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僕がロックに求めたいもの
どうも。


ここのところ、情報を伝えることがメインになっていて、僕自身が昨今の音楽や映画全体に何を考えてるかをあまり書いて来てなかった気がするんですが、僕が過去に書いた「夏フェスの思い出」やら「洋楽離れ」の話はいまだにアクセス数高かったりするので、やはりたまにはそういうのは書いた方がいいですよね。そして、先日パール・ジャムやストロークスのライブを見て、改めて感じたことがあったので、ちょうどいいとも思います。


題して


僕がロックに求めたいもの


これについて書こうと思います。



まあ、改めて言わなくとも、普段の記事の端々でも既に何度も書いてるようなことではあるんですけどね。


【若いバンドよ、もっと目立っていい!】


で、僕がロックに求めるもの。何はともあれ最初にデーンッとあってほしいもの。それは


ロックスター!


やっぱ、これですよね。正直な話、これがないとイヤなんです。


僕の場合、育ちが70〜80年代、つまり、一般のヒットチャートで流行るポップ・ミュージックの中心にロックがある環境に育ったもんですから、やっぱりロックにはそういう音楽であって欲しいという気持ちがどうしても抜けないんですよね。いや、それ以前に、今現在、ロックそのもの自体が決してヒット・ポップスの中心にあるとは思えないこの期に及んでも、ちゃんと大きなカルチャーとしてロックが普通に残っているのは何故なのか。やはりそれは、過去の若者カルチャーの歴史において、ロックが果たして来た役割があまりにデカいからです。


50年代のエルヴィス、60年代のビートルズ、60s後半のサマー・オブ・ラヴ、70sのパンク、90sのニルヴァーナ…と、ロックはかなり大きなマスを巻き込んで、その都度その都度の先端の若者感覚の象徴として来たといういきさつがある。しかもそれが半世紀という、かなり長きに渡って。しかもロックの場合、ファッションや物の考え方にも大きな影響力があるから、なおさらだったんだと思います。


しかし!


90sを境に、これまでだったら「ロック=トンがってて普通にカッコいい」というだけの概念では通じなくなって来てしまうんですね。それがいわゆる、ニルヴァーナやパール・ジャムといったグランジの台頭だったりもするんですけど。たしかにあの時期に、彼らは80sまでのロックスター像を否定することでロックそのものを変えてしまったわけです。だからこの時期から、まあ、これ、ある時期の自分も含めなんですけど、やたらと偶像とか権威を否定して、それこそがカッコいいんだ、みたいな風潮が出来上がって、人によってはあたかも「一番ストイックで、一番欲しがらないヤツがカッコいいんだ」みたいな競争みたいになっちゃって、ちょっとでも売れようものなら執拗に「セルアウト」という言葉で貶めてみようみたいな、極端な意味での「インディ崇拝指向」みたいなものもあったように思います。



でも、こないだパール・ジャムのライブ見て改めて思ったんですけど、やっぱあれって、本来スターになる資質が充分にある人が、あえて偶像化を否定したからこそカッコよかったわけであって。あるいは、ある程度ロックがかなり人気がある、という前提の中で否定したからこそ意味があったのだと思います。



だから、思うんですね。それだからこそ、昨今のバンドが、スターになることをためらってか、大胆なことが出来ずにどんどん小粒化して行くのを見るにつけすごく残念なんですよね。「売れでもしたら身動きがとれなくなって…」みたいな20年前のニルヴァーナみたいな苦悩を、50万枚もCD売れないみたいなバンドが、そういう事態が起こる前から杞憂しているように見える瞬間があるというかね。「安心しろ」って言いたいですね。だって今の世の中、ロックで多少目立つことをしようとしたところで、レディ・ガガとかビヨンセより話題になるヤツなんていません。もっと言うと、カニエ・ウェスト・レヴェルのヤツさえいないと思います。少なくとも、チャートで流行るものしか知らないタイプの人なら、欧米人でさえよく知らないレベルで当たり前の昨今のロックです。それのどこに、「スターになることを心配」する必要がある?心配なんかしなくとも、まだ世間の大半の人が知るにもほど遠いレベルなのに。これって言うのは、一部の音楽ファンが、ピッチフォークみたいな、マスの目から見たらまだまだ小さなメディアを、あたかも影響力のあるデカいメディアと勘違いして信奉してしまうあまり、ちょっとでもバズがあるバンドをあたかもスターであるかのように感じてしまうから?


それか、最近のある世代から若い子たちが、昔のロックバンドの人気の大きさというものがよくわかってないから、ちょっとでも評判があがればそれをスターっぽいと勘違いしてしまうのか。昔って、アメリカの一般のチャートにも、アルバムが半年から1年にかけてトップ50に入ってミリオン売り上げたバンドなんてたくさんいましたけど、今ってそんなバンド、年間にいくつあります?いや、そこまで大衆に広くアピール出来るバンド自体、どれだけあります?先日、フォスター・ザ・ピープルの「Pumped Up Kicks」が久々のインディからのクロスオーヴァーとなりましたけど、それこそ80sなんて、ああいうタイプのニュー・ウェイヴ系のシングル・ヒットなんてザラにいたし、それどころか、アルバムから3曲全米トップ10シングルを出してたようなバンドもいたものです。「だから、どっちの方が質が上」とか、そういう議論はしませんが、それだけ昔は、ロックそのものが一般に与える影響が大きかったものです。


【”ロックスター”の偏った例が残したトラウマ】


「でも、ロックスターが多くなって肥大化するとロックシーンが終わってしまうのでは」という懸念、それはたしかにあるんだとは思います。それはある意味真実です。ですが、「いい音楽がメインストリームに注ぎ込まれるのが悪いこと?」。多くの熱心な音楽ファンが「聴きたい!と思うような曲」が巷にあふれるようになったとしたら、それはやっぱり嬉しいことですよね。そういうプラスの側面を否定する考え方は僕にはわからないです。



たしかに僕も、グランジの時期はモトリー・クルーみたいなバッドボーイ・メタルやヘア・メタル、ストロークスが台頭して来た頃はリンプ・ビズキットみたいなニュー・メタルとかラップ・メタルのバンドを仮想敵として見てはいました。でも、今にして思うと、それは僕が”ロックスター”というものが嫌いだったわけじゃなく、「アメリカ風のヤンキー感覚が嫌いで、その感覚がロックと結びついて一般浸透することが嫌だった」のだと思います。たとえて言うならそれは「あたかも、アメリカのプロレス団体やポルノ業界とイメージがだぶって見えるようなもの」ですね。まるで、「ロックは不良の音楽」という言葉の意味を勘違いして信じてしまったような、そんな感じ。「反抗的であること」と「素行不良で、威嚇的な格好をして、頭からっぽそうな下品な女をゲットすること」とは全く持って違うことなのに。ある時期に、ああいったものがロックのイメージとして浸透していなかったら、僕もそこまでは嫌わなかったと思うし、もしかしたら、アメリカあたりだと今も”ロックスター”にああいうヤンキー・イメージがあるからなろうとする人が少ないのか。だとしたら、モトリーやリンプは妙なトラウマをロックに残したものです(笑)。


でも、仮にそんなヤンキーっぽいスタイルじゃなくても、”ロックでスターになる選択肢”なんていくらでもあると思うんですけどね。それを20年くらい前に示したのが”アンチスター”としてのグランジ勢だったり”文化系アイコン”としてのストロークスとかだったりしたと思うんですけどね。彼らはいわば「別種のロックスター」だったと思うんですけど、先述したような”ロックスター”のイメージがあまりにも強過ぎたせいか、そんな見方を出来た人が少なかったんでしょうかね。


別にUKロックであれば、僕がさっきから言ってるようなタイプの”ロックスター”なんてものが幅を利かせてるわけではなく、単純に音源が売れたり音楽雑誌が追いかけるようなバンドがそのままスターになるからややこしくないんですけど、でも悲しいかな、国際的な流通力や影響力で言うとアメリカの方が遥かに大きかったりするもんだから、なかなか”UK流ロックスター”の感覚が世界的に広がりませんからね。ただ、それでもコールドプレイとレディオヘッドは今のイギリスのロックスターなイメージを今日的に広めているとは思いますけどね。


【ロックの歴史の重みに耐えられない昨今のキッズたち】


あと、最近の世界中の音楽好きの子供たちに感じることなんですけど、彼らの世代も、ポップ・ミュージックというのは大きな存在だとはつくづく思います。youtubeでジャスティン・ビーバーとレディ・ガガの視聴が何10億合計で記録した、なんて話を聞くと「やっぱりキッズにとっていつの世もポップ・ソングでのスターって必要なんだな」と思います。


ただ


その趣味が年々幼稚化して見えるのは否定出来ないんだよなあ〜。年々、アイドルの人気の方が欧米でさえも高くなってる感じは否めないし。大昔だったら、たとえばKISSなんて、アメリカだと10歳以下のキッズが最初に夢中になるもので、かつ、楽曲的にも長く持つクオリティがあったのに、今のアイドルって特にディズニー絡みのものとかだとマーケッティングの方が先に来てるからどうしても着色料のついたお菓子みたいな人工っぽさがあるし、ロックでキッズ層を狙おうとしているフュールド・バイ・ラーメンのアイドル・エモなんかを見ても、とにかくキッズへの媚しか聞こえてこなくてすごくイタい。


だから2000年代の半ばくらいに、ストロークスとかキラーズ、フランツ・フェルディナンドとか出て来たときに「なんで、こういうのをハイティーンより下の子が聴かないんだろう」とずっと思ってました。僕が中学校のときとかに欧米のロックに感じてたポップさがああいうバンドにはあったのに。うまく浸透してクロスオーヴァーしそうだったんですけどね。


思うにこれ、今のキッズがロックに対して構え過ぎてるところがあるからじゃないか。最近特にそう思うんですよね。さっき上で言ったことと矛盾して聞こえるかもしれないですけど、ロックというものがなまじ長い歴史を持ったトラディショナルな存在となって、ものによっては文化的に名高いアートみたいな名盤もあるし、自分の親、ヘタしたらじいちゃん・ばあちゃんまでロック好きだ。そうなったときに「まだ、僕たちの聴く音楽じゃない」と思ってる子が案外多いのでは、という気がしてます。そして、その子たちはその子たちなりに、「誰かに作られたアイドル・ポップスより、自分で曲も作って演奏するバンドの方がエラい」みたいな感覚は一応あるわけで。でも、だからこそ、「エラく見え過ぎてしまって地近づけない」という感覚があるのではないか。そう思うわけです。


そういうこともあっての、昨今の女性ポップ・セレブとヒップホップ(と言うか半分エレクトロだけど、笑)の人気が支えられてるんだと思います。ただ、ガガとかリアーナとかケイティ・ペリーが今やってる役割って、僕にしてみれば、ロックスターが80sにやってたこととほとんど同じなんですけどね。若い子からしてファッションを真似したくなり、他の曲よりもカッコよく聞こえる飛ばした感じがあって、語録を思わず聴いてしまいたくなるようなキャラもある。そういう役割の担い手に、もっとロックがスーッと入って行ってほしいんですね。今、多分、それが出来てるのってコールドプレイだけのような気がするし。もっと、U2とかグリーン・デイとかフー・ファイターズみたいなオジさん(フーファイ、新作すごくいいですけどね)じゃなくて、それが出来る若いバンドが欲しいわけです。


まあ、今、アデルやフローレンスが、ガガみたいな今どきな感じで聴かれてるものの中に「こっちの方が実力本物なんだぞ〜」みたいなことを言い出すキッズが持ち込んでいるような気もするんですけどね。だとしたら、あと数年ぐらいしたら、もしかしたらロックバンドにもチャンスがあるかもしれませんけどね。



…と、そんな感じですかね。本当はもう1章書く予定だったんですけど、上の章のままだけでも結構しっかり読んで反応していただいた方もいらっしゃるようなので、下手に付け加えない方がいいかとも思いまして。本当は、その最後の章を書こうとしたらうまくまとまらなくなったというのが背景にあったりはするんですけど(笑)、これはこれでいいかなと。


また、なにか思い当たったら、続編でも書こうかなと思います。
author:沢田太陽, category:個人話, 11:17
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Comment
こんにちは。私は今高1ですが、レディ・ガガとテイラー・スウィフトは洋楽をあまり聴かない子にもかなり浸透していると思います。
ただ、そこから他の洋楽も聴いていくという訳ではなくて、ロックに関しては聴いている人が学年で10人くらいです。
あと、音楽部(ミュージカル)にはマイリーとgleeを好きな人が多いです。1人OK GOが好きでロック好きな友達がいたんですが、いきなりブリング・ミー・ザ・ホライズンにはまってしまいました。
ただ、今でもロックの話はよくします。
軽音では今だにアヴリルが人気でグリーン・デイとかSUM41が好きな子もいます。
頑張って今のロックを友達にも伝えようとしていますが、なかなか上手くいきません。
かさい, 2011/11/11 6:58 PM
管理者の承認待ちコメントです。
-, 2013/04/19 12:49 AM









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ニルヴァーナって今聞くとただの下手なメタルって感じでダサいしショボイ
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