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ムッシュかまやつ死去  日本で最初のパワーコード・ロックンローラー

どうも。

 

 

別のことを書く予定だったのですが、これはどうしても書きたいので書かせてください。

 

 

 

ムッシュかまやつが亡くなってしまいました・・。

 

ムッシュという呼称には既に「ミスター」の意味があるので、敬意をこめて、以下ムッシュで文章を進めさせて欲しいのですが、ムッシュこそ、日本で最初の本格的なロックンローラーだったと、僕は信じて疑っていません。

 

 

 最初にムッシュのことを知ったのは、ジュリーとかマチャアキ絡みでしたね。1977年くらいかな。その年に僕は「勝手にしやがれ」でジュリーに狂った7歳の子供だったんですけど、そのときに彼が「その昔、タイガーズというバンドのヴォーカルだった」というのを知ります。ついでに、この当時にドラマの主役やってたショーケンも、大好きで毎週見てた「カックラキン大放送」のマチャアキも同じようにバンドのシンガーだったことを知ったわけです。それと同じ頃に、7つ上の姉がビートルズを聞きはじめていたので、「同じ頃に日本で同じようなブームがあったんだな」と思った訳です。で、「バンドやってた芸能人って、他の人よりカッコいいな」tと思って、そのときから、僕の中では「クール」のひとつの基準ができあがっていたわけです。

 

 

 その中でムッシュは、「マチャアキと、(夜のヒットスタジオの)井上順の、突然やってくるお友達」のイメージで最初は見てましたね。それからもう少しして、「あのジュリーのバックバンドのリーダーさん(井上尭之)も同じバンドだったのか?」と聞いて、”スパイダース”というものに漠然と興味を抱くようになったわけです。

 

 

 ただ、それでも、あの当時、ムッシュの歌、それなりに耳にすることあったのに、そこはあんまり通らなかったんですよね。「我が良き友よ」とか、聞き覚えはあったんですけどね。

 

 

 で、僕がGSというものに開花するのは1990年代前半、大学卒業する前後の話です。

 

 

 その頃、「僕が本当に好きな音楽の路線ってなんだろう」という、アイデンティティ探しみたいのをしていたんですね。その際に、ニルヴァーナとかのグランジも出て来た訳なんですけど、その2年くらい前から、たまたまなんですけど、エアロスミスとチープ・トリックとトッド・ラングレンとAC/DCが好きで、彼らの旧譜買って聞いてたんですね。そこでひとつの共通するポイントを見つけたんです。それが

 

 

ブリティッシュ・ビート!

 

 

これ、今でもそうなんですけど、やっぱり僕が根本的に一番好きな音楽がコレです。ハードロックでも、ギターソロがなければないほど、リフがグルーヴしてればしてるほど好きです。その後のガレージロックもグラムロックもパンクも、みんな大元はコレです。ちょうどそう思って、ライノ・レーベルから出ていたブリティッシュ・ビートのコンピとか、「ナゲッツ」っていう、泡沫系の60sのガレージロックのコンピとか買ってて、ものすごく聴き倒したわけです。そうした中、「これ、日本だったらどれにあたるのかな」と思って思索したところ、その答がまさに「GS」だったわけです。

 

 

 で、ちょうどその頃、「カルトGSコレクション」というコンピの存在を、渋谷のウェイヴに立ち寄った際にたまたま知って、「ああ、そうそう。こういう感じが欲しかったんだよ!」と思ってそれを買いあさって、さらに、そのコンピの制作者と同じ、黒澤進さんが書いた「日本ロック起GS編」という名著が出て、それをもとにGSを探って行ったんですね。

 

 

 長くなっちゃいましたけど、そこで聴いたのがコレでした。

 

 

 

この曲が「日本最初のガレージ・ロック」として聴いたんですけど、衝撃でしたね!1966年、昭和にして41年の曲でしたけど、「日本にも、この当時に既にこんなカッコいいロックンロールが存在したんだ」という驚きと言ったらね。僕の中でこれと、ゴールデン・カップスの「銀色のグラス」とダイナマイツの「トンネル天国」、モップスの「お前のすべてを」、テンプターズの「神様お願い」は僕の中ではかなり特別な曲です。

 

 

 で、こういう曲を知ってしまっているがために、「はっぴいえんどが日本最初のロック」とはどうしても言いたくないんです!だって、聴感上、そして肉感的にこんなにロックを感じることが出来る曲がすでに存在しているというのに、どうしてそれらが「日本黎明期のロックンロール」として認知されないのか。そんなの、どう考えたっておかしいじゃないか。と思う訳です。

 

 

とりわけ

 

 

ムッシュはそれを、自分のオリジナル曲として書いていたわけですからね。

 

 

「日本最初のロックンローラーは誰か?」という問いがあった場合、形式的には、小坂一也とか、そういう答えもあります。戦後、日本はアメリカからの進駐軍の影響もあって、ヨーロッパの国よりもむしろ、エルヴィスをはじめとしたロックンロールの伝来が早く、世界に先駆けてロカビリーのブームのあった国ですからね。その先駆性は僕も認めるところなんですが、いかんせん、ロカビリー・ブームのときだと技術があまりにも未熟だった。僕もその当時の曲、いくつか聴いてますが、ちょっと聴くのツラいですもん。演奏がロックと呼ぶのにあまりにふさわしくないし、曲調そのもののカントリー・ウェスタン、もしくは演歌っぽいですからね。おしむらくは、そのブームの末端で出て来て、「アメリカン・ポップス・カバー」のブームの歳に国際的スターになった坂本九、彼がもう少し自由に歌えていたらな、と思うことはあります。彼もエルヴィスの大ファンで、あの歌唱法はバディ・ホリーの影響を受けたものとされているようにロックンロールの影響下のものだったんですが、そういうセンスを行かせている楽曲がとにかく少なかった。そこが非常に惜しいとこです。

 

 

 ただ、50sのロックンロールのオリジネーターという存在が、海の向こうでさえも、ビートルズやストーンズ、キンクス、ザ・フーなどの登場で今日古びて聴こえます。それは、こうしたバンドたちが、いわゆる3つくらいのエレキギターのパワーコードで曲を書くスタイルを作ってしまったからに他ならないのですが、それを日本で最初にやったアーティストこそ、ムッシュ率いたスパイダースだったわけです。

 

 

 

 

 

 

この映像で聴ける曲の数々も、とにかくエレキの軋んだコード・ストロークが、もうとにかくカッコいいです。

 

 

 

 

そしてこの代表曲でも聴かれるように、コードだけじゃなく、メロディ感覚も絶妙です。これ、正統派なマージービートですけど、デイヴ・クラーク・ファイヴとか、ホリーズのスタイルを完全に吸収してますからね。こういうセンスを持っていたのも、才能にあふれたGS勢の中でも、やっぱムッシュだけだったんじゃないかなと思いますね。

 

 

 ムッシュがこういうセンスを持ち得たのは、実は彼が他のGS勢よりも年齢が少し上だったから、という背景もあります。だいたい、GSの人って、年齢で言って、1946年から49年生まれ、いわゆる戦後生まれのベイビーブーマーなんですが、ムッシュは生まれが1939年と7つから10個上なんですね。だから音楽的に他の人より先んじていたのがひとつ。あと、先述のロカビリー・ブームの歳にすでにロカビリーシンガーとしてデビューしていて、ロックンロールの経験が人より長かった、というのもあります。

 

 

 実は僕、1994年、まだNHKの社員だった時代に、ムッシュとは一度、お仕事を一緒にさせていただいたことがあります。そのときに、ムッシュの事務所に伺って、打ち合わせという名の音楽談義(笑)を3時間ほどしてます。そのときのムッシュは、まさに一番上の写真と同じ格好で、カーペットで横になりながらでの会話だったんですが、そのときの会話はすごく貴重でした。

 

 

 中でも一番覚えているのは「はじめてビートルズを知ったときの印象」というものです。これに関してムッシュが言ったのは

 

 

「パリの、実存主義の学生みたいだな、という感じだったね」

 

 

 こういうことを言ったのは、後にも先にも、彼以外に僕は知りません。

 

 

 これはビートルズのマッシュルーム・カットと、襟なしの黒いシャツについての言及だったのですが、これは元メンバーのスチュアート・サトクリフがドツのハンブルグで作った恋人のアストリッドの影響なんですね。で、これ、言及的にあっています。ドイツでの実存主義なのでハイデガーのはずなんですが、フランスでも実存主義がサルトルを筆頭に展開されていますから、これを指していると思われます。ムッシュもこのとき「サルトルの」とおっしゃってましたので。「だから、すごくヨーロッパっぽいなと思ったの。アメリカの流行りとは全然違うね」というのもすごく印象的でしたね。こういう、文化の奥底の部分までしっかり把握出来ていたからこそのあのセンスだったのかな、と今にして思います。

 

 

 あと、余談として、「フォークはいとこの良子ちゃん(森山良子)がやってたから嫌いだったんだよ」と言ってた(これ、頻繁に公言してますけど)のも思えてます(笑)。

 

 

 それから、この取材の1年くらいあとだったかな、「我が良きともよ」のB面だった「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」がレア・グルーヴ・ブームと渋谷系で再評価があったんですけど、そのときに、そのフランスに関しての歌詞を見て、「ああ、あのフランスからの影響は、あのときのサルトルの会話のまんまだな」とも思いましたね。

 

 

 

この曲も、何度聴いてもすごくカッコいいなあ。

 

 

 最近、よく思うことですけど、もとが海外の文化だったものを、日本で発展させるためには、こうしたムッシュのような、海の向こうの感覚を良く知った優れた先駆者の存在ってやっぱ必要なんだな、ということです。それはロックでいうところの細野さんとかキヨシローしかり、映画での黒澤明しかりね。もっともっとリスペクトされていいことだと思います。RIP

 

 

 

author:沢田太陽, category:評論, 18:59
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