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ブラジル版 ”フジVSサマソニ” その1〜”大物指向”のSWUフェスティバル
 どうも。


桑田佳祐が食道がんを患ったとのことですね。それはすごく残念ですけど、初期で治癒可能と聞いて良かったなと思ってます。僕は世代の割にはサザンの曲は誰でも知ってるヒット曲ぐらいじゃないと知らないとか、せいぜい「ふぞろいの林檎たち」を「2」までを見てる(「3」は大失敗でしょ、あれ)ぐらいとか、そんな程度なのでトピックにして語ることは出来ないのですが、他のことと絡んで別ネタでインスパイアされたことがあるので、それが発展すれば、彼のことではありませんが何か書くかもしれません。


で、今日は、やっぱ時節柄フジロックに突入してるので、こういうネタがいいかなあと。


題して


ブラジル版”フジロックVSサマーソニック”


…なんてものは、実は昨年までなかったのですが、嬉しいことに、今年になって急に出来たみたいなので話してみようと思います。2回に分けて話しますが今日は





Starts With You FestivalことSWUフェスティバルについてお話ししましょう。



このフェスは、今年の10月9〜11日の3日間、サンパウロ郊外のイトゥという場所で開かれるフェスティバルです。このフェスは4月に開催が発表された当初、「グラストンベリーやコーチェラのブラジル版を目指す」という壮大なスローガンが掲げられ、最初は「ウッドストック・ブラジル」という大仰な名前までついていたほどでした。たしか、実際に1969年のときのウッドストックのスタッフが一部噛んでるみたいな話も聞いていたりします。


ただ、これ


フタを開けてみるまで、ようわからんフェスティバルです。


いや、3日間のヘッドライナーだけ見れば、いいんですよ、これ。





初日がレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、2日目がキングス・オブ・レオン、3日目が、実はこれ正式発表ではないんですけど現状のメンツから妥当に判断してリンキン・パーク。ズバリ、この3つがヘッドライナーというのは大したものだと思います。なんかレディング・フェスティバルみたいな雰囲気さえ漂うではありませんか。で、驚くことに、主催者の意図としてはこれがベストではなかったみたいですよ。実は当初、ポール・マッカートニーとパール・ジャムを本気で狙ってたというからそうとう太っ腹じゃないですか!これに関しては、主催者から正式に獲得断念コメントがなされていたので本当だと思います。それを考えると、本気度はかなり高いフェスのよう…に見えます。



なのですが!


非常に困った問題も一方ではあるのです。それは


開始70日を前にして、各日の決定アーティストが5つもない!!


日本のフェスからしたら、「それ、どういうこと!?」ですよね!この数じゃ、メイン・ステージ埋めるアーティストの数にも満てないです。それなのに、もうチケットの販売がはじまっているからさらに驚き!で、なぜか、合間の時間を埋めるのであろうテクノ系のDJのブッキングばっかり早くから決まっている(笑)。これじゃ、ヘッドライナーの時間まで、見に行く人、いるのかあ〜。


で、各日の現状のブッキングは以下の感じです。


<10月9日>
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン
ムタンチス(ブラジル)


<10月10日>
キングス・オブ・レオン
デイヴ・マシューズ・バンド
レジーナ・スペクター
サブライム
キャピタル・イニシアル(ブラジル)
ジョタ・クエスト(ブラジル)


<10月11日>
リンキン・パーク
インキュバス
ピクシーズ
カヴァレラ・コンスピラシー(ブラジル…ってか、セパルトゥラ!)



…いや、名前そのものは大物ぞろいだと思うんですよ。アーティストそれぞれの説明の必要もあえていらないでしょう。でも、フェスって「ビッグ・クラスを並べりゃそれで良い!」ってものではなくて、それぞれの時間帯にふさわしい格のアーティストがスロットを埋めて行って、最後に集客の大きい大物がシメるから良いんであって。これだと、フェスの後半はまかせられるアーティストばかりなんだけど、前半〜中盤までが全然読めない。ってか、初日、まだ2アーティストしか決まってない(笑)。


で、ブラジルからのアーティストもデカいんですよ、これ。ジョタ・クエストは「ゲ〜、なんだよ〜」みたいなブラジル人の反応も結構見ますが、90sに人気のあったバンドです。キャピタル・イニシアルは80sの人気バンドで2000sに80s以上の人気で復活してからはベテランではトップ級のバンドですね。カヴァレラ・コンスピラシーは、ブラジルが世界に誇るメタル・バンド、セパルトゥラのそもそもの中心人物だったマックスとイゴールのカヴァレラ兄弟のユニットですね。でも、「うおおおおっ」てのは、やっぱ




やっぱ、ムタンチスしかないでしょう!!知る人ぞ知る、「ブラジリアン・ロックのパイオニア」ですよ!!この人たちのサイケデリックな独創的な音楽性については、このブログの4/8の記事でも動画つきで紹介していますが、シド・バレット在籍時のピンク・フロイドもぶっ飛ぶくらい、狂気なトリップぶりがすさまじいですよ!しかもそれを、1968年くらいの時点でやってたんだから。デヴィッド・バーンやベックが魅了されたのもわかります。この人たちは英米での熱烈な再評価に応え近年再結成して今に至るんですけど、上の写真を見て「あれっ、なんか違和感が」と思ったアナタはかなりのロック通です。





そうです。リードシンガーのヒタ・リーがいないのです!ぶっちゃけ僕もそれがあるので、今ひとつ決定的に再結成ムタンチスを見る気になれないのです。やっぱ、ヒタあってのムタンチスなんでね。


このヒタ・リー、ブラジルではもう今でも超有名人中の有名人です。ソロ転向後も70〜80sはトップ・ロックスターだったし、リリースが活発でなくなった現在でもあれば話題になるしね。ルックスもかなり強烈になって今こんな感じです。




すごいでしょ(笑)?ある時期から髪型はいつもこんな鮮明な赤毛です。決して女装したスティーヴン・タイラーではありません(笑)。そんな彼女は今もホットな話題があって、2週前からはじまったブラジル中が超注目のTVドラマ「Ti Ti Ti」の主題歌をまさに歌ってる最中です。このドラマ自体が80sの大ヒット・ドラマのリメイクで、どこのスーパー行っても必ずあるゴシップ雑誌の名前の由来にまでなってるほど誰でも知ってる定番作。それの主題歌、60歳を超えた現在も堂々とつとめちゃうんだから、存在感はやっぱかなりのものです。で、実は今回のブログ書いてる最中にTVつけたら、彼女が特別ゲストで出たコメディやってて二重にビックリしました(笑)。


…って、横道にそれてスミマセン。



で、話を元に戻しますが、このSWUの課題として


全体のラインナップをいかにバランスよく埋めるか。


ここにかかってると思います。噂で聞いたところだと、この他にクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジとケミカル・ブラザーズが決まってるらしいんですが、これも明らかに後半型の知名度のアーティスト。なんかバランスよくないんだよなあ。


早くスロットを埋めてからあらためてラインナップを発表して欲しいんですが、このフェス、ものすごく手痛い事実がひとつあります。


ひとつ日程まるかぶりの大きなフェスが既にあった!


それがアメリカはテキサス州でのオースティン・シティ・リミットっていうヤツなんですが、これにストロークス、ヴァンパイア・ウィークエンド、LCDサウンドシステム、そしてMUSEを既に取られている!その他にも、これ、すごく大きなイベントですからね。これにやられて、アーティストの頭数、かなり取られてることは事実です。



また、アーティスト発表の段取りがすごく悪い。レイジだって、発表されたの昨日ですからね!ヘッドライナーなのに!これが発表される前までウチの妻は「これではUSOフェスティバルの二の舞では」と痛快なジョークをかましてました。もちろん2006年のあの伝説のウドー・フェスティバルのことです。あまり日本語読めないのに、ここのサイトが言ってる意味はしっかりわかって涙流して爆笑してましたからね(笑)。まあ、さすがにレイジ、キングス、リンキンと並んでそれはないとは思うんですけど(笑)、でも、10万人以上入っても大丈夫そうなとこをあえて選んでやってるんだから、現状のブッキングの数だけだとこれ結構キツいと思います。大風呂敷広げたのは頼もしい限りですが、ここからどう盛り返すか。そこに期待したいところです。

author:沢田太陽, category:ブラジル, 08:30
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最新全米チャート
どうも。


いよいよフジロックがはじまりますね。まあ、いざフェスがはじまってしまうとネットはなかなかチェックできないと思うので、今日はフジに行かれない方に是非読んでいただきたいです(笑)。では、金曜恒例、最新全米チャート行きましょう。 



SINGLES

1(1)Love The Way You Lie/Eminem feat Rihanna
2(2)California Gurls/Katy Perry feat Snoop Dogg
3(4)Dynamite/Taio Cruz
4(3)Airplanes/B.o.B feat Haley Williams
5(7)Billionaire/Travie McCoy featuring Bruno Marz
6(8)I Like It/Enrique Iglesias
7(6)Cooler Than Me/Mike Posner
8(5)OMG/Usher
9(9)Find Your Love/Drake
10(10)Ridin' Solo/Jason Derulo


エミネムが2週目の1位ですね。久々の大ヒットになりそうな予感。で、今週もまた。トップ10に変動がありません。ただ、11位から15位あたりまでのきなみ上昇曲なので、来週は結構変わりそうな気がします。


今日は20位に初登場してきたこの曲でも聴いていただきましょう。

 



ケイティ・ペリーのニュー・シングル、「Teenage Dream」ですね。同じタイトルのアルバムも8月に出ますね。この曲といい、「California Gurls」といい、今回のケイティ、「一夏の青春」がテーマみたいですね。いみじくも、ここ2号くらいのHard To Explainの雑誌も、インディで起こったサーフ・ブームに焦点当ててるんですよね。MGMT、ドラムス、サーファー・ブラッド、ビーチ・ハウス、ベスト・コースト、Wavves…。これ、なんなんでしょうね。なんだか不思議なトレンドだと思います。


でも、ケイティ、今度の曲もうまい具合に青春アンセムですね。これも人気でそうな気がします。


では、アルバム行きましょう。



ALBUMS

1(1)Recovery/Eminem
2(-)Teflon Don/Rick Ross
3(-)100 Miles From Memphis/Sheryl Crow
4(3)Thank Me Later/Drake
4(-)Kidz Bop 18/Kidz Bop Kidz
6(5)My World2.0/Justin Bieber
7(-)Jonas L.A./Soundtrack
8(12)Now 34/Now
9(11)Need You Now/Lady Antebellum
10(13)The Fame/Lady Gaga


エミネム、遂に5週1位ですね。5週まで1位が到達したのは2004年の「アンコール」以来ですね。この調子で行くと、まだ行けそうな気がします。


2位に初登場はフロリダのラッパー、リック・ロス。シングル・ヒットがないのでコア・ファン以外にはなかなか目立ちにくい人ですが、前作まで3作連続してアルバムは全米No.1になっています。で、3位は先週も話題に触れましたね、シェリル・クロウのニュー・アルバム。


5位は、このシリーズ、いつまで人気続くんだ?ヒット曲の子供によるカバー・コンピレーション、キッズ・バップ・シリーズの第18弾。前作がトップ10逃したので「もう、そろそろ…」と思ってたんですけどね。ガガの2曲(「Telephone」「Alejandro」)とケイティの「California Gurls」が効いたかな。で、7位はジョナス・ブラザーズのディズニー・チャンネルでのドラマのサントラ。どうやら、この人たちもサーフ・ブームのようです。




なんなんだろうな、これは(笑)。



さて来週ですが、amazon.comの予約チャートではアヴェンジド・セヴンフォールドが一番人気でしたが、今週のビーチっぽさを考慮して、同じ週発売のインディ・アクト、ベスト・コーストの曲でシメましょう。ベサニーっていう女の子がフロントをつとめるガレージ・バンドで、このコが今、インディのちょっとしたオシャレ・アイコンですね。各地でアルバム大絶賛中でたしかに雰囲気は良いんですけど、ただ、雰囲気先行過ぎな部分もあるので、どこまで本物なのか、ちょっと生で一度確かめてみたくはあるんですけどね。でも、サマーソングとしてのムードはいいと思います。インディ・ギター・ロックとしてメロディはすごくいい。でも、歌唱力はちょっとなあ…。では、そんな彼らのデビュー・アルバム「Crazy For You」から「Boyfriend」を!


 


author:沢田太陽, category:全米チャート, 07:56
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フジロック2010 僕ならこう見る
 どうも!


「フジロックの思い出」を書いたなら、やっぱり「今年のフジロックをどう見るか」、やはりこれが必要でしょう。


今年のフジロックは、まあ、本音の本音言うと、「フジロックの思い出」の2006年のとこでも書いた「見たいアーティストの間隔が空いてしまう」問題は解消されてはないんですが、それでも、ここ4年の中では「ゲッ、こりゃ見なきゃ!今年見ないでどうする!」みたいなものが一番あるのも確かです。早耳ものから、2010年だからこそ見たい今のスター、そしてレジェンドまで。僕がフェスに期待する、「新・旧・今」の3つのバランスも取れてるし、フェスっぽいスケール感もあると思います。マッシヴ・アタックが今メインのトリにするには若干弱いかな、という気も少しします(もちろん過去の実績は認めるんだけど、最後に傑作出したのが10年以上前)が、それ以外は良いのではと思います。


では、初日から、僕がどう見るか。実際には見れないけど(笑)、あえてシュミレーションしてみましょう。


<初日>
ASH(もしくはジャマイカ)→ローカル・ネイティヴス→(ブロークン・ベルズ)→The XX→MUSE


初日はこんな感じでしょうね。ただ、僕的にどうしても見たいのはローカル・ネイティヴス、The XX、MUSEの3つ。この三つは「2010年に見ないといけないアクト」だと思います。ロックの場合、好きならそりゃいつみてもいいという意見もある気がしますが、「○○年のナントカ」というイメージ。これは想像以上にメチャクチャ大事です。「なんのアルバム出したときのツアーか」。そういうことが、10年とか20年経ったときに価値として出て来るのです。やっぱ、アーティストの一番旬なタイミングの時にこそ見たいですからね。だからロックって、その意味で、「今見れないからそのウチ見るからいいや」じゃダメなのです!だって、その次のタイミングでバンドは解散してるかもしれないし、最悪の場合死んでるかもしれないわけだしね。


ローカル・ネイティヴスは今年のUSのメディアがこぞってプッシュしてましたよね。僕はまだそこまで音聴いただけだとピンと来てないんだけど、だからこそ見たいですね。The XXは、あのアルバムのダウナー感覚ってドラッグ的な陶酔感がありますね。演奏はそこまで良いとは思えないけど、立ち姿も華があるし見てみたいですね。MUSEはもう何度も見てますが、デビュー10年にして日本のフェスのヘッドライナーになる勇姿ってやっぱめでたいじゃないですか。アメリカ進出にも大成功したばかりだし。おめでとう!


あとはASHもこないだのダウンロード・シングル・アルバムが普通にポップで良かったのでちょっと久々に見たいなあ…っていうのがあるんですが、ジャマイカもちょっと気になります。Hard To Explainのホサカ・デンジャラス君があまりに押すので「それはそんなにスゲエのか」と思ってるとこなので。


あと、「スケジュールがかぶって泣く泣く見れない」のがブロークン・ソーシャル・シーン。本来だったらもちろん見たいし、今回はどのメンバー連れてくるのかもチェックしたいとこだけど、今年のMUSEの裏じゃなあ…。



<2日目>

ダーティ・プロジェクターズ→(デトロイト・ソーシャル・クラブ)→ジョン・フォガティ→ゲッ、マジかよ!どうする、ロキシー・ミュージックor MGMT


初日もそこまで忙しくなさそうですが、この日はぶっちゃけ3スロットしか見たいのがありません。それなのに


ロキシーとMGMT重ねるってどういうこと!!!


いや〜、これはマジで困りましたね〜。重なってなかったら、どっちもかなりのプライオリティ置いて見たかったアクトだけになあ。まあ、おそらくMGMTを選ぶとは思うんだけど、もしロキシーが下の曲やったら、悔し泣きするよ。


 


僕はこういう、「デュラン・デュランの元曲」みたいな感じはメチャクチャ大好物なんでね(笑)。僕の場合、「アヴァロン」とかそんなに大事じゃないんだけど、「Love Is A Drug」みたいなファンキーな曲とか、「Virginia Plain」とか「Do The Strand」みたいな初期のひねくれたナンバーとかやられちゃうと、もうメロメロですね。


あと、ダーティ・プロジェクターズは去年からずっと見たかったアクト(オマケでソランジュ来ないかな、笑)だし、ジョン・フォガティはCCRの曲を出血大サービスくらいにやってくれれば、これも一生忘れない思い出になり得ますね。



<3日目>

イェイセイヤー→ヴァンパイア・ウィークエンド→(フォールズ)→LCDサウンドシステム→(ホット・チップ)→ベル&セバスチャン→(シザー・シスターズ)


この日はメチャクチャ忙しいし、充実してますね〜。イェイセイヤー、ヴァンパイア、LCD。この3つは僕の上半期アルバムのトップ5に入ったアーティストなので、今のこの時期にこそ逃したくないものです。超マスト!で、移動の関係で難しそうだけど、フォールズもホット・チップもアルバム良かっただけに、これも本当は逃したくないんだよね〜。で、トリはマッシヴかベルセバが迷うけど、「新譜前のベルセバ」って見てみたいし、「フェスのベルセバ」に関してはずっと見逃し続けていたのでベルセバかなあ〜。マッシヴはもう少し寝かせて「再評価」のタイミングが来た時に改めて見たいかなあ〜。で、クロージングのシザー・シスターズは「元気だったら」という条件付きだけど、多分、牛串食って帰りそう(ひょっとして、まだモチ豚?牛串の方が10倍は美味しいぞ!)ではあるけれど…。


…というのが、2010年の僕の仮想フジロックです。基本、少なくとも1日あたり3アクト以上は一応見たいので、日本にいたら確実に行っていたと思います。サマーソニックの日程がロラパルーザとかぶっているうちに、良いアーティストを今のうちにとっておきたいとこですよね。


では、フジロックに行かれる方、お元気で楽しんでください!
author:沢田太陽, category:個人話, 12:05
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フジロックの思い出 その3 2004〜2009
 うわっ、今アクセスのカウンター見たら、過去最高になってる!もう「トイ・ストーリー3」で検索する人も減ってたので、間違いなく「フジロックの思い出」が読まれてるんだな。はずかしい(笑)。でも、せっかく書きはじめたんで、最後まで行きましょう。



<第8回目 2004年>


この年のフジロックも、2001年に近いくらい素晴らしかったです!そして、個人的なことを言わさせてもらうと、Hard To Explainを立ち上げて、そのオリジナル・メンバーたちとはじめて共に行ったフジロックなので、その思い出も重なり、個人的には一番忘れ得ないフジロックとなりました。


で、そのHard To Explain元年にはこれ以上ないくらい、メンツも”これから2000年代を築き上げるんだ!”くらいの勢いを持ったバンドたちが一気に集結していたものです。こと、”ニュー・カマー”をここまで気合い入れて呼んだ意味では、この年のフジが一番でしょうね。だって、初日のレッドマーキーののっけからいきなりキラーズですよ!後にあそこまでデカくなるバンドが、こんな小さな場所で、しかもこんなに早い時間にやってたのを目撃出来たのは、今考えても本当に貴重でしたね。当時はまだ「Somebody Told Me」でのドッヒャーな80s路線がイロモノ的にも捉えられていたんだけど、パフォーマンスは当時から安定してたし、なにしろ本人たち的にもものすごく「俺はスターだ!」と自分に言い聞かせでもしてるような自信に溢れてましたね。これ見て、「このバンドなら着いて行きたい!」と惚れ込みました。で、この日のレッドマーキーはこの後もスノウ・パトロールやズートンズといった、後に2000年代のある時期にビッグ・セールスをあげたバンドが次々に登場。なんか、レディングの新人テントを見てるような豪華さがありました。


で、それだけじゃなくて、「待望の来日」を果たした実績組も素晴らしかった。PJハーヴェイはワンショルダーのタイト・フィットなオレンジのミニ・ドレスで体の線と脚線美を強調した姿で登場しただけで「ウォ〜ッ」という大歓声が上がったし(女性ロック最高のファッショニスタだと実際に僕も思う。カッコいい!)、ピクシーズはいい感じでゆる〜いながらも現在に至るモダンなギター・ロックのパイオニアとしての存在感を示してたし。


ただ、それでもこの年のフジのメインはやはりイギリス・メディア経由のロックのニュー・スターたちなのは明らかで、その主人公が2日目の真っ昼間のグリーン・ステージに登場しました。それがフランツ・フェルディナンドだったんですけど、いや〜、これは文句なしにカッコ良かった!ギリギリまで削ぎ落としたシャープなギターとリズムで刻むグルーヴもこの10年を象徴したと言ってもいいくらいにエッジィなカッコ良さがあったけど、やっぱ釘付けになったのはアレックス・カプラノス!垂らした前髪を首でかき上げ、カメラ目線でキメるは、一回転ターンはするは、会場指差して決めポーズを作るは!久々に「キザ」という言葉が似合いすぎる、楽しめるロックスターが登場した瞬間でしたね。もう、この「アレ様」(と仲間内で呼んでました、笑)の仕草にクラクラッとなってしまったのか、このライブはこの年で最も話題を呼び、それは以降2回でのメイン・ステージのヘッドライナーへとつながっていったのは言うまでもありません。


そして、3日目ですが、この日の夕方以降のグリーンのラインナップも、この年のフジを見事に象徴していました。リバティーンズ→ジェット→そしてホワイト・ストライプス!いかにも2000年代前半のロックを象徴するような並びです。で、リバティーンズはピーターがまたも来ず、ジェットはまあまあって感じのライブだったんですが、まあ〜、凄かったのがホワイト・ストライプスのライブですよ!前の年に見た渋谷AXでのライブは、自分の一生の中でも屈指の、それはそれは凄まじいライブでしたが、あの驚異のステージをあの広大なグリーン・ステージで証明したのは圧巻でしたね!よく言われる”轟音”なんて言葉が可愛らしくかつ小汚くさえ聴こえてしまうほどの、音量調節不能かのような驚異の大爆音状態でしかも美しく弾かれるギターに、仁王像に憑き物でも降りて来たかのような怖い形相でけたたましく歌い上げるヴォーカル。そんな雷神のようなジャックに、心臓の鼓動のようなビートとフェミニンな優しさを添えるメグ。圧倒的な破壊力としての「剛」、アーティで繊細な「柔」。こと、ライブに関して言うと、この頃のストライプスに勝てるアクトは、よほど調子がいい時のレディオヘッドくらいのものだと思うし、こと個人のパフォーマンス能力という点で言ってジャック・ホワイトに勝てる人は誰もいなかった(だって、これ、ぶっちゃけ一人でも音楽として成立してたぜ!)。このライブの前まで、「ストライプスなんてハイプだろ?」とか「ゲッ、トリがコイツらかよ」とか言う人が実際にいましたが、終焉後に僕の周りから聴こえて来たのは「…ヤベえ…。ヤバすぎる!」「なんか、スゲーもん見ちゃったな」「コイツら、こんなんだったんだな」「ギギ〜、グゴゴ〜、グガ〜ッ(ジャックのギターの声真似)」ばかり。これ以降、ストライプスがオリコンでもトップ10に入るほどの人気バンドになり、「ハイプだ!」などというはずかしい暴論を吐く人はいなくなりました。



で、本当はその後にモリッシーが大トリのはずだったんですが、なんと2度目のドタキャン!その代わりにステージに上がったのは、「モリッシーに、似てると言えば似てる…かも(笑)」な人がヴォーカルを取るザ・スミスのトリビュート・バンド。…まあ、目をつぶって聴けばそれらしく聴こえないではなかったのですが、TVモニター見ると大爆笑せずにはいられませんでした(実際、「太陽さん、そんな大声で恥ずかしいから…」って言われるくらい涙出るまで笑いました、笑)。しかも、ジョニー・マー役がただの中年サラリーマンみたいでカッコ悪かったんだ、これが(笑)。でも、モリッシーのツアーでは聴けそうになかったスミス・ナンバーが疑似体験出来たのは良かったかも…


ってな話を、今まで以上に濃く共感出来る友人たちと共感出来た意味では最高のフジロックでしたね。で、実際問題、「”ロックの時代の空気”をちゃんとリアルタイムで体験出来た」という意味では、これまでの日本のロック・フェスの中でも1、2位を争う内容だったと思います。



<第9回目 2005年>


この年のフジロックも傾向的には前年に似ていて、ニュー・カマー多かったですね。ただ、前年登場組があまりにも良過ぎたために、比較してしまうと、今から考えるとちょっと弱いのは否めなかったかなあ。マジック・ナンバーズとかマキシモ・パーク、フューチャーヘッズあたりは良いバンドなんだけど、「華のなさ」ゆえ、なかなかそれ以上には行けなかったしなあ〜。


ただ、前年にフランツが大当たりし、決してシーンの主役とは言い難かったものの、その前年のジェット、前々年のザ・ミュージックが「フジロックでブレイク」みたいな感じに世間的にはなっていたため、メディアもレコード会社もようやっとこの辺りのバンドを押し始めようとする気運が高まったことは事実です。


そういうこともあり、BARKSさんの仕事でインタビューばかりしてたのを覚えてます。で、個人的なことで恐縮ですが、このフジロックでのインタビューから、通訳を一切はさまない形でのインタビューをスタートしました。相手はブレイヴァリー、フューチャーヘッズ、マキシモ・パーク、マジック・ナンバーズ、カイザー・チーフスあたりだったかな。やっぱノンストップで本音で会話出来るというのは断然いいものです。


で、ライブの方は、粒の小さいとこでチョコチョコと良いのはあったけれど、強烈に記憶に残ってるものは実はそんなにないかなあ。コールドプレイもベックも、僕がこれまで体験した中だとベストとは言えない内容だったし、フー・ファイターズは良かったけど、新しい曲になればなるほど暑苦しくなって90年代の時ほどには好きになれなかったし。大トリのニュー・オーダーも、あの「ヘタな快感」を期待して行ったら、バーナードが突然「僕らもね。ちゃんとライブしないといけないなと思ったんだ」とか言い出して、中途半端にうまくなった(でもヘタだけど)ライブやって「あれっ?」って感じだったし。強いてあげるとするならば、なかなか止まない雨の中で「ウチの国の大統領のことは申し訳ない」と言ってプレイしたモービーとか。あと、遂に来たは良いけど、生来のわがままぶりが本領発揮してしまい、ほとんど知らない曲をプレイしたあげく「照明がイヤだ、イヤだ」と不機嫌になり途中でライブをほっぽり出して帰ってしまったライアン・アダムスの残念すぎるライブとか。そんな感じかな。


<第10回 2006年>


この年は、Hard To Explainのチーム内での期待値がグッと盛り上がった年でした。ヘッドライナーにフランツ・フェルディナンドとストロークスの名が!世間的に大注目はレッド・ホット・チリ・ペッパーズでしたが、それでも2000年代生まれのこの二つのバンドがフェスのヘッドライナーに昇格したのは、とても喜ばしいことでした。


しかし、2000年代前半からのイギリス・メディア発の新しいロックのムーヴメントが冷え込んで来たことを象徴するかのように、全体的にはピリッとしないものでした。フランツは良かったものの2004年の、あの話題を独占したときほどの圧倒的なスケール感はなかったし、ストロークスも2003年のサマーソニックが良過ぎたのか、それと比べると随分落ちるライブでした。こういう言い方すると堅くなってしまうけど、悪い意味で”自覚に欠けた”感じの貫禄のないライブでしたね。もうそろそろ、こういう感じからは脱して欲しかったです。


「やっぱりヘッドライナーの格としてはレッチリだ」みたいなことを、どこかの雑誌の編集長も言ってたような気がするし、「ちょっと今回は言い返せないかなあ」みたいな部分もないではなかったのですが、僕にとってのドラマはまさにそのレッチリの真裏で起こってました。それがヤーヤーヤーズのライブ!いや〜、これ、ものすごかったんですよ!!僕が彼らのライブを見たのはこの時が3回目、フジでは2回目だったんだけど、「これまでのこと、忘れてください!」と言い切ってしまっても良いくらい、本当に圧巻のライブでした!これまでは、CDでカレンOが艶かしくかつ攻撃的なヴォーカルで引っ張って、ライブではニックのフリーキーなギターとブライアンの重量感のあるドラムに牽引される形で、ストレンジなファッショニスタ、カレンが魅せる…という感じだったのですが、この時のツアーから、これまでやや声の部分で他の2人の演奏に押されてたカレンが、はじめて2人に負けなくなったんですね!しかも、ニックもブライアンのライブでの表現力も共に格段にアップして来てるのに!カレンのフロントウーマンとしての神々しさ。商業的にはまだそこまで認められてませんけど、この人たちも確実にロック史に残りますね。これはフジだけじゃなく、世界の他のところでも言えることだけど、もうちょっと評価されてもいいと思いますよ、このバンド!バンド自体が秘めた潜在能力なら、世界でも屈指だと思うので。絶対見るべきです!事実、このときのオーディエンスには、なんと自分の本番を控えていたにもかかわらず、アンソニー・キーディスがそこにいたくらいですからね。


で、この年に顕著に感じたんですけど、フジロックもなんだかステージが増え過ぎて、なおかつ、サマーソニックもたくさんアーティストを取るようになって来たことから、全体的にラインナップがスカスカでした。自分が見たいと思うアクトから次までがとにかく長過ぎる!スロットを埋めようとして、いろんなジャンルから雑多なアーティストを呼ぼうとするのは悪いことではないし、より多くのタイプの客層が来るとも思うだけど、でも、その分、それぞれのお客さんにとっての目当てが減ってしまったためか、例年以上に暇そうに遊んでる人を多く見かけ、それが「バンド、見なきゃ!」というお客さんが本来持つべきモチベーションを下げてしまっているようにも見えました。何か悪い予感がしました。



<第11回目 2007年>


この年は、当初は行く予定でした。なぜなら。キュアーが出るから!しかも、同じ日にMUSEとキングス・オブ・レオンも出る!これはなかなか、そそりました。


でも、この夏、もう一方で決まっていることもありました。それは、初のブラジル行き。夏のブラジル旅行がいかにお金がかかることか!そう考えると、やはり手は出しにくいものでした。


でも、最終的な決め手となったのは、2日目、3日目に行く価値を全く見いだせなかったことです。新譜も出してないビースティ・ボーイズに、アルバムが2枚続けてコケてエレクトロのトレンド的に見ても明らかに下降線だったケミカル・ブラザーズ。正直、この2つのヘッドライナーに魅力を感じなかったし、それ以外のグリーン・ステージのアーティストもそれ以上に魅力のないアーティストばかりだったし、期待のニュー・アクトもほとんどサマーソニックに取られててナシ。そして、基本、ダンスかジャムか、どちらかで大団円で終わるはずのクロージング・バンドがロスト・プロフィッツという不可解な人選。と言うことで、キュアーに後ろ髪を引かれながらも「中途半端に初日だけ行って、それなりの金を使ってもな」ということで泣く泣く諦めました。


<第12回目 2008年>


申し訳ないですが、ラインナップ見た時に大きく失望しました。前、そのことについて軽く書いたのですが、「見限った」とさえ言っていいくらい、僕の中でのこのフェスの信用はガタ落ちしました。


マイ・ブラッディ・ヴァレンタインを獲得したのは良いにせよ、それと並ぶヘッドライナー(実はマイブラでさえ、僕はホワイトのトリだと思ってました。リアルタイムではそういう知名度だったよ)として、アンダーワールドとは!新作がイギリスでさえアルバムのトップ40逃してて、もうクラブ界ではとっくに過去の人になってたと言うのに。まあ、キヨシローの復帰祝いとして3日目のトリというのも本来それは良かったし、癌が再発したのは本当に気の毒だとも思うけど、だけど、その代理が2日連続出演でのプライマル・スクリームというのは!いくら常連だとは言え、イギリスでさえもとっくに落ち目になって、どこのフェスも今さらヘッドライナーにはしないバンドをしかも2日連続って。しかも、2日連続出演のバンドはこれだけじゃなかったという。前の年にも、直前になって突然何かが急遽グリーンの最初のバンドとして、あきらかに何かの穴埋めみたいな形でブッキングされる不可解なことがあったけど、「一体どういうフェスにしたいのか」が全くわからない感じでしたね。


加えて、この年、ヴァンパイア・ウィークエンドやMGMTといったニューヨークの新鋭を中心に、この10年最後の盛り上がりを見せていたUKメディア発の有望組もことごとくサマーソニックに取られっぱなし。それにヘッドライナーの件も加えて、Metropolisかなんだかの外国人向けのフリーペーパーの記事でも「これはここ10年、音楽を聴いていない人が組んだようなラインナップだ」と酷評までされることにもなってしまいました。たしかに横との並び方としての見え方じゃ、マイブラも前年のキュアーも、これじゃせっかくの「レジェンド」が「懐メロ・バンド」にさえも見えかねない。


そんな自分のことは棚にあげて、エコやマナーに関してお説教のように説いたり、「日本独自のフェスを目指そう!」なんて呼びかけていたものだから余計に違和感を覚えました。「日本独自のフェスって、”わざわざ海外にグラストとかコーチェラ見に行かなくてもいい”ようなフェスを作ることが、そもそものはじまりじゃなかったの?それが出来てはじめて言える”日本独自のフェス”なんじゃないの?」。そう思うと、「あ〜あ、10年前は本当に良かったよなあ〜」と思いたくもなってしまいました。こういうのが軌道修正されない限り、僕がこのフェスに行くことはないだろう。実際に、そこまで思いました。


<第13回目 2009年>


それまでの2年の印象があまりに悪かったため、発表されるまで何も期待してませんでした。で、フタを開けてみると、まあ、前年ほどひどくはなく、少しはマシになったな、とは思いました。ヘッドライナーはフランツ・フェルディナンドにオアシスにウィーザー。まあ、驚きもしないかわりに、特別”昔の名前で出ています”な観もない、国際的に見てもまあ体裁は保てるし、なおかつ日本人好みもする意味では久々に”悪くない”ヘッドライナーだとは思いました。


ただ、この頃には「ブラジルに移住する」という話は決定していたことだったので、その準備のために、あまりお金を散財出来ない事情があったのもまた事実。でも、妻は「日本で最後だから」とものすごくフジに行きたがってました。ただ、ここ2年のフジへの疑問符が消えなかったこともあり、僕は妻にこう提案しました。「キラーズか、キングス・オブ・レオンか、ヤーヤーヤーズが来るのなら行こうよ」。で、案の定、キラーズは決定。なので、最低限、1日は行こうとしました。しかし、ショックなことにキラーズはキャンセル!雰囲気だけ味わいに行くのでも良かったのですが、「2009年に見る意義のあるものがなあ〜」と僕が難色を示してしまったがために、結局行きませんでした。


でも、フジもフジで、前年からは確実にリカヴァーしてました。キラーズの代役としてポール・ウェラーを呼んでオアシスの前でやらせたというのは素晴らしい立ち直り方だったし、もうちょっと並びに一貫性が欲しくはあったものの、インディ・ファンにはアニマル・コレクティヴやブライト・アイズにM83、ポップ・スターとしてはリリー・アレン、古株のオルタナ・ファンにはダイナソーJrやメルヴィンズ、エモ・ファンにはフォール・アウト・ボーイやジミー・イート・ワールドと、バラエティに富む中でも特定のファン層にキラリと光る名前がチラホラあったのは良いなとは思ってました。


あと、そこまで熱心なファンではなかったにせよ、キヨシロー・トリビュートはフジでこそやるべきことだと思ったし、「これ見るんだったら行ってもいいな」と少し心が揺れました。あと、これはもう結果論でしかないんだけど、もし、オアシスがこれで最後とわかっていたなら確実に行っていました。もう、今になって、これだけは本当に悔まれます!


…という感じで、行きはしなかったものの、ちょっと「リハビリ感」は感じさせた、昨年のフジロックではありました。

author:沢田太陽, category:個人話, 07:15
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フジロックの思い出 その2 2000〜2003
 では、引き続いて、フジロックの思い出、行きます。



<第4回目 2000年>


もう、この頃からは、フジロックは”仕事”になりました。ちょうど前年の会社退社からちょうど1年。僕の仕事的には「ロック・フェスにいってなんぼ」の感じになりました。この年はたしか「ミュージック・ウォッチ」というメルマガ・サービスの仕事で行ったのではなかったのかな。


ただ、この年はフジロックにとってはやや逆境とも言える年でした。この年からサマーソニックがスタート.グリーン・デイ、フレーミング・リップス、ウィーザー、アット・ザ・ドライヴ・インなど、当時の洋楽ロック・ファンが”オイシイ”と思えるところが根こそぎ持って行かれました。で、フジの方はというと、モリッシーにドタキャン(1回目)されたりで、メンツ的には決して強くはない年。と言うこともあり、この年は、おそらく最初で最後ではないかと思われる、日本人バンドのヘッドラインの年。ブランキー・ジェット・シティ、ミッシェル・ガン・エレファントが初日、2日目とシメて、最後をプライマル・ストリームで締めくくる、というものでした。今振り返ると、「フー・ファイターズとケミカル・ブラザーズがあったのに大胆なことしたなあ」とも思えたのですが、ブランキーは解散ライブ、ミッシェルは2年前の伝説が大きく効いてたんでしょうね。それぐらい、当時の日本のロックは世界との比較でも違和感なかったということでしょう。


ただ、その選択が洋楽ファンにウケたとはそこまで思えず、サマーソニックに客足を取られたため、動員的には正直苦戦してました。なんですが、


でも、すごく楽しかった!


たしかに後年のようには混んでなかったんですけど、その分、ステージを移動する際の人通りも少なく、快適で過ごしやすかったんです。ケータイも余裕でつながって友人たちと落ち合うことも十分可能だったしね。で、後年ほどには出演会場も多くなく、適度にいいアクトを挟んでくれるから、「自然での休憩」と「ちゃんと集中してみないといけないライブ」のオン・オフも取りやすかったし。こと”快適さ”で言うと、この年が一番でしたね。


ただ、その割に、ライブで何があったか。それをあんまり覚えてないのもこの年なんですよね(笑)。「何があったけ?」と考えないと出て来ない。でも、これだけはスーッと出て来た。それがエリオット・スミスのライブ。これも決していいライブだったとは思わない(と言うか、ライブで魅せるタイプだとは2回見たけど思わなかった)んだけど、小雨の降る中、メインステージでのライブなのに何か淋しさとセンチメンタリズムが漂うその異彩な感じ。それはやはり後まで残りましたね。そしてそれは3年後、彼自身が自ら命を絶ってしまったことで永遠のものとなりました。


あと、虫が知らせたのか、この年が僕が日本のアクトに期待した最後の年でもあります。その理由はきわめて個人的な問題でいろいろあります。「邦楽ライター」としてばかりの仕事ばかり期待されたことへの違和感もそうだし、エモやポストロックに当時の近い世代のアーティストや音楽ファンのようにそこまで興味持てなかったのもそうだし、当時自宅でハマってたChannel Vという香港かどこかのMTVで毎日のようにエミネムやデスチャ、アウトキャストのPV見て「オルタナばかりに目が行ってて音楽を見る視野が狭くなってんだなあ」と痛感し改めて洋楽帰りしたくなってたのもそうだし、下北あたりのバンドのトレンドや新規のファン層が徐々に洋楽色が薄くなって来てるのを感じそこに自分の存在意義を感じなくなったというのもそう。でも、このときの、ある意味頂点だったはずのブランキーとミッシェルのライブがベストの状態からするとそこまでの内容ではなくあまり乗れなかったことは、まあ結果論ですけど、その後の日本のロック・シーンの退潮のはじまりだったのかなあ…、と今にしてみれば思います。まあ、あくまで偶然で、個人的事情の問題でもあるんですけどね。



<第5回目 2001年>


まず、はじめにぶっちゃけて言ってしまいましょう。


この年がフジロックのベストイヤーだと思います!


いや〜、三日ともに、クライマックスに驚くような豪華なアクトがズラリと並んでましたね〜。まず初日が当時のUKロックの人気面での最強3連発、トラヴィス、マニック・ストリート・プリーチャーズ、そしてオアシス!そして2日目がグリーンのトリがニール・ヤングでホワイトのトリがニュー・オーダー!そして3日目がシステム・オブ・ア・ダウン、TOOLと来て、そして最後になんとエミネム!!


いや〜、この並びは今見ても凄いと思います。UK、レジェンド、そしてUSの旬どこを一気に持って来たのが凄いですね。こういうブッキングって、グラストやレディング、コーチェラだとありそうですが、あそこまでのフェスでもそんなに頻繁には起こらない、世界的に見ても歴史的に見ても価値あるブッキングだと思いますよ、これは。


で、そのすごさ故に勢い忘れそうになるんですけど、昼間にも凄いのあったんです。2日目のパティ・スミスが放った圧倒的な凄みと神々しい立ち姿!グリーン・ステージに集まった主に若い人が言葉を失い、午後3時くらいのライブだったのに異例のアンコールが自然と起きましたからね。97年の初来日公演の時も似たような恍惚状態がオーディエンスに起きましたが、それを広く知らしめた上では伝説的なライブでしたね。



で、その伝説の3夜なんですが、初日は僕はマニックスでしたね。先陣を切った、当時人気最高潮のトラヴィスのライブも彼ららしい品があって良かった(「Why Does It Always Rain On Me」の時に本当に雨が降ったと言ってる人がいるんですけどホント?覚えてないんですよね〜)んですけど、マニックスののっけからの気合いが素晴らしかった。ジェイムスの大将みたいな歌いっぷりも、ニッキーの破壊的なパフォーマンスもすっかり惹き付けてました。で、その二つの前に大不評だったのがオアシス。やる気なさそうなしぐさがカッコつくバンドではあるんですけど、ピリッとする瞬間がまるでこの日はなかったですね。


で、2日目はニール・ヤングとニュー・オーダー。僕はニール・ヤングが見たくてたまらなかったのですが、仕事で来てた手前、もうひとりのライターさんとの分担により、僕がニュー・オーダーを見に行くことになりました。まあ、それでも聴きたかった曲は多いし、もちろん16年振りの日本での待望のライブということで期待も高かったんですけど…「ウッ、これがあの噂に聞きし伝説の…」超ド下手ライブでした(笑)。この伝説の名演を目の前にして、ゾロゾロと帰るお客さんさえ珍しくありませんでした。まあ、心の準備は出来ていたので(笑)、僕は想定内で楽しめたし、まるで「部長さんの宴会カラオケ」のように陽気に歌い踊るバーナード・サムナーは可愛かったです(笑)。と言うわけでとても愉快なショウでしたが、終演後、驚くことにニュー・オーダーより30〜40分前にスタートしていたはずのニール・ヤングの超轟音ギターが雷鳴のごとく轟いているではありませんか!翌日、先のライターさんに会って「いや〜沢田君、ニール・ヤング、最高だったわ〜」と言われたとき、「うっ、一生の不覚だったかも…」と泣きたい気持ちになったのは言うまでもありません(笑)。



で、3日目ですが、やっぱなんだかんだでエミネムですね、この日は。システム・オブ・ア・ダウンのパフォーマンスも圧巻だった(ただ、悲しいくらいに人がいなかったけど)し、TOOLの暗黒舞踊みたいなパフォーマンスも見どころ満載だったんだけれど、日本初見参のエミネムがやはり興味ありました。おそらく日本人にとって、本格的なヒップホップのアクトがこうしてロック・フェスのヘッドライナーを飾るのは史上はじめてのこと。早くから着いた一部の熱狂的ファン以外にとっては「エミネムって話題だけど、どんなだ?」くらいな今ひとつピンと来ない空気は、2001年当時の日本だと正直ありました。で、その当時の日本のメディアの彼の紹介の仕方が90sUS的な「苦悩が・トラウマがどうこう」みたいな伝え方に偏りすぎていたため、このライブの後の反応も「期待はずれだ!」と怒ってる人も実際いましたね。「あんな、ふざけたアニメなんて見せやがって」とかね。僕は逆にそっちの方が衝撃でした。「”ふざけてる”って、オマエ、エミネムのPV見たことないのかよ!?」。たしかに彼のリリックは狂気を表現してるけど、初期にウケた要素って、ユーモアのセンスに負うところの方がむしろ大きかったんですけど。このあたりの噛み合わなさはもどかしかったですね。結局、日本が大衆レベルで彼を理解するには「8マイル」で「エミネムのラップってすごいんだ!」とみんなが納得して、その上でライブを見れた2003年の幕張メッセまでまたなくてはいけませんでした。でも、2001年のフジのライブも良かったよ。インシンクの曲をギャグで流してバカにしてたことに気がついた客、悲しいくらいに少なかったけど。



<第6回目 2002年>


たしか「By The Way」出したときのレッチリがメインだった気がしますが、このときは全体的なメンツが今ひとつピンと来なかったので、「同じくらい金がかかるんだったら1度は一年発起して」とニューヨークで諸々ライブを見ることにしました。この頃の僕は「いかに海外の本場の情報を日本に入れるか」「海外のライブのリアリティを感じたい」という思いに一生で一番駆られていた時期だったので、そういう結論に至ったのでした。


で、フジの代わりに「ロバート・プラントが前座のザ・フー@マジソン・スクエア・ガーデン」「デヴィッド・ボウイと共に行ったモービーのフェス"AREA"」「アウトキャストとザ・ルーツとローリン・ヒルが出たヒップホップ・イベント」。さすがにこれはフジでは見れないもので、一生涯かけて好きなアーティストのライブ(ザ・フー、ボウイだけじゃなく、アンドレとビッグ・ボーイの両方いるアウトキャストも!)ばかりだったので、この時の決断は今考えても良かったなあと思います。でも、まさか、何年か後にザ・フーがウドーのフェスで来るとはなあ〜。



<第7回目 2003年>


この年のフジのメンツもなんかピンと来なかったんだよなあ〜。で、この年は、サマーソニックで発表された「レディオヘッド&ストロークス」という夢のような組み合わせが一夜にして見れるというのに激しく興奮して、もうサマソニ以外に考えられない状態に陥っていました。


ただ、今思い返すと、「これだけは見ておいた方が良かったかな〜」と思えるのがやっぱこれでしょ、ザ・リバティーンズ!このとき、ピーター・ドハーティがカール・バラーに「おまえ、来なくていいよ!」と突き放され、結局カールがヴォーカルを取る形でのライブだったんですが、このフジの最中に、こともあろうにピーターがカールの家で窃盗して逮捕という大珍事(笑)!日本人にとっても、あの愉快きわまりない「リバティーンズ伝説」に本格的に火がついたのは、紛れもなくこの時でした。

author:沢田太陽, category:個人話, 12:45
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フジロックの思い出 その1 1997〜1999
 どうも!


もう、あと2日くらいでフジロックですよね。いいなあ。今年のはメンツ的に行きたいなと思わせるものがあったので、うらやましいです。きっと、このブログをお読みの方でも行かれる方は多いのではないでしょうか。


…と言うことで、今回は、フジロックに関する僕の思い出を第一回から去年に至るまで、振り返って行くことにしましょう。



<第1回 1997年>

「日本ですごいロック・フェスがはじまるよ」。それをたしか最初に教えてくれたのはクロスビートの大谷さんだったと思う。ちょうどこの年の春からクロスビートに寄稿しはじめてて、それでそういう話になったんだと思うけど。たしかに今思い返してみても、あれはすごいメンツでした、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、フー・ファイターズ、グリーン・デイ、ベック、プロディジー…。90年代のオールスターみたいなメンツですよ!「うわっ、これは行かないと!絶対行く!」と最初は思っておりました。


しかし、当時僕はまだサラリーマン。で、しかも、平日よりもむしろ休日にポンと仕事が入ることの多い感じだったので、フジ当日の予定がわからなかった。なのでギリギリまで待ってたら、案の定、土曜の朝に仕事が入ってしまった。でも、それで後悔したくなかったので、なんとか日曜だけでもいけないものかと、2日目のチケットだけ買って当日に備えました。


なのですが、土曜からものすごい雨。いや、”嵐”と呼んでさえ良かったと思います。まだ、野外でライブなんて見た経験がほとんどなかった僕はそれにちょっとした恐怖を感じました。で、会社の帰りに西武デパートで大きなレインコートを買い、朝寝坊が怖かったので、
夜のうちに中央線の国立(だった気がする)の駅まで行ってホテルに一泊し、翌朝の始発で当時の会場だった天神山スキー場に向かうはず…でした。


翌朝、同じことを考えてる人が多かったのか、乗り継ぎの最後の線の駅は超満員。「これは混雑しそうで嫌だなあ〜」と思っていたら、どうやら様子がおかしい。向こうから僕らが待ってる方に向かって来た電車が人でいっぱい。しかも車体が一様に泥だらけ!「なんだこれ?どうしたんだ?」と思い降車する人を見ると、彼らの肌は長く打ち受けた雨で皮膚が白くふやけていて、目からは深い疲労と嵐の夜の恐怖から生気が完全に失われていました。僕がそれに軽くおののいていると、その脇からスタッフらしき人の声が。


「フジロック、2日目中止です!」。


…まあ、そりゃ、そうだろう。仕方なく、中央線を経由して、吉祥寺あたりでレコ屋あさりしながら帰りましたが、皮肉なことに、その頃までには、空は雲一つない青空で、ギラギラとした日差しが照りつけておりました。



しかし、後から映像振り返っても、この雨はひどいね、ホント。コレみても、漏れて来る水の量がすさまじいものね。見る側は大変だったと思うんですけど、しかし、これはこれで、記憶には確実に残るものにはなったでしょう。しかもアンソニー・キーディス、このとき、腕骨折しながらのパフォーマンスだったんですよね。



<第2回 1998年>


まだ、この当時、フェスを「毎年のように行うもの」という認知はありませんでした。正直なところ、前年のダメージがそうとう大きかったので、「来年もやるよ」とは前年のうちから聞いてはいたものの、いざ、発表されるまでは信じられなかったものでした。で、正式発表され、場所は東京の豊洲で行うことが決定。この年も仕事のことが気になりつつギリギリまでチケットの購入を待ちましたが、無事週末に仕事の予定のないことを確認し2日とも購入。日帰りも出来るし、気楽な気分で豊洲に向かいました。


この年はビヨークとプロディジーがヘッドライナーで、それはそれで素敵だとは思ったのですが、当時まだ20代で血気盛んだった僕をとらえたのは、2つのロックンロール・アクトでした。まずひとつが初日のサブ・ステージのトリのイギー・ポップ。夢にまで見た初イギーにはとにかく脱帽でした。当時でもう50歳。しかし体は筋骨隆々で、体のラインの動きはしなやか。で、興が乗ってくると、ダイブはかますは、金網にはよじ上るは…。圧巻は「Lust For Life」でイギーが煽ったあと、客が50人くらいステージに乗って踊ったとこでしたね。「I Wanna Be Your Dog」「TV Eye」「No Fun」…全てが最高でした。


で、翌日の話題をひとりでさらって行ったのが、やっぱりミッシェル・ガン・エレファントでしたね。あの当時の彼らは、ことスピードと切れ味で言ったら日本でナンバーワンはもちろんのこと、世界レベルでも充分通用するくらいの実力があった。それに対する客の熱狂度も凄まじいもので、当時いろんなライブハウスで客の揺れで設備が損害を受けただのの話も珍しくなかった。かく言う僕も、この前年、当時僕がやってた「ライブビート」という番組で、NHKのスタジオに500人詰めてダイブも容認してしまったところ(笑)、真下のスタジオで政治討論会やってて、そこが「大地震だ〜!」とお騒ぎになり、始末書を書かされてしまったという珍事件までありました(笑)。


そういう縁もあり、この日の午前から、しっかり彼らのライブを前方で体験させていただたのですが、まあ、これがものすごいカオスでした。気温は、まだ午前中だったのに35度近くあり、会場の土の照り返しの強さと隙間なくギッシリ詰まったオーディエンスの体温で40度以上に感じられたものです。そしてファンの暴れっぷりはいつもに増してすごく、客席前方が渦巻いてましたね。で、押し合いと、日射病での気絶が相まって、4回ほど将棋倒し状態が起こり、その都度パフォーマンスが中断。それを見たチバユウスケの「お前ら、絶対に死ぬなよ!」は名言として残ることにもなりました。僕も今でもたまにコレを見ますが、今思い返しても、この時のこのバンドとオーディエンスの持っていたオーラは神がかったものがありましたね。日本のロック史上最高の年の象徴だったんじゃないかな。


で、これは以前にも話しましたが、この次か、次の次かがKORNだったのです。このバンド、あの頃、日本のみならず世界の音楽メディアみても「次の大物」と目されていたため、事前の期待が高かった。僕もこのときはまだニュー・メタルの実態を知らなかったために普通に楽しみに待ってました。しかし、先のミッシェルのライブでの疲れで頭はガンガン痛むし、午後2時の日差しの最高潮の強さもあって、顔もあげられないくらいに疲労は最高潮に達してました。で、予定時間が過ぎてもKORNはなかなか登場せず、30分ほどしてようやく登場。しかもメンバーの足どりは重く、のっけからウォーミング・アップみたいなゆるいライブを披露。「ガツーンとするものを期待してたのに、なんだそれは?」。僕はそれに面食らい、さらに彼ら独自の重低音が鈍く僕の体にのしかかり気分はさらに悪化。僕は途中で客席の中央くらいの立ち位置から休憩所に入り、以後そこで横になりました。それ以降、布袋寅泰とかイアン・ブラウンがステージに出て来たのは微かに覚えてるんですけど、ほとんど何をやったか記憶になく、体調も回復しなかったので、プライマル・スクリームとプロディジーを残して帰宅の途に着いたのでした。



<第3回 1999年>


この年から、現在の会場の苗場での3日間開催になりました。参加陣も、ブラーやレイジ、そして今となっては不思議ですが当時猛スピードでスターダムに駆け上りつつあったリンプ・ビズキットと、話題性はあったのですが、この年は結局行きませんでした。それは、まだ会社勤めだったからというのもあるんですが、忘れもしない7/15、会社から転勤の内示があり、それをその場でお断りし、その場で辞意を表明。翌日に辞表にハンコを押して退社してしまったんですね。そのせいもあり、引き継ぎなど、しなくてはならないことが多くなってしまい、結局フジロックどこの話ではなくなってしまったんですね。


でも、その一方で、僕が当時のロック・シーンの中で、どうしていいのかわからなかった部分があったのも、また確かです。僕が心から愛した1991年くらいからのグランジ/オルタナ革命はもうとうに過ぎ去り、アメリカでは反動的なニュー・メタルのブームが吹き荒れてました。僕は、そのクラスの体育会系のいじめッ子がやってるようなロックがどうしても肌に合わず、それが表舞台になればばるほどムカついて来てました。事実、リンプ・ビズキットが煽ってしまったせいで、レイプや放火騒ぎが起こってしまったロック・フェス史上最大の惨事、ウッドストック99はそのフジロックの1週前に起こっていたばかりでした。


で、イギリスを見たらみたで、「もうブリット・ポップは終わりだ。ロックは終わりだ」みたいな暗い論調が世に溢れてて。今から振り返ると、この時期でさえトラヴィスやステレオフォニックスは普通に全英初登場1位を取ってたし、ぶっちゃけ2010年の今よりもむしろ売れてるくらいだったのですが、それこそ当時のイギリスのメディアの論調に”踊らされ”、必要以上に落ち込んでいたものです。


かく言う僕も、踊らされていたかな、やっぱ。そんな感じで何を押していいのかわからなくなってしまった。で、僕の他にもそういう人が当時少なくなかった。で、小さな界隈から、エモとポスト・ロックを盛り上げようとする気運がちょっと高まったんですね。モグワイとかジミー・イート・ワールドとか、ちょっと遅れてアット・ザ・ドライヴ・インとか。で、「そういうのに賭けてみようか」。みたいな気分になりかけてたところがありました。


で、そうした”ロック難民”みたいな人たちが同時に注目してたのが、当時の日本のロックでした。前年のフジでのミッシェルの伝説的ライブの成功もあったし、コーネリアスの「ファンタズマ」の海外リリースがあったのも98年でした。で、若手でも97〜98年のデビューのバンドは稀に見る大豊作と言われ、なにかしら「これはすごい新人が現れた!」と、日本のインディ系のメディアやCD店はしょっちゅう騒ぎになってもいたものです。そんな時代の気分をすくいあげたのが、この99年に北海道ではじまったライジング・サン・ロック・フェスティバルでした。僕は当時大好きだったナンバーガールの晴れ舞台(当時メジャー・デビューしたばかりでの異例の抜擢だったからね)見たさに、8月も下旬に近く会社も完全に辞めたこともあり、会社のバイトの女の子とその友人と一緒に見に行きました。メンツはこんな感じですけど、すごく当時の空気感を最高潮に詰め込んでるし、後から見返しても、史上最強クラスのメンツが並んでるなと思います。当時実際「海外見なくても、日本が一番面白いや」と言ってる人は多かったし、そういう人が最先端のものとしてエモとかポストロックを同時に求める傾向がありました。まあ、それは向こう10年の日本のインディ・ロックのシーンの空気感を作ることになったんですけど、この良い空気が長続きしないことに気がついたのは、実は割にすぐあとのことでした…。



author:沢田太陽, category:個人話, 00:24
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