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クイーンというバンドが偉大な6つの理由

どうも。

 

では、昨日に続いてクイーンのスペシャル、行きましょう。

 

今日は

 

 

クイーンというバンドがロック史において、なぜ重要なのか。それについての僕なりの考察をしようと思います。

 

 

彼らは「特定のジャンルを始めた」というタイプのバンドではないし、いわゆる「パンク/ニュー・ウェイヴ史観」のロック史でははまらない存在であるがゆえに、そうした文脈においては若干語りにくい側面はあったりはするんですが、そういう硬直した見方だと決して理解できない、そうしたものを超越した普遍性があります。そのことについて語ってみたいと思います。

 

 

1.ロック史上屈指の歌唱力と牽引力のシンガーがいた。

 

 

一つは文句なしにこれでしょうね。フレディ・マーキュリーのヴォーカリスト、フロントマンとしてのカリスマ性ですね。

 

こと、歌唱力においては、ロック史上でも限りなく上から数えた方が早いでしょう。ひとつは、その音域の圧倒的な広さですね。彼はファルセットの名手としても知られているんですが、むしろ、それをあまり多用しなくなった80年代以降の方が歌としてはすごいですね。特に、その写真のような時期ですね。このころは、ファルセットを使わずにどこまで高いキーを大きな声で出せるかに挑戦したかのような迫力があります。例えば名ソウルシンガーのマーヴィン・ゲイで、高いキーだと、♩ドレミファソラシドレミファソラと音域を上げていった場合、だいたい一番高いキーは2つ目のラかシのフラットか、です。だいたい、そのくらいまでのキーが出せると、ロックでもR&Bでも高音部がかなりセクシーな感じでカッコよく聴こえるものなんですが、フレディの場合は、三つ目のドレミファの初めのあたりくらいまではヒットできますからね。しかも、彼の場合、そういう箇所を、ためてキメで出すんじゃなくて、一小節の間で急に音を上げたりしてくるので、曲調にものすごいダイナミックなレンジがでます。だけど、これが本当に難しい。「伝説のチャンピオン」のサビ前とか、サビ中とか「地獄へ道づれ」のサビ入りとか、「レディオ・ガガ」のサビ前の8小説とかですね。極めて難しいです。鼻歌でさえキツいもの(笑)。なので、クイーンの場合、一般の男性がフレディと同じ音域で歌うのは、ほぼ不可能です。

 

 

あと、歌唱だけじゃなくて、フロントマンとしての身のこなしとか、煽りとかも見事です。

 

 

 

特に有名なのが、このレロレロレーってヤツですね。こんなこと、芸風にできるシンガー、今いません。これ、僕が人生で初めていったライブで、いきなりこれやられてビックリしたものですが、それから36年、誰一人としてこれやった人、いませんからね(笑)。

 

 

2.最大のゲイ・アイコンとしてのフレディ

 

 

そして、続いてはロックにおける、ゲイ・アイコンとしてのフレディですね。

 

今でこそ、「ゲイのアーティスト」というのは珍しくないものなんですが、70sとか80sだと、すごく大きなものでしたね、やっぱり。70sの時点でグラムロックとかあったし、80sでも、今から考えたらあからさまな男性2人のシンセポップ・デュオとかあったんですけど、それでも、そうしたセクシャリティを詮索するという行為は、当時のリスナーはまだしていませんでしたからね。

 

 その中でフレディというのは、エルトン・ジョンと並んで、かなり長いこと、「ゲイ説」というのは上がっていましたけど、それを公に認める行為はなかったんですよね。ハッキリと公言したのは、1991年11月の、死の直前に公表したビデオまでないですね。ただ、わかってはいたはずなんですけど、あの時期でもかなり世が騒然としたものですからね。ただ、あの時の勇気ある宣言が音楽シーンにもたらしたものはかなり大きかったと今にして思いますね。

 

 

3.ワールドツアーの未開地域の開拓者だった

 

 1、2は、もうだいだい、現在の若い人にまで知られた話ではあるんですが、ここからは勢い忘れがちになる話をしましょう。

 

 クイーンの人気というのは、地域によらず、ずいぶんインターナショナルです。「日本で最初に火がついた」と言われるほど、初期での日本の人気が高かったことは有名ですが、彼らの場合、ヨーロッパやアメリカにとどまらず、南米、アフリカ、東欧でも知名度があります。その理由は、彼らがそういう地域を積極的にツアーしたからです。

 

 

 

 まず、その最初のものが1981年2月の南米ツアーですね。この時、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ベネズエラ、メキシコと回っているんですが、その当時、ここまで規模の大きい南米ツアーやったアーティスト、記録を紐解いても見つからないんですよ。それゆえに彼らは南米ではロックのアイコンとしては非常に大きく、それが1985年2月のロック・イン・リオで彼らはメイン・アクトとして大きくフィーチャーされた理由にもなります。

 

 

 そして1984年には南アフリカ共和国のヨハネスブルグでもツアーで行きます。ただ、これはちょっと問題にもなりましたね。理由はやはり、この当時のあの国はまだアパルトヘイトをやっていた際中でもあったので。

 

 

 

そして1986年には、一公演だけではあったんですが、共産圏崩壊直前の東欧でもライブをやっています。それがハンガリーのブダペストでの公演。これもすごい盛り上がりでビデオ・ソフトにもなっているのですが、この地域の開拓でも彼らはパイオニアです。クイーンと同じくワールドワイドな人気を誇るバンドとしてアイアン・メイデンが挙げられたりもするのですが、彼らもこの時期、東欧開拓を行ってますね。今、現在、人気が世界的でカリスマになっている人たちというのは、こういうツアー地開拓の積極的な展開を行っていたがゆえなんですよね。

 

 

4.メンバー4人がビッグ・ヒットを持ったソングライター

 

 

そして、これも勢い忘れられがちなんですが、クイーンの場合、4人全員がビッグ・ヒットを持ったソングライターです。

 

 こういうバンド、珍しいですよ。だって、ビートルズだって、そりゃ、4人が全員でソロで1位の全米ナンバーワン・シングルありますけど、リンゴってソングライターとしては怪しいじゃないですか(笑)。そこへ行くと、クイーンの4人の単独ソングライターのヒット、見事です。

 

代表例で見てみると

 

フレディ・・「ボヘミアン・ラプソディ」「伝説のチャンピオン」

ブライアン・・「ナウ・アイム・ヒア」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」

ジョン・・「マイ・ベスト・フレンド」「地獄へ道づれ」「I Want To Break Free」

ロジャー・・「レディオ・ガガ」「カインド・オブ・マジック」

 

これだけ均等にヒット曲がメンバー全員にあるバンド、他に知らないですね。メインのソングライターって、いても大概、バンド内に2人なんですが、こんな風に4人もいるバンド、他に僕は知らないですね。これができたからこそ、ビートルズ的な、「全員が好きなこと持ち寄り」の音楽が可能だったんだと思います。このポイントはもっと語られてしかるべきだと思います。

 

 

5.4人揃って、強い癖のあるプレイヤー

 

 

そして、メンバ−4人とも、ソングライターだけでなく、プレイヤーとして見事です。

 

まず、フレディですが、傑出したシンガーであることは前述しましたが、ハーモニー・メイカーとしても優秀です。

 

 

その例を示すのは、この「ボヘミアン・ラプソディのハーモニーの作り方」みたいなビデオですね。かなりのトラック数使って、かなり複座なことをやっています。

 

この辺りの事って

 

 

実はフレディって、デビュー前にラリー・ルレックスなる変名でソングルを出しているのですが、その時の曲がビーチボーイズのカバーなんですよね。ビーチボーイズといえば、ブライアン・ウイルソンのハーモニーへの偏執狂的なこだわりが有名ですが、クイーンのそれもフレディがいたからこうなったと思うし、こういうところでその影響が仄めかされているのも面白いです。

 

 

ブライアン・メイのギターの、あのクラシカルで華麗なギター。あれもかなり早い時期から完成というか、クイーンの中で最初に確立されたアイデンティティだと思います。彼の場合、「自分で作ったギター」というのがすごい話題になった人でもあるんですけど、彼の弾き方真似するだけで「クイーンっぽい」サウンドを出せるのも特徴です。

 

 

そして、ロジャー・テイラーも、かなりクセの強いプレイします。彼の場合は特にミドル・テンポの曲でのドラムが印象的です。特にハイハットとシンバルの「パシシーン!」ってやつですね。これが他のバンドに比べてかなり耳に残ります。あと、AメロBメロはキックでリズム作るタイプなんですけど、そのキックの音をかなり大きめに録音するのもクイーン、クセありますね。

 

 

 

そしてジョン・ディーコンのベースなんですが、かなりメロディックで、かなり細かく動きのある指の運びする人です。跳ねるタイプのファンキーなタイプでは決してないんですけど、その分、短いフレーズの中で表情豊かなベースを弾きます。この見事なトリビュート・カバーのビデオ見ると、そういうことハッキリわかりますね。

 

 

6.半永久的に売れ続けるベスト盤

 

 そして、最後に、クイーンというバンドを今日まで影響力強いものにさせ続けているものを紹介してシメましょう。

 

 やはりコレです!

 

 

この「グレイテスト・ヒッツ」です。発表は1981年11月。日本だと1982年の元旦でした。小6だった僕がお年玉もらって、北九州の小倉のショッピング・モールで買った人生最初のレコードがコレだったので、メチャクチャよく覚えてます(笑)。

 

 

 これですが、延々売れ続けています。イギリスでは現時点でこれ、848週、トップ100に入り続けています!これ、年数に直すと、ほぼ17年ですよ!すごいなあ。これよりチャート・インが長いのABBAの「Gold」の860週だけですね。

 

 

 ちなみに1991年リリースのグレイテスト・ヒッツ2も163週、3枚のベスト盤そろいのセットで214週という、考えられないヒットです。

 

 アメリカでも、イギリスほどじゃないにせよ、200週以上はトップ200に入っているアルバムです。そう考えると、影響力の強さ、わかるでしょ?これから「ボヘミアン・ラプソディ」の公開があるから、もっと長く売れるはずです。

 

 これが売れる理由としては上記の流れももちろんありますけど、「やる気にさせる歌詞」の存在も大きいかもしれませんね。「伝説のチャンピオン」とか「ドント・ストップ・ミー・ナウ」とか、ああいうタイプの曲。これ、ABBAもそうだし、ボブ・マーリーも700週以上ベスト盤がイギリスのチャートに入ってますけど、やはり人生信条になり得るタイプだからか、強いんですよね。

 

 

・・といった感じでしょうかね。自分で書いてても、「やっぱり偉大だよなあ」と思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 18:47
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