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僕が「日本人の洋楽離れ」を感じた瞬間〜その3 2000年代後半
 どうも。


では、「日本人の洋楽離れ」。その3に行きましょう。これはまさに今現在のことであります。



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80年代後半には日本で自作自演型のアーティストが台頭し、90年代には「バンドをやってるような熱心な音楽ファンでさえ洋楽を進んでいるものと思わなくなった」ことにより、「日本人が洋楽を聴く必然性」というものがかなり薄れて来た、という話を前回までにしました。このことは僕も10年くらい前には痛烈に危機意識として持っていたことはたしかです。「日本のもので代替が効くから海外のものはいらない」。この理屈は実際問題、80年代の日本のTV局において、海外テレビドラマに対して正論として展開され、結果、その当時日本で海外ドラマがほとんど見れなくなる要因となった存在でもありました。



なので僕もかなり恐れていたのですが、しかし、あるとき、僕は自分にこう問いかけました。


「じゃあ、日本のロックで代替が効くようになってしまったら、オマエはアメリカやイギリスのロックを全く必要としなくなるのか?」。


…と考えたときに、自分の脳裏に即座に浮かんだ答、それは「NO!」だったんですね。なぜか。そりゃ、昔から洋楽聴いてる自分の習慣というものもあるとは思うんですが、それ以上に「日本人のプレイする音楽ばかり聴いてたら、そうじゃないものも自然と聴きたくなるに決まっている自分の姿」、その絵がスーッと自分の頭の中に浮かんで来たからです。で、そこで「これだ!」と思ったんですね。確かに「日本人なんだから、日本人がする音楽でないと」という考え方もあるし、そっちの方が多数派なんだろうけど、それとは逆に「日本人だからこそ”日本の文化だけだとつまらない”と飽きて海外に興味を求める人だって間違いなくいるはずだ」とも思ったんですね。そう思ったときに、僕的なハラは決まりました。「洋楽を求める人が絶滅することなんて絶対ない!」と。そこで僕は、それまでどちらかというとメインにやっていると思われていた日本のロックの仕事をスパッとやめ、洋楽一本でやって行くことに決めました。


ちょうどその頃、僕は前回の終わりでも書いたように、先進的な刺激を求めるあまりに実験的な音楽ばかり求めるようになっていた日本のインディ周りの人たちの流れに息苦しさも覚えていたりもしてました。「ロックとか、ポップ・ミュージックって、そもそもみんなで聴いて楽しみための場であって、堅苦しい”オゲージュツ”の場じゃないでしょう」。そう思ったときに、もっと普通に楽しめる感じのところに戻って行きたかったんですね。そうしたら、ちょうどその頃、アメリカでデスティニーズ・チャイルドとかエミネムが流行り出して。これを聴いたときに「これは音楽的にも刺激的だし、しかもそれでいて多くの人が簡単に親しめる包容力があるじゃないか。こういうのが本来のポップ・ミュージックだよ!」と思ったんですね。…と、僕が当時そういうことを普段モグワイとかアット・ザ・ドライヴ・インあたりを聴いてる人に言っても「?」な顔をされるだけでしたが(笑)、もう一回、80年代の頃のように全米、全英チャートに戻ってみたいとはハッキリ思うようになり、それがメルマガ版の「THE MAINSTREAM」のスタートとなったわけです。



すると、やっぱりここくらいで洋楽を聴く世代がちょうどハッキリと「次世代」と言える世代が出て来たんですね。それは僕が当初「イヤだな」と思っていたもの、バックストリート・ボーイズやブリトニー・スピアーズといったティーン・アイドルだったり、やんちゃキッズに向けたニュー・メタルであったりポップ・パンクであったり。このあたりが、この当時の中学生くらいにとっての洋楽に対しての良い入り口として機能してくれたんですね。その意味で、良い意味で90sを引きずらないタイプの新しい洋楽ファンが出て来てくれたように思います。もう彼らくらいになると「こういう音楽が日本にないから聴きたい」という80,90sみたいなタイプのリスナーではなく、「単純に海外カルチャーに興味あるから」だとか「同じようなサウンドやってても海外の方が客観的によく聴こえる」みたいなタイプのリスナーが増えて来ます。僕が後に開くことになるHard To Explainに加入して来た若い人たちの話から総合するに、このテの洋楽リスナーが生まれてくるのは1984年度生まれの学年以降の人に顕著な感じですね。で、この世代の人たちが洋楽に入って来たくらいの2000年代の初頭あたり、また洋楽のセールス自体が持ち直したことも事実で、そこからエミネムとかビヨンセとかブリトニーとかアヴリルがヒット・アーティストになって行きます。



で、同じ頃、ストロークスやホワイト・ストライプスを中心とした、アーティなファッション感覚を伴った新しいインディ・バンドも登場して来たんですね。これはちょうど、”オルタナ”とは名ばかりでマッチョなヤンキー化していたニュー・メタルのバンドに対しての絶好のカウンターになるなと僕はすごく喜んだんですが、これが日本の90s世代のリスナーにとにかくウケが悪くてね!「もうブリット・ポップの二の舞はゴメンだ」だとか「こういうののどこが新しいんだ」とか散々な言われようでね。中には「こいつらはイギリスのバンドじゃないからダメだ」なんて言う人までいたりしてね。これには僕も頭が痛く、なんとかこのテのバンドの存在価値をわかって欲しいと思ってHard To Explainをはじめたんですけど、そうしたらば、ファッション関係やそういうところに客として出入りするようなタイプの若い人の間でストロークスとかリバティーンズが人気なのも判明して。そのときに「ファッションの絡みもあるから”カルチャーとしての洋楽”はその意味でもなくならないんだろうな」とも思いましたね。


実際、ストロークスやリバティーンズみたいな男性ファッションに限らず、女性に関して言えばそれがもっと端的に表われてもいましたしね。ビヨンセ、ブリトニー、J.Lo、ファーギーとかってやっぱ”ファッション・アイコン”としての機能も備えていたからそこのところで惹き付けたとも思うし(そこが”単なる歌の上手いディーヴァ”にしか過ぎなかった90sのマライア、ホイットニー、セリーヌとの決定的な違いだったとも思う)。このように2000sの世界の音楽スターは、全部が全部そうというわけではなかったにせよ、少なくともシーンのフロントに位置するタイプのアーティストに関して言えば「”音楽”という次元を超えるカルチャー・アイコン」として機能するタイプが目立った時代でしたね。



また、CDセールスの大小に関係なく、フジロック、サマーソニックと、国際型の大きなフェスが毎年のように開催されるようになったこと、これも大きかったですね。これがあることにより、とにかくまだ知名度の小さなアーティストでもとりあえず日本に来てはくれるようになり、日本の市場自体のCDセールスがまだ国際的に見れば2〜3位とかなり上位にあることから”大事な市場”との認識でやって来てくれるようになっています。また、ネット情報の発達のおかげで、海外から入って来る情報は他の時代と比べて格段に早くなって来た。ここ日本でもそのおかげもあって数こそ少ないものの速い情報を共有する音楽コミュニティは出来上がり、そのせいもあり、まだ洋画や海外ドラマに比べると、洋楽の方が情報速度としてはだいぶ速いものにはなっています。



しかし!


シーン的には華やかな側面もあったし、新しい人たちも次々と出て来た意味ではこの10年は面白い時代ではあったんですが、様々な形で、そのことに気づく人自体がだいぶ減ってしまったのがこの時代の洋楽の決定的な弱点でもありました。


まず、日本の事情から言いますと、次の世代の洋楽リスナーが出て来ても、その世代の数の絶対数が少子化によりかなり減少してしまっていました。さらに言うと、団塊ジュニアの方がリスナーの数的にはどうしても大きいので、音楽雑誌の作り方などがそちらの視点(90年代的視点)に寄ったものにどうしてもなってしまって新しいシーンとの新陳代謝がかなり遅れてしまった。


これが、特に2000年代の前半までに特に顕著でしたが、日本におけるロックの進化を大きく遅らせる結果にもつながってしまいました。2000年代デビューのバンドで、2005年までの時点で洋楽雑誌の表紙になれたバンド、実際問題、インディだとストロークスだけでラウド系でもリンキン・パークだけ、というのが現実でしたからね。最近になってようやく、団塊ジュニアという人口的に大きな層も30代半ば〜後半で私生活が忙しくなって来て読者数が減ったからなのか、ここ最近はどこも割とコンテンポラリーな情報をフラットに送れるように徐々になって来てますが、それは皮肉ですが、大口人口層の影響力がなくなり読者数がある特定の数に移行したから可能になったのかもしれません。


また、この時代になると「日本の洋楽業界の力ではどうしようもない力」というのが海の向こうからジワジワと忍び寄ることとなってしまいます。それは音楽配信…と言いたいところですが、その前に大きなものがあります。それがMTVの大変容。


世間一般的に日本だとあまり語られていませんが、1996年にアメリカのMTVが下したこの方向転換は音楽界に大打撃を与えたのです。ここから彼らはミュージック・ヴィデオを流す機会を激減させ、番組の大半が現在に至るリアリティ・ショーをはじめとした若者向けのヴァラエティ・ショーへと変わってしまったのです。これまでいろいろと批判がありながらも、80sにはミュージック・ヴィデオを世界的な現象にしたり、90sにもオルタナとヒップホップをアンダーグラウンドからメインストリーム・カルチャーにするのに大きく貢献したメディアから音楽がほとんど流れなくなるんですから。ここを境に、TVから最新のヒットが何かを確認することが難しくなり、それは2000年代、MTVが「オズボーンズ」「Newly Weds」「The Hills」といったリアリティ・ショウが続々とヒットを記録することで決定的になりました。そしてその流れに、もうひとつの音楽チャンネルのVH1も完全に便乗。これでTVでヴィデオ・クリップが専門的に流れるものが失われてしまい、音楽を日常で感じる機会が激減してしまったのです。


このリアリティ・ショウの存在は、パパラッチによるセレブの「作品では見られないリアルな人間ドラマ」が好まれた2000年代の世相を反映した出来事だとは思うし、それは「アメリカン・アイドル」に代表される「勝ち抜くまでのドラマ」に大きな比重が置かれるオーディション番組にも言えることでした。MTVヴィデオ・ミュージック・アワードでのハプニングに注目が集まっているのもこういう風潮が背景にあるからでしょう。ただ、こういう現象が起こってしまって以来、アーティストの作品ではなく、アーティストが私生活で何をしたかの方に世間の注目が集まってしまった。その結果、「メディアでは話題にされるも、それがCDの売り上げなどには全くつながらない」という現象まで生み出してしまった。今日、日本でもセレブ・ゴシップ雑誌やセレブ・ウォッチのブログなどはよく見かけます。それは海外カルチャーの入り口としては良いですが、それらの大半も「この人たちはこういうセレブが本来何で生計を立ててる人なのかわかってるの?」と言いたくなるくらい私生活にスポットを当てたものがあまりにも目立ちすぎる。ゴシップ自体は面白いし嫌いではないですが、この本末転倒した現象にはこのブログでも引き続き疑問を呈して行きたいとは思っています。



そして、そこに輪をかけて起こってしまったのが、ご存知、音楽配信の問題です。PCの登場は音楽を作りたくても費用の問題などでなかなか出来なかった人に作るチャンス、人に聴いてもらうチャンス、人に買ってもらうチャンスを与えた意味では有益だったと思います。ただ、そうすることによって、音楽作品を世に発表する人の数があまりにも増えすぎてしまった。若い人がこうして続々と音楽を作って発表する勇気が与えられた一方で、年を取ったベテラン・アーティストは50歳になろうと60歳になろうと一向に引退しない。これにより、たとえば80年代までだったらせいぜい3世代弱の世代の音楽程度しか巷に溢れてなかったところが、今や5世代分くらいの音が巷にあふれるようになってしまった。さらに、これまでの時代だったら難しかった有名バンドのソロ・プロジェクトの類いもインディや配信の発達で契約面をクリアしやすくなったおかげでリリースが連発。さすがにこうなってしまうとそんなの全部聴けるわけも、ましてや買えるわけもありません。


そうなってしまうと、どういうことが起こるか。さすがにもう、「多くの人が共有出来るヒット曲の数が激減する」、これはもう自明の理です。そして、この面において、映画やTVドラマに影響力の面で負けてしまうのも仕方のないことです。さすがに映画やドラマだと、制作費や関わる人の数の問題もあり、音楽のように大量生産は出来ないのでまだ「誰でも知ってるヒット作」という存在が可能なんですが、ここまで音源数が増えてしまうと、誰でもわかるようなヒットを作るのはパパラッチに追っかけられるようなことでもしない限りは難しいし、もう、そうでなければ、特定ジャンルの中でいかに地位を築き上げるか、しか世間に認知される方法はないです。


「いいじゃないか。セールスよりもクリエイティヴィティの方が大事だよ」。そういう意見もあるかもしれません。しかし、みんながみんなこういう考え方に走られてしまうと、ポップ・ミュージックが社会に与える影響力は確実に落ちて行くでしょう。やっぱり音楽の他にもっと大きな規模で共有可能なエンターテイメントが存在するのであれば、それはやはり比較を免れないでしょうから。そして、過去のポップ・ミュージックが築き上げて来た歴史との比較も。その意味でポップ・ミュージックの現在はやはり「社会における影響力が落ちた」と残念ながらやはり落ちたと言わざるを得ません。


さらにその結果、CD屋が街から消えて、無意識に街を歩いていて音楽を感じられる空間がなくなってしまった。これはやっぱメチャクチャ痛いですよ!たとえば過去を思い返してみたとき、80年代ってLPの単価が高過ぎてそんなに買えなかったんです。なのでカセットのダビングとか、日本だと”貸レコード産業”ってのがあって、今のネットでのストリームやダウンロードが果たしたのと似たような役割果たしてるのかなと思うんですけど、ただ、あのときは放送もレコード屋も健在だったからどこからでも何が流行ってるのかわかったし、その中に刺激的なものも発見出来た。そこに行くと今って、ある程度知識があると個人の趣向性もネットで掘り下げて行けるんだけど、いつの時代もポップ・ミュージックに一番好奇心を示す10代にとっての入り口となるようなところのものが、あまりにも限られてしまっている。ぶっちゃけリアリティ・ショーかパパラッチに追われるか、「Glee」でかけられるか、そうでもないと共有出来るような入り口がない。この時点で既に他メディアに思い切り頼らないとポップ・ミュージックは存在をアピール出来なくなってしまっていますね。



…と、欧米で既にポップ・ミュージックの存在価値がここまで落ちているんです。日本における洋楽の地位が落ちて行くのは仕方がありません。ここ最近、日本のメディアの論調を読んでいると、あたかも「若者が海外に関心を示さなくなった」となってますが、こと洋楽の問題に限っていけば、これは最近の日本人の若者の体質だけの問題ではありません。世界のどこでもポップ・ミュージック自体の影響力が弱くなって行ってるんだから。



また、ここ最近の日本人の「海外に興味を示さない」という指摘ですが、冒頭にも書いたように「日本のもので代替が効くからもう海外のものが必要ないんだ」という、一見正論そうでいて実は案外正しくない偏見が正されれば、まだまだチャンスはあるのかなとは個人的には思っています。ただ、若い人がそれを証明していくためには、現在の日本における若い人の絶対数が決定的に少ないのは問題だけどねえ〜。


そして、今の若い人が仮に海外のものに興味を持てなくなっているとしたら、「パラダイス鎖国」が言う通り、自分の国の状況に先行きの暮らしの不安を感じながらも、なんだかんだで結局は日本の今のやり方で満足してしまっていて、海の外に「あんな風になれたらいいな」というロール・モデルを持てなくなってるんだと思います。「別にグローバリズムとかって言ってもアメリカに従うだけだろ」「本当に国際化を唱えるんだったら、世界何100カ国の文化をみんな知るのでないとフェアじゃない」とか、そういうとこの理屈だけはしっかり出来ていたりもしてね。それはたしかに理屈としては正論なんだけど、そういう気持ちでいることによって、海外でベーシックに流通している知名度の高いものまでが他の国の人が驚いてしまうくらいに伝わらない状況になるのならば、やっぱりそれって問題なんじゃないですか?やっぱりこの辺は、かつて経済的に最も繁栄した国になったプライドが日本人のどこかに無意識のうちに現れてしまうから空気としてそういう風になっちゃってるような気がします。今、「ただ単純にアメリカン・カルチャーってカッコいいな」みたいな感じの若い人たちが多いブラジルみたいな国にいざ住んでみると「日本はちょっと考えすぎなのかな」と思うこともあります。なんかその姿って、98年に一瞬海外よりシーンの状況もレヴェルも良くなって「もう海外なんて」みたいな姿勢でいたらそのときの価値観のまま止まっちゃって、その結果2000年代の海外のシーンの流れに全くついていけなくなった日本のロックの姿となんとなくダブったりもします。



…ということもあり、今回の「洋楽離れ」が一番複雑でやっかいですね。好転するにはかなりの時間を要すると思います。少なくとも、日本より先に欧米でのポップ・ミュージックの地位回復の方が先だと思いますけどね。まあ、日本人の「海外への憧れがなくなったうんぬん」に関して言えば、案外考え過ぎないことが実は一番の解決策だったりするんじゃないのかな、と僕は案外ここは楽観的です。「難しいこと考えないで、もっと気楽に海外ものに接してもいいんじゃない?日本のものばかりでも飽きるでしょ?」って感じで。今、僕がこのブログやってるのも、まあ、理由は複雑にたくさんあるんですけど、その理由のひとつにそういう理念もあることもたしかではありますね。まあ、何はあれ、洋楽をはじめとした海外文化の需要が日本でなくなったりすることはまずあり得ないとは思ってます。「盛り上がる」まで持って行くのは大変だけどね。
author:沢田太陽, category:個人話, 15:32
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ハロウィンの週末に送る〜Entertainment Weekly誌が選ぶ「最も怖い映画20」
 どうも。


「洋楽離れ」のコラム、一気に書き上げて終わらせることも考えましたが、やっぱ今年は週末いっぱいいっぱいをハロウィンでエンジョイ出来るめったにない年なので、ここはハッピーに「ハロウィンの夜に見たい映画」でも紹介することにしましょう。


先日、Entertainment Weeklyがハロウィンに向けて「The 20 Scariest Movies Of All Time」を選んだのですが、その結果は次のようになっております。なお、順位などはないみたいですね。



20 Scariest Movies Of All Time


シャイニング(1981)
エクソシスト(1973)
悪魔のいけにえ(1974)
羊たちの沈黙(1991)
ジョーズ(1975)
リング(ハリウッド・リメイク)(2002)
ハロウィン(1978)
サイコ(1960)
セブン(1995)
ローズマリーの赤ちゃん(1968)
ポルターガイスト(1982)
28日後(2003)
エルム街の悪夢(1984)
遊星からの物体X(1982)
死霊のはらわた(1982)
キャリー(1976)
ナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッド(1968)
オーメン(1976)
狼男アメリカン(1981)
ヘンリー(1986)



…というのが20作の結果なんですが、これ、「怖い映画」というよりただ単純に「優秀なホラー映画20選」と言った方が正確な気がするな。あがった作品は、映画としては非常にハイ・クオリティなもの揃いだと思います。僕はかなり長いこと「苦手な映画ジャンルはホラー」と言い続けて来てるクチなんですが、そんな僕でもこのリスト、20本中14本見てたくらいですからね。



ただ、「こわい」の基準って、人によって本当にマチマチですよね〜。僕的に本当に一番恐怖心を感じさせる存在と言えば断然「日本の妖怪・怪談」の類いですね。西洋のモンスターって作りものっぽい感じでソフィスティケイトした感じさえするんですけど、日本、もしくはアジア系のおばけ・妖怪って”異形”な感じが見てて怖いんですよね。なんか見てて本当に存在しそうな気がして。あと、衣服とかがズタズタだったり黒髪が乱れたりとかしたら、それだけで気持ち悪い。幼少のときTVで偶然見た「金田一シリーズ」がとにかく苦手で、TVスポットみただけでギャーギャー泣きわめいたトラウマをいまだに引きずってるんですけど(笑)、今思えば、まさにそのとき、1970年代の半ばあたりって、なぜだか不思議なんだけど洋画でもすごいホラー映画ブームだったんですよね。僕が人生ではじめて知った映画は5歳のときにとにかく流行った「ジョーズ」だったし(TVスポットだけでこわかったので中学超えるまで見ませんでした、笑)、他にも「オーメン」や「エクソシスト」も小学校低学年の子供でさえ知ってるくらいに有名でしたからね。



なので、僕がリアルに感じる怖さと上のリストは微妙に違うのですが、とは言え、上の映画で好きな作品は多いので、ちょっと話しておきましょう。まず、上のリストで僕が一番怖いと思った映画。2本で迷った末に選べなかったので2本行きます。


 




やっぱ、この2本だな〜。今となっては「テキサス・チェインソー・マサカー」という名前の方が映画の内容的にもふさわしい「悪魔のいけにえ」。そして「遊星からの物体X」と双璧をなすジョン・カーペンターの傑作「ハロウィン」。いや〜、これはホント怖かったですね〜。両方ともリアルタイムでは間に合ってないのでDVD鑑賞でしたけど、どっちも何度か停止ボタンを押しそうになりながらも、でも目が釘付けになるという二律背反した神経が働いた映画ですからねえ。


まず前者なんですが、この映画、僕のオールタイムの100本に入れていいくらい好きな作品でもあります。なにせ、命を狙われた登場人物がここまで「恐怖心」をリアルに演じている作品を僕は他に見たことないですからね。この演技だけで主演女優さん、(実際にそうなってますけど)歴史に残りますね。また、上のトレイラーでもそうなんですけど、チェインソー振り回すのもたしかに怖いんですけど、ハンマーで鈍く頭殴る方がむしろリアル過ぎて、自分の頭部に本当に痛み感じちゃうんじゃないかぐらいに思えてイヤですね(笑)。
で、イヤなことに、これ実話ベースなんですよね。その、微妙な「ノン・フィクション性の高さ」が「どうせ絵空事だろ」な救いの気持ちをせせら笑うように打ち消して行くあの感じが不快です。でも、だからこそリアルに怖がれるんですけどね(笑)。



で、下の「ハロウィン」に関して言えば、西洋ものホラーで僕が最もイヤなパターン、「死んでくれてホッとしたと思ったら実際には死んでおらず、なかなか死んでくれない」という、驚異的な生命力を敵役がパワフルに発揮して来る時ですね(笑)。これも見ていて気が抜けなくてイヤなんですよね。僕の見てる範囲はかなり狭くはあるんですが、このテのパターンの中では一番イヤなのがコレかな。これと同じ理由で、このリストにあがってませんでしたが、初期のジェイムス・キャメロンの作品も僕の中ではかなり怖いです。「エイリアン2」もそうだし、実は1作目の「ターミネーター」もかなり怖い。射殺するまでに相手に心の準備を一切させてくれないは、一向に死んでくれないは。ハッキリ言って、上のリストで「セヴン」選ぶんだったら入れてほしかったくらいです。



では、上のリストで、「”最高に怖い”というより”最高に気持ち悪い”」と思う映画はコレですね。

 



「ローズマリーの赤ちゃん」ですね、やっぱ。何がイヤって、この「ララララ〜」の子守唄(笑)。この微妙に音程がフラットしてる力のない声、これだけでもう十分、映画見なくても気分を滅入らせてしまいます。しかもこれ、恐怖が派手にやってくることはなく、「恐怖心」だけが背後からジワジワと黒い雲みたいに忍び寄ってきて、それが晴れることが最後までない救いのなさもイヤです(笑)。これはもう大学生のときに見て以来見てないのですが、それでもハッキリと話を覚えているくらいに不快感が記憶の中に刷り込まれてしまっています(笑)。これはロマン・ポランスキーの監督作ですが、この少し前の「反撥」も「”恐怖心”そのもの自体がいかに恐ろしいか」を描いた作品ですね。ダレン・アロノフスキーの新作「ブラック・スワン」もそういう系譜の映画だと聞いていますが、見る時はイヤなんだろうけど楽しみです(笑)。



あと、「気持ち悪いキャラ」ということで言えば定番化してますけど「エクソシスト」のリンダ・ブレアや「キャリー」のお母さんも何回も見たいキャラでは決してないですね。



続いて、上のリストで「一番後味の悪い映画」はコレかな。


 


断然これですね、「ナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッド」。そこがこの映画の最大の見せ場でもあるのであんまりハッキリとは言えませんが、あのエンディングはナシですよ(笑)!はじめて見たとき「これまで見て来た時間返せ!」って本気で思いましたもん(笑)。…という僕みたいな苦情が多かったからなのか、これのリメイク(あんまり関係ない気もするけど)の「ゾンビ」はかなりコメディみたいなユーモア・センスの炸裂した、「怖い」とは別の意味での会心作になっていたりもします。ただ、やっぱ、この映画が切り開いた「ゾンビ・ムーヴィー」の可能性ってやっぱ大きかったんだなと最近思います。基本的にゾンビって行動様式はどの映画見ても基本全部同じなのにいろんなヴァリエーションで様々な解釈が生まれてますからね。「ショーン・オブ・ザ・デッド」しかり「ゾンビランド」しかり。もうすぐ鳴り物入りではじまるTVシリーズ「ウォーキング・デッド」も楽しみです。



そして、「怖い」どころか、「笑える映画」として好きなのがやっぱコレですね。


 



やっぱ「狼男アメリカン」しかないでしょう!これ、不運にも狼男になる性を背負った男が、その事実に直面しながらオタオタする様がかなり可笑しいです。「あっ、狼男になってもそういうことは気にするんだ(笑)」とか「よりによって何でそんなところに隠れるの(笑)」とか、困っちゃったシチュエーションを用意してコントにしてしまってるところが好きです。そこはやっぱさすが「ブルース・ブラザーズ」に「アニマル・ハウス」といった70sの名コメディ撮って来たジョン・ランディスだけのことはあります。また、この映画を見たのをキッカケにマイケル・ジャクソンがジョン・ランディスに「スリラー」のPV監督を依頼したことでも今やかなり有名ですね。


あと、実は「死霊のはらわた」自体はまだ見ていないのですが、その続編の「死霊のはらわた2」「キャプテン・スーパーマーケット」ももはやホラーというよりはギャグ映画として秀逸です。やっぱり




主演のブルース・キャンベルの、恐怖心が高まれば高まるほどに強度が上がってしまうこの変顔(笑)、これがたまりません。いつも思うんだけど、なんでこんな目が出来るかなあ。もう、この顔見るだけで十分なくらいです(笑)。で、こういうユーモア・センスがあるから監督のサム・ライミもホラーの域を超えて成功しちゃったんでしょうね。



この他も「『シャイング』はジャック・ニコルソンよりも実はシェリー・デュヴォールの方が怖いよなあ」とか「ヒッチコックだったら『サイコ』よりも『鳥』の方が怖いよ」とか、
まだ語りたいことはあるんですが、この辺にしときます。これを期に僕も、見逃してる作品見ておきたいですね。
author:沢田太陽, category:映画, 05:21
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最新全米チャート
どうも。


ドラフト終わったみたいですね。早稲田の注目の2人、佑がハムで大石が西武かあ。なんかこの2球団はクジ運いいですよね。西武なんて、清原の頃からなんか要所要所で恵まれてる気するもん。で、ハンカチ佑はダルビッシュのチームメイト。マスコミ取り扱いやすいよねえ。


わがホークスは、今年優勝したことで将来性重視の高校生ドラフトになってましたね。超高校級キャッチャー取ったのは、ここ5年キャッチャーが固定出来てないことを考えると正しい判断だと思います。ここ数年で取った右の本格派の即戦力(だった)ヤツらを無駄遣いしないで育てろってとこですかね。


そんな感じで、金曜恒例、全米チャート、行きます!


SINGLES
1(1)Like A G6/Far East Movement
2(2)Just The Way You Are/Bruno Mars
3(4)Only Girl(In The World)/Rihanna
4(3)Just A Dream/Nelly
5(5)DJ Got Us Fallin' In Love/Usher feat Pitbull
6(10)Bottoms Up/Trey Songz feat Nicki Minaj
7(7)Teenage Dream/Katy Perry
8(8)Dynamite/Taio Cruz
9(9)Club Can't Handle Me/Flo Rida feat David Guetta
10(11)Raise Your Glass/P!NK


あんまり変わらないですね。ファー・イースト・ムーヴメント、2週目の1位です。2位のブルーノ・マーズもフィリピン系なので、上位2つアジア系ですね。


あとはトレイ・ソングスが勢いよく上がってますね。先週”圏外もの”として紹介したP!NK、今回の曲もトップ10入りしましたね。これでベスト盤売れそうですな。


では、圏外の曲行きましょう。今週は22位から18位に上昇中のこの曲行きましょう。

 



先々週のアルバム・チャートでいきなりトップ10入りして「誰だこりゃ」と思っていたラッパー、ワカ・フロッカ・フレイム。今週になっていきなりピッチフォークのレヴューに登場し高得点取ってたので「あれれ?」と思ってみたら、こうやってシングル売れつつあるんですね。まだ、この曲だけだとどこがそこまで凄いのかよくわからないんですけど、ちょっとウォッチする価値はありそうですね。


では、注目のアルバム行きましょう!


ALBUMS
1(-)The Incredible Machine/Sugarland
2(-)Come Around Sundown/Kings Of Leon
3(-)The Union/Elton John&Leon Russell
4(-)Fly Me To The Moon/Rod Stewart
5(1)I Am Not A Human Being/Lil Wayne
6(-)The Rocky Horror Glee Show/Soundtrack
7(-)Sale El Sol/Shakira
8(5)Recovery/Eminem
9(-)Move/Third day
10(2)Charleston SC,1966/Darius Rucker


あ〜、やっぱりシュガーランドには勝てなかったか、キングス・オブ・レオン!1週前にずらしてりゃなあ〜。事実、売り上げは良いんですよ。今のこのご時世で18万売ってたんですから!大物なきゃ1位でしたよ。対するシュガーランドは20万枚。差もそこまで大きくなかったんですね。


で、このアルバム・チャート、本当に値打ち落ちちゃってるよ。こうも簡単に毎週7枚とか初登場されちゃうと、もう「最高位」がヒットのバロメーターじゃなくなっちゃうよね。こんなの使い捨てもいいところだよ。


で、3位はエルトン・ジョン御大とレオン・ラッセルの共作アルバム。4位のロッド・スチュワートはこれ、「The Great American Songbook」シリーズの第5弾ですね。で、場合によっては1位もありうると思っていた「Glee」の「ロッキー・ホラー・ショウ」のエピソードのアルバム,意外に低く6位。7位はシャキーラのスペイン語アルバム。そして9位のサード・デイはクリスチャン・ロックのバンド。これで3枚目の全米トップ10アルバムです。


さて来週ですが、「さあ1位は?」という次元ではなく、「さあ、今のご時世、この人がどこまでCDの売り上げを伸ばすか」に期待のかかるテイラー・スウィフトのニュー・アルバム「Speak Now」がリリースされます。ここ数週、ダウンロードだけで毎週のように何かしら入って来てたテイラーですが、今週も11位にアルバム収録曲の「Mean」が入って来ていました。と言うことで、今日はこの曲でシメます。

 


author:沢田太陽, category:全米チャート, 06:18
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僕が「日本人の洋楽離れ」を感じた瞬間〜その2 1990年代後半
 どうも。


昨日の続きで、僕が「日本人の洋楽離れ」を感じた瞬間〜その2に行きましょう。
今回は話のメインは1990年代です。



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バブル真っ盛りの時代、日本の自作自演型のアーティストの台頭により、放送局がそっち一辺倒になり、洋楽は「都会の空気」を盛り上げるためのBGMとしての使用を余儀なくされておりました。このくらいからですね。日本におけるメインストリーム・カルチャーがクソに思え出したのは。音楽に限らずTVドラマもひどくなって行きますからね。芸能界が「歌謡曲」でかわいい女のコやイケメン男子を活かせないと判断した後の矛先はTVドラマに向かってしまいました。これまで日本のTVドラマは大人視聴者向けに作られたものがメインで、特に70年代以降の邦画産業の斜陽の流れで食えなくなった映画監督が手がけていることも珍しくなく、そのおかげで作品的クオリティが高いものが多かったものなんですね。でも、このバブルの時代から”元アイドル”的な立ち位置のタレントを大量にドラマに使いはじめたんですね。それが”トレンディ・ドラマ”と呼ばれるようになって行くんですが、まあ〜、拙く酷い話がほとんどでしたね。で、それを、お約束のタイミングでギャグのようにかかるJ-Popの主題歌が盛り上げてミリオンセラー続出させてね。


で、そのJ-Popも当初の「洋楽の影響下」というところから逸脱して、次第にカラオケ向け音楽へと変容して行った。特に、この”トレンディ”の時代のあとの、エイベックスとかビーイングが台頭する辺りから顕著なんですけど、サウンドは切り貼りした生っぽさがないものになり、ヴォーカルも機能的にはかなり高音部を目立たせる一見スケール感があるように聞こえさせているものの、曲の前後のつながりが不自然な場合がほとんどだったため自然なエモーションが全く感じられなかった。これ、皮肉にも、80年代までの職業作曲家にまかせたアイドルの曲作りの方がまだマシだった。かの筒美京平先生は全盛期、毎週のようにビルボードの上位に入ってくる曲を買い込んでは、それを元に楽曲を大量生産させていたそうですが、それが故か楽曲そのものは洗練されていて普遍的に長く聴けるものが多く再評価も長きに渡ってあるものなのですが、「J-Pop以降のヒット曲」がそういう運命を将来的に辿るかどうかは正直疑問ではあります。



…と、話はそれてしまいましたが、上記した文化とほぼ同じ時期、海外からHMVとヴァージン・メガストアがやって来ました。彼らは、既に一足先に日本で展開を見せていたタワーレコードと共に、日本におけるCD産業の構造を変えて行くこととなります。



もうこの当時は洋楽はすっかりマニア向けのものとなっておりましたが、しかし、そんなマニアを救ったのも、これも皮肉なことに”バブル”だったのも確かなんですね、マニア産業でも十分儲かったんです!当時は豊かだったものだから個人個人の経済力もあったし、CDも輸入盤店の発達で、80年代に2800円もしたLPよりも1000円近く価格が下がったため大量購入が可能になっていたし。そんなこともあり、J-Popなんかじゃ飽き足らない音楽マニアを刺激するための状況もしっかりと整っていたわけです。そんなこともあり、メタルとか、ハウス/テクノ系とかもマニアックな感じでよく聴かれてもいましたが、このときの日本の洋楽界の収穫と言えば、マッドチェスター/インディ・ダンスの波に海外から遅れずに反応出来たことでしょうか。これは渋谷系とも同じ歩調で進んでいたことも大きかったと思うのですが、ここから日本人の「UK新人先物買い癖」という特異な伝統が良い意味で生まれたのはたしかです。メジャー進出直後のソニック・ユースやダイナソーJrに対しての反応もかなり速かったですね。あとシューゲイザーも。ただ、そこまでこのテのものに反応が速かったにもかかわらず、グランジだけ反応が遅れてしまったのは本当に残念だったんですけどね(泣)。


あと、「廉価再発」による”隠れた名アーティストの再発見”作業もこの時期進みましたね。このとき、ヒップホップやクラブ・ミュージックでサンプリングが多用されることによって”この元ネタは何?”という形での若いリスナーの好奇心をくすぐる現象が起こったんですね。当時のリスナーはとにかく情報に飢えていたのかこういうマニアックなネタにも反応がよく、とかく勉強熱心なものでもありました。



そうしているうちに、アメリカの流行りがオルタナとヒップホップに移行。バブル惚けから抜けない日本のラジオ業界は「こんな過激なもの、かけられない!」と反抗し、日本ではこのテの音楽が不当に無視もされたせいで、日本の洋楽界は、スキャットマン・ジョンやらMe&Myやらの日本独自の「なんだかなあ」なノベルティ・ヒットで局面を乗り切ろうとしたのですが、そしたらこれが大ホームラン級のヒットをなぜだか連発(笑)。正直端から見てる分にはこっぱずかしくはあったんですが、しかし、これで潤ったせいなのかレコード会社からのリリースの量は多く、マニアはマニアなりに楽しめたこともまた確かではありました。94年にはブリット・ポップが起こり、アメリカのオルタナも「ウッドストック94」のあとくらいからストリート・ファッション誌あたりから人気が出はじめたし、ヒップホップも渋谷の宇田川町を拠点に浸透しはじめた。テクノもドラムン・ベースやら初期のビッグビートが出始めた頃ですね。そして日本人からも、かつてのMTV〜輸入盤店育ちのマニアックな世代がその感性を活かして、海外の同時代のロックのクオリティに負けないロックを作りはじめたのもこの時期ですね。その嚆矢を切ったのは言うまでもなく渋谷系なんですが、94〜95年あたりになると、直接渋谷系絡みでなくとも、コンテンポラリーな英米ロックにシンクロしたタイプの国内ロックなら熱心にプッシュされていましたね。



…と、このような”新しい音楽”の拠点となったのは輸入盤店であり、CSのチャンネルであり、マニアックな音楽専門誌であったり。ちょうどその頃はタイミング的にも、1970年代前半〜半ば生まれのいわゆる”団塊ジュニア”と呼ばれる世代のおかげで高校〜大学生の人口も多く、カッティング・エッジな洋楽と共に刺激を受けるタイミング的にもバッチリだったんでしょうね。すごく生産的な良い時代だったと今振り返っても思います。こういう状況が、だいたい1996〜1997年くらいまで続きます。



しかし!!



この世界規模において音楽がとてもクリエイティヴでリスナーも熱かった時代は残念ながら長続きしませんでした。1997〜1998年になると、ロラパルーザの開催キャンセルやメジャー・レーベルのインディ・ロック然としたタイプのバンドの大量解雇や重要オルタナ・バンドの相次ぐ解散などでX世代が熱烈に支持したオルタナティヴ・ロックのカルチャーが消滅。ヒップホップもトゥパックとノトーリアスBIGの射殺以降はエンタメ重視のセレブ路線へまっしぐら。そしてイギリスではデーモン・アルバーンの「ブリット・ポップは死んだ」発言を受け、同国10数年ぶりのメインストリームでのバンド・ブームだったブリットポップが終焉。レディオヘッドの「OKコンピューター」がその挽歌のような形でバカウケしておりましたが、それを除いては世間一般的には「90s初頭から続いていた新しい音楽の波」は終わったとの解釈が強かったことはたしかです。その直後アメリカで待っていたのは、より低年齢層向けな無邪気なティーン・アイドルとやんちゃキッズのための「新しいメタル」だったし、イギリスではなんとかバンド・ラッシュを続かせようといろいろなバンドをメディアがプッシュしようとするものの結果が出ず、それがかえって「だからブームだのハイプだのってダメなんだ!」という過剰にヒステリックなムードまで逆効果に生むこととなりました。


で、その頃の日本と言いますと、英米とは全く対照的に絶好調な時期を継続しておりました。コーネリアスやピチカート・ファイヴ、チボ・マットは海外でも評価されファンをつけておりましたし、ミッシェル・ガン・エレファントがフジロックでのライヴで一大センセーションを巻き起こし、ハイ・スタンダードがAIR JAMを成功させ、これまでアンダーグラウンドの象徴的存在だったゆらゆら帝国もメジャー・デビューを果たしたり…。そこの加えて俗に言う「98年の世代」の登場なわけです。くるり、ナンバーガール、スーパーカー。この頃はアーティストの層も厚かったし、海外の流れもバンドがちゃんとキャッチアップし海の向こうのバンドと気持ち的に対等に作品を作っている姿勢も感じられたものでした。そして99年には椎名林檎やドラゴン・アッシュみたいなアクトまで世間一般レベルで聴かれるようになり、日本の音楽にも明るい未来が待っているかのように見えました。


そしてその結果何が起こってしまったか?


「もう、洋楽ばかりを”進んでる”って思わなくてもいいんじゃね?イギリスよりもアメリカよりも、日本のバンドの方が進んでね?」。


悲しいことに、この現象が起こってしまったことは事実です。「98年の世代」とはうまいこと言ったものでして、英米のシーンにとって谷だった時期に日本のシーンの山が来てしまったんですね。それによって、あたかも「日本のロックの方が海外よりも刺激的」という考え方が蔓延してしまったんですね。「もうNMEが押すようなハイプじゃなくて、もっと刺激的な音楽をこちらから選んでやるよ」と言わんばかりに当時の渦中のバンドの当人も、レコード会社のA&Rも、バンドのマネージメントも、ライブハウスの関係者も、そしてこのテの日本のバンドのファンもそういう空気になってしまい、その結果彼らはポストロックやエレクトロニカ、ハードコアの名残の強い頃の初期エモなどを好んで聴くようになりました。もう、一般的な知名度のあるもので彼らの欲求を満たすアクトとなるとせいぜいレディオヘッドかビヨークぐらいのものにさえなっていました。彼らはあまりに観念的な刺激を強く求めすぎてしまったがために一般的な洋楽をほとんど聴かなくなっていました。


その流れと並行して、もうひとつ洋楽にとって不都合な流れがありました。それは、90sにブリットポップをはじめとした新しいインディ・ロックに反応を示した団塊ジュニアの世代が「自分たちの世代代表」とばかりに98年世代にあまりに憧れすぎてしまい、彼らの周辺の音楽にしか興味を示さなくなってしまったんですね。それがてきめんに現れてしまったのが、バンドを組む人たち。彼らは「98年世代」のサウンドや格好の真似はするものの、結局、彼らからの影響の域を超えることがなく、そのうち、せいぜい洋楽からの影響が感じられたところでウィーザーやニルヴァーナ止まりのバンドばかりが目立つようになってしまった。もう90年代の末期にもなると不況が浸透してCDを買う予算がなくなってしまったのか、これから先の海外シーンの要素を吸収しようとするバンドが急激にいなくなってしまいます。従来、「バンドをやるような音楽に熱心な人が洋楽を聴く」みたいな感覚が一般認識としてあったがために、この変容は多少ならずともダメージは大きかったものです。すでにヴィジュアル系志望のバンドが先輩バンドに憧れる傾向が強くなっていたことは90年代の全盛期に既に明らかではありましたが、そういう傾向が本来「音楽的に物知り」であるべきはずのインディ・ロックのバンドマンにまで浸透したのは洋楽的にも日本のロック的にも打撃ではありました。


このように「洋楽を”進んでいるもの”ととらえなくなった」「バンドマンが洋楽を聴かなくなった」ことで洋楽の権威は90年代末期にガタッと落ちてしまうこととなります。1998年の、たった1年の英米との偶然の対照的な状況の違い、これがこの先の英米と日本のインディ・シーンの運命を全く逆方向に定めてしまうこととなることをそのときに想像出来たものはほとんどいませんでした。


そんなこともあってか、90年代末期、日本の洋楽業界が危機的状況に落ち込みます。90年代半ばのまぐれのノヴェルティ・ヒットのバブルが長続きするわけもなく、その背後で本来大きくしないといけなかったオルタナ・ロックやR&B/ヒップホップのスターを一般的に知られるレベルまで育てきれなったツケがここに来て回って来てしまったのです。もう、この頃では一般J-Popの世界でさえR&Bやグランジ・ギターが普通になりはじめていた頃。それまでの洋楽ファンの感性との違いを極端に恐れすぎて、このテの新しい音楽を”輸入盤店中心のマニア・レベル”に押し込んでしまっていたことは、長い目で見て結局成功ではなかったことも、皮肉にもこの時期に証明されてしまうことにもなったのでした。


author:沢田太陽, category:個人話, 04:12
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僕が「日本人の洋楽離れ」を感じた瞬間〜その1 1980年代後半
 どうも。


まずは住生活、ベイスターズ買収断念、ばんざーい!!!


やっぱりねえ、10月に入ってプロ野球機構の人事の締め切りの問題があるってのに、そこを無視して「監督や選手の人事は白紙です」ってあまりに非常識な発言をした時点で「こんな企業に買われたらもっと弱くなるな」と思っていました。「雇用」の問題にここまで無責任な発言が出来る時点で、やはり企業としての常識は疑わざるを得ませんよ。やっぱプロ・スポーツは”地元・密着型”というのが一番だし、その理念がない、企業のエゴ先行型だと持ちませんよ。その意味でもノジマともう一回交渉して欲しいな。やはりTBSという、全国相手方の企業だと、横浜に専心出来ない分、アティチュードがどうしても中途半端なものになってしまっていましたからね。



でも、まあ、ここ最近の日本、世知辛いニュースが多いですよね。ここ最近、ウェブを通してでしかわからなくはあるものの、日本から飛び込んで来る音楽関係、こと洋楽絡みのニュースもかなりつらいものがあるようですね。以前、「パラダイス鎖国」のコラムでも書いたように、日本人が国の外のことに関心を持ったり消費をすることに二の足を踏むようになったとか、いろんなことが「洋楽不振」につながっているように分析されているようですね。


このことに関しては、いつか言及しようと以前から考えていることではありました。何ヶ月か前、「世界と比較してみよう」の洋楽篇において、「洋画や海外ドラマと比べると、海外との情報格差はかなり良い方だ」と楽観的なことを書きましたが、それは事実であるにせよ、日本における洋楽の勢いがかなり落ちていて、業界の醸し出す空気が他の海外カルチャーより淀んで見えているのは確か。このことに関してだけは僕も「周囲が悲観的に騒ぎすぎている」と楽観を決め込むのではなく、事実をしっかりと受け止めておく必要があるなとは思っておりました。


そこで、「なぜ日本人は洋楽から離れるようになったか」、そのことについてこれから言及しようと思いますが、「洋楽離れ」は何も今にはじまったことではありません。僕が覚えている限り、人生で3度大きなものがありました。今回はその3度あった洋楽離れを僕個人のフィルターを通して振り返り、これをお読みのみなさんとこの問題について考えていけたらなと思っている次第であります。



第一回目の今回は<洋楽離れの瞬間 その1 1980年代後半篇>について書くこととします。



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ここ最近の「HMV渋谷店の閉店のニュース」などを読みますと、僕がここに書いたトリビュート・コラムも含めまして、あたかもバブル期が洋楽ブームだったかのような印象を与えがちですが、もしそういう認識が広まってしまっていたとしたら、その解釈が間違いであることをはじめに言っておきます。



なぜなら


バブル期こそが実は”洋楽離れ”の最初の瞬間だったのだから!



バブルとは大体、1987-1991年頃のことを指しますが、日本における洋楽の黄金期はやはりその前、1983年から1985年くらいの時期です。


この当時の日本での洋楽の盛り上がりというのはタイミング的にもバッチリだったのです。その要因として真っ先にあげられるのはMTV。あの当時「ポップ・ミュージックが目で楽しめる」という概念は世界共通の最先端の話題だったものですが、あの頃のポップ・ミュージックは映画のヒットをヒット曲の数々で助けるなど、他のエンタメにさえ多大な影響力を誇っていたものです。また、MTVの影響はロック的にも本当に大きかった。あそこがロックをプッシュしてくれたおかげで、70sにはラジオをこまめに聴くかLPを買ったり貸し借りしなければ聴けなかったロックがシングル・チャート上でヒットするようになったおかげで耳にする機会が激増もした。それによってアルバムからのシングル・ヒットが4曲ぐらい生まれ、300〜400万売れるアルバムさえ少なくなかった。そして、そういうポップ・ミュージックのヒット曲が今度は映画のヒットも助けたりね。あの頃の映画は、話の内容よりテーマ曲やサントラの方がより強く印象に残ってるくらいですからね。



また、日本の音楽メディアの流れ的にも良かったんですよ。1970年前後にAMが深夜に”若者の象徴”とばかりに洋楽ロックをかけ出したのがウケて、70年代に入ると今度はFMがそこに参入。70年代後半になるとロック雑誌経由でクイーン、KISS、ベイ・シティ・ローラーズああたりのアイドル・ロックがオリコン・チャートの上位に入るくらいの人気者となり、80年代には拠点区にしかなかったFMが全国的に開局ラッシュ。で、上に見るMTVの登場でしょ。盛り上がらないワケがなかったのです。加えて同じ頃、日本の芸能界がバンドとフォークをマネージメントしようとするも失敗。そこで茶の間主体の芸能界が自作自演型のアーティストを手がけることがなくなり、一般で流行るのはアイドル歌謡がほとんど。そういうこともあり、日本のロックやフォークはラジオに追いやられ、それはそれで高い人気を博しますが、日本のフォークのメロディが海外ポップスに比べマイナー調が目立ってあか抜けず、バンドに関しても海外と比べて作曲力・演奏力などの差もあったがために洋楽ロックよりもかなりマイナーな存在でもあったものでした。と言うこともありアーティスティックな音楽のファンが洋楽を欲さざるを得ない必然性というものがここで出来上がったのでした。



こうした上記のような事情が80年代の半ばまで日本の音楽界での均衡として機能していました。特に80年代になるとMTVと、それに先駆ける形でテレビ朝日で放送を開始した「ベストヒットUSA」の成功で、地方民放レベルでも深夜枠ではありましたがヴィデオ・クリップを流す番組が各局にひとつレヴェルで存在したものです。僕の住んでた福岡でさえ、1984〜85年には3つあったほどです。



ところが



洋楽ファンにとってのこうした”天国”とも言える時期は長続きはしませんでした。その理由は主として3つか4つありました。



まずひとつ。楽が地上波テレビで番組単位で持つほどには広がらなかったこと。なんだかんだ言って、これが一番デカかったんだと思います。よく「80sは洋楽黄金期」などと巷では言われますし、その頃に洋楽を聴きはじめた自負も僕にはあるんですが、しかし、そんな僕とて「あの頃はみんな洋楽を聴いていたもんだ」とは残念ながら口が避けても言えません。まあ、地方と都心で差はあったとは思うけど、地方の中学・高校でクラスで洋楽を聴く生徒の数なんて、その時でさえ微々たるものでしたよ。実情は、聖子・明菜・たのきん・チェッカーズの方が数的には完全に洋楽ファンなんて凌駕してましたから。せいぜい、クラスで4〜5人も洋楽ファンいればまだ良い方でしたよ。そんなこともあり、テレ朝が86年にMTVの放送枠を激減させたのを皮切りに、各TV局も次々とヴィデオ・クリップ番組を打ち切り。86年にはマドンナ、87年にはマイケル・ジャクソンの来日公演があり、それらのライヴは民放のゴールデンの時間帯に放送もされましたが、それらも民放が望むほどの視聴率が取れず、それが民放をして「洋物はやっぱ率取れねえな」という結論に導きしめたということです。それは僕が大学のときに受けていたマス・メディアの授業で某TV局の編成部の方が具体名をあげて言われてたので確かだと思います。



そして二つ目は日本人による自作自演型アーティストの大浮上。これも大きかったですね。いわゆる”バンドブーム”ってヤツですが、これが1985年くらいからはじまるんですね。たしかに惹き付けるものはあったと思います。レベッカやBOφWYあたりはMTVの洋楽アーティスト的な見せ方も戦略としてうまく使ってましたし、あの小室哲哉でさえデュラン・デュランへの憧憬を激しく口にしてた時代ですからね。彼らはこれまで洋楽聴いてたような層も取り込めたし、同時に、これまで「歌謡曲でいいやあ」みたいな受動的なリスナーの関心までをも取り込めましたしね。当たった際の規模が洋楽とは違いました。ここをキッカケとして86〜87年には若い日本のバンドがドドッとチャートに入るようになり、それはアイドル歌謡の急速な衰退(最大の要因は「おニャン子」をはじめとする歌えない美少女の乱発歌手デビューと光GENJIのリップ・シンクへの社会的バッシングだと思います)もあいまって、日本のヒットチャートのほとんどが自作自演型に変わって行くんですね。それが間もなく「J-Pop」と呼ぶところのものとなるんですけど、「洋楽聴かなくても、日本人でも曲作ってバンド出来るんだ」みたいな感覚が浸透したことが、洋楽のシェアを狭めた一因にはなりましたね。



三つ目は、二つ目とも大いに関係してくるんですがラジオ局の変容です。別に日本のロックの自給率があがること自体は悪い事ではなかったのです。ラジオが洋楽オンエアの数を激減させない限りは。でも、させちゃったんですよ、これが。このバンドブームを期に、ラジオでの洋楽チャート番組や情報番組は次々と消え、代わりにJ-Popの人気者がパーソナリティをつとめる番組に取ってかわることとなりました。中には音楽通の方による良質な番組もないわけではなかったのですが、ほとんどがファンとのコミュニケーションを目的としたプロモーション番組だったものです(実際、仕事でそういう番組に関わらざるを得なかった時期があるのでわかります)。さらに、洋楽番組自体も、ちゃんとした情報を丁寧に届けるものから、当時のバブルな日本のアーバンな空気に合うものを優先させた過剰なまでの”ソフィスティケイト路線”が取られはじめました。これはなんか当時の”ブランド指向”と結びつく感じでイヤでしたね。この当時の日本って、とにかく円高ドル安でGNP的にも世界一だったから金の力を使ってバシバシ海外に行くのはよかったものの、そこの国の文化を理解なんてしようとせず、ただひたすらブランド品への散財に血眼になってる頃でしたからね。そんな時代に「骨のある洋楽」というのが世間一般的には流れにくかったのは確かです。あと、ジャパン・マネー使って、それなりに実績のある洋楽アーティストにJ-Popのカバー歌わせる”搾取”みたいな商法もヤな感じでした。



あと4つ目は、「洋楽ファン内部でのコンセンサス不能状態」ですね。「ベストヒットUSA」でさえ1989年には終了し、ただでさえ海外のヒットチャートに触れる機会は減っていたのに、これで決定的となってしまいました。その頃には僕が80sの頃、いや多分、「洋楽雑誌」として一番大好きだった「ミュージック・ライフ」も「BURRN!」や「クロスビート」が分家したことによって弱体化(1997年頃休刊)。これに伴って、日本において「洋楽ファンが共有出来る絶対的なプラットフォーム」が失われてしまったんですね。方向性としては「インディ・ロック」「メタル」「R&B/ヒップホップ」「テクノ/クラブ」に完全に別れてしまったんですね。僕は大学の頃、洋楽リスナーのサークルに所属してたものですが、1990年頃には既にこういう状態でしたからね。この分化はこれはこれで90sにはしっかり生きて来ることにはなるんですが、ただ、今僕がこのブログのように洋画や海外ドラマまでチェックする身となりますと、こっちの世界ってまだどんな趣向性があろうとファンだったら誰でも知っている共有可能なヒット映画やドラマって80sの洋楽の頃のように存在はしてるんですよね。そこ行くと洋楽はそれが出来なくなっている。そのあたりも”弱体化”が国際的に囁かれている決定的な要因となっているような気はすごくします。




…と、これがバブル期における日本での本当の洋楽の状況です。案外、あの頃に失ってるものが日本の洋楽の場合、とても多いのです。その時代の気分を象徴する実体験でここはひとまずシメますね。バブル直後の1993年、僕は会社に入社してラジオのディレクターになるんですけど、そのときに上司に言われた言葉。「もう海外ばっかり追いかける時代じゃない。日本のものを育てないと」。その人が海外のものをしっかり追われるような方だったら説得力あったんですけど、僕の耳には「日本のもので自給出来るようになったら後は鎖国しても構わない」という風にしか聞こえませんでした。
author:沢田太陽, category:個人話, 03:02
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新ドラマがはじまった〜その4 「Hawaii 5-0」
 どうも。


昨日に引き続いて、今日も新ドラマ話、行きます。今日はこれです。




こちらで10/20にスタートした「Hawaii 5-0」。これは今季のCBSでもトップ・プライオリティのドラマなんですが、ブラジルだとなぜか、新興チャンネルのLivというところが、局の景気づけの意味を込めて放映権を買ったようですね。


これ、ご年配の方ならご存知の方もいらっしゃると思うのですが、これは実はリメイクでして、1968年から12 年間アメリカで放送され、日本でも初期のシリーズは放送になっていたようですね。





これがその当時のロゴです。


僕はオリジナルを覚えているほど年ではなく(笑)、音楽ファンとしてこのドラマを知っていました。これはですね、テーマ曲があのヴェンチャーズの最後の全米トップ10ヒットだったんですね。それで後追いで知っていたのです。




これですね。いいでしょ、邦題の感じ(笑)。ちょっとオープニング、比べてみましょう。


 



テーマ曲自体は、新しい方は転調こそしてますが、基本的には原曲に忠実ですよね。ただ、コンピューター・グラフィック使ってる分、新シリーズの方がグンとスピーディになってますよね。


ストーリー自体は、オリジナルとさほど変わりません。登場人物の写真をオリジナルと比較させながら話して行きますね。主人公スティーヴ・マクギャレットはハワイの警察の要人だった父の殉死をきっかけにハワイに戻ってきます。




そのままハワイの警察の統治をまかされたスティーヴは、相棒として新米刑事ダニー”ダンンノ”・ウィリアムスの面倒も見ることとなります。




ここまではさほど違いに驚かないのですが、ここから見てくれが大きく変わります。


このスティーヴとダンノの2人に、スティーヴの父が鍛えていた中国系の用心棒、チン・ホー・ケリーが加わります。




ここが劇的に違うでしょ(笑)。やっぱり新しいヴァージョンの方がグンと洗練されているものです。新しいチン・ホーは「Lost」ですっかりお馴染みになったダニエル・デエ・キム。


そしてそこに、ハワイ育ちの若い刑事コナが加わりますが、ここが最大の変化です。




やっぱ、これでしょう(笑)!なんせ、男だった役が女に変わっちゃったんですから。で、それに伴って配役名も変わります。オリジナルでは”コノ”と呼ばれていたこのキャラ、”コナ”に変更です。ラテン系みたいなノリですが(笑)。で、このコナを演じているのは「バトルスター・ギャラクティカ」で一躍注目されたグレイス・パーク。ここでの彼女は”一流のサーファー”ということにもなっております。


僕は直接見たわけではないんですが、話を聞くにこのシリーズはオリジナルはそうとう男尊女卑な感じが強かったぽいですね。女性で登場するのは秘書か水着のオネエちゃんくらいのもので後はみんな野郎。どうやら2010年に際してはその点が大きな改善点だったらしく、このグレース・パークのレギュラー起用のみならず要所要所に女性キャストを起用しております。知事さんも女性だし、オリジナルにはなかったスティーヴの妹役もレギュラー・キャストで登場します。


さらに、まだいつ出て来るか初回放送だけを見る分にはわからなかったのですが、あの「Heroes」のヒロ・ナカムラことマシ・オカも準レギュラーみたいですね。彼は「Heroes」のときは自分の日本語に誇りと自信を持ちすぎていたからなのか、日本語のセリフの方が早過ぎて、わざとたどたどしく話している英語よりも逆に何を言っているのかわかりにくかったのですが、こっちの役は多分英語での役のはずなので、もう少し自然に演じる姿を見てみたいものです。



このように、アジア系役者にお馴染みのキャストをならべた効果があってか、この新ヴァージョン、放送開始から高視聴率のバロメーターである1000万ヴューワーをずっと超え続けております。話も痛快でわかりやすいし、スカッと見れる作品であるのはたしかです。


ただ、僕自身の感想をあえて言わせてもらうなら、アジア系役者は良いにせよ、一番肝心なこのふたり




スティーヴ(左)とダンノ(右)のふたりの印象がドラマ見ててちょっと薄いのが気になるんですよねえ〜。まあ、二人とも馴染みのない役者なのでこのあたりは放送回数を重ねることで解消されて行くかもしれませんが。このドラマが長く愛されるか否かは、この点にかかっている気がしますね。


ちなみにスティーヴ役の人はアレックス・オラフリンというオーストラリア出身の役者さん。そしてダンノの方はと言いますと、名前をスコット・カーンと言いますが、実は二世タレントです。




なんとジェームス・カーンの息子ですよ。あの「ゴッドファーザー」のコルレオーネ家の長男、サンティーノ・”ソニー”・コルレオーネ。全然似てないのでわかりませんでしたが、スコットは父を超えられるでしょうか。


このドラマに関しては出演者が日本でも知られている人も多いし、オリジナルもかつて放送されてもいるし、話もわかりやすいので日本上陸は早い気がします。来年あたりには放送されているような気が僕はしますけどね。

author:沢田太陽, category:海外TVドラマ, 02:11
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