RSS | ATOM | SEARCH
チャック・ベリー死去 ロックンロール・ギターの神様

どうも。旅行先ですが

 

 

 

 さすがにこの訃報に反応しないわけにはいきません。ロックンロール・ギターの神様、チャック・ベリーが大往生の末、90歳で亡くなってしまいました。

 

 

 さすがに、もうかなりの年になっているので、いつこういうことになってもおかしくはないとは思っていましたが、遂にその日が来た、という感じですね。

 

 

 もう、彼に関しては、「ロックンロールの神様」と言われ続けて来ているので、どこから話を進めようか、それで迷ってしまうのですが、ここでは、改めてわかりやすく行こうかと思っています。

 

 

「ロックンロールの誕生」ということになると、諸説あります。マニアックなものになると、「ベースをウッドベースでなく、アンプにつないで最初に演奏した曲が、最初のロックンロールと呼ばれるべきだ」というものから「いや、やはり、それを白人が演奏することによって、”どうして非差別人種の音楽なんかを!”と物議を醸したタイミングにするべきだ!」というものまであります。やっぱり、結局のところは、1955年の映画「暴力教室」のテーマ曲になったビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」からはじまって、翌1956年のエルヴィス・プレスリーの、腰を激しく動かす、セックスを彷彿させるダンス(こういうノリも黒人起源)でアメリカの茶の間に大騒動を巻き起こしたときにすべきなんだとは僕も思います。

 

 

 ただ、ビル・ヘイリーとエルヴィスのままじゃ、その後のロックの歴史になかなかつながりにくいんですよね。というのも、この頃の概念だと、ロックンロールってあくまで「リズム」とか「歌い方」の問題であり、後のロックにつながるような「エレキギター」の要素ですごく弱いから。

 

 

 で、そこで登場したのがチャック・ベリーだったわけです。彼がデビューを飾ったのは1955年のことだったんですが、その登場は、まさに「来るべき音楽の未来」の申し子であり、デビュー早々、いきなりヒットに恵まれる訳です。

 

 

 

 

 このデビュー曲の「メイビリーン」がいきなり全米シングル・チャートの5位の大ヒットとなったわけです。

 

 

 彼は、シカゴにあるチェス・レコードというところからデビューしたわけなんですが、このレーベルというのがですね、元は マディ・ウォーターズとかハウリン・ウルグみたいな、重くてかったるいビートの、当時、エレキギターを使いはじめた頃のブルースの音源を出してたところで、チャックの曲は「なんだ。カントリーみたいに軽いな」という印象を持たれていたんですが、この軽快さこそが実は社会的に求められていたものだったんですね。この曲の成功を皮切りに、チャックは次々とヒットを連発して行きます。

 

 

 

 

「スウィート・リトル。シッックスティーン」はビーチボーイズの「サーフィンUSA」の原曲となり

 

 

 

「ロックンロール・ミュージック」はビートルズにカバーされ

 

 

 

「キャロル」はローリング・ストーンズによってカヴァーされました。

 

 

ストーンズに関しては、幼なじみだったミック・ジャガーとキース・リチャーズが駅前で偶然再会したときに、ミックが抱えてたレコードのコレクションにチャック・ヴェリーがあって意気投合した、という逸話まであります。

 

 

 こういう曲が、だいたい、1958年までにひととおり流行って、アメリカとイギリスの少年たちに影響を与える訳です。

 

 

 それくらい、チャック・ベリーがエレキギターで与えた影響力は大きかったわけです。

 

 

 このエレキギターによるロックンロールへの影響力は、チャックと、彼のもうひとりのチェス・レコーズのレーベル・メイトだったボー・ディドリーによるものが強いですね。そこからはじまって、白人ではバディ・ホリーが、ピアノやサックス・プレイヤーをつけないバンド・スタイルのクリケッツを作り、さらにインスト系ロック・ギタリストでデュアン・エディも出てくる。そして、イギリスに目を向けると、インスト・エレキ・バンドのシャドウズが出て来て、人気アイドルだったクリフ・リチャードのバックをつとめてエレキによるロックンロールを披露した。こういうことが大体、1960年代に入る前までに起こって、それが1963年以降にイギリスではビートルズやストーンズ、アメリカではビーチボーイズ以降に倍加して爆発した訳です。

 

 

 日本の場合はちょっとその辺りの事情が違います。日本はエルヴィスやビル・ヘイリーに触発されたロカビリーのムーヴメントこそ早く起こったのですが、いかんせん、カントリー・ミュージックからの影響の部分が強過ぎたからなのか、そのときにあまりエレキ・ギターに着目したロックンロールが流行った痕跡がありません。当時の日本盤でも、他のロックンロールの創始者は早くから日本リリースがあったのに、チャック・ベリーに関しては、どうやらリリースがなかったようなんですね。50sの洋楽のシングル盤って、ジャケ写のデザイン・センスが強烈なもの多いのに(苦笑)、チャックの場合は

 

 

 せいぜい、こういうのがあるくらい。しかも、そんなに代表曲じゃないですものね。

 

 

 日本だとチャック・ベリーは、ビートルズのブームを介して「影響を与えた人」ということで認知が進んだようだと、ウェブでの証言がいくつか見つかっています。そして、エレキギターのブームも、日本だとビートルズでもチャックでもなく、ヴェンチャーズによって1965年にようやくブームとなっています。

 

 

 ただ、もう今となってはだいぶ関係ないかな。ロックそのものに凝る人の人口が増えれば増えるほど、ちゃんとチャック・ベリーの認知度は増えてくる訳だし、さらに凝る人はそこをとっかかりにして、同じくチェスのレーベル・メイトだったマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフにまで手も広げて。こっちのコッテリしたリフを起点として、今度はハードロックが生まれていくことにもなったりもします。

 

 

 50年代末に婦女暴行で逮捕されて以来、しばらくは表立った活動ができず、ビートルズのブーム以降は「リバイバルの人」としての評価と活動になりがちだったチャック・ベリーですが、そんな彼に1972年に突然、全米ナンバーワン・ソングが生まれます。

 

 

 

 

なんでこれが流行ったかはいまだにちょっと謎なんですが、これはジョークの効いたノヴェルティ・ソングですね。この曲は彼のオリジナルではなく、同じくかつての黒人ロックンロールスターだったファッツ・ドミノに曲提供をしていたデイヴ・バーソロミューの曲です。

 

 

 そして、それ以降もチャックの影響は続きます。それは

 

 

彼のステージでの有名なアクション、「ダック・ウォーク」はAC/DCのアンガス・ヤングによって継承もされて有名となりました。

 

 

 そして80年代になる頃には

 

 

 

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中で、マイケルJフォックス扮するマーティ・マクフライに、チャック・ベリーの生みの親。ということにされ(笑)

 

 

 

1987年には彼のドキュメンタリー「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」の中で、キース・リチャーズやエリック・クラプトンともセッションしました。このときは結構、彼に注目するロックファン、増えましたね。ちょうど、ストーンズが初来日する少しくらい前で、ストーンズのファンが増えつつある頃でもありましたしね。

 

 

そして

 

 

70代、80代を過ぎても。チャックはステージに上がり続け、「世界最長寿のロックンローラー」のイメージをロックファンに焼き付けていました。僕の知人で日本公演を見た人もそれなりの数いるし、ワイフもサンパウロでの公演を大学生のときに見たと言っていました。ライブ見そこねていたことは僕にとっては後悔ですね。

 

 

 ただ、ロックンロールのパイオニアとしてのチャック・ベリーの存在は、今後も間違いなく遺産として受け継がれるでしょう。彼がいなければ生まれていないロック・アーティストやバンドもいなかったんでね。では、最後に、やはり最大の代表曲である、コレで占めましょう。

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:評論, 11:48
comments(0), trackbacks(0), - -
Comment









Trackback
url: http://themainstream.jugem.jp/trackback/3012