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映画「Detroit」感想 裏黒人音楽史としても見ごたえのある「Black Lives Matter」の元祖

どうも。

 

 今日は映画レヴュー、行きましょう。これです。

 

 

 

この「Detroit」という映画。これは1967年に起こった、デトロイトでの黒人暴動を元にした実話の映画化・・との話を僕も聞いてて、興味あるテーマで楽しみにしていました。監督は「ハートロッカー」で2010年のオスカーで女性監督による初のオスカーの作品、監督賞を受賞したキャサリン・ビグロウ。来年2月のオスカーの候補作の一つにも見られています。果たして、どんな映画なのでしょう。

 

早速、あらすじから行きましょう。

 

 

 

 1967年7月23日、デトロイトでは、歴史的ににかなり有名になる黒人暴動が起きていました。その理由は、公民権運動が施行されて2年になるのに黒人の就業の平等が達成されず、郊外に押し寄せてきた白人たちに生活基盤を追いやられていたこと。そして白人の警察による、無闇矢鱈な黒人の取り締まりにありました。

 

 

 この有名な暴動も、事の発端は、違法経営の黒人のナイトクラブを取り締まろうとしたことにありました。その夜、そこで行われていたのはベトナム戦争に出陣していた黒人兵の帰還パーティだったのですが、警察はそこにいた人を全員逮捕してしまいます。それに怒って黒人たちは暴動を起こしたのでした。

 

 

 

 白人警官のひとり、フィリップ・クラウス(ウイル・ポウルター)は、その中でも特にタチの悪いタイプでした。彼は、この暴動の最中、ただ、スーパーマーケットに入って窃盗をしただけに過ぎない黒人男性を、ただ逃げているだけなのに後ろから銃で撃つような暴挙をして、警察の上司からも目をつけられているような輩でした。

 

 

 暴動が始まって2日目。デトロイトのローカル規模ながらちょうど注目され始めてきていたばかりのソウル・ヴォーカル・グループ、ザ・ドラマティックスはフォックス・シアターという劇場で1曲のパフォーマンスを行おうとしていましたが、暴動が激化したことを受けて、彼らの出演の出番の直前にショウがキャンセルになってしまいます。

 

 

 

 

 そのリードシンガーのラリー・リード(アルジー・スミス)は友人フレッドと、近くにあったモーテルに宿泊します。そこで彼らは、宿泊客の2人の白人女性ジュリー・アンとカレンに会います。この女性2人は、モーテルの黒人の主人のカールと顔なじみで、ラリーたちをカールに紹介しました。

 

 

 その紹介の場で、カールは友人と喧嘩をして、おもちゃの銃で撃って死んだふりをする、というキツい冗談を演じて、女生2人の顰蹙を買います。彼女たちは黒人ベトナム帰還兵とこの後時間を過ごし、ラリーたちも自分の部屋に戻っていました。

 

 

 ちょっと酒が入っていてゴキゲンだったのか、カールはそのおもちゃの銃を勢いでパーンッ、パーンッと何度か窓の外からならします。しかし、そこから悪夢が始まってしまいます。

 

 

 それは、暴動にそなえ警備していた警察の耳に入ってしまったのです。暴動だと思い込んで忍び込んだ警官の中には、クラウスがいました。そしてクラウスは、「なんか俺、ヤバイことした?」みたいな感じで降りてきたカールをテロリストだと思い込み射殺されてしまいます。

 

 

 そして、モーテルの宿泊客たちは、カールの遺体現場の眼の前で壁に後ろを向けられた状態で「銃はどこだ」と、乱暴に乱暴を重ねて、「真実を話せねば殺す」くらいの勢いでした。

 

 

 この現場には、周辺の警備を行っていた黒人のメルヴィン・デスムークス(ジョン・ボイエガ)も立ち会い、銃がないかを調べる作業などを手伝っていましたが、そこで行われていることを目撃していました・・

 

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 いや〜、これですね。

 

 

 想像していたものと、ぜんぜん違いました!

 

 

 僕はですね、もっとデトロイトの黒人暴動そのものを描いたものだと思っていたんですよ。僕としては、そういう話に興味がありました。だって、いわゆるこの時代の黒人の差別問題って、「公民権施行でそれでめでたし」みたいなものになりがちだったけど、実際には施行して数年後に黒人暴動は多発していたし、ブラック・パンサーみたいな党も台頭していました。そこで「めでたし、めでたし」のものではないよなあ。もっと、その当時の黒人社会の実際のところを知りたいなあ、と思っていたからです。

 

 今回の映画は、黒人暴動そのものではありませんでした

 

が!

 

 むしろ、それ以上でした!

 

 というか、これ、黒人暴動の話というよりは

 

 

 Black Lives Matterの元祖じゃないか!

 

 

 そういう意味で、黒人暴動そのものを扱うより、もっともっとコンテンポラリーな問題だったんですよね、これ。

 

 

 

 このBlack Lives Matterというのは、2013年に白人警官のジョージ・ジマーマンが黒人小年のトレイヴォン・マーティンくんを射殺したにもかかわらず、裁判で無罪になったことに端を発して始まっています。その翌年も、ミズーリ州ファーグソンでマイケル・ブラウンさんという18歳の青年が同じように白人警官に撃たれ、この時は直後に暴動に発展しています。

 

 

 この問題って、僕が大学生だった1992年にもLA暴動と言って、この時は殺害まではいかなかったんですが、白人青年が警察のリンチにあったのに、それが無罪になって、この時は暴動が数日続いたものでしたけどね。ちょうどこれをキッカケに、僕が本格的にヒップホップやブラック・ムーヴィーに興味を持つようになったものです。

 

 この映画が描いているものは、それからさらに25年後、50年後に続いていることの、ことの本質を描いたものです。その意味で、悲しいかな、まだ普遍性のあるもので悪い意味であり続けている、白人の黒人に対する差別心、もしくは、一旦、「この黒人は悪い奴」と決めつけたら命をも軽視してしまうその態度の悪しき伝統、というか、ここまできたら病魔ですね、それを描いたものになっています。

 

 この映画で描かれているものは、中でも最悪ですね。この当時は今よりもさらにその偏見が根深かっただけに、起こったこともさらに最悪です。見ていてすごく気分悪くなりましたが、でも、それが現実だったんだなと思います。

 

 

 そして、これ、驚くべきことに

 

 

 ドラマティックスがその後、成功して、今も現存する人たち、ということです!

 

 

 

 

 

 

この2曲70年代に全米トップ10に入る大ヒットになって、ソウルファンにはそこそこ知られたグループです。その彼らに、こんなにシャレにならない、悪夢のような事件があったとは。

 

 ちなみに、ラリー・リードは、このヒット当時のメンバーではすでにありませんでした。どうなったかは・・映画を見て知って欲しいんですけどね。

 

 でも、リリックによるメッセージじゃなく、実際の体験でここまでえげつない、後の世に対する強烈なプロテスト・メッセージにもなりうるものを彼らがしていた、というのは本当に勉強になりましたね。目からウロコが落ちたような気分になりました。

 

 

 こうしたとこも含めて

 

 

やっぱり、キャサリン・ビグロウってすごい監督だなと思いますね。

 

 いわゆる女性監督って、「女性だから女性らしい映画を作る人」と「女性だからといってそうしたものに左右されずに映画を作る人」の二手(僕はどちらでも良いですが)に分かれて、前者の方が多い印象があるんですけど、彼女は後者側の第一人者ですね。言われないと、監督の性別なんて全くわからないタイプですけど、今回もその徹底ぶり、すごいですね。あくまでも、自身の問題意識のある社会的問題に踏み込むことだけにこだわって作った(それは前作の「ゼロ・ダーク・サーティ」も基本そう。CIA女性捜査官への差別問題もすごく客観的に描かれてるし)感じがあって。あくまでも「社会派監督」としてだけで勝負して、その結果、現在、その道で完全にトップの監督の一人ですね。

 

 そして、前にも書きましたが、この題材を取り扱う際に「めでたし、めでたし」にしないで、今日までしっかり続く問題にしてある点で、やっぱり信頼がおけますね。白人監督だと、「ミシシッピー・バーニング」のアラン・パーカーあたりがそうでしたけど、そういう風な作りにしてしまって後味が悪くなるものもあるんですけど、そういうのがないのも良いです。

 

 

 ただ、惜しむらくは、これだけの良作が、完全なるどインディの配給で、商業的にコケたことですね。もうオスカーも受賞しているし、そうした名誉にはこだわらないとも思うんですけど、やっぱり「優れた作品」というものは多くの人に届いて欲しいじゃないですか。その意味では、惜しい気もしましたね。

 

 

 

  

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 14:14
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