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訃報に親しみやすさ、人種・性別など〜ロックが乗り越えなくてはならないもの
どうも。


なんかこう、いまひとつパッと明るい気分になれませんね。


昨年末からレミーに、ボウイ、そして今日1日だけで、イーグルスのグレン・フライにモット・ザ・フープルのドラマーのデイル・グリフィンの訃報ですよ。本当に頭が痛くなります。


こう訃報が続いて行くと、「さて、一体、次は誰のものを聞くはめになるんだ」という、思いたくないことも考えてしまう瞬間もふとよぎるものです。こないだボウイが亡くなったときも、普段は絶対ネガティヴなことをいわないうちのワイフまでが落ち込んで、「想像してみてよ。たとえば、それがエルトン・ジョンになったり、ピート・タウンゼントになったり、ブルース・スプリングスティーンになったりってことを。年齢的に考えて、起こりうることだと思う」と語っていたほどでしたからね。


ただ、つらいけど、これはもう、ロックンロールという音楽世界の構造上、仕方がないことです。なぜなら、そもそもロックという音楽は、いわゆる「ベイビーブーマー」が作り上げた音楽だから。第2次世界大戦が終わり、戦争から戻った兵隊たちが家庭に戻って子づくりに励んでたくさん生まれた子供たちが世界中でこれまでにないような数の単位で生まれ、それがその当時生まれた「ロックンロール」という新しい価値観を持って、親世代に対抗して行くことで文化的に大きくなって行った。そんな彼らがこの夜に生まれたのが、1946年から1950年代頭にかけて。彼らがはちきれんばかりの命を爆発させるのが1960年代後半から70年代前半にかけて。そして、これまで誰も体験したことのない、「ロックのまま大人になること」の実践で、ある層が反動的に保守的になってしまったために、その下の世代のパンクを呼び込むことになり、さらに彼らが40代半ばの中年になってさらに保守化したことで、彼らの息子世代がオルタナティヴ・ロックで台頭することにもなってしまった。


彼らは、圧倒的に多い自分たちの人口層にも支えられたことや、本人たち自身の才能の健在さゆえに大きな支持を得続け、その元気さが目立つ故に、次第に「ロックはベテランの強いもの」のような印象を勢い与えてしまうことで、ジワジワと下の世代から、「じゃあ自分たちの音楽はこれだ」とばかりにヒップホップやエレクトロが支持を得はじめて来た。そして、そうなってきた矢先に、70代を迎えた彼らは、ちょっと一般的な平均年齢よりは若くはあるけど、昔、無理したツケもあって、70というひとつの数字の壁の前に力つきてしまう・・。そんな感じでしょうか。


こうなると、心配になるのは、「今後、ロックって、ちゃんと上手く存続できるのだろうか」、というところですよね。僕も心配でないわけではありません。やはり、ロック文化そのものの勃興〜隆盛を支えた人たちが次々と亡くなっていくわけですからね。不安にもなります。


それだけではありません。ロックにとって、今、もうひとつの大きな障壁となっているのが、ロックが客観的に世間に持たれてしまっている意味あいです。これに今、ロックは苦しんでいるように僕には見えています。


今の「ロック」という音楽の世間の見え方、というのは、もはや「若者の反抗の音楽」というものではありません。それは「かつての怒れる若者の音楽」であり、「エスタブリッシュされた、ポップ・カルチャーの見本」なんですね。むしろ、「世の価値観を変えた文化教養」になって、それはかつて、世間のタブーに切り込んだ類いの文学や映画がたどったのと同じコースを歩んで行くことになってしまった。そういうこともあり、ある時期からは、ロックにカルチャー的に入れ込んで行けばいくほど教養主義的な感じになってしまい、今や「知的な純度」は誰かが何かしら保ってくれる音楽にはなったけれど、その反面、かつてのロックが持っていた、いわば「おやつ」のような大衆的な親しみやすさを失う結果にもなってしまいました。


そして、いざ、家庭生活に目を向けると、ロックの最初の世代を支えた人というのは、もはや一族の中では「祖父・祖母」のポジションにあたります。パンクやオルタナの人だって、今や子供が成人だったりティーンエイジャーになっていることも珍しくありません。結婚が40手前と遅かったこの僕とて、もうすぐ2人目の子供が生まれる頃合いです。そういう家庭環境の中、中にはもちろん、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんから授かったものを素直に享受する子供も少なからずはいるでしょう。しかし、かつてのベイビーブーマーがそうであったように、普通、子供たちというものは、自分の上の世代の文化とは距離を取って、「自分たちの固有の文化」というものを作ることをしがちです。ある時期から、EDMを中心としたエレクトロが爆発的に流行ってるのだって、そこまで意識してるのかしていないのかはわかりませんが、少なからず「これが自分らの世代の音楽」の意識があってやってることなような気がしてます。


さらに、ロックの場合、もうひとつ問題があります。それは「白人男性が築き上げた音楽」というイメージです。今現在、ものごとが80年代、90年代を経て社会の自由度が増したことによって、これまで社会的な主張を抑えられて来た人種的マイノリティや女性が強い主張をしていくことが増えました。これもある意味、ロック・カルチャーの産み落とした産物ではあるのですが、それがゆえに近年(でも10数年くらいかな)は、ロックという形ではなく、黒人や女性がより自然に主張しやすい形態のポップ・ミュージックがロックそのものよりも、生々しい主張を持って共感を持つことが目立つようにもなっています。ジャンルは違いますが、昨今は、映画のアワードなんかでも、黒人俳優や作品のノミネートが少ないことを、それに該当する人や作品があったかどうかなどの客観的な話を置いといて、暴走して「差別だ」と主張すれば聞き入れられるのではないか、くらいの感覚も芽生えて来ています。「差別を受けていた過去に戻りたくない」というある種の強迫観念もあるのだとは思いますが、こういう気持ちが音楽面での主張の強さにもつながっている気がします。これは女性にしても同様です。


これに対し、「じゃあ、白人男性も反抗ののろしを」なんてやってしまうと、これはかなり野暮なことです。こういう反動は、実はアメリカあたりでは既に「男性カントリーシンガーの人気台頭」という、実に保守的な形を借りて起こっていることです。先ほども言ったように、ロックを選ぶ若い人だと教養派のリベラルが多いので、「マイノリティの言うことは優先されるべき」くらいの気持ちもあるので、どうしても強い主張はせず、内向性の方が強くなって行きます。


また、最近では、質の悪いことに、世の中がリベラルに進んで行けばいくほどそれが「普通」になることで、逆に「保守的なことを主張した方が刺激的なんじゃないか」と思い右傾化する若い人も見受けられます。だから、アメリカでカントリーのシェアが若い人にも大きかったり、僕の住んでいるブラジルでカントリーにあたる音楽がラジオ・オンエアの7割を占めるようなことも実際起きてますからね。日本だと、若い子が演歌に走るって話は聞かないので別ベクトルですが、アイドル文化の復権なんかもこれに該当するかもしれませんね。やっぱ、人気のある女の子像の保守的な男性好みする感じなんかに僕はそれ感じるんですけどね。この辺りは研究家じゃないので、よくわかりませんが。


まあ、そうしたことがあるので、ロックという音楽が、たとえば70〜80年代みたいな、大衆的な音楽のポジションを取り戻すのには時間要するでしょうね、これ。そこに、ベイビーブーマー世代の死去の問題や、前述した現在の諸々の問題が重なり合うことで、ロックのポジションがにっちもさっちもいかないこと、というのはどうしても出て来るでしょうね。しばらくは苦戦しそうな気はします。


ただ!


僕はそれでも、ロックがどこかの時点で、もう一回持ち直すタイミングが来るような、楽観的な気がしています。


というのも、逆に支えていた最初の世代がいなくなっていくことで、「あの音楽を支えていた世代」という、逆に負担になっていたものがなくなる分、イメージ軽くなる気がしてるんですね。なんだかんだで映画の世界も、1930〜50年代に活躍していた世代が「ハリウッド黄金時代」と言われていたような人が生きていた時代って、あたかもその後の時代が悪いかのように言われていた感じが、少なくとも僕が子供のときにはあった気がするんですけど、そういう世代のスターたちがひとしきり世を去ってしまってからは、映画の黄金期を特定の時期に定めるなんてことはナンセンスになって来たでしょ。それと同じことが起きるような気がしてます。


あと、今回のボウイなんか良い例ですけど、訃報の報道がおびただしかったことで、そこで今まで知らなかった子供の世代がロックに興味を持つようになることですね。今なら幸い、定額配信のサービスもあるので、安い値段で過去の作品も聴けますからね。決してめでたくはないですけど、悲しみを媒介に次の世代に種がまかれる、という事態は起こりうることだと思います。


あと、最近の若い人たちが「自分たちの音楽」として好んでいるものに限界があることです。それがR&B/ヒップホップにせよEDMにせよ、最近のポップ・ミュージックの弱点として、プロデューサーの依存度が高過ぎて、シンガーとの乖離が激しすぎる傾向があります。そういう音楽の場合、ロックの世界で普通だった、「極力、生の演奏で、曲も自分で作って、みずから演奏して歌う」という総合的なクリエイティヴィティに最終的にかなわない側面もやっぱりどうしてもあるんですよね。もちろん、テクノロジーが音楽のレベルをあげることは僕も認めはするんですが、音楽を作ってる人の顔が見えにくくなればなるほど、やっぱり生で自作自演の人の方が力強く見えて来てしまう。これは、音楽を聴くのも所詮は生身の人間なので仕方がないことなんですよね。


あとは、「これまで差別されてきた人たち」の被害妄想な部分の制御と、現在に当たり前になっていることの獲得のための努力も知らずにコンサバな主張をするのが刺激的だと思っているような人たちの主張が落ち着けば、なんとなくロックの居場所も戻ってくるのかな、という気もしますけどね。そんなにうまくいかないかなあ。ただ、戻るにせよ、もう少し、屈託のないタイプのロック、流行ってくれたら、それはそれで僕はうれしいんですけどね。ロックの中にもう少し、女性や人種マイノリティが入り込める余地がより増えればなおのことベターですが。


・・と、そんなことを考えている、今日この頃です。


 
author:沢田太陽, category:ロック, 12:46
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