RSS | ATOM | SEARCH
世界が震撼! Rケリーの恐るべき性犯罪疑惑の歴史
(現在、noteでも当ブログは展開中です。そちらのアドレスはnote.mu/themainstream)
どうも。
今、世界のエンタメ・ニュース、どうしてもこれが話題です。
90年代に一世を風靡したR&Bシンガー、Rケリーの性犯罪疑惑がここに来て非常に騒がれています。この件に関しては、彼の全盛期の時代からずっとあったものではあるんですけど、もうここ10数年はこれに関しての訴訟で音楽どころではなくなっていましたからね。
それが今、なぜまた騒がれているのかというとですね。
1月3日から5日にかけ、彼の性犯罪疑惑の歴史と謎に迫るドキュメンタリー番組「Surviving R Kelly」がアメリカのケーブルTV「Lifetime」で放送されて大反響となったからなんですね。

この番組、非常に興味深くてですね、僕もみようと試みたんですが、なにせ、まだアメリカ以外で直接ネットしているものがなく、誰かが録画したものがネットに落ちてないか調べたんですけど、これも最近、取り締まりが強くて難しい上に、これ、全六回6時間もあるんですよ!プラス、話の内容が内容なんで、ちょっとついていけるかどうかも自信がありません。

 

ただ

 

 

 

この番組を受けて、イギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」のサイトが、実に丁寧に彼の性犯罪疑惑の歴史をまとめてます。以下のようになっていますが、まあ、これが衝撃です。

1. 1994年、15歳だったアリーヤと結婚

 

 

まずは、これはリアルタイムでもかなり話題になりましたけど、1994年、彼が一番人気があった頃に、当時プロデュースを手がけていた15歳のアリーヤと結婚したことですね。これ、問題になりましたけど、この件に関しての彼の言い草が「アリーヤが年齢を詐称してたんだ」というもの。彼女、1993年にデビューした時、その早熟さをネタに「Age Ain't Nothing But A Number」というタイトルまでつけてたのに知らないわけがないです。
この結婚は1年もしないで破綻しましたが、今やアリーヤが飛行機事故で世を去ってしまっているので、この時期の真相は闇の中です。

2. 1996年 未成年女性と関係を持ったことで訴訟

 

続いて1996年、1991年に15歳の女の子と性的関係を持った過去で訴えられます。これはRケリーがまだ売れる前の話ですが、彼が地元シカゴの学校の合唱クラスに訪れた際に知り合った女の子に手を出していた、というものです。

 

 

3. 2001年3月 未成年の少女とのセックステープ流出

 

これも当時、話題になりました。2001年3月、未成年の女の子とのセックステープが流出しました。この当時、彼、結婚もして子供も痛みだったんですけどね。これは警察の捜査対象となったんですが、少女の年齢が特定できずに捜査打ち切りになりました。

4. 2001年8月 未成年インターンとのセックス疑惑

 

前の件からわずか5ヶ月、今度はエピック・レコーズにインターンで勤めていた17歳の女の子とセックスした疑惑が持たれました。彼女はどうやら実名を明かして証言したようですね。

 

 

5. 2002年2月 14歳の少女とのセックステープ、また流出

 

シカゴの新聞、シカゴ・サンタイムスが、Rケリーが、3のテープの別のヴァージョンを手に入れて、さらに警察に通報しました。この時は、3の件での女の子が14歳の時に録画されたものだということが判明(この報道時は17歳)していたそうです。

 

で、これを当時報じた記者の話がえげつありません。
「Rケリーはヴィデオの中で少女に”ダディと呼べ”と言った」「彼は彼女の口の中に放尿し、”ギフトを受け取れ”と姿勢まで指示した」

 

 

6. 2002年4〜5月 少女の妊娠疑惑

 

この時は2人の女性から訴えられます。

 

一人はパトリスという女性で、彼に妊娠させられたと訴え、中絶を余儀なくされたと言います。
もう一人はモンティーナという女性で、彼女に無断で彼がセックステープを録画した、というものです。この時のテープも「R Kelly Triple X」という題名で出回っています。

7. 2002年6月 児童ポルノ利用疑惑

 

今度はRケリーが児童ポルノを21点利用していた疑惑が浮上します。その中にはオーラル・セックスや飲尿シーンなども含まれていたそうです。

 

この件は裁判まで行きましたが、14件も証拠があったのに無罪になっています。

 

 

8. 2002〜2004年 児童ポルノの別件で逮捕

 

さらに12点の児童ポルノの摘発で逮捕。この時はフロリダの別宅で逮捕され、そこで証拠が出てきたとのことです。

 

9.2017年7月 セックス・カルトの教祖説浮上!

これが一番驚くんですけど、ここは今回でも強調されて報道されてますね。証言者もかなり目だってます。

 

それによるとRケリーは、未成年の少女たちを集めて、そこで寝泊りさせて、通常はジャージしか着せず、親との連絡をたつため、携帯電話などを没収もさせていたとのこと。

 

さらに彼女たちに、食事の仕方、服の着方、風呂の入り方、寝方までを指導していたと報じられました。

 

 

10.2017年8月 またまた未成年少女との疑惑

 

今度もまた未成年の女の子よの疑惑が生じます。訴えたのはジェーロンダ・ペイスという16歳の女の子で、またも無断でセックステープが録画されたとのことでし殻た。

 

 

11. 2017年10月 肉体的かつ性的暴行疑惑

 

今度は2011年から13年まで交際していた女性、ダラスのラジオDJ、キティ・ジョーンズが、交際中、セックスを強要された上に暴力までふるっていたことをローリング・ストーン誌にタレコミました。

 

 

12.2018年3  友人に少女をスカウトする役をやらせる

 

2018年3月には、ケリーの元友人のラヴェル・ジョーンズに、ケリーの家に連れてくる10代の女の子たちをスカウトさせていたことを暴露されます。

 

 

13. 2018年4月 女性に性病を感染させる

 

先ほどとは違うダラスの女性が、ケリーから性病を感染された、しかも彼は感染の可能性があることを知っていながらわざとやったと訴訟を起こされます。

 

 

14. 2018年5月 またまた訴えられる

 

5月14日、BUZZFEDDが2人の女性が「17歳の時に性的虐待にあった」と訴えていると報じ、さらに同日のワシントン・ポスト紙がそれとはまた別んお女性2人が訴訟を起こしていると報じます。

 

 

15 2018年10月 元妻が家庭内暴力被害をテレビで訴え

 

 

 

1996年から2009年の離婚成立まで妻だったアンドレア・ケリーがABCテレビに夫婦時代に受けた被害を告白。「ベッドに手足を縛りつけられ暴力を受けた」と告白しました。

 

 

16.2019年1月 ドキュメンタリーが放送に

 

「Surviving R.Kelly」放送。上記以外の余罪も明らかに。

 

 

・・・なんか、人間不信になりそうですね・・・。

 

 

 

 

「Surviving R Kelly」では、このように次々と女性たちの証言が語られていきます。これが6時間続くとなると・・ちょっとさすがにねえ・・。

 

さらに

 

 

 

実の娘のジョアン・リー・ケリーも番組の放送を受けたインスタグラムの中で「父はモンスターだった」と語り、何のフォローもしません。ケリーとはもう何年も口を聞いていないそうです。

 

 

 

今や、このドキュメンタリーの放送を受けて、かつてケリーと共演したことのあるレディ・ガガ、セリーヌ・ディオン、チャンス・ザ・ラッパーなどが楽曲の取り下げを申し出て、ジョン・レジェンドに至っては番組に出演してケリーを批判していたりしています。同じシカゴ出身の彼からしたら「僕のヒーローだったのに」ということにもなりますね。実際にそう言って批判しています。

 

こういうことが明らかになってしまった後では、彼の曲を紹介するのも忍びない感じなんですが、youtubeを見ると、明らかに最近聞かれてますね。

 

 

 

例えばマイケルのこの曲もRケリーの曲なんですけど、コメント欄見ると「”キミだけじゃないんだ”って、まるでマイケルが同じ小児性愛者の仲間みたいで曲が汚れちゃったじゃないか」という発言をコメント欄でみますね。

 

 

さらにこの「Down Low」という曲では、アイズレー・ブラザーズのロナルド・アイズレーとの共演曲なんですが、ロナルド扮するマフィアのボス・ミスター・ビッグスの愛人と禁断の恋に落ちたケリーが車椅子生活を報復として受け、愛人も暴力を受け死んでしまうというメロドラマだったんですが、これもコメント見てると「Mrビッグスはケリーの未来を暗示していたんだ」という書き込みがありましたね

 

ただ、コメント欄見てると悲しいんですよね。「ちくしょう。わかっちゃいるけど、どうしても良い思い出が消せないんだよ」「どうしてもビデオ見るのやめられない」「こっそり聴き続けるからね」という泣けるファンのコメントが多くてね。そういう人たちの心を傷つけた意味でも、やっぱりこれは重いですよ。

 

これまで疑惑を全部否定し続けてきたケリーですけど、どうするんでしょうね。

 

 

 

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 20:16
comments(0), trackbacks(0), - -
BBC Sound Of 2019の結果。今年期待のアーティストは?

どうも。

 

毎年、この年始は、この季節でもあるんですよね。

 

 

はい。イギリスのBBCがここ10数年、毎年やってる、今年ブレイクしそうなアーティストをランキング付けした「BBC Sound Of」。今週、月曜から金曜にかけてカウントダウンでトップ5をBBCのRadio1で紹介してましたけど、その結果を紹介しましょう。

 

 

5.Rosalia

 

第5位はロザリア。THE MAINSTREAM上では昨年の11月から何度となく扱っている存在なので、正直「今頃?」という気持ちもないわけではないんですが、売り出しはこれからのスペインのモダン・フラメンコの異端児です。僕の年間ベストでも14位に入ったアルバム「El MAl Quer」は名盤ですからね。

 

 

いつも「Malamente」ばかり紹介するので、今日はこちらで。マジで最高ですよ!

 

 

4.Slowthai

 

4位はラッパー、スロウタイ。あまり彼のバイオは詳しくないんですけど、人種超越したかなりクセの強いラッパーで、サウンドも流動的でフロウも耳にかなり印象的です。彼が1位になるのかな、と思ってたんですけどね。良いですよ。

 

このムラマサとのコラボになったこの曲、僕のSpotifyでの「今聴くべき曲」のリストにも入っています。

 

 

3.Grace Carter

 

3位はグレース・カーター。ネオ・ソウル的な女性シンガーソングライターのようですね。この系では、去年アメリカでヒットを放って一躍注目されたエラ・メイも今回エントリーされてた(トップの写真の上段左から2人目。ぶっちゃけ過大評価だと思うんだけどなあ)し、僕としては、この路線ならマハリア(下段の一番左)が一番良いと思ったんですけど、グレースをBBCは選んだようです。

これが今年、どこまで話題になるか。

 

 

2.KING Princess

 

2位はキング・プリンセス。この子は20歳になったばかりのアメリカ人ですね。去年のうちからBBCの名物テレビ音楽番組「Later With Jools」にもかなり先行で出てたりしていて、事前からかなり話題です。今時の「インディ・ロック女子」な感じで、ビリー・アイリッシュの対抗馬にさせたい感じが伝わります。華はあるし、LGBTアピールも強そうだから当たるとかなり大きいとは思います。

いいんですけど、気になるのは、メジャーがどこまで音いじらずに行けるか、ですね。オーヴァー・プロデュースになるようだと、「人気はあるけど、つまらない」感じになりかねませんからね。

 

 

1.Octavian

 

BBC Sound Of、今年の1位に輝いたのはフランス出身のラッパー、オクタヴィアンでした。去年の秋の時点でミックステープを出してて、これがもう一部で年間ベストに入っていたりしていたほど、話題になっていたようですね。BBCの話によると、激貧家庭育ちで14歳で母親から家から追い出され、ラップだけで這い上がってきた、という人だそうです。まだリリックをちゃんと読んでないのでなんとも言えないのですが、サウンド的にはアルバム、今時のアメリカの流行りと、UK、フレンチ・ヒップホップ的なハウス的なバックグラウンドがあり、さらに歌心もある感じですね。

 

さて、2019年が、この予想通りに果たして進むかどうか。注目してみていきましょう。

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 09:11
comments(0), trackbacks(0), - -
時を超えるアンセム

どうも。

 

 

おとといの、短い投稿に言った一言に、なんかコメント欄、ツイッターで随分反応をいただいてしまったみたいですみません(苦笑)。

 

 

今日の投稿でも、本当は映画のことでも書いて言わずに行こうかなと思ったんですが、「気になって仕事が手につかない」とおっしゃった方までいらっしゃったので、その答えを教えないとマズイなと思い、お答えすることにしました。

 

 

答えは、タイトルにつけたことですね。はい。

 

 

それもショックだったんですけど、さらなるショックはというとですね、僕がそう言っても、「わからない」と言われ、「もしかしてアレのことですか」と訪ねていらした方がお一方しかいなかったことですね。「ああ、もはや、そういう認知なんだ」と思ってですね。

 

この件に関しては、「あいつが批判してるぞ」みたいな感じではあまり捉えられたくなかったので、迷ったんですよね。その判断自体は「尊重しないといけないのかな」とも思ってるので。ただ、「そう思っても、やっぱり釈然とはしないよね」という気持ちがあるので、感じたことを素直に書きたいと思います。

 

 

「雑誌の方向転換」というのは、運営上、とても大事なことではあります。人の生活もかかっているわけですからね。それに昨今は洋楽、ロックの不況に加え、出版業自体が苦しいわけです。これは国際的にもそうです。NMEだってSPINだって、英米のあれだけ大きな影響力を持ったロック媒体だって今やウェブ・メディアですからね。そういう状況で事業を回転させていくのは大変なことは僕にもわかります。それは自分も小さいながらも紙媒体やってたので理解できます。

 

 

 ただですね。「続けるにしても、アイデンティティは?」という問題はどうしてもあるわけなんですよ。それが寿命の長いメディアであればあるほど。僕は今回の、この表紙に関しては、「そこの部分が死んでない?」とどうしても思わざるを得なかったんですね。

 

 

 「ロックを今、一番聞いてるのは高齢の層」。確かにそうです。実際に今、世界で部数稼いでいるのはクラシック・ロック系の雑誌です。「Classic Rock Magazine」とか「MOJO」とかね。だから、その層にアピールする、そういう役割を担うメディアが存在するのも大事なことです。あと、「ロックそのものの規模が縮小しているのに、今さら、イデオロギーとか、”今”を届けるのが理想だ、とか言ってる場合か」ということも理解できます。「いいだろ。とりあえずは洋楽やってるんだから」というのも、わかります。邦楽混ぜたことが結果、命取りになってしまった雑誌も僕もいくつも知ってますからね。

 

 

 だけど、この雑誌の場合、「洋楽」ということ以上に「ロックそのものに対しての批評精神」というところへの共感で成り立っていたと思うんですよね。「そこが死んだら、この雑誌の魅力って一体何なの」と本当に思いますからね。

 

 

 その歴史は長いですよ。僕の個人的な体験から言っても30年以上はあるわけですから。僕は、もともとがアメリカン・トップ40のファンで、「硬派のロック」「インディのロック」というものに触れたのは、実はかなり遅いんですね。だから、中学生の時に初めて、人に勧められて渋谷陽一さんの番組聞いた時に「僕の知らないものばかりかける」「ジャーニーが産業ロックだとなんかエラそうだな」とか思ってですね。それ以来、自発的に番組聞いたことがないんですね、実は(笑)。大学の時も、同じサークルに、この雑誌の熱心な読者の派閥みたいなものがあって、年々そっちの方が強くなってましたね。その時も、「なんかバカにされてる、俺?」みたいな気持ちはありましたからね。

 

 

 でも、92年にグランジとかヒップホップの波が起こって、自分の人生における「リアルなパンク体験」が起こった時に、初めて「渋谷さんのやりたいことがわかった」と思ったんですね。「ロックを長く聞くことによって批評の価値観ができて、その上で伝えたいバンドとか音楽がある」。それがわかったから、それまでのことも理解できたんですね。僕はそこからスピンとかローリング・ストーンの方を読み始めたので、結局ロッキング・オンを買ったのはカート・コベインの追悼号だけだったんですけど(苦笑)、それでも、媒体として一定のリスペクトは抱くようにはしていました。

 

 

 だから、それくらい、敷居高かった、少なくとも高く見えた存在だったんですよ、ロッキング・オンって。「ヌルいロックなんて、お呼びじゃない」みたいな雰囲気、ありましたもん。少なくとも、ボン・ジョヴィ表紙にできる雰囲気なんて、全くと言っていいほどなかったですから。

 

 

 だからこの際、調べたんですよ。ボン・ジョヴィがキャリア史上で最も人気だった1987年から89年までのロッキング・オンの表紙。こうでしたね。

 

 

1987
ブルース・スプリングスティーン
プリテンダーズ
スタイル・カウンシル

アニー・レノックス(ユーリズミックス)
スタイル・カウンシル
プリンス
U2
デヴィッド・ボウイ
エコー&ザ・バニーメン
ザ・スミス
スティング
ミック・ジャガー


1988
アズテック・カメラ
ブルース・スプリングスティーン
U2
ミック・ジャガー
モリッシー
スタイル・カウンシル
テレンス・トレント・ダービー
プリンス
ジミー・ペイジ
ブルース・スプリングスティーン
ブルース・スプリングスティーン&スティング
キース・リチャーズ

 

1989
U2
ガンズ&ローゼズ
プリンス
イギー・ポップ
モリッシー
ガンズ&ローゼズ
ニュー・オーダー
デヴィッド・ボウイ

ペットショップ・ボーイズ
ローリング・ストーンズ
ジェフ・ベック

テレンス・トレント・ダービー

 

 

こんな感じですよ。ストーンズ、スプリングスティーン、デヴィッド・ボウイ、スティング。当時の若い衆でU2、プリンス、スタイル・カウンシル、ザ・スミス(モリッシー)、ニュー・オーダー。今見ても、一貫性わかるでしょ?中にはイギー・ポップなんて大胆すぎる表紙もあって!これで当時、BURRNに次いで洋楽雑誌の売上、2番目とかだったんですからね。この直後の90年1月には、まだシングルが全英トップ10に1枚入っただけのストーン・ローゼズなんて、当時の感覚からしたらものすごい大抜擢かつ時代の先を読んだ仰天的なものものあったりするんですよね。

 

 

それを覚えているからなあ、ボン・ジョヴィ表紙は納得いかないんですよね。あの当時、例えばBURRNなら年に2.3回あったボン・ジョヴィなんて仮想的だったんじゃないのかな。少なくとも、あの当時にロッキング・オンの読者が「ボン・ジョヴィ好き」と言える空気はなかったし、せいぜい「ガンズとメタリカならカッコいい」という人がいたくらいでしたよ。僕の大学時代の友人の感覚からしたら、それが普通でしたね。

 

 それに今回の号、それだけじゃなくて、TOTOとデフ・レパードの取材まであるんでしょ?これも渋谷さん自身が「産業ロック」と言って批判する対象になってたバンドなわけで。特にTOTOですよね。ジャーニーやフォリナーと並んで代表例でよく出されてましたから。

 

 だから、クラシック・ロック雑誌化するなら、それまでのバックナンバーに忠実なことをするべきだと思うんですけどね。そうしないと嘘くさくなっちゃうじゃないですか。だから、ある世代より上の人にとってはこれ、間違いなく衝撃のはずなんですけどね。事実、フェイスブックでもこのネタ、実は触れているんですが、僕より年上、もしくは同世代は一様に同じ反応でしたからね。

 

 

 なので本来、この表紙、もっと物議醸しておかしくないはずなんですけど、上記のことを忘れた人が多いのか、あるいは、あの雑誌がそこまで鋭角的なものだったことを知っている若い人が少なくなったのか、話題になっていないこと、これがなおさらショックでねえ。

 

 まあ、確かに、「昔っぽくはないな」と言うのは、あの雑誌がリンキン・パークとか表紙にしてたときにも思ってたことですけどね。あるいはニュー・メタルのことを「ヘヴィ・ロック」とか独自の言い回しで表現して、「自分たちはメタルを紹介しているわけではありません」みたいな態度とってた時とかですね。「なんでロッキング・オンがああいうの褒めて、俺が今、リンプ・ビズキットとか叩いて嫌われてるんだ」とか、思ったことありますもん(笑)。あと、僕、2004年の年末に、クロスビートでエミネムの「アンコール」に酷評書いたことがあるんですけど、その時に、あの当時のロッキング・オンの編集長だった人から名指しで誌上ケンカも売られたりもしてですね。この時も「それ、昔だったら、あなたの雑誌の方があの凡作を叩くべきなのでは?」と不思議な気分になりましたからね。

 

 

 そういう期間が長くなってるからなんですかね。あと「JAPANでもGLAY表紙にしてたじゃん」みたいな意見とかも見かけたりもしてるから。まあ、それでもGLAYとかV系の表紙の際って、別にそれで他の同系のアーティストを扱ったわけじゃないし、雑誌で築いてきた路線を壊すまで行くまでじゃなかったと思うんですけど、今回の場合は、昔だったら批判の対象にしていたアーティストを複数フィーチャーしたわけでしょ?僕的には、一回で済んだそれよりも、よほど根が深いことだと思ったんですけどね。

 

 

 この前の月の年間ベストが「あまりにも・・」という話は聞いてて、僕も「あちゃあ・・・」と思ってたんですけど、そっちの方が話題になってて、こっちがそうでもないというのに、なんか時の流れを感じるというか、「寂しいなあ」と思いますけどね。

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 17:31
comments(6), trackbacks(0), - -
年忘れ特集! 初心者のためのMitski

どうも。

 

 

今日は12月30日。実質上、年末の挨拶を除けばこれが今年ラストのポストかな。

 

 

そういうことで、今年の当ブログのMVPとも言えるアーティストでシメようと思います。

 

 

 

Mitski(ミツキ)!

 

もう、この12月の年間ベストの発表の季節で彼女、本当に大活躍でしたよね。当ブログでも2位でしたけど

 

 

 

世界の名だたる年間ベストの結果を全て集計した「Album Of The Year」の総合ランキングでも、122の年間ベストを集計した末に、ジャネール・モネエの「Dirty Computer」とわずか3ポイント差で2位。クリスマスの後には数日1位でした。まあ、1位であろうが2位であろうが、「Be The Cowboy」が今年を代表する名盤であることには変わりはありません。

 

 

 

で、これだけ盛り上がっているわけですけど、なんか僕の印象だけかもしれないんですけど、日本人の血が入ってるアーティストであるにもかかわらず、日本のメディアでMitskiで騒いでいる感じが音楽メディアからでさえ伝わって来る感じがしません。よって、ここで騒ぐだけ騒いでおこうと思って、今回の企画思いつきました。題して「初めてのMitski」。と言っても、もう実はこれでアルバム5枚目だったりしますからね。「Be The Cowboyだけ聞いてたらいいの?」と思う方も少なくないと思うので、ちょっとここで、Mitskiの入門法をここで紹介しておきたいと思います。

 

 

Mitskiこと宮脇ミツキは1990年9月30日生まれ。出生地はニューヨークになってますが、お父さんがアメリカ人で、お母さんが日本人です。子供の時から世界各地を転々としてまして、インタビューなどによると幼い頃からアフリカのコンゴ、マレーシア、日本、トルコを転々としていて、「子供の頃、マレーシアでマライア・キャリーが好きだった」「お母さんのBGMでユーミンや中島みゆきを聞いて育った」「高校の時に神戸に住んでいて椎名林檎やMIAが好きだった」みたいな情報をネット検索すれば知ることができます。

 

 

 大学はニューヨークのパーチェイス・カレッジというところに行って、最初は映画やってたそうですけど、音楽、クラシックを学んでいたようです。ただ、途中で興味がポップ・ミュージックに変わっていったようですね。そして21歳の時

 

 

 

2012年に「Lush」「Retired From Sad new Career In Business」の2枚のアルバムを自主出版します。ただ、このころはまだロックとは言えない感じで、今、聞き返しても「クラシックの音大生のクセが抜けてないな」と思わせるものでしたね。

 

 

 実際に彼女がyoutube上のインタビューで語るに、この当時に、「人が誰もこなかったライブハウスで怒られながら演奏したのが悔しくて、絶対この道でやってやろうと思った」と語ったように、ここから猛然とライブを重ねていきます。現在まで2000本くらいやったと語っています。

 

ただ、2枚目のアルバムから

 

 

この「Goodbye My Danish Sweetheart」という曲がちょっとだけ注目されます。この当時のアルバムからライブで披露される曲は少ないですが、この曲はいつもMitskiのライブのラストを飾っています。そして、この曲の縁もあってか、この次から現在も所属しているデッド・オーシャンズにレーベル加入します。

 

そこで

 

Bury Me At Makeout Creekというアルバムを2014年11月に出しますが、USインディ界隈では、ここで少し名前が知られるようになります。Mitskiファンサイトの書き込み常連者の中には「これこそが最高傑作!」と言い張る人が結構多いんですよね。実際、この年の年間ベストにこのアルバムを入れてるメディアが意外と多かったんです。

 

 

 

 

 

このアルバムで彼女はエレキギターを手にし、ニルヴァーナとかジーザス&メリー・チェインみたいなノイジーなギター・ロックを披露するんですが、今聞いてもすごくメロディックなんですよ、これ!この3曲は今でも必ずライブでやりますが、かなり人気曲です。動画でのカバーも多いですよ。「フィードバック・ギターをバックにしたグッド・メロディ」の意味では、これ、すごくカート・コベイン的というか、彼女なりにコツをつかんでる感じがするんですよね。このままこの道でも成功してたかもな。このアルバムからは他に「I Dont Smoke」「First Love」もよくプレイされますね。

 

 

 

そして2016年6月に4枚目の「Puberty2」がリリースされます。僕がMitski知ったのはこのアルバムでしたね。Metacriticのサイトで絶賛されてたんですよ。ちょうど僕がスマホ手に入れて、今のようなストリーミング生活始めたばかりのアルバムだったので印象にもすごく残ってます。その時は「まだPJハーヴィーにはなれてないけど、その方向で成長を目指したいんだろうな」という感じで、日本人とのハーフという話も聞いてなおさら興味を抱きましたね。

 

 

中でもこの曲で、わかりやすく注目が集まります。それが「Best American Girl」。これは彼女のアジア系という血筋ゆえに、「アメリカ人のあなたの理想的なガールフレンドにはなれない」と歌った曲で、それがソーシャル・イシュー的に注目を集めちゃったんですね。そこから彼女は「エレキギターを抱えた、疎外を歌うアジア系の女の子」のイメージがつきます。

 

 

このアルバムは前作のニルヴァーナ的な路線を引き継ぎつつも、より多彩な進化を遂げてまして

 

 

 

このように、激しめのギター・ロックからアコースティックまで、曲調も幅に富んできました。一番上のヤツは「椎名林檎っぽい」と以前ここで紹介したこともあります。

 

ここでソングライティングを評価された「Puberty2」はかなり大絶賛され、その年の「アルバム・オブ・ザ・イヤー」では14位の評価。これに加えて

 

 

 

このMitskiの浮上のタイミングと同時に、アメリカではジャパニーズ・ブレックファストことミシェル・ザウナー(韓国系)、ジェイ・ソム(フィリピン)、チェリー・クレイザーのササミ(日系)と、アジア系インディ女子が徐々に目立ってく流ようになって注目される動きになってきたんですね。その頂点としてのMitskiへの関心も高まるようになっていました。

 

 

そんなタイミングでMitskiは2017年11月に来日公演してます。ここで流暢な、というのも失礼なくらい、日本語で育ったことを示す、何も言われなければまんま日本人なトークも聞かせています。

 

そして

 

 

もう、今年何回貼ったんだ、ってくらい紹介している「Be The Cowboy」となるわけなんですが、もう、バズ自体がすごく高かった。

 

 

この2分で終わる、壮大なオーケストレーション・ナンバーの「Geyser」で、「おい、これは一体!?」となってメディアの関心が高まった後

 

 

Mitski史上、最も軽快でダンサブルな「Nobody」ですからね。多彩さをマックスに増したこのアルバムで彼女は一躍時の人となったわけです。

 

 

 

このアルバムでは、ロウファイ・エレクトロとか、バロックポップとかの引き出しも増えてきてますね。この辺りのセンスは「Bury Me At Makeout Creek」の時からコンビを組んでいるプロデューサーのパトリック・ハイランドの手腕も大きいかと思います。

 

 

後、最近のライブではギターを弾かずにハンドマイクで踊りながら歌うんですが、このあたりもだんだんPJハーヴィー的になってきてますね。彼女自身はPJそんなに知らなくてビヨークの大ファンみたいなので、さらに違う展開がありそうな気もしますが。そして、最近ではテレビでのパフォーマンスの機会も増えてかなり一般に浸透し始めています。チャート的には「Be The Cowboy」はアメリカで52位、イギリスで64位だったんですけど、次作は、そんなに遅れなければ、トップ20は狙えるんじゃないかと見ています。

 

 

 僕としても、早く、まだ見ていないライブをいち早く見たいんですけどね。とにかくファンサイト見てても感じることは、今、「自分が音楽マニア」という強い自負を持ったタイプの人が真っ先に飛びつくくらいにクールな存在に、今の彼女、なってますね。それはそれで面倒な部分もないわけじゃないですけど、ホットなバズが上がってきているのはいいことだし、それが昔だったら考えもしなかったアジア系の女性でそんなことになっていると考えるとワクワクしますね。

 

 

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 17:45
comments(1), trackbacks(0), - -
「ボヘミアン・ラプソディ」と「アリー/スター誕生」のヒットの持つ意味

どうも。

 

先週から1週間

 

 

この、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」の映画公開記念でクイーンの特集やってきましたが、この秋、なんかすごいですね。

 

だって

 

 

この「アリー/スター誕生」もあったわけですからね。日本だと、こちらはクリスマス時期の公開のようですが、世界的にはもう大ヒットしていて、各国のアルバム・チャートで1位になってるわけですからね。

 

 

 それにしても、僕の記憶の範囲でも、こうした音楽映画が立て続けに2作も商業的にも、批評的にも一気に大成功した例って、ちょっと他に記憶がないですね。昨日も言ったように、「ボヘミアン・ラプソディ」は1週目で5000万ドル突破。これ、公開たった4日で、もうすでに今年の全米興行の42位ですよ!今の調子だと、1ヶ月もあれば1億ドル超えるでしょうから、そうしたらこと足の年間トップ10ヒットも決して夢ではありません。

 

 

「スター誕生」の方も、現時点で1億6500万ドルで年間13位。まだ、週末興行で4位ですから、あと数週で2億行くでしょう。こちらの場合はオスカーの候補にも確実視されているから、ヒットはなおのこと伸びるでしょうね。

 

 

 そして2作とも評判がいい!「ボヘミアン・ラプソディ」は批評家評価が当初良くなかったと、あの映画のレヴューで書きましたが、一般レビューがすごい!その指標として映画サイト、imdbの一般の映画ファンからの採点の総合があるんですが、この映画、4万8000人が採点して、10点満点中8.4点!そして「スター誕生」の方は8万2000人が採点して8.3点!この点数、まだ公認されてませんが、両者とも、imdbの歴代映画トップ100以内に入る数字です!なんか、すごい評判っぷりですけどね。

 

 

 これだけ、大きな話題作が積み重なると、期待してしまうのは、

 

 音楽シーンへのフィードバック

 

 

 ズバリ、これですけどねえ。「何か、あるといいなあ」とは思います。

 

 

 僕としてはやっぱり、

 

 「本物の歌と、歌声が持つ素晴らしさ」

 

 だったりとか、

 

 基本的なライヴ編成による、生のライヴ・パフォーマンスの改めての評価

 

 

 とか、そういう価値がまたちゃんと見直されたらいいいなと思います。特に若いリスナーにですね。

 

 

 こういうことって、ある程度、年を行った人のノスタルジーに映ってしまうかもしれないんですけど、こういうのって、そうじゃないんですよね。どんなに時間が過ぎようと、「力強い声」だとか「美しいメロディ」とか、「息を呑むような圧倒的なパフォーマンス」とかっていうのは、色あせない、普遍的なものですからね。

 

 

 正直、今年なんて特にそれを感じるんですけど、「スタジオ内だけで処理した人工的な曲」が流行りすぎなのと、「表現としてはクールなんだけど、でも、いざ、それをライヴでやれ、と言ったら途端に迫力がない」みたいなことが多い。特に後者に関しては、僕がここ10年くらいのインディ・ロックに対してずっと抱えている不満でもありますね。

 

 

 前に、グレタ・ヴァン・フリートを評した時にも書いたんですけど、表現としては古い、しかもあまりにそのまんまのものでも、それでもチャートの上位に入ってしまうくらいに受けるのっていうのも、僕はそういうことだと思うんですよね。今回のクイーンへの爆発的な再評価でもそうなんですけど、今一度、「歴史作ったレジェンド」みたいなものを、「そのアーティストの、いったい何が素晴らしかったのか」と言うのをもう一回見直すことは、すごくいいことだと思うんですけどね。そこからヒントを得た若いアーティストが、それを今の観点からしっかり咀嚼・吸収(GVFの場合、そこが甘いから叩かれるわけで)して、そこから新しい価値観を築いていけば、また音楽の発展にちゃんと繋がると思うんですけどね。

 

 

 ガガの「スター誕生」にしても、そうです。あれは全編にオルタナティヴ・カントリーが流れるという、実は音楽的にはかなりマニアックで渋いセンスだし、ガガの歌う曲はそれほどその匂いはしないんですけど、それでも彼女にとっては、エレクトロのフィルター通さない、ベーシックな楽曲と歌だけでも十分通用するものが作れた意味ですごくキャリア上、大きなステップアップになった。これができたおかげで、彼女の音楽の寿命、かなり延びたと思いますからね。

 

 

 もしかしたら、若い層には「グレイテスト・ショーマン」のサントラみたいなものの方が好みなのかもしれません。確かに「今っぽさ」「今の世代らしさ」みたいな音楽はあのアルバムには入ってましたけど、すごく今のポップ・ミュージックの流行りに悪い意味で媚びたような、どこかで聞いたフレーズのカット&ペーストで作ったみたいなあの作風はどうしても個人的にはねえ〜。ああいうのに慣れきってしまった人に、今回のこの2作がいい意味で体に染み込むといいんですけどねえ。

 

 

 僕が今の音楽シーン見るに、1980年代の終わり頃を思い出すんですよね。なんか、テクノロジーだけでゴテゴテに作られてしまった音楽というか。いみじくもテイラー・スウィフトが「1989」ってアルバム出してましたけど(笑)、あれが皮肉な象徴かな。今でもあの頃が、個人的なリアルタイムの音楽体験でワーストの時期で、現在でさえあれは上回らないんですけど、悲しいかな、近いものはあります。ただ、80sの後半の場合、90sに入ったら途端にアンプラグドだったり、グランジだったりと、生の音の質感に戻って行ったんですよね。あの時のアレに近いようなことが、今後もしかして起こったりして・・とは思うんですよね。

 

 

 ただ、それが仮に起こらないにせよ、何かしらの影響はある気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 18:28
comments(0), trackbacks(0), - -
クイーンというバンドが偉大な6つの理由

どうも。

 

では、昨日に続いてクイーンのスペシャル、行きましょう。

 

今日は

 

 

クイーンというバンドがロック史において、なぜ重要なのか。それについての僕なりの考察をしようと思います。

 

 

彼らは「特定のジャンルを始めた」というタイプのバンドではないし、いわゆる「パンク/ニュー・ウェイヴ史観」のロック史でははまらない存在であるがゆえに、そうした文脈においては若干語りにくい側面はあったりはするんですが、そういう硬直した見方だと決して理解できない、そうしたものを超越した普遍性があります。そのことについて語ってみたいと思います。

 

 

1.ロック史上屈指の歌唱力と牽引力のシンガーがいた。

 

 

一つは文句なしにこれでしょうね。フレディ・マーキュリーのヴォーカリスト、フロントマンとしてのカリスマ性ですね。

 

こと、歌唱力においては、ロック史上でも限りなく上から数えた方が早いでしょう。ひとつは、その音域の圧倒的な広さですね。彼はファルセットの名手としても知られているんですが、むしろ、それをあまり多用しなくなった80年代以降の方が歌としてはすごいですね。特に、その写真のような時期ですね。このころは、ファルセットを使わずにどこまで高いキーを大きな声で出せるかに挑戦したかのような迫力があります。例えば名ソウルシンガーのマーヴィン・ゲイで、高いキーだと、♩ドレミファソラシドレミファソラと音域を上げていった場合、だいたい一番高いキーは2つ目のラかシのフラットか、です。だいたい、そのくらいまでのキーが出せると、ロックでもR&Bでも高音部がかなりセクシーな感じでカッコよく聴こえるものなんですが、フレディの場合は、三つ目のドレミファの初めのあたりくらいまではヒットできますからね。しかも、彼の場合、そういう箇所を、ためてキメで出すんじゃなくて、一小節の間で急に音を上げたりしてくるので、曲調にものすごいダイナミックなレンジがでます。だけど、これが本当に難しい。「伝説のチャンピオン」のサビ前とか、サビ中とか「地獄へ道づれ」のサビ入りとか、「レディオ・ガガ」のサビ前の8小説とかですね。極めて難しいです。鼻歌でさえキツいもの(笑)。なので、クイーンの場合、一般の男性がフレディと同じ音域で歌うのは、ほぼ不可能です。

 

 

あと、歌唱だけじゃなくて、フロントマンとしての身のこなしとか、煽りとかも見事です。

 

 

 

特に有名なのが、このレロレロレーってヤツですね。こんなこと、芸風にできるシンガー、今いません。これ、僕が人生で初めていったライブで、いきなりこれやられてビックリしたものですが、それから36年、誰一人としてこれやった人、いませんからね(笑)。

 

 

2.最大のゲイ・アイコンとしてのフレディ

 

 

そして、続いてはロックにおける、ゲイ・アイコンとしてのフレディですね。

 

今でこそ、「ゲイのアーティスト」というのは珍しくないものなんですが、70sとか80sだと、すごく大きなものでしたね、やっぱり。70sの時点でグラムロックとかあったし、80sでも、今から考えたらあからさまな男性2人のシンセポップ・デュオとかあったんですけど、それでも、そうしたセクシャリティを詮索するという行為は、当時のリスナーはまだしていませんでしたからね。

 

 その中でフレディというのは、エルトン・ジョンと並んで、かなり長いこと、「ゲイ説」というのは上がっていましたけど、それを公に認める行為はなかったんですよね。ハッキリと公言したのは、1991年11月の、死の直前に公表したビデオまでないですね。ただ、わかってはいたはずなんですけど、あの時期でもかなり世が騒然としたものですからね。ただ、あの時の勇気ある宣言が音楽シーンにもたらしたものはかなり大きかったと今にして思いますね。

 

 

3.ワールドツアーの未開地域の開拓者だった

 

 1、2は、もうだいだい、現在の若い人にまで知られた話ではあるんですが、ここからは勢い忘れがちになる話をしましょう。

 

 クイーンの人気というのは、地域によらず、ずいぶんインターナショナルです。「日本で最初に火がついた」と言われるほど、初期での日本の人気が高かったことは有名ですが、彼らの場合、ヨーロッパやアメリカにとどまらず、南米、アフリカ、東欧でも知名度があります。その理由は、彼らがそういう地域を積極的にツアーしたからです。

 

 

 

 まず、その最初のものが1981年2月の南米ツアーですね。この時、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ベネズエラ、メキシコと回っているんですが、その当時、ここまで規模の大きい南米ツアーやったアーティスト、記録を紐解いても見つからないんですよ。それゆえに彼らは南米ではロックのアイコンとしては非常に大きく、それが1985年2月のロック・イン・リオで彼らはメイン・アクトとして大きくフィーチャーされた理由にもなります。

 

 

 そして1984年には南アフリカ共和国のヨハネスブルグでもツアーで行きます。ただ、これはちょっと問題にもなりましたね。理由はやはり、この当時のあの国はまだアパルトヘイトをやっていた際中でもあったので。

 

 

 

そして1986年には、一公演だけではあったんですが、共産圏崩壊直前の東欧でもライブをやっています。それがハンガリーのブダペストでの公演。これもすごい盛り上がりでビデオ・ソフトにもなっているのですが、この地域の開拓でも彼らはパイオニアです。クイーンと同じくワールドワイドな人気を誇るバンドとしてアイアン・メイデンが挙げられたりもするのですが、彼らもこの時期、東欧開拓を行ってますね。今、現在、人気が世界的でカリスマになっている人たちというのは、こういうツアー地開拓の積極的な展開を行っていたがゆえなんですよね。

 

 

4.メンバー4人がビッグ・ヒットを持ったソングライター

 

 

そして、これも勢い忘れられがちなんですが、クイーンの場合、4人全員がビッグ・ヒットを持ったソングライターです。

 

 こういうバンド、珍しいですよ。だって、ビートルズだって、そりゃ、4人が全員でソロで1位の全米ナンバーワン・シングルありますけど、リンゴってソングライターとしては怪しいじゃないですか(笑)。そこへ行くと、クイーンの4人の単独ソングライターのヒット、見事です。

 

代表例で見てみると

 

フレディ・・「ボヘミアン・ラプソディ」「伝説のチャンピオン」

ブライアン・・「ナウ・アイム・ヒア」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」

ジョン・・「マイ・ベスト・フレンド」「地獄へ道づれ」「I Want To Break Free」

ロジャー・・「レディオ・ガガ」「カインド・オブ・マジック」

 

これだけ均等にヒット曲がメンバー全員にあるバンド、他に知らないですね。メインのソングライターって、いても大概、バンド内に2人なんですが、こんな風に4人もいるバンド、他に僕は知らないですね。これができたからこそ、ビートルズ的な、「全員が好きなこと持ち寄り」の音楽が可能だったんだと思います。このポイントはもっと語られてしかるべきだと思います。

 

 

5.4人揃って、強い癖のあるプレイヤー

 

 

そして、メンバ−4人とも、ソングライターだけでなく、プレイヤーとして見事です。

 

まず、フレディですが、傑出したシンガーであることは前述しましたが、ハーモニー・メイカーとしても優秀です。

 

 

その例を示すのは、この「ボヘミアン・ラプソディのハーモニーの作り方」みたいなビデオですね。かなりのトラック数使って、かなり複座なことをやっています。

 

この辺りの事って

 

 

実はフレディって、デビュー前にラリー・ルレックスなる変名でソングルを出しているのですが、その時の曲がビーチボーイズのカバーなんですよね。ビーチボーイズといえば、ブライアン・ウイルソンのハーモニーへの偏執狂的なこだわりが有名ですが、クイーンのそれもフレディがいたからこうなったと思うし、こういうところでその影響が仄めかされているのも面白いです。

 

 

ブライアン・メイのギターの、あのクラシカルで華麗なギター。あれもかなり早い時期から完成というか、クイーンの中で最初に確立されたアイデンティティだと思います。彼の場合、「自分で作ったギター」というのがすごい話題になった人でもあるんですけど、彼の弾き方真似するだけで「クイーンっぽい」サウンドを出せるのも特徴です。

 

 

そして、ロジャー・テイラーも、かなりクセの強いプレイします。彼の場合は特にミドル・テンポの曲でのドラムが印象的です。特にハイハットとシンバルの「パシシーン!」ってやつですね。これが他のバンドに比べてかなり耳に残ります。あと、AメロBメロはキックでリズム作るタイプなんですけど、そのキックの音をかなり大きめに録音するのもクイーン、クセありますね。

 

 

 

そしてジョン・ディーコンのベースなんですが、かなりメロディックで、かなり細かく動きのある指の運びする人です。跳ねるタイプのファンキーなタイプでは決してないんですけど、その分、短いフレーズの中で表情豊かなベースを弾きます。この見事なトリビュート・カバーのビデオ見ると、そういうことハッキリわかりますね。

 

 

6.半永久的に売れ続けるベスト盤

 

 そして、最後に、クイーンというバンドを今日まで影響力強いものにさせ続けているものを紹介してシメましょう。

 

 やはりコレです!

 

 

この「グレイテスト・ヒッツ」です。発表は1981年11月。日本だと1982年の元旦でした。小6だった僕がお年玉もらって、北九州の小倉のショッピング・モールで買った人生最初のレコードがコレだったので、メチャクチャよく覚えてます(笑)。

 

 

 これですが、延々売れ続けています。イギリスでは現時点でこれ、848週、トップ100に入り続けています!これ、年数に直すと、ほぼ17年ですよ!すごいなあ。これよりチャート・インが長いのABBAの「Gold」の860週だけですね。

 

 

 ちなみに1991年リリースのグレイテスト・ヒッツ2も163週、3枚のベスト盤そろいのセットで214週という、考えられないヒットです。

 

 アメリカでも、イギリスほどじゃないにせよ、200週以上はトップ200に入っているアルバムです。そう考えると、影響力の強さ、わかるでしょ?これから「ボヘミアン・ラプソディ」の公開があるから、もっと長く売れるはずです。

 

 これが売れる理由としては上記の流れももちろんありますけど、「やる気にさせる歌詞」の存在も大きいかもしれませんね。「伝説のチャンピオン」とか「ドント・ストップ・ミー・ナウ」とか、ああいうタイプの曲。これ、ABBAもそうだし、ボブ・マーリーも700週以上ベスト盤がイギリスのチャートに入ってますけど、やはり人生信条になり得るタイプだからか、強いんですよね。

 

 

・・といった感じでしょうかね。自分で書いてても、「やっぱり偉大だよなあ」と思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 18:47
comments(0), trackbacks(0), - -