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スタン・リー追悼・その一生について考えたこと

どうも。

 

今日はすごく大きな訃報が入ってきましたね。僕もショックです。

 

 

 

あの”マーヴェルの父”、いや、アメリカン・コミックの父の方がいいかもしれないですね、スタン・リーが大往生しました。95歳でした。90歳を超えても元気だったし、お約束のマーヴェル作品でのカメオも続けていたので逝くのが早い気もしたのですが、天寿を全うしたと言えるのだと思います。

 

 

 僕は基本、音楽の人間で、映画でも得意なのはコメディやドラマ関係で、アメコミはどちらかというと門外漢だという意識があります。ただ、彼のバイオを改めて読んでみて、あるいは自分の中の彼の記憶を振り返っていろいろ思うことは出てきたので、そのことについて率直に書いてみたいと思います。

 

 

 まず、彼の一生に関して「気になるポイント」を4つあげてみます。

 

 

ー造蓮▲▲瓮灰澆寮こΔ亡悗靴討呂爐靴躙緘だった

 

リーは1922年生まれ。日本の元号に直すと大正11年生まれです。そういうこともあって、「アメコミ黎明期からの人」という印象を持っている人もいらっしゃるかもしれません。実は僕もそう思っていました。

 

 

 ところが、アメコミの世界って、リーが社会人になる前までに、もう既に一つの全盛期が確立されていた世界だったんですね。マーヴェルの永遠のライバルのDCコミックの最初の全盛期が1930年代の後半から1940年代の前半。スーパーマンもバットマンも、ワンダーウーマンもそうです。第二次世界大戦の真っ只中なんですよね。この辺りの話は、マイケル・シェイボンという小説家の「カヴァリエ&クレイの驚くべき冒険」という作品で割と詳しく書かれてもあったので、僕もなんとなく知っていたし、時折耳にするスーパーマンやバットマンの話でも知ってはいました。ただ、リーも「キャプテン・アメリカ」という、もうモロに第二次大戦のスーパーヒーローを手がけていたわけじゃないですか。だから、混同してたんですよね、長いこと。

 

 

 確かにリーがマーヴェルを創設したのは1939年と、その最初のアメコミ全盛期だったわけですが、ただ、この時はまだリーは17歳。一方、DCは1938年にスーパーマン、39年にバットマンを全米の大ブームにしているわけです。それにティーンエイジャーが立ち向かうことは、彼にどんなに才能があったところで無理です。そういう意味では、やはりDCには大きく水をあけられていたわけですね。

 

1961〜63年の創作が神がかり的

 

 リーは第二次大戦に志願兵として参加し、終戦後にコミックの脚本家を務めます。「キャプテン・アメリカ」は彼の主導じゃなかったんですが、後から脚本家として参加したようですね。

 

 

 そういう生活を続けていたリーですが、1961年、彼が39歳の年から41歳の年までの3年間。怒涛の創作が始まることになります。

 

 キッカケは

 

 

この「ファンタスティック・フォー」のヒットです。この1961年頃に「超人ハルク」や「マイティ・ソー」も始まっています。

 

 

ただ、もっとすごいのは1963年

 

 

 

「アイアンマン」「スパイダーマン」「Xメン」をこの年に一気に三つも生み出すんですよ!

 

 

さらに言ってしまえば「キャラクター全員集合」の「アヴェンジャーズ」までこの年に出ています!

 

これはすごいですよね。

 

調べてみたら、「アントマン」が初登場が1962年、「ブラックパンサー」が1966年と、リーの60s、すごいことになっていたんですよね。これは気がつかなかった。僕、60sの文化は詳しい自負があったんですけど、アメコミで明日の社会を変えるようなことがこんなに進行していたのは恥ずかしい話、今日まで知らなかったんですよね。

 

 

DCに後塵を拝しながらも、かなり長い時間をかけて「脱アメコミ」を目指す

 

 この怒涛のマーヴェル・キャラ創造期を経たあと、リーは「脱アメコミ」を目指すべく、動きます。

 

 

 

60sはこの「スパイダーマン」を始め、「キャプテン・アメリカ」「ファンタスティック・フォー」のアニメ化に成功し、そこそこのヒットも記録するわけですが

 

 

同じ頃、DCは実写版映画「バットマン」をヒットさせます。

 

 

1977年にリーはテレビ・シリーズで「スパイダーマン」「超人ハルク」の放送にこぎつけ、

 

 

翌78年に日本でこんなトンデモな副産物も生み(見てました、笑)ますが

 

 

DCは1978年、クリストファー・リーヴの主演で「スーパーマン」を大ヒットさせます。

 

 

90年代に、マーヴェルは「アイアンマン」や「Xメン」をグレードアップしたアニメで放映しますが

 

 

DCはマイケル・キートン主演の「バットマン」で、ドル箱のフランチャイズとしての「スーパーヒーロー」ものの定番になっていました。

 

このころ思うに、リーはかなり悔しかったろうと思います。アメコミから脱したことをやろうとしても、常に先にDCの存在があったわけで。このころだと、僕はまだマーヴェルのマの字も知らない頃ですが、やはりまだマーヴェルも、アメコミによほど通じている人以外には・・と言ったとこだったんだと思います。

 

 

80歳を超えて、ようやく自分の描く世界を表現できた!

 

 そして、リーのマーヴェル・ユニバースの映画がコンスタントに公開されるようになり始めたのは2000年。すでに彼は78歳になっていましたが、これからですね。

 

 

この「Xメン」からですね。2002年にはこれに「スパイダーマン」が続きます。どちらも好評でした。

 

これ、その当時はそこまで感じなかったのですが、「おそらくリーは、これが訴えたかったのかな」と思われるものを、今日見つけたので紹介しますと

 

 

 

いつのものか定かじゃないんですが、なんと「GORO」に、多分70年代だと思うんですが、「日本のスタン・リー」こと石森章太郎

との対談が載ってなんですね。石森は、僕の子供世代のスーパーヒーローの象徴でした。何せ「サイボーク009」「仮面ライダー」「キカイダー」「イナズマン」「ゴレンジャー」な訳ですからね。その彼がリーと対談したわけなんですが、その見出し「アメリカのコミックはシリアス 日本はファンタジック」というのを見て、「あっ、リーが伝えたいものって、これだったのかな」と思ったんですね。「Xメン」だって、元は60年代の公民権運動でのマルコムXとキング牧師をモデルにしていたくらいですからね。「アメコミは社会的なメッセージも持ちうる文学性だってあるんだ」みたいなことを、彼はちゃんとした役者を使った長編映画の次元で訴えたくなったのかな、と。逆に、石森はじめ、日本にも幾多の ヒーローものがあるのに、マーヴェルみたいな成熟した発展を遂げられなかったのは、その「ファンタジック」という次元を超えられなかったのと、石森でも、その弟子の永井豪でもいいんですが、執念持ってリーのような高尚な次元で「もっとまじめになりうるもの」として漫画のスーパーヒーローの意義を証明しようとしなかったからかな、とも思います。

 

 それでもまだ、その「中身もあるドラマ」としての実写映画でも、2000年代の時点ではまだクリストファー・ノーラン擁する「バットマン」のDCに押されている気がしましたが、2010年代に入ると

 

 

 

 この「アヴェンジャーズ」を皮切りに、キャラと作品数をグッと増やしていきます。この時点で90歳前後ですよ!

 

 

そして、DCにはできない、コメディ路線で「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」「アントマン」「デッドプール」と立て続けに当て

 

 

 さらには「ブラックパンサー」、これまでアメコミ映画が超えられなかった「人種の壁」を超えた、黒人アートの結実ですよ。もう、この頃にはDCはかなり凌駕してますね。これで、リーが一生かけてマーヴェルで表現してみたかったことは、95歳でかなりできてたんじゃないかな。惜しむらくは「アヴェンジャーズ」の完結と、「ブラックパンサー」のオスカー・ノミネートを見て、天国に行って欲しかったんですけどね。

 

 

・・と、しんみり結ぶのは、ユーモアのセンスに溢れたlこの人らしくないので、これでシメましょう。リーといえば、やはり、映画へのお茶目なキャメオ出演。それをまとめたこの動画で改めてRIP!

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:訃報, 10:11
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