- 思えば「Xメン」も「猿の惑星」も人種差別問題の産物だったな
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2017.08.13 Sunday
どうも。
ちょっと語りたいことが2件ほど出て来ましたが、こちらから。
もう、ご存知の方も多くいらっしゃるとは思いますが、アメリカのヴァージニア州シャーロッツヴィルで、極右の集団の行進が行なわれました。もう、こういうのに参加した人たちの顔も見たくないので、こういう風に引きの絵で見せてますけどね。彼らの主張と言うのが、反黒人、移民、LGBT、ユダヤ人とかで。
僕自身、アジア人が人口の2割いないところに住んで7年も経ちますからね。こういう、マイノリティが差別を受けることには許せない、というか、こういう感覚のことに関して言えば、もう、幼い頃から一貫して許せないですね。
自分にとって、何がそうした差別を許せない心が出来たのかな、とハタと考えた場合に、僕の場合はやっぱり、音楽とか映画の力が大きいですね。ほら、日本の高校の世界史って、20世紀の歴史、すっとばすじゃないですか。だから、学校で得た知識じゃないんですよね。それよりは、自分が好きで聴いてる曲とか、映画とかで。
最初は世代的にはこれでしたよね。
この1985年の「サンシティ」ですよね。これは南アフリカ共和国でのアパルトヘイトに反対したアーティストによるプロテスト・チャリティ・ソングでしたけど、このときにネルソン・マンデラのことも知って。そのことはマンデラの追悼記事のときにもここで書きましたけど、ただ、あのときは、「もう、こうした人種差別の問題は、文化の発達していないところで起こるものなんだ」とばかり思っていたら
今から25年くらい前ですね。このスパイク・リーの映画で、90年代に入るか入らないかの時点での黒人たちの置かれていた状況のリアリティを彼の諸々の映画で知り、65年に実施にこぎつける公民権をどのような過程で実現にまで到らしたか、そこに到るまでにいくつの命や血が流れて来たか、ということも知った次第でした。ちょうど1992年に起こったロスの黒人暴動の際に僕も興味を持ちましたからね。
で、このときに、ちょうどパブリック・エネミーとか、NWAとか、黒人たちの怒りと現実を乗せたリリックのヒップホップにも触れ、同時に公民権法施行前後からのサム・クックの「A Change Is Gonna Come」からはじまって、スライ&ザ・ファミリー・ストーンとか、カーティス・メイフィールドとか、マーヴィン・ゲイの「What's Going On」もそうですよ。ちょうど、こうした問題意識でいた1993年の11月に、僕がNHKで自分で台本書いた最初のラジオ番組が今言ったような曲をかける番組だったんですね。それもあるから、なおさら、こういう問題には黙ってられないんですよね。
そうした問題を遡って調べて行くうちに
ああ、これも写真見るだけで気分が悪くなります。今から102年前の1915年に、DWグリフィスという監督の「国民の創世」という映画がありまして。このグリフィスという人は、映画技法的には「映画の父」と呼ばれる、この当時としては画期的な映像編集を編み出した人で、それがモンタージュ手法と呼ばれるものなんですが、この映画はそれがはじめて大々的に使われたことで歴史に残るものになっているんですが、問題と今もなり続けているのはこの中身です。だって
KKKが黒人を一方的に黒人を討伐するのを英雄として描いてるんですから。
しかもそれが、単に黒人の出演者が白人女性に恋心を示した、とか、そのレベルで暴力ですよ。これ、初めて見たときにものすごく気分が悪くなって、「見なきゃ良かった」とさえ思ったのを今でもハッキリ覚えています。
それがほぼ一世紀前でしょ?そこから公民権が施行されたのがちょうど50年後の1965年。その頃にさきほども言ったような「ブラック・パワー」のムーヴメントが起こってそれがソウル・ミュージックの歌詞の意識を社会的に昂揚させていったし、映画でもシドニー・ポワチエがハリウッドのAリストの主演級スターになって社会的問題作にたくさん出はじめたような時期ですが、
これらも
この「Xメン」とか「猿の惑星」だって、公民権運動の産物ですからね。
「Xメン」はまさに1963年と、公民権運動まっただ中のときにスタン・リーが意識して作った話は有名です。ミュータントは「黒人」、人間を「白人」に見立てた話で、プロフェッサーXがキング牧師で、マグニートがマルコムXだったんですよね。
また、「猿の惑星」に関しては、厳密に言えば公民権ではなく、フランス人の作家のピエール・ブールが第二次大戦中に日本軍の捕虜になったことをアイディアにしたストーリーだったんですが、映画がハリウッドで制作されたのが1968年。その際に、「猿が人間を下等な生き物として差別して扱う未来」として描かれた際に、これがハリウッドのあるアメリカだとどうしても「黒人と白人の立場がいつか逆転する社会」として見られてしまった。しかも、虐げられる人間を演じたのがチャールトン・ヘストンでね。この人、いわゆる史劇のヒーロー役が代表的な役者で、しかも異人種を討伐する役が多かったんですよね。しかも、私生活では銃推進者で。どう考えても、当時のアメリカの白人の象徴的な役者だったから、そう見えたのはなおさらだったでしょうね。
そうしたことがあって、25年後に再度、さっき言ったような「世の中、良くなってないじゃないか」という厳しい現実の突きつけがあって、その次の25年のあいだには黒人の社会進出がかり進んで、ついには黒人大統領まで生まれるようになった。
にも関わらず
まだ「Black Lives Matter」と黒人側が叫ばずにはおれず、こんなKKKまがいの行進が行なわれるというのもなあ・・・。
しかも今回、その矛先が黒人に限ったことじゃなくて、なんかナチも一緒になっちゃってユダヤ人とか、LGBT、さらに中南米の人たちまでくっついてるわけでしょ?アジア人だってウカウカしてられないですよ。アメリカのIT産業からアジア系減らそうって話もあるくらいですからね。
ナチとか、ユダヤ人へのホロコーストとかに関しても、
いうまでもなく、「独裁者」なり「シンドラーのリスト」なり、もう、戦争映画の題材的には本当にキリがないくらいにあるものです。
そして、近年では、毎年のようにLGBTの傑作映画も生まれてますよね。今年のオスカー取った「ムーンライト」にせよ、その前の年の僕のすごく好きなトッド・ヘインズの「キャロル」とかもそうですけどね。あと、黒人問題におけるソウル・ミュージックやヒップホップのみならず、LGBTのアンセムもすごく強調されて言われるようになってきてますよね。なんか、長く取り留めもなくなって来てはしまいましたが、シメはLGBTのアンセムとして知られつつも、曲のタイトル聞いたら、「あっ、すべての問題に当てはまるな」と思える曲の動画でシメましょうかね。