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映画「ダンケルク」感想 きわめて高度な「戦争映画への批評」なんだけど・・

どうも。

 

 

では、今日は映画レヴュー、行きましょう。これです!

 

 

話題作ですね。クリストファー・ノーラン最新作の戦争映画「ダンケルク」。彼が初めて臨んだ戦争映画で、かなりの大絶賛で迎えられているのはもうすでに知られていることです。さて、どんな映画でしょうか。

 

 

早速あらすじから行きましょう。

 

 

舞台は1940年5月の第二次世界大戦中のフランスのダンケルク。そこで、フランス、イギリス、ベルギーの連合軍はドイツ・ナチスに大敗し、完全に包囲されていました。

 

 

 

イギリス軍はチャーチル首相の命令もあり、戦場から兵士を引き返させることにしています。海軍の兵士たちは海岸で船を待ちますが、その間に彼らにも攻撃は加えられます。

 

 

 一方、陸軍では、若き兵士トミー(フィン・ホワイトヘッド)が命からがら陸軍での惨敗だった戦闘から抜け出て、もうひとりの若い兵士と共にダンケルク海岸に向かい、自分たちも脱出に加わろうとします。

 

 

 

 また、フランス近海では、ドーソンさん(マーク・ライランス)をリーダーとした小型船が、海軍兵を助ける役目をしていましたが、そこに、墜落した空軍パイロットのコリンズが泳いで船に乗って来ました.コリンズさんは近寄ると危険なダンケルク海岸まで、命がけでたどり着こうとします。

 

 

 

 そして、空軍では、連合軍大劣勢の中、ファリアー(トム・ハーディ)が一人奮闘し、なんとか持ちこたえようとします。

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 これはですね。

 

 

 

 

1940年5月26日から6月4日にかけて、実際に行なわれたダンケルクからの英軍の撤退を描いた作品です、ここで、ダメージはもちろんあったとはいえ、出来るだけ多くの兵士が戻って来たことで、それが後に英軍の盛り返しにも貢献した、という話ですね。

 

 この映画なんですが、それを

 

 

きわめてリアルにつきつめて表現してます!

 

 

 それはこの映画そのものを見ても十分感じうることなんですが、見ている僕らが実際にその場に居合わせているかのような臨場感と緊迫感があります。極力、IMAXみたいなタイプの映画館で見た方が、よpり楽しめるのではないかとも思います。僕も、極力スクリーンの大きそうな映画館を選んでこれを見ましたので。あと、空軍のバトルによる戦いにせよ、爆弾を落とされる船待ちの海軍を映す際の立体的なカメラワークも実に見事です。撮影に関して言えば、これ、オスカー狙えるんじゃないかな。あと、サウンドのミキシングとか、録音とかも行けるのでは。

 

 

 そして、これ、読んでおわかりだと思うのですが、特定の主役を置いてなく、陸・海・空の3つの観点から、そのときに進行していたことを同時進行で描いてます。そこには登場人物の誰かの視点ではなく、第三者が光景を客観的に見ているかのような冷静さがあります。

 

 たしかに、戦争映画というのは、ふつう、登場人物の誰かの視点によって描かれるものです。でも、戦争そのものには本来、「特定のヒーロー」なんてものはいないわけで、命をかけて戦場に経っている全ての人が言ってしまえばヒーローです。いや、ヒーローなんてものを願うのは、戦場に立っていない人が、そこに立っている人に描きたいひとつの「エゴ」に過ぎず、そこにいる当人たちにとっては、がむしゃらに生き続けることに必死なだけ・・、という感じでしょうか。

 

 

 ぶっちゃけ、そうした

 

 

 

クリストファー・ノーランの狙いそのものはわかるし、コンセプトの実践の観点からしたら100点満点の映画だとも思います。だからこそ、世界的にものすごい絶賛になっているんだと思うし、僕自身も、なんてことはないメロドラマにしか思えなかった(スミマセン)「インターステラー」とか、最初の2作の勢いが最後に来てスタミナ切れしちゃったのかなと思えた「ダーク・ナイト・ライジング」よりは満足出来た映画にはなっていました。

 

 

が!

 

 

「戦争映画の最高傑作」なんて評価にはハッキリ言って違和感しかありません。

 

 

 僕が上に書いたことをさらに要約して言うと、この映画、「通常の戦争映画についての批評」だと思うんですね。「これまでの戦争映画より正確な描写で作ろう」「これまでの戦争映画のヒロイズムには違和感しかない」みたいな思惑があったから、こういう作風になったと思うんですけど、しかし

 

 

この論法での作風は、何回も通用するものなの・・・?

 

 

 と思ってしまう自分もどうしてもいるんですよねえ・・。

 

 

 だって、「スーパーリアリズムのドキュメンタリー風の作風こそが戦争映画で一番」ってことになったら、世に存在したすべての戦争でいちいちこういう映画を続々作ったとしたら、そんなの面白いですか?これが行き過ぎちゃったら、「そりゃ、リアルかもしれないけど、なんか退屈・・」ってことになりません?その意味で、フォロワーは非常に生みにくい、1回限りの方法論に過ぎないんじゃないかな?これまでだって、こういう方法論が最良だったとしたら、なぜ100年の映画の歴史の中でこういうのがあまり作られて来てなかったんでしょう?僕はやっぱり「リアルなだけな戦争映画が作られ続けたら、全部同じになってしまう」からなのではないかとおもうんですよねえ。

 

 

 あと、「戦争にヒーローはいらない」という観点ですが、それ、非常によくわかるんです。命を落とすかもしれない現場にいて、人もたくさん殺されているようなところに本当にヒーローなんているのか。そう言われたら、たしかに返す言葉はありません

 

 

が!

 

戦争映画って、観る人がもっとも感情的になっていい映画ジャンルなのではないでしょうか?

 

 

 僕の個人的な意見になってしまうかもしれないんですけど、やっぱり、「こんなことがあってはいけない」「もしも、自分の愛する人たちが世の非常事態でこういうとこに立たされたらどうしよう」とか思いながら見るものじゃないですか、戦争映画って。あるいは、人として、こんな悪事は許せない」とか、「こんな残酷な惨状は嫌だ」とか、あらゆる私的な感情が強く積み重なりながら見るものじゃないですか。だからこそ、人間臭くて良いと思うんですよね、戦争映画って。そこから考えると「ダンケルク」は

 

 

血なまぐさくないけど、血が通った感じもしない

 

 

だって

 

この戦争に関して彼がどう思っているのか、とかも全然わからない!

 

 

そこのところが、僕、どうしても引っかかっちゃうんですよねえ〜。

 

 

 オルタナティヴな、これまでにない批評的な表現をしたいという欲求は、創作上、すごく大事なことだと思うんですね。ただ、そのひとつの映画ジャンルが長いこと培って来た「普遍性」というのもやっぱり大事というか。その意味でこれ、戦争映画を見る際に一番あってしかるべきエモーションの部分がちょっと足らな過ぎる感じがするんですよねえ。見た瞬間には、「おお、こんなの見たことない!」「この映像と臨場感はすごいぞ!」とワッと盛り上がるとは思うんですけど、さっき例に挙げたような感情的な普遍性に欠ける分、この興奮、果たして長く続くのかな・・という感じがどうしてもしちゃうんですよねえ。

 

 

 でも、言ってしまえば、「こういうこと、今までの映画でやってないだろ!」ってのが、クリストファー・ノーランらしい手法と言えば手法だし、もしかしたら

 

 

そこが、アカデミー会員に嫌われるポイントなのかも・・

 

 

と、今回、はじめて思ってしまったなあ。

 

 

クリストファー・ノーランは、こと映画ファンのあいだでの人気は当代一です。でも、これまでオスカーの監督賞にノミネートされたことが一回もありません。「なんでなのかな」とよく考えてもいて結局わからなかったんですけど、こういうことだったのかなあ。結局、「新しい方法論は持ち込むけど、普遍性は疑問」ってことなのかなあ。やっぱ、「どれが先か後か、どれが現実でどれが幻か」とか、「すごく哲学的なスーパーヒーロー映画」とか、それだってフォロワー利かないでしょ(笑)?なので、結局この人、孤高にならざるをえないんじゃないかな。まあ、「だまし絵アート」的な作品だと、弟のジョナサンがもうそれの専門家みたいになって、今、「ウェストワールド」っていう、非常にワケがわからなすぎてそこが笑えもし最高なドラマをHBOで作ってもいますけど、お兄さんもこの傾向のまま行くんだろうね。

 

 

 また、「新しさ」と言ってもそれは手法的なもので、「ハートロッカー」みたいな「現代戦争事情分析」みたいなものでもない。あの映画も静かだけど、「静かな中の狂気」というか、どこで命を落とすか分からない怖さみたいなのが今日の戦争の狂気であって、あの描写は今も本当に見事だと思ったんですが、そういう「戦争そのものへの考察」みたいなものがないことも僕は物足りなかったかなあ。

 

 

とはいえ、今回は、絶賛ぶりがすさまじいし、ジャンル的にもオスカーには近いと思うし、監督賞のノミネートもあるとは思うんですけど、作品賞・・果たしてどうでしょうね。

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 19:43
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