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データで見る「平成ガラパゴス洋楽史」(7)ウッドストック94、ブリットポップ、フジロック〜やっと時代が動いてくれた
どうも。


「平成ガラパゴス洋楽史」、ここまではボヤいてばかりでしたが(笑)、今回書くことはポジティヴなことです。

なぜなら

日本の洋楽が、いかにして90s前半の遅れを取り戻したか、の話だから。


時期にして94〜97年の話になりますが、この時期になると、僕自身もようやく日本に住んでて、音楽状況にイライラすることがかなり緩和されてましたね。「待った甲斐があった!」と日々充実した満足感と共に過ごせていた日々だと思います。


そのはじまりはまさに94年でした。この年ものっけからサウンドガーデンとナイン・インチ・ネールズが同じ週にアルバムを発売し、ビルボードのアルバム・チャートの1、2フィニッシュを飾るなどしてたし、ベックが超名曲「Loser」を出して「誰だコイツは!?」という衝撃を投げかけるなど、楽しみなことは多かったものです。相変わらず日本の反応は鈍かったですけどね。

ただ

4月の初旬、ものすごくショックなことが起こってしまいます。それは、

カート・コベインの自殺


これはさすがにショックでしたね。突然過ぎて涙も出ず、ただ言葉を失うだけでした。あれはたしか土曜の朝のことで、僕は朝にちょっと会社の仕事で出かけそこで訃報を知って、仕事を終えた午後からは誰とも口を聞かず1人で部屋の中でボーッとすごしたものでした。


このカートの死なんですが、音楽メディアはさすがにどこも大きく取り上げました。ただ、一般芸能メディアになると、とりあげるところとスルーするところがまちまちでした。でも、どこだったか忘れたけど、芸能欄で一面割いてたとこもあったように記憶しています。いずれにしても、そのニュースが与えたインパクトは決して小さくなかった。人はこれで「グランジが死んだ」とも言いましたが、皮肉なことに日本で「オルタナティヴな音楽」が市民権を得はじめるのはまさにこの瞬間からでした。


その決定的な瞬間が、この8月にやってきます。それが

ウッドストック94


これはもう、個人的に非情に開催発表のときから楽しみでならなかったイベントでした!日本のメディアは当初、「エアロスミスとメタリカが目玉だ」といい、ある人は「いやピーター・ゲイブリエルだ」と言いました。しかし、僕が期待したのはそういうアクトではありませんでした。僕が見たかったのはナイン・インチ・ネールズであり、レッド・ホット・チリ・ペッパーズであり、ブラインド・メロン、ロリンズ・バンド、プライマス、そして、当時チャートを下の方からあがってきていたグリーン・デイという名の気になるバンドも・・。


そう、このラインナップ、それはまるで


ロラパルーザのようだったのです!


90年代のUSのオルタナ・バンドが浮上して来た背景には、91年の夏から毎年開催されていたオルタナティヴ・ロックのフェス形式全米ツアー、ロラパルーザの存在が欠かせないものでした。この当時、今みたいにyoutubeでその様子が垣間見れる訳でも、ましてやネットでチケットが買える訳でもなかった。僕は耳に入ってくる情報をただただうらやましく思うだけでした。当時の僕にとって最も憧れのライブでした。


それがこの「ウッドストック」という由緒あるロック・フェスの大部分のアクトとしてロラパルーザ系のバンドが大量にピックアップされている。これはきっと主催者の側が、ロック激動の60年代後半と90年代前半のオルタナ・カルチャーの空気感に同じような何かを感じ取ったから実現したに違いない。そう思うと、僕は非情に嬉しくなったものです。


このウッドストック94は日本でもNHKのBSでも放送されましたが、困ったことにその当時、僕の家にはBSアンテナがありませんでした。でも、こればっかりはどうしても見たい!僕は意を決して、アメリカ時間の土曜日のショウをBSが見れる環境にあった僕の大学時代の友人の家で、そして日曜日のショウは池袋のBSの入っているホテルに泊まって観ました。我ながらすごい執念だと今にしても思うんですが(笑)、その甲斐がありました。土曜夜のナイン・インチ・ネールズの豪雨の中の泥まみれ機材破壊パフォーマンスも、翌朝のグリーン・デイの客が泥を投げる中での勇姿も、いきなり巨大電球をかぶって出て来たレッチリのショウアップも全部見ました!

 カオティックな環境の中、それぞれのバンドが実に多彩に、その時代気分をそれぞれに代表する音楽を、自分たちの感性に正直に表現する。これはものすごいインパクトがありました。このとき、日本のスタジオではNHK側のアナウンサーと解説のミュージシャン・ゲストが出ていて、とにかくまあ、「今の世の中に”愛と平和のメッセージなんて”」とか、明らかにオルタナのオの字も知らなさそうな80sに活躍してたような日本のミュージシャンがエラそうに語り、新しいバンドの話なんてあまりしませんでした。


しかし!


やはりライブと言うのは、反応がダイレクトに返りやすいものです。このウッドストックが終わったあと、音楽メディアはもちろん、ファッション・メディアでもラジオでも、オルタナティヴ・ロックの代表アーティストの姿や客に触れる機械が飛躍的に増えました!


あの当時、こんな言葉がよく耳に入ってきました。「ウッドストック94を見たけど、今アメリカのバンドってあんな風になってたんだね。知らなかった、ヤバい!」。こんな風に一般メディアがようやく重い腰をあげてオルタナ系に力を入れはじめたことで、それまで圧倒的に支配的だったメタルとの立場関係もだんだん変わってきました。


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このようにして、94年の夏以降、急速にこれまで日本でメインストリームだとはとても言えなかったオルタナティヴなバンドに注目が集まっていくこととなるんですが、そういう運気がいいときって重なるもので、時を全く同じくして、UKインディ・ロックの一気の台頭がおこることぬなりました。


これはちょうど94年の春のことだったと思いますが、ちょうどこのときにブラーが「Girls And Boys」を出して来たんですけど、これはものすごく刺激的でしたね。「あっ、やっとイギリスから、僕が中学校のときに夢中になったMTVニュー・ウェイヴみたいなポップさを持った今のクールなバンドが出て来たんだな」と思いましたね。(2)でも述べましたが、その数年前からUKインディ・ロックは活気をもって盛り上がって来てましたが、大衆的な説得力の点でブラーは完全に1枚、2枚上手でしたね。オリコンでもアルバム「パークライフ」が当時のUKバンドとしては異例の13位まで上がることになります。

そして、その年の夏の終わりくらいだったかな、そのブラーの最大のライバル・バンド、オアシスが出て来ることになりますが、僕がはじめてデビュー曲の「Supersonic」を聴いたとき、「なんて華のある、スケールの大きなロックバンドが出て来たんだろう!」と思いましたね!

UKのバンドからしばらく聴かれなかったドッシリとした重厚感があったし、刹那的なブギーやらしたらふてぶてしいカッコ良さがあり、バラードやらせたらいつまでも耳の奥で響いて行くような感傷的で哀愁味溢れたギター・フレーズがある。そうした総合的な良さがありながらも、80sのバンドみたいな仰々しさはなく、それをタイトな編成と風貌の佇まいで聴かせることも出来る。僕はすぐに飛びついて初来日公演となった渋谷クアトロのライブも行きましたが、そのときもチケットはすぐに売り切れで、会場付近には「チケット買います」のボードを持った人が多数いましたね。これ、おそらく、90年代に入ってはじめて海外との時差ズレのないロックバンドの登場の瞬間だったんじゃなかったかな。


あとで調べたら、オアシスのデビュー・アルバムって、オリコンで初登場30位台だったようなんですが、盛り上がりの実感としてはそんなもんじゃなかったですね。期待感は引き続いて行くことになりました。


そして、このブラーとオアシスの登場によって、UKバンドが日本でも急激にドドドッと聴かれていくことになります。プライマル・スクリームの「Rocks」は一大アンセムになったし、レディオヘッドの伝説的な2ndアルバム「ザ・ベンズ」からは何曲もの名曲が生まれたし、他にも本国UKほどの国民感情の揺さぶりこそなかったもののパルプも象徴的に出て来たし、スーパーグラスやエラスティカといったニューカマーも出て来た。日本だけ局部的に受けた印象もあったもののメンズウェアとかブー・ラドリーなんかもかなりの人気だった。そして、こうした世代よりも上ではあったものの、この世代のバンドの精神的な影響源だったストーン・ローゼズもこの時期に遅ればせの2ndアルバムを出し、この世代の子供時代のヒーローだったポール・ウェラーもソロで復活を強くアピールします。


そんな感じでUKロックが急激に層の厚さと人気の高さを獲得していきましたが、そんな矢先の95年秋、シーンの新しい主役、ブラーとオアシスが人気に火をつけてわずか1年のタイミングで近い時期にアルバムを出しました。本国イギリスでは、この立役者の2バンドの対決を煽り、それは音楽界を超えてタブロイド・レベルでの騒ぎにも発展しましたが、これに日本も乗ることになります。その結果、オリコンでブラーが5位、オアシスが8位の好成績を収めました!


イギリスからはさらに良いことが続きました。クラブ・シーンからはマッシヴ・アタックやポーティスヘッドのようなトリップホップも台頭したし、ケミカル・ブラザーズ、プロディジー、アンダーワールド、ファットボーイ・スリムの「ビッグビート四天王」も出て来て日本でもオリコンでトップ10に入るような人気を博しました。

また、ロックとは対局にあるようなポップの領域でもスパイス・ガールズが世界的な成功を収めました。そして映画でも「トレインスポッティング」をはじめとしたイギリス映画が徐々に注目をあびはじめます。ファッション界ではアレクサンダー・マックイーンが時の人となり、サッカーではプレミア・リーグが成功し世界でも屈指の人気リーグにもなった。


さすがにこれだけの文化的な事情が重なってしまうと



現在の30代半ば〜後半の世代にイギリスへの憧れを強く抱く日本人が多かったという事実も無理もありません。


こうした、おそらくはスウィンギング・ロンドンとイングランドのW杯制覇で湧いた1966年以来の盛り上がりと称する人もいましたが、「カルチャー総合」という意味ではそうでしょうね。こういう盛り上がりを、「こんなの結局、トニー・ブレアがぶちあげた人気取りの政策だ」みたいなことを斜に構えて言う向きも決して少なくないんですが、ただ、ブリットッポップもクール・ブリタニカもなかったら、イギリスのロックどころかカルチャーに世界が注目することもなかったし、ロックの文化も若いファン層がつかめずにもっとマイナーでアンダーグラウンドに追いやられたものになっていたでしょう。


それに、そういう醒めた態度を取ることって「俺はそういうものがブームになる前から知ってたさ」ということを誇示したがっているようにしか僕には見えません。まあ、そういうカッコつけたタイプが少なくないのも、「イギリス文化のファン」らしい行動ではあるんですけどね。


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そして、このイギリス勢の急激な台頭と同時に、他の国の音楽も変わってきました。

オアシスとブラーがオリコンでトップ10に入る天気を見せた直後、グリーン・デイやオフスプリングのようなポップ・パンク勢もオリコンTop10入りするほどの結果を残しました。


また、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが台頭したあたりからラウドなロックへの注目度も急にあがり、これまでのオールドスクールなメタルに代わって人気を獲得して行くことにもなります。


そしてファッション誌が
ビースティ・ボーイズに注目をはじめたことで95年の来日時から人気が急上昇。レーベルのグランド・ロイヤルが一大オシャレ・ブランド化して行くことにもなります。


また、日本との作風の絡みもあったことで、ウィーザーのセカンド・アルバムが本国以上の成功を収め、それが逆に世界的に先見の明があったことも後に証明されました。


・・などなど、そうしたことが重なった結果


97年7月、日本でも大型ロック・フェスティバル、フジロックが開催できるようになりました!

今から考えても、あの年のフジのラインナップはすごいものがありました。なにせレッチリにレイジにフー・ファイターズに、中止になった2日目にもグリーン・デイ、プロディジー、ベック、ウィーザーがいたわけでしょ?のちにヘッドライナー・クラスになった名前がそれだけ含まれてたと考えたら、ものすごいことです!これは、もう既に15年近くの歴史を持つ日本のロック・フェス史でも屈指の豪華ラインナップだと思います。


そしてこの年以降、毎年、90年代以降のロックの感覚で、日本で洋楽ロックのフェスを開催することが可能になった。日本で「オルタナ以降のロックが定着した決定的なトドメ」というのは結局はこの「フェス文化の定着」ということだったのではないのかな、という気もします。


また、これとちょうど同じ頃くらいから、こういうオルタナ・バンドたちと音楽的に共通点のある日本のバンドも一般市民権を得はじめたことで、相乗効果になって盛り上がったのも大きかったと思います。


・・と、こういう感じで、グランジやヒップホップの吸収の遅れで生じていた日本洋楽界のガラパゴス状態はこれで解消された


かのように見えました。


しかし!!


残念ながらそんな風に順調にはことが運びませんでした。連載はまだまだ続いていくことになりました。
author:沢田太陽, category:ガラパゴス, 13:09
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