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グラミー賞で改めてアメリカの音楽の縮図を考える
どうも。

では、昨日も言ったように、グラミー賞全体の総括をしましょう。

実は同様なことは既にこちら

第98回:サプライズの連続!ベテランの貫禄と社会性で揺れた2015年のグラミー



このDrillspinのサイトで既に書いているので、流れに関してはこちらで抑えていただきたいです。あっ、話の流れの都合上、Siaの「Chandelier」でのクリステン・ウィグの「Sia代役」に関して書けなかったんだよなあ。あれでクリステンのSNLから脈々と続くカルチャー・アイコンとしての知名度がまたワンランク上がったようで嬉しかったです。

でも、今回のグラミー、僕にとって象徴的だったのはやっぱ、これだったんだよな。




このベックの最優秀アルバム受賞のスピーチをカニエ・ウェストが壇上に上がって妨害未遂しようとしたことなんですけど

やっぱ、すっげえ、やだ、これ!!

これ、カニエ、冗談でやったんじゃなくて、かなりマジだったことは、その後のツイートで、「ベックは芸術性を尊重して、ビヨンセに賞を譲るべきだ」と発言してるんですね。

で、これに反応して、「もっと知名度のある人に賞をあげるべきだ」みたいな意見もネットであがってたりするんですけど

そんなことしたら、この賞、本当にダメになりますよ!

たしかに、今回のベックのこの賞の受賞は予想されたものではありません。


ただ、これが起こりえる事情って、もう実はグラミーの場合、2000年代後半からあったんですよね。どのあたりからはじまっているかというと、「なんとなく主要の賞をロックにあげたい」という力学は2000s前半にU2、コールドプレイ、グリーンデイが受賞したあたりから見え隠れしてはいたんですけど、それが明確に「インディ・ロック」の方向に振り切って来たのは、2009年にレディオヘッドがパフォーマンスやったときからですね。そして2011年にアーケイド・ファイアが最優秀アルバムを受賞して「えっ、誰!?」と騒ぎになったり、2012年にボン・イヴェールが最優秀新人受賞して「ボニー・ベアーって誰だよ?」と言われたりもしてきました。

そして、もう少し大衆寄りではありますけど、2012年のアデルの独占だったり、13年のゴティエとかブラック・キーズ、ぶっちゃけ去年のダフト・パンクの大勝とかも、この系を支持している層がゴー出さなかったら、こうはなってなかったと思います。

つまり

今のグラミーの審査員に批評的なインディ・ロック支持者の勢力がかなり混ざっているということです。

こうした人たちって、90sまでにはいなかった人たちです。今思い返しても、あの頃が一番、ロックのメインストリームが刺激的で、ヒップホップとかでも毎月歴史的名盤が出るような時期もあった状況だったのに、その時代はそういうものがグラミーで活躍することってなかった。それこそエリック・クラプトンの「アンプラグド」が大勝するような、アダルト・コンテンポラリー臭がきわめて強いアワードだったものです。なので、僕はこの時期のグラミーには全く興味がありませんでした。たとえばREMとかパール・ジャムが大勝したなんて話は全くありませんでしたから。


 それが今のように変わったのは、この90sにオルタナティヴ・ロックを聴いてきた世代が40〜50代になって、音楽界の背後で意見を言えるようになったからでしょう。この90sのオルタナ世代、年齢にすると1960年代生まれ〜70s初頭くらいのリスナーって、ノスタルジーに陥らず、今も現役でインディの流行りもの聴くような人が多いんですね。それは彼らが、自分たちの親世代、いわゆる第2次大戦後の1946〜49年頃に生まれた、60〜80年代のロックを支えた世代の末路のカッコ悪さとかも客観的に見てるんですね。「年取って売れなくなったら、お涙頂戴な大仰なバラードを歌う」とか、そういうのを「ダセえ」と思って育っていたりもするし、もとからその世代への対抗意識も強いことから、あんまりノスタルジーに走らないんですよね。

で、その世代が審査員に存在するとなぜいいか、というと

ちゃんと自分で全部曲を書いて演奏もする、かつ、音楽情報の収集が広くない人(主に子供)に媚びないアーティストがちゃんと評価されるから。

ここ、本当に重要なんですよね。結局、そういう人が評価されなくなったら「賞」としておかしいですよね。まあ、今のアメリカの音楽のマーケッティングって、そういうタイプのアーティストがきわめてラジオでかかりにくい状況を作り上げてしまっているからすごく問題なんですけどね。

結局、選ぶ側に、そういう危機意識を持った人が増えて来たから、グラミーも変わってきてるんだと思います。まあ、それでも、「大衆性」ってとこで譲歩してるのもわかるんです。だって、エイフェックス・ツインとかウォー・オン・ドラッグスとかが主要4部門にノミネートされたりはしないわけで。その辺りは「この人の知名度だったら主要部門に入れても大丈夫だよね?」と距離感を取りながらやってることなんだと思います。

で、そういう流れの中で、ベックという、デビューして20年来、ずっとアーティストとして尊敬されてきた人が大きな賞を受賞するというのは本来理想的な姿であって、間違っても楯つくべきものではありません。


そして一方のカニエの側から見え隠れする心境に

今まで黒人は差別されてきてるんだから、もっと認められてもいいだろ?

という、過剰な甘えですね。

たしかに、「消えない人種差別への抗議」などは、どんどんやっていいと思います。僕も1992年に社会問題になったLA暴動をきっかけに本格的にパブリック・エネミーやらNWAとか聴きはじめたクチなので、今回のファレルのパフォーマンスでやった、無実の黒人青年を撃った白人警官の無罪放免なんていうのはいくらでもアピールして良いと思っています。


が!

ちょっとでも気に食わないことがあったら「全部、差別のせい」って片付け方は一体どうなの?

そこんとこがどうしても引っかかるわけです。


アメリカの音楽界って、90s以降に、これまで業界の中でかなり差別していた黒人アーティストと女性アーティストをかなり優遇するシステムを作ったんですね。そのことは当時のヒットチャートの上位見ればわかります。80sのときのそれと比べてガラッと上がってますから。それを単純に「黒人と女が強くなった」と見ることはできますが、それが可能になるためには、そこにそれなりのプロモーションのお金を積んだりしないとそういうことは起こらないわけで。ぶっちゃけ、彼らの方が、この当時、シングルを無理矢理売るのを「カッコ悪い」として積極プロモーションをしなくなったオルタナ系のロックより、もっと儲かると踏んだんでしょう。

で、その結果、R&B/ヒップホップにも、女性アーティストにも実りが多いことは実際にありました。実際、90sのR&B/ヒップホップからいくつものレジェンドは生まれたし、刺激的なサウンドもたくさんあったし、スパイク・リーの映画とか社会問題が絡んだりで人種差別を考える意味での重要なメッセージだって生まれた。女性アーティストにしたって、マドンナ以降の「音楽だけじゃなく、ファッションやカルチャー全体を抱え込んでの、より広い意味での音楽ビジネス」という考え方が一歩進んだ時代になったことはたしかだし、歌詞ひとつとっても、これまでは堂々と言えなかったような本音が広く共感を得ることも増えた。特に90sだと、世相そのものがダークな側面が強かっただけに性犯罪に関するものとか、ソーシャルに考えさせられるものもあったりしました。


そういうことがあったので、僕自身もかなり聴き込んだし、これまで「マイノリティ」とされていたものが声を大に出来るときが来たと言うのは非常にポジティヴなことだと思っています。

が!

最近はネガティヴな側面も強くなってると思います。

そのネガティヴなもののひとつが

自分で曲を作れない、極度のプロデューサー依存のアーティストが激増した

これ、非常に問題です。黒人アーティストも、女性アーティストも、基本は「歌う人」と「曲作ってプロデュースする人」が分離した世界ですからね。しかもほとんどの場合は演奏もしないわけで。もちろん、だからと言って、「生演奏できるヤツが全部エラい」とは言いませんが、その性格上、「プロデューサーの傘をあおげることで、実際のアーティスト性をごまかせるアイドル」は大量生産しやすいですよね、これは。

あと

売れっ子プロデューサーの起用過多でサウンドが画一化しやすく、歌詞もマーケッティング先行になりがち

 ここも問題です。最初のうちは刺激的だったサウンドも、売れれば売れるほど需要が高まる上に、曲が生演奏じゃ基本ないから使い回しが非常に増えるんですね。あと、プロデューサー自体も、昔は「アルバム1枚プロデュースできて当たり前」だったのが、今や「アルバム提供が数曲」というパターンが増えたせいで、カニエとかファレルみたいな別格クラスを除いてプロデュース体力がかなり落ちてきたのも事実ですね。最近はアンダーグラウンドの底上げもあったから、だいぶ持ち直して来てはいるようですけど、悪癖には陥りやすい傾向はまだ見えますね。


加えて、前、「同性共感さえ良ければ、曲はどうでもいいわけか?」とここで書きましたけど、なんか曲のコンセプトもマーケティングくささの方が前に感じられるようになってきて、女の子が持ってたもっと生々しい本音みたいのがだんだん聞こえにくくなってる感じもするんですよね。そういうのもいやですね。


・・と、こういう音楽界全体の傾向があることまでちゃんとわかってカニエが抗議したか、そこんとこがやっぱ腑に落ちないんですよね。

奇しくも、今回、ベックの最優秀アルバム受賞を発表したのって



このプリンスだったわけなんですが、それこそ彼は90sの頃から「プロデューサーズ・ミュージック」の強い批判者だったんですよね。そりゃ、全て自作自演がモットーのこの人なら当然のことですが。それも知っていたので、「プリンス、カニエになんか言ったれや!」と思いましたね。


 また、「黒人うんぬん」に関して言っても、最近のアメリカのエンタメ、ちょっとバランスがおかしい気がしてます。グラミーがちょっと取れなかったからって、あんな態度とってますが「もう、アンタら十分マネーも稼いで、それ以上、何がほしいの?」と思うし。また、音楽界だけじゃなくて映画でも「『アニー』の黒人版」とかの話を聞くと、「じゃあ、そのうち、全ての人種のヴァージョン作らなくちゃいけなくなるな」と思うし、こないだオスカーで話題になっていた「Selma」があまりノミネートされなかったからって、別に「マーティン・ルーサー・キングの人生の大事な時期を描いた作品なんだからオスカーで讃えられるのは当然だ」みたいな考えが仮にあるんだとしたら、それは絶対違うし、僕も実際見たけど、申し訳ないけど客観的に見て、今年のベスト作ではなかったし。こういうところは「差別」なのではなく「民主主義」だと思って、ものを考えていただきたいですけどね。


ただ、なんとなくですけど、僕がここまで書いて来た今のアメリカの音楽界の歪みって、どこかの時点で是正されるような気がするんですけどね。


 だけど、ロックもロックで、もっとアピールしなきゃダメなんだ、ということも同時に思いましたけどね。「生演奏でバンド」ってとこで見ると、カントリーにも大部分持って行かれてるな、と思ったし、やっぱりもっと「知られる」努力をしていかないと、人はやっぱり「かつての大アーティストの底力」の方に興味が行ってしまいますからね。「良心」で守って行くことも大事だとは思うけど、もっと大きな次元で、いろんな音楽と共に揉まれるのも大事かな、と思います。




























 
author:沢田太陽, category:アワード, 08:54
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Comment
こんにちは。この記事を読んでちょっと色々思うところがあったので僕もブログでネタにしてみました。尊敬する太陽さんにまるで論争をふっかけるみたいな感じになっちゃってて書きながらビビってたくらいなのですが、この記事からの引用もさせていただいてたりするので、一応ご報告だけでもと思いまして…ひー(悲鳴)。
Skedge, 2015/02/12 11:40 AM









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