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He's Out Of My Life
 2度続けて訃報のときに書き込むのもどうかと思うけど、あまりにショックなもので…。


今朝、5時まで原稿を書いて寝てたら、7時30分頃に妻に起こされ、「マイケル・ジャクソンが死んだみたい」って言われて「えっ!!!!」って感じで起きて。そこから寝られなくなってます。


キヨシローのことを書いた際には、「直接的出会いではない」という旨のことを書きましたが、いやぁ、さすがに30年近く洋楽リスナーの自負を持って生きて来た者にしてみたら「マイケルがこの世からいなくなった」という事実は、自分の中の何かが終わってしまったぐらいの、ものすごいショックがあります。


僕は、ポップ・ミュージックというものがエンターテイメントの世界でトップ人気で、なおかつ強いメッセージ性で社会的影響力まで持っていた80sという時代に洋楽に目覚めて、その魅力を信じて今まで生きて来たところがあります。マイケル・ジャクソンというのは、そんな時代の最大のスーパースター。その意味で、彼とか、マドンナとか、プリンスとか、U2とかって存在は、音楽の嗜好を抜きに”時代を象徴するアイコン”としてずっと無視出来ない存在でしたが、中でもマイケルの存在感というのは、他人に絶対に真似出来ない特異な独自性があり、とにかく際立っていたものです。


マイケルに関して言えば、大好きな時代も、憎たらしく思える時代も、僕には両方ありました。出会いは小学6年生のときにフジテレビ系のチャンネルで流れてたスズキのスクーターのCM。タキシードを来たマイケルが、「今夜はドントストップ」に乗りながら、ブロンドのおネエちゃんとスクーターの前で踊り、「Love Is My Message」といって、出来ないウィンクをするCM。今でもYouTubeで見れますが、これがエラくカッコいいんです。このとき、ちょっと彼に興味を持ったのは事実です。

ただ、このカッコ良さというのが「市場独占」につながった時はさすがにアンチ心も芽生えたものです。僕が中2のとき、「スリラー」が世に出ました。その頃僕は、ホール&オーツとかジャーニーとかデュラン・デュラン、デフ・レパード、ポリスなどが好きだったんですが、こういったアーティストたちの1位をこのアルバムと、このアルバムからのシングルがことごとく阻んだんです。それでグラミー賞独占でしょ。自分のことをロック少年だと思い込んでた僕はなんだかそれが悔しくて。しばらくはアンチを決め込もうかと思っていました。

そして高3の夏、マイケルは「バッド」を世に出し、その最初のツアーで日本に来ました。僕は当初、「なんでえ、顔、変わりやがって」とネタにして茶化してたぐらいだったのですが、でも、内心、「The Way You Make Me Feel」「Man In The Mirror」「Another Part Of Me」などのこの曲からのシングルがかなりカッコ良い事実に気がつきはじめて、「この人、やっぱ良いのかも」と思い考えを改め、そして大学3年のときに「デンジャラス」が出たときには、発売日にCDを買っていました。僕はこのアルバムの中の「Remember The Time」という曲が大好きで、いまだに自分の中の彼のフェイヴァリットだったりします。それ以降、「HIStory」「Invincible」といったアルバムは、「往年のキレがなくなったな」とは思いつつも、「やっぱ、自分の青春時代の音楽の象徴だしな」と思い、親しみを持って聴いて来ていました。


…というのが、リアルタイムでの彼の作品への僕の接し方でしたが、僕がマイケルのことを真剣に考え始めたのは、92〜93年頃、僕がヒップホップにはまりだして、黒人社会の歴史について勉強をはじめた頃です。マイケルが台頭した1980年前後というのは、公民権運動施行以来、黒人の貧富の差というのがもっとも拡大した時代。そんな”貧”の部分からヒップホップがアンダーグラウンドから生まれたわけですが、”富”の黒人代表というのがマイケルだったわけです。この当時、今からは考えられないのですが、全米チャートにおいて、ブラック・ミュージックは明らかな差別にあっていました。R&B(当時はブラコンって言ってましたが)のチャートで1位になっても総合チャートで40位に入らないことも稀だった時代に、マイケルはひとりダントツの人気で白人アーティストをも凌駕する黒人アーティストとして君臨してたわけです。黒人社会の希望が彼の肩に大きくのしかかり、マイケルも白人優勢の中でどう戦っていくか。当時は「黒人らしさ」というのを全面に出すと受けいられない時代(ライオネル・リッチーがポップなバラード路線だったのもプリンスが「イタリア人とのハーフ」と偽りロック色を濃くしたのも無関係ではない)。そんな中、黒人と白人の架け橋にいかに自分がなるか。プレッシャーは大きかったはずです。この当時彼は「スーパーマンの役は黒人には出来ない」という有名な発言を残してますが、この時のある種の挫折感みたいなものが、その後の彼の顔の変化に影響がないとは正直僕は思いません。

そうしたらば、10年ぐらい経って、「怒れる黒人の時代」がスパイク・リーの映画やパブリック・エネミーのリリックぐらいからはじまれば、マイケル・ジャクソンは一転して「白人に魂を売った」扱いをされ(実兄のジャーメインにまで同趣旨の歌詞を歌われた)、パパラッチや全盛期を逃した世代からは「キワモノ扱い」を受ける有様。まあ、90年代のマイケルに関して言うと、クインシー・ジョーンズとの唯一無二な完璧なタッグを捨てて、自分に合うか合わないかも吟味せずに話題性重視で売れっ子プロデューサーと組んだミーハー過ぎる作風も問題ではあったけれど。

で、さらにしばらくするとヒップホップが本格的に人気ではじめて、70sソウルのサンプリングが活発になりはじめて再評価が進んで。そこでジャクソン・ファイヴをはじめてまともに聴いたらば、これが実に高度なポップスで。で、曲ももちろん珠玉なのだけれど、マイケルの声の伸びと表現力が、「おそらくこんな子供、二度と出ない」ぐらいなレベルで上手くて。「ここまで子供の頃から才能に抜きん出てたら、そりゃ、その頃のイメージを壊して人から離れられるのも怖かっただろうに」とも思い。で、その後の彼はこの天才少年だった頃の声量と伸びこそ失いはしたものの、それと引き換えに独自の歌い回しと異常なスピードのテクニカルなダンスを身につけ、それで世を制し…。この辺りで、「やっぱ凄かったんだなあ、マイケル」と認識しだしました。


そして2002年にジャスティン・ティンバーレイクが「ジャスティファイド」出したときに、その雰囲気があまりにも「オフ・ザ・ウォール」だったのを耳にして、「あっ、マイケル再評価、確実に起きるな」と思ったら、その通りになって。Ne-Yoとかはかなりモロだし、リアーナとかにも痕跡は感じられるしね(実際「Wanna Be Startin Somethin」のサンプリングしたわけだし)。で、幼児虐待容疑で逮捕された時に、黒人の同業者から一斉に擁護論があがったとき、僕は「黒人社会での彼の役割がしっかり把握されたんだなあ」と思ったものです。

そんなこともあり、どんな奇行じみたニュースが流れても、多くの彼のファンがそうであるように、僕も彼の復活にはポジティヴでした。7月のロンドン公演のニュースも楽しみだったんだけど…。やっぱり、体に付加かけてそうな生活に、20代並みのあの激しい動き伴うダンスでもしたら、心臓が止まっても不思議はない気もするけれど…。


もう、しばらく彼のような、良くも悪くも、社会の好奇心を刺激するアーティストはいないでしょう。僕らの世代にしてみれば、「黒人版エルヴィス」でしょう。彼を機に、黒人のエンターテイメントにおける勢力地図が大きく変わったわけだし、そこで黒人が社会地位をあげて行かなかったらオバマだって誕生しなかったかもしれないし。それプラス、昨今はCDが本当に売れない時代で、エンタメ界における音楽の地位も日に日に下がっている時代。マイケルの逝去がそこに火に油を注がなきゃいいけど。僕はポジティヴなので、次の数10年のうちに、マイケルみたいな意味を持つ誰かが出てくるのゆっくり待とうと思うけど、でも、しばらく出てこないだろうなあ。で、僕のある時期の青春が終わった気がして、そこはなんだかものすごく淋しい。でも、今まで本当にありがとう、マイケル。心からご冥福をお祈りします。
author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 10:03
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