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「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」第9回 1998-2008

どうも。

 

「非英語圏の101枚の重要なアルバム」、いよいよ残り2回となりましたが、最後から2番目はこんな感じです。

 

 

 今回は1998年から2008年までの10年について紹介しましょう。前回では、オルタナティヴ・ロックの存在が非英語圏でも定着したことを書きましたが、これがミレニアムから21世紀にどうなったかを書きたいと思います。

 

 

Gear Blues/Thee Michelle Gun Elephant(1998 Japan)

 

 

 では、まず日本から行きましょう。ミッシェル・ガン・エレファントです。

 

 日本のポップ・ミュージックの90年代ですが、すごかったと思います。表向きには「タイアップとV系の時代」のようにも一見見えた時代ではあったんですが、その裏のオルタナティヴな音楽文化がすごかった。渋谷系とタワーレコード、HMV、90年代前半だけならヴァージン・メガストアも加えていいと思いますが、外資系CDショップの乱立文化ができて以降、日本国内の、一般的なヒットチャートでは価値がはかることができない、まさにもう一つ(オルタナティヴの英語上の意味はこんな感じです)の音楽文化がいろんなジャンルで出来上がりましたからね。ロックだけでも、いわゆるインディ・ギターバンドだけじゃなく、メロコア、スカコア、ミクスチャーでそれぞれシーンがあったし、エレクトロでも、R&B/ヒップホップでもそれぞれシーンがあった。アメリカでのそれと比べて、足りてないシーンというのがなかったですからね。

 

 あの当時、優れたバンド、たくさんいたんですけど、一つ挙げるならこのミッシェルですね。国内シーンのここまでの層の厚さは、フジロックやサマーソニックの国内組を支え、さらにはライジング・サンやRIJといった日本のバンドのフェスを全国規模に広める役割を果たしたものですが、ミッシェルはその中で頂点の存在でしたね。とにかく、ロックンロール・グルーヴのスピードと切れ味と破壊力。そして、その爆音に込められた深い音楽的造形に裏打ちされた知性。これに関して言えば、あの当時、世界的に見て彼らのロックンロールはトップクラスのカッコよさでしたね。90sのグランジ/オルタナの時代に響かせても十分クールでしたが、今から振り返って考えても、2000sのロックンロール・リヴァイヴァルの時代をも先駆けたようなカッコよさがありましたからね。

 

 とりわけ、96〜98年くらいのミッシェルは客の熱気でライブ会場が破壊だの、これまでイス席しかなかった会場がオールスタンディングに変わるだの、全国のライブ会場に伝説を残していきましたが、頂点となったのは、このアルバムが出る数ヶ月前にやったフジロックでの炎天下での、6回だったかな。モッシュが崩れての中段騒ぎがありました。その時にチバユウスケが「お前ら絶対に死ぬなよ」って言ったんですが、あれは日本のフェスの黎明期に残る名場面でしたね。

 

 ミッシェルはこのアルバムで、シングル・ヒットも妥協もない音楽性で50万枚を売り、さらにはあの当時の日本の他の気鋭のアーティストと同じく海外でもアルバムをリリースして好評を博します。2000年にはブランキー・ジェット・シティと共にフジロックのヘッドライナーを飾りますが、日本人アーティストで同フェスのソレを務めたアーティストは今日に至るまで存在しません。それを考えても、どれだけ特別な存在だったかは明らかです。

 

 ミッシェルは2003年に解散しますが、その頃には、これまで”もう一つの”流れでしかなかったシーンはかなり一般的なものとなり、今では日本で”バンド”といえばインディ・ギターバンドっぽいイメージにもなっているようですけどね。ただ、それもやはり、あの90sの時のような巨大なマグマあってこそのものだと思いますけどね。

 


Agaetis Byrjun/Sigur Ros (1999 Iceland)
 

 

 続いてはアイスランド、行きましょう。シガーロスです。

 

 時代が21世紀に差し掛かる頃、彼らの登場もかなり衝撃的なものがありましたね。全編にわたって何語なのかさえわからない謎めいた言語を終始ファルセットで歌われるのもかなりミステリアスでしたが、それを、その歌声にピッタリな、壮大ではあるのだけれど同時にすぐに壊れてしまいそうでもある繊細でファンタジックな音像で築き上げた、まるでどこか他の世界からやってきたかのような不思議な音楽。初めて生で体験したのは2000年、富士急ハイランドで行われた時のサマーソニックで、冷房のない小さな体育館みたいなところで体操座りしながらでしたが、うだるような汗をかきながら、気持ちが昇天していたことをしっかり覚えています。

 

 この当時のシガーロスは、ちょうど「キッドA」の頃のレディオヘッドからも強く推薦されていたこともあり、「旧来のロックを解体して前に進める存在」として、かなり高く期待されていましたね。時代はちょうどポストロックの時代。アメリカでグランジ/オルタナティヴ、イギリスでブリットポップと、大きなムーヴメントが終わった後だっただけに、そのある種の失望感もあって、「どうやったらロックは現状を打破できるか」と、その先を求める一部メディアやファンからの期待を受けていたものです。

 

 ポストロックのブームそのものは、日本でとりわけ熱中した人が多かったですね。日本人の場合、音楽でもなんでも「型」を求めるタイプの人が多いし理屈っぽいところがあるからそうなりやすかったのかもしれません。ただ、観念的すぎてわかりやすさに欠ける音楽性ゆえか、あるところまでで行き詰まってブームそのものもいつの間にか終わっていたものでした。

 

 シガーロスが良かったのは、そうした理念だったりとか、計算されたインストとかとはかけ離れた、あくまで雰囲気だったりイメージで勝負できたバンドだったことですね。そこのところが、理屈で聞きたがる人以外に、もっと気楽に「ファンタジックで素敵な空気感」をインテリア感覚で感じたいような人にも強くアピール出来ましたから。これ、ビヨークもそういうところあったんですが、やはり「アイスランド」という、「北の果てのミステリアスな小さな国」、という地域の印象が彼らの音楽が持つ神秘性を印象操作で演出していたことは否めないですね。

 

 そして、このシガーロスの登場から後に、アイスランドからワールドワイドな活動を展開するアーティストは激増し、今や同国は、良質ポップ・ミュージックを求める人たちにとっての経緯の対象にまでなっています。

 

 

Zemfira/Zemfira(1999 Russia)
 

 

 続いてはロシアに行きましょう。ゼムフィーラです。

 

 80sに開花したロシアン・ロック・シーンですが、90年代の末から21世紀は完全に女性シンガー、ゼムフィーラの時代です。1976年に生まれた、ゼムフィーラはこんな感じの人です。

 

 

デビュから今日に至るまで、ほぼずっと、こういうイメージの人です。そんな彼女は、「ロシアン・ロック第2世代」というべき存在で、学校でクラシック音楽の英才教育を受けながら、同時に、ここでも紹介したキノーやアクアリウムといったロシアン・ロックの立役者を聞いて育ち、コピーもやっていたということです。当初はバスケットボールのロシアチームの中学生代表のキャプテンを務める程の腕前だったらしいのですが、やがて西欧のロックにものめり込む感じで音楽に没入したようです。

 

 ゼムフィーラは1999年にこのデビュー・アルバムを出すや否や、一大センセーションになり、そこからトップ・アーティストになります。その理由は幾つかありますね。一つは、彼女の書く曲の洗練され加減ですね。これまでロシアン・ロックって、かなりダークでモソモソ歌う印象があったんですが、彼女の場合は、極めてよく通って伸びるアルト・ヴォイスを生かしたスケール感の大きな、リズミックなロックを歌う印象があります。そして二つ目は、彼女が女性シンガーであったこと。これまでロシアのロック界というのは、かなり男性上位の世界で女性の入り込む余地がなかったらしいのですが、彼女がそうしたロシアのロックの地図を完全に書き換えてしまったようなのですね。

 

 あと、ゼムフィーラでもう一つ特筆すベきは、彼女がレズビアンであることがあります。彼女はレナータ・リトヴィノーヴァという、本国ではかなり大物の女優さんと長きにわたり恋愛関係にあることでも知られているのですが、プーチン政権下のロシアがLGBTに非常に不寛容であることはロシアW杯の際にも報道されてましたが、非常に悪名高いです。そんな世の中で、まず堂々とステージでユニセクシャルな雄姿で歌い、更に私生活でも信念を通す生き方を貫いているわけです。彼女が他の国のアーティストであったとしてもかなりロックなアティチュードだと思うのですが、それをロシアでやるわけですからね。2003年頃に、ロシアからは全世界的にブームになった少女デュオ、t.a.t,uが出ましたが、ああいう作り物でなく、筋の通った本物ならちゃんと存在したわけです。

 

Veni Vidi Vicious/The Hives(2000 Sweden)
 

 

 続いてスウェーデンです。ご存知の方も多いでしょう。ザ・ハイヴスです。

 

 2000年代前半。まだ、イギリスのメディアが「ブリットポップの次に来るもの」を模索していた時代に、ザ・ハイヴスはタイミングよく登場しました。「初心に戻ったアーティなロックンロール」、ロックンロール・リバイバルがザ・ストロークスやザ・ホワイト・ストライプス筆頭に起こり、それに気を良くしたNMEは当時、”ニュー・ロック・レヴォルーション”と称して、新世代バンドのイベントもロンドンでよく打っていたものでしたが、ザ・ハイヴスもそこに加わり、イギリスだけでなく、アメリカでもかなりの注目を集めたものでした。

 

 あの頃のメディアが言うには、この新世代のバンドは名前に古めかしい「The+複数形」を冠し、ドレスアップして、荒削りな音で短い尺のシンプルなロックンロールを演奏する、というものでしたが、ザ・ハイヴスこそはまさにその見本中の見本でした。実際、60年代っぽいスーツ姿で、あの当時のミック・ジャガーみたいなステージでの煽りとジャンプをしてましたからね。まさに”ひょうきん”という古めかしい表現がぴったりのギャグ連発のフロントマンと、汗っかきのデブ・ギタリストに、ハゲ&ヒゲの老けたベーシスト。それがゆえにコミック・バンド扱いされることも実際ありました。

 

 ただ、それでも彼らの存在というのはかなり斬新でしたよ。一見、シックスティーズの焼き直しをしてるようで演奏のベースにあるのはハードコア・パンクだったりするし、キレがあってダンサブルなグルーヴは、ヒップホップやエレクトロのアーティスト達からも気に入られていましたからね。実際、あの当時、ファレル・ウイリアムスとかティンバランドとは共演もしているし、彼ら自身の楽曲でもエレクトロの要素を加えた”これからのロックンロール”の姿も提示されていましたからね。ブームが去った後でも、グリーン・デイやアークティック・モンキーズのワールド・ツアーでオープニング・アクトの抜擢も受けてたりもするんですけど、どうもあの時の「時代の徒花」的に誤解されているのは僕としても非常に残念です。

 

 ただ、このアルバムの名曲「Hate To Say I Told You So」「Main Offender」「Die Alright」が普遍的なロックンロール・アンセムである事実は変わらないし、彼らとザ・ヴァインズ、ジェットの存在が、北欧やオーストラリアのインディ・バンドたちに世界進出の希望を与えたことも紛れも無い事実です。

 

 

Mutter/Rammstein(2002 Germany)
 

 

 続いてドイツ、行きましょう。ラムシュタインです。

 

 日本も実際そうだったし、全世界的に見ても、オルタナティヴ・ロックの台頭は、それ以前のヘヴィ・メタルと音楽の境界線をハッキリと分けた印象がありました。たとえそれが、メタルの影響が絶対にあると思われるかなりハードなサウンドでも、ヒップホップやエレクトロ・ノイズなんかが入っていた場合、それは”オルタナティヴ・ロック”と見なされ、メタルとはみなされませんでした。ただ、そうすることによってやがて矛盾も生じ、「やってる側の気持ちはメタルバンドのままなのに、手法が新しいからって、それがインディの文系のロックと一緒くたに語られるのは、それってどうなのよ?」と疑念を抱く人も2000年代に入るとかなり増えてきたものでした。

 

 ただ、ドイツはその辺りの事情の飲み込みが早かったようですね。この連載でも4回目くらいから入っているように、ドイツは70sからエレクトロやダンス・ミュージックの国でしたから、『メタルのバンドがエレクトロの要素を入れる』ことも何ら不思議なことではなかったようで、そこでこのラムシュタインみたいなバンドも出てくることになります。彼らは1997年にセカンド・アルバムを出した頃にはドイツでは最大の人気バンドになり、こうしたサウンドをドイツで人気にし、それはノイエ・ドイッチェ・ハルテ(ニュー・ジャーマン・ハード)と呼ばれる流れになりました。

 

 彼らと似たようなサウンドならアメリカでもナイン・インチ・ネールズやマリリン・マンソンも先にやっていたのですが、ドイツでは彼らはラムシュタインが当たった後にブレイクしてるんですね。さらにKORNやリンプ・ビズキットみたいなミクスチャー系のバンドもそれは同様です。なので、アメリカで”ニュー・メタル”とこの後に呼ばれるようになったサウンドがドイツではそのままノイエ・ドイッチェ・ハルテに当てはまるようになりました。

 

 このアルバムは、彼らが本格的に国際進出を目指したアルバムでしたが、かなり成功しました。この当時、何が驚いたかって、彼らがドイツ語の歌詞のままで世界的に成功したことです。メタルがどれだけ国際的になっても、「英語で歌う」ことがこインターナショナル・ヒットの絶対条件と思われていたところが、それを打ち破ったわけですからね。さらに、ここのシンガーの声と、ドイツ語のRの巻き舌が妙にクセになるんですよね。あと、とにかく炎が大好きな過激なライブ・ショーね。僕も一回見たことがありますが、もう一つの曲芸として立派なものでしたね。言葉の壁はあっても乗り越えるだけのアクの強さがあったということでしょう。

 

 その後、アメリカでは2000s後半にニュー・メタルがエモに人気を取って代わられ人気が下火になりましたが、ドイツでは相変わらずノイエ・ドイッチェ・ハルテは大人気で、今やドイツはニュー・メタル・バンド(オールド・メタルも同様ですが)の商業的な拠点となりました。ラムシュタインは2011年から活動を休止していましたが、現在、新作をレコーディング中みたいですよ。

 

 

Tocotronic/Tocotronic(2002 Germany)
 

 

続いて、今度もドイツ行きましょう。トコトロニックです。

 

ドイツのロックのメインストリームでノイエ・ドイッチェ・ハルテが大きなものとなった反面、文科系なインディ・ロックもその対抗馬としてかなり強いものとなります。それを支えたのが「ハンブルガー・シューレ」と呼ばれたシーンです。

 

 「ハンブルグ学校」という意味のこのシーンは、文字通り、「ハンブルグでのインディ・ロック・シーン」という意味でしたが、これは日本で言うところの渋谷系、アメリカで言うところのグランジ/オルタナ、イギリスで言うところのマッドチェスターからブリットポップを意味するインディ・バンドのシーンでした。このシーンはブルムフェルドというバンドをリーダー格にして、数多くのバンドを90sの半ばに生み出しますが、その中で最も商業的に成功したのがトコトロニックです。

 

 1993年にハンブルグの大学生4人で結成されたトコトロニックですが、当初は思いっきりその当時のUSインディ・ロック、そのまんまをやってましたね。ペイヴメントとかダイナソーJrとか、曲までソックリでしたからね。しかも、演奏は超ド下手。良くも悪くも「アメリカの最先端に憧れるドイツの学生」といった感じでした。ただ、それでも、もうドイツではその当時からコアな層にはカリスマだったんですよね。それだけ、センスの良さを買われていたということでしょうか。

 

 そして、僕が彼らの作品を通して聴いて、「ここがターニング・ポイントだな」と思ったのが、2002年リリースのこのアルバムですね。ちょうど、この前に初期ベスト盤が出てるんですけど、そこで気持ち的に一区切りがあったのか、ここからの作品はそれまでのような”ロール・モデル”を背後に感じさせる作品ではなく、彼ら独自のオリジナルなインディ・ギター・ロックが聞かれるようになります。この時点でようやくドイツのチャートでトップ10に入るようになってきたんですが、2000年代の終わりくらいには遂にドイツのチャートで1位を記録。今や、ドイツ、オーストリア、スイスのドイツ語圏では大物バンドになってますね。

 

 そんな彼らの最新作は今年の初めに出てまして、これもドイツで初登場1位を記録しています。

 

 

Ventura/Los Hermanos(2003 Brazil)

 

 

続いてブラジルに行きましょう。ロス・エルマーノスです。

 

ブラジルでも、2000年代には、「ラウド・ロック」と「文科系インディ」のバンドがハッキリ分かれるような状況になりましたが、後者の代表的存在がリオの4人組、ロス・エルマーノスですね。

 

 このバンドは1999年、「Ana Julia」という、ウィーザーのファースト・アルバムの曲に雰囲気が似たナンバーで、シングル・チャートの1位取るくらいに大ヒットするんですよね。それで勢い”一発屋”みたいな見られ方もされるときがあるんですが、彼らがアーティストとしての確かな成長を見せたのは、それ以降のアルバムです。

 

 そんな彼らの最高傑作と言われているのが、2003年発表のこのサード・アルバム。このアルバムはバンドの2人のフロントマン、マルセロ・カメロとロドリゴ・アマランテの二人の個性の台頭が著しいアルバムですね。マルセロはウィーザーぽさを持ってた人なんですが、甘美なギター・ロックのセンスを、よりシンガーソングライター的に職人的なポップセンスで細密画のように細かいアレンジの曲を作るようになります。それはギターのコード進行のセンスから、アナログ・キーボードやホーン・セクションのアレンジに至るまで。60年代のところで紹介したカエターノ・ヴェローゾみたいなセンスの持ち主ですね。

 

 一方、もう一人のロドリゴの方は、マルセロと似たようなセンスも持ちながらも、この当時に彼が傾倒していたザ・ストロークスのようなギター・ロックで強みを見せます。ストロークスのあのひび割れたようなギターとメトロノームみたいなスネアをそっくり自分のものにしているのに加え、歌声までジュリアン・カサブランカスにそっくりですからね、彼(笑)。実際、この数年後に彼は、当のストロークスのドラマー、ファブリツィオ・モレッティとユニット、リトル・ジョイまで組むほどになります。ファブリツィオも生まれ、ブラジルなんですけどね。

 

 彼らはブラジルのインディ・シーンでは誰もが認めるトップバンドになります。ライブでの熱狂ぶりとかすごいですよ。こんな感じですからね。

 

 

 

2000年代の後半、ブラジルからはCSSが登場し、日本でも人気でしたが、彼らの口からも「ロス・エルマーノスこそ最高のバンド」という発言が実際に出てましたからね。ただ、残念なことにエルマーノスは2007年に活動休止。以降はごくたまにツアーはやってますけど、作品は作らずじまいでソロでの活動が続いています。

 


Robyn/Robyn(2005 Sweden)

 

 

 続いてスウェーデンに行きましょう。Robynです。

 

 2000年代のニューヨークやロンドンをはじめとして、英米やヨーロッパだと、インディ・ロックで踊るクラブが、エレクトロを並行してかけて盛り上がる流れがありました。それは初期だとニューヨークのエレクトロクラッシュだったり、イギリスだとポストパンク・リバイバル以降のニュー・レイヴのバンドだったり、フレンチ・ハウスだったりしましたが、その中の一つにスウェーデンからのエレクトロもありました。

 

 その代表的なアーティストとしては男女デュオのザ・ナイフ(現在はソロ名義のフィーヴァー・レイとして有名か)がまず挙げられますが、こと人気で行ったらこのRobynの方が上ですね。

 

 Robynですが、彼女、元々はスウェーデンの人気アイドルだったんですよね。90sに10代でデビューしてて、当時からトレードマークのハイトーンのねちっこい歌い方そのものは同じなんですが、曲調は、あの当時のTLCとかモニカ、ブランディみたいなアメリカのR&Bみたいな感じだったんですよね。その頃、日本でもアルバムが出てたので耳にしてはいたんですけど、「スウェーデンだと人気かもしれないけどね」といった感じで、そこから先にウケるような印象はなかったですね。

 

 ただ、それがガラリと変わったのが、この4枚目のアルバムですね。ここでRobyn女は、サウンドを押し付ける前のレーベルと決別して、自分の求めるサウンドで勝負し始めます。彼女はこの頃のニュー・レイヴ系で人気のあったテディベアーズのクラス・アールンドをソングライティング・パートナーにつけ、硬質でクールかつ鋭いエッジの電子音に乗った、感情抑えめなエレクトロ・ポップを展開します。唯一感情的なのは、曲のサビ近くから顕著になる、彼女の喉から強引に振り絞られる、甘さと痛々しさの両方を感じるヴォーカルのみ。とりわけ、語尾の粘っこい伸ばし方は聞いててクセになります。

 

 このアルバムはイギリスで11位まで上昇し、「Who's That Girl」など4曲のシングル・ヒットが出たことで一躍国際的に注目されます。それはさらに、2010、11年にリリースされた2枚の連作EP(のちに合体しアルバムに)「Body Talk1&2」の批評的大絶賛され、エレクトロの世界では見逃せない女性になります。また、マドンナやケイティ・ペリーをファンにつけたことで、彼女らを通じてよりポップな方向性でファンをつかむことにも成功します。

 

 これ以降、ちょっと沈黙していたのですが、2018年、いよいよ新作が出るようですよ。

 


Le Dimensioni Del Mio Caos/Caparezza(2008 Italy)

 

 

 続いてイタリアに行きましょう。ラッパーのカパレッツァです。

 

 カパレッツァは「イタリアのエミネム」の異名をとるほどに、本国では物議とともに国民的人気のラッパーとして有名です。そんなカパレッツツァは、イタリアの片田舎、「南北問題」と言った時に必ず貧困が話題となる南部のプッリャ州出身。90年代に一度、別名義で「ラップもできるR&Bシンガー」みたいな感じでデビューもしていましたが、2000年代に入って、本性を現すべく、アルター・エゴ、”カパレッツァ”として生まれ変わります。

 

 ここから「アウロヘア&無精髭」が強烈なトレードマークとなったカパレッツァは、ユーモア感覚とともにイタリア社会や同国の音楽界をぶった切るラップで人気を獲得し始めます。2003年には既にイタリアのチャートでアルバムがトップ5に入るほどの人気になっていました。

 

 このアルバムは2008年に発表された、彼の最高傑作と目される1枚です。このアルバムはコンセプト・アルバムなんですが、これが良い意味ですっごく変なストーリーです。それは、よく言えばタイムスリップ・ラヴ・ロマンス。1968年にジミ・ヘンドリックスに狂っていたヒッピー女性ラリアが、ひょんなことでタイム・トラベルして2008年の現在に飛びます。そこでラリアはジミヘンと同じアフロヘアのカパレッツァに興味を持ちますが、カパレッツァも、まだイタリアが性大国だった60年代だった頃の感覚を持つラリアと出会うことで、今日の抑圧されたイタリアに疑問を投げかけるようになる・・・みたいな話です。そうしたコンセプト上の影響もあり、このアルバムではかなりハードロック・ギターのサンプリングが目立ち、トラックそのものもジャンルを超越した自由さが目立ちますね。さしずめ、2000年代前半の頃のアウトキャストに近い縦横無尽な自由さが溢れています。

 

 以後、カパレッツァはイタリアではカリスマ中のカリスマで、2017年後半に出た最新作を含め、ここ2作連続してアルバムがイタリアで1位を獲得しています。現在のイタリアを知りたいなら見逃せない存在になっていますが、そんな彼のリリックは、イタリアのポップ・カルチャーにかなり突っ込んだものでもあるとか。そうしたイタリアのサブカルチャーも知ってみたいですけどね。

 


Los De Atrás Vienen Conmigo/Calle 13(2008 Puerto Rico)

 

 

 今回のラストはプエルトリコです。アーティストはラップ・グループ、カイエ13(トレーセ)です。

 

 80年代にはロックがスペイン語を共通言語として中南米に拡大したという話はここでもしていますが、その20年後にはヒップホップで同じことが起きています。どこの国でもスペイン語によるヒップホップのシーンはありますが、その中で最も影響力を持っているのがプエルトリコのこの3人組です。

 

 彼らはラップ担当のレジデンテ、トラックメイキング担当のヴィジタンテ、女性バック・ヴォーカルのイレアナの3人から構成されますが、とりわけ注目されているのがレジデンテの社会的なラップですね。彼のラップ・スタイルはいわゆるギャングスタ・ウォナビーから距離を取ったもので極めて’珍しく(中南米はドラッグ・ディールの世界的な本場ですからね)、それよりはむしろ激しい社会批判や風刺に満ちたもので、その社会を見る目は常に高く評価されていますね。同時に「政治家になりたいか?」との問いには「そんな存在になってしまったら終わりだ」と語っているほど、「自分のやるべきこと」に対しての強い自覚を持っている人です。

 

 そして、ヴィジタンテによるトラックメイキングも秀逸です。彼はエレクトロやロックからサンプリング・ソースを持ってくるだけでなく、”ラティーノ・ヒップホップ”の自覚が非常に強い人で、サンバやサルサ、フォルクローレに至るまで、中南米の伝統音楽から引用を持ってくるのが得意な人です。

 

 3枚目に当たるこのアルバムでは、彼らのそんなラティーノ・アイデンティティが頂点に達した作品ですね。ここでは前回紹介したメキシカン・オルタナティヴ・ロックの雄、カフェ・タクーバ、そしてパナマが誇るサルサ王、ルーベン・ブラデスとの共演を行うなど、中南米の他のジャンルの大御所たちと組むことで、ヒップホップの枠を超えた新たなラテン・ミュージックの創造を行っています。

 

 このアルバムで彼らは2008年のラテン・グラミー賞で最優秀アルバムを含む5部門で圧勝。彼らはこの次のアルバム「Entren Los Que Quieran」では、マーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲス・ロペス、アフリカン・ミュージックのキング、フェラ・クティの息子セウン・クティと共演し、その視野をさらにグローバルに広げ、2011年のラテン・グラミーでは9部門を制覇する偉業を成し遂げています。

 

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 07:40
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