RSS | ATOM | SEARCH
グラミーの最優秀アルバムがアデルでなくビヨンセが勝つべきだったと思う5つの理由と、取れなかった実際のところの7つの理由

どうも。

 

 

いやあ〜、まだ納得いかないですね。

 

 

 

ビヨンセがグラミーの最優秀アルバムを逃したことです。

 

 

幸い、アデルが受賞スピーチで、「私じゃなくビヨンセが取るべきだった」と言ってくれたおかげで、不満を抱えた人たちの気持ちがだいぶやわらいだことは事実ですが、ただ

 

 

今回のことを軽く見過ごすと、今後同じような問題をくり返すことになる!

 

 

 そう思うので、あえて言わせてほしいです。

 

 

 では、なんで僕がここまでアデルの「25」ではなく、ビヨンセの「レモネード」の最優秀アルバム受賞を強く願ったか。それをまず言おうかと思います。

 

 

ビヨンセが勝つべきだった理由 その .▲妊襪離▲襯丱爐2度も圧勝するほどの内容ではなかった

 

 

アデルは2012年のグラミーで、アルバム「21」で最優秀アルバム、最優秀レコード、最優秀ソングの3つを独占受賞しました。このときは文句ありません。それは、アデルという、現在屈指のソウルシンガーが女王として君臨するのを高らかに示したような貫禄があったし、特に「ローリング・イン・ザ・ディープ」には「現在のアレサ・フランクリン」とでも言うべきダイナミックさとエッジもありました。あれなら、彼女のメインの聴き手であるアダルト層のリスナーでなく、もう少し若い、エッジを求める音楽ファンでも納得したからです。

 

 

 だから、このあとを受けた「25」の期待値が世界的に高まったのも理解出来るし、それが現象として今作の初動につながること自体も実際僕は歓迎しました。「ハロー」も、ちょっと大仰だけど、「失恋の女王」としての彼女の真骨頂に期待通りに答えた意味では及第点だったと思うし、別にあの曲でなにかを受賞する分にはそこまで抵抗はなかったです。

 

が!

 

 2回続けてグラミーのアルバム賞を受賞するアルバムではないなあ〜

 

 

とは思いましたねえ。

 

 その予感は「25」に楽曲提供するはずだったブラー/ゴリラズのデーモン・アルバーンが曲をボツにされた際、「すごく無難で冒険のないアルバムだよ。どうして、ああ、自信がないのかな、彼女は」と言ってたんですね。そのときから良い予感はしなかったんですが、前作からのイメージから、何か新しい芽を見いだせるタイプのアルバムではなかったですね。前作でいうところの「ローリング〜」や「ルーモア・ハズ・イット」にあたるエッジがなかったし、キュアーの「ラヴソング」のカバーみたいな絶妙な変化球もない。悪い意味で大人耳に聞きやすい曲を揃え過ぎてしまったな、という印象でしたね。そりゃ、前作ほどの現象になれば、よほどひどい作品でないかぎりかなり売れることは容易に予想出来ましたけど、その余波以外での売れる理由がわからなかったですからね。

 

 だから「ノミネートはいいけど、まさか勝たないよね?」という感じでした。

 

 

 

勝つべきだった理由 その◆ 屮譽皀諭璽鼻廚”ビヨンセ版のスリラー”みたいな価値が感じられたから

 

 

 こういうと大袈裟かもしれませんが、僕は本気でそう信じていました。

 

 

 

 

 なぜなら、このアルバム、コラボ陣がすごいんです!

 

 R&B/ヒップホッからはウィーケンドやケンドリック・ラマー、そしてインディ・ロックからはジャック・ホワイト、エレクトロからはジェイムス・ブレイク!そして、ソングライター陣にはヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・ケーニッヒもいるし、プロデューサーではディプロも、マイク・ウィル・メイド・イットまで!

 

 

 全部、それぞれの領域の今のトップが勢揃いですよ。こんな共演、R&B/ヒップホップの世界ではおろか、世界のどこでもありません。彼らとのケミストリーによって、ビヨンセはR&Bの最もモダンなところにいつつ、インディ・ロックや、ついにはカントリー・ミュージックまでトライしてますからね。「限界に挑戦」的な趣きさえ感じられました。

 

 

 こういうことをやった例って、やっぱ、マイケル・ジャクソンの「スリラー」だと思うんですよ。あのアルバムが最新のブラック・コンテンポラリーに、ポール・マッカートニーやエディ・ヴァン・ヘイレンとの共演もし、遂には映像にも進出した。レモネードも「ヴィジュアル・アルバム」としてミュージック・ビデオも伴ってでた物じゃないですか。そこまで含めて共通してるんですよね。

 

 

 そして、ケンドリック・ラマーとの共演曲では、黒人社会の置かれた状況をポリティカルに歌ってもいますが、これも、どっちかというと「バッド」以降ですが、マイケルの世界平和メッセージに似たものがあります。

 

 

 そこに僕は、彼女のトップ・アーティストとしての「代表になろう」とする強い自覚と意気込みを感じたんですね。そういう作品だからこそ、受賞して欲しかった。アデルはビヨンセに向けたスピーチの中で「これ以上、なにをやれば彼女はこの賞を受賞出来るの?」と言ったんですが、これも、こういうことを指してのことだったんじゃないかと思います。

 

 

勝つべきだった理由 その R&B/ヒップホップの黄金年だった2016年を象徴する1枚だったから

 

 

 それから、ここ数年、ずっと上向きでこそあったんですけど、2016年はR&B/ヒップホップの、現在の基準での黄金の1年だったと思う訳ですね。

 

 

 いろんな世界のメディアの年間ベストを見てても、「レモネード」と、フランク・オーシャンと、チャンス・ザ・ラッパー、そしてビヨンセの妹ソランジュのアルバムは必ずトップ10に入ってましたもの。特にソランジュとの姉妹ダブルは「レモネード」を祝福するにも良いアルバムでしたね。やはり、ビヨンセの音楽性の拡大を刺激していたのが、インディ・ロック大好きッ子だったソランジュでしらからね。彼女はいいセンスをしながら、メンタルがやや複雑なため、時間がかかってしまいましたが、その8年ぶりの鮮やかな復活作が姉の最高傑作と重なったのもひとつのドラマでした。

 

 

 それからセールスでいえば、ドレイクもウィーケンドもあったし、カニエもリアーナも、トライブ・コールド・クエストの復活作、新人ではアンダーソン・パクもいたし、年末頃にはこないだも特集したようにレイ・シュリマーとかミーゴスとかの南部のトラップ人気を爆発させそうな若手も出て来た。注目を浴びる作品がこのジャンルからここまでドバドバと出て来たのは、本当にヒップホップそのものがメインストリームにまで完全にあがった92年くらい以来なんじゃないかな。

 

 その中で「レモネード」はいろんな年間ベストの、ほぼトップの座をたくさん独占していたわけです。このリンク先を見てもらえばわかるのですが、37媒体で1位、16媒体で2位、全体でもボウイについで2番目の評価ですからね。こちら。アデルの「25」はその前の年の年間で1位は2媒体のみで、2位も7媒体で、全体でせいぜい10番目くらいの評価にすぎなかったんです。

 

 

勝つべきだった理由 そのぁ.哀薀漾爾魄媼韻靴浸前キャンペーンも、本番当日も意気込みがすごかった

 

 

 ビヨンセが今回のグラミーで勝負をかけに行っていたのは、9月のMTVのヴィデオ・ミュージック・アワードから伝わってきていました。あのとき、たしか彼女が独占したんですけど、そのときもすごい長いパフォーマンスやったんですよ。

 

 

 さらにはカントリー・ミュージック・アワードという、完全に彼女にとってアウェーな環境に、アルバムの中の「ダディズ・レッスン」で、ディクシー・チックスと共演。これでグラミーのカントリー部門のノミネートまで狙っていたほどです。そしてグラミーでも、ビヨンセは最多の9部門にノミネート。アデルは6部門。この時点で、「やっぱ、今回のグラミーはビヨンセかな」の空気はあったんです。

 

 

 そして当日も、パフォーマンス紹介が彼女のママのティナ・ノウルズで、しかも妊娠の体で「アフリカの聖母マリア」やったでしょ。あきらかにやりすぎなんだけど、すごいと思ったし、「ここまでしないと賞取れないのか」と思い、かわいそうにさえ見えましたね。ただ、選曲面ではばっちりでしたね。やったのが「Love Drought(愛の乾き)」で、「Sandcastles(砂の城)」とのメドレーでしたから、北アフリカあたりのイメージとはピッタリだったわけなんです。しかも、愛の象徴の子供がお腹の中でしょ。これ以上の人生の見せ場、なかなかないですよ。そこは感じ取って欲しかったですね。

 

 

勝つべきだった理由 そのァ,發Δいげ淡此⊂,弔戮タイミングだった

 

 ビヨンセは「20以上のグラミーを取っている」という人もいますが、そのほとんどはR&Bという、限定された部門での話で、いわゆる主要部門での受賞は、2010年に最優秀ソングを「Halo」で取っただけにすぎません。

 

 

 だいたい、ビヨンセって、デスティニーズ・チャイルドのときから人気あったわけだから、もうすぐ20年のキャリアなんですよ。で、1999年には最も売れるアーティストのひとつになっていたわけですが、デスチャのときはどんなにシングルを全米1位続けても、R&B部門だけで、しかもそこのアルバム部門にさえノミネートされなかった。

 

 ソロになっても、1、2作目とセールスで成功、特に1枚目は「クレイジー・イン・ラヴ」の特大ヒットがあったのに、R&Bアルバムを受賞しただけ。最優秀アルバムの初ノミネートが、デスチャのデビューから10年以上経ってた2010年。そこから数えて、最優秀アルバムのノミネートが今回で3回目。ちょっと彼女の経歴からしたら、時間かかり過ぎだと思いません?

 

 

 それもあってか、2015年にこの賞をビヨンセが取れなかった時、カニエ・ウェストが怒ってステージに乱入しようとしたんですよね。このときはもっともビヨンセは本命ではなく、サム・スミスが本命だったんですが、ふたをあけたらベックが取るというサプライズだったんですね。

 

 

 ただ、この件もあったんで、今回、ビヨンセは最高傑作も作ったし受賞するだろう、というのが、批評家だったり、オッズ屋さんの大半の予想だったんです

 

 

が!!

 

 そうはいかずに、終わったのでした・・・。

 

 

 では、なぜ、そうならなかったのかを分析しましょう。

 

 

 今回僕は、フェイスブックのアメリカのいろんなメディアでの書き込みでの反応を授賞式やってるときから見てて、自分でも書き込みに参加したりもしたんですが、この反応がねえ〜、結構イタいんですよ、これが。

 

 

 それが必ずしもグラミーの審査員と一致はしないかもしれないんですけど、グラミーの投票者って批評家じゃないから、案外、アメリカの一般の音楽ファンの認識に近いと思うんですね。だから、参考になるかと。

 

 では、いきましょう。

 

 

勝てなかった理由 その .哀薀漾漆該紺の病的なまでのバラッディアーひいき

 

 これはもう、いかんともしがたいですね〜。

 

 

 これが嫌で、昔、僕、グラミー、見てませんでしたからね。ホイットニー・ヒューストンにはじまり、セリーヌ・ディオン、そして2000年代になってからアリシア・キーズに、ノラ・ジョーンズ。こういう、ときにブロードウェイ・ミュージカルだったり、ときにジャズやオールド・ソウルのエッセンスが入る、清純な感じの物に、グラミー、伝統的に弱すぎるんですね。そういうものが絡むと、あまりに盲目的になりすぎて、ほかのものが見えなくなる。

 

 もうたいがいで、非ロック世代のもはや80代以上の会員も少なくなっているだろうに、まだこういうテイストが生きているのかと思うとウンザリしますけどね。しかも、後継者の登場で、この伝統がはからずも受け継がれてしまったというかね。

 

 

勝てなかった理由 その◆.▲妊觧抻者の白人ファンの態度がいきおい・・

 

 これはですね。エンターテイメント・ウィークリーっていうエンタメ・サイトの書き込みチェックで思ったんですが、ビヨンセのパフォーマンス中、ビヨンセを中傷する書き込みが連発されて止まらなくなっていたんですよね。「いくらなんでも、ここまで集中するのは不自然だろ」と思っていたら、途中で「アデル・ファンの人たち、ちょっと露骨すぎるからやめてくれないかな」という書き込みがあって、そしたら結構うろたえてて、そこでおさまって、返信で、「いや、別にどっちも好きじゃないんだけどさあ」とか言い訳がましくバツ悪そうに返信してるのとかも見ましたね。

 

 

 あと、結果が出て、ビヨンセ派(アメリカのメディア論調はむしろこっちが多かった)からの批判が高まると、今度の書き込みでは「別に人種差別してるんじゃない。ただアデルが優秀なだけで、それをほめるのがなぜ悪い」「黒人が負けると白人が悪者にされる」と、これも、アデル派の書き込みがダーッと流れるんですね。

 

 

 で、「だってアデルは声がいいじゃないか」「アデルの方がベターよ」という書き込みがあったので、「別に声のコンペティションではないのでは?」「ベターとは何に関して?」と返信を僕も書いたんですね。そしたら返事は全然なく、僕の書き込みに「いいね」してくれる人も、これ、黒人がほとんどでしたね。「え〜、なんなの、この対立図式」とは思ってしまいましたね。

 

 

勝てなかった理由 その アデルとビヨンセに対するアーティスト・イメージの把握が歪んでいる

 

 これも白人ファンの見解ですけど、こういうのが目立ちました。「アデルは自分で曲を書いている。対してビヨンセは、ライブでの歌や踊りはパフォーマーだけど、アーティストとは言えない」というものですね。

 

 

 これはあまりにも違和感があったので、「(アデルは共作で曲を書く、という書き込みに)ビヨンセも共作で書いてるよ」と返信したんですね。そしたら、「えっ、そうなの?」と返され、僕の書き込みに喜んだ黒人の若い女性が「自分で曲も書くし、舞台での進行も全部監督してるんだから」と反論してましたね。

 

 

 とにかくですね、アデルのことを「シンガーソングライター」と信じ込んでて、ビヨンセをアイドルとばかりに思い込んでいるんですね。これがあまりに多くて、今回、ビックリしましたね。

 

 

 アデルはたしかに自分で曲を書くけど、1枚目は多少、完全なる自作曲はあるけど、2枚目以降、全曲共作です。歌詞は自分で書かないと、あそこまでの失恋女王にはなれないからそこは全部自分だと思うんですけど、メロディとかに関しては、ちょっと、そこんとこはどうなの、とは思いますけどね。

 

 

 ビヨンセの方が、おそらくソングライティングの関わり度は低いかもしれませんが、ただ、彼女の方もデビューの頃から一貫して強い女性像をイメージしてるわけで、そこも本人がコントロールしてなきゃ動かないとこなので、完全にまかせっきりではないはずです。クレジット上は全曲、名前も入ってますからね。

 

 

 なので、そこのポイントで差を付けることは本来微妙なんですけどね。「全部、自分でやってる女性が好き」ならPJハーヴィーとかセイント・ヴィンセントとかの方がいいんじゃないの?」の嫌みのひとつも言いたくなりましたけどね。

 

 

勝てなかった理由 そのぁ.札シーなダンス・ミュージック・アーティストに対する根強い偏見

 

 

 グラミーって伝統的にこれが強いんです。ビヨンセの前に、そのイメージでとらえられてた代表選手が、あのマドンナです。彼女なんて、あれだけの社会的貢献までした存在だったのにもかかわらず、主要部門のノミネート、99年に「レイ・オブ・ライト」が最優秀アルバムにノミネートされた、たったそれ1回ですからね。

 

 

 なんかイメージとして、ビヨンセがそのマドンナのポジションをついじゃったところがあるのかな。これは上でも書きましたけど、デスチャでどんなに人気があっても、その当時はR&B部門のアルバムすら取れず、ソロでコンスタントに成功を重ねてでさえ、最優秀アルバムのノミネートにサード・アルバムまでかかり、そしてそこから3枚ノミネートされてるのに勝ちに縁がない。同じ部門をテイラー・スウィフトがあの若さで5度ノミネートされて2勝、アデルが2戦2勝してるのとはエラい差です。

 

 

勝てなかった理由 そのァR&B/ヒップホップの昨今のソングライティングに対する無理解

 

 

「悔しかったら自分で曲を書け」「いや、書いてるって」の押し問答は結構見ましたが、白人の音楽ファンがどうして理解出来ていないのが、R&B/ヒップホップの最近のソングライティング・スタイルですね。

 

 

 ここ最近のヒップホップって、アルバム全曲をひとりでソングライティング、プロデュースするパターンってなくて、アルバム全体にものすごい人数が関わっています。1曲の中でも、名高いプロデューサーが何人かがかりで共作したりもしてね。僕もなんでそんなスタイルになったのかはわからないですが、「それで彼ら的に上手く行っているのなら、それでいいじゃん」と思うのですが、白人の音楽ファンは「それは曲を書く実力がないからだ」の一点張りの人が目立ってましたね。

 

 

 ただ、「制作にかかわってる人が多い作品はダメだ」なんてことが一般にまかり通ってしまったら、今後グラミー賞の主要部門で、R&B/ヒップホップの作品は、この先、全く勝てなくなりますよ。そこは「多様性」として認めて行かないことには、無理解による差別的な考えが蔓延してしまいかねませんからね。

 

 

 たしかに、「アイドルごときがガタガタ言うな。曲を書け」はある程度は正論だし、ましてや歌もうまくない10代なんて黙ってろというのは僕にもあります。ただ、歌なりラップなりがすぐれていて、そういう人がアナログ的な発想では表現出来ないカッコいいトラックを歌った方が、ありきたりなバンドより面白い瞬間なんてのはいくらでもあるわけで。ビヨンセという人の場合、そのいずれの場合があてはまる人なのか。その認識ぐらいはちゃんとすべきでしょうね。

 

 

勝てなかった理由 そのΑ 屮譽皀諭璽鼻廚忙臆辰靴燭茲Δ平佑鮹里蕕覆げ山效亮吋譽戰

 

 

「レモネード」って上でも書いたように、まず参加メンツでうなるアルバムなんですけど、今回ビヨンセ攻撃してたような人って、そういう価値もわからず、ほめられていたら「ただのパフォーマーのクセに過大評価されている」と言ってるんですよね。

 

 

 まあ、ウィーケンドとかあたりだと知ってるとは思うんですけど、へたしたらケンドリックとかジャック・ホワイトはあやしいレベルですね。「だって、そんなのラジオでかからないじゃないか」と言ってた人も見ましたしね。だから、レヴューの中で出てくる考え方を共有出来る人が案外少ないんですね。

 

 

 ただ残念なことに、古株のビヨンセ・ファンで「最近のはついていけない」と言っている人が結構いるんですよね。「昔のベイ(ビヨンセ)の曲なら良かったんだけど、今の曲ならアデルの方がいい!」なんて言ってね。もう最近では彼女じゃなくても歌ってないような、古いタイプのR&Bなんですけどね、その人たちが言ってる好きな曲って。

 

 

勝てなかった理由 そのА。嫁も続けて、「黒人社会にとって意義ある作品」を理解されなかった

 

 

 これ、白人が思う以上に黒人に深刻なのはですね、最優秀アルバムを逃したのが、こともあろうに2年も続けて、黒人社会に大事な意味を持つ作品だったからです。

 

 

 去年はケンドリック・ラマーの「To Pimp A Butterfly」。これは発表された瞬間にヒップホップ史に残る結索になりましたからね。史上屈指レベルのラップ・スキルをもったケンドリックが、黒人社会のリアリティの起源を、アフリカまで遡ったり、あるいは音楽的にジャズまで辿ったりすることで作った、黒人カルチャー全体を使ったアートでしたからね。一部で既に、高い文学価値を置いてる学問機関みたいなものもあると聞いています。

 

 

 それが去年、テイラー・スウィフトに負けて、今年は「女性版のスリラー」みたいな価値の「レモネード」がアデルに負けたわけでしょ?そりゃ、黒人社会にとって良い訳ないですよ。社会的金字塔が、世間的人気作に負けるわけですからね。しかも、もう既に1回受賞してるアーティストにですからね。

 

 

 まあ、テイラーを五十歩譲るとしたら、「1989」がその前に受賞した「フィアレス」と全く違うアルバムだったことで、まだポジティヴに言い訳できるかなと思うんですけど、アデルの場合は作品に進化があったわけじゃなく、心地よさを惰性のまま楽しんでいたら勝ってしまった,という感じなので、なんか気持ちよくないんですよね。「本当にちゃんと聴いて選んだのか?」とはどうしても思っちゃいますから。

 

 これに関して。僕は「レイシズム」とまでは言いません。実際に今回のグラミーもチャンス・ザ・ラッパーに新人賞あげたり、トライブ・コールド・クエストの復活パフォーマンスのお膳立てしたり、プリンスの追悼もあったり、精一杯気は使ってましたからね。だいたい、運営者もリベラルな人たちなわけで、悪い印象もたれるのは避けたいでしょうし。ただ、一番尊重すべきだったものに、残念ながら気が回らなかったんだよなあ。

 

・・ということですけどね。まあ、アデルがグラモフォン半分にするくらい、なんか罪悪感を感じていたのも気の毒なんですけどね。。でも、少なくとも、アデルには、なぜビヨンセが受賞すべきだったのかはわかってると思いますね。

 

 

author:沢田太陽, category:-, 09:13
comments(2), trackbacks(0), - -
Comment
なんだかアデルにもビヨンセにもかわいそうな結果になっちゃいましたよね。。。
個人的にはグラミーには人種差別はあんまり感じませんが好き嫌いや贔屓が酷いのは常に感じます。今まで黒人が最高賞を受賞しなかったわけじゃないですし。ただテイラーやアデルに甘すぎだし、パフォーマンスもアリシア・キーズを新人と無理やりコラボさせたり、意味不明な感じも。

ビヨンセはまだまだこれからも傑作を生み出し続けてくれそうですから次作も本当に楽しみ!!マス相手に先鋭的な方向で攻める姿勢に転換して、パフォまで完璧なんてすごいし本当に格好いいなあと思います。抗議とか言って参加しなかったフランクやカニエやドレイクがちょっと格好悪く感じるくらい堂々としててアーティストとしても人としても大人ですね。
はっきり壇上でビヨンセを讃えたアデルやトラブルをしっかりカバーしたガガなども含めやっぱり女は強いなと思いました(笑)
ALI, 2017/02/15 9:03 PM
マッチポンプ、てやつじゃないですかねぇ。
書き込みしてる人たち、時給かな、それともコメント一個幾らかな。
とか、考えちゃいますけどね。

これで善良なる白人はますます萎縮し、譲歩せざるを得なくなる。
まさにトロフィーを割ったアデルのように。
正義感に駈られた人たちは、

黒人の白人へのヘイトが高まる。
なんなら、迫害されている「同志」として、
ムスリムにシンパシー感じて過激派に加わる黒人の若者も出てくるかも。

そういうことを狙ってやってる人たちがいるかもしれないってことです。
残念ながら、エンタメ界隈にも。

事はそう単純ではない。
おなじ目的を持って、それぞれの役割を演じてる人間が両サイドにいる可能性を考えてみた方がいいでしょうね。

このコメントは承認されないと思うので、ついでに書きますけど、
残念ながらイスラム教は、資本主義、民主主義とは絶望的に合わない。

知れば知るほど、恐怖政治を宗教にすり替えて正当化してるだけっていう印象を拭えない。
指導者が「神がこう言ってる」と言えば、疑いを持つことは許されず、それに従わなければならない。
「えー、あんたが神の言葉を聞いたって、証明できんの?」とか言ったら、翌日までには首が飛ぶでしょう、物理的にね。

世俗主義をとり、イスラム法で裁くことを禁止している国でも、家族や隣人による私刑が絶えませんし。
本来、多文化共生に一番向いてない人たちなんですよねぇ。

そういう人たちを利用して、反対する奴らはみんな人種差別主義者のレッテル貼って言論封殺してるのが、自称「リベラルな平和主義者」のみなさんなわけで。
上の方にいる人達はそれぞれの思惑があってやってることなんで、人種問題が無くなって一番困るのは、実はこの人たちかもね。

「違いを認める」ことと、「受け入れる」ことはイコールではない。
違いをわかっているからこそ、「あー一緒に暮らすのムリだね。
お互い関わんない方が平和だね。」
という選択肢だってありうるでしょう。
世界は腹黒い, 2017/02/15 10:27 PM









Trackback
url: http://themainstream.jugem.jp/trackback/2977