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まさに「OMOIDE IN MY HEAD」! 伝説のナンバーガール再結成で、いろいろ思い出したこと

(現在、noteでも当ブログは展開中です。そちらの方が見易いです。アドレスはnote.mu/themainstream)

 

 

 どうも。

 

本当は別のこと書くつもりで、そっちの下書きをして寝落ちしてたんですね。で、午前4時30分にソファで寝てたのに気がついて、おもむろにケータイ開いてみたら、そこに

 

ナンバーガール再結成の衝撃ニュースが!!

いやあ、これはもういてもたってもいられなくなったというかね。すぐに完全に目が覚めましたもん!あまりにも驚いて。もう、嬉しくなってフェイスブック越しにいろんな人たちと喜び共有してるところです。

普段、僕のブログで日本のアーティストの話というのは、やって年に数回だったりもするんですけど、ナンバーガールというのは僕の中においては、もう完全に別枠というか、特別な位置にあり続けているバンドです。

僕がよく使う表現として、「もし、このアーティストが自分の住んでいる近くにいるとしたら、毎回追いかけてライブ見に行くね」というのがあるんですけど、

 

それが唯一現実のものとなったのがナンバーガールです!

 

それはちょうど僕がNHKで「ライブビート」という、公開ライブの番組やってた時です。1998年の初頭のことです。日にちまではっきり覚えてます。1月22日です。その時に505スタジオってところであるバンドの放送の回を収録してたんですけど、その時にナンバーガールの発掘者のKさんって方がやってきたんですね。その時、その方とは初対面だったんですが、「福岡ですごいバンドを見つけました」って言われて、いきなり彼らのインディ時代のアルバム「School Girl Bye Bye」を渡されたんですね。その時に「絶対に気にいるとおもいます」とまで言われたんですね。その時、僕は手書きで書かれた向井君の漫画の歌詞カードを読みながら、「すごい歌詞ですね、これ(笑)」とかって会話もしました。

 

ただ、その後に会社のオフィスの机に積んだままの状態にして忘れてたんですね(苦笑)。そうしているうちに2月18日武道館でやったオアシスの公演に行った帰りに、ナンバーガールのもう一人の担当のYさんに偶然あったんですね。その時に「あれは聞いた?」って聞かれて「あっ、すみません」って言ったら「今すぐ、聞いて!」って言われたんですね。で、その次の日、ライブビートのグレイプバインの収録が終わってオフィスに戻った時、「あっ、そうだ、あれ聞かなきゃ」と思ってCD取り出してCDウォークマンで聴いたんですけど、その時、1曲目の「OMOIDE IN MY HEAD」を聴いた時に頭の中真っ白になって直立して立ち尽くしたんですね。もう、夜の9時も過ぎてオフィス誰もいない状態で、アルバム聴き続けました。

 

で、翌日にY氏に電話して「いや〜、これはちょっと衝撃で」という電話を1時間以上にわたってしました(笑)。で、「来週に東京での初ライブがあります」と言われたので、2月26日、下北沢のシェルターに見にいきました。「これでもし、このアルバム通りにやれたら、このバンドは凄いですね」とKさんとYさんには言ったんですよね。そうして見てみたら、

 

逆にCDがライブを全然表現できてなかったくらいに凄いもので!!

 

いやあ、この衝撃って言ったらなかったですね。あの金属質のギターの切れ味とベースのスピードとドラムの手数。しかも、ただグルーヴがタイトなだけでなく、同時にケイオティックでもあって。で、フロントマンのあのキャラクターと、あの詩世界と、あのユーモアのセンスでしょ。メンバーの風貌は4人とも全くバラバラで個性的。曲はピクシーズとか、ソニック・ユース、ペイヴメントみたいと当時から言われてましたが、僕はメンバー自身の放つ華でいうと、オリジナル・ライナップ時のスマッシング・パンプキンズに似てると思いましたね。それくらい、メンバーのプレイに独特のクセが強く、さらにキャラも覚えやすかったですから。

「これはちょっと、凄いもの見た!」って、もう翌日からは大騒ぎですよ(笑)。一時、会う人会う人に「いやあ、すごいバンド見たんだよ」って毎日のように言ってましたからね。臨時宣伝マン状態でした(笑)。その時から、クロスビートとか、偽名で雑誌で書き始めていたりもしてたんですけど、そこの編集の人たちにもCD一方的に貸したりしましたからね(笑)。

 

で、6月にナンバーガールが正式な上京前に東京でライブ行脚をYさんたちがさせたんですね。その時にちょうどライブビートの方で、プリ・スクールというバンドがありまして、「NHKのスタジオじゃなくて、一般のライブハウスでやりたい」という強硬なリクエストを受けたんですね。それを収録予定日のかなり近いタイミングで言われて「できるかなあ」って感じだったんですが、驚くことにON AIR EASTが空いてて。で、喜んでたら、「前座つけてくれ」ともうひとリクエストされまして。「どうしようかな」と、それでも一回は客観的な立場で物考えようとしたんですけど、そこでナンバーガール、入れたんですよ(笑)。で、「あまりにも個人的になりすぎるとまずいかなあ」、と思って、番組のエンディング・テーマに「センチメンタル過剰」使って、申し訳の立つ理由作ってね。それで、おそらく彼らが全国放送の番組で初登場するキッカケを作りました。

 

そして彼ら、8月の終わりに東京に越してきたんですけど、しばらくは人の少ないライブ続けてて、なかなか人が話題にしてくれないなとヤキモキしてたんですね。もう、このころは、「こう言うすごいバンドがあるのを知っておきながら、その良さを広めないなんてことしたら罪だろ」くらいの気持ちでいましたからね。「若さってこわいな」って感じですけどね、今考えると(笑)。で、この時に、「番組で多くのバンド集めてイベントしたいな」と思って企画を考えたんですね。その時、ちょうどいい感じで新人でいい感じのアーティスト、見聞きしてたんで。で、当然ナンバーガールありきで考えて。その企画が、99年の1月に「新春イチオシ祭」という形で実現するんですが、その日の夜の部が「椎名林檎・ナンバーガール・くるり」ということになりました。

 

これはもう、なんか、自分の人生でものすごく宝くじ当てちゃったような瞬間でしたね。「これで行こう」と決めた時からワクワク感はあったんですけど、いざやってみると、これ衝撃でね。人生の運の何割か、これに使ってしまった感じでしたね(笑)。この3つのその後の影響力というのは、僕が今さら語ることでもないでしょう。

 

で、これがあった後くらいから、徐々にライブに客が増え初めて、ファンサイトができ始めたんですね。気が付いたらクロスビートでも、編集部員の人が記事書いてましたね、僕に黙って(笑)。で、そこで99年3月にナンバーガールは運良く、洋楽ファンの間でも有名なサウス・バイ・サウス・ウェストってイベントに呼ばれて出演したんですね。僕は流石にこれは行けてないんですけど、確かその時に、ライジング・サン・ロック・フェスティバルの主催の方が行かれてて、そこで第1回目のそれにナンバーガールが出る運びとなったはずです。

 

で、4月、ライブビートでブラッドサースティ・ブッチャーズというバンドのの公開ライブをやろうとしました。そこのフロントマンの吉村さんが「収録現場見たい」というので来ていただいて、そこで直接出演交渉をしたんですね。その時に、その会がたまたま対バン形式だったんですけど、吉村さんが「僕も対バンしたいんです」って言ったんですね。で、誰がいいかってなった時に「そうだ。僕のファンサイトでナンバーガールってバンドが盛り上がってるんですけど」って吉村さんが言い始めて「お願いできますか」ってリクエスト受けました。今話すと、正直、「えっ、メジャー・デビュー、あと数ヶ月後なのに、ワンマンでやらせたいんだけど」と僕は躊躇したんですよね。でも、言わないわけにはいかないからY氏に声をかけたら、大ファンの向井くんが「断る理由がない」というので実現しました。それから両バンドの関係がどうなったかは、ファンの方ならよくご存知のことだと思います。

 

そして6月に「透明少女」でメジャー・デビューして7月にアルバム。そして8月に、ライジング・サン・ロック・フェスティバルです。この時のライジング・サンのラインナップ、僕は未だに、日本ロック史上最高のものだと思っているのですが

 

このライジングで彼ら、トップバッターだったんですけど、メジャー・デビューしたばかりだったはずなのに、もう頭からすごい盛り上がりだったんですよ。「えっ、いつの間に?」って感じでビックリしましたね。これで、もう僕は安心しましたね。この時、突然の転勤命令断ってNHK辞めたばかりでこれ見に行ってたんですけどね。

 

で、後のことは、ファンの方の方が詳しいかもしれません。99年まで僕は結局、確か54回だったかな。彼らのライブも行ってましたけどその後は、ちょっと落ち着きましたね。理由はいろいろあるんですけど、自分の中の妙なテンションが落ち着いたことが最大の理由じゃないですかね。ちょうど、フリーでジャーナリスト始めた時期でもあったし、「どうやって行こうか」のアイデンティも模索もしていて、見つけた先がこのブログ名の前身メルマガの「THE MAINSTREAM」だったりもするし。日本のロックと、ナンバーガールに関しては自分のやることはやり終えた感じがあったし、「やっぱ、自分の原点に立ち返って洋楽!」という気持ちもありましたからね。

 

で、ナンバーガールは2002年に解散。残念だったのは、最後のアルバムがオリコンの確か12位が最高で、「トップ10に入る前に解散しちゃったのかよ」とそこがすごく悔しかったのを覚えてます。

 

ただ、そこから後、後続のバンドたちが、もうファッションから、リリックの言葉遣いから、サウンドから、もう、絵に描いたようなフォロワーがたくさん出てきたでしょ?それにプラス、ナンバーガール・スタッフの皆さんが、ことライブに関しての音声、映像の記録をちゃんと残しておいたから、youtubeの時代にちゃんとそれが振り返られている。前にも話しましたけど、Mitskiのファン・サイトの欧米人の人の中でも、知名度ありますもん、ナンバーガール。Mitskiが林檎ファンなので、セットで知ってるようです。

 

で、ナンバーガールの方は、僕、なんとなくなんですけど、「再結成、あるんじゃないかな」とは感じてました。2014年に、向井くんとひさ子ちゃんの雑誌対談もあったし、去年は4人が別々の出演ながら勢ぞろいしたフェスもあったし。「時間の問題かなあ」と思ってたら、案外早かったですね。公式サイトにも書いてますが、ライジング・サンのあのライブから20年、というのが大きかったんじゃないかな。僕もこれまで見た彼らのライブの中で、ベストなものとして真っ先に思いつくものでもあるし。

 

冷静に考えたら、もう解散して16年経ってて、そのに「伝説」としてしか知らない若い人もたくさん生まれてるわけですよね。そういう人たちは、この機会に絶対見ておいた方がいいですよ!その後の日本のロックのひな形を作った本物のバンドのライブがいかに特別な存在だったか。「数発ヤりたい」って本人たち言ってるみたいなので(笑)、これを機にぜひ!

 

それにしても、まだメンバーの風貌も若々しいし、すごくいいじゃないですか。公式サイトにある「中尾憲太郎44才」って表記を見ると、「23才だったよね」と思わず大ウケてしまいましたけど(笑)。

author:沢田太陽, category:ロック, 22:21
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Comment
ドラムのアヒト氏、過去の右翼的差別発言、歌詞で炎上していますね。8年前の歌詞だし本人は差別意識はないと言っていますが正直……ですね。
http://j-lyric.net/artist/a04e52c/l022854.html
あと椎名林檎も今はライブでもフェスでも紅白でも旭日旗振り回してるのでそこらへん意識低そうだなと思ってます。彼女が五輪で何をやらかすか心配です。
やま, 2019/02/22 5:46 PM
すいません訂正です。差別的発言はアヒト氏がフォローしていた人達の発言で彼自身の発言は問題にはなっていませんね。歌詞だけです。それでも歌詞だけで個人的にはアウトですけどね。8年あれば思想も変わりますが謝罪内容見るに彼自身が差別的思想を自覚できていなさそうなので。
やま, 2019/02/22 6:16 PM
ありがとうございます。


アヒトくんはメンバーの中で一番音楽の趣味が僕に近いこともあって最も会話数が多かったし、HTEでもDJお願いしたこともあったくらいだったんですが、こと、政治の話というのはしたことがなかったので、その件は非常に驚いています。


メンバー全員のことが大好きだし悪口も言いたくないのですが、あの歌詞にも、彼がツイッターでフォローしている政治家も、僕個人としては全く共感はしません。


ただ、ほかのメンバーも、彼がこうやって騒がれたことも受け入れて今回再結成もしたのだと思うし、それがバンドに影響しない限りは「そっとしてあげてほしい」というのはあります。大丈夫だと僕は信じています。



太陽, 2019/02/23 12:41 AM









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