現地メディアが選んだ「ブラジル音楽の名盤30選」(2)
2012/09/02 日 07:30
沢田太陽

どうも。


では、続き行きましょう。現地メディアが選んだ「ブラジル音楽の名盤30選」の、その2です。改めて作品見てみましょう。





こちらから、ここでは




これではじまる3段を左から右に行きましょう。こちらから。


『エリス&トム/アントニオ・カルロス・ジョビン&エリス・レジーナ』(1974)


これも”これぞボサノヴァ”って感じのアルバムですよね。実際には1974年って、ボサノヴァのブーム自体は終ってたんですけど、これはエリスのデビュー10周年を祝して、彼女たっての望みでボサノヴァの作曲家の大家、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲だけで全てを作ったアルバム。それが結果、「ボサノヴァの名盤」の栄誉を獲得することになったわけです。


エリスに関しては「60年代のボサノヴァの全盛期の頃をあげるべき」という意見と、「70年代後半に迎えた円熟期こそを選ぶべき」という声があったのですが、これはジョビンの仕事込みでの評価だし、そこにエリスがケミストリーで加わるものを選ぶのは正しい気はしますね。


『リファゼンダ/ジルベルト・ジル』(1975)


トロピカリアを牽引したジルベルト・ジル…というより、今はバイーアの市会議員をつとめたり、5年くらい前まで文化大臣つとめたりと、政治家としても活躍してました。「ブラジルの北島三郎」の異名をとるほどに今や音楽界の大御所ですけど、そんな彼の商業的に最も成功したポイントがこのあたりです。


もともとボッサの人ではあるんですけど、そこに自身の黒人としてのアイデンティティと、同時大進行的なロックのアレンジメントを加えるのがうまいですね。この作品も1975年当時のロックやジャズ・フュージョンの雰囲気とうまくシンクロしています。彼の作品なら1972年の「Expresso 2222」も名盤です。



『フルット・プロイビード/ヒタ・リー』(1975)


今回のこの30選で一番の不満は、欧米のロック界でもカリスマ的人気を誇る60sのサイケ・バンド、ムタンチスが選から漏れたことです。なんで?たしかに「トロピカリア」に重要曲が入っているとは言え、ムタンチスのアルバム自体も十分イノヴェーティヴなのに。おそらくこれは、バンド後期に「なんだかなあ〜」なプログレ・バンドになって空中分解したこと、そして現在みじめな形での再結成で評価下げたことがあげられると思いますが、やっぱりここブラジルでは「ムタンチス=ヒタ・リー」というくらい、リードシンガーのヒタ・リーの存在感が大きいし、ムタンチス脱退後にソロに転じてからムタンチス時代を遥かに上回る商業的成功を手にして、「ブラジルのロックの女王」の名をほしいままにしたからでしょう。


このアルバムはそんな彼女の文句なしの最高傑作。ムタンチス時代にはサイケ、プログレと、かなりドラッギーなサウンドの上で歌っていた彼女ですが、ソロに転じてからはかなりストレートでわかりやすいロックを打ち出すようになっています。


これ、すごく好きなんで、ちょっと聴いてください。

 


これ、ブラジルの女性でロックを目指す人、必ず通ってます。ものすごくライブでのカバーも多い曲です。ちなみにこの曲名の意味は「イッツ・オンリー・ロックンロール!」。


『カサ・ア・ハポーザ/ジョアン・ボスコ』(1975)


この人もカエターノ、ジル、シコ・ブアルキ、ミルトン・ナシメントあたりと並ぶ、70年代のMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジル)の人気アーティストのひとりですね。


MPBの場合、今名前をあげた人の方が思い出されやすいところがあるので、この人のことは勢い忘れて僕もほとんど聴いたことがないので大したことが言えません。スミマセン。ただ、物の本には「サンバ+アラブ文化+黒人音楽」という形容のされ方をされてますね。アラブ文化って、実はブラジルの文化影響、小さくありません。



『カルトーラ/カルトーラ』(1976)


これはヒットするとかしないとかとは全く関係ない”文化遺産”的な作品ですね。カルトーラはいわばブルースにおけるマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフの立場をサンバに置き換えたみたいな存在です。いわばブルース同様。「サンバ」という、100年近く前から伝承として伝わってきたものを、まずは「形」にして伝える役割を果たしたもの、と思っていただければ。


1908年生まれのカルトーラは1932年に「リオのカーニバル」がスタートした際から、パレードのコンペティション(このカーニバルはこのコンペこそがウリなのです)に参加している古豪チーム、マンゲイラの創始者としても知られているほど、リオのサンバ界では重鎮だったんですけど、形として残るアルバムの録音に着手したのは65歳を過ぎてからだったんですね。ただ、これ、いざ録音してみたところ、これが絶品で!僕自身もこれを聴いたときは、「これまで聴いてきた、どこにでもあるような大量生産されたサンバは一体なんだったんだ!」と思いましたもんね。フレーズの哀愁から、声の美しさと曲の運びの説得力、これがハウリン・ウルフのブルースやハンク・ウィリアムスのカントリーを聴いてるときと同じように、ジャンルを超越した、「生身のギターと共に歌われる生々しい歌」という意味で普遍性を持つものだなと、まざまざと思わされたものです。


『アリバイ/マリア・ベターニア』(1978)


「トロピカリア」というと、普通真っ先にあがるのは、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ガル・コスタなんですが、「トロピカリア」のアルバムにこそ参加していないものの、カエターノの妹のマリア・ベターニアも仲間にカウントしても良い存在だと思います。


ただ、彼女の最大のヒット作でブラジル女性で初のミリオンセラーを記録した、この「アリバイ」というアルバムは、「脱トロピカリア」というべきか、それとも「トロピカリア、最後の最大ヒット」というべきか、70年代も後半に入る際に出て来た時代の転換点だったような気がします。これもアレンジはだいぶ当時の英米ロックよりですね。


では




このアルバムではじまる4段目を左から右に見て行きましょう。



『シネマ・トランセデンタル/カエターノ・ヴェローゾ』(1979)


そして、これまで何度も名前があがりつつも、なかなかアルバム自体があがってこなかったカエターノ・ヴェローゾですが、「トロピカリア」から10年以上後のアルバムでの選出ですね。普通、このテのオールタイムでのカエターノって、60年代の「トロピカリア」と同時期に発表されたデビュー作か、彼が亡命先のロンドンでレコーディングして作った「トランサ」(1972年も)などがあげられるんですが、ここではこのアルバムです。


まあ、彼の場合、このアルバムくらいから、それまでの10年の功績が認められるような形でメガヒットを連発しだすので、その意味では正解なのかな。でも、僕的には、彼の作品だったら絶対初期ですけどね。



『ルス/ジャヴァーン』(1982)


これはやや意外なチョイスだったんですけど、瞬間風速的では世界で話題の人でしたからね。1982年、その名も「サムライ」という曲で、スティーヴィー・ワンダーがバックアップするというお墨付きがあったので世界的なヒットになったんですよね。当時中1だった僕でさえもニュースを耳にして知っていたくらいですから。と考えたら、僕のブラジル音楽との最初の接点はジャヴァーンだったのかもしれません。


ただ、ジャヴァーンよりもエントリーされていいアーティストはたくさんあったとは思います。


「ドイス(2)/レジアオン・ウルヴァーナ」(1986)


ここからは80年代の「ブラジル・ロック四天王」が4つ続きます。時代は一気に1986年。ちょうど軍事政権がこの前の年に終結して民主化の世の中になり、ブラジル自体に希望と本音が溢れていた時代。「権力への反対」を叫ぶタイミングとしてロックは絶妙なタイミングで意味を持つものだったのです。


その中で最大のカリスマだったのは、実はもう、このブログでも何度も登場しているレジアオン・ウルヴァーナ。首都ブラジリアのポスト・パンクのシーンから登場した、ザ・スミスとU2を足して2で割ったみたいなバンドですけど、それが模倣に終らなかったのは、ブラジル激動の時代の中で真摯な本音があったことと、フロントマン、ヘナート・フッソの存在感の強さゆえ。「メガネをかけたゲイ」という、ロックスターというより哲学者の風貌を持つ彼が「時代の声」になったわけですからね。あと、洋楽に聞き慣れた耳でこのバンド聞くと、ホントにカッコいいですよ!この時代にポスト・パンクがその国で一番売れる音楽になっていたというのは、本当に衝撃的でした。


ヘナート・フッソは1996年に亡くなるんですけど、レジアオン・ウルヴァーナはそれ以降も、古いアルバムのカタログ販売が本当にヘタクソなブラジルとしては非常に珍しく、CD屋にほぼ全作品そろって売られている貴重なアーティストとなっています。


『セルヴァージェン?/パララマス・デ・スセッソ』(1986)


続いて、この時代にレジアオン・ウルヴァーナの最大のライヴァルだった、リオが生んだ3人組がパララマス・デ・スセッソ。鋭角的なポスト・パンク・サウンドがウリだったレジアオンに対し、パララマスは3ピース編成でレゲエを基調とグルーヴで独自のロックを展開し「ブラジルのポリス」との異名も取りました。その勇姿は1985年に彼ら自身が参加した「ロック・イン・リオ」でも確認できるし、そのコンサートの模様はクイーンのブライアン・メイもうなったほどです。



ちなみに、ここのリードシンガーのヘルベルト・ヴィアナは2001年に飛行機事故で下半身不随となる悲劇に見舞われましたが、現在もバンド共々現役です。ただ、90年代に、いったん人気が落ちたあと、90sに思い切りポップな方向性で成功を果たした際、「セルアウトしやがって」と評判を落としたこともありました。


ただ、それでも80年代当時のこのバンド、テクニック的には最も評価されてます。


『カベッサ・ジナッサウロ/チタンス』(1986)


ここまでなぜか「サンパウロ」のアーティストが少ないんですけど、このチタンスは僕の住んでるサンパウロが生んだ、この時代最大のバンド。


都会的で洗練された雰囲気を好むサンパウロらしく、このチタンスはメンバー10数人の大所帯で、ヴォーカルだけで4人くらいいたバンドです。ショーの攻勢も小劇団の演劇みたいで、アートっぽい雰囲気が漂っていたものです。このアルバムはそんな彼らの最高傑作で、ミクスチャー・ロックの先駆みたいなことを1986年の時点でやってます。ハードコア・パンクとファンクの融合みたいなことですね。この中の「Policia」という曲は後にブラジルが生んだ最大のメタル・バンド、セパルトゥラがカバーしたことでも話題となりました。


ただ、ここ10数年は人気メンバーが続々とやめ、今は残った華のないメンバーだけで、このアルバムの再現ツアーで食ってるという、ちょっと寂しい状態にはなっています。


『イデオロジア/カズーサ』(1988)


80年代ブラジル・ロック四天王の4つめ、正式には4人目のカズーサ。これはちょっとひねってきましたね。僕はこの人が在籍したバンド、バラオン・ヴェルメーリョで入ってくるかと思ったんですが、ソロで来ました。


というのは、これ、ちょっと悲しい理由からなんですね。なぜなら、この人、1990年にエイズで他界したからなんです。もう、このアルバムが出た頃には発病して、体が骨と皮になってかなり痛々しいです。この人がバラオン・ヴェルメーリョにいたときは「ロック・イン・リオ」に出演して、そのイケメンぶりとカリスマ性で英米バンド目当てのリオのオーディエンスをアッと言わせ、ブラジルに本格的なロックブームをもたらす貢献もしたほどなんですけどね。


この人の一生は2005年くらいに伝記映画となり、今の若い人にもよく知られています。




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