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エド・シーラン現象で伺える世界の音楽シーンの現状

JUGEMテーマ:洋楽好き♪

 

 

どうも。

 

 

ここのところ、多いですけど、今日もこの話題をしましょう。

 

 

 

 今、音楽界は、世界のどこもかしこもエド・シーランです。こないだもおつたえした通り、イギリスではシングルがトップ10のうち9曲、アルバムもトップ5のうち3枚を独占しました。そしてアルバム「÷」は現在、ほとんどの国でナンバーワン。日本でもオリコンで5位だったので浸透していると思うし、来日する際は結構大きいところで出来るような気もしてます。

 

 

 それにしても、今回のエド・シーランのものすごい規模での成功は、僕がここ数ヶ月くらいに音楽界で思っていたことがかなり端的に現れた結果になりました。なので、全く驚くものでも何でもありません。起こるべくして起こった。それをいくつか章立てして説明することにしましょう。

 

 

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 このブログで少し前、「実はアメリカもイギリスも、アルバム・チャートの半分近くが1年以上ランクインしているロングセラー・アルバムだ」という話をしました。これは驚くべきことです。だって、毎週かなりの数のアルバムが世界中でリリースされているという状況で、半分はチャートが動いていない訳ですから。

 

 

 そして、その中でエド・シーランというのは、最もロングセラーを続けていた若手アーティストなんですよね。アデルにそうしたイメージを持っていらっしゃる方も少なくないと思うんですが、ある意味アデル以上です。エドの場合、デビュー・アルバムの「+」がイギリスで259週、アメリカで202週、セカンド・アルバムの「×」が英米共に142週、ずっとランクイン、今もし続けています。さすがにこれだけ長くヒットが断続的に続くと、その間にファンの数が潜在的にふくれあがって来ている訳です。新作が出るタイミングでドカンと売れても全く不思議はない。ある時期から「チャートイン週」に着目するようになっていたこともあって、これは十分起こりうるだろうなと思っていました。

 

 

▲蓮璽肇好蹈屐蔑人)タイプの男性シンガーがウケる時代

 

 

 あと、今はこのポイントが非常にデカいんです。

 

 

 エドの他に誰がロングセラー・アーティストかというと、それはブルーノ・マーズとドレイクです。ブルーノはデビュー作が300週超えていまだに全米200位に入り続けているし、セカンドも3年位入り続けています。ドレイクも、イギリスだとまだそこまでではないんですが、アメリカだと2011年の「Take Care」が200週を超えてアルバム・チャートにランクインし続けているのを筆頭に、4枚のアルバムが既に1年以上のロングヒットになってチャート・インし続けています。

 

 

 彼らに共通するポイントが、「女性人気が非常に高いアーティスト」ということです。

 

 

 エドに関して言えば、彼が欧米圏だとアイドル的人気も非常に高い人であることは前にも書きました。比較対象がジャスティン・ビーバーとか、ワン・ダイレクションのハリーとかに実際になっちゃう人ですからね。そこまでではないにせよ、ブルーノもティーン雑誌の需要が非常に高く、ライブは、日本だとそこまでわからないのですが、少なくとも欧米圏では女の子ばかりです。そしてドレイクは、マッチョで当たり前のヒップホップの世界に、「女性への真摯な愛を語るロマンティスト」のイメージを打ち出して、ヒップホップの女性人気を高めて変えた人でもあります。

 

 

 なので、エド、ブルーノ、ドレイクともに、「アイドル」とまでは言わないまでも、少なくとも、「ロマンス映画のヒロインの相手役」みたいな感じでよく使うところの「ハートスロブ」というのに、すごく当てはまるタイプです。

 

 

 エドの場合、それはデビュー作にすごく顕著でしたね。「ああ、これだけまっすぐに、日常感覚たっぷりに純愛を歌われたら、そりゃ女の子、コロッと行くわな」と思いましたからね。セカンドでも「Thinking Out Loud」っていう一大バラードがあったでしょ?10年くらい前に、同じくイギリス人のジェイムス・ブラントが「You're Beautiful」って国際的な特大ヒット出しましたけど、彼があれ1曲で終わったのとは対照的に、エドにはそのテの曲が何曲も何曲も打ち出せる強みがありましたからね。

 

 

 とりわけエドの場合は、日本の事例で思い出すのは、大昔のオフコースとかアルフィーみたいな、「ニュー・ミュージック」って言葉があった時代の、クラスで女の子しかファンがいなかったタイプのアーティストとか、2000年前後くらいの、山崎まさよしとかスガシカオのいわゆる「オフィス・オーガスタ」っぽい感じとか。そういうの思い出しますね。ゆずとか福山雅治あたりまで行くと言い過ぎかもしれませんが、僕は「そこまで遠いものでもないかな、国籍が違うだけで」とも思ってます。いずれも、ものすごくファンベースが女性ばっかりの感じでしょ?欧米だと、エドがまさにその感じなんです。考えにくいかもしれないけど。

 

 

 で、そういうタイミングで今回みたいな現象ヒットが出ると、そうした女の子以外の、普段ならロック聴いてる男性層とかでも「ヤツはそんなにすごいのか」みたいな感じで聴こうとするでしょ?そのタイミングで音楽性広げたアルバム出してるから、そこもうまくハマるんです。うまいことやったと思いますね。

 

 

「歌がうまい人」が評価されやすい時代

 

 アデルにエドに、ブルーノにドレイク。こういうアーティストがロングセラーになりやすい、ということを書きましたが、彼らにはさらに共通点があります。それは

 

 

歌唱力が安定しててうまい

 

 

 ここが非常に大きいです。このリストにシーア(Sia)も入れて良いと思います。

 

 

 これは文化背景も大きいと思いますね。それは2000年代から今にかけて「アメリカン・アイドル」「X Factor」「The Voice」といった、歌唱力を争うリアリティ・ショーの存在が大きいと思いますね。これらの番組って、出演者の数の割に大ヒットした人ってそこまで多くないんですけど、そこでの出演者よりも視聴者に与えた影響力として大きいことは、「歌のうまい人、そうでない人を聞き分ける能力」だったと思うんですね。番組でのスターっていうのは人工的なものというのがさすがにわかるからか、そんなに長くは続かないんですけど、でも、テレビで歌のうまい人を聴く習慣が出来上がってしまっているから、「誰が歌がうまいか」の基準で無意識のうちに聴くアーティストを選ぶクセみたいなものが出来上がっちゃったんじゃないかな、と僕にはそう思えることがあります。

 

 

 そこに加えて、「Glee」とか「ピッチ・パーフェクト」みたいな、現象的ヒットになったポップ・ソング主体のミュージカルがあったり、EDMでも歌のうまい人がフィーチャリングされてヒットなんて、もはや常套手段でしょ?そんな感じで、「歌がうまい」ことが、ひとつの音楽上の大きな基準になっていることが否めませんね。

 

 

 ただ、それの弊害が、こないだもここで話したような、グラミー賞での「アデル対ビヨンセ」の例でしょう。そこでも書きましたが、「アルバム賞」の話をしてるのに、アデルの熱狂的なファンは「アデルの方が歌がうまいんだから文句ない!」と、曲とか、サウンドのこととか一切無視して語り倒そうとする。あれには僕も閉口しましたけどね(苦笑)。

 

 

 

 ここまでが、「エドみたいなアーティストがなぜ流行るか」の背景、というとこでしょうか。では今度は、こういう背景が生みやすい弊害について語っていくことにしましょう。

 

 

ぁ峅痢廚个りに気がいって、曲やサウンドへの評価がおろそかになる

 

 

 ここは非常に問題です。

 

 

 今、多くの人が、歌や声に神経が行っています。ただ、アデルのとこでも言ったように、それと引き換えに、一般リスナーのあいだで「曲」や「サウンド」を嗅ぎ取る力というのが薄れてしまい、その結果、「ただ、口ずさみやすいだけで、その曲が本当に刺激的なものなのか」といったことを吟味する力が堕ちて来ている、と僕は思います。

 

 

 実際、エドの曲というのも、聴きやすいし、器用に色んなことは出来ます。ただ、これは決定的な彼のウィーク・ポイントでもあるんですけど、「安心感」「安定感」だけがあって、音楽を先に進めるだけの新しさとか、刺激の類いがほとんどありません。

 

 

 だから今回のエドのアルバム、ほめてるメディアも多い分、酷評するところも随分あります。「こんな毒にも薬にもならないものがどこがいいんだ」という感じでね。上に書いて来た時代的な背景というものを一切無視すれば、彼らの言い分もわからないではありません。また、こういう酷評レヴュー以前に、エドっていわゆる大型のロックフェスというものに、あれだけの人気がありながらもほとんど呼ばれたことがないのですが、それも大いにわかる気もします。

 

 

シ覿鼻◆峅山敞禀省顕宗廚覆襪發里蓮△瓦一部でしか浸透していない

 

 

 だけど、そんなエドに批判的な批評など、今言ったところでマスには全く響かないし、言ったところでどうしようもないです。僕自身も、ピッチフォークとかガーディアンとかの酷評レヴューを読みましたけど、正直「そんなことしてもカッコ悪いだけだよ」としか思いませんでしたからね。

 

 

 これ、素直に、「批評文化の推す音楽」、いわゆるインディっぽいテイストの音楽が完敗していることを意味してます。だって、人々が、曲の良さとかサウンドに気を使わないなら、そうしたところでアピールしているこれらの音楽が聴かれることってなかなか難しいじゃないですか。そういうとこにリスナーの気を向かせられなかったということで、批評メディア、ハッキリ言って「負け」だと思います。売れてるもの批判する前に、自分たちの力のなさも客観的に反省するべきなんだと思います。ここは自戒も少し入ってますけどね。

 

 

 で、皮肉にも、リスナーからしてみれば「自分たちは選んでこれを聴いてるんだ」の意識がありますからね。彼らにとっては「歌のうまい人」を「あえて選んで聴いている」という自負がある訳だから、サウンドがどうとかといわれても、少なくとも今は耳を貸さないでしょう。おそらく、似たようなアーティストが大量に流行り出すまで「違い」を求めることはないでしょうね。

 

 

Ε好肇蝓璽潺鵐亜Ε機璽咼垢それを後押し

 

 あと、そうした現象を後押ししているのがストリーミングですね。

 

 

 あのサービスは、僕も本当に大好きで、今やスマホに毎日イヤホンして、金曜になれば話題の新作を何枚も入れて最低1回は聴く、という習慣を続けていますが、でも、ほとんどのリスナーにとっては、サービス自体が勧めるオススメ曲を聴いて、それで満足しているのがパターンです。

 

 

 しかも、そういうプレイリストは、リスナー間の事前の人気のアーティストに基づいていることがほとんどです。そうなると、今、マジョリティなものを結果的に多く選びます。そうなると、みんなが同じようなものしか聴かなくなる。今現在、世界中のヒットチャートで同じ曲しか流行らなくなるという現象が起きていますが、そういう時代にたまたまもっとも聴かれるアーティストとして選ばれてしまったのがエド、という側面もあります。そして、それを曲個別でチャート集計するようになったことで、先述のエドの記録も生まれた、ということにもなります。

 

 

多様化の時代の“ひとまずの”終焉

 

 

 あと、最近よく思うことですが、90年代くらいから「それが当たり前」で「そう言っておきさえすれば全てが解決する」くらいにまで思われていた音楽における「多様化の時代」は、今、ひとまず終わってますね。

 

 

 だって、そうでしょ。一番上にも書いたように、あれだけ毎週いろんなものが出てるのにアルバム・チャートの半分が1年以上のランクインのもので、シングルにしたって今回エドが独占した上に、「シェイプ・オブ・ユー」が全世界的にチャートのトップからもう2カ月近く落ちていない状態。彼じゃなくても、チェインスモーカーズは3曲もトップ10を独占している。「クローサー」なんていつになったらトップ10落ちるんだ、って感じですものね。最近はついにそこにいらつきはじめた音楽ファンが出はじめて、チェインスモーカーズのアンチが急速に増え始めてもいますけどね。

 

 

 ただ、これ「反動」ってやつですよね。もう、長い間、「みんなが同じもの聴くなんてありえない」とさえ思われていたものが、個性的なものが一部のあいだで入れ替わるように一瞬しか流行らなくなって、ものすごいマスは安心感、安定感のあるものを長いこと同じようなものしかシェアしなくなるというのもね。

 

 

 でも、90年代あたりだと「皆が同じものを共有することがなくなった」とワーワーわめく人もメディアの論調もあったから、そういう向きの人たちには「時代は今、それが戻ってきましたよ」といいたいですけどね。まあ、その人たちの世代の価値感覚にあったものかどうかはわからないですが(笑)。

 

 

 でも、これ、テクノロジーの問題もあるとはもちろん思うんだけど、「人間の習性」だったり、「人間の許容の限界」だったりするのかな、とも思いますけどね。極端に人とシェアするものが少なくなったら、なんかそれがさびしく感じられたり、いくら多様化したいからって、人の情報の許容量も、音楽を作る側も限界ってものがある。広がるとこまで広がってしまったら、あとは共有するとこまで戻るしかないのかな、と。

 

 

 それでいて、「みんなと同じものがいや」という向きも、ストリームやユーチューブ多用すればそれなりに満たされるし、みんなが流行っているものをイヤホンして自分の好みのものを聴くことで防ぐこともできるから、昔ほどには「みんなが無抵抗なまま聴いてる音楽が耐えられない」といった反発心も芽生えにくい。そこも、物事が動いていきにくい問題にもなるんですよね。

 

 

 まあ、自分のリスナー経験上、「みんなが同じもの聴く」という体験も子供のとき以来に久しぶりのことだし、その利点をエンジョイするのも手ですけどね。ただ、「そうなることでの弊害」も上に書いたように見えてもいるから、そのつまらなさが強化された際にどうするか、も課題だと思っていますけど。ストリーミング本来の特性である豊富な音源を背景にした「次の多様化」は、その行き詰まりのときにはじまるでしょうけどね。

author:沢田太陽, category:評論, 19:32
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