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9のつく年(3) 2009年
 最後にいよいよ2009年です。89年は「にぎやかだけど、とにかく酷い」、99年が「祭りの後の八方ふさがり」だとしたら、2009年は「小粒で退屈」だった気がします。



ポップ・ミュージックの一般的流行りに関しては、そんなに嫌に感じるものはなかったです。マドンナが組織プレイでやって来たことをDIYで表現し、「8割下世話・2割クール」な感覚で表現してるレディ・ガガの存在意義ってわかる(Twitter上で、僕の年間ベストがガガであるようなことを書いている人がいるみたいですが、それは違います。クロスビートの個人年間ベストで使うジャケ写は1位を意味するものとは全く無関係なので)し、テイラー・スウィフトの曲も女のコが寝る前につける日記みたいな感じで共感されるのも理解出来るし。そりゃ、マイリー・サイラスとかブラック・アイド・ピーズって評価のポイントがわからずその意味でもウザいけど、堪え難いほど存在感が嫌な感じで突出しているわけでもないし。


インディに関して言っても、そんなに嫌なわけじゃないです。その界隈で今年話題になったアニマル・コレクティヴ、グリズリー・ベア、ホラーズ、フェニックス、The XX、ガールズ。全部良いと思います。個人的にはバット・フォー・ラッシズなんて最高でした。アメリカのライブハウス界隈で人気のPains Of Being Pure At Heart,Japandroids,Wavvesあたりも面白い動きだなあと思ってるし。


ただ、「そこまですげえのか?」となると、そこのとこがちょっと微妙なのは否めないです。ヤーヤーヤーズの3rdアルバムは、今年の諸々の雑誌の年間ベストの上位に必ずと言っていいほどありますが、正直、これがそこまで上位に来てしまうことに「う〜ん」と感じざるを得ません。たしかに良い作品ですが、最初の2枚と比べてそこまで良い作品とは思えないもの。前半までだったら最高傑作の予感もさせるんですけど、最後までアルバム聴かせる力で言うと明らかに前2枚の方が上。まあ、どんなアルバム出そうが必ず上位にランクさせる力は、彼らの世代ではトップクラスだとは認めますが、このアルバム、他の年の作品との競争だったら、果たしてここまで上位に来たかどうか。そこのとこ、疑問なわけです。



今名前をあげたとこって「そういう界隈では人気」というレヴェルだけど、そこを突き破ってさらに名前を知られそうなポテンシャルだとか、歴史に名を残すレヴェルとか、そういう観点で見るとまだまだクエスチョン・マーク。「ニルヴァーナ以降」とか「ブラー、オアシス以降」とか「ストロークス以降」とか、そういうものなのかと言えば、そういう感じはしない。「ヴァンパイア・ウィークエンド/MGMT以降」ということなら成立しそうな気はしますが、これもまだ現状ではストロークス、ストライプスの台頭時と比べるとまだ「何か変わった!」と思わせるとこには来てない。本人たちがセレブ化することを冷静に受け流して良い意味で厚かましくなれば行けるとは思うんですけど。



音楽シーン自体は、特にアメリカに顕著ですけど、ものすごく「機能化」しちゃったな、というのが実感です。良い音楽聴きたけりゃ、ピッチフォークとか新聞や雑誌のレヴュー読めばいいやって方法論が確立されてきたし、ローティーンで激しい刺激を求めたければエモとかニュー・スクールのメタルとか聴けばいいし、アイドルはその時代時代で適切な10代がいて、そのアイドル状態からの脱皮の実例も既に実証済み。加えてネット・サーフィンやipodの存在で個人レヴェルでの音楽検索が活性化されたことで、より音楽の摂取がパーソナルな需要を満たすものとなって来た。これだけ聞くとすごく合理的だし、あるべき道筋なのかもしれません。


だけど、それに伴いCD屋が街から消え、「街を歩いただけでどんな音楽が流行っているか」という、”日常風景からわかる音楽”の存在が消えてしまった。MTVは自信をなくしてヴィデオ・クリップを流さなくなり、かつて音楽リスナーの良き先導役だったラジオも、その存在意義が危うい物となってしまった。そこで”共有する”という感覚がなくなってしまったのも確かです。これは今年の3月、ニューヨークに行って実際に体験したことですが、今や街角におけるエンタメ系の広告は映画とTVが9割以上。日本と違って昔から音楽ものの広告が少なかったアメリカですが、ここまで少ないのはさすがに記憶になかった。加えてCD屋がないものですから、音楽の気配が街からすごく感じにくくなった。洋楽を聴きはじめて30年、はじめて海外旅行をして18年経ちますが、ポップ・ミュージックの力がここまで感じられなかった年は正直はじめてでした。なにせ、インディはおろか、普通の音楽の流行りものまでエンタメ界における威力がすっかり落ちてしまっているから。


それを横目に、マイケル・ジャクソンの急逝であったり、ビートルズの9月のいっせいリマスターが盛り上がったりしたのはものすごい皮肉でした。普段だったら、「過去ばっかり振り向かないでよ。音楽は”今”こそが大事なんだから!」と反論もしたくなるところだったんだけど、残念ながら今回ばかりは、今を生きる新しい音楽の側に反論出来るだけの材料がない。逆に思い知らされてしまったのは「あらゆる世代やジャンルを包括出来る音楽の力って凄いな」という現在に欠けた事実であって。今の若いバンドって、表現がすぐに出来やすくなった反面、「自分とファンさえ良ければそれで良い」というアティチュードが目立ちはじめてますが、そういう野心のなさから生まれるものと、”時代”だの”世代”だのをある程度背負った上で作るもの。そこで生まれるスケールの差がいかに大きなものか。それは感じずにはいられませんでしたね。


「そんなの”時代”とか”世代”の変化だよ。スターなんて必要ないよ」。そう言ってしまうことは簡単です。でも、そうなってしまうと、それは”ポップ・ミュージック”の成り立ち自体を否定することになってしまうわけです。ただ単に「気に入ったものが聴ければそれで」というのなら、そんなのクラシックでもジャズでも言いわけで。ポップ・ミュージックの特性というのは、いつの世もその時代のツァイトガイスト(時代の空気)が詰まっていて、とりわけ、その時代に生きる若い人の感性が反映されるものであった。エルヴィスにせよビートルズにせよ、ピストルズにせよニルヴァーナにせよ、それがあったからこそ今もって伝説となってしまっているわけで。特に若い人の本音の感性って、50年代いっぱいまでは映画でさえ上手く表現出来てない部分だったからこそ、なおさら若い人はポップ・ミュージックに自分の今生きている気分を投影させることが出来たし、それを通して気分を共有することも出来た。だからこそ大きくなったんだし、後にだって語り継がれてるわけだし。いや、ビートルズとかマイケルとかニルヴァーナみたいじゃなくてもいい。注目度が小さいなら小さいなりに、ザ・スミスとか、それこそストーン・ローゼズみたいに、何かを強烈に牽引するカリスマ性みたいのがあれば安心するんだけど、今年当たったヤツだとせいぜいホラーズにその可能性がないわけではないかな、と思う程度。だから不安にもなるわけです。


「若い世代の、ちょいと気の利いた感性」ってことで言うと、最近だったらまだ映画とかコメディの方に感じる。僕がある時期から、このテのものに惹かれるようになったのもこのためです。SNLのアンディ・サンバーグの動画ギャグやら、ジェシー・アイゼンバーグ、マイケル・セラ、ジョセフ・ゴードン・レヴィットあたりが主演する青春映画とか、「ゴシップ・ガール」やら、ジャド・アパトウ一派やらサイモン・ペグ絡みのコメディとか、90s以降のインディペンデント畑出身の映画監督の作品の方が、その映画で頻繁に使われるインディ・ロックのバンド以上に説得力が残念ながらある。日本だとまだインディ・ロック以上に支持層の少ないとこですが、海外カルチャーをネットサーフィンとかしてると、そっちの方が断然知名度も共有度も高いわけで。ネット中心の生活になって、音楽に限らずいろんなものがつまみ食い出来るようになってくると、幸か不幸かいろんなものが体系的に見えて来る。そうなったときに、「今の音楽の立ち位置って小さいな…」と、長年ポップ・ミュージックのファンをやってる人間としてはものすごく悔しくなるんですね。



結論としては、ロックバンドって、もっと目立とうとして良いと思うんですね。なんか、カート・コベインの打ち立てた呪縛が20年有効なのか、「バンドがスターダムを目指す」ということに罪悪感すら感じる傾向が続いてますが、それも大概で解いて行かないと、この先ロックからは”ニルヴァーナよりも影響力のあるカルチャー”さえ生まれず、それこそ過去の栄光ばかりをありがたがる時代が続いて行くことにもなりかねない。たしかにその間、フレッド・ダーストによる悪夢としか言いようがなかったバッド・ボーイズムの復活運動や、ピート・ウェンツをはじめとするフュールド・バイ・ラーメンの「エモ・アイドル化」など、ティーン以下の年齢の子供にのみ有効と思われるお寒い”ロックスター化”というものがあって、それもロックスターのイメージを下げてしまう要因にもなっているんだと思うんですが、ロックでスターになる方法論なんてなにもそんな小・中学生に媚びた大味なアプローチだけではないはずで。その意味で、キングス・オブ・レオンの選んだ”アリーナ・スター”の選択肢はある意味間違っていないと思うし、カサビアンの「オアシスの次は俺ら」発言も方向性としては良いと思います。ただ、本当の意味でロックの「次」を仕掛けてくるのは彼らではなく、さらに次の世代なような気がしてますが、それまでは頑張って欲しい気はします。それでいくと、ロックスターではなかったものの、そんな”ロックスターとしての呪縛”という、勢い男が縛られがちなドラマ性などにしばられずに思いがままに自己表現してきたリリー・アレンとかエイミー・ワインハウスの方がよっぽど本来言うところの「ロックスター」的だったりするのかもしれないけど。


ただ、この先の可能性も感じないではないのです。ロックも50年以上の歴史を持つようになって、それなりに高尚な大衆芸術として認知されるようになって来た。だからこそそこで、フリー・ジャズ以降のジャズみたく”ハイアートなもの”だけを目指すでなしに、ロック、いや、ポップ・ミュージックが本来持ってた”若いリスナーが出来るだけ多く共有出来るもの”というものを加えた上で成長して行くことを目指していかないと。そうしないといつまで経っても、「最近の若い人はヒップホップを聴く。ロックは古い」みたいな、もう10年以上前から信じられてる仮説がずっと信じられたままになってしまう。ヒップホップはある時期からお世辞にも良い音楽と言えなくなっていますが、それでも勢いが小さくならないのは、彼らが映画界やらファッション界にまで勢力を広めて”文化の顔”であろうと闇雲に進んで行くからであって。悪いとこももちろん多分にあるんだけど、見習っても良い部分も結構あるような気もします。そうしないと、それこそ「みんなが動画で見て知ってる」という理由だけで1ヶ月以上も全世界1位になってしまうスーザン・ボイルおばさんみたいなものの独走だって許しかねないし(あのオバサンの話自体は微笑ましいし、ポップ・カルチャーの現象としては極めて今を象徴はしてるけど、それが音楽界で一番ヒットするってのもね…)。その意味でも今は、ロックも分岐点なのかなと思います。


author:沢田太陽, category:個人話, 11:24
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9のつく年(2) 1999年
 続いて1999年です。前に述べた通り、1989年のポップ・ミュージックは後年、見ようによっては肯定出来る年ですが、99年は後年へと導く明るい兆しもさして見えないし、とにかく八方ふさがりな1年でした。

この当時になると、ポップ・ミュージックも”ジャンル”で聴かれるようになっていましたが、それ以上にこの年はひどく”ジェネレーション・ギャップ”を感じたし、後年以上に、それが嫌な形で現れた年でした。



アメリカ側から見てみると、それはとにかく”幼稚”。このひとことにつきました。時代背景から考えると、わからないではないんです。1991年からの5〜6年間ぐらい、これはロックの歴史においても最高と言えるものでした。現状の世を斜め見した感性の鋭い次世代が敏感なセンスでアメリカのヒットチャートをも下克上のようにひっくり返し、その後のロックのあり方自体をも変えてしまった。ロック・カルチャーに”知性”と”現実社会への対峙”が感じられた、おそらく60年代と、70年代のパンクに匹敵する出来事だったし、それが本来保守的なアメリカのマス・マーケットで実現したという意味では衝撃さえありました。


ただ、それが実現したのも、当時のアメリカ自体が、長期の不景気やら社会問題を大きく抱えていた時だったからこそ。それもいったん景気が良くなってしまえば、人々も暗い気分でいるのも嫌になってしまう。それはとりわけ、下の世代になればなるほど顕著になる。90年代後半、アメリカの景気自体は向上するのですが、そこに真面目で暗い曲は似合わない。パッと明るい何かが欲しい。ポップ・アイドルの台頭は、そういう需要にマッチしたものでした。女の子だったらブリトニー、クリスティーナ・アギレラ、ジェシカ・シンプソン、男の子だったらバックストリート・ボーイズにインシンク。中にはここから良い成長を遂げたものもいましたが、いずれにしてもこの当時はまだ楽曲としては凡庸。アイドル文化には理解ある方だと思う僕でさえ正直、「どうしちゃったんだろう」と思いました。


でも、僕にとってみれば、それはまだ小さな次元での話。当時、僕をもっともイラつかせたのは他でもない、リンプ・ビズキットとその周辺のラップ・メタルのバンドでした。これ、”保守反動化”もいいとこでしたね。いわゆる”狂気”やら”闇”といったモチーフは、90年代のアメリカのロックには好んで使われたものでした。僕自身もアリス・イン・チェインズやナイン・インチ・ネールズのソレにはかなり傾倒したものです。それは音楽的にもかなりの独創性があり、歌ってる本人自身がどうかなってしまうぐらいの迫真の本気さがそこにはありましたから。だけど、この頃になると、その猟奇性はまるでホラー映画の特殊効果並の大げさなハリボテ感を示すに過ぎなくなりました。だいたい、歌っている人の風貌からして、WWEのレスラーみたいなガタイでしたし(事実、あの業界には曲提供もしてた)、青春映画に出て来る体育部のクラスのいじめっ子が聴くのにうってつけって感じだったし。実際、あの悪名高きウッドストック99のステージで、フレッド・ダーストが煽ったとたんに、典型的なホワイト・トラッシュたちが会場に火をつけたりレイプ犯したり、女性出演者にセクハラまがいの罵声を送ったりしましたから。本来、パンクとかオルタナとかって、社会的弱者に優しい知的な音楽だったはずなのに。なんか、ニルヴァーナやパール・ジャムに覚醒されて以降築き上げた自分の価値観に泥を塗られたみたいで本当に嫌でしたね。


あと、短命に終わったものの、不思議なラテンブームもありましたね。サンタナ、リッキー・マーティン、エンリケ・イグレシアス、サンタナ。ジェニファー・ロペスの歌手デビューもこのブームに便乗したものだったんだよな。これまで注目度が薄かったカルチャーの浮上というのは僕は歓迎だし、アメリカにおけるラテン系の人口増加を示す社会的事実に基づいた動きも興味深くはあったんだけど、ただ残念ながら音楽的には正直面白いと言えるものではなかったですね。”スター先行型”過ぎて、クリエイターの観点からシーンを盛り上げなかったから、一般には根付かなかったのかもしれないですね。




で、イギリスに目を向けてみると、こっちは何がなんだか後ろ向きで。その直前まで盛り上がってたブリットポップが急に萎んでしまい、シーン自体が途端に下火になって。これを受けて、メディアもファンもなんか妙に感情的になってましたね。「大体こんな、ブームなんて空虚なもの作るなんてのが間違いだ!」なんて急にこれまでの支持の姿勢を否定に回ったりしてね。今から考えると、この自己否定的な姿勢は多少感情的で行き過ぎの部分があったんじゃないかと思います。「だいたい政府なんかが絡んで文化が良くなるわけがない」という、「御上が絡めば全て悪」みたいな短絡的な感情論を述べがちな人はいつの世もいますが、それが極端な形で現れてましたね。でも、御上が関わろうが、このブーム自体、どう考えても良かったですよ。大体、ロック自体がカッコ悪いとさえ思われていた80年代後半の状態から、若者がギターケースを抱えて歩く姿を普通に復活させた功績だけでも大きいし。いや、実はこれ音楽だけじゃなく、映画やファッションの世界も同時進行で動いていたカルチャー全般の動きであって。あの「クール・ブリタニカ」とも呼ばれた動きがあったからこそ、2000年代になってもイギリスのエンタメ業界が世界を視野に入れて動き、音楽でアメリカ進出を果たし、映画の世界的人気役者を生み、無数の人気TV番組の元ネタだって世界に発信出来るクリエイティヴな体力があったわけでね。トニー・ブレア政権が期待したほどじゃなかったことへの落胆が背景にあったとはいえ、あの感情的な八方ふさがりな騒ぎ方は今考えると慌てすぎだった気がします。そして、そんなイギリス人のシニカルな物の見方をさらに誇大化して煽ったのが日本のファンでもあって。それはwikipediaにおける「ブリットポップ」や「クール・ブリタニカ」の項目で”凋落”の部分が英語版以上に細かく熱く書かれていることでもわかります。僕はもう当時29歳で、80sのニュー・ウェイヴとかメタルとかの凋落とかも体験済みだったから「ブームってこんなもんだよ」と思ってたんですが、この当時まだ若かったコとかそういう体験を仕損なっていたから、なおさらその凋落が大きく見えたのかもしれないですね。


とは言え、いったん盛り上がっていたバンドブームがネタ切れを起こしていたのは事実で。
だからこそ、2001〜2002年になって、イギリスの音楽メディアが愛国的アプローチでもあった国内バンド優先のプッシュから、諸外国のバンド(ストロークス、ホワイト・ストライプス、ハイヴス、ヴァインズなど)のプッシュに切り替えて、それで再活性させたわけで。あれって当時”レトロ”とかなんやら言われてたんだけど、当初は”ロックのコスモポリタン化”の意味合いもあったんですよね。だけど、その辺りのニュアンスが日本には伝わらなかったり、「イギリスのバンドじゃないとヤダ」みたいな声とかもあったりしたせいで、随分浸透遅れちゃいましたけどね。


話がそれましたが、そんな2001年の到来の前のイギリスの音楽界は、それでも自国のアーティストで何かしようと七転八倒して。それでもバンドがいないわけじゃなかったんですけどね。トラヴィスとかステレオフォニックスはイギリスのみではあったものの99年にはアリーナバンドだったし、モグワイやらベルセバみたいに将来を期待されるバンドもいるにはいたんですけどね。ただ、ブリットポップに比べるとおしなべて”シーンを引っ張る華”には欠けていたのは確かで、あの当時の世の風潮上、「なんか信じられない」という、ブリットポップ凋落トラウマを引きずっていたのも確かでしょう。



こんな感じで、アメリカもイギリスも、「ひとつの大きなカルチャーの終焉」が感じ取られてしまったせいで、「これからどうなってしまうんだ!」という焦りがすごく危機感を煽る結果となってしまいましたね。「1999年」という、世紀末な数字も、これに拍車をかけたのかもしれません。この当時、音楽の面で割と調子良かったのが実は日本だったりします。渋谷系以降、オルタナ、ブリットポップに感化されたバンドが同時代でたくさん出て来て、気持ち的に英米のバンドと台頭に勝負する気概もあったし、海外でリリースするバンドも珍しくなかったですからね。で、そういう界隈から、当時、欧米のインディ・メディアで「これから来る!」と目されていた、ポストロックとかエモを聴く人も結構いたりしました。あの当時、英米で大きなムーヴメントが同時に終わり、「何聴けばいいんだ!」という危機感もあったし、「もう英米に目を向けなくても、日本に良いバンドがいるじゃないか!」と、海外から目を背けはじめた人も随分いました。実際、ライジング・サンとかロック・イン・ジャパンみたいな国内バンド大集合フェスが出来たのもあの時期で。実際僕もかなりこの辺りを楽しんで聴いていたのも事実です。


だけど、そうなっちゃった結果、日本のインディのシーンが海外の動きから孤立して、すごく閉じたものになってしまった。ポストロックやらエレクトロニカとかに入れあげてた先進的なタイプだった人たちは観念論が走りすぎてポップソングが書けない状態に陥り、一般的な人気を徐々に下げて行ってしまった。加えて、そんなポストロックやエレクトロニカが海外で日本人が思うほど大きなものにはならず、エモも今日のようなキッズポップ化することも予想出来てなかった。でも、洋楽からこっちに流れて来た人にとっては、「英米のシーンが終わった」ことへのトラウマ感から素直に洋楽が聴けず、その結果、シーンの感覚の基準が1999年頃からパッタリと動かなくなってしまった。そうしているうちに、本来音楽通であってしかるべきインディのバンドの若いコたちが次第に洋楽さえちゃんと聴かないようになり、クオリティをさらに引き下げることにもつながり…。その意味でも1999年は罪作りだったような気がします。



1989年は、流行り物が酷かったものの次への芽が用意されていた。それと比べると99年は89年ほどには流行りものがどうしようもないわけではなかったものの(それでもアメリカはやっぱ酷かったかなあ。”醜い”という表現の方が近いかも)、カルチャーの盛り上がりが去った後の空虚感で「これからどうなってしまうんだ〜」という焦りと空しさに溢れていた。この年、数少ない救いは、インディだったらフレーミング・リップスの「ソフト・ブルティン」。シーンを築いたとかではないけど、10年後の今も通用する会心作ですね。あと、スターで言うと、ビヨンセ擁するデスティニーズ・チャイルドのリズム感覚の斬新さとビヨンセの圧倒的な歌い手としての才能とスターとしての華は衝撃でしたね。あと、実際にはこの翌年以降の方が巨大化しますが、エミネムの登場も「面白そうなヤツ出て来たな」と期待出来るものではありました。




author:沢田太陽, category:個人話, 10:47
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9のつく年(1)1989年  
 2009年も、もうすぐ終わりです。


何度か言及してますが、西暦の末尾に”9”がつく年のポップ・ミュージックというのは、不作の年になりがちです。とは言っても、そのジンクスがはじまったのって、1989年からなんですけどね。ただ、1989、1999、2009、基本的に良い年ではなかったです。僕は1980年から洋楽をリアルタイム体験していますが、かなりハッキリと言えます。今回は、この3つの年の比較をそれぞれしてみようかと思います。


1989年ですが、この年は後年、見ようによっては実りある年のように見えます。ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムが出た年であり、ピクシーズの「ドゥリトル」が出た年でもある。ヒップホップに目を向けると、デ・ラ・ソウルの「3 Feet High And Rising」も出てる。いずれも現在のポップ・ミュージックの礎を作ったと言えるこれらの作品ですし、後追いのファンからすれば、「すげえ!」ということになるかもしれませんが、これらが発表された当時の世間の注目度たるや、決して高いと言えるものではなかったです。

時代的には外資系のCD屋さんがボコボコ出来はじめた頃であり、80sという時代の名残で巷でも今から比べればいろんなところで洋楽も耳に出来た(それでも80年代初頭〜中期を体験した身からすれば、それもだいぶ後退はしてましたが)のですが、とにかく巷で耳にするポップ・ミュージックの質が醜悪も醜悪でした。この年一番流行ったのは、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、ポーラ・アブドゥル、そしてミリ・ヴァニリ。どれを取っても再評価の価値ない、普遍性ゼロの一過性のヒットでした。それに加え、ロックではスキッド・ロウとかモトリー・クルーやらポイズンとかのヘアー・メタル全盛の時代だったり。そしてイギリスに目を向けると、チャートにバンドの曲が入ること自体が、アメリカで人気のバンドの輸入が大半で、それ以外にはこれまたゴミみたいなテクノトロニックの「パンプ・アップ・ザ・ジャム」みたいなパフォーマー自体の顔が全く見えないインチキくさいハウス・ミュージックか、日本でもウィンクを筆頭に大ブームだったユーロビートも、デビュー当時のカイリー・ミノーグやリック・アストリーを筆頭に大人気だったし。この当時(大学1年)の僕はリアルタイムのものなら、エアロスミスの「パンプ」とかガンズとかを聴いてましたが、いきおい過去の名盤を追うことをはじめるようになっていました。「それにしても、なんでこんな酷いものばっかり流行るんだろう」と思ってましたね。

これらのポップ・ミュージックが一般的にあまりに強かったので、ローゼズやらピクシーズの盛り上がりというのは、本当に隅に追いやられた限られたものでしたね。ローゼズのデビュー作は、今の話題の新人バンドみたく初登場で1位になったとかそういうのではなく、初登場でトップ50に入るのがやっと。”シーンの未来をしょって立つ期待の大物”でさえ、これぐらいの一般注目度だったことを考えると、当時のUKロックの立ち位置がいかに小さいものだったかがわかります。僕はこの当時、大学の洋楽リスナーが集まるサークルにいたのですが、そういうとこでさえUKインディを聴く人というのは、まだ全体の2割いませんでした
。ただ、支持層こそ少なかったものの、ファンの中での盛り上がり自体は今の時代よりも熱かったのもたしかで、ローゼズ熱はむしろ、翌1990年になってガッと高まっていくことになります。ローゼズ以降、後のブリット・ポップや現在の状況と比べて数こそ少ないですが、死んでたはずのロックバンドがたくさん登場することにもなりましたからね。ただ、客観的に見れば1989年当時だと、”発芽した”レベルのものでしたけど。

で、UKインディがこういう感じですから、USのインディなるものはもっと聴かれてなかったに等しかった。当時、”通”と呼ばれてたロックリスナーが好んで聴いてたものは、モリッシー、キュアー、デペッシュ・モードなどで(それでも他のポップ・ミュージックに比べれば随分少数派ではありましたが)、まがりなりにもそれでもUKインディだったのですが、アメリカで知られていたインディ・バンドはせいぜいREMぐらいなものでした。そんな状況でピクシーズの名を耳にすることは先述のローゼズほどさえもなかったです。「ドゥリトル」はイギリスではトップ10入りし、アメリカでも100位に入るという、当時としては画期的な実績をあげたのですが、1989年の日本において、彼らの曲をどこかで耳にするということは全くなかった。翌90年になってソニック・ユースやダイナソーJrがメジャー・デビューするあたりからUSのインディも話題にはなりはじめますが、こちらのシーンがしっかり検証されるようになってくるのはニルヴァーナが一躍一大センセーションを巻き起こした1992年以降の話になります。


ローゼズ、ピクシーズは前述したようなものでしたけど、その中で強いて言ってリアルタイムでの注目度がやや上だったかな、と思うのがデ・ラ・ソウル。ファッション誌とかで結構載ってたんですよね。当時はまだヒップホップが、「音楽の新しい未来」みたいな形で先進的な音楽として重宝されていた時代ですから。日本ではまだ全く無風だったものの、アメリカではやっとシングル・ヒットが出始めた時期でもあったし。ただ、この当時、BボーイやらBガールの存在を一般に探すのは、ストーン・ローゼズを好きな人を見つける以上に難しいことでもありましたが。世間一般的にはボビー・ブラウンやらジャネット・ジャクソンは流行りまくっていたので、ダンサーみたいな人を目にすることはありましたが、では、その人たちが同時にヒップホップを聴いていたか、ということになると、そうでもなかったです。「コンテンポラリーのポップ・ミュージックの一要素」でこそあったものの、ヒップホップがカルチャーとして聴かれるには、1990年の束の間のMCハマーのブームの後、1991〜1992年ぐらいまではかかったので。むしろ、デ・ラ・ソウルみたいなタイプ(パブリック・エネミーもそうだったかな)を聴いてた人って、当時のミュージック・マガジンを買っていたような、”早耳”なリスナーでしたからね。ただ、今振り返ると、その時にそうしたヒップホップに着目してた界隈って、”ラップの要素が入ってたらカッコいい”みたいなノリもあるにはありました。そういうデ・ラ・ソウルみたいなものが好きな人が同時にフィッシュボーン、そしてレッチリなどの台頭しはじめた当時のミクスチャー・ロックも同時に注目していましたからね。


…と、これが20年前、1989年の状況です。今から考えると、実は実りある種もまかれていたのですが、とにかくそれが気づかれにくいほど、嫌な音楽がとにかく幅を利かせていたのが実情です。これら良い芽の100倍以上に、ニュー・キッズやポーラ・アブドゥルやスキッド・ロウは実際に売れてたし、加えて当時はまだポップ・ミュージックのスターも映画スターに負けないくらいのセレブリティとしてのヴァリューもありましたから、目立ち方もハンパなかったのです。まあ、流行りがあまりにも酷かったからこそ、2〜3年後にグランジが出て来て、音楽界をひっくり返すことにもなるんですけど。そういう「次の実りある未来」が実感出来るには、1989年という365日ではあまりにも短かった、というのが本当のとこだったような気がします。










author:沢田太陽, category:個人話, 11:20
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アバター見て来ました!
 昨日はこれを見て来ました。




ちまたでかなり話題になってますね。「アバター」。ジェイムス・キャメロンが「タイタニック」以来12年振りに世に出す映画として数ヶ月前から話題になってましたが、昨日からいよいよ公開です。普段、前もって映画の座席予約等はしないタチなのですが、これだけはどうしても初日にIMAXで見たい衝動が走り、一般発売スタート直後からパソコンいじって、7時間後ぐらいに買えました。それぐらい見る前から気合い入れてました。


僕が映画にハマりこんでる話は何ヶ月前からしてましたが、僕の場合、ティーンエイジャーの頃、つまり80年代にビッグ・バジェット系映画を嫌っていた関係で、子供っぽい映画への入り方が出来なかったものでした。なので本格的に映画にハマッた大学生の頃にウディ・アレンとかトリュフォーとかベルイマンあたりを掘ってたり、あと当時だったらスパイク・リーだとか、中国映画とかを単館に見に行ってたりしてたので、ジェイムス・キャメロンという名前はスティーヴン・スピルバーグとかと同様に避けてたところがありました。ただ、今回、映画にハマってみて改めて「やっぱり映画って、大きいスクリーンだから出来ることもある」ということに気がついて。それはピーター・ジャクソンとかクリストファー・ノーランの映画見て感銘を受けた部分も大きかったのですが、そういう観点から見たときにジェイムス・キャメロンの作品って、「巨大な視覚効果の中にしっかりドラマが描けてるなあ」と「ターミネーター」の1、2と「エイリアン2」を見たときに思って。これと同じ理由でマイケル・マンも好きだし、スピルバーグも以前よりはひねくれずに見れるようになっても来て。ルーカスの「スター・ウォーズ」だけ、まだちょっと苦手ではあるんですけどね。


で、この「アバター」、世間の騒ぎ方が凄まじいことになってますね。「映画の存在自体を変える!」とか「この10年で最高の映画!」とか、そんな感じで。それに対しての僕の感想ですが、「映画のあり方を変える」というのは、ある意味で正しいと思います。あのIMAXでの視覚体験って、家庭内映画鑑賞では確実に再現出来ない(少なくとも現状のテクノロジーじゃ疑似体験するにはかなりの時間は要るでしょう)ものだし、いかにCGに目がなれた昨今でありCGであることもはじめからわかっているんだけど、実写版として見て妙にリアリティのあるパンドラ星のセット、そして「人間VSナヴィ」の多角的な視野に富んだ豪快な戦闘シーン。この映画、ストーリー自体はひょっとしたらアニメや60年代のロウテクなSF実写でもやろうと思えば出来ないことはなかったのかもしれないくらい目新しさや斬新さは正直なところないのですが、しかし、異星人ナヴィが生物体として生々しく見えるようになるまでCG技術が向上するのを待って作ったというジェイムス・キャメロンの執念は見ていてすごく理解出来たし、この映画を皮切りに「宇宙戦争」の描写の可能性も広がって行く感じも見えました。その意味では、ものすごい作品であることには間違いないでしょう。興行的にもマイルストーンなものになると思います。


ただ、「10年で最高の映画」かどうかは、どうでしょうね。「テクノロジーの進化が止められない今だからこそ、自然の神秘の声に耳を傾け回帰すべきなんだ」「人間の醜い欲望がどれだけ巨大化しようと結局全てを救えるのは愛だけだ」。この映画から感じとられがちなこうしたテーマ性自体はそこまで新しいと言えるものではないです。実際、この映画を見ながら僕の頭の中ではエニグマの「Return To Innocence」の「アイヤイヤ〜、ハ、アイアイヨ〜」というフレーズが実際に回ってもいたし。ストーリーの展開自体もひねりはさほどなく、予想以上にシンプルです。そこを物足りなく思う人もいるでしょう(実際、僕の妻のリアクションはそうでした)。ただ、ストーリーが直球な時の方が効果的な場合だってある。今作の場合はそのシンプルさを、丁寧なストーリー運びと、サム・ワーシントンとゾイ・サルダナの二人の若いカップル(方や「ターミネーター4」、方や「スタートレック」。すごく2009年らしい2人)が”スター誕生”の予感を漂わす感じで熱演してたのに引き込まれたし、加えて「エイリアンのリプリー」ことシガーニー・ウィーヴァーが熟女科学者になって成熟した演技を見せていた点も、古くからの映画ファンの胸にググッと刺さるものがあった。ヴィジュアル・エフェクトほどではないにせよ、このストーリー・テリングや演技の部分でも、僕は充分合格点は出せると思います。


ただ、気になった点も二つほど。地球からの侵略者である軍人のオヤジは何故にあそこまで狂信的にナヴィを敵対視するのかのがよくわからなかった(これ、もしかしたら、アメリカの”正義の名の下”での根拠薄き軍事行動への揶揄が込められていたりするのかもしれないけど)のと、あと、最後の最後で、「それじゃまるでMy Heart Will Go On」なレオナ・ルイスの退屈きわまりない壮絶なバラードが流れ、その後に「エイヤー、エイヤー」とばかりに「ライオン・キング」みたいなアフリカン調の曲が流れるあたりのセンスはちょっと…。こと、音楽面に関して言うと、カッコいい映画では決してないですね。


これからこの作品がどうなるかは「神のみぞ知る」ですが、僕の予想だと2009年の映画の中だと、これと「イングローリアス・バスターズ」「カールじいさん」、この3つが、定番人気作として人々の記憶に強く残って行くんじゃないかと思います。アワード関係は、おそらくは作品賞、もしくは監督賞にはノミネートされるだけで、エフェクト面のみ受賞ってことになるんじゃないかと思います。ただ、シガーニーは主演だか助演の女優賞、あっても良いような気もします。



author:沢田太陽, category:映画, 02:12
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正義なのか売名なのか
 奇しくも、タッチの差でHard To Explainのブログでホサカ・デンジャラスに書かれてしまいましたが、




レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがイギリスの人気オーディション番組「X Factor」の優勝者であるジョー・マッケルデリー君




のシングル初登場1位を阻止しようと、レイジ初期の代表曲「Killing In The Name」を買うようにキャンペーン展開したら、実際にレイジが勝っちゃったって話なんですが…。


しかし、まあ、これ、レイジ、痛すぎないか?たしかにポップ・ミュージックにおける正論としては、インスタントでプラスティックなアイドルなんて売れるべきじゃなく、中身のある音楽をやってる人たちこそ評価されるべき、というのは正論なのだけれども、しかし、それを主張するあまり、自らが、この10年のエンタメ界のネガティヴ面もかなり担っているリアリティ・ショー的な話題作り(別にレイジが番組に出たわけじゃないけど、ゴシップ・メディアのあの巻き込み方はいかにもソレ的)に自ら首を突っ込んで、リアリティ発アイドルと同じ土俵でガチで戦ってどうすんの。アイドルのレコードの買わせ方を”大衆操作的”と指摘するのは簡単だけど、このキャンペーン自体だって、充分大衆を煽って操作したわけで。しかも新しい曲じゃなくて、自分の古い代表曲っていうのが。そりゃ、「実際に良いかどうかはわからない新曲」よりも「ある一定の動かぬ評価を確立した曲」じゃ後者の方がいいんだろうけど、「ポップ・ミュージックにおける覇権争い」を本当にしたいのなら、メディアを巻き込まないかたちでジョーと同じ日にニュー・シングル出して、真っ向から勝負でもすれば良かったんだ。



どうもレイジはオーディオスレイヴ以降の展開が迷走してて、ガッカリさせられますね。思想のないスーパーバンド(オーディオスレイヴ)結成に、結局出来なかったザック・デ・ラロチャのソロ・アルバム。で、再結成したかと思ったらこの件ですからね。90年代、ポリティカルな面でロック界を硬派に牽引してきた姿をリスペクトした時期がある僕みたいな世代の人には幻滅してる人、多いと思うよ。こういうことすることの方が結局サイモン・コーウェルの思うツボだと思う。こんなことで勝って喜ぶより、音楽通じてやることが他に絶対にあると思うよ。



author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 03:44
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極私的Best Albums Of 2000s(9)1位
すいません。1位発表前にバタついてました。
遅ればせながら発表します。栄えあるナンバーワンは



1.Funeral/Arcade Fire





ズバリ言って、”アーティスト・オブ・ザ・デケイド”という意味では、彼らではありません。このアルバムで2位にしたホワイト・ストライプスの方が、アーティストとしての活動で言えば、驚異的なヴァイタリティを発揮してたと思います。ジャック・ホワイト、サイド・プロジェクトやプロデューサーとして、毎年のように仕事してましたからね。ジャックの場合、アルバムは基本2週間で作る人ですから。でも、そんな”瞬間のアート”だからこそ、欠けてしまうもの。それは、アルバム1枚通してのトータルな完成度。ジャックの場合、いつも90%ぐらいのペースでボンボン出すんだよね。だからこそ燃焼せずに、長期の活躍が期待出来るんだけどね。この辺りの感覚はプリンスとかエルヴィス・コステロのソレにも近いものがあるかもしれません。ただ、こと”ベスト・アルバム・オブ・ザ・デケイド”ということで言えば、アルバム1枚の完成度を重視したい。と言うことで、僕はアーケイド・ファイアのこのアルバムを選びました。”お葬式”というテーマをもとに、頭から最後まで、実に統一感よく、このアルバムはまとめられています。しかも、曲調のバリエーションの富み方と、それの組み合わせも絶妙。ジプシー調の「Laika」から、アーケイド・ファイア流ディスコ・パンクとも言うべきファンキーな「Powerout」、オペラ調の「Crown Of Love」、桃源郷でのゴスペルのような「Wake Up」、バンドの花レジーヌが歌うカントリー調(というかマウンテン・ソング風)の「Haiti」、そしてこのバンドにとっての最大のアンセム「Rebellion」(オーオオ、オーオオオ!)。これだけバラエティに富んだ曲調(クラシックから民謡に至るまで)を、ロック以外の要素をふんだんに取り入れつつ、ロック本来の腰から来るグルーヴ感とアンセミックな一体感をここまで入れ込めているのが恐れ入ります。ただ、この人たちがもっと凄いのは、この音楽性をいざライブで表現するとなったときです。ズバリ、クラシックの楽団員がパンクロックの知識と身体性をもってステージに望んでいるような、「優雅」と「俗悪」の両者の感覚をきちんと把握しながら、トラディショナルな音楽の持つ輝きを博物館で珍重させずに、ちゃんと今のこの世の中の一番カッコいいエッジに照らし合わせているところが圧巻です。10数人のメンバーが一曲ごとに違う楽器に配置転換するのにそれがやたら上手かったり、興奮したメンバーがパーカッションにあきたらず、床からメンバーが頭にかぶったヘルメットまでたたき出したり、そうかと思うと大太鼓を上空に放り投げてみたり(危ないから、あれはやめてください、笑)している中で、絶対的なリーダー、ウィン・バトラーが、顔は終始落ち着きながらも、声と抜群の統率力でステージ上の喧噪を巧みにまとめあげている。なんかまるで、スライ&ザ・ファミリー・ストーンかトーキング・ヘッズのその昔の伝説のライブ映像を見ているかのようです。スライやトーキング・ヘッズのアイデンティティがアフロ・リズムから近代ヨーロッパにシフト・チェンジしたらこうなるんじゃないか。そんな風にも思わせます。彼らのこのようなライブをはじめて体験したのは2005年のサマーソニックだったんですが、見てて凍り付いちゃって、インターポールが次に別の会場ではじまるってのに動けなくなっちゃいましたからね。「どんな理由があろうと、こんな宝物みたいなライブ、最後まで見ないなんて失礼にも程があるだろう」なんて思って。おかげでインターポールは5分しか見れなかったんだけど(泣)、サマソニは恨みはするものの(笑)、自分の決断にはいまだに誇りを持っています。この衝撃を2008年2月の「ネオン・バイブル」のツアーで来日したときに再確認したんですけど、あのアルバムも結局国内盤が出なかったにもかかわらず、2000人ぐらい客が来て。みんなで「Rebellion」合唱したときには本当に鳥肌が立ったなあ。


このアーケイド・ファイアにせよ、ストライプスにせよ、僕に与えてくれた大きな影響として、「人間って、頭使えば、まだ独創的なアイディアなんていくらでも出せるんだ」ってことがあげられます。別にテクノロジーを批判するわけじゃないです。でも機械を使うのだって人間だし、音楽を作るのも、そして聴くのも人間。完璧ではないけど感情に溢れ、未知の可能性が残されている。21世紀のはじめとしてはすごく良い教訓になったような気がしています。



そんな感じで、この10年での50枚、送ってまいりましたが、いかがでしょうか。「音楽史の意義として大切なのはわかるんだけど個人的な趣味じゃないもの」とか「シングルだったら入れたいんだけどアルバムじゃなあ」みたいな基準で外れたものもたくさんありましたが、そういうのを補うためにも、いろんな人のこういう企画を見てみると面白いなと思います。僕も既に結構読んでいて自分との違いを「なるほど」とか「いやあ、それは…」とか言ってみてますが、音楽への愛情深めるためにも良いと思いますよ。年を取るのは好きじゃないけど、10年後、20年後にも、こういう「10年チャート」考えてたいな。



author:沢田太陽, category:個人話, 10:49
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