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データで見る「平成ガラパゴス洋楽史」(8)容赦のない英米の音楽界の変化
どうも。

では、残り3回のガラパゴス洋楽史、話を進めましょう。


前回は94〜97年の日本での洋楽シーンを振り返り、USオルタナやUKインディのシーンが94年以降にようやく日本でも盛り上がり、それが遂にはフジロックの開催にまでつながったことを書きました。今回はその続きの、98年からミレニアム過ぎのところくらいまでを書こうと思います。

97年頃は日本にいてすごく音楽シーンが明るく見えましたね。オルタナやUKロックは巷でも聴かれるようになったし、フェスも日本で開かれるようになったし、日本の邦楽のバンドのシーンでもオルタナの影響を受けたようなタイプのバンドが増えてタワーやHMV、CATVの音楽チャンネルや音楽雑誌ですごく盛り上がるようになったし。僕は当時NHKでそうした日本のバンドの紹介をスタジオ・ライブという形で紹介する番組のディレクターをやってましたが、「日本でもニルヴァーナがやったみたいなこと、起きないかな」なんてことを期待しながらやってました。その一方で、その年の春からクロスビートで執筆活動も会社に黙ってやるようになり、それが今日の僕へと続いて行くこととなりました。この20年くらいでもっとも僕が楽天的で無邪気だったのがこの頃かもしれません。


しかし!


残念ながら、それは長く続きませんでした!


まあ、冷静に考えたらたしかにそうなんですよね。日本が3年遅れて興味を持ちはじめた頃にはカート・コベインはこの世を去っていたわけだし、97年にはサウンドガーデンもアリス・イン・チェインズも終わっていた。90年代初頭にメジャーで契約になってたバンドも次々と解約されてましたしね。ロラパルーザも97年限りで一回終了しています。そしてヒップホップはトゥパックとビギー・スモールズが抗争で殺されて以降トーンダウン。そしてイギリスではブリット・ポップの熱狂的な盛り上がりにイギリス人が元来のシニカルさを発揮しはじめブームから3年で早くも失速したわけです。変わるのも無理はありません。


ただ、僕としては当時、「やっと追いついたとこなんだから、もう少し持ってよ」とは本音で思っていました。「シーンのいい状態」を日本でもうちょっとシェアしたかったんですけどね。


で、海外のシーンに追いついて間もなかった日本のわけです。次のシーンの動きに早速追いつけなくなってしまいました。


その「次のシーンの動きとはなにか?」ということですが、そのひとつにニュー・メタルがあることはたしかですが、これに関しては今回は語らず、次回の(9)でじっくり話します。ちなみにこのニュー・メタルですが、まだ98年当時は「オルタナティヴ・ロックの新しい流れ」の中でとらえられていたので、これに関しては比較的順調に受容されていたように思います。ただ、これが「オルタナティヴ・ロックへの反動」であったことに僕も含めて世界的に多くの人が気づいて「しまった!」と明確に思ったのは99年の夏くらいでしたが。


そのことよりもむしろこの当時「変化」が明確にわかったのはアイドルの台頭でした。


これに関しては97年に既に予兆はありました。ハンソンとバックストリート・ボーイズのブレイクした年ですね。たしかにあたりはして日本でも反応は良かったんですけど、これがひとつの大きな勢力になるとまでは当時予想もつきませんでした。


驚いたのは99年、ブリトニー・スピアーズが現象になった年ですね。これに関しては全く想定できない現象だったのでビックリしましたね。しばらく「社会の動向とシンクロしたシリアスな歌」に慣れていた僕にとっても、この純然たるアイドル・ダンス・ポップは全く頭にないものになっていたので、最初は全く反応できなかった、というのが事実です。


この当時、ブリトニーに関しては、「17歳でいきなり全米シングルNo.1」みたいな話題もしやすかったこともあったので、オリコンでもギリギリでトップ10に入るくらいの人気になりました。しかし、困ったのは彼女の周囲も含めて、アイドル・ポップ・シーンが大きく拡大してしまったことでした。さすがにここまでは日本のメディアも追いつくのに一苦労してましたね。まだ「最大のライバル」扱いを受けたクリスティーナ・アギレラはトップ40くらいにはアルバムで入ってましたけど、”ブリトニーの彼氏”でもっと話題になってもおかしくなかったはずのジャスティン・ティンバーレイク擁するインシンクはデビュー・アルバムがオリコンに入りませんでした。日本はバックストリート・ボーイズに過剰なファン心理を一点集中させてるところがあって、インシンクは”亜流”と見なされてましたからね。でも、この頃のアメリカのセレブ界の動向見てたら、どっちについた方が良いかは割と明確だったんですけどね。この判断ミスが「セレブのことをわかってるようで大事な情報が抜けてしまっている、その後の日本のセレブ・ファンの状況」を作るひとつのもとにもなってしまいました。


しかし、「99年のポップ・ミュージック界の変革」はそれだけにとどまりませんでした。こういうアイドルたちをネタにしてバッシングすることでデビューしたてのエミネムが話題をさらったのもこの時期でした。ただ、ヒップホップ・ファンには「黒人じゃない」と違和感を持たれ、かつ、「ユーモアの効いた毒舌」というリリックのテーマも理解がされがたく、彼が叩いていたアイドルの日本の知名度もいまひとつだったことでデビューして最初の2年くらいのエミネムの日本での浸透度は惨惨たるものでした。
セカンド・アルバムの「Marshall Mathars LP」を2001年に出し直しをしてプロモーションをかけ、2001年にフジロック、2003年に「8マイル」の映画公開と同時期にやった来日公演の成功で、やっと海外の人に話してもはずかしくない人気を得られたのです。このエミネムの浸透遅れは、この当時本当にイライラしたものです。


そして、この99年にアメリカでブレイクしたものにビヨンセ率いるデスティニーズ・チャイルドやジェニファー・ロペスがいました。デスチャに関しては前の年のデビューの段階で日本でもそれなりに推されていたこともあり、2ndアルバムの出だしのオリコン順位も30位台で決してひどいものではなかったんだけど、いかんせんアメリカでシングルが全米1位2曲、3位1曲の大ヒットが連発して出てしまい、いやおうなく差があいてしまいました。


そしてジェニファー・ロペスに関しては、リッキー・マーティンを筆頭とした「ラテン・ポップ・ブーム」に括る流れもありましたが、基本は「人気女優が音楽に進出」のノリの方が本質的には近かった気がします。ただ、それまでの彼女の映画での代表作が日本で浸透していたか、となるともうひとつ微妙だったので、この点でもやはりウケ方に差はどうしても出ましたね。意外と格差は開かなかった方だとは思うんですけど。


あと、この当時は、「アイドル」「ラテン・ポップ」に加え、カントリーにも人気が出て来てシャナイア・トゥウェインやフェイス・ヒル、ディキシー・チックスなんかの女性カントリーのポップでの台頭がありました。カントリーの場合は、いくら彼女たちが一般層にアピールを広げたと言っても「基本はアメリカでも中西部のローカル・ミュージック」ではあるので僕もいまだに国外では難しい音楽だと思っているのですが、案の定、日本では難しいですね。それ考えると、昨今のテイラー・スウィフトの日本での成功というのはすごいことだなと思いますが。


たしかに、「追いついた」と思った矢先に、これだけガタガタッと音楽界が変わられてしまうと追いつくのは並大抵のことではなりません。実際問題、90年代末期、洋楽の売り上げは大きく下降し「危機だ」とさえ言われはじめました。まあ、(6)で書いたような「一発屋戦略」ももはや通じなくなったし、日本だけで独自に売れていたオールド・スクールのメタルの影響力も落ちたのも原因だとも思いますが。


ただ、「だからこそやりがいがある」と僕は逆に思って、この変革に結局興味を持ちました。この当時僕は会社を辞めてフリーになってたんですが、上に書いたNHKでやってた番組のイメージがあったことで、オルタナとかUKロックの影響を受けた日本のバンドに関しての仕事が多かったんですね。フリーになった頃の一般イメージってそっちの方が圧倒的に強かった気もします。ただ、仕事をしていてそちら側の人(業界やファンの方も含みます)に洋楽に明るい人(特にコンテンポラリーな)が前よりも減ったなあ、これはなんか嫌な予感がするなあ」と思って嫌気が徐々にさしてたのと、「やっぱり自分のルーツ音楽である洋楽でこそ認められたい」という気持ちが強くなったこと、そして洋楽が「伝わりにくい」とか「元気がない」とかというときにこそ洋楽を応援したいという気持ちが強くなり2001年に入ると、完全に洋楽一本にしぼりました。


そして「ジャンルがバラバラに色々雑多にまざるからこそ、無理だと思わずに、全部まとめて紹介してみたい。そういうメディアがあってもいいじゃないか」と思い、2001年の5月に、このブログの前身となるメルマガもはじめてみたわけです。


で、実際にやってみて思ったのは「ジャンルが多岐に渡ってるので難しい」ということは意外に感じなかった、ということですね。結局のところ、どのジャンルでも一般に紹介されるのはそれの代表みたいなものではあるし、そういうものは人々にも受け入れやすいから。


それよりも改めて思ったのは、「セレブの持つ影響力の重層化」ですね。その影響力が音楽だけの次元を超えてることが多いから。同じポップスターでも、たとえばマライアとかセリーヌ・ディオンが売れてる頃って、ただ単に「歌のうまさだけで売っている」という印象が強かったんですけど、ブリトニーとかビヨンセとかJ.Loあたりになると、ファッションや私生活、映画やTV番組まで絡めて総合的に売ってるな、という印象が強くなったんですね。そういうチャンネルが豊富なスターほどやっぱり影響力があるなと。結局のところ、ジャスティン・ティンバーレイクがバックストリート・ボーイズの何倍も海外で出世したのだってそういう理由だし。なぜか日本で売り出しタイミングが大幅に遅れたコールドプレイも、クリス・マーティンの「グウィネス・パルトロウのダンナ」という話題性がなければあそこまでは広がらなかっただろうし。そう考えると音楽そのものだけに特化した洋楽の伝え方って、本当はもう古いのかな、とも、実際のところ思っています。「アメリカン・アイドル」とか「X Factor」みたいなTV番組からスターが出たり、MTVのVMAからその年の音楽界の話題をさらうニュースが生まれたり、「サタディ・ナイト・ライブ」での「デジタル・ショート」から音楽を絡めた有名なギャグまで生まれていたくらいですからね。僕が音楽だけじゃなく、興味を映画やTV番組にまで広げて今ブログで紹介してるのもそれが理由です。


そして、
日本での放送とか公開が遅れたまんまになってるから、僕のやろうとしていることが日本ではメチャクチャ難しいな、とも思います。だって、ウケた理由が音楽以外でのことというのが珍しくなくなったこのご時世で、「音楽の力」だけで正しく洋楽を伝えるのは困難だし、受け手側も他の事情を知らないで受容するのも難しくなって来る。今の日本みたいに、紙媒体しか頼るものがなくなってたのにそれがなくなり、情報がネットでの断片的な情報しかなくなったら、そりゃ、伝わるものも伝わらないですよね。それじゃ、アーティストに関する古い情報が残ったままになっていたり、新しいものが入ってこなかったりで、海外から見たら時代遅れのとんちんかんなセレブや人気アーティストが生まれてたとしても無理もないと思います。


その意味で、「海外との認識の格差問題」はますます難しくなっているような気がします。
author:沢田太陽, category:ガラパゴス, 02:19
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