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僕の目と耳から見たトム・ペティ

どうも。

 

 

僕が寝ているあいだに

 

 

 

トム・ペティの正式な死がアナウンスされましたね。すごく悲しいです。やっぱり、リアルタイムで30年以上見てきたアーティストですからね。

 

僕とトム・ペティの出会いは1981年にまで遡ります。キッカケはその当時、ちょうど聴き始めていた福岡のAM局の洋楽のランキング番組「今週のポピュラー・ベストテン」ですね。厳密に言うと、僕がたまたま見つけた、姉が録音していた過去のテープから見つけたこの曲でした。

 

 

 

この「Don't Do Me Like That」、「危険な噂」ですね。これを聴いた時に小学5年生でしたけど、印象が良かったんですね。そこからなんとなく愛着がわいたものです。実際にアメリカでもこのジャケですね。「破壊」。これが最初のヒット・アルバムでした。これが3枚目だったんですけどね。

 

 

 

1982年、中1の時にはこの曲がFM東京の「ダイアトーン・ポップス・ベストテン」のマンスリーの推し曲になっていました。これが入ってるアルバムが「ロング・アフター・ダーク」で、このアルバム、レコードやでジャケまで握って、もう少しで買うとこまで行っていたのを覚えてます。なんかに負けて買わなかったんですよね。

 

 

 

 

 そして1985年、高校1ねんの時、MTVでこれ、本当によくかかっていました。これまで硬派なロックンロールのイメージがあったトムが放った超異色曲です。「Don't Come Around Here No More」。これはユーリズミックスのデイヴ・スチュワートをプロデュースに迎え、ニュー・ウェイヴに接近した曲です。この曲のイメージで、「この人は、ブルース・スプリングスティーンとか、ジョン・クーガー(メレンキャンプ)とはちょっと違ったタイプの人なのかな」と思って、また注目度が上がるわけです。まあ、よく聞きゃ、曲そのものはボブ・ディランだと気がついたのは後年でしたけどね。

 

 

 ただ、これまで、メタルだとか、ニュー・ウェイヴだとか、子供がハマるに都合の良いムーヴメントとかジャンルにいない人だったので、なんかハマ李にくかった人だったんですよね。音楽誌に乗るタイプでも日本では少なくともなかったし。そんな彼の転機になったのがコレですね。

 

 

 

1988年の、このトラヴェンリング・ウィルベリーズですよ。ここでジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、そしてプロデュースにELOのジェフ・リンが組んで作ったアルバム、これが大ヒットしました。

 

 

 

 

 これはビートルズとディランのミッシング・リンクをオービソンのエッセンスを加えて表出させた、幻のクラシックな印象があったのですが、ここでのオーヴァー・ダブに頼らない、昔ながらのいレコーディング法が80sのバキバキにズッタンバッタンだったサウンドに毒されていた耳にすごく新鮮だったんですね。今から冷静に振り返って考えて、90sの60sや70sに回帰したサウンドの走りってこれだった気がするんですよね。あるいはこの前の年にジョージ・ハリスンがジェフ・リンと組んだアルバム「クラウド9」か。そして、これは、参加メンツ、すべての人のキャリアを今一度復活させるのにも貢献します。

 

 

 その恩恵を最も受けたのがトムでした。

 

 

¥¥¥

 

 この曲ですね。本当に大好きでした。「I Won't Back Down」。これとか「Running Down The Dream」「Free Falling」が入ったこのアルバム

 

 

 

この「Full Moon Fever」というアルバムですね。これ、大学に入ったばかりの時に、まだ行き慣れない輸入盤屋さんで買ったんですよ。横浜の石川町にあったタワーレコードで。まだ長方形のケースに入ってた時代ですね。こtれ、人生最初の一人暮らしを始めた時に部屋ですごくよく聞いたなあ。で、実際、これが、彼のキャリア史上で最大のヒットにもなたんです。彼のキャリアで初めて、アメリカ以外の国にも世界的に賣れる作品になりましたからね、イギリスでもかなり売れるアーティストにこれでなりました。

 

 

 これもその路線でのヒットですね。このジェフ・リン時代はとにかく売れました。このくらいから僕もディランとかビートルズの旧作買い始めるんですけど、「ああ。やりたかったのはディランだったのか」とか、このくらいから気がつき始めます。それをビートルズやバーズの感覚で(その当時の)今にやるとこうなるのかな、とか思いながらね。やっぱり、ジェフ・リンがサウンドをソリッドにしたせいで、同じディランN・フォロワーでも80sのダイア・ストレイツとかより(ゴメンナサイ。本当に苦手なんです)はやっぱり僕にはストレートに来ましたね。

 

 

 

 そしてジェフ・リンの後はリック・ルービン。トム・ペティって本当にプロデューサー選びのセンスが良かったんです。これはベスト盤からのシングルでしたけど、これも大ヒットし、10数年後にレッチリにもパクられました(笑)。

 

 

 

 そしてルービンともアルバムを1枚制作して、これまた素晴らしいアルバムでした。90年台半ばでしたけど、この頃までの彼は商業的な意味でも、彼の世代の中では圧倒的に牽引力ありました。時代はとっくにグランジやオルタナの時代でしたけど、彼の作品は若い層にも無視できない存在に、このころはなっていましたね。

 

 

 

 

 そして、このころだったんですが、カート・コベインを失って間もないデイヴ・グロールが「サタディ・ナイト・ライヴ」のトム・ペティのパフォーマンスの時にドラム叩いているんですね。トムは実際にデイヴにハートブレイカーズに入ってほしく依頼もしたらしいんですけど、デイヴは自分のプロジェクトを進めたいがために断っています。それがフー・ファイターズにもなったわけです。

 

 この後は、ここで書いたほどのヒットはなくなるんですけど、アルバムを出せば着実に売れる、そんな感じにはなっていましたね。そして

 

 

2000年代、彼がロックの殿堂に入る頃には、今度はデビュー当時の感じが再評価されるようになりましたね。この曲なんかはストロークスの「Last Nite」 に似てるとも言われてね。彼は60sのロックの遺産を、その後の音楽シーンで風化させるこちなく生かした意味では本当に天才的だったと思います。

 

 

 

  そして生前最後のアルバム、2014年の「Hypnotic Eye」もカッコいいロックンロール・アルバムでね。これがキャリア史上、初の全米ナンバーワン・アルバムにもなっててね。その意味で、まだ全然元気だったんですよ。それなのにこんなに早く失ってしまって本当に残念です。

 

 

 本当に生前にライブで彼を体験できなかったのが悔やまれます。日本には80 年代から行ってなかったですからね。悔しくて残念だけど、長らく聞いてきたファンの一人として、彼のレガシーは受け継いでいきたいものです。RIP。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:配信, 19:48
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Comment
はじめまして。
今回の訃報は(今回も、かな?涙)
とてもショックでした。
好きなアーティストが亡くなるたびに
本当に寂しく悲しい気持ちになります。
太陽さんの記事にとっても共感しています。
私も「Full Moon Fever」の頃、大学1年だったので同年代なんですね!
どうぞ、よろしくお願いします。

波野井露楠, 2017/10/07 5:10 AM









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