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AC/DCの思い出と、これから

どうも。

 

 

 

 やっぱりマルコムの死はショックですね・・・。

 

 マルコムは、この写真のように、決して表に出る人ではなかったものの、後ろでしっかりと弟アンガスとブライアン・ジョンソン(と、その前のボン・スコット)を不動のポジションで支える姿というのが一番印象的でした。あの、微塵の乱れもない彼のリフの刻みの中で、フロントの2人も自由にプレイ出来てた。あのフォーメーションこそが最高でした。

 

 

 マルコム自身の魅力については昨日再掲載した投稿で描ききっているとも思うので、今日は僕がどうやってAC/DCと出会ったかの話をしましょう。

 

 キッカケは、小学校卒業する頃ですね。その当時に、「アメリカでかなりのヒットを記録したヘヴィ・メタルのバンドがやってくる」という触れ込みで、音楽雑誌でも、地方のテレビ局でも、AC/DCって何気に紹介されていました。ただ、世界に比べて、その認知が少し遅れていたのかな。何も知らない子供心にも、どこかちょっと後追いな感じはしてましたね。

 

 初めて知ったのはこの曲でした。

 

 

 この曲は、「悪魔の招待状」という、大砲のジャケ写で知られるアルバムの先行シングルでした。これ、この当時の日本のラジオでも結構かかってましたね。ビルボードでも初めて1位になってね。「わあ、すごい人気あるんだあ」と思ってました。

 

 ただ、中学になったばかりbの子供には、ギターよりブライアンのしゃがれ声の方がやっぱり気になってたし、それからやっぱり

 

 

 

これ、この当時、買って持ってました。1982年8月号のミュージック・ライフ。このように、やっぱ主役はアンガスだったんですよね。やっぱ、この格好と、あのアクションされたら、誰でもそうはなりますけどね。

 

 

で、このあとAC/DCは一回人気が低迷するんです。オリジナル・アルバムが2枚連続でコケまして、落ち目の印象まであったんですが、1988年にこれで復活します。

 

 

 

 1988年、これが当時、僕が浪人生になる直前でしたけど、ちょっとした衝撃だったんですね。この当時、友人の影響などでメタルとかもかじってたんですけど、あの頃聞いたどれとも違って、音圧で勝負するんじゃなくて、鋭角的な切れ味とテンポの鋭い速さでグイグイ決める感じがね。これが、決定的に僕の好きなロックンロールのイメージになったんですね。

 

 

 それで、この頃にちょうどCDが廉価になり始めて、CDか作品が廉価で出始めたんですね。それで僕もリアルタイム以外のものを掘り始めたんですけど、その頃に僕の心を掴んでいたのが、もう圧倒的にエロスミスとAC/DCだったんですね。エアロも「パーマネント・ヴァケーション」じゃなくて、70sを掘り下げた時に「これだよ!」と思ったし、AC/DCでも「バック・イン・ブラック」や「ハイウェイ・トゥ・ヘル」でそれを感じて。で、この2バンドと、チープ・トリックもプラスされて遡って行ってたら必然的に60sに当たって、ザ・フーとかヤードバーズも聞くようになった、という、20歳前後でしたね。

 

 

 

 そして大学2年の時に出た「レイザーズ・エッジ」というアルバムはオーヴァープロデュースで好きじゃなかったんですけど、そのアルバムのツアーのライブ盤は本当によく聴きましたね。ちょうどその頃、グランジが流行りだして、前述した音楽趣味になっていたので移行もしやすい感じになっていたんですけど、やっぱグランジ連中もリスペクトしていただけあって、AC/DCは他のメタル系のバンドみたいなダメージって一切なかったんですよ。その時思ったものです。「ああ、普遍的なもの、選んでてよかった」と。現に下の「Big Gun」なんて、サントラの他の曲、アリス・イン・チェインズとかオルタナ色の方が強かったんですけど、これがむしろ一番カッコ良いくらいの感じでしたからね。

 

 

 そして1995年にリック・ルービンのプロデュースで70sっぽい音に戻ってね。ドラムがフィル・ラッドに戻って、スネアがパスパス言ってるのがいいんです!そこで、ますます気持ち的に盛り上がって、「ちくしょう、ライブ見てえ!!」となってきたわけで、そして次にやっと

 

 

 

2001年2月19、20日、夢にまで見たAC/DCのライブが横浜アリーナで観れたわけです!!

 

2日間、両方見ましたけど、とにかく度肝抜かれましたね!だって、2万人くらいは入るアリーナで、200人のライブハウスと同じ音が鳴ってましたからね!これ、衝撃だったんですよ!あの頃、人生で一番ライブハウスに行ってた頃でしたけど、狭いライブハウスでのケイオティックでギザギザの音の質感があの広いところで感じられるなんてこと、後にも先にも、やっぱ、これだけかなあ。ジャック・ホワイトのギターにも腰抜かしてますけど、ちょっと質感違うもんね。

 

 で、2日間、選曲もMCも演奏も、全く寸分の違いもないライブやったのに、2日目の方が感動したんですよ(笑)。それもまた、すげえなあ、プロだなあ、と思っていたく感動しましてね。

 

 そして、その時に、「前の二人もやっぱりすごいんだけど、マルコムから後ろの三人のリズム・キープ、尋常じゃないね!!」と思ったわけです。全くのブレがない、メトロノーム並にリズムの狂いのない、正確でかつ、キレ味鋭いリズムですからね。やっぱり、この、底辺でこれ以上ないほどに強力に固められたグルーヴがあってこその名人芸のあれこれなんだなと、あの時に初めてAC/DCの極意がわかったような気になりましたね。

 

 

 そして2010年3月、再び日本で見たわけです。僕の行った日は14日で、ブラジルに発つ1ヶ月前ですね。このころの日付でこのブログの過去記事探ると、感想出てきますよ。

 

 で、この時にはまさか気がつくわけもないんですけど、この「ブラック・アイス」ってアルバムのツアーを持って、マルコムがAC/DCのステージに戻ってくることはありませんでした。

 

 

 

 そして2010年6月28日のスペインのビルバオでのライブのこの曲がマルコムのステージでの最後の曲となりました。僕がライブ見た3ヶ月後がそんなことになるなんて・・。なんか信じられないですけどね・・。だって、これだけの演奏聞かせられているのに・・。

 

 この後、AC/DCは2014年に「Rock Or Bust」というアルバムを出してワールドツアーもやりましたけどね。でも、もうマルコムは引退してて、後任には、以前にもマルコムが病欠したツアーの時に代役を務めた甥っ子(と言っても、年齢ほとんど変わらない)スティーヴィー・ライトが務めました。昨日再掲載した記事でも、「AC/DCくらい大物になると、ザ・フーみたいにすぐに代役を立てられる。それくらい、本当のプロならプレイできるもの」と思って応援してたんですけど、でも、フィル・ラッドが殺人未遂でバンドを追われ、ブライアンが耳の障害でツアー離脱を余儀なくされ、アクセル・ローズが代理を務める、なんて事態までありました。でも、こうなってしまうと、「もう、そこまでしてAC/DCやらなくてもいいよ・・」という寂しい気持ちにもなりました。実は「Rock Or Bust」もマルコムの不在が気になって、あんまり聞く気が起きない感じで、そこまで聞いてなかったりもsますからね・・。

 

 

 AC/DCみたいな、「ロックンロールの原点」とも言えるサウンドは伝統芸として継承はされて欲しいんです。なので、継承者が出るまでは彼らにはステージにたち続けて欲しくはあったんです。でも、いくらアンガスが健在とはいえ、それを支える人たちがここまでいないとなると・・。そう思うとさすがにねえ・・。

 

 

 

author:沢田太陽, category:訃報, 03:44
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