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データで見る「平成ガラパゴス洋楽史」(6)空しい一発屋ヒットの時代
どうも。

「平成ガラパゴス洋楽史」、今回語るのは「オルタナ」とか「UK」とか「ヒップホップ」といったシーンでは全くなく、日本独自で流行った奇妙な音楽

一発屋


これについてお話ししましょう。

もしかして、これをお読みの方には「この人はどうしてこんなに”放送”にこだわるんだろう」と思ってる方もいらっしゃるかもしれません。それは僕が元々そっちの出身だということもあるかもしれませんが、少なくとも平成最初の10年は、放送媒体が洋楽をはやらせるためのひとつの指針だったものです。やはり当時、今みたいにネットもない時代でしたからね。誰かが口コミで話題を広めたくても、それがなかなか出来ない時代だったし、音源を聴こうにも軽く試し聴きすることもできず、もう直接CDを買うか、放送に頼るかの、どちらかしかなかったんですね。


で、僕がこれまで書いて来たような、オルタナティヴ・ロックやヒップホップの日本でのリスナーはこの放送媒体のせいで、多大な損を強いられてきたわけです。それは

本っ当にくだらない曲ばかり、やたらかけてたから!


これまでもずっと語って来たように、僕は90sの前半の音楽って、心の底から尊敬してるんですね。と言うのは、オルタナにせよ、ブリットポップにせよ、ヒップホップにせよ、向う20年のポップ・ミュージックの大きな基準値として定義する存在になりえたのだから。僕は「一点にとどまってしまうと進化はなくなってしまう」という考えの持ち主なので90sで止まるなんてことも決してしたいとは思わないんですが、あの頃にこうした音楽がシーンの現在と未来において果たした役割に関しては疑いようもなく評価しています。80sのときは曲を聴いてて楽しかった時代だけど、それが「基準値」としてシーンに残るようなことまでは残念ながらなかったですしね。それ考えると、本当に立派だったんです。


にもかかわらず!


あの頃の日本の放送媒体は、そうした「本当に育てるべき音楽」を不当に無視し、瞬間のインパクトだけで安易にかせげる曲に洋楽を賭けようとした。


まあ、放送媒体というよりは、当時の日本のレコード会社の方針だった、ということでもあるんですけどね。で、困ったことにこの路線が当たってしまったんですよ!具体的な売り上げ枚数までは知りませんが、ミリオン行ったものなんかもあったんじゃなかったかな。


この当時の「日本独自の一発ヒット」がオリコンでどんなものだったか。例をあげてみましょう。


リセット・メレンデス  '94 アルバム「トゥルー・トゥ・ライフ」3位
シャンプー '94 アルバム「ウィ・アー・シャンプー」8位ほか、もう2枚トップ10
スキャットマン・ジョン '95 アルバム「スキャットマンズ・ワールド」2位
ミー&マイ  '96  アルバム「ドゥビ・ドゥビ」6位 
 



まあ、書いてて自分で恥ずかしくなってきちゃいましたけどね(笑)。ただ、こういう思わぬヒットが出て来たことで、洋楽が”表面的に”日本であたかも盛り上がってたように言われてたものです。


シャンプーはそこでも書いたようにアルバムが3枚トップ10に入っただけじゃなく、シングルでもオリコンTop100が3枚生まれてます。スキャットマン・ジョンもシングルで4曲オリコンTop100が生まれてましたね。


この当時はこれに加えて(1)で話したスウィング・アウト・シスターもシングル、アルバムで共にトップ10に入るヒットがでてたし、Mr.ビッグが96年の頭に出したアルバムなんて1位(英米チャートインせず)ですよ!


この次の(7)で書く予定のことですが、95〜96年に関しては日本での洋楽シーンの状況もクオリティ的にかなり持ち直していたのですが、もっと長いこと確実に売れる本物のアーティストを育てることより、将来が見えないアーティストを短期に売ることに頭が言ってしまっていたことはやっぱり否めないですね。こういうヒットが出ているあいだは、「まだ日本の洋楽界も目覚めてないんだな」とじれったく思ってましたね。


ただ、この当時の”ビッグ・イン・ジャパン”と言われてたもので個人的に唯一良いと思ってたのもありました。それがカーディガンズですね。スウェディッシュ・ポップのサウンドは当時のブリットポップとの親和性も良かったし、彼ら自体、「カーニヴァル」の頃はまだでも「Lovefool」の頃にはイギリスで2位、アメリカでもオンエアで1位(当時シングル発売してたら公式に1位にもなれていた)くらい流行って、結果的に「ビッグ・イン・ジャパン」は返上しましたしね。プロデューサーのトーレ・ヨハンソンは2000年代にはフランツ・フェルディナンドの1stアルバムもプロデュースして力量のあるところも見せたし。


と、言うことで、
”シーン”と呼ばれるところで確実に盛り上がってる音楽の存在がちゃんとあったのに、それを避けて通ろうとしたがために短命の空虚な状況を生み出してしまったのは本当に問題でした。


ただ、
このような非常に困った状況は、実はアメリカでも同様でした。かの国でもたとえばバスケ・アンセムの「Whoop!There It Is」(93)だとか「マカレナ」(96)みたいな謎のヒットは多く見られたものでした。(4)で話したようにロック勢がシングル発売をやめてチャートに入りにくくなり、ヒップホップをリリックの関係上入れたがらなかった状況もあり、ビルボードもなんとか無理矢理ヒットの欲しい時代だったものです。それが故に、マライア・キャリーとかセリーヌ・ディオン、ボーイズIIメンのような人畜無害なバラードが必要以上に全米チャートの長きにわたって1位になってたりしたのもこの時期でしたね。


こうした「一発ヒット主体の無駄な抵抗」は、世界的にもう少ししたら落ち着きましたが、言い換えれば、
それだけ90sの前半のシーンで起こった変革というのは、流行音楽を大衆に送り届ける側にさえひきつけを起こさせるくらいに鮮烈だった、ということも出来たのかもしれません。
author:沢田太陽, category:ガラパゴス, 11:43
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