どうも。
ここ最近、アメリカのエンタメ系サイトで話題になっていたこの話をしましょう。お題はこれです。
「トムとジェリー」です!
この「トムとジェリー」はですね、僕にとっては特別な意味を持つ作品のひとつです。今、たいがい世界のどこでも、ケーブルのチャンネルのスイッチをつけると「フレンズ」と「シンプソンズ」は必ずやってるものだと思うんですけど、僕がものごころついたときから80年代いっぱいくらいまでかな、その当時のソレにあたったものがシットコムが「奥様は魔女」で、アニメが「トムとジェリー」でした。
特に「トムとジェリー」は僕の住んでだ福岡県では九州朝日放送(KBC)の夕方くらいに、もう、しょっちゅう再放送し続けていましたね。僕は子供心に、このアニメのギャグが本っ当に好きでした。物がぶつかったら、そのぶつかった対象と同じになるとか、上から物が落ちて来たらガラスのひび割れのようにトムが崩れるとか。以前、明石家さんまが「もし『トムとジェリー』みたいな体になれたら、笑いとしては最強やで」みたいなことを言ってたような気がするんですが、僕もあの、特にトムに起こるシュールな肉体の変化は、もう何度も見て話もすでにわかりきっているのにずっと笑い続けていたものです。ぶっちゃけ、僕の海外文化への最初期の入り口になったのが「トムとジェリー」だったからです。
そんな「トムとジェリー」がこのほどアメリカで問題となり、大きな話題を呼んでいます。その理由がこれです。
amazonのアメリカでの作品紹介で、「トムとジェリー」のところに、「この作品には制作された時代の都合により、人種問題的に不適切な表現が含まれています」という説明がつけられたのです。
この話を聞いて僕は
「えっ、なんでその話が今頃?」
と思いました。なぜなら、その話は、
ものすごく有名な話で、アメリカではもう、共通理解されている話だと思っていたからです。そうじゃなかったんだなあ〜。
問題となっているのは、もちろんこれです。
この、顔を隠された、お手伝いさんのことです。この中で彼女は、短期で暴力的な、大柄な太った女性として描かれていますが、そんなこと以上に、
やはり顔を隠されていることがどう考えても非常に問題だと思います。
ただ!
僕は、このエピソードを幼少時から高校生にいたるまで、ずっと何の疑問も持たずに見ていました。いや、それどころか、
当時は「なぜ顔が隠されているのか」などと疑問も持たずに見ていたし、「彼女の人種が何か」すら考えたことがありませんでした。子供心としてはただ単に「そういう話の設定なんだな」くらいの認識で、それが人種差別的な偏見によってなされているとも考えたことは、そのときはありませんでした。だいたい、このアニメが「いつの時代に作られたんだろう?」などとは考えたこともなかったですからね。なんとはなしに「昔からやってるし、作られたのは結構昔なんだろうな」くらいなことは思っていましたが、まさか
それが1940年代に制作されたものだと考えたことは1度もありませんでした。そんな時代って、自分の親でさえ幼少時の頃で、ぶっちゃけ、リアルタイムでは日本にはまず紹介さえされてないものですからね。
ただ、それくらい問題意識もさして持たず、この人種差別エピソードを見ていた僕が、ある日突然、「えっ、それってもしかして。ヤバイじゃん!!」と気がついたのは、20代の半ばになってからのことでした。
それは僕が、パブリック・エネミーのヒップホップやスパイク・リーの映画などを通じて、アメリカにおける黒人差別の問題について知り、興味を抱くようになってからです。それは90年代の前半の話で、それ以降はこの問題に関することに比較的注意深くなっていた頃だったんですが、そのときにふと、上の写真のエピソードのことをハタッと思い出して、「えっ、それって、もしかして、そういうこと!?」と気がつき、ゾッとしたことを今でも覚えています。
それから後年、ネットが普及しはじめた90s後半だったか、ミレニアムの初期だったか、僕はこの件に関して検索して調べて見たら、やはりこの黒人のお手伝いさんの問題に関しては非常に問題で、アメリカでの再放送の際には、ある時期から差し替えが行なわれたり、それが含まれているエピソードの放送自粛の処置が行なわれていたところ、日本ではその話が伝わっておらず、延々と放送され続けていた、ということを知りました。さらに、お手伝いさんの名前が「Mammy Two Shoes」という名前であることも、そのときに知りました。たしかに主に足が中心に出て来ましたからね。
そういう風に理解していたので、てっきり「もう、アメリカでは誰もが知っている有名な話」だとばかり思っていました。だから今回、このことが改めて問題になっていることにむしろ驚いたわけです。
僕が推理するに、おそらくアメリカでも「トムとジェリー」自体を一般に見かけることが少なくなったことで、ストーリー自体を忘れた、あるいは、そんなに詳しくこのアニメを見ていない人が増えたからなのかな、という感触でしたね。そういうこともあってか、アメリカでは「最近、Politically Incorrect(人種問題などの差別問題の観点から、道徳上、不適切だと思われるもの)と思しきものを過剰に直す傾向があるが、作られた時代背景上、仕方がないものもあるのに、少し行き過ぎではないか」という感じの声もあがっていますね。さらに、その昔の僕みたいに「そういう人種差別的な意識を持たずに、Mammy Two Shoesのキャラクターについて深く考えずに見ていた」と主張する声も見ています。
しかし!
僕は
今回のamazonの判断、まったくもって正しいと思っています。
なぜなら、問題は、その表現のされ方もそうなんですけど、その表現を可能にしてしまった、
その当時の白人制作者が黒人に対して抱いていた敵意やあざけりが見え隠れするものだから。1940年代といったら、まだ公民権運動すらない時代です。主に南部に行けば、白人による黒人への非道な暴力や犯罪行為まで行なわれていた時代です。そうした意識が感じられる表現である限りは、僕はやはり説明が必要だと思います。その描き方が、善良な感じにおさまっているのならともかく、顔さえ切られてしまっているわけですからね。
そして、今回の件に関して、いまいちど調べ直している過程で、僕でさえ忘れていた、こういうものもありましたね。
これもたしかにマズいですね。特に人食い人種のヤツ。
それから
「これも中国人差別でヤバいだろ」という声もあがってますね。これに関しては、上で描かれている黒人のそれに関してほどの侮蔑はそこまでは感じないんですけどね。肉体切られたり、野蛮人扱いされているわけではないので。
あと、たとえば、DVDなどで、ユーザーが自分の意思で作品そのものを購入する場合は、「オリジナルなものを見たい」という人もいると思うし、あるいは、当時の時代背景が間違った価値感覚にあったという、歴史的反省の観点から、その問題のシーンをあえて見せてしまう、という考えも僕はアリだと思っています。今回のamazonの件もそういう流れの上にあるのだとは思いますけどね。ただ、その場合は、こういう注釈を責任もってつけるべきだとも思います。
実際、
2005年にアメリカで発売された「トムとジェリー」のDVDボックスには、フーピー・ゴールドバーグによる、こうした事情説明も含まれているようですね。正しいと思います。