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「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」第2回 1967-1969

どうも。

 

 

では「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」、2回目行きましょう。今日はこんなラインナップです。

 

 

 

 

今回は1967年から69年の11枚でいきます。なぜ、ここで11枚にしたかというと、ここで1枚追加が出たからです。この時代は、いわゆる激動のサイケデリックの時代ですが、非英語圏の国では果たしてどうだったのでしょうか。

 

 

A Go Go/Dara Puspita(1967 Indonesia)

 

 

これはインドネシアが生んだ、世界最初の、というか”世界で初めて語る価値のあるオール・ガールズ・バンド”ですね。ダラ・プスピタです。

 

インドネシアという国が50年代にティールマン・ブラザーズのようなすごいバンドを生んでいたことは前回語りましたが、その影響もあって、ビートルズの時代の60年代半ばにこの国にもバンドブームがあって、この女の子4人組の彼女たちも出てきたのです。

 

 彼女たち、実力もかなりのものがありました。1965年に登場した時のイメージを見てみると、どことなくインドネシアの民族音楽をロックにしたような感じも伺えたんですけど、この4枚目にあたるアルバムは、ソウル・ミュージックの影響を受けたかなりグルーヴィーなもの。ベースラインのスピード感が優れていて、かなり踊れるロックンロール・アルバムになっています。ベーシストはフロントウーマンの妹さんなんですけど、姉妹でやっているようにバンド内コンビネーションも良かったようです。このように、演奏テクニック的にもかなりのものがあった彼女たちは、本国インドネシアでは2万人入るアリーナでもライブをやり、ヨーロッパにも度々ツアーに行き、1974年までと、かなり長い活動を行うことができました。

 

彼女たちはガレージ・ロックのコンピなどを通じて国際的にガレージ・マニアには有名なバンドで、本国インドネシアでもカルトバンドとして今日まで愛されています。近年ではドキュメンタリーも制作されていますし、

 

 

このように、インドネシア版のローリング・ストーンでは2015年の号で表紙になって特集もされています。彼女たちは、公式のfacebookも持っていて、そこで見る限り、まだメンバーは個人的な演奏活動はやっていて、再結成の意欲もあるようです。みんな70前後くらいですけど、今現在の見た目も若いですよ。

 

 

Ezek A Fiatalok/Soundtrack(1967 Hungary)

 

 

続いてはこちら。実はこれが、最後に足した「101枚目のアルバム」でした。だから、ここで11枚にしてあるのです。

 

これは「Ezek A Fiatalok(多分、「エゼク・ア・フィアタロク」、意味は、「この若者たち」らしい)という、区分で言うと、映画のサントラです。ただ、映画といっても記録映画に近いものだと思います。これは、この当時のハンガリーのロックシーンを記録したものだそうで、当時のシーンを支えたバンド、イリェーシュ(Illes)、メトロ(Metro)、オメガ(Omega)の3バンドに、読み方に自信がないんですが、ザラトナイ・シャロルタ(Zalatnay Sarolta)、コンツ・ジュージャ(Koncz Zsuzsa)という女性シンガーが集まった、この当時の同国の最強のポップ・カルチャーの顔が集まったものとなっています。当時の共産圏で、このようなオムニバスがこんな形で出ていたことがまずかなり貴重です。

 

 なぜ、こうしたことが可能だったのか。それはハンガリーという国の文化背景にあります。ハンガリーは戦後にソ連の影響下で共産主義の国となるわけですが、1956年に「ハンガリー暴動」という、ソ連の支配に対しての民衆の反抗運動が起こっているんですよね。こうした事実からも、当時の東奥の共産圏の国では最も反抗的な体質だったことがうかがわれます。ロックが若者の自由の象徴だったんでしょうね。

 

 ここに参加したバンドたちはソ連に目をつけられて活動休止を余儀なくされたものもあります。ただ、その残党でロコモーティヴGTという、この国で伝説化した大物ロックバンドを結成したり、さらに女性シンガーのシャロルタやジュージャ(ハンガリーは日本同様、名字が先なので名前はこっちです)は、これ以降も現在に至るまで、この国でかなりのリスペクトを浴び続けるアーティストになっています。

 

彼らのその後に関してもyoutubeには映像がバンバン上がっていますので、気になる方は見てください。

 

 

Em Ritmo De Aventura/Roberto Carlos (1967 Brazil)

 

 

 続いては南米行きましょう。ブラジルのスーパースターです。ロベルト・カルロス。

 

 前回、「全世界にエルヴィス・フォロワーがいる」という話をしましたが、彼が「南米のエルヴィス」にあたる人で、1960年代の初頭から活躍してきました。イタリアやフランスが、「ビートルズやストーンズの時代になってもバンドが流行らずに、アイドルがギター・ロックまでカバーしていた」という話を前回しましたが、ブラジルもまさにそうで、そういう時代が60年代後半まで続きます。

 

 ロベルト・カルロスは当時の最大のアイドルで、同じような「ロック世代のアイドル」たちとともに「ジョーヴェン・グアルダ」というテレビ番組に出演し、これがこの当時のブラジルの少年少女たちにとって不可欠なものとなります。ロベルトと、後に本格的なロッカーで成功するエラズモ・カルロス、女性アイドルのヴァンデルレアの3人がとりわけ番組の顔でした。

 

 そして、ビートルズの時代までのアイドルの常として「主演映画」の存在があるのですが、ロベルトの最高傑作として一般評価が最も高いのが1967年発表の同名映画のこのサントラ。ノリとしては「ハード・デイズ・ナイト」の「忙殺される人気者」を描いた感じですが、サウンドの方は67年という時代よりは少し前の、どことなくマージービートな感じで、ソウルっぽいリズムが混ざり始めている感じですね。ただそれはそれで完成度は高く、ロベルトの甘い声も相乗効果をなし、この時代のブラジルのロックの名盤として恥ずかしくないものはできています。

 

 ロベルトは70年代に入りバラード路線に転じ、以後、70歳を超えた現在まで活躍中です。カテゴリーは現在もアイドルで、長めのサラサラの髪に、ブルーのジャケットに、シャツはノー・タイで第2ボタンまで開き、マイクを持たない手にはバラの花を持っている、そんなおじいさんになっています(笑)。だけど、未だに人気すごいんだ、これが。年末に毎年テレビで彼のクリスマス特番があるんですが、40年以上、毎年高視聴率で終わりそうにありません。クリフ・リチャード、チェレンターノ、ジョニー・アリデイ、そしてロベルト。エルヴィス・フォロワーは屈強な人が多いようです。

 

Hljomar/Hljomar(1967 Iceland)

 

 

 続いては一転して北に飛びます。アイスランドでヒョルマー。

 

「アイスランドという国には、きっと充実したロックの伝統があるはずだ」。それはビヨークやシガーロスが話題になった頃から思っていました。だって、何も土壌もないところから、あんな30万人くらいの人口の国からあんなにたくさん趣味の良いアーティストが次々と出てくるはずがないと思っていたから。そうしたら、ちゃんと調べたらあるんです。しかも60年代から。

 

 このヒョルマー、ブリティッシュ・ビートの影響を受けたバンドなんですが、初期はソーズ・ハンマーと名乗って(マイティ・ソーのハンマー。このネーミング自体がいかにも北欧)、イギリスでデビューしようとしてデモ盤を作っていました。これ、すごいガレージロック的で カッコよく、ガレージの名もコンビ、「ナゲッツ」にも入っていて、僕はそれで知りました。

 

 そしてヒョルマーに名前変えてアイスランドで活動して彼らは国内でカリスマになったんですけど、この名義だとフォーク・ロック〜サイケですね。北欧っぽい湿っぽいメロディ感覚が強いですが、1966年くらいの国際的フィーリングがしっかりと受け止められます。その中の1曲に

 

 

この、タイトルの読めない曲が彼らの代表曲なんですが、実はこれがのちに

 

 

 1981年に、ディスコ・アレンジでカバーされ、なんと日本の洋楽マーケットでヒットしています。曲名は「ユー&アイ」でアーティスト名もユー&アイというので、あの当時ちょっとした話題でした。これを覚えていたものですから、オリジナル知った時の衝撃はデカかったです。

 

 このヒョロマー、中心人物のグンナル・ソルザルソンは「アイスランドのポール・マッカートニー」とも呼ばれている人で、このバンドの解散後もプログレのバンドを2つくらいやったり、ソロでも活動したりして、かの国ではかなりの大物だったようです。彼の存在が、この国のその後の繁栄を築いたと言って良いのではないでしょうか。

 

 

Hip/Steppeulvene(1967 Denmark)

 

 

 続いてはデンマーク、行きましょう。バンドの名はステッペウルヴェーネ。

 

 この人たちと似たバンド名に、映画「イージー・ライダー」のオープニングで有名な「ワイルドで行こう」のヒットでおなじみのステッペン・ウルフがありますが、意味は同じです。ドイツの文豪、ヘルマン・ヘッセの小説「荒野の狼」の英語題が「ステッペン・ウルフ」でデンマーク語が「ステッペウルヴェーネ」です。

 

 このバンド、何が重要かというと、ドラッグやアルコールのオーヴァードーズという、いわゆる「ロックンロール・デス」を遂げた世界で最初の人物がこのバンドのヴォーカリスト、Eik Skaløe(誰か読める人、教えて下さい)で、彼は1968年10月に命を落としています。

 

 ただ、それもありつつ、やはり音楽性こそが重要です。このバンドの登場するまで、デンマークにはバンドのシーンもあったんですが、それは全て英語によるものだった。しかし彼らが登場したことで、デンマークが母国語でロックを歌い始め、サウンドもブリティッシュ・ビート一辺倒から、ディランやアメリカのフラワー・ムーヴメントの影響が強くなっています。いわば、「イージーライダー」の世界を自ら実践してしまったデンマークのバンドだった、ということでしょう。

 

 そんなEikの一生は

 

 

なんと2015年に映画化されています。タイトルも「Steppeulven」。ここで描かれているのは、「ことのきっかけは女の子にモテたかった。それだけのところからビート詩人にもなり、バンドを組み、平和運動も行った・・」みたいな内容でしたね。僕も言葉はわからないながら、ネットで見つけ出して少し見ましたけど。この映画が話題になったこともあり、唯一のアルバム「HIP」は、公開時にデンマークのチャートで4位まで上がる再ヒットも記録しています。

 

 

Tropicalia Ou Panis Et Circencis/Various Artists(1968 Brazil)

 

 

 続いてはまたブラジルで行きましょう。これはオムニバスで、俗に「トロピカリア」と呼ばれているアルバム。もっと言うと、「南米のサージェント・ペパーズ」とさえ呼ばれているものです。

 

 時は1968年。ブラジルが「共産圏化を防ぐため」との名目で右翼軍事政権になった際、政府による言論の自由の抑圧ぶ反対する若者たちが、サイケデリック・ロックとともに反抗を始めます。その中心となったのが、北部の”田舎の”大都市、バイア州サルヴァドールから出てきたカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジル、そして彼の仲間たちでした。彼らはこの当時ブラジルのテレビで盛んだった、視聴者投票による楽曲コンテスト番組「ムジカ・ポプラール・ブラジレイロ(MPB)」にプロテスト・アンセムを持ち込み、そこで人気をえていきます。

 

 その勢いのまま、カエターノたちはスタジオには入り、名アレンジャー、ホジェリオ・ドゥプラの指揮のもと、テープの逆回転や編集、ストリングスやホーン、ディストーション・ギターを駆使した実験的なポップ・アルバムを作り上げます。そこにはカエターノやジルを始め、ガル・コスタやトン・ゼー、ボサノバ歌手のナラ・レオン、そしてカエターノ自身がバックアップしていたサンパウロのロックバンド、オス・ムタンチスが加わります。

 

 ジャケ写もサージェント・ペパーズを意識したように見えますが

 

 

これはむしろ、こちらのパロディです。これは1922年に、当時のブラジルの現代芸術家たちが行った「現代芸術博覧会」の時の写真なんですが、これをモチーフに使ったことでも想像できるように、サイケデリックでありながら、同時にかなりブラジルの固有の感覚も強調された作品です。それはリズムのグルーヴ感を聞けばわかります。

 

 

 このアルバム、さらにすごいのは、ここに参加したアーティストのいずれもがその後に伝説となり、50年経った今でも現役であり続けていることです。カエターノやジルは未だに音楽界の重鎮的存在で、カエターノに関しては80sに一時的に落ち込んだ以外はずっとハイレベルな作品作り続けてもいますしね。言動に多少問題はある人ですが、またそれは別の機会に(笑)。

 

The Savage Rose/The Savage Rose(1968 Denmark)

 

 

 

続いて、今度もデンマークのバンド、行きましょう。サヴェージ・ローズです。

 

「野生のバラ」という意味を持つこのバンド、その名の通り、女性シンガー、アニゼット・コッペル擁するバンドです。この当時、女性がリードシンガーを務めるロックバンドは、ジャニス・ジョプリンのビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーやジェファーソン・エアプレインのグレース・スリックくらいのものでしたが、彼らは明らかにそうしたサンフランシスコのフラワー・ムーヴメントの影響を受けたバンドです。

 

 

当時のアニゼットです。見ての通り、黒人の血を受け継いでいます。おそらく、白人とのミクストだと思うんですけどね。ただ、彼女の歌唱法そのものは、ソウルフルというよりは良く伸びる高音を、響かせるだけ響かせるタイプですね。その意味でヨーロッパのロックとは相性が良かったかもしれません。この人たちは分類上、「プログレ」と定義されることが多く、その関係でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ただ、少なくともこのデビュー・アルバムの時点では、そこまでプログレな感じはないというか、やっぱりフラワー・ムーヴメントっぽいフォークロック、あるいはそこからのサイケデリック・ロックの趣が強いですね。ただ、プログレ流れの関係で、英語圏にもファンが少なくないバンドです。

 

サヴェージ・ローズですが、現在も現役です。ただ、今はもうバンドというよりは

 

 

アニゼットの実質ソロですね。彼女たちは90sにアダルト・コンテンポラリー路線で人気が復活して、今現在は、ブルーズやソウルに傾倒した感じのロックになっています。現在はバンドリーダーだった彼女の夫は亡くなっていて、娘さんがバックアップ・シンガーをやっていますが、現在でも本国ではアルバムがチャートのトップ10に入るくらい人気です。さらに言えば、今回紹介のファースト・アルバムはデンマークの文化省から国宝にまで指定されています。

 

 

Tutti Morimmo A Stento/Fabrizio De Andre(1968 Italy)

 

 

 

 

 続いてイタリアに戻りましょう。この国が誇るフォークシンガーです。ファブリツィオ・デ・アンドレ。

 

 イタリアは中世からトルバドゥール(吟遊詩人)と言って、絃楽器弾き語りのシンガーの文化があるためにソロ・シンガーが好まれる風潮があるんですが、それが60s後半にフォークと結びついた結果に台頭したのがファヴリツィオです。

 

 60年代後半は68年5月のフランスの五月革命、69年1月の日本での東大安田講堂事件など、国際的に学生運動の激しい時期でしたが、イタリアでも68年3月から学生運動が全国に拡大し、そこからさらに左翼過激派による抗争が激化。それはやがて労働者にも拡大し、69年には工業地帯の北部の工場が軒並みストライキを行うなど、国が動乱します。

 

 ファヴリツィオはそんな時代の波に乗って支持されていきますが、彼はただ単に歌詞だけで評価されたのではありません。彼はイタリアにおいて、「コンセプト・アルバムを作り上げる名手」として知られていたのです。このアルバムは、そんな彼にとっての最初のコンセプト・アルバムで、名映画音楽家のエンリオ・モリコーネを意識した壮大なストリングスに乗って、「世界最初のプログレ・アルバム」と呼ばれるムーディ・ブルースの「The Days Of The Future Passed」を意識したアルバムを作ってます。そして、これが、イタリアで70s前半に開花するプログレ・ブームの先駆けにもなります。

 

 あと、ファヴリツィオのコンセプトの立て方は文学的でもあります。このアルバムも中世のフランスの詩人の「生と死」をテーマにしたものですが、`1969年にはキリスト教における異端信仰について、71年には20世紀初頭のアメリカの詩人の作品をイタリア社会に置き換えたもの(最高傑作の呼び声高いのがコレ)を、72年には68年の暴動に参加した労働者の人生を、81年にはイタリア原住民とアメリカ原住民の対比を、84年には彼の故郷ジェノヴァと中東世界の関係について歌ったもの(これも傑作の誉れ高し)といった、格式高い文学世界を音楽を通して展開してきました。

 

 その後も精力的な活動を続けましたが、1998年の夏のツアー中に肺がんが発覚。翌年の1月に58歳で亡くなっています。

 

 

Ptak Rosomak/Olympic(1969 Czech)

 

 

 続いて、もう一つ東欧行きましょう。今度はチェコで、その名もオリンピックというバンドです。

 

「この国も60年代、絶対にロックのシーンがあったはず」。僕はかなり前からそう思っていました。なぜなら、渋谷系クラシックにもなったガーリー映画「ひなぎく」(ヴェラ・ヒティロヴァ監督)が1966年に制作されていたような国です。あと、のちに「カッコーの巣の上で」「アマデウス」でオスカーの監督賞を2度受賞したミロシュ・フォアマンもチェコ・ヌーヴェルヴァーグの監督です。映画でそんなムーヴメントのあった国で、ロックのシーンがないわけない、と思っていました。

 

 ただ、それでも探すのは困難でしたね。それはwikiに「Czech Rock」という項目がなく、言語の関係上、検索の仕方が難しかったから。

 

 しかし、こういうものを見つけて、一気に解決しました。

 

 

これは1967年の12月に首都プラハで行われた「ビート・フェスティヴァル」という、チェコで最初のロック・フェスティバルの記録映像です。この動画の解説にあるバンド名を手掛かりに検索を始めましたね。さらに、別の動画では、チェコのロックシーンの世代別のトップ10アーティストの動画、というものも存在します。そういうので検索していった結果、当時トップ人気だったのがオリンピックで、この他にマタドールズ、ブルー・エフェクトというバンドだったり、カレル・クリルというフォークシンガーだったり、政府に目をつけられて共産圏崩壊まで20年活動の停止を余儀なくされたマリア・クビソワという女性シンガーソングライターがいたり、という情報を手に入れました。

 

その中から、オリンピックのセカンド・アルバムを。68年に出たファーストはまだ初期のブリティッシュ・ビートの趣きだったんですが、たった1年で、西欧のサイケの流れにキャッチアップしてるのが驚きですね。この当時の東欧社会に生きながら、しっかり外に情報のアンテナ張り巡らせて、自分たちの住んでいる世界の矛盾をしっかりと把握していた、その行動自体に頭が下がりますね。

 

 というのも、このチェコ、ハンガリーやポーランドといった国と同様、1956年にスターリンの粛清政治が暴露された際に、ソ連に反旗を翻し、「ソ連が押し付ける形でない、自分たちならではの社会」を望んで叫んでいたところだったんですね。それゆえにこれらの国では、この当時から西欧並みのカウンター・カルチャーが盛んだったわけです。そして68年には「プラハの春」という大きな抗議活動も起こります。これは結果的にソ連の軍事介入によって押しつぶされてしまいます。ただ、東欧間でのソ連への不信は高まり、チェコでのロックも、革新的な方向ではなかったかもしれないけど、続いていくことになります。オリンピックは現在も現役で活動中です。

 

 

Monster Movies/Can(1969 Germany)

 

 

続いて、ようやくドイツです。アーティストは、今もインディ・ロックやエレクトロ方面に絶大なファンの多いカンです。

 

ドイツといえば、「ビートルズがハンブルグで修行した」というイメージをお持ちの方もいるので、昔からロックに強いと思われる方もいらっしゃるとは思うのですが、実は全くその逆で、60年代、ドイツではロックは全く盛り上がっていません。なぜかというと、この当時、ドイツの音楽市場では代々伝わるドイツ民謡”シュラーゲル”が圧倒的に強く、ロックが入り込む余地が全くなかったんです。ロカビリーも、アイドルも、ビートバンドも流行った形跡がありません。

 

 そんな状況が一変したのは60年代後半。国の外でロックがサイケデリックを通じてアートに転化したこと、さらに学生運動が世界各地で起こったことで、ドイツの若者の間でも「ロックでアートしよう」という機運が盛り上がります。そして1968年9月にはこの国で最初のロック・フェス、「エッセン・ソングターゲン」が開かれますが、この時に欧米から招聘されたバンドというのがフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンション。この時点で、この先のドイツのロックがどうなるかはやや想像できるところではありました。

 

 そして69年。ドイツの新世代のロックバンドがアルバムを出し始めます。先述のエッセンのフェスに出たアモン・ドゥールやグルグルなどもアルバムを出しますが、先陣を切ったのはカンのこのアルバムでした。このカン、いや、カンに限ったことではないですが、これまでの他の国のロックのそれとは明らかに方向性が異なっていました。他国のロックが、歌の旋律を基調にリズムをつける楽曲作りなのに対し、こちらはあくまでもリズムの反復によって生まれるグルーヴが主体で、しかもその繰り返しが延々と長く、そこに歌の旋律を乗せていくという作り方ですね。いわば歌メロが、ジャズで言うところのアドリブみたいな感じのものになってて、楽曲の中心そのものではなくなっているんですね。

 

 今なら、エレクトロも同じような曲作りをするし、レディオヘッドの「キッドA」以降のアルバムを聴き慣れた耳ならむしろ心地よく聞こえるんですが、ただ、それでも軽く30年くらいは時代を先駆けていたわけで、リアルタイムに近かった人にはかなり実験的に映ったのではないか。そんな風にも思えます。

 

 このカンを筆頭としたドイツの実験的な新しいバンドは、ドイツ料理のお供え野菜として有名なサワー・クラウトにちなんで「クラト・ロック」と呼ばれ、70sの前半から半ばはプログレ・ファン、それ以降はニュー・ウェイヴやオルタナ・ファン、エレクトロのファンに愛されていきます。中でもカンはその中のトップバンドで、少なくとも5枚目の73年の「Future Days」までは何も傑作。とりわけ3〜5枚目にはドイツでヒッピーをやっていた日本人、ダオ鈴木の存在もあり、そこで親近感を覚えられてもいます。

 

 彼らは70年代後半には失速し79年に解散。89年に再結成もしますが、うまくはいきませんでした。しかし、中心人物だったホルガー・シューカイやイヒャエル・カローリ、ヤキ・リーヴェツァイトは長きにわたりマニアの間で強いリスペクトを受け続けていました。

 

 

Almendra/Almendra(1969 Argentina)

 

 

 では、今日の、というか60sのラスト行きましょう。アルゼンチンのバンド、アルメンドラです。

 

 このバンドそのものは短命だったんですが、このバンドの中心人物、ルイス・アルベルト・スピネッタにとっては初のバンド。まだ彼が10代だった頃のバンドです。

 

 このアルバム自体は、60sのアメリカのフォーク〜シンガーソングライター系のサウンドをややハードロックに寄せた感じとでも言おうか。どことなく、ニール・ヤングが加わった際のクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングに似ている印象ですけどね。

 

 ここを皮切りに、アルゼンチン・ロック史が生んだ最大のロックスター、スピネッタのキャリアが始まるわけですが、このスピネッタ、顔からしてかなりの美少年でした。

 

 

これは相当モテたろうと思います。

 

 彼はアルメンドラの後に、ペスカード・ラビオーゾ(70s半ば)’、インヴィンシブル(70s後半)、スピネッタ・ジェイド(80s前半)といったバンドを何もも成功させて、その後にソロになりますが、この国最高のロックスターです。2005年には大統領官邸に招待されて90分のショーをやってるくらいに国宝扱いもされてます。

 

 そんな彼ですが、ギタリストとしては、どことなくジェフ・ベックみたいというか、ハードロック志向からジャズ/フュージョンに傾倒する感じですね。なのでアルバムも曲によっては非常に長尺も目立ちますが、そうでありながらもフォークに基軸があるせいで、曲がポップでわかりやすい。そこも人気の秘訣だったんでしょうね。ソロになってからは、アルバムによってはちょっと甘ったるいAOR風のシティ・ポップにもなりがちなんですが、そこにトッド・ラングレン的な実験要素がスパイスのように加わる感じですね。

 

 スピネッタは本人の長きにわたる成功、さらに息子ダンテのユニット、イリャクラキ&ヴァルデラマスが「アルゼンチン版ビースティ・ボーイズ」的な成功も収める充実した一生を送りますが、2012年にガンで62歳で早逝しています。

 

 

 ちょっと長くなってしまいました。すみません。次回、第3回は木曜か、金曜の予定です。

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 12:50
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「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」第1回 1960-1966

どうも。

 

 

いよいよワールドカップと並行の当ブログの大型企画「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」、始まります。いや〜。緊張しますね。何せ、スタートまでに5ヶ月かけた企画なんてやったことがなかったですからね。

 

 

でも、「英語が母国語じゃない国で、ロックは世界にどのように把握されていたか」という、これまであまり語られずにきたテーマをあえてやってみるのはたり甲斐がありますね。ワールドカップ出場国と同じ全32国、101枚のアルバムで、約60数年のロックの歴史を追っていこうと思います。

 

 

では、第1回の10枚はこれです!

 

 

こんな感じです。西暦にして1960年くらいから1966年までです。

 

では、行きましょう!

 

 

Live In Germany/Tielman Brothers(Indonesia Circa 1960)

 

 

 まずはこのバンドから始めましょう。ティールマン・ブラザーズ。この人たちはインドネシアのバンドで、1950年代から活発に活動していました。驚くべきは、まだロックンロールが生まれたてで、エルヴィスとかチャック・ベリーの時代でビートルズさえいない頃に、遠く離れたインドネシアにすでにカッコいいロックンロール・バンドが存在していた、ということです。

 

 この動画を見てください。

 

 

1960年の時点で、こんなにパンキッシュで速いロックンロールがインドネシアで存在していたのですよ!これ、結構有名な動画で、これが彼らの知名度をyoutube時代になって押し上げる理由にもなっています。

 

 では、なぜそれが可能だったのかを語ることにしましょう。彼らはもともと、「クロンチョン」と呼ばれる、インドネシアに代々伝わる音楽をやっていたんですね。その音楽の編成が、すでにギターとベースに打楽器と、ロックバンドの編成に根本部分で似てたので、ロックンロールに入りやすかったようなんですね。で、インドネシアというのは第2次大戦後に独立するまではオランダ領だったわけですが、オランダの前はポルトガルの植民地でした。その時代に、ギター発祥(というか発展)の地のイベリア半島からギターがこのインド洋の島に渡ってきたんですね。そこで、ヨーロッパ音楽とアジアの伝統音楽をミックスした音楽が代々ここではプレイされていたようです。

 

 そしてメンバーいわく、そこに1950年代にロックンロールが、フィリピンの米軍キャンプの米軍放送から入ってきた、とのことなんですね。そこで感化されてロックンロールをやり始めた、ということだそうです。

 

 彼らの才能はアメリカでこそ発見されませんでしたが、宗主国だったオランダでは発見されました。その結果彼らは、オランダ、そしてドイツでライブ・ツアー活動を行い、そこで話題になったようです。1960年くらいと言ったら、ビートルズがちょうどハンブルグで修行を始めた頃ですから、ひょっとしたら彼らはティールマンの存在を知っていたかも知りません。未確認情報ですが、ポール・マッカートニーのヘフナーのベースはティールマンのベースから来た、なんて説もあったりします。

 

 ただ、いずれにせよ、早すぎた存在ですよね。

 

 

Los Teen Tops/Los Teen Tops(1961 Mexico)

 

 

 続いてはメキシコに飛びます。ロス・ティーン・トップス。

 

 非英語圏の国で最初にロックンロールのムーヴメントがあった国の一つにメキシコがあります。この国はロカビリーの時代かそれがあって、無数のロックンロールのアーティストが50年代後半から生まれています。

 

 その理由は二つ考えられます。一つは、ロックンロール発祥の国、アメリカと国境を接しているから。かの「ラ・バンバ」のヒットで有名なリッチー・ヴァレンスはカリフォルニアのメキシコ移民だったし、バディ・ホリーを生んだテキサスもメキシコと非常に距離が近いですからね。二つ目は、上述のティールマンと同じ理由なんですが、メキシコはもともとスペイン領だったわけですから、イベリア半島からのギターの文化が昔から根付いていた。ロックンロールに入りやすかった背景がここにあります。

 

 そのシーンのトップにいたのがロス・ティーン・トップスなわけなんですが、このバンド、というかシーンそのものが画期的だったことが2つあります。一つは、それまでだったら「〇〇&ザ・XXズ」みたいな、シンガーとそのバックバンドというのがロックンロールの基本的な演奏パターンでした。ところが、ティーン・トップスをはじめとしたメキシコのバンドは、そのシンガーの名前を抜いて、バンド名だけで自分たちを紹介したんですよね。このやり方はのちにイギリスで基本となり、それが以後まで続きます。

 

 そして二つ目が、彼らがスペイン語で歌い始めたこと。ロックンロールというのはアメリカが生んだ文化で、それゆえに英語で歌う、ということをする人たちも珍しくなかったのですが、彼らはそのレパートリーの大半がリトル・リチャードなどのカバーだったんですが、それをスペイン語のヴァージョンで歌ってます。それによって、「母国語のロック」という習慣の先駆けとなったわけです。

 

 メキシコのこの時期のバンド、他にはロス・ロコス・デル・リトゥモ、ロス・レベルデス・デル・ロック、ロス・アプソン、ロス・カミザス・ネグラス、ロス・エルマーノス・カリオンなどがいました。

 

 

Furore/Adriano Celentano(1961 Italy)

 

 

 今度はイタリアです。この国の当時、というか以後もショービズ・キングになります、アドリアーノ・チェレンターノです。

 

 1950年代後半から60年代初頭にかけて、多くの国でエルヴィス・フォロワーが生まれます。それがイギリスの場合がクリフ・リヤード、オーストラリアだったらジョニー・オキーフ、そして非英語圏にも生まれてイタリアの場合は彼なんですが、それはこの名画の中でも象徴されます。

 

 

 

イタリアの巨匠、1950〜60年代には世界のカリスマ監督でしたフェデリコ・フェリーニの名作映画「甘い生活」の中で、ロックンロールを歌い始めるロカビリー・シンガーの役で登場します。

 

 数多いた当時のエルヴィス・フォロワーの中でも、チェレンターノの声の伸びとシャウトのアタックの強さは抜群ですね。彼はアメリカからのロックンロールのカバー曲が多いのですが、そのどれもが当時としては完成度が高い。こと50sのカバーに関しては、彼のが一番良いとさえ思います。

 

 同時に彼もイタリア語でのロックンロールも流行らせ、それもヒット。彼の登場以降、イタリアは「ロックンロールの影響をアイドル」の時代になりまして、ボビー・ソロだとか、女性のミーナとかがそのシーンを盛り上げます。チェレンターノのオリジナル曲では、選んだアルバムの中の曲ではないですが「24000回のキッス」が日本でもカバーされてヒットしていますし、ボビー・ソロ、ミーナは「イタリアン・ポップス」として、この当時日本でもかなり人気を呼んでいます。

 

 まだ、この当時、エンタメ業界はその後みたいに「アメリカだけの独占」ではなく、フランスもイタリアも、「カルチャー発信国」として大きかったのです。音楽も、映画も、ファッションも。だからイタリアが、すぐにアメリカからの新しい若者カルチャーにすぐ反応し対抗しようとしたのはよくわかります。

 

 チェレンターノですが、この当時のエルヴィス・フォロワーの特徴でもあるんですが、歌に映画にマルチに活躍します。ただ、ロックンロールの時代が終わると「大人のバラード」の路線となり、むしろ主演のコメディ映画のイメージの方が目立つようにもなります。そんな彼は1998年、還暦を迎えた頃にミーナとのR&B調の大人のデュエット・アルバムを出して「こんなにも若々しいとは!」とリスナーを驚かせるカムバック・ヒットを飛ばしていたりもしています。

 

 

Tous Les Garcons Et Les Filles/Francoise Hardy(1962 France)

 

 

 続いてはフランス。そして女性で行きましょう。フランソワーズ・アルディです。

 

「フランスはシャンソンの国なのでロックは・・」なんて記述をたまに見かけたりもしますが、それは正しくありません。50年代後半から60年代にかけて、この国でもロックンロールのカバー・バンドが生まれています。そして、この当時のアメリカや日本同様、ロックのリズムに乗った若いアイドルがたくさん生まれ、それは「サルー・レス・コパン」という人気ラジオ番組で紹介されていました。そんなアイドルの中にはフランス・ギャルやシルヴィー・ヴァルタンなどもいましたが。このフランソワーズ・アルディも大きな存在でした。

 

 とりわけフランソワーズが大きかったのは、「自分で曲も作るアイドル」としてのアイデンティティでした。この当時、似たようなアイドル・ポップのシンガーは世界中にたくさんいましたが、自分で曲も作れた人となると少ないし、女の子となるとなおさらです。ただフランソワーズはそのソングライティング能力を持って、ブームが去った後でも生き延びていきます。

 

 このデビュー作の頃は、「ちょっとフォークがかったアイドル・ポップ」の趣ですね。シーンの中でひときわ「才女」的な異彩を放つのには十分な作品だと思います。ただ、この後彼女はさらに進歩して行って、68年にはバート・バカラックを思わせるソフィスティケイトされた最大の代表曲「さよならを教えて」をリリース。以後も、フォーク、ロック、ソウル/ディスコ、80sポップと来て、90年代後半はエレクトロにジャズの要素なんかも加えてリリースのペースまで上がります。そして最新作は今年リリースですでに彼女は74歳。それでも依然としてフランスでは初登場2位。デビューから55年以上経ても全くの衰え知らずです。

 

 

Sukiyaki And Other Japanese Hits/Kyu Sakamoto(1963 Japan)

 

 

そして続いては、いよいよ日本に行きましょう。やはり「上を向いて歩こう」、国際的には「SUKIYAKI」で全米1位を獲得した坂本九です。

 

日本も実はロカビリーのブームが50年代の後半からありました。この国の場合は、アメリカからの進駐軍と米軍放送の影響でロックンロールが流れていたのが影響したわけですが、そこで平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスの「ロカビリー3人男」などが出てきます。坂本九はそのムーヴメントの中では後発組。なんですが、そのハスキーな声のリズムのキレといい、エモーショナルになった時のアタックの強さといい、ファルセットの響きといい、申し訳ないですがロカビリー3人男よりは圧倒的に上だし、この当時の日本のシンガーの中では図抜けていますね。あの独特の、空気を含んだハヒフヘホな歌い方、あれも本人が明確にエルヴィスやバディ・ホリーを真似しているうちに生まれたものであることを認めています。そういうわけで彼は立派にロックの系譜なのです。

 

 ただ、この曲が全米1位になった異形の価値を当時の日本の音楽界がわからなかったこと。そして、「ロックンロール」という音楽が「数多ある音楽の一つに過ぎない」と思われていたことが、彼の音楽性を微妙に定めにくくしていたことは否めないですね。この「SUKIYAKI」を収録した国際向けの彼のベストヒット集でも、そのあたりの焦点の定まらなさは聞き取れます。ただ、それでも、いざロックンロールしてみた時の鋭い声とリズムの切れ味といい、同じ時期のボビー・ダーリンのような器用さ・多彩さを感じさせる点はさすが。同時期の日本で、ここまでソフィスティケイトされた垢抜けたエンターティナーはやはりいなかったと思います。

 

 でも、だからこそ、「全米ナンバーワン」という肩書きをもっと生かしたキャリアを積んで欲しかった。僕が小学生の時に覚えている彼なんて「なるほどザ・ワールド」のレギュラー解答者ですからね。あと、中高年向けの番組の司会とか。もっと、あの、全身をバネに使ったような弾けるような躍動感の歌をもっと聞きたかったですね。もしかしたら85年に日航機墜落で亡くなっていなかったら、90年代あたりに大きなリバイバルがあったんじゃないか。そんなことまで思わせます。

 

 

Tages/Tages(1965 Sweden)

 

 

ロカビリー〜アイドル・ポップの時代を経て、ここからはいよいよビートルズを筆頭としたブリティッシュ・ビートの影響を受けたバンドたちを。

 

 まず最初に紹介するのはスウェーデンのシーンの雄、ターゲスです。スウェーデンは現在、ダンス・ポップから、メタルやらパンクやらで実に多彩なポップ・アーティストの輩出国として知られていますが、そのルーツこそ、この世界でも屈指に早かった、イギリス以降のバンド・ブームにこそあります。さしずめ「スウェディッシュ・ビート」とでもいうべきか。

 

 その中で最も人気があったのがヘップ・スターズ。のちのABBAのキーボード担当のベニーが同じくキーボードを担当していたバンドですが、彼らが同国空前のアイドルとなりヒット曲を連発します。ターゲスはさしずめ、その最大の硬派な対抗馬、といった感じですね。ヘップスターズは勢いポップすぎでナヨナヨとさえ聞こえて、ロックンロールとしてのガッツ溢れる骨っぽさに欠ける印象があったのですが、このターゲスは、このデビュー・アルバムの頃からガレージ・ロック的な疾走感があり、さらにはストーンズ的なブルージーな黒っぽさもあった。この当時の北ヨーロッパでそうしたフィーリングが表現できるバンドが存在したことに驚きますがその意味で当時のイギリスのロックバンドたちはしっかり研究されていたのかなと思いますね。

 

 そんな彼らは1967年12月、「スウェーデンのサージェント・ペパーズ」とも一部で呼ばれている5枚目のアルバム「Studio」を発表して解散します。まあ、どっちかというと「リボルバー」ですけど、これもかなりのアルバムです。60年代のスウェーデンのロックでは一番良い作品かもしれません。

 

 ただ、残念ながら、ヘップスターズのベニーがABBAで成功したようなのちのキャリアは彼らにはなかったんですが。

 

 

Mejor/Los Brincos(1965 Spain)

 

 

 続いてはスペインのバンドブームに行きましょう。

 

 フランスやイタリアといった国はロックの取り入れ自体は早かったのですが、アイドル・シンガーがそのままビートルズの時代にも人気で彼らがそうしたギター・ロックを歌いバンド・ブームが遅れています。ところが同じラテン系ヨーロッパの国でもスペインではバンド・ブームが起こっています。そこはさすがイベリア半島の国。文化としてギターがあった国ではロックが起こりやすかったようです。

 

 その中で最も人気のあったバンドが、このロス・ブリンコスです。国際的ヒットで言えば、彼らのライバルだったロス・ブラヴォスの「Black Is Black」という曲がこの当時、イギリスやアメリカも含め世界的にヒットしていますが、こと、スペイン国内での人気はこっちだったようです。

 

 もう、1965年ということもあって、時代はもうエレキ化したボブ・ディランやザ・バーズなども出ていた時代ですが、このアルバムのタイトル曲にもなっている「Mejor」は、かなりアメリカの動きを敏速にキャッチアップした見事なフォーク・ロックで、きらびやかなアルペジオのギターと美しいハーモニーが堪能できます。

 

 この時期、スペインには本当にバンドが多かったようで、ブリンコスやブラヴォスの他に、ロス・ペケニケス、フォーミュラーV、ロス・シレックス、ロス・ムスタング、ドゥオ・ディナーミコといったバンドが人気だったようです。スペイン、この当時、まだ第二次世界大戦前からのフランコ総統から続く独裁国家の時代なんですけど、もう晩年で若者のはやりまではコントロールできてなかったのかな。 

 

Revolution/Q65(1966 Netherland)

 

 

 続いて、60年代から70年代にかけて、この国も大事です。オランダ。

 

 このオランダでは、前述したインドネシアからのティールマン・ブラザーズがやってきて人気を博していたわけですが、その影響もあってか、この国でも早いバンドブームがやってきています。

 

 その中では最大の人気バンドだったゴールデン・イヤリングを始め、モーションズ、アウトサイダーズ、カビー&ザ・ブリザーズ、サンディ・コーストなどが人気で、こうしたバンドは「ネーデルビート」とも呼ばれていました。そのネーデルビートの中で一つアルバムを挙げるとなると、Q65のこれになるでしょうか。

 

 なぜ、これなのかというと、このバンドはネーデルビートの中で最も骨があるから。オーティス・レディングのカバーなどもアルバムでやってる通り、基本かなりソウル・ミュージックの影響が強い上に、ギターはかなりハードで、66年のこの時点で、この翌年にイギリスで猛威を振るうことになるクリームやジミ・ヘンドリックスのようなサイケデリックなブルーズ・ハードロックに対応できてる先駆性もあります。オランダ本国ではかなりの人気を集めたようですが、これが国際的に知られなかったのは惜しいところです。

 

 残念ながら彼らは、リードシンガーのドラッグ及び軍隊への招集を持って68年に解散してしまいます。ただ、彼らが撒いた種はその後のオランダのバンドに受け継がれ70年代前半に花が咲きます。それは「ヴィーナス」や「哀しき鉄道員」の世界的ヒットで知られたショッキング・ブルーや、「ヘイロロ、ヘイロロ〜、ラッパパ〜」の呪文フレーズで有名な「ホーカス・ポーカス」でおなじみのプログレ・バンドのフォーカス、「My Bell Ami」の全米ヒットで知られるティー・セット、「Little Green Bag」の世界ヒットで有名なジョージ・ベイカー・セレクション、そしてネーデルビートから成熟し、70sに「レイダー・ラヴ」、80sに「トワイライト・ゾーン」の世界的ヒットを飛ばしたゴールデン・イヤリング。彼らのこうした国際進出は「ダッチ・インヴェージョン」とも実際に呼ばれていました。

 

 

それほどの国が今は振るわないのが不思議ですけどね。オランダには同じ時期にサッカーの天才、ヨハン・クライフも出ていますが、すごい文化の波があったんでしょうね、きっと。

 

The Album No.1/The Spiders(1966 Japan)

 

 

そして、日本にもブリティッシュ・ビートの影響を受けたバンドブームはありました。それが俗に言うグループ・サウンズ(GS)なわけですが、その中の先駆者にして、最高の人気バンドの一つだったのがザ・スパイダーズです。

 

 彼らは1966年、GSブームの1年前にすでにデビュー・アルバムも出して、これと共にワールド・ツアーまで行うという、当時の日本のバンドとしては画期的なことをやっていました。

 

 スパイダーズの何がすごかったかって、ポイントが3つ4つあります。一つは、ソングライター、当時かまやつひろし、後のムッシュかまやつの、この当時としては抜群に洗練された音楽性ですね。この当時の日本のGSでソングライターをバンド内で自前で抱えていたバンドはただでさえ稀少だったのに、スパイダーズには本場イギリスのそのニュアンスを絶妙に嗅ぎ取れるソングライターがいた。しかもブルーズ・ロックのカバー・センスまで実は絶妙と来ている。ムッシュのこの感覚がこの時の日本のロックのハードルを確実にあげています。

 

2つ目は、本格的なガレージ・ロックンロールを体現できる優秀なプレイヤーがいた。それがギタリストの井上尭之であり、キーボードの大野克夫であり。この2人は、70s以降に、ドラマのサウンドトラックでソウル・ミュージックの影響を受けたファンキー・グルーヴを試したり、ジュリーのバックバンドのメンバーとしてグラマラスなロックンロールを実践したりもしていますが、その意味でも歴史的に重要なサイドマン、アレンジャーです。

 

 3つ目はフロントマン。タイガースのジュリーや、テンプターズのショーケンほど美しくはなかったものの、堺正章と井上順の、ソフィスティケイトされた軽妙なユーモアのセンスと話術の才能。これは70s以降の日本のバラエティの司会進行の基礎にさえなりました。そして4つ目がドラムの田辺昭知の存在。彼は音楽で言うところのプレイング・マネージャー。彼がのちに田辺エージェンシーの社長にもなるわけですが、バンド内にマネージメントに長けた経営者的手腕を抱えていたことも特筆に値します。

 

 サウンドのエッジや演奏者の技巧的なことで言えばモップスやゴールデン・カップスが上かもしれないし、人気ではタイガースやテンプターズのアイドル性の方が優っていたかもしれない。しかし、こののちのロックはもちろん、その後の日本のエンタメ界における様々な「原型」を残していった意味では、やはりスパイダーズこそがナンバーワンだったと思います。

 

 

La Generation Perdue/Johnny Hallyday(1966 France)

 

 

 そして今日のラストはフランスに戻ってジョニー・アリデイ。

 

 ジョニー・アリデイといえば、フランソワーズ・アルディのところでも触れたように、この当時のフレンチ・ポップスの最大のアイドルの一人で、シルヴィー・ヴァルタンの元夫としても有名なんですが、この時代のフランスの最高のポップスターこそジョニーであり、同時にこの当時のフランスの最高のロックンロール・シンガーでもありました。

 

 彼はフランスにおけるエルヴィス・フォロワーの代表格で、当初はエディ・ミッチェルと並んでフランスのロカビリーを牽引します。二人して名前が英語風なのは、この当時のフランスのアメリカン・カルチャーへの憧憬を示すものです。この当時はフランス映界、トリュフォーやゴダールがヌーヴェルバーグのブームを巻き起こしていた時期と時代がかぶるのですが、この両監督も熱心なアメリカ映画の大ファンだったことでも有名。そういう、外への強い憧れを持った人たちが、この当時のフランスのカルチャーを築いていった、ということにもなるでしょうか。

 

 そしてジョニーが偉大だったのは、ロカビリーもアイドル・ポップも超え、普遍的に残り続けていったことです。前述もした通り、フランスではなかなか”バンド”というものが浸透しなかったのですが、そのかわり、ブリティッシュ・ビートや、サイケ、ソウル、ハードロックは、ジョニーによって見事なまでに歌われていきました。彼の声はトム・ジョーンズのような大きなバリトン・ヴォイスなのですが、その声でワイルドにシャウトするんですが、でも、どんな曲にも対応出来る器用さも同時にあった。アニマルズの「朝日の当たる家」のカバーをうまく決めたかと思えば、この「失われた世代」と題された66年の最高傑作のひとつでは、「ラバー・ソウル」から「リボルバー」に至る頃のビートルズのサイケデリック・サウンドにソウルフルに挑戦しています。あの当時のロックの激動の変化にもちゃんとついて行けていたわけです。

 

 そして60年代後半にはジミヘンのカバーもヒットさせ、60年代末くらいになると、ザ・フーのロジャー・ダルトリーばりのハードロックのシャウターになります。この当時、ジョニーに曲を書いていたのが、のちにフォリナーで有名になるミック・ジョーンズでもありました。

 

 ジョニーはその後も、時代時代に対応したサウンドとパワフルな歌声で常にトップクラスの人気を保ちましが、ただ、時が流れれば流れるほど、大仰なロッカバラード調になっていき、なんとなく西城秀樹っぽい感じにもなっていきます。ただ、その人気は絶大で、それは2017年の突然の死まで続くことになりました。

 

 

次回、第2回は、おそらく来週の火曜あたりになります。

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 14:00
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「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」、明日よりスタートです!

どうも。

 

 

いよいよ今日からサッカーのワールドカップが始まりますね。

 

 

これと時期を合わせて、当ブログでも、前々から宣伝してます、「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」の連載が始まります。

 

 

もう、すでにリストは公表していますが、改めてもう一回、101枚を紹介します。

 

 

101 Essential Rock Albums Of Non Engllish Speaking Countries By Taiyo Sawada
 
Live In Germany/The Tielman Brothers(Circa 1960,Indonesia)
Los Teen Tops/Los Teen Tops(1961 Mexico)
Furore/Adriano Celentano(1961 Italy)
Tous Les Garcons Et Les Filles/Francoise Hardy(1962 France)
Sukiyaki And Other Japanese Hits/Kyu Sakamoto(1963 Japan)
Tages/Tages(1965 Sweden)
Mejor/Los Brincos(1965 Spain)
Revolution/Q65(1966 Netherland)
The Album No.1/The Spiders(1966 Japan)
La Generation Perdue/Johnny Hallyday(1966 France)
A Go Go/Dara Puspita(1967 Indonesia)
Ezek A Filatalok/Soundtrack(1967 Hungary)
Em Ritmo De Aventura/Roberto Carlos (1967 Brazil)
Hljomar/Hljomar(1967 Iceland)
Hip/Steppeulvene(1967 Denmark)
Tropicalia Ou Panis Et Circencis/Various Artists(1968 Brazil)
The Savage Rose/The Savage Rose(1968 Denmark)
Tutti Morimmo A Stento/Fabrizio De Andre(1968 Italy)
Ptak Rosomak/Olympic(1969 Czech)
Monster Movies/Can(1969 Germany)
Almendra/Almendra(1969 Argentina)
Cambodian Rocks/Various Artists(Early 1970s Cambodia)
Histoire De Melody Nelson/Serge Gainsbourg(1971 France)
Mediterraneo/Joan Manuel Serrat(1971 Spain)
Kazemachi Roman/Happyend(1971 Japan)
Construcao/Chico Buarque(1971 Brazil)
Blues/Breakout(1971 Poland)
Smog/Los Dug Dug’s(1971 Mexico)
Clube Da Esquina/Milton Nascimento & Lo Borges(1972 Brazil)
La Poblacion/Victor Jara(1972 Chile)
Per Un Amico/Premiata Forneria Marconi(1972 Italy)
Alles Klar Auf Der Andrea Doria/Udo Lindenberg(1973 Germany)
Gita/Raul Seixas(1974 Brazil)
Anima Latina/Lucio Battisti(1974 Italy)
Moetsukiru Last Live/Carol(1975 Japan)
Autobahn/Kraftwerk(1975 Germany)
Fruto Proibido/Rita Lee(1975 Brazil)
The Album/ABBA(1977 Sweden)
Lovedrive/Scorpions(1979 Germany)
La Grasa De La Capitales/Seru Giran(1979 Argentina)
Solid State Survivor/YMO(1979 Japan)
We’re Only In It For The Drugs/Ebba Gron(1979 Sweden)
Nacha Pop/Nacha Pop(1980 Spain)
Ideal/Ideal(1981 Germany)
La Voce Del Padrone/Franco Battiato(1981 Italy)
Paket Aranzman/Various Artists(1981 Yugoslavia.Serbia)
Maanam/Maanam(1981 Poland)
Dure Limite/Telephone(1982 France)
Radio Africa/Aquarium(1983 Russia)
Musa Ukungilandela/Juluka(1984 South Africa.Zulu)
Two Steps From The Move/Hanoi Rocks(1984 Finland)
BOOWY/BOOWY(1985 Japan)
Hunting High And Low/A-ha(1985 Norway)
Dividido Por La Fecicidad/Sumo(1985 Argentina)
Signo/Soda Stereo(1986 Argentina)
Pop Satori/Etienne Daho(1986 France)
Dois/Legiao Urbana(1986 Brazil)
Gruppa Krovi/Kino(1988 Russia)
Life’s Too Good/The Sugarcubes(1988 Iceland)
Descanso Dominical/Mecano(1988 Spain)
No Fuel Left For The Pilgrims/D-A-D(1989 Denmark)
Blue Blood/X Japan(1989 Japan )
Puta’s Fever/Mano Negra(1989 France)
Set/Youssou N’dour(1990 Senegal)
Senderos De Traicion/Heroes Del Silencio(1990 Spain)
Doctor Head’s World Tower/Flipper’s Guitar(1991 Japan)
Qui Seme Le Vent Recolte Le Tempo/MC Solaar(1991 France)
El Silencio/Caifanes(1992 Mexico)
Tostaky/Noir Desir(1992 France)
Tata Kazika/Kult(1993 Poland)
Seo Taiji And Boys II/Seo Taiji And Boys(1993 South Korea)
Kauf Mich/Die Toten Hosen(1993 Germany)
And She Closed Her Eyes/Stina Nordenstam(1994 Sweden)

Re/Cafe Tacvba(1994 Mexico)
In A Bar Under The Sea/dEUS(1995 Belgium)
Fuzao/Faye Wong(1996 China)
El Dorado/Aterciopelados(1996 Colombia)
Roots/Sepultura(1996 Brazil)
Hai Paura Del Buio?/Aftehours(1997 Italy)
Isola/Kent(1997 Sweden)
Homework/Daft Punk(1997 France)
Gear Blues/Thee Michelle Gun Elephant(1998 Japan)
Agaetis Byrjun/Sigur Ros (1999 Iceland)
Zemfira/Zemfira(1999 Russia)
Veni Vidi Vicious/The Hives(2000 Sweden)
Mutter/Rammstein(2002 Germany)
Tocotronic/Tocotronic(2002 Germany)
Ventura/Los Hermanos(2003 Brazil)
Robyn/Robyn(2005 Sweden)
Le Dimensioni Del Mio Caos/Caparezza(2008 Italy)
Los De Atrás Vienen Conmigo/Calle 13(2008 Puerto Rico)
Matloob Zaeem/Cairokee(2011 Egypt)
Outlaw Gentlemen & Shady Ladies/Volbeat(2013 Denmark)
Darmaduman/Duman(2013 Turkey)
Raasuk/Mashrou Leila(2013 Lebanon)
Chaleur Humaine/Christine And The Queens(2014 France)
Hasta La Raiz/Natalia Lafourcade(2015 Mexico)
Meliora/Ghost(2015 Sweden)
Amanecer/Bomba Estereo(2015 Colombia)
Clashes/Brodka(2016 Poland)
23/Hyukoh(2017 South Korea)

 

こういった感じですけどね。

 

明日は、その中から時代順に言って最初の10枚となる

 

 

 

これからレヴューを書いていきます。現時点でもう8枚書き上げてあるので、延期なく行けるはずです。

 

では、乞うご期待!

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 20:57
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Rate Your Musicというサイトに「非英語圏の重要な101枚のロック・アルバム」を登録しました

どうも。

 

 

3日が締め切りで、W杯参加国も続々と出場選手を正式決定させてきていますが、僕もそれに合わせてというか、6月の企画「非英語圏の重要な101枚のロック・アルバム」に先行すべく

 

 

Rate Your Musicというサイトに、リストを公開しました!

 

 

これで世界中の人があのリストを全部ジャケ付きで見れるようになったはずです。

 

リンクは以下の通りです。

 

https://rateyourmusic.com/list/TS24/101-essential-rock-albums-of-non-engllish-speaking-countries-by-taiyo-sawada/

 

これでクリックすれば見れるはずです。

 

 

これをアイコンに使っています。なんか感慨深いものがあります。これは第3回めにレヴューする作品のジャケ写ですね。

 

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 21:25
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BTS(防弾少年団)の新作を「非英語圏の重要な101枚のロック・アルバム」に選ばなかった理由

どうも。

 

今日は旬な話題をしましょう。

 

 

ビルボードで、アジア系アーティストで初の全米アルバム・チャートの1位に輝いたBTSですね。日本だと防弾少年団っていうんですか?なんか違和感あるけど、とりあえず、BTSで統一して話をしますね。

 

 

このBTSのアルバム、「Love Yourself Tear」が昨日発表になったビルボードの最新のアルバム・チャートで1位になりました。さらに

 

 

このシングル「Fake Love」も全米シングル・チャートで初登場で10位になりました。いやあ、すごいことだと思います。

 

 

ただ、このアルバムが1位になるであろうことは、発売の時点で予想されていて、そういう記事も出回っていたので驚きはなかったんですよね。かなり大きくプロモーションもしてたしね。これが出たばかりのタイミングでビルボード・ミュージック・アワードに出て、大きくフィーチャーもされていましたからね。

 

 

で、これが出たのが5月18日のことでした。で、すぐに1位になることもわかっていました。

 

そこで

 

えっ?

 

と思った、あなたは鋭いです!

 

だったら、「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」に入れるの間に合ったんじゃない?

 

そう思われるかもしれませんね。はい、そうです。実はですね、今回

 

 

そのことを事前に知っていながら、あえてそこにBTSを選ぶことをしませんでした!

 

「え〜、なんで〜。ドンピシャのタイミングだったのに、もったいないじゃん!」と思われる方もいらっしゃるでしょう。そこで今回は、なぜ、僕がこのアルバムを選ばなかったのか、それについて話すことにしましょう。

 

 

とはいえですね、これ、実は最初から無視していたわけではないんですよ。だって

 

 

一応、「聴いてみて、よかったら差し替えで入れる」ことは考えましたから。

 

 

差し替えるに当たっても、ちょうどよかったんですよ。なぜなら、今回のリストの最後は韓国のヒョゴだったし、いずれにせよ、今の世界の音楽シーンでの勢い上、韓国勢で最後を締めることは最初から決めていましたから。

 

 

そこで、BTSとヒョゴとの比較となったわけですが、それにプラスして

 

 

この、セイ・スー・ミーという、4月にインターナショナル・デビューした韓国のシューゲイザーのバンドのアルバムがあって、これがなかなかよかったんですよね。なので、彼らも加えて聞いてみることにしました。

 

 

まず、BTSですが、聞いた印象は

 

「R&Bのアメリカでの流行りは一通りやってるな」

 

という感じでしたね。そのクオリティも悪くない。出来としては良いです。

 

が!

 

「この3ヶ月のトップ10に入れたい」とか「年間アルバムTop50に選びたい」とまでは思わなかったんだよなあ・・。

 

なんかですね、どれも「及第点」ではあるんですけど、病みつきになりそうなくらい好きな曲が見つからなかったんですよね。そこが物足りなかったなと。

 

 ・・と、そういう状態なのに、本来、「ど真ん中でロック」をやってるわけでもないアーティストを、いくら「非英語」ってとこでタイムリーな瞬間ではあるものの、自分のロック観まで良くない意味で変えてしまいかねない判断をするのはどうなのかな、と思いましてね。

 

 僕はもともと、「70年代の昭和の日本の歌謡アイドル」で育った(ここが80年代じゃないところに微妙に差別化の意味があります)からアイドルということにはそこまで否定的ではないし、洋楽でも、マイケル・ジャクソンとかマドンナで育った世代です。そんな僕にとって、マイケルとマドンナはもう余裕でロックとして「アリ」です。両方とも存在が「ジャンル」とかそういうのを超えた規格外のエンターティナーだし、音楽も、マイノリティの立場を逆転させるような革命児的な要素もあるし。でも、マイケルとマドンナはアリでも、ジャネット・ジャクソンは微妙にアウトで、ホイットニー・ヒューストンならキッパリ入れない。そういうこだわりもあります。それはいうと細かくて、「ジャネットは、ついてるプロデューサーは先進的だと思うけど、本人自身は果たしてすごいのか?」、ホイットニーなら「別にR&Bとしても先進的なわけじゃなかった」というのが理由かな。

 

 で、今日のアイドルで、僕が個人的に「この水準に達してるか近かったら、オッケーにしよう」と目安にしている作品が2枚あります。それがコレです。

 

 

 

ジャスティン・ティンバーレイクの「Justified」にリアーナの「Good Girl Gone Bad」。この2枚が世に出た時のインパクトに匹敵するくらいのクオリティが果たしてあるか。そう考えた時に「ううむ」となるんですよねえ。これに関しては、アリアナ・グランデとかカミーラ・カベーロとかも、いい線は行ってるんですけど、まだ彼女らとて追いつくレベルだとは個人的には見ていない。なので「キツいかなあ」と思ったんですね。

 

 

あと、2010年代以降に、インディの聴き手が急にアイドル評価し始めたのとかも個人的には違和感あってですね。僕としては「アイドルなのにいい」というスタンスはずっと変える気はないし、「やはり自作自演こそが理想的」と思うタイプなんですが、最近のそういう人たちのアイドル評価の中に、ややもすると「いや、アイドルの方が方法論として今は優れているんだ」みたいなものをすごく証明しようとする類の人までいるでしょ?そういうのも、したければすればいいとも思うんですけど、僕は正直関心ないです。

 

 

あとですね、もうそれより先に

 

 

もうすでに、Spotifyリストのみですが、Bigbang をすでに入れてしまっているから、というのもあるですよね。

 

 

Bigbangは90年代のソテジというアーティストの代理で入れてます。実はこれはかなり意味のある代理選出なんですが、詳しくはソテジのレヴューで語ることにして、そういうこと抜きでも、今の韓国のボーイバンド、ガールバンド・ブームの中でもBigbangって先駆者じゃないですか。そこを評価したのと、G-DRAGONのラップって、一度耳にしたら忘れない強い個性も感じられる。だから、こっちは割とスンナリとリストに加えられたんですけどね。

 

 

でセイ・スー・ミーとヒョゴで選ぶことにしたんですが、バンドとしてはセイ・スー・ミーの方が洗練はされてます。だけど、割と型どおりの女の子シューゲイザーという感じで、もう少し独自性を感じたかったんですね。今のままだと、一部のインディ好きだけが聞いて終わって、韓国本国での人気にもフィードバックされないだろうと思ってですね。その意味でヒョゴの方が、オリジナリティを持ちながら、広がるところには広がる気がしたので、結局、当初の予定どおり変えないことにしました。

 

 

 

 

 まあ、でも、これ、あくまで「2018年5月の判断」に過ぎないですけどね。もしBTSがこの先、ものすごく革新的で先進的な存在にでもなろうものなら、その時には差し替えるかな。でも、それは今回のアルバムではないとは思いますけど。

 

 

 でも、誤解のないように言っておくと、BTSの全米アルバム・チャート1位、これは素直にすごく嬉しいんですよ。やっぱ、「ポップ・ミュージックの世界って、言語の格差、ちょっと大きすぎるよね」と思うからこそ、「101枚」の企画を思いついたわけだし、今回の偉業により、少なくともアジア系のアーティストには間違いなく励みになるわけですからね。

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 14:03
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「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」の選び方

どうも。

 

 

一昨日に発表した「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」、twitterでもfacebookでも上々の反響をいただきました。ありがとうございます。

 

 

僕としてもこれは、かなり力が入っている企画なので、プロモしたいのです。これからしばらく、これに関しての言及は関係ない記事でも出てくるとは思いますが(笑)、気にしないでやってください。

 

 

 で、余韻もあるので、今回は、僕がどうやってあれを決めたかのプロセスを語ろうかと思います。

 

 

 アイデアを思いついたのは2月の初旬ですね。ワールドカップ用の企画を考えていて、最初は「非英米の」で考えていて、オーストラリアも考えていたんですよ。だけど、パッと頭に思い浮かんだだけで、オーストラリアとニュージーランドあわせても25枚は必要なことがわかって、それは挫折しました。ただ、いつか、このオセアニアとか、ナイジェリア、南アフリカ共和国など、アフリカの英語圏も足したロック・アルバムものは、そのうち形にできたらな、とは思ってます。

 

 

 で、思い直して、「非英語圏の」で行こうと思ったんですね。ただ、その際に、「英語で歌ったものはダメ」なんてことにしてしまうと、本当に極端というか、変に意固地なマイナー趣味に固執してるみたいに捉えられかねないし、それは僕の当初のコンセプトとは異なるものになりかねなかったので、「英語で歌うことに関してはアリ」ということにしました。

 

 

 で、どうやって決めるか、ですが、まず思いついたのは「シード制」でした。

 

 こんな感じでした。

 

<Aシード>(最大10枚まで)
日本
ドイツ
フランス
イタリア
スウェーデン
ブラジル

 

<Bシード>(最大5枚まで)
スペイン
アルゼンチン
デンマーク
メキシコ
ロシア
ポーランド
アイスランド
インドネシア

 

こんな具合ですね。

 

このシードは、Aに関しては、「国際的な進出が比較的多い」「国内の音楽マーケットが大きい」ということで考えました。Bが、「国内のロック市場が少なからず大きい」ということですね。

 

 ただ、それでマックスまでは選ばないで、極力枠が余るように作っていきました。そうすることで、他の少数の国がなるべく多く入るように配慮をしたわけです。特にインドネシアなんかは、ロックの歴史が50年代からあって、現地のローリング・ストーンで国内アーティストのオールタイム・ベストがあるくらいだったのですが、60年代に光るものはあるものの最近のものがもう一つだったので、実質は「韓国と合同」という形になりましたね。

 

 

 で、それぞれの選び方ですが、世界各国のローリング・ストーン誌が2010年前後にやった、「自国のオールタイム・ベスト・アルバム」、そしてRYM(Rate Your Music)というサイトに、そうした各国ベストが個人制作も含めてかなり存在するのですが、そうしたものですね。実は僕はこうしたリストを見て3〜5年くらいは楽しんでいたりしたのですが、そこによく入っているもので僕自身も良いと同意できるものを優先的に入れています。

 

 

 で、枠も決めておいたから、決めるの割と早かったんですよ。直感的にポンポンと選びましたね。

 

 意図してなかったのですが、フランスは結局いっぱいいっぱい10枚になりました。まだ選び足りなかったくらい。やっぱ自力高いんだな、あの国は、と思いましたね。ドイツ、スウェーデン(ともに8枚)に関しても同様です。ブラジルは住んでるので客観的に見たつもりですけど、あそこもやはり60、70年代にレジェンド多かったし、その後も10年に一人はすごいの出てますから9枚に

なりました。

 

 で、日本ですけど、「ロカビリーの時からロックの文化がある国って本当に珍しいし、世界的に見れば海外進出組も実は多い」ということで9枚にしました。でも、これも直感的にすぐ選べましたね。「坂本九、スパイダーズ、はっぴいえんど、キャロル、YMO、BOOWY、X JAPAN、フリッパーズ」というこの8つに関しては最初から直感でした。「いや、もうこれしかないだろう」ってくらい迷わなかったですね。「歴史の転換点」ということと、「フォロワーを多く生んだ」「シーン作った」ということでいうと、必然的にこうなっちゃうのかなと思ってですね。

 

 最後の一枠を巡ってだけ、「ミッシェル、ゆらゆら、林檎、くるり、ナンバーガール」から若干迷って、「でもミッシェルかなあ」と6割がた腹決めながら知人に一人尋ねたところ、期待通りの答えが返ってきたので彼らにしました。これで日本は決まりました。

 

 ただ、後で、「今、流行りのシティ・ポップって他の国にない概念だからあってもよかったかなあ」とは思いましたけどね。なのでシュガーベイブやら山下達郎、ユーミンも考えないではなかったのですが、「でも、キャロルで語ることあるし、こっちの方の独自性の方がデカいしなあ」と思って結局選ばなかったです。せめて、Spotifyに彼らの名盤があったら、キャロルの代理で選んだんですけどねえ。あまりに替えが効かないので、Spotifyだと枠、ブラジルに一つあげちゃいました。

 

 

ちなみにSpotifyでの代理、日本が一番多発したんですけど、はっぴいえんどの代理がフラワー・トラヴェリング・バンドという、わかる人にはわかるシャレを使いまして(笑)、BOOWYがブルーハーツ、ミッシェルがくるりで代用されました。

 

 

 他の国に関しては、「英米のロック史」と対照させる感じで進めてみました。エルヴィス・フォロワーがいたら極力選んだし、ブリティッシュ・ビートに相当するシーンがあったらそれも選んだ。この辺りに関しては

 

 

この、ライノ・レーベルのガレージ・ロック・コンピ、「ナゲッツ」のVol.2のボックスで20年くらい前からだいたいどこの国で60sからバンド文化があったのか、あらかじめ知ってました。それでかなり選びやすかったのは確かです。

 

面白いことに、実はその頃から、共産圏のはずの東ヨーロッパにロックの文化があったりするんですよね。このことも僕は、「ポランスキーとかミロシュ・フォアマンみたいな監督を60年代くらいに出した地域でロックの文化がないわけない」と思って、時間かけてネットで調べて色々見つけましたね。

 

あと、70sはまだ国際的に独裁政権なんかもあって、ポップ・ミュージックが圧政に屈した、なんて話もよく聞いたので、その辺りも反映させてます。

 

で、80sは子供の時にMTVでいろんな国からのヒットが今よりも入ってきたので、それも入れてある(a-haとかハノイ・ロックスとかがそう)し、南米とか東欧でロックがメインストリームになったのもその頃です。南米で右翼軍事政権が終わったのも、東欧で共産圏が終わったこともそれと密接に関係してます。

 

 それからエイティーズからナインティーズの最初のワールド・ミュージックのブームですね。これに関しては、あくまでもアレンジ面においてロックに近いものに限りました。そうしないと、ちょっととっちらかりそうになるし、「ロックとの接点」が見えなくなるので。

 

 そして90sあたりになると、各国かなりシーンもあって、ネットでの検索もしやすくなりますね。特に最近の物は、母国語のままでもヒットするようになっているので、「時代も本当に変わったなあ」と痛感してるとこです。

 

 で、前も言いましたが、100枚選んだところで31国になったので、「何ならワールドカップ参加国数と同じにしてしまえ」と思って、101枚32国となったわけです。

 

 

 具体的な盤は10枚ずつ、全10回でやります。始まりはワールドカップの開催と合わせます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 21:40
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