- ノーキー・エドワーズ死去 日本へのエレキギターの伝道師
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2018.03.13 Tuesday
どうも。
ヴェンチャーズのノーキー・エドワーズが亡くなってしまいましたね。これ、日本の音楽リスナーにとっては非常に大きなニュースだと思いますね。
1965年に来日公演を行って、日本に一大エレキブームを巻き起こします。日本でエレキギターといえば、まずはヴェンチャーズ。僕はこの時代、生まれてもなかったのですが、伝聞ではさすがに何度も聞いてきた話です。
このエレキギターが「公序良俗を乱す」というので日本では大きな社会問題になったと言います。不思議なことに、ファッションとかではなく「大きな音」が社会の敵扱いされた、というわけです。これ、アメリカの50sのロックンロールとはまた全く異なる歴史なんですよね。アメリカの場合、エルヴィスが出てきた時は「黒人の音楽を白人がやるなんて」という意味で、不良なり、悪魔なりの扱いをされたわけです。日本の場合、そうしたロカビリーはカントリー&ウェスタンの一種として入ってきて、そこまでの社会的批判を浴びてないんですね。その当時の和製のロカビリー・シンガーなんて、紅白歌合戦にも平気で出てれますしね。
ところがエレキギターはそうはいかなかった。この後に出てきたGSなんかも、NHKでは出入り禁止になったと言いますしね。
映像資料が保管されていないのが本当に残念ですが、こういう風に「勝ち抜きエレキ合戦」というテレビ番組までできて、大ブームになってますしね。もう、この当時、世の中的にはビートルズもストーンズも存在していて、もう日本でもビートルズはそれなりに人気もあったと聞いていますけれど、この当時、ことエレキギターに関して言えばヴェンチャーズだったといいますよね。
そして、これは世界的なヒット曲です。「急がば回れ」。映像自体も1960年のこれは「アメリカン・バンド・スタンド」ですね。
これもお馴染みです。「10番街の殺人」。
この「ダイアモンドヘッド」も非常にお馴染みです。
ノーキーはヴェンチャーズのリードギタリストで、まさに上の映像の数々では彼が主役なわけですが、1968年頃に一回脱退します。で、レコーディングに関してはよくわからないのですが、
メンバーの風貌もすっかり変わってますね。1968年、テレビドラマ「ハワイ・ファイヴO」の主題歌を手掛け、これが当時で言うところの久々の大ヒットとなります。
そして日本では、これもノーキーが絡んでるかどうかよくわからないのですが、ヴェンチャーズ名義で、渚ゆう子の「京都慕情」の作曲をし、大ヒットしています。曲調そのものは演歌なんですが、ヴェンチャーズ特有のマイナー・メロディが好まれていた、ということなのでしょうか。
ノーキー本人は元はカントリーの出身のアーティストで、その後はこんな風にスティール・ギターでも達人的な腕前を見せていました。なんとなく思うんですけど、日本の場合、ギターが文化がハワイアンやカントリーから輸入が始まっているので、そのルーツを持つノーキーのヴェンチャーズの方が、ブルースにルーツを持つギタリストよりも受け入れやすかったのかな、という気はしています。
その後もノーキーは
ヴェンチャーズには出たり入ったりの活動だったようですけどね。日本にも、おそらく最も来日回数の多いアーティストが彼らなんじゃないでしょうか。とにかく毎年のように来ては、公民館みたいなところでコンサートやってるイメージありましたからね。
ただ、決して「ビッグ・イン・ジャパン」だったわけではなく、このようにしっかりと「ロックの殿堂」入りしているアーティストであることも忘れてはいけません。エレキギターの伝導師のイメージとしては、クリフ・リチャードのバックも務めていたシャドウズ(ヨーロッパではこっちの方が影響力、デカいです)と並ぶ存在だったと記しておきます。RIP