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ジョン・ヒューズ一周忌
 どうも。


サマソニ話の続きで行くと、僕はどうしても昨年起こったことを忘れずにはいられません。




はい。80年代を代表する映画監督ジョン・ヒューズ、こちらの時間(6日)だと今日が命日です。そして、それはまさに、サマソニ初日の朝のことでした。僕がちょうど横浜の家を出ようとしてるまさにそのとき、携帯メールが鳴りました。それはHard To Explainでも映画のコーナーを書いてもらってる大石君(20代最強の映画の語り手!)からで、そこには「ジョン・ヒューズが亡くなった」という信じられない文字が…。その日は世間一般的には酒井法子容疑者の逃走劇(これもサマソニのアーティストの出演待ち時間で方々で話されてた)だったんですけど、もう、僕的にはジョン・ヒューズのことしか頭に入りませんでしたね。


僕とジョン・ヒューズとの出会いと言えば、この曲でした。

 


1985年の春に大ヒットしたシンプル・マインズの「Don't You(Forget About Me)」。まだ当時テレ朝でネットしていたMTVの「MTV Countdown」で1位取ったんですよ、この曲が。すごい好きな曲で興味持って話を聞いてみると、「これは『ブレックファスト・クラブ』という映画のサントラの曲らしい」ということが判明。それで気になったのかな。


でも、福岡という場所柄のせいだったのか、少なくとも僕が住んでた北九州にこの映画が来た記憶が当時は全くナシ。で、そのまま受け流していたら、翌年、今度はOMDの「If You Leave」という曲が全米トップ10ヒット。で、これもどうやら「ブレックファスト・クラブ」に出てたのと同じ女のコが主演してる映画の曲であることを知ることになります。それが




それが「プリティ・イン・ピンク」で主演の赤髪のショートカットの女の子がモリー・リングウォルド。この映画はすごくニュー・ウェイヴ色のメッチャクチャ強い青春もので、当時すごく見たかったんですが、この当時「恋人たちの街角」とかいうありえない邦題をつけられた挙げ句、これも福岡県での公開の記憶がほとんどない。で、当時、「これはなんかカッコ良さげだ」と思っていたニュー・ウェイヴもMTVでメタル・ブームに取って代わられたせいで一般的には「過去のもの」みたいな感じに見えたりもして。今から考えると、これが「MTVニュー・ウェイヴ」から「末期ニュー・ウェイヴ〜インディ/オルタナ」への流れの架け橋的なものだったんだよなあ。スミスとかニュー・オーダーとかエコー&ザ・バニーメン入ってたわけだから。


で、大学に入学してみたら、何人かすごいスミスとかニュー・オーダーがとびきり好きな人がいて。で、同学年のその親友のメンバー名簿の欄とか見ると「好きな映画」に「ジョン・ヒューズもの」とか書いてあるわけですよ。で、「それってなんだっけ?」と思っていると、それがまさに「ブレックファスト・クラブ」や「プリティ・イン・ピンク」を手がけた人で。さらにその人が当時「ホーム・アローン」の脚本も手がけていたというところで気になって、そのときにはじめてビデオ借りて見たんですね。そしたらそれが面白くて。ただ、もうそのときは90年代にもう入っていたこともあり、80sのニュー・ウェイヴの部分に関してはちょっと古く見えたりはしたんですけど。で、その流れで、その当時のビデオ屋レンタルの人気作でもあった、同じくヒューズの関連作である「フェリスはある朝突然に」や「恋しくて」も見て…という感じでしたね。その当時の印象としては、「すごくスマートでエッジの効いた青春もの作る人」「痛快なコメディ書ける人」という印象でしたね。



…で、そのあと、しばらく忘れてたんですが、2007年の秋口くらいから、僕を突然、リアルタイムや大学時代と比較にならないジョン・ヒューズ熱がふりかかることになります。そのときちょうど「スーパーバッド」や「JUNO」といった、ちょっとマニアックな感性持ったギークな少年少女の青春映画がアメリカで台頭して来たんですね。で、この二つをいたく気に入った僕はこれについて掘り下げて調べていくことになるんですが、その時に出て来たキーワードが「ジョン・ヒューズ・リバイバル」というものだったんですね。それで、「ああ、なるほど!」と思っていたら、Hard To Explainの後の映画担当、ciさんに、彼女が生まれたのがまさにその時代の若さにも関わらずそのとき80sブームが来てて、「プリティ・イン・ピンク」のアナログLPを誇らしげに持ってたりしたわけです。で、そのことをうちの妻に言うと「それはクール!ジョン・ヒューズは欧米だと今や青春のクラシックだもの」と言うことになり、改めて「ブレックファスト・クラブ」を皮切りに、過去に見たものを全て見返したんですが、見え方が全然違って改めてビックリしましたね!90sの頭に古くさく見えた80sのトンがったニュー・ウェイヴやファッションの部分が一回りしてカッコよく見えたり聞こえたりしたのはもちろんのこと、こうした要素が逆に「80sでなければ出来なかった時代の特性」みたいなものがハッキリ見えて来て逆に強い個性を感じました。「フェリス〜」でのシンセサイザーを駆使したいたずらなんて、あの時代だからこそ出来たものなのは間違いないし。で、そうでありながら、「フェリス〜」も「プリティ〜」もそうだけど、ジョン・ヒューズ自身の青春の1ページだった60sの音楽がさりげなく盛り込まれる芸を垣間見せることで「青春の普遍性」もうまく表現してるは。そして、普段クラスでは「変わり者」として扱われているキッズたちが、実はクラスで目立ってる体育部やチアリーダーなんかよりも感性が尖っててクールであることも。これって、いつの時代の学園生活にもずっと存在してることなのに、ハリウッドではなぜか描かれることが少なかった。そうしたもののルーツがそこにあったのか…。そう思うと、止まらなくなりました。ついでにまだ見てなかった「ときめきサイエンス」や「すてきな片思い」ももちろん見ました。


で、それから1年くらい経ったとき、「Hard To Explainの映画部門を強化したい」というときに、HTEのブログにもときたま登場するアサクラさんに紹介されることで、冒頭の映画ライター、大石君を紹介されたんですが、彼と初めて会ったその日、ジョン・ヒューズの話で意気投合して語り合うこと数時間(笑)!「ケヴィン・スミスやジャド・アパトウをはじめ、今のアメリカ映画の青春ものやコメディの基礎を作ったようなものだ」と「ジョン・ヒューズなら研究論文が書けるレベルだ」と言う彼に諭され、その教えに従い、今は亡き巨漢コメディアン、ジョン・キャンディを主演にすえた後期作品「大災難PTA」や「おじさんに気をつけろ」、そして、これまでのヒューズ青春ものの少年が大人になったようなドラマ「結婚の条件(妻曰く「最も過小評価された不幸な作品」)」と見て、初期の脚本作と一般評価が残念なことになっている監督引退作「カーリー・スー」以外は一通り全部見ました。「もう、ハリウッドに戻ることはない」とされていた伝説の存在だけあって、「再評価熱で、いつかあるかもしれない」と復活にも期待を寄せていた矢先だったんですが、去年の8月6日、ニューヨークでジョギング途中、ジョン・ヒューズは心臓発作で倒れて急逝してしまいました。享年59歳。


…と言うのが、僕のジョン・ヒューズにまつわる思い出だったんですが、この急死のショックを受けて、その一ヶ月後に出たMUSEが表紙のHard To Explainには、僕とciさんと大石君の3人による入魂のジョン・ヒューズ追悼特集を掲載しました。これ、英米のエンタメ界でもものすごく衝撃もって迎えられた悲報で、Entertainment Weeklyのような映画雑誌はもちろんのこと、NMEやピッチフォークといったインディ・ロックのメディアまでかなりのスペースを割いて追悼記事を組んでいました。やはり”音楽”とか”映画”である以前に”ポップ・カルチャー”としてジョン・ヒューズは重要なアイコンだった、というわけです。



このエントリで、特に若い方なんかははじめてジョン・ヒューズのことを知られた方もいらっしゃると思うので簡単に略歴書きますね。ジョン・ヒューズは1950年シカゴ生まれ。脚本家としてスタートし「Mr.Mom」(83)などのヒットを残した後、1984年、「すてきな片思い」でデビュー。これが好評を博した後、85年の「ブレックファスト・クラブ」がさらに大ヒット。前作に引き続いて主演のティーンエイジャー、モリー・リングウォルドも一躍人気女優に。続いて「ときめきサイエンス」(85)に続いて、最高傑作の呼び声高いマシュー・ブロデリック主演の「フェリスはある朝突然に」を発表。同時期に、プロデュースのみの作品でも「プリティ・イン・ピンク」(86)「恋しくて」(87)の二つの青春ものもヒットさせる。スティーヴ・マーティンとジョン・キャンディが主演した「大災難PTA」(87)から路線が青春ものからコメディ路線(その兆候は「フェリス〜」で既にあったが)へとシフト・チェンジ。「結婚の条件」(88)、「おじさんに気をつけろ」(89)と続いた後、90年、クリスマス・シーズンに記録的な大ヒットとなった「ホーム・アローン」の脚本を手がけ、さらに名をあげることに。ここからキッズ路線に入り、91年には最後の監督作となる「カーリー・スー」を発表。以後、子供向け映画の脚本を稀に手がけるも実質上は故郷シカゴにこもり反引退状態に。ニュー・ウェイヴのサウンドとファッションで80sのサブ・カルチュアルなアイコンとなりながら、同時に興行的にも巨大な成功を収めた映画界注目の存在であるにもかかわらず、映画監督歴は実はわずか7年で監督作は8作品。しかも41歳の若さで監督業から足を洗ったということもあり彼のことを「ハリウッド版JDサリンジャー」と呼ぶ声さえ実際にあったほどです。


そして今年の3月のアカデミー賞授賞式においては

 



このように、ヒューズ作品のおなじみの出演者による「ジョン・ヒューズ・トリビュート」まで行われました。青春コメディ映画だと、なかなかオスカーあたりではお呼びでないことが多いのですが、こういう形で「本当に影響力があった映画はなんだったのか」が証明されたということは非常に意義のあることです。


そして、ここブラジルではこの8月、「ジョン・ヒューズ追悼月間」として、毎週水曜22時に、ヒューズ監督作4本がTV放映されます。「おじさんに気をつけろ」「ときめきサイエンス」「ブレックファスト・クラブ」「すてきな片思い」の4本。もっと見たい気は正直なところありますが、こうして特集してくれるだけでもすごくうれしいです。


本当は、ジョン・ヒューズ作品の個別の紹介も是非してみたかったところなのですが、もう既に長くなって来たので、それはこの場では割愛させていただきます。でも、もし要望があれば、そのときはトライしようと思ってます。ただ、ここでも、赤字にしてあるところはクリックすればトレイラーが見れるようにしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。とりあえず今は「これを読んで誰かヒューズの作品をTSUTAYAかゲオに行ってレンタルしてくれないかな」と思う限りです。

author:沢田太陽, category:映画, 03:34
comments(2), trackbacks(1), - -
Comment
亡くなって、もう1年ですか。ぼくも、中学、高校、大学時代、どっぷり、はまった口です。「すてきな片思い」は、中学時代、3回見に行きました。ヤー・ヤー・ヤーズの3rdも、ジョン・ヒューズへのオマージュとなっていますね。彼の影響の大きさを感じさせます。「結婚の条件」のサントラの、シンプル・マインズのメンバーがドラムをたたいている、カースティ・マッコールのスミスのカバーが大好きです。ぼくは、「プリティ・イン・ピンク」を見て、アメリカでも、スミスを聞いている人がいることを知りました。
T, 2010/08/08 2:36 PM
もちろん僕もです。彼のせいで(?)40歳にもなった今でもティーンムービーが大好きですからね(笑)。これはもう世代的な宿命で、80年代の映画が他の年代に誇れるものってスピルバーグと青春映画だと思うんですよね(や、ちょっと暴論かもしれないけど)。青春っていうとアレですが、映画が本当の10代に脚光を当てたのって80年代が初めてのような気がします。ティーンエイジャーのニューシネマっていうか(ヒューズは割とおとぎ話っぽいですけど)。そういった意味でエイミー・ヘッカリングと並んで、これからも永遠にレジェンドで有り続けるのなのかなと思います。全部彼らが始めたのだから。

「PTA」も大好きな映画です。映画館で大笑いしました。これもおとぎ話だったなあ。
daboy, 2010/08/09 3:06 PM









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