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ビギーが逝って20年

JUGEMテーマ:洋楽好き♪

どうも。

 

 

昨日は僕のネット界隈でこれが話題でしたね。

 

 

 

 

3月9日はビギー・スモールズこと、ノトーリアスBIGの20回目の命日でした。彼は僕の20代のときのヒップホップ・アイコンでしたけど、そこからもう20年経つんだよな。

 

 

 彼をどうやって知ったかは今でもハッキリ覚えてます。1994年の秋ですね。ちょうどその頃、僕は初めて音楽雑誌にレヴューを書くというのをはじめてたんですけど、その雑誌「バッド・ニュース」がですね、すごくいろんな音楽を紹介しているタイプだったんですね。それは、ものすごく、あらゆるジャンルで革命的なことが起こっていたあの年を象徴もしています。アメリカのオルタナもブリットポップの出はじめも、テクノも、日本のロックもすごく面白かった。そしてもちろんR&B/ヒップホップも。

 

 

 特にヒップホップは紹介の仕方が大きかったんです。その頃ちょうど、ウータン・クランがブームで、NASもいたし、トライブ・コールド・クエストもいた。プロデュース関係で言えばDJプレミアとかピート・ロックとかもいて。あの頃はすごくヒップホップは”ニューヨーク”が、特に”通”な人たちのあいだでトレンドで、ドクター・ドレーとかアイス・キューブみたいな西側は、日本だとちょっと低く見られていたとこありましたね。僕はあの頃、好奇心旺盛だったんで何でも買ってたんですけど、「ふうん」という風に思って何でも耳に入れてましたけどね。その他にも、とにかくあの頃はおびただしい数のヒップホップのアーティストがいましたからね。ついていくの大変でした。それをライターの佐々木士郎さんが特集していた「ヒップホップ入門100枚」とか買って、半分以上買ったんじゃなかったかな、買って自分なりに勉強しましたけど。その佐々木さんが、後に宇多丸になって、映画とアイドルも語る文化人になるとは夢にも思いませんでしたけどね(笑)。

 

 

 ビギーはそんなで、ニューヨークの期待株みたいな感じで、その界隈では早くから人気でしたね。とっかかりは「メアリーJブライジとかジョデシイを育てた、ショーン・パフィ・コムズの新しいレーベルのアーティスト」というふれこみでしたけどね。ただ、最初はそんなに扱い、特別に大きかったわけじゃなかったんですよ。当時はまださっき言ったウータン関係のラッパー(メソッドマンやらオールダーティ・バスタードなど)とか、NASの方が注目度大きかったですからね。

 

 

ところが

 

 

 

95年に、80sメロウ・ファンク系のシングル3曲を大ヒットさせたことで形勢がガラッと変わりましたね。これで彼はこの当時最も成功したラッパーになったわけです。

 

 

僕も、これらの元ネタ買って、その当時の80sメロウ・ファンクとかも聴きましたね。この当時ちょうど、「Big Poppa」の元ネタにもなったアイズリー・ブラザーズも、Rケリーが狂ったような信奉者でアイズリー本人と共演もしたりして、シーン全体としてその波が襲ってましたからね。そこにうまいこと乗ったわけでもありました。

 

 

ただ、それだけでウケてる人でも決してなかったですね。

 

 

 当時、そこまで認識出来ていたかどうかは微妙ですが、今回改めてこの

 

 

 

 このデビュー作にしてヒップホップ史上に残る名盤「Ready To Die」を聴くに発見は多いですね。

 

 

 まず、ラッパーとしての声が立派です。この人、声の高低の使い分けが出来るんですね。これすごいことです。NASとかケンドリック・ラマーみたく、リズムを壊していくタイプのラッパーもすごいですが、そんな彼らでも、声の使い分けまではしませんからね。ビギー聴いてると、この人、声が高いのか低いのか、よくわからなくなるんですね。で、いずれにしても声がすごく良く通って、韻を踏み出すと、そのフローのリズムにすごく切れ味がある。これは聴いててハッキリわかるし、今聴いてもカッコいいものです。

 

 

 あと、今回聴いてみて、スネアとバスドラとハイハットといった生ドラムの骨格の部分がこんなに強調された音作りのヒップホップ聴くの、すごく久しぶりだなとも思ったんですが、サウンドはあの当時のニューヨーク・ヒップホップのこれ、ハイブリッドな部分ですね。このサウンドって、その後にあんまり継承されなかったので、今聴くと若干古さも感じない訳ではないんですが、いつか再評価がある気もしているし、ここもカッコいいです。

 

 

 ただ、それにも増して印象深いのは、彼がすごく満たされないというか「どんなに幸せでも、すぐに死ぬんだから」という陰をずっと引きずっているとこですね。それが90s特有の苦悩の時代の産物というかね。ただ、こういうのがあったからこそ、彼のリリックが、今生きている自分の境遇をリアルにラップできる原動力に確実になっていたのだと思われます。

 

 

 ただ、それが故に

 

 

トゥパックという、同じく人生をかけてラップしていた者同志での悲しいバトルにつながってしまったのかなと思います。「東と西の最高のラッパー同志のビーフ」と持ち上げたまではよかったものの、回りの悪い連中にも煽られてそれがエスカレートしてしまい、トゥパックは96年9月、そしてビギーは97年3月にそれぞれ銃殺で世を去ってしまったわけです。

 

 

 僕、当時これがショックでですね、ヒップホップ聴くの、以降の3年くらいやめてたんですよ。「もう、この音楽はダメだ」とか思いつめてね。というのも、ビギーで当てたショーン・パフィ・コムズ改めパフ・ダディ(後にPディディ)が超下手な宴会芸にもならないようなラップでデビューして大ヒットさせるは、ジャ・ルールとかDMXとかみたいなトゥパックの露骨なまでの真似フォロワーが安全なラップで人気出るはとかあったんで。エミネムとかアウトキャスト出てきてなかったら、まだ今頃ヒップホップ聴いてなかったかもしれません。

 

ビギーの後継は

 

 

ビギーの晩年の親友だったジェイZが受け継いで今に至ってますけどね。彼がラップ・キングになることで、ビギーの王座が継承された感じなのかな。スタイルは、即興性が強いとこは2人似てますけど、スタイルとか、音楽の臭覚は違いますけどね。

 

 

 今日的に見た場合、ビギーとトゥパックなら、トゥパックの方が、遺作の異常な多さ(死の前の映画出演も尋常じゃなく多いんだよね。ものすごい生き急ぎぶり)と、エミネムとケンドリックといったカリスマが神のように崇めていることなどが有利に働いて、今日的には振り返られやすいかもしれません。あと、曲調も、トゥパックの方が今のサウンド的にアクセスしやすいかな。さっきも言ったように、あの頃の東のサウンドって、そんなに継承されないまま、南部とかが強くなっちゃったんで。

 

 

 ただ、ビギーの90sの象徴の仕方、ラッパーとしての普遍的な強さ、人生そのものがコンセプトになったデビュー作。これらはずっと伝説として語り継がれることになるはずです。改めてリスペクトしたいなと思っています。

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 20:08
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