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キヨシロー
Hard To Explainのブログでも書かれていますが、忌野清志郎さんが亡くなってしまいましたね。やっぱりこれは…、う〜ん…、残念…ですね…。

前もって言っておくと、僕は彼のファンだったことはありません。レコードを実際に買ったのも「いけないルージュマジック」だけです。でも、僕の親しい友人たちの中には「RCでロックに目覚めた」という人を何人も知っているし、僕自身も、ソロになってからだけど、フジロックや日比谷野音や下北沢のライブハウスのイベントで彼のライブを見たことがあり、その度に彼の痛快なブラックユーモアに爆笑し、唯一無二のシンガーとしてのワザに「さすがだね」とうならされて来たし、フジロックが来るたびに「キヨシローが今年どこでやるかも楽しみだね」と話していたこともありました(実際、一度フジロックのパンフで原稿書かさせていただきました。ハッキリ覚えてないけど、癌が見つかった年だったような気も…)。

たしか最初の出会いは、1981年12月に買ったミュージック・ライフ。その号は僕が人生で生まれて最初に買った洋楽ロック誌だったのですが、その号で行なわれた読者人気投票の国内バンド部門でRCがトップだったんです。小6の僕は当時高校3年だった姉に「この人たちは誰?」と尋ねたのですが、それからしばらくして、その当時姉がおつきあいをしていた彼氏さんが、TVでやってたRCのライブ中継の録画ビデオを持って来たんですね。その時に「よお〜こそ」やら「雨上がりの夜空に」やら「ブンブンブン」やら「トランジスタ・ラジオ」とかは覚えて。そして、その直後に坂本龍一との「いけないルージュマジック」が出て。その頃、ちょうどイギリスのニュー・ウェイヴを刺激的なものだと思い始めていた僕は(当時だとまだ、アダム&ジ・アンツとかジャパンでしたが)、その空気感バリバリの見事な和製ニュー・ウェイヴに一発で魅了され、ドーナツ盤で買いました。キヨシローも教授もドギツくメイクして「ザ・ベストテン」やら「トップテン」やらに出てましたが、聖子ちゃんかたのきんがチャートを独占している当時のあのテの番組では、あれは完全にゲリラでしかなかったです。異物混入度で言えば、日本の音楽史に残るんじゃないかな、アレは。

ただ、その頃はやっぱ子供だったんで、RCの音楽のホントのカッコ良さみたいなものって、難しかったんですね。中学生になったばかりの小僧に、ブッカーTやオーティス・レディングやサム・クックって、やっぱ難しくて(似たような理由でストーンズも敬遠してました)。やっぱ、その年頃だと、チープなシンセの音やらディストーションがバリバリにかかったギターとかの方がカッコ良く聴こえちゃうもので。そんなこともあり、当時は佐野元春と同様に、僕の中では難しい人でした。とは言え、音楽好きの友人たちは結構よく聴いてましたけど(でも、やっぱ、やや年が上の人の方がメインだったかな、やっぱり)。それから数年して浪人生の時に「カバーズ」で原発のこと歌った時も、「ロック=反抗の音楽」というリアリティが薄れていた時代だったこともあり、理屈の上では、「すごいことだな」とわかっていても、完全にはしっくり来ない感じでしたね。

そんなこともあり、彼の音楽の懐の深さに気がついたのは、23歳ぐらいの時です。ちょうどヒップホップにハマってサンプリングのネタもととかを探しに60年代のソウルとか聴きはじめた頃にスタックスとかのソウル聴き始めて。その時に「キヨシローが言ってたアレかあ」と思ってオーティス・レディングの「トライ・ア・リトル・テンダネス」とかを聴いて衝撃を受けて好きになった頃にやっとストーンズの良さがはじめて理解出来て。あと、その頃にはニルヴァーナやパブリック・エネミーを通過してリアルタイムで”同世代の反抗の音楽”を体験出来てたこともあって、「rebelとしてのロックンロール」も理解は出来るようになっていて。「RCって、そういう音楽をパンク/ニュー・ウェイヴの時代にやろうとしていたのか」とその頃やっと理解出来て。当時つとめてた会社(NHK)の音楽試聴室から昔のRCのCD借りて実際聴いてみたこともありました。
(ただ、その時も、むしろハマったのはカルトGSとかジャックス、はっぴいえんど、シュガーベイブだったんですが…。復刻ブームで、そっちがちょうど流行ってて…)そして、冒頭にも書いたとおり、何度か彼のライブをイベントで拝見して…という感じです。


それが、「僕の中でのキヨシロー史」だったりします。たしかに不運にもタイミングがバッチリだったことはなかったです。でも、もしも、然るべきタイミングでちゃんとしっかり出会えていれば人生に欠かせない存在になったはずだとは思っているし、実際に自分の周囲に彼を恩人のように愛している人たちも少なくはなく、それを思うと他人事ではいられなくなるし、彼が日本に本格的な”ロックンロール”という音楽を、声で、グルーヴで、リリックで、センセーショナリズムでもたらした”日本の文化史的に重要な人”であることは間違いないと思っています。何度か親しい友人にも「ジュリーと永ちゃんとキヨシローが日本におけるロック・ヴォーカルの礎を築いたんじゃないかな」みたいな話のネタをしたこともあります(ちなみに僕はジュリー派なのですが、アイドルあがりで過小評価されがちなジュリーに比べ、音楽的な評価がきちんとされているキヨシローにちょっぴりジェラシーも抱いてもいます。でも、前述の功績考えれば、キヨシローが受けるべき評価としては妥当なんだけど)。


そんなことなどもあり、決して直接的ではなかったけれど、頭の片隅のどこかには、この27年くらいのあいだ、どこかにキヨシローの存在はありました。そうじゃないと、「海外エンタメのためのブログ」と銘打ってるとこに、こんなにたくさん衝動的には書かないとも思うし(自分でも書いてて、なんだかビックリしてます)。そう思うと…、やっぱなんか淋しいです…。転移が早かったので正直あまり良い予感はしていなかったのですが…、それでも58歳はいくらなんでも早すぎだと思います。まだ、レジェンド、残せたはずなのにね。謹んでご冥福をお祈りします。


author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 03:39
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