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データで見る「平成ガラパゴス洋楽史」(0)前史〜「昭和のビッグ・イン・ジャパン」はなぜ許せるのか
どうも。


今日から、ちょっと更新はとびとびになりますが、短期連載に行こうかと思います。


それは題して


平成ガラパゴス洋楽史


まあ、タイトルからして、何のことかおわかりになる人も少なくないとは思いますが、ここでは、平成時代(1989年〜)になってから、いかに日本における洋楽の認識が欧米のソレと大きくズレるようになり、それが問題となって来ているのか。その点について書こうと思います。


これを書くキッカケになったのには2つの出来事がありました。1つは、10月に出るHard To Explain の次号を作成中にスタッフから「日本での洋楽インディのガラパゴス事情について書いてほしい」と言われたんですね。これ正直ビックリだったんですね。なぜなら、僕じゃなくてスタッフの方からその件に関して書いてほしいと言ってきたのだから。


「海外の音楽シーンで当たり前になってることが、なんで日本の洋楽で浸透するのがこんなに遅いんだ!」という問題意識は、僕が2001年にこのブログの前身となるメルマガをはじめたときからありました。HTEを2004年にはじめた動機もまさにそれです。ただ、2010年に僕がブラジルに行くにあたって編集長も交代した時点で、そういう路線は正直考えていませんでした。僕自身の今の考え方としては、もちろん「海外との格差」というのは音楽に限らず、映画の公開やドラマの放送開始まで含めて意識はしてますが、正直今の日本での海外エンタメの受容状況というのはハッキリとはわからないので、ブラジルで生活してて得られる状況から極力客観的な立場から伝えようとしてるんですね。だから「ガラパゴス云々」ということは「日本に住んでるときのようにはいらだちを感じようにも感じられない」というのが本音でした。


それが今回、それまでそこまで強くそういうことを主張したのをあまり聞いたことがなかったスタッフの方から提案があったので「えっ」という感じだったんですね。「ということは彼ら(彼女たち、の方が人数的にはかなり多めですが)も日本での洋楽インディの受容状況にかなり危機感を覚えているんだな、と感じた次第です。


そして、もうひとつが、その「ガラパゴス」の記事をHTEで書くにあたり「資料的なことを調べたい」と思った際、僕はオリコンのサイトに行ったんですね。「あそこってたしか、結構前からのオリコンのチャートの記録が調べられるんじゃなかったっけ?」と思ったからです。そしたら「ちょっと前」どころの話ではありませんでした。1988年分から調べられました!


そこで僕はピンと来たわけです。つまり


ならば、平成以降の日本の洋楽での情報ガラパゴスになってるものを系統立てて書いてみるのがいいんじゃないか。


そこで今回思い立ってこれを書くに至ったわけです。これをちゃんとしたものにできれば、ただ単に「洋楽」というものに限定したものでなく、日本社会のもっと広いところも見えて来るのでは。そんな風にも考えたからです。


そこで、いきなり「平成」から行くことも考えたのですが、「僕がなぜ”ビッグ・イン・ジャパン”なアーティストにあまりいい顔をしなくなったか」だとか「なぜ、欧米シーンの状況が日本で遅れることに憤りを覚えるようになったか」の対比をつけるために、あえて「昭和」の状況を前史としてつけて語りたいと思います。


では、(そのゼロ)にあたる昭和の話から・・。


まずはじめに断っておきますが、僕が洋楽を聴きはじめたのは1980年の10月のことです。ですから、「昭和の洋楽」に関しては、8年と少ししか実感のあることは語れず、あとは後追いで知ったり調べたりしたこと、ということになります。


ただ、それにもかかわらず、60年代や70年代における日本の洋楽が「ガラパゴス」だったとは正直思えないです。そこにはもしかしたら、自分の生きている時代を卑下して、生きてなかった時代を美化する自分の姿というものがもしかしたらゼロではないかもしれません。


でも、むしろ、60〜70年代の方が状況としては「ガラパゴス」にはなりやすかったし、なっても仕方がない状況があったと思うんです。そりゃ、そうでしょう。その当時はインターネットやロック・フェスなんてないどころか、輸入レコード屋さえあって都内くらいのものだし、FM局だって東名阪くらいのものです。本来なら洋楽を届けるインフラとしては今よりはかなり弱い(はずだ)し、そこで「日本なりの洋楽」というのを、海外を自分勝手に思い浮かべるシーンが出来てたって決しておかしくはなかったと思うんですよね。


しかし!


それこそ「データ的」には、その頃の日本で「洋楽が極端に流行ってなかった」とか「日本でしか売れてない曲が続発した」という話はありません。僕が自分の手元持っている、昭和時代の洋楽アーティストのオリコン・チャートの結果が資料として乗っている本(「洋楽inジャパン」1995学陽書房)や、その昔にNHKの資料室にあって読んで覚えているオリコン全記録の本で覚えている知識などによりますと、たとえばこういうことがありました。


「ビージーズは1968年にオリコンのシングルで1位になっている」
「サイモン&ガーファンクルは1970年のオリコン・アルバム・チャートで10週以上1位を独占した」
「クイーンやKISS、ベイ・シティ・ローラーズ、チープ・トリックは、アルバムだけじゃなく、シングルでもオリコン100位以内に多くの曲を送り込んでいた」


そういう話を聞くと、「海外から遅れてる」どころか「もしかして今より洋楽に関してもっと進歩的だったのでは」とさえ思えませんか?あくまで「チャートの結果」であり、日本の洋楽や音楽の状況全体をさすものではありませんが、現在の日本の洋楽状況ではとても起こりえない記録ばかりです。


で、これらの記録からあまり「日本だけに特別」な感じがしないでしょ?そこがポイントなのです!


では、この当時の洋楽リスナーはどうやって海外からの情報を得ていたのか。それについて書くことにしましょう。いわゆる「全米チャート」として知られているビルボードのチャートを日本のラジオでもチェックできるようになったのは1970年のことです。これがラジオ関東の「全米トップ40」で、これは1988年くらいまで続く長寿番組となります。ただ、1970年代当時だとアメリカのトップ40は、ロックの楽曲(たとえばレッド・ツェッペリンやピンク・フロイド)は長尺でラジオのフォーマットに合わないということでかけられなかったのでこれだけでは不完全です。なのでロック関係の情報は「ミュージック・ライフ」や「ニュー・ミュージック・マガジン(今のミュージック・マガジンの前身)」で伝えられていました。僕が後追いで読んだイメージだと、前者がイギリス、後者がアメリカのロック寄りな雰囲気がありますね。アメリカン・ロックに関しては、男性ファッション誌が「アメカジ」のブームで推奨していたみたいな話もよく聞くものです。



でも、この当時、洋楽を聴くのには必ずしも上記したようなものだけに頼る必要もなかったのも事実です。各地方のAM局には洋楽のカウントダウン番組が存在して、そこでいろんなものをおさえることが可能だったのです。Tレックスやカーペンターズもこういうところからしっかり聴かれていたわけです。


で、僕がこの60〜70年代の洋楽で「伝わり損なっていたもの」というのは、あるにはあります。それはたとえばザ・フーやキンクス、ヴァン・モリソンといったところですが、「絶望的なまでの格差の大きさ」があったのはせいぜいザ・フーぐらいじゃないのかな。それが彼らの夢にまで見た最初の来日公演が2004年までずれこんでしまった原因にもなっていましたが。


ただ、この時代には「ビッグ・イン・ジャパン」の存在はかなりありました。それはたとえば、1960年代にはウォーカー・ブラザーズやビージーズ、1970年代にはクイーンやチープ・トリック、ランナウェイズなどが代表的なところでしょうか。


ウォーカー・ブラザーズやビージーズが60年代の日本で大きな人気を得たのは、「エレキギターは不潔で嫌だけど、メロディとハーモニーが美しいものは良いのでは」という、この当時の安全志向の賜物ではないのでは、と思います。前者は「明治ルックチョコレート」のCMに当時出演し、後者は「マサチューセッツ」という曲でオリコン1位になり、その頃にGSアイドルのタイガースのロンドン・ロケの映画で共演までしています。


でも、このビッグ・イン・ジャパンに悪い印象は正直ありません。なぜなら双方とも、後に海外では重要な存在になったのだから。ビージーズはご存知のように70sのディスコ全盛時の巨大アイコンになったわけだし、ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカーはソロ時代の作品がイギリスでマニアックな評価を受け、カルト・アーティストとして今でも尊敬されてますからね。


70年代のクイーンとチープ・トリックに関しては日本から先に売り出しを仕掛けたバンドです。両者ともに英米でそこまで大きかったわけではなかったのに、日本で成功したことが逆にハクになって母国まで届いてそこで注目度が高くなった。これは日本に「先見の明」があった証拠ですね。このパターンは後にも80sのボン・ジョヴィとか、00sのMUSEにまで一応、応用はされているとは思います。



もっとすごいのはランナウェイズでしょうか。この人たちに関して言えば、アメリカでの評価なんて「女の子だけでバンドをつくったキワモノ」みたいな扱いだったのに、日本ではそれがおもしろがられてバカウケし、デビュー曲の「チェリー・ボンブ(当時の表記をそのまま使っています)」はオリコンのシングルでトップ10に入ってます。結局、ランナウェイズは成功することなく解散しましたが、日本でのヒットから5年後の1982年にメンバーのジョーン・ジェットが「I Love Rockn Roll」で全米1位の特大ヒットを記録しました。いや、それだけじゃありません。今やランナウェイズは「女性パンク・バンドのパイオニア」として、きわめてリスペクトされる存在にまでなっています。


こうした話をすると、「日本人っていいセンスしてるんだな」と思わせるかもしれませんが、僕もそう思います(笑)。他の国より先にビッグになる存在を予見できていたのだから。これなら、どんなに最初期には「日本でしか人気がなかった」ものであっても、将来的にはそれがチャラになるどころか、むしろそのことで日本が誇れるもににもなるわけで。その状況でどうして「ビッグ・イン・ジャパン」を非難することができようか。それは僕もそう思います。


ただ、悲しいかな、「平成時代のビッグ・イン・ジャパン」は昭和のようにはポジティヴではありません。なぜか。それは、持っている意味が全く逆のものだからです。つまり


流行っていたときは世界も同様だったのに、最期には「日本でしか」あたらなくなっていたタイプのビッグ・イン・ジャパンだから。


そうです!ここの意味を取り違えてはなりません。そこを取り違えている人が実際に多いから「クイーンだって昔はそうだったのに、どうして”日本でだけ人気がある”のが悪いんだ!」と言い張る人が少なくない理由を生み出してしまうのです。


この2タイプのビッグ・イン・ジャパンは一見似ているようで、全く意味が違います。つまり、60〜70年代の「ビッグ・イン・ジャパン」は例えて言うなら「若いときに日本のリーグで活躍して何かを得た選手が、本国のリーグで大化けしてMVP級のスーパースターになった」みたいなものです。それに対し、90s以降のビッグ・イン・ジャパンは「かつてメジャーで活躍していた選手がショボくなって来日して日本のホームラン王や得点王になった」みたいな感じです。


そして、この90s型の「昔の名前で出ています」系のビッグ・イン・ジャパン・アーティストが長くはびこりすぎるがために結局何が起きてしまったか。それについては本編でしっかり触れようと思います。


そして、それが80年代になると、70年代の状況がさらに強化されたものになります。この頃になると、政令指定都市クラスになるとFM局は存在したし、そこで洋楽が押されるようになります。AMの方でも、70sに存在したという、ベイ・シティ・ローラーズの人気を頂点とした「洋楽アイドル・ベスト10」みたいな番組こそなくなったものの、それでもまだ地方レベルでも独自の洋楽チャート番組は存在しました。かくいう僕も、福岡県のAM局のチャート番組こそが洋楽の入り口でした。


そこに加えて、「海外直輸入感覚」がより強くなりました。それはたとえば1981年に「ベストヒットUSA」がはじまったり、84年にテレビ朝日でMTVの放送がはじまったり。これにより、「海外の音楽を聴く」という行為自体がちょっとした流行りになっていたんですね。実際、久米宏がやってた報道番組「ニュースステーション」の金曜版でも、毎週その週の全米トップ5がフラッシュで流れてたくらいでしたからね。それだけじゃなく、各民放クラスでも深夜に週1回洋楽のヴィデオ・クリップを流す番組は存在したものでした。


で、このときの全米チャートはロックにも都合良かったんですよ。アルバム売るために、シングル・カットを3〜4曲するのが普通になっていた時代で。最初は70sからのアメリカでの人気アーティストでそれがはじまって、やがてそれがニュー・ウェイヴも加わって、80s後半にはメタル系のものまでも入ってきて。その効果でこの時代、ロックの世間認知がかなり上がったのもまた事実でした。


そういう状況があったからでしょうね。あの当時、今から振り返ると考えられないようなアーティストも日本で人気があったものです。あの当時じゃなかったら、たとえばヒューイ・ルイス&ザ・ニュースなんて間違っても日本じゃ売れなかったでしょうね。「どのシーンにも入らない、オッサン臭い風貌の、アメリカ色の強いロック」なんてどう考えても、日本で当たるタイプの音楽にあてはまらないものだったしね、実際。それがオリコンのトップ10アルバム出せてたくらいなんだから。


あと、この当時も「ビッグ・イン・ジャパン」はありましたね。一番有名なのはおそらく「サイキック・マジック」とかで知られるGIオレンジかな。あれなんて、「イギリス本国でもまともにデビュー出来てない」という話がしっかりネタにされてましたけど、でも、そんなに気にならなかったですね。あの当時、アメリカのトップ40と、「日本の洋楽チャート」の両方を聴いてましたけど、トップ40自体を聴いている人も多かったから、「日本の洋楽チャートでアメリカの流行りものが流行らない」ということがそこまで気にならなかったし、逆にそういうGIオレンジみたいなアーティストに関しては、ひとつの「オマケ」というか「ネタ」として楽しめたものです。あと、チャーリー・セクストンは日本で仕掛けて、日本の方が実際に売れてましたけど、カッコ良かったし、ファッション的にJロックにも影響を与えてましたね。今、彼はアメリカン・ルーツ・ロック系のプロデューサーみたいな感じで活躍してるので、これも上述した70s型の理想的なビッグ・イン・ジャパンの系譜に入るかと思います。



ただ、そんな、こと洋楽に関してはベストな状態とさえ言えた80sでも、実は「日本で拾えていない洋楽」というものは、今と比べると随分少ないものではありましたが、存在していたのです。それは一体何なのか?これは「平成ガラパゴス洋楽史」を語る際の最初の重要なトピックになりうるので、本編で話すことにしましょう。
author:沢田太陽, category:ガラパゴス, 08:47
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