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AC/DCの思い出と、これから

どうも。

 

 

 

 やっぱりマルコムの死はショックですね・・・。

 

 マルコムは、この写真のように、決して表に出る人ではなかったものの、後ろでしっかりと弟アンガスとブライアン・ジョンソン(と、その前のボン・スコット)を不動のポジションで支える姿というのが一番印象的でした。あの、微塵の乱れもない彼のリフの刻みの中で、フロントの2人も自由にプレイ出来てた。あのフォーメーションこそが最高でした。

 

 

 マルコム自身の魅力については昨日再掲載した投稿で描ききっているとも思うので、今日は僕がどうやってAC/DCと出会ったかの話をしましょう。

 

 キッカケは、小学校卒業する頃ですね。その当時に、「アメリカでかなりのヒットを記録したヘヴィ・メタルのバンドがやってくる」という触れ込みで、音楽雑誌でも、地方のテレビ局でも、AC/DCって何気に紹介されていました。ただ、世界に比べて、その認知が少し遅れていたのかな。何も知らない子供心にも、どこかちょっと後追いな感じはしてましたね。

 

 初めて知ったのはこの曲でした。

 

 

 この曲は、「悪魔の招待状」という、大砲のジャケ写で知られるアルバムの先行シングルでした。これ、この当時の日本のラジオでも結構かかってましたね。ビルボードでも初めて1位になってね。「わあ、すごい人気あるんだあ」と思ってました。

 

 ただ、中学になったばかりbの子供には、ギターよりブライアンのしゃがれ声の方がやっぱり気になってたし、それからやっぱり

 

 

 

これ、この当時、買って持ってました。1982年8月号のミュージック・ライフ。このように、やっぱ主役はアンガスだったんですよね。やっぱ、この格好と、あのアクションされたら、誰でもそうはなりますけどね。

 

 

で、このあとAC/DCは一回人気が低迷するんです。オリジナル・アルバムが2枚連続でコケまして、落ち目の印象まであったんですが、1988年にこれで復活します。

 

 

 

 1988年、これが当時、僕が浪人生になる直前でしたけど、ちょっとした衝撃だったんですね。この当時、友人の影響などでメタルとかもかじってたんですけど、あの頃聞いたどれとも違って、音圧で勝負するんじゃなくて、鋭角的な切れ味とテンポの鋭い速さでグイグイ決める感じがね。これが、決定的に僕の好きなロックンロールのイメージになったんですね。

 

 

 それで、この頃にちょうどCDが廉価になり始めて、CDか作品が廉価で出始めたんですね。それで僕もリアルタイム以外のものを掘り始めたんですけど、その頃に僕の心を掴んでいたのが、もう圧倒的にエロスミスとAC/DCだったんですね。エアロも「パーマネント・ヴァケーション」じゃなくて、70sを掘り下げた時に「これだよ!」と思ったし、AC/DCでも「バック・イン・ブラック」や「ハイウェイ・トゥ・ヘル」でそれを感じて。で、この2バンドと、チープ・トリックもプラスされて遡って行ってたら必然的に60sに当たって、ザ・フーとかヤードバーズも聞くようになった、という、20歳前後でしたね。

 

 

 

 そして大学2年の時に出た「レイザーズ・エッジ」というアルバムはオーヴァープロデュースで好きじゃなかったんですけど、そのアルバムのツアーのライブ盤は本当によく聴きましたね。ちょうどその頃、グランジが流行りだして、前述した音楽趣味になっていたので移行もしやすい感じになっていたんですけど、やっぱグランジ連中もリスペクトしていただけあって、AC/DCは他のメタル系のバンドみたいなダメージって一切なかったんですよ。その時思ったものです。「ああ、普遍的なもの、選んでてよかった」と。現に下の「Big Gun」なんて、サントラの他の曲、アリス・イン・チェインズとかオルタナ色の方が強かったんですけど、これがむしろ一番カッコ良いくらいの感じでしたからね。

 

 

 そして1995年にリック・ルービンのプロデュースで70sっぽい音に戻ってね。ドラムがフィル・ラッドに戻って、スネアがパスパス言ってるのがいいんです!そこで、ますます気持ち的に盛り上がって、「ちくしょう、ライブ見てえ!!」となってきたわけで、そして次にやっと

 

 

 

2001年2月19、20日、夢にまで見たAC/DCのライブが横浜アリーナで観れたわけです!!

 

2日間、両方見ましたけど、とにかく度肝抜かれましたね!だって、2万人くらいは入るアリーナで、200人のライブハウスと同じ音が鳴ってましたからね!これ、衝撃だったんですよ!あの頃、人生で一番ライブハウスに行ってた頃でしたけど、狭いライブハウスでのケイオティックでギザギザの音の質感があの広いところで感じられるなんてこと、後にも先にも、やっぱ、これだけかなあ。ジャック・ホワイトのギターにも腰抜かしてますけど、ちょっと質感違うもんね。

 

 で、2日間、選曲もMCも演奏も、全く寸分の違いもないライブやったのに、2日目の方が感動したんですよ(笑)。それもまた、すげえなあ、プロだなあ、と思っていたく感動しましてね。

 

 そして、その時に、「前の二人もやっぱりすごいんだけど、マルコムから後ろの三人のリズム・キープ、尋常じゃないね!!」と思ったわけです。全くのブレがない、メトロノーム並にリズムの狂いのない、正確でかつ、キレ味鋭いリズムですからね。やっぱり、この、底辺でこれ以上ないほどに強力に固められたグルーヴがあってこその名人芸のあれこれなんだなと、あの時に初めてAC/DCの極意がわかったような気になりましたね。

 

 

 そして2010年3月、再び日本で見たわけです。僕の行った日は14日で、ブラジルに発つ1ヶ月前ですね。このころの日付でこのブログの過去記事探ると、感想出てきますよ。

 

 で、この時にはまさか気がつくわけもないんですけど、この「ブラック・アイス」ってアルバムのツアーを持って、マルコムがAC/DCのステージに戻ってくることはありませんでした。

 

 

 

 そして2010年6月28日のスペインのビルバオでのライブのこの曲がマルコムのステージでの最後の曲となりました。僕がライブ見た3ヶ月後がそんなことになるなんて・・。なんか信じられないですけどね・・。だって、これだけの演奏聞かせられているのに・・。

 

 この後、AC/DCは2014年に「Rock Or Bust」というアルバムを出してワールドツアーもやりましたけどね。でも、もうマルコムは引退してて、後任には、以前にもマルコムが病欠したツアーの時に代役を務めた甥っ子(と言っても、年齢ほとんど変わらない)スティーヴィー・ライトが務めました。昨日再掲載した記事でも、「AC/DCくらい大物になると、ザ・フーみたいにすぐに代役を立てられる。それくらい、本当のプロならプレイできるもの」と思って応援してたんですけど、でも、フィル・ラッドが殺人未遂でバンドを追われ、ブライアンが耳の障害でツアー離脱を余儀なくされ、アクセル・ローズが代理を務める、なんて事態までありました。でも、こうなってしまうと、「もう、そこまでしてAC/DCやらなくてもいいよ・・」という寂しい気持ちにもなりました。実は「Rock Or Bust」もマルコムの不在が気になって、あんまり聞く気が起きない感じで、そこまで聞いてなかったりもsますからね・・。

 

 

 AC/DCみたいな、「ロックンロールの原点」とも言えるサウンドは伝統芸として継承はされて欲しいんです。なので、継承者が出るまでは彼らにはステージにたち続けて欲しくはあったんです。でも、いくらアンガスが健在とはいえ、それを支える人たちがここまでいないとなると・・。そう思うとさすがにねえ・・。

 

 

 

author:沢田太陽, category:訃報, 03:44
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マルコム・ヤング追悼 再掲載:マルコム・ヤングに捧ぐ〜For Those About To Rock,We Salute You(2014.4.17)

どうも。

 

もう、マルコム・ヤングの死があまりにもショックです。

 

 僕の場合、AC/DCはかなりファンであることを声を大にして公言し続けてきたバンドでもあるし。もう、あの寸分の狂いもないリズムの刻みが聞けないのかと思うと、涙が出てきます。

 

 今回に関しては、本当は過去記事の再掲載なしでいこうかとも思ったんですけど、マルコム兄貴の病を伝えた際の記事が、すごくマルコムがどういう意味をAC/DCの中で持っているのかを、僕の思ってた以上に書けていたので、まずはこちらを読んでいただきたいと思います。

 

 実はその当時に書いたことと今で考え方が微妙に変わっているところがあるんですが、それはこの次の投稿で書こうと思います。

 

 では、2014年4月17日の投稿をぜひ読んでみてください。

 

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どうも。


本当はフジロックのアーケイド・ファイアのヘッドライナー出演の話(メチャクチャ嬉しいけど、でも正直、あんまり驚かなかったんだよね。セオリー的に条件揃ってたんで「やるでしょ」と思ってた)とかもあるんですけど、僕的にはこの話があまりにも重要なので、こちらの話をさせてください。これです。




AC/DCの実質的リーダーで、鉄壁のリフ・マスター、マルコム・ヤングが、病気療養のため、AC/DCとしての活動を無期限で離れることになりました。

このニュースは、ここ24時間以内にAC/DCからオフィシャルに届けられたものなのですが、実はその1日前に「マルコム重病説」が浮上して、「AC/DCは解散するんじゃないか」という説がまことしやかに流れていました。今回の話に関しては、その噂の内容からあまりに信憑性が高かったことから、僕もあえて騒がず「そのとき」を覚悟して待っていました。


どうやら、その解散説は、メンバー本人によって否定され、「とにかく今、自分たちのやれることをやってみる」という結論には達したんですが、でも、今回の件は決して楽観できるものではありません。


というのも今回の件はですね、こんな形で起こりました。ちょうど1ヶ月かそこら前に、AC/DCは2008年に世界的に大ヒットした前作「Black Ice」につぐアルバムのレコーディングの準備に入っていたんですね。しかし、その矢先に、マルコムが心臓発作を起こしまして。さいわい一命はとりとめたものの、その後遺症で脳に血腫が出来て、その影響で体に麻痺が出たのか、ギターが満足に弾けない状態になったんですね。そのことから、「これではさすがに解散か・・」という話になっていました・・。


マルコム・ヤングという人はですね、AC/DCの中でパッと身では、「永遠のロック児童」こと弟のアンガス・ヤングや、世界一のしゃがれ声ヴォーカリスト、ブライアン・ジョンソンほどには目立たないんですが、彼が積み上げられたアンプの前に張り付いて、寸分のズレもない、切れ味鋭いリフをミニマルに刻み続けていたから、AC/DCのロックンロールに極上のグルーヴが生まれてたんですよね。彼がベースのクリフ・ウィリアムスとドラムのフィル・ラッドの3人でガッチリ組んで、一糸の乱れもない完璧なリズムを刻み続ける様、これはまさに「職人芸」というべきものでした。ここまで磨き、鍛え上げられたロックのリズム隊を見たことは、僕自身の体験ではいまだかつてありません。


AC/DCのライヴ・パフォーマンスって、見ていてすごくサッカーなんかにも通じる組織プレーを思わせるんですよね。たとえばブライアンがゴール前で点を取るフォワード、アンガスがフィールドの端から端をかけまわる野生児的な攻撃的ミッドフィールダーだとしたら、マルコムの役目はディフェンス・ラインを統括し、さらに攻撃陣との架け橋的な役のボランチかサイドバックみたいな感じ(その場合クリフがCBでキーパーがラッドかな)というかね。こんな立体的なフォーメーションがライブ見ただけで連想出来てしまう、1人1人のメンバーに個性があって同時に強いケミストリーを起こせるライブが出来るバンドって、ロック史上でもそうはないですよ。僕が映像やこの目で確認したものでも、せいぜいレッド・ツェッペリンとザ・フー、パール・ジャム、黄金メンバーのときのレッチリくらいなものじゃないかなあ。


そういうケミストリーを起こせるバンドの影の司令塔をつとめるほど、サウンドの重要なキーを担っているわけです。さらに彼は、オーストラリアのミュージシャンとしてはもはや名門一家のヤング家(兄2人はそれぞれ、グレープフルーツやイージービーツのメンバー)で最も頼りにされてる人でもあるわけだし、AC/DC自身も彼が率先して結成したバンドです。その彼が一歩間違ったら命や障害にかかわる病気を抱えてしまったわけです。それはさすがに継続自体が危ぶまれても仕方がないと思います。


ただ、一方でこういう考え方もできます。たとえばザ・フーを見てください。彼らは、「一体誰が代わりをつとめるんだ」というほどロック史上でも屈指の個性を持ったキース・ムーンやジョン・ウェントウィッスルを失っても、遜色のないパフォーマンスを行い続けていますよね。特に、忘れもしない、ジョンがヴェガスのホテルでエッチしてるときに急死したわずか数日後の全米ツアーに、たった2、3日で代役ベーシストを入れてツアーを無事に終了までさせたという例もあるんですよね。実際、そのときの全米ツアー、僕もニューヨークまで行って見てるんですが、そのときに「ザ・フーくらいの大物バンドになると、すぐに完コピできるミュージシャンというのはさすがに多いんだろうな。熟達ミュージシャンの研究対象にされてもいそうだしね」と思ったものですが、もしかしたらマルコムにもそうした「スーパー代役」は存在するかもしれない。現に彼は1988年のワールド・ツアーは病欠して代理のギタリストがつとめていたりもしましたからね。


それでも、もちろん、マルコムには弾いて欲しいんですよ。さすがに代理のメンバーとなると、僕が自分の生涯でのベストライブだと断言出来る2001年2月19、20日の横浜アリーナ公演を超えるライブまでは出来ないかもしれません。


ただ、それと同時に、「まだAC/DCを体験していない人に、『ロックンロール』というものが音楽的に具体的にどういうものかをもっとわかってほしい」という願望があります。そのためにはアンガスやブライアンをはじめとした他のメンバーにはまだまだ頑張ってほしい、という気持ちも強くあります。ザ・フーがそう出来てるように、彼らにもそれは出来ると僕は信じて疑っていません。


とにかく今は、彼らが時間をかけてニュー・アルバムを完成させて、ワールド・ツアーを回って「ロックンロールの妙技」を出来たらマルコムと一緒に堪能させてくれることを願ってやみません。そしてマルコムの病気が回復に向かって元気になることも心から祈ってます。


では、ここは、「マルコムに捧ぐ」という意味を込めて、AC/DCのライヴの不動のエンディング曲であるこの曲でシメます。




 

author:沢田太陽, category:訃報, 09:56
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トム・ぺティ  再掲載〔10数年で3度も!トム・ペティのパクられ人気〕(2015.1.31)

どうも。

 

 

例のラス・ヴェガスの件も書いてないのに、トム・ぺティが心不全で急死という、信じられないニュースが入ってきました(その後、脳機能停止ではあるが死の判定はできないとの訂正情報あり)。いつかライブを絶対見たい、長きに渡って好きなアーティストだったので、すごくショックです。

 

 

ボウイやクリス・コーネルのとき同様、このブログの過去記事の再掲載をしたいと思います。2015年1月31日付の記事です。

 

 

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どうも。

このところ、一番気になってるのはやはりオスカーの受賞対象作を見はじめている映画なんですが、今日はこの話をしておこうかなと思い音楽ネタです。しかも話題のネタはこの人です。




トム・ペティ!

つい先日、彼のことが音楽メディアを賑わせました。それはサム・スミスの「Stay With Me」のソングライティング・チームが、グラミーを直前にして、主要部門にノミネートされている同曲を、かねてからずっと指摘されていたトム・ペティの「I Won't Back Down」に酷似していることを認め、この曲のソングライターだったトム・ペティとジェフ・リンを「Stay With Me」のソングライティング・クレジットに加えることを認めた、というものです。


これ、多分、グラミー賞を受賞してからパクリ騒ぎが大きく取り沙汰される前に先に手を打っておこう、というものだったんじゃないのかな、と思います。この件に関し、当のトム・ペティ本人は「曲作ってたら、こういうことは得てしてあるもんだよ」と、そこまで盗作を訴えそうでもなさそうだったんですよね。おそらく周囲の方がトムに気を使ってのことだったんだと思います。


たしかにこの2曲、前もここで話したことあると思うんですけど、ソックリなんですよね〜。それは



こんな、「曲のスピードをズラしたら全く同じ曲だよ」という説明動画が出回るほどでした。

じゃあ、改めて2曲、聴き比べましょうか。




「Stay With Me」がマズかったのは、サビの16小節分のフレーズがほとんど同じだったことですね。たしかパクリの基準って、小節数で決まるはずなので、そこで作った側は「ヤバい」と思って認めたのかもしれません。


ただ、不思議なことに、トム・ペティがパクられで騒がれたのは、これが最初ではありません。それどころか3度目です!

2001年にはこの曲でまず話題になりました。
 



 
2001年、この当時かなり人気でしたね。ストロークスの「Last Night」。そしてトム・ペティの1976年のデビュー・ヒット「American Girl」。これは、引っ掻いた感じの音質のギターと、2拍目を強調したつんのめるようなドラム・パターン。そして歌いはじめてもなんとなく似ている感じですね。僕はこの当時「American〜」の方は聴いたことはあったものの、ストロークスと結びつくような感じで覚えていなかったため、すごく意外に感じたものでした。そして、「こんなにパンクっぽかったんだ」と思ってトムへの好感度が上がったものでした(笑)。


そして、その5年後の2006年、これは結構パクりを指摘する声がリリースされた直後からありましたね。これです。




はい。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「Dani California」とトム・ペティの1992年の大ヒット曲「Mary Jane's Last Dance」。このときはアメリカ国内で結構話題となりました。


僕は「Mary Jane〜」は覚えてはいたんですけど、サビの方をむしろ印象深く覚えていたので、「そんなに似てるっけ?」と最初思ったものでしたが、いざ聴いてみると・・・似てました(笑)。マイナー調のイントロとトーキング・スタイルの歌いだしですね。

ちなみにトム・ペティ、この2曲に関しても、別段気にしてる様子はなく、実際に訴えてもいません。


まあ、偶然ではあるとは言え、13年で3度もパクられたことが話題になったアーティストって、ほかに聞いたことがないので、「やっぱトム・ペティってすごいんだな」と改めて見直している次第です。80sのときから好感度は高く持っていて、まさに「I Won't〜」が入っている「Full Moon Fever」というアルバムは僕の大学時代の愛聴盤でもありました。


ちなみにトム・ペティ、去年ニュー・アルバムを出しまして、60歳を超えてはじめて全米アルバム・チャート1位を制したことで話題を呼んでいました。これも年齢のことなど全く感じさせない、キレのいいロックンロール・アルバムで「お見事」と思ってもいました。そこからの曲でシメますが、なんか遠くないうちにまたなんかパクられそうな気がしています。



 

author:沢田太陽, category:訃報, 05:48
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グレッグ・オールマン死去  ライブを1度見たかった

どうも。

 

 

 

グレッグ・オールマンが亡くなってしまいましたね。69歳でした。

 

 

僕は、オールマン・ブラザーズ・バンドに対しては、ちょっと自信持って語れないところがあるのですが、それでもロック史的には重要なバンドですからね。

 

 

 80年代育ちというのは、サザンロック的なものに対して最も不利なジェネレーションです。土臭いブルーズ・ロックが、音的にもファッション的にも、最も敬遠されてた時代ですからね。90sになって、アーシーなものへの再評価ってあったんですけど、そこで評価されたのって、プライマル・スクリームがやった、「70sの南部ってこんな感じ」というコラージュ的なイメージにしか過ぎず、オールマンみたいなロングジャムみたいなものが再評価された記憶ってないですからね。

 

 

 これまでで一番接しやすかったのは、2000年前後に、ちょっとブームになりかかった「ジャム・バンド」のブームですね。あのときにフィッシュとかベン・ハーパーとか、デイヴ・マシューズ・バンドもカウントされるかな。ああした、ライブの場でこそ強い、土臭く、長い尺の曲を演奏するタイプのアーティストが評価されることがありました。

 

 

 その頃に、そのルーツとしてオールマンがグレイトフル・デッドと共に再評価される事態がありまして、僕もそのときにオールマンかじりましたね。ただ、なんていうのかな、デッドの方が見え方、オシャレだったんですよ。そういうこともあり、デッドの方は気に入ってかなり聴いたんですけど、オールマンはベスト盤と主要なアルバムは買いましたけど、「勉強」の気持ちの方が強く、そこまで入り込んで聴かなかったものです。

 

 

 その理由のひとつとなったが、「このバンド、やっぱ、ライブそのものを見ないとわからないんじゃないか」という思いがどうしても消えなかったからなんですね。たとえばレーナード・スキナードだと、同じサザンロックでも、曲自体が聴きやすいこともあって「代表曲を覚えれば」というのがあったんですけど、オールマンだと、単に曲メロを覚えるだけでは体に馴染まないと言うか、「ライブで見ないとわかんないんだろうな」というのがありましてね。

 

 

 ただ、この曲は好きでしたね。

 

 

 

1971年にバイク事故で亡くなった弟のデュエイン(僕はあえてこう呼んでいます)が見せ場作りますけどね、この曲。「ウィッピング・ポスト」はやはり名曲です。

 

 

 あれ!?なぜか上がったものが半分に切れてる!あとで補足します。

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:訃報, 21:19
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映画監督ジョナサン・デミ死去  ロックにも映画界にも語られるべき影響

どうも。

 

 

今日は残念なニュースです。

 

 

 

映画監督のジョナサン・デミが亡くなってしまいました。心臓疾患とのことですが、73歳での死でした。

 

 

ジョナサン・デミといえば、大きな代表作があります。ひとつは、90年代の大クラシックですね。「羊たちの沈黙」。アンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レスターは映画史に残る猟奇キャラになり、ジョディ・フォスター演じるクラリスも戦う女性キャラの代表格ですね。

 

 

そして、その次に公開された93年の「フィラデルフィア」もそう。これはエイズによる罹患者差別を描いた問題作で主演のトム・ハンクスがこれでオスカーの主演男優賞を受賞し、彼がシリアス路線に走るきっかけにもなったことで知られていますが、コンビを組んだ弁護士もデンゼル・ワシントン。今から考えると本当に大きな2人の共演だったわけです。

 

 

 もちろん、このほかにも彼の映画で語るべきことはあるんですが、今回、音楽系のメディアで彼の死を悼むのが目立ったんですよね。無理もありません。僕らロックファンからしたら、彼が一番有名なのって

 

 

 

やっぱ、このトーキング・ヘッズのライブ映画「ストップ・メイキング・センス」ですね。これを上回るコンサート・フィルム、見たことないですね!カメラワークの遠近とか照明の影のつけ方とか映像美的に圧倒的だし、時の経過にすごく息づいたドラマがあるというかね。ひとこまひとこまが見逃せないんですよね。しかも、ライブ・ヴァージョンでのヘッズそのものの肉感的な躍動感も。音楽ファン敵には、この大傑作を作ったということで、ロック史の方で名前が残ってますね。

 

 

それだけじゃありません。

 

 

 

 

ニュー・オーダーのこの曲もね。一瞬一瞬の人間の表情を切り取るのが好きなんでしょうね、彼は。

 

 

 

 

そして、「フィラデルフィア」の主題歌にもなったスプリングスティーンのこの曲もね。

 

 

あと、奇しくも彼の遺作になったのも

 

 

 

 

メリル・ストリープが中年女性のロックシンガーになった「Ricki&The Flash」という作品でこれは去年だったかな。このラストでスプリングスティーンのレア曲「My Love Will Not Let You Down」が歌われるんですね。劇中で恋人とバンドメンバーを演じてるのがリック・スプリングフィールドというのも、かゆいとこに手が届いた人選でしらね。

 

 

 

 

 このように音楽との結びつきが非常に強い監督さんでもあったのですが、映画界に与えた影響も大きいですよ。たとえばポール・トーマス・アンダーソンはジョナサン・デミに触発されて映画監督を志すようになったと公言していますし、アレクサンダー・ペインやウェス・アダナーソンといった、現在を代表するインディ系の監督が主に彼からの影響を口にしますね。

 

 

 ジョナサン・デミって人は、作風を観る人に絞らせずに、いろんな映画を作った人です。大体、出世作からして「メルヴィン&ハワード」というコメディですからね。これは1980年度のオスカーで、メアリー・スティーンバーゲンっていう、今も主人公のお母さんとか、おばあちゃんの役で出てくる女優さんがオスカーの助演賞と、あと脚本賞も取りましたね。これでまず出世して、メラニー・グリフィスとジェフ・ダニエルズの「サムシング・ワイルド」、ミシェル・ファイファーの「愛されちゃってマフィア」といったヒロインもののコメディで当てたんですけどね。僕の世代だと、このイメージが強いんです。結構ビデオでもレンタルされてましたからね。

 

 

 で、90年代に「羊たちの沈黙」と「フィラデルフィア」で当てて大物監督になったわけですけどね。ちょうど、80s〜90s初頭のこの時期って、ハリウッドに一番勢いがなかった頃ですね。まだ映画がMTVを後ろ盾にしたポップ・ミュージックに押されている頃。このときに浮上した監督もたとえばロブ・ライナー、バリー・レヴィンソン、オリヴァー・ストーンと、勢いはあったけど全盛期は本当に短かった。まだ今より全然規模が小さかったインディの側でたとえばジャームッシュとか、コーエン兄弟、ティム・バートンと出て来て、こっちは息が長くなりましたけど、デミはその中間くらいの位置にいましたね。それゆえか、今ひとつ過小評価されてる気もしますけどね。

 

 まあ、デミとしてはツイてないとこもあって、たとえば90年代後半に、アメリカ国人文学の最高峰、ノーベル賞作家のトニ・モリソンの代表作「Beloved」を監督してコケたり、60年代の政治サスペンスの名作「マンシュリアン・キャンディデート」もコケましたからね。これでイメージ下げちゃったのが響いてるのかな。

 

 

 ただ後年は、アン・ハサウェイがオスカーの候補になった「レイチェルの結婚」という、シリアスなインディ・ドラマでそこそこ当てて、その頃にまたやや注目浴びましたけどね。

 

 

 いずれにせよ、十分な評価がされて来なかったタイプの監督です。これを機に、改めて再評価がはじまるんじゃないかな。僕も作品見返したい気になっています。

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:訃報, 19:13
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