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デヴィッド・ボウイと僕〜リアルタイム篇
どうも。


本当ならここでゴールデン・グローブのベスト&ワースト・ドレッサーをやるはずだったんですけど、明るく空元気を振り絞ってもどうしても無理が出るので、最低1日、延期させてください。すみません。


やはり、この件がどうしても頭から消えません。




やはりボウイですよ。ロックの歴史において最大級の喪失のひとつですね、これは。


 だって、影響力が「ロック」って狭い領域に終わってないもの。彼は音楽表現のイノヴェーターであり、死ぬまで最高の感度を持ち続けた音楽リスナーであり、それでいてポップスターにもなりえた人であり、「目で見せるロック」の体現者であり、最高のルックスを持ったセックス・シンボルであり、ファッション・アイコンであり、性の価値観さえ刺激した。ここまで出来た人、どのポップ・ミュージックの歴史探してもいませんって。


 彼自身が影響を受けた引き出しだって、音楽にとどまらず、映画、文学、舞台演劇と多岐にわたっていて、それの総合表現がたまたまロックという形で表現されただけの話であって。この「総合芸術としての価値」だって、黒澤明とかキューブリックとか、フェリーニの映画とか、そういうのに匹敵すると思います。


 ただ、そう言ってる僕自身がそう言う結論にたどり着くのにも30年くらいの月日を擁しているものです。「自分の青春期で流行ってたから好きなんだ」って感じで好きになったんじゃなくて、時の経過と共に聴いていくうちに普遍的にずっと聴いていたい音楽として残ったのがボウイなんですよね。


 そんなボウイの世界との個人的な出会いについて、「リアルタイム」と「さかのぼり」の二つの体験にわけて語ってみようかと思います。


 ボウイのことを僕が最初に知ったのは1980年、10歳のときでした。きっかけはこれでした。




この宝焼酎のCMですね。子供心に「この人、すごくカッコいい人だな」と思ったのがキッカケでした。この少しあとから僕は洋楽に目覚めるんですけど、その頃に、あのCMに出てた人がロックシンガーだということを知ります。そして1981年の終わり頃に、この曲ではじめて音楽でボウイと出会います。





クイーンとの「アンダー・プレッシャー」ですね。クイーンが好きでそこから知ったんですけど、ここで気になりはじめたんですね。ただ、その頃、福岡のFBSっていう放送局で夕方の時間に洋楽のビデオ流す5分の番組があって、そこでボウイの少し前のビデオがよくかかったんですね。そのときに「Ashes To Ashes」「Boys Keep Swinging」「DJ」とかを見てるんですけど、小学校6年生には刺激が強過ぎてちょっと引きました(笑)。


 そうしてるうちに、これですよ。



  1983年に「レッツ・ダンス」の大ブームに、「戦場のメリークリスマス」ですよ。この当時、日本のラジオでも「レッツ・ダンス」「チャイナ・ガール」「モダン・ラヴ」の3曲はアルバム買わなくてもよくラジオでかかってたし、映画はYMOとたけしと共演のわけでしょ?あの頃の日本のサブカル的に最も刺激的だったものと共演したわけだから、やっぱり、すごく気になりましたね。


 そんな矢先、「10月にボウイの福岡公演が決まった」、という知らせが入ります。これは「やったね!」って感じで、僕は行く気満々でした。中2ではあったけど、既にクイーンとホール&オーツとジャーニーは見に行ってたので、これを4つめのライブにする予定だったんです。ラジオの番組聴いてて耳にした「シリアス・ムーンライト・ツアー」って名前の響きもなんかカッコいい感じがしてたので。


 ただ、残念なことに、福岡での公演が流れてこなかったんだよなあ。もし、このときにこれに行っていれば、ボウイが僕にとって「子供時代の思い出の音楽」にもなっていたかもしれません。


 いわば、この頃から少し後のボウイというのは、歴史の中で良く言われることはほとんどありません。ただ、リアルタイム体験者からしたら、この時期のボウイって大衆的ヒットが最も多い時期なんです。84年にも「ブルー・ジーン」、85年はライブエイド出演にミック・ジャガーの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」、86年には映画絡みの「アブソルート・ビギナーズ」に「アンダーグラウンド」のヒットもあって。パット・メシーニとの「ディス・イズ・ノット・アメリカ」もありましたね。ヒット曲連発だったんですよ。


 で、「次のアルバム、楽しみだなあ」と思って期待して87年、待っていたら、これでした。



 これ、好きだったのに、売れなかったんだよなあ。アルバム「Never Let Me Down」が、この直前までが信じられないくらい売れなくてですね。「グラス・スパイダー・ツアー」って名のツアーはそこそこあたってたようで、FMのライブで部分的に聴いて「見てみたいなあ」と思ったら、日本に来ませんでした。


 ただ、子供の好奇心って、高校、大学って移り気で、「もっと自分に近い世代のアーティスト」に親近感を覚えるようになる頃だったりするもので。加えて、ボウイ自身がこのあと、「ボウイ封印宣言」とかして、今聴いても正直カッコいいとは思えないティン・マシーンとかやりだして、すごく醒めてしまったんですね。この頃にキャリア総括のベストみたいのがたしか出てたはずなんですけど、なんか乗れなくて。ひとつは、批評家筋のいうところの「最高のボウイは70s」みたいな話がこの頃はピンと来なかったんですね。ボウイは80sのときにもすごく大スターだったんでね。


 そうしてるうちに90sになって、グランジとかオルタナの時期になって、僕はそちら側に心を奪われます。ボウイは93年に「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」でソロ復活するんですけど、これも、あの当時のグランジとかオルタナに慣れた耳で聞くと、「古いことやってるなあ」と思って、全然響かなかったんですよね。


 ただ、ひとつ強烈な接点がこの頃に出来ます。




このスエードの登場と、ニルヴァーナのアンプラグドのカバーですね。スエードはグラム期のボウイのリバイバリストみたいな形で、マッドチェスターが終わったあとのUKシーンの寵児みたくなってました。その当時、インディ・ダンス自体が好きになれなかった(ヴォーカルがダメなんだもん。今もローゼズ以外はあんまり)こともあってスエードの昔ながらのギターロックは気になり、そこまで大好きになったわけでもなかったんですけど、「グラム期のボウイ」に手を出し始めたのは彼らからで「ジギー」とか「アラジン・セイン」はこの頃に聴きました。で、ニルヴァーナのそのカバーで、「ジギーよりも前の時期もいいのか」と思って聴いてみたら・・。そこから先は次回にとっておきましょう。昔が嘘のように、「70sのボウイ」の熱烈なファンになっていたのでした(笑)。


 そうしていくうちに、ボウイがナイン・インチ・ネールズとツアーをするとか言う話が浮上したり、97年のボウイの生誕50周年コンサートにスマッシング・パンプキンズとかキュアーとかフー・ファイターズとかが出たことが話題になったりしたことで、「ニュー・ウェイヴやオルタナのゴッドファーザー感」が出て来たんですね。ティン・マシーンが実はピクシーズをやりたい企画だったことを知って「へえ〜」と個人的になったのもこの時期です。でも、ピクシーズには聞こえないんだよなあ、あれ。

 
 で、この頃に「アースリング」っていうドラムン・ベースみたいなアルバム出すんですけど、NINみたいだった95年の「アウトサイド」とともに、「流行には乗ってるかもしれないけど、悪いけど”それだけ”って感じだなあ」と思ったんですね。この頃になると、僕は「70sのボウイ」の熱烈なファンになってはいたけど、「リアルタイムはちょっとね」と思っていました。


が!!


 そんな僕のボウイ観に一大転機が訪れます。このあたりです。





 ここで僕は遂に「リアルタイムのボウイ」に遂にクリックすることになります。ここでのボウイって、「エッジィな最新サウンド」に乗るのやめて、自分のソングライティングの基本に戻って円熟を迎えてるような感じで、なにかボウイが本来の自分の姿を遂に取り戻したかのような感触を得たんですね。これはエキサイティングでした。


 特に下の「スローバーン」が入ってる「ヒーゼン」のときには、このときのライブがすごく見たくてですね、2002年8月、ニューヨークに渡ってジョンズビーチ・アンフィシアターってとこで、モービーとのジョイント・ライブを見に行きました。出順、ボウイの方が先立ったんですけど、そんなこと関係なしに、このときのボウイの後光差す感じにしびれあがりましたね。このとき、ボウイは55歳だったんだけど、なんと若い、王子様のような優雅さと微笑みと、異常なまでにまっすぐな背筋を持った人なんだろうと思って、それはそれはただ衝撃でしたね。後にも先にも、男見てこんなにカッコいいと思ったこと、ないですね。そんな人が「ライフ・オン・マーズ」でライブ初めて「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」で続いて、大雨の降りしきる中、「レッツ・ダンス」でシメた、それはそれは最高のグレイテスト・ヒッツだったし、「ヒーザン」の曲がそこに違和感なく収まっていたのも良かったんですよね。

 
 ボウイはその翌年に速くも出た「リアリティ」のときに来日しましたけど、ニューヨークでの思い出があまりにも神々し過ぎて、あれをとどめておきたい気分が強くて、結局日本公演、行かなかったんですよね。あのときは、ボウイもすごく創作的に元気に見えたし、フェスのヘッドライナーもバリバリやってたし、アーケイド・ファイアとTVオン・ザ・レディオを見つけたと言っては、子供みたいにはしゃいでたし、「驚異的に若々しいな、これは」と思ってて。だから、「自分の中で新しい記憶をすりこみたくなったときに」と、悠長に構えてたんですね。


 ところが!


 その後、ボウイは長い沈黙に入ってしまいます。「60歳(2007年)にはなにかするだろ」と思っていたらせず、「ジギー40周年(2012年)にこそ」と思ってたら、それもなく。人によっては、「もう引退でしょ」との声もあったんですが、そこで





 2013年に突如10年ぶりのアルバム「Next Day」で復活ですよ!これは狂喜乱舞しましたよ!99年の「hours」以降の原点復帰ボウイが本当に好きで、この路線で何枚も聴きたいと思ってた僕には大朗報でしたね。


 もう、この頃にはボウイも60代後半になってましたけど、もう僕にとっては、「好きな音楽を届けてくれる音楽家」を超えて、「全然及ばないけど、こんな風に年を取れればいいな」という憧れに変わってましたね。そんなアーティスト、80sのときに好きになったアーティストでほかにいませんよ。もう、時期の流行も何も関係ない、僕がずっと求め続けるリアルの中にボウイが僕に授けてくれたものが生きるようになってきました。





そんな感じだったから、この曲聴いてビデオ見たときも、「すげえ。円熟とともに進化までしてるよ!」とただエキサイトするだけだったんですよ。この死の淵っぽい演出も、「昔から、自身のキャラをいくつも殺して来たけど、そういう大きな演出も戻ってくるのかな」くらいに思ってたんです。だって、まさか、本当に命が危機にさらされてるなんてことは・・・、こんな70手前で音楽的にまだ伸びも見えるのに・・・。


 「70を過ぎてのボウイ」を体験することなく終わり、ある意味、僕が夢見たもの(死なないで何歳でも作品だけは作るんだろうという)はここで終わりました。ただ、彼が多方面で残して来たことというのは本当に甚大なわけですから。これからも死にはしないものが、今後、エンタメやアートの世界にどう息づくのか。見てみたいところです。

 
author:沢田太陽, category:ロック, 09:40
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