなって来日して日本のホームラン王や得点王になった」みたいな感じです。


そして、この90s型の「昔の名前で出ています」系のビッグ・イン・ジャパン・アーティストが長くはびこりすぎるがために結局何が起きてしまったか。それについては本編でしっかり触れようと思います。


そして、それが80年代になると、70年代の状況がさらに強化されたものになります。この頃になると、政令指定都市クラスになるとFM局は存在したし、そこで洋楽が押されるようになります。AMの方でも、70sに存在したという、ベイ・シティ・ローラーズの人気を頂点とした「洋楽アイドル・ベスト10」みたいな番組こそなくなったものの、それでもまだ地方レベルでも独自の洋楽チャート番組は存在しました。かくいう僕も、福岡県のAM局のチャート番組こそが洋楽の入り口でした。


そこに加えて、「海外直輸入感覚」がより強くなりました。それはたとえば1981年に「ベストヒットUSA」がはじまったり、84年にテレビ朝日でMTVの放送がはじまったり。これにより、「海外の音楽を聴く」という行為自体がちょっとした流行りになっていたんですね。実際、久米宏がやってた報道番組「ニュースステーション」の金曜版でも、毎週その週の全米トップ5がフラッシュで流れてたくらいでしたからね。それだけじゃなく、各民放クラスでも深夜に週1回洋楽のヴィデオ・クリップを流す番組は存在したものでした。


で、このときの全米チャートはロックにも都合良かったんですよ。アルバム売るために、シングル・カットを3〜4曲するのが普通になっていた時代で。最初は70sからのアメリカでの人気アーティストでそれがはじまって、やがてそれがニュー・ウェイヴも加わって、80s後半にはメタル系のものまでも入ってきて。その効果でこの時代、ロックの世間認知がかなり上がったのもまた事実でした。


そういう状況があったからでしょうね。あの当時、今から振り返ると考えられないようなアーティストも日本で人気があったものです。あの当時じゃなかったら、たとえばヒューイ・ルイス&ザ・ニュースなんて間違っても日本じゃ売れなかったでしょうね。「どのシーンにも入らない、オッサン臭い風貌の、アメリカ色の強いロック」なんてどう考えても、日本で当たるタイプの音楽にあてはまらないものだったしね、実際。それがオリコンのトップ10アルバム出せてたくらいなんだから。


あと、この当時も「ビッグ・イン・ジャパン」はありましたね。一番有名なのはおそらく「サイキック・マジック」とかで知られるGIオレンジかな。あれなんて、「イギリス本国でもまともにデビュー出来てない」という話がしっかりネタにされてましたけど、でも、そんなに気にならなかったですね。あの当時、アメリカのトップ40と、「日本の洋楽チャート」の両方を聴いてましたけど、トップ40自体を聴いている人も多かったから、「日本の洋楽チャートでアメリカの流行りものが流行らない」ということがそこまで気にならなかったし、逆にそういうGIオレンジみたいなアーティストに関しては、ひとつの「オマケ」というか「ネタ」として楽しめたものです。あと、チャーリー・セクストンは日本で仕掛けて、日本の方が実際に売れてましたけど、カッコ良かったし、ファッション的にJロックにも影響を与えてましたね。今、彼はアメリカン・ルーツ・ロック系のプロデューサーみたいな感じで活躍してるので、これも上述した70s型の理想的なビッグ・イン・ジャパンの系譜に入るかと思います。



ただ、そんな、こと洋楽に関してはベストな状態とさえ言えた80sでも、実は「日本で拾えていない洋楽」というものは、今と比べると随分少ないものではありましたが、存在していたのです。それは一体何なのか?これは「平成ガラパゴス洋楽史」を語る際の最初の重要なトピックになりうるので、本編で話すことにしましょう。
author:沢田太陽, category:ガラパゴス, 08:47
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「サタディ・ナイト・ライヴ」専門チャンネルがyoutubeに!
どうも。


そろそろ、ここ最近考えているちょっと長めのシリーズものの記事を書きたいと思っているのですが、今日はその前にこちらで行かしてください。これです!




サタディ・ナイト・ライヴ!言うまでもなく、アメリカのコメディ界の老舗中の老舗です。


このブログを以前から読んでくださっていらっしゃる方はご存知だと思うのですが、僕はこの番組の熱烈なファンなんですね。この番組に絡んだ記事は前に何度も書いて来てもいますが、ちょうどアメリカでは日本時間の日曜の昼(ニューヨーク時間の土曜の夜中)にシーズン39の第1回放送がはじまります。


それを記念し、SNLがすごくうれしいプレゼントをくれました!それは・・。




youtubeにSNL専用チャンネルを作ってくれました!!


いや〜、これはうれしいなあ〜。これまでSNLのスキットってyoutubeで拾うのってあまり簡単ではなくて、あっても低品質なものがほとんどでしたからね。それが今回、こうやってオフィシャルに放送内容を開示してくれたので、たしかなクオリティのもとでこれまでのSNLのことを見ることが出来るようになりました。


しかもこれ、アメリカ居住者以外のみのサービス!つまり、「普段SNLがすごく見たいのに見れない人」たちのためのもの。しかもこれ、


現時点で動画がすでに2400もある!!!


ということはつまり、過去40年の名作もかなりの数見れる!というわけです。


いや〜、嬉しいなあ〜。これまで名前とか噂でしか聞いたことのなかったものがこうやって今再現できるんだもの。これ、昨日できたばかりなんですけど、僕の場合、もうそれ以来、ず〜っとヤミつきになってこのチャンネルばかり見てます。いや〜、もう、楽しいのなんのって!


・・と耽っていたら、そのままつっぷして寝てました(苦笑)。


で、ここからいくつか紹介しようと思ったのですが、いろいろややこしくて、「これは見てほしい!」というものがまだ許可されてなかったり貼付け禁止だったりするので、興味のある人はここをクリックしてみてください。最近のエピドードからティナ・フェイ、ウィル・フェレル、マイク・マイヤーズ、エディ・マーフィー、ビル・マーレー、ジョン・ベルーシ&ダン・アイクロイドなどいろいろ見れますので。


そのスキットが面白いと言われているかはSNLのチャンネル外になりますが、ここが参照になります。1位になったウィル・フェレルの「カウベル」が絶品です(笑)。



author:沢田太陽, category:海外TVドラマ, 11:40
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最新全米チャート
どうも。


こっちは暦的には春なんですけど、そのタイミングで急に寒くなってきました。風がとにかく冷たいのなんの。今年はこれの繰り返しで、あったかくなって「もう冬も終わりだ」と思った瞬間にぶりかえす。これが3〜4回目。スッキリしてほしいものですけどね。


では、金曜恒例、全米チャート、行きましょう。



SINGLES

1(1)Wrecking Ball/Miley Cyrus
2(2)Roar/Katy Perry
3(3)Royals/Lorde
4(5)Wake Me Up/Avicii
5(4)Blurred Lines/Robin Thicke feat T.I. &Pharrell
6(6)Holy Grail/Jay Z feat Justin Timberlake
7(9)Hold On,We're Going Home/Drake feat Majid Jordan
8(7)Applause/Lady Gaga
9(10)Summertime Sadness/Lana Del Rey&Cedric Gervais
10(12)Safe And Sound/Capital Cities


先週とほとんど変わっていません。マイリーが2週目の1位。なんか、あんなメチャクチャなまま世を騒がせきってる勢いが凄いんですけど、メチャクチャで(笑)。


あと、10位のキャピタル・シティーズはこれで2度目のトップ10返り咲き。9位から上になかなか行けませんけどね。


では、圏外に行きましょう。12位初登場のこの曲で。

 


ブリトニー・スピアーズのニュー・シングル「Work B..ch」。う〜ん、なんかこの曲を出すタイミングが良くなかった気が。今さら、「本気でEDMやりました!」みたいなアピールされても、もうブームも終わりかけで違うアプローチを模索しはじめているときだというのに。しかも「Bitch」みたいな言葉で挑発しようにも既にマイリーの暴走のインパクトの方が強くなってしまっているし。これが1〜2年ずれてたらもっと好感触だった気がするんですけどねえ。さあ、どうなるか。


では、アルバムに行きましょう。



ALBUMS

1(-)From Here To Now To You/Jack Johnson
2(-)Off The Beach Path/Justin Moore
3(-)A.M/Chris Young
4(-)MMG:Self Made 3/Various Artists
5(-)True/AVICII
6(4)Crash My Party/Luke Bryan
7(3)B.O.A.T.S II #METIME/2 Chainz
8(1)Fuse/Keith Urban
9(2)Kiss Land/The Weekend
10(-)We Are Tonight/Billy Currington


ジャック・ジョンソンが初登場で1位。ちょっと聴いてみましょうか。

 


髪型は前作からのオシャレ路線が続いてますが、サウンドはまた彼に望まれがちなゆったりしたアコースティック路線に戻ってる感じですね。この1曲しか聴いてないのでハッキリとは言えませんけど。もう、この人も人気アーティストになってから随分長いですね。


2位から5位も初登場です。2位は男性カントリーシンガーのジャスティン・ムーア。カントリーにもジャスティンがいたんですね。これが3枚目の全米トップ10で自己最高位です。


3位も男性カントリーですね。クリス・ヤング。これが2枚目のトップ10アルバム。


4位はラッパー、リック・ロスの軍団メイバック・ミュージック・グループによるコンピの第3弾ですね。


5位はアヴィーチーの最新作。イギリスでもヒット中ですね。


10位も男性カントリーですね。ビリー・カリガン。これが2枚目のトップ10。本当にブームですね、これは。


圏外ではMGMTの新作が14位。イギリスほどダメージは少なかったですね。16位にはエルヴィス・コステロのザ・ルーツとの共演作が入ってきています。
author:沢田太陽, category:全米チャート, 11:03
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映画「Rush」感想〜70年代F1の伝説のライバル対決
どうも。


今日は映画評に行きましょう。これです。





先週のスプリングスティーンのライブの前に時間を調整して見に行きました。70年代のF1がテーマのこの映画、「Rush」です。この映画はこの秋の国際映画祭関係でも非常に評判がよく、各地で絶賛が続いている映画でもあります。


この映画なんですが、僕の住んでいるブラジルでは、アメリカでの本格公開より2週早く公開されました。やっぱ、なんと言ってもアイルトン・セナを生んでいる国のわけですからね。そりゃ、サッカーとは比べ物にはなりませんが、それでも国内の人気スポーツでは2、3番手にはやはり来ますしね。


今回は、そのセナやネルソン・ピケ(この人もブラジルです)が活躍する10数年前、70年代半ばの世界のF1界を湧かした2人のレーサーの強いライバル意識と友情の物語です。このポスターで言うと、右がイギリスのジェイムス・ハント、そして左がオーストリアのニキ・ラウダです。


実を言うと、僕はニキ・ラウダの方は子供の頃から知ってました。1977年、僕が小学校2年生のときですが、そのときになぜだかわからないけど、日本で空前のスーパーカー・ブームが起こったんですね。そして、それに歩調を合わせる形でF1も伝えられていたのです。そこでこんな子供向けのアニメも生まれました。


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それがこの「グランプリの鷹」というアニメ。これを見て僕は子供心に「F1ってタイヤが6つとか8ついるのかあ」などと思って見てたものです。で、このアニメに


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こういう風にして出て来るのがニキ・ラウダでした。さっきwikiで知ったんですけど、放送のときは微妙に役名を変えてたらしいですね。そこまで覚えていませんでしたが、ただラウダが「奇跡のカムバックを遂げた尊敬すべき伝説のレーサー」というのは、そのマスクと共に強烈に脳裏に焼き付いていたものでした。


では、あらすじに行きましょう。


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話は1970年代の初頭からはじまります。ちょっと写真が適切じゃないのですが、ジェイムス・ハント(クリス・ヘムスワース)は前途が期待されるイギリスの新進のレーサー。容姿も抜群で女の子たちからも非常にモテモテで、将来のスーパースターの座を嘱望されていました。彼の行く先々はいつも華やかなパーティとなります。

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そんなハントは、F3のレースで無名のレーサーと戦い、そこで自分の車を相手のものにぶつけてしまいます。その頃のハントは「ぶつけ屋」とよく言われてもいました。その、ぶつけられた男ですが、その名を


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ニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)といいました。一般的に注目度の低いオーストリアの出身で、ちょっと勝てばはなやかに騒いでもらえるハントのイギリスとは境遇も違います。さらにラウダの親は製紙ビジネスであてている企業の社長。「大事な跡取り息子に、車の道楽などに耽られては困る」と当然大反対もするわけです。ラウダはそんな境遇から自らを売り込んで行き、1974年にはフェラーリとの契約を得るまでにいたります。


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一方のハントの方は、ニューヨークを拠点に活動するトップモデルのスージー・ミラー(オリヴィア・ワイルド)と恋仲になり結婚もします。セレブ街道まっしぐらです。


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一方、ラウダはパーティで出会ったマーリーン(アレクサンドラ・マリア・ララ)とパーティで出会い声をかけます。車で来てなかったラウダは自分の身を明かさず、自家用車でやって来ていたマーリーンの車に乗せてもらって駅に向かいます。しかし、その車が故障で道ばたで止まってしまいます。マーリーンは自分の色っぽさをアピールしようとヒッチハイクで車を止めますが、ヒッチハイクされた車のイタリア人の野郎2人は「げげっ!ニキ・ラウダじゃないか!うわ〜夢みたいだぜ〜」と、マーリーンのことなど忘れて大はしゃぎ。もう、この頃にはフェラーリのドライバーとして名前が知られるようになっていました。


そして1975年、ラウダは初のF1世界チャンピオンになります。


一方、ハントの方は、F1での順位を世界4位まで上げて行きますが、その矢先に所属のヘスケスから契約を切られてしまいます。スージーとの関係もギクシャクしハントの中で焦りが生じますが、ハントはここでマクラーレンとの契約に成功します。


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そして1976年、ハントとラウダは熾烈な世界一争いを展開します。序盤はラウダがリードしてましたが、途中からハントが猛追をかけてきました。レースを終えたところではにこやかに談笑するなど中のいい2人ですが、いざレースがはじまるとお互いが闘志むき出しになり、負けると心底悔しがります。


そして8月1日、運命のドイツ・グランプリを迎えることになりますが・・・


・・と、ここまでにしておきましょう。


この映画がこの先どうなるかは、このコラムの冒頭に思いっきりヒントを出してしまってますが(笑)、ドラマティックなものになりますよ。


さて、この映画ですが

写実的に非常によく出来てると思います。


舞台となった70年代の再現が非常にうまいですね。ファッションから、建築、車、そしてこれ、フィルムも70年代のもの使ってたりするのかもしれませんね。本当に70年代みたいな撮影の仕方をしてました。この凝り方は、2011年のヒット映画「Tinkor.Tailor,Soldier,Spy」に相通じるものがありましたね。プロ仕事です。

あと、この人の再現が素晴らしかった。




このジェイムス・ハントはよく出来たものだと思いましたね。ソックリです。クリス・ヘムスワース的には「マイティ・ソー」のときとそんなに変わってはないのですが、おそらくこの映画の関係者があの映画を見て「ハントに似てる」と思ったのかもしれませんね。しかもワイルドで豪快さがあるところまで含めてキャラ的にピッタリだしね。クリスはなぜかロン毛似合いますね。普段がこういうわけではないのに。あと、この人、これに限らずですけど、見ていて20年くらい前の江口洋介を彷彿させるものがあります。


あと、このクリスをはじめとして、配役も絶妙でしたね。ハント側の夫婦にはハリウッドの華やかな人、そしてラウダ側にはヨーロッパ映画で活躍するクールな人。この対比も良かったと思います。オリヴィア・ワイルド奇麗だし。あと、ダニエル・ブリュールは「グッバイ・レーニン」で当てた人で、僕的に見たのは結構久しぶりだったんですが、表情豊かな優れた役者さんです。あと、アレクサンドラ・マリア・ララも「愛を読む人」とか、あと「コントロール」でイアン・カーティスの不倫相手を演じたりしてる人ですが、アメリカの女優さんには出せない上品な気品が醸し出せていてラウダの雰囲気をより上手く引き出すのに成功していたと思います。


そして、なにより、ハントとラウダの心理描写、これをじっくり見せていたのが良かったと思いますね。この2人のことをあまりよく知らない人でも、この2人の動向にさえ注目していれば、それがどういうことだったのかしっかりわかる。その意味でこの2人の演技が映画を生きたものにし、理解しやすいものにしていたと思います。


この映画ですが、監督は



ロン・ハワードです。今回の映画もある意味そうなんですが、この人はあいかわらず、キャリアを通じて、監督としてどういう映画が作りたいのか、それがサッパリ見えてきません。ヒット作(「アポロ13」「ダ・ヴィンチ・コード」など)も多く、オスカーの受賞経験(「ビューティフル・マインド」)もあるのに、大監督然としたカリスマ性が全く出ないのは明らかにそれが原因だと思います。


ただ、今回はそんな彼だからこそ逆に良かったのかもしれません。自分の監督としてのカラーを抑えて、ひたすら伝記を写実的に描くことに集中する。それゆえ、優れたピリオド・ドラマを作り得たのではないのかな、と思います。これくらい、技術的に、演劇的にうまい作品(そこに”作家的に”がないので損してますが)を作れるなら、そうした用途には適役だと思います。


今作ですが、今のところオスカーへのノミネートは五分五分と言われています。候補作が弱い年であれば十分可能性はあると思いますが、どうやら今年はそこまで甘くないようです。枠を広げた作品賞かもしくは脚色賞でどちらか、あと可能性があるとすればダニエル・ブリュールの助演男優でしょうかね。
author:沢田太陽, category:映画, 10:09
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