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ストーンズのキューバ公演に思う
どうも。


 今週、ロックでまた歴史的出来事が起こりましたね。もちろん、このことです。





ローリング・ストーンズのキューバ公演ですよ!


 共産国のキューバで、これがはじめて公式に認められたロック・コンサートですよ。この国は1959年にキューバ革命が起きているので、その頃はまだロックといってもせいぜいエルヴィスとかチャック・ベリーの時代が終わるかそこらで、まだ「ロックの興行ビジネス」なんてものが存在しない時代でしたからね。その50余年のロックの空白の歴史を、1962年デビューのストーンズが、ロック・コンサートのそもそもの熱狂と共に1日のうちに集約して伝えた。言うなれば、そんなところでしょうか。


 もう、ロックでこのテの話を聞くこと自体が久しぶりですね。今から25年近く前、僕がまだ大学生の頃には、ちょうど東ヨーロッパでの共産時代が終わったので、こういう話はよく聞きました。この当時は、ロックが東側の人にとって、違法ラジオから聴こえて来る「自由の象徴」として機能し、いざ自由主義経済が戻るとなったときに、彼らの中で人気のバンドたちがすごく大きな会場で大型野外ライブを行なう、ということがよくあったものでした。その頃は、もうロックそのものの影響力が世界的に本当に大きくて。インターナショナルに、グローバルに広がっている最中でしたね。僕の今住んでる南米圏でも、その5年くらいまえに右翼の軍事政権が終わって、そこでもロックが同様の活躍をしていましたしね。


 ただ、不思議なもので、ロックはその直後に、ふたたびローカルで、かつパーソナルなものに戻って行ったんですよね。そのキッカケとなったのがニルヴァーナだったのは言うまでもないんですけどね。ちょうど91年くらいだと、人によっては、「もう、ロックはビッグになりすぎて、身近な社会問題ではなく、アフリカの飢餓とか、共産独裁主義の打倒とか、そういう国際問題と戦うものとなった。そこに特化することこそ、社会的な立場も大きくなったロッカーたちがロック本来の初期衝動的な怒りを保つためにすることなのだ」みたいなことを言う人もいたものでした。たしかにU2(今もそうか)やピーター・ゲイブリエルの行動とか見てるとそんな感じだったものですけど、そこに突如出て来たニルヴァーナの存在って、ロックってなにも、大上段に構えなくても、特に顕在化した社会問題なんてなくても、身の回りの個人的な不満や憤りで爆発することができることを示したような気が感じられたものなんですよね。同じ時期、それは黒人側でもヒップホップでも起きて。ロックがそうした、ある種、偉人化・セレブ化した立場から、再び個人の欲求不満の場に一気に戻って行った感じでしたね。


 すると、その間、ロックがそういう社会的なことで話題をさらうこと自体がほとんどなくなった。その間に、たとえばイラク戦争に伴う反戦運動なんてものもあったものなんですが、これが今ひとつ盛り上がらなかった。逆にカントリーの女性アーティストのディクシー・チックスがブッシュ政権の批判したら、そっちの方が話題になるとか、そんな感じでしたからね。「ロックの人たちがリベラルなことをやっても、それはクリシェ」になってしまい、強いインパクトを残せない状況にまでなっていましたね。それが,今から10年くらい前の話でしたね。


 ただ、その間、ロックの表現だったりファッションだったりアティチュードがだんだん内に内にこもって行くに従って、ポップ・ミュージックの天下からは落ちてしまい、その間に「ロック」というフォーマットではなかなかフルに自分たちの表現がうまくできなかった女性や黒人といったマイノリティたちが強い自己主張をするようになり、今、社会的に影響力やアピールできる存在はむしろそちらになってしまった。特に「ティーンを主体とした若者」という、ロックが本来強かった地盤は根こそぎ奪われてしまった。そうしているうちに、ロックでは、黄金時代を支えて来た人たちの訃報が相次ぎ、ひとつの時代の終焉を余儀なく感じさせられる事態にもなってきていたわけです・・。


 そんなタイミングでの、ストーンズのこのキューバ公演の引き受けは、すごく面白いと思ったんですよね。これは「やはり、ロックという、いち音楽を超えたカルチャーには、そうした”自由の象徴”としてのパワーがまだ残されているんだ」と見るべきなのか、はたまた、60sの時代から半世紀を超えて巨大なカルチャーを築いて来た者たちの最後の社会的な見せ場なのか。僕は後者じゃないことを願いたいし、これを契機に風向きが少しでも変わって、またロックに良い風が吹けば良いなと思ってはいるんですけどね。

 
author:沢田太陽, category:ロック, 14:02
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訃報に親しみやすさ、人種・性別など〜ロックが乗り越えなくてはならないもの
どうも。


なんかこう、いまひとつパッと明るい気分になれませんね。


昨年末からレミーに、ボウイ、そして今日1日だけで、イーグルスのグレン・フライにモット・ザ・フープルのドラマーのデイル・グリフィンの訃報ですよ。本当に頭が痛くなります。


こう訃報が続いて行くと、「さて、一体、次は誰のものを聞くはめになるんだ」という、思いたくないことも考えてしまう瞬間もふとよぎるものです。こないだボウイが亡くなったときも、普段は絶対ネガティヴなことをいわないうちのワイフまでが落ち込んで、「想像してみてよ。たとえば、それがエルトン・ジョンになったり、ピート・タウンゼントになったり、ブルース・スプリングスティーンになったりってことを。年齢的に考えて、起こりうることだと思う」と語っていたほどでしたからね。


ただ、つらいけど、これはもう、ロックンロールという音楽世界の構造上、仕方がないことです。なぜなら、そもそもロックという音楽は、いわゆる「ベイビーブーマー」が作り上げた音楽だから。第2次世界大戦が終わり、戦争から戻った兵隊たちが家庭に戻って子づくりに励んでたくさん生まれた子供たちが世界中でこれまでにないような数の単位で生まれ、それがその当時生まれた「ロックンロール」という新しい価値観を持って、親世代に対抗して行くことで文化的に大きくなって行った。そんな彼らがこの夜に生まれたのが、1946年から1950年代頭にかけて。彼らがはちきれんばかりの命を爆発させるのが1960年代後半から70年代前半にかけて。そして、これまで誰も体験したことのない、「ロックのまま大人になること」の実践で、ある層が反動的に保守的になってしまったために、その下の世代のパンクを呼び込むことになり、さらに彼らが40代半ばの中年になってさらに保守化したことで、彼らの息子世代がオルタナティヴ・ロックで台頭することにもなってしまった。


彼らは、圧倒的に多い自分たちの人口層にも支えられたことや、本人たち自身の才能の健在さゆえに大きな支持を得続け、その元気さが目立つ故に、次第に「ロックはベテランの強いもの」のような印象を勢い与えてしまうことで、ジワジワと下の世代から、「じゃあ自分たちの音楽はこれだ」とばかりにヒップホップやエレクトロが支持を得はじめて来た。そして、そうなってきた矢先に、70代を迎えた彼らは、ちょっと一般的な平均年齢よりは若くはあるけど、昔、無理したツケもあって、70というひとつの数字の壁の前に力つきてしまう・・。そんな感じでしょうか。


こうなると、心配になるのは、「今後、ロックって、ちゃんと上手く存続できるのだろうか」、というところですよね。僕も心配でないわけではありません。やはり、ロック文化そのものの勃興〜隆盛を支えた人たちが次々と亡くなっていくわけですからね。不安にもなります。


それだけではありません。ロックにとって、今、もうひとつの大きな障壁となっているのが、ロックが客観的に世間に持たれてしまっている意味あいです。これに今、ロックは苦しんでいるように僕には見えています。


今の「ロック」という音楽の世間の見え方、というのは、もはや「若者の反抗の音楽」というものではありません。それは「かつての怒れる若者の音楽」であり、「エスタブリッシュされた、ポップ・カルチャーの見本」なんですね。むしろ、「世の価値観を変えた文化教養」になって、それはかつて、世間のタブーに切り込んだ類いの文学や映画がたどったのと同じコースを歩んで行くことになってしまった。そういうこともあり、ある時期からは、ロックにカルチャー的に入れ込んで行けばいくほど教養主義的な感じになってしまい、今や「知的な純度」は誰かが何かしら保ってくれる音楽にはなったけれど、その反面、かつてのロックが持っていた、いわば「おやつ」のような大衆的な親しみやすさを失う結果にもなってしまいました。


そして、いざ、家庭生活に目を向けると、ロックの最初の世代を支えた人というのは、もはや一族の中では「祖父・祖母」のポジションにあたります。パンクやオルタナの人だって、今や子供が成人だったりティーンエイジャーになっていることも珍しくありません。結婚が40手前と遅かったこの僕とて、もうすぐ2人目の子供が生まれる頃合いです。そういう家庭環境の中、中にはもちろん、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんから授かったものを素直に享受する子供も少なからずはいるでしょう。しかし、かつてのベイビーブーマーがそうであったように、普通、子供たちというものは、自分の上の世代の文化とは距離を取って、「自分たちの固有の文化」というものを作ることをしがちです。ある時期から、EDMを中心としたエレクトロが爆発的に流行ってるのだって、そこまで意識してるのかしていないのかはわかりませんが、少なからず「これが自分らの世代の音楽」の意識があってやってることなような気がしてます。


さらに、ロックの場合、もうひとつ問題があります。それは「白人男性が築き上げた音楽」というイメージです。今現在、ものごとが80年代、90年代を経て社会の自由度が増したことによって、これまで社会的な主張を抑えられて来た人種的マイノリティや女性が強い主張をしていくことが増えました。これもある意味、ロック・カルチャーの産み落とした産物ではあるのですが、それがゆえに近年(でも10数年くらいかな)は、ロックという形ではなく、黒人や女性がより自然に主張しやすい形態のポップ・ミュージックがロックそのものよりも、生々しい主張を持って共感を持つことが目立つようにもなっています。ジャンルは違いますが、昨今は、映画のアワードなんかでも、黒人俳優や作品のノミネートが少ないことを、それに該当する人や作品があったかどうかなどの客観的な話を置いといて、暴走して「差別だ」と主張すれば聞き入れられるのではないか、くらいの感覚も芽生えて来ています。「差別を受けていた過去に戻りたくない」というある種の強迫観念もあるのだとは思いますが、こういう気持ちが音楽面での主張の強さにもつながっている気がします。これは女性にしても同様です。


これに対し、「じゃあ、白人男性も反抗ののろしを」なんてやってしまうと、これはかなり野暮なことです。こういう反動は、実はアメリカあたりでは既に「男性カントリーシンガーの人気台頭」という、実に保守的な形を借りて起こっていることです。先ほども言ったように、ロックを選ぶ若い人だと教養派のリベラルが多いので、「マイノリティの言うことは優先されるべき」くらいの気持ちもあるので、どうしても強い主張はせず、内向性の方が強くなって行きます。


また、最近では、質の悪いことに、世の中がリベラルに進んで行けばいくほどそれが「普通」になることで、逆に「保守的なことを主張した方が刺激的なんじゃないか」と思い右傾化する若い人も見受けられます。だから、アメリカでカントリーのシェアが若い人にも大きかったり、僕の住んでいるブラジルでカントリーにあたる音楽がラジオ・オンエアの7割を占めるようなことも実際起きてますからね。日本だと、若い子が演歌に走るって話は聞かないので別ベクトルですが、アイドル文化の復権なんかもこれに該当するかもしれませんね。やっぱ、人気のある女の子像の保守的な男性好みする感じなんかに僕はそれ感じるんですけどね。この辺りは研究家じゃないので、よくわかりませんが。


まあ、そうしたことがあるので、ロックという音楽が、たとえば70〜80年代みたいな、大衆的な音楽のポジションを取り戻すのには時間要するでしょうね、これ。そこに、ベイビーブーマー世代の死去の問題や、前述した現在の諸々の問題が重なり合うことで、ロックのポジションがにっちもさっちもいかないこと、というのはどうしても出て来るでしょうね。しばらくは苦戦しそうな気はします。


ただ!


僕はそれでも、ロックがどこかの時点で、もう一回持ち直すタイミングが来るような、楽観的な気がしています。


というのも、逆に支えていた最初の世代がいなくなっていくことで、「あの音楽を支えていた世代」という、逆に負担になっていたものがなくなる分、イメージ軽くなる気がしてるんですね。なんだかんだで映画の世界も、1930〜50年代に活躍していた世代が「ハリウッド黄金時代」と言われていたような人が生きていた時代って、あたかもその後の時代が悪いかのように言われていた感じが、少なくとも僕が子供のときにはあった気がするんですけど、そういう世代のスターたちがひとしきり世を去ってしまってからは、映画の黄金期を特定の時期に定めるなんてことはナンセンスになって来たでしょ。それと同じことが起きるような気がしてます。


あと、今回のボウイなんか良い例ですけど、訃報の報道がおびただしかったことで、そこで今まで知らなかった子供の世代がロックに興味を持つようになることですね。今なら幸い、定額配信のサービスもあるので、安い値段で過去の作品も聴けますからね。決してめでたくはないですけど、悲しみを媒介に次の世代に種がまかれる、という事態は起こりうることだと思います。


あと、最近の若い人たちが「自分たちの音楽」として好んでいるものに限界があることです。それがR&B/ヒップホップにせよEDMにせよ、最近のポップ・ミュージックの弱点として、プロデューサーの依存度が高過ぎて、シンガーとの乖離が激しすぎる傾向があります。そういう音楽の場合、ロックの世界で普通だった、「極力、生の演奏で、曲も自分で作って、みずから演奏して歌う」という総合的なクリエイティヴィティに最終的にかなわない側面もやっぱりどうしてもあるんですよね。もちろん、テクノロジーが音楽のレベルをあげることは僕も認めはするんですが、音楽を作ってる人の顔が見えにくくなればなるほど、やっぱり生で自作自演の人の方が力強く見えて来てしまう。これは、音楽を聴くのも所詮は生身の人間なので仕方がないことなんですよね。


あとは、「これまで差別されてきた人たち」の被害妄想な部分の制御と、現在に当たり前になっていることの獲得のための努力も知らずにコンサバな主張をするのが刺激的だと思っているような人たちの主張が落ち着けば、なんとなくロックの居場所も戻ってくるのかな、という気もしますけどね。そんなにうまくいかないかなあ。ただ、戻るにせよ、もう少し、屈託のないタイプのロック、流行ってくれたら、それはそれで僕はうれしいんですけどね。ロックの中にもう少し、女性や人種マイノリティが入り込める余地がより増えればなおのことベターですが。


・・と、そんなことを考えている、今日この頃です。


 
author:沢田太陽, category:ロック, 12:46
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デヴィッド・ボウイと僕〜後追い篇
どうも。





 では、今度は、後追いで旧譜で聴いたボウイについて語りましょう。


 一応、子供時分でも、「ミュージック・ライフ」で読んで、ジギー時代のボウイのことは写真で知ってたし、ビルボードのチャート・マニアでもあったから「フェイム」が全米1位になったことは知ってはいました。ただ、80sに青春期すごしてきた少年少女の一般的な悪い癖として、あの時代にしか通用しないアレンジが、それ以前の音楽になかなか馴染ませないとこがあったんですよね。今でも思うけど、あれ、80sって時代の弊害だと思いますね。楽しい時代ではあったんですけど。


 そういうこともあり、ボウイの旧譜の後追い、僕はちょっと遅れます。90年代、しかも社会人になってからというですね(苦笑)。大学時代にも、「ボウイ封印宣言」した頃に総括ベストが出てたし、それも買ってたんですけど、聴きこまなかったんですよね。


 で、記憶を正していくと、たしかハマった順番で言うと、ボウイよりストゥージズの方が先でしたね。これも、NHKの音楽資料室にあったものを借りて聴いたんですけど、これがすごく好きになってですね。ちょうど僕がグランジ小僧だった頃に、「これはグランジっぽい」と言われて気になってストゥージズ聴いたら、「おおっ、本当だ!」ということになって。そこで僕のガレージロック熱が芽生えるわけですが、そのときにストゥージズの3枚目「Raw Power」のプロデューサーがボウイだったというのを知ったんですね。


 その一方で、この前の記事で書いたように、スエードとか、日本からもイエロー・モンキーとかではじめて「ジギー期のボウイ」の再評価の動きが出て来て、それで「グラムも聴いてみよう」ということになってですね。グラムに関しては、大学生のときにTレックスのベスト盤は買ってて、それは好きで結構聴いてたのと、クイーンが好きだった影響もあって、スウィートとかスレイドはすぐに入れたんですけど、なんかボウイのいうとこのグラムって、そのギター・サウンドから微妙に違うところあるなあ、と思って、最初はちょっと時間かかったんですね、実は。「ジギー・スターダスト」そのものはわかりすいアルバムだと思ったんですけど、そのあとの「アラジン・セイン」「ダイアモンドの犬」あたりの方が、今聴くとロックンロールに感じるんですけど、当時は他のグラムの方が音圧あっていいなあ、などと思っていたのでした。


 しかし!


 先の回でも書いた、ニルヴァーナがカバーした「世界を売った男」のアルバムを借りたときに、これ聴いてガツンと来たのでした。





 この、アルバムの1曲目の「円軌道の幅」でのミック・ロンソンのギターの表現力に驚いて、これで一発で持って行かれました。ディストーションでグガーッと押し切るとこと、華麗でたおやかなフレーズが両面で表現できているというか。しかも、全体のダイナミクスも豪快で起伏に富んでて。「リフものは大好きだけど、こういう表現力はほかのグラムにはちょっとないな」と思って、逆に次第にこっちの方が好きになって行きましたね。いまだに「ボウイのロックンロール・アルバム」としては「世界に〜」はトップクラスに好きですね。後のものより、ズッシリ重い感じがあるとこも好きです。


 そして順番的に、「世界に〜」の次の「ハンキー・ドリー」を聴くわけですが、これが運命決めました(笑)。







「Life On Mars」「Changes」「Oh You Prettey Things」。このあたりに持っていかれましたね。このアルバムは「世界を」ほどのロックンロール・アルバムではないんですけど、ボウイの素のソングライティングが生きた作品だとすぐに感じられましたね。ストリングスやフォークなアレンジで、曲そのものの起承転結と言うかドラマ性というか、楽曲として恐ろしい完成度だなと思いましたね。

 加えて、歌詞にしても、よく指摘されるように「チェンジズ」では今後の彼のトレードマークとなる「変貌」が予告されてるし、「アンディ・ウォホール」や「ソングス・フォー・ディラン」では、自身のルーツについて語られるし。「これは、ここで築いた下地があって、それがわかりやすくコンセプトという形を借りてジギーのアルバムに発展したんだな」ということが理解できましたね。いわば、ビートルズでいうところの「リボルバー」と「サージェント・ペパーズ」の関係に近いというか。そういうことが見えてくるようになったことで、ボウイ聴くのが楽しくなったんですよね。


 で、この時期を経ると





ボウイのフォークロック期が聴けるようになって来て。まあ、「Space Oddity」は、そう言う次元は超越した名曲ではあるんですけど、ティラノザウルス・レックスだったり初期モット・ザ・フープルだったりの「なんで昔、グラムの人はフォークやってたんだ?」という、その昔。フォークが得意でなかった(でも、ディランだけは昔から大丈夫だったんだけど)僕は思ったりもしたものだったんですが、克服できましたね。67年のちょっと照れくさい、サイケ・ポップ調の「前史」も抵抗なくなりましたからね。


 ただ、「グラム以前」の、「ハンキー・ドリー」までに至るこのソングライティングの妙味がわかってきたからこそ、グラム期の、他とちょっと違うリフ一辺倒だけじゃないロックンロールの良さもわかったし、その感覚がわかったからこそ、21世紀以降のボウイの円熟路線の際のソングライティングも理解できたと僕は思ってますけどね。






あと、ルー・リードだったりイギー・ポップだったり、プロデュースを手がけるときのボウイにある、ちょっと変なフリーキーな感覚。これは、いわゆる「ロウ」から「スケアリー・モンスターズ」に生きる感覚ですね。いわゆる70s後半の「ロウ」以降の路線って、僕が知りはじめた頃のボウイのイメージに近いし、ポストパンクもニュー・ウェイヴで間に合ってる僕にしてみれば「それのルーツだろう」と結びつけるのも決して難しいことではないですからね。そういうのが結果的に



こういう感じにもつながるんでしょうからね。


 ただ強いていうなら、「ソウル・ディスコ期」のボウイはそこまで、他の時期との比較では好きじゃないかもしれません。もちろん良い曲もその時期たくさんあるから嫌いとかでは全くないし、根底にブラック・ミュージックあるから後年のいびつなファンク感覚も生きてるとは思うんですけどね。そこは60s、70sの実際のソウル・ミュージックを結構聞き込んでる僕自身の自負もあるからかもしれません。


 どっちかっていうとボウイって、歌い手的には





 こういうクルーナーのタイプだと思いますからね。低いキーをうまく生かして響かせるタイプの。いわゆる彼もスコット・ウォーカー・フォロワーという言われ方しますけど、この路線の後継者、いま、シーンでなかなかいなくなってるから寂しいとこではありますね。


・・などと、いろいろ90年代の中頃に、ボウイを探って行って分析して行ったりするうちにかなり好きになってですね、98年にはうtれしいことに





この映画「ヴェルヴェット・ゴールドマイン」のパンフ原稿を書かせてもらう仕事もしましたね。まだギリギリNHKいた頃でしたけどね。これ、監督がトッド・ヘインズだったりするんですが、これが縁で、彼の映画が気になるようになって、今年のオスカー・レースでも彼の「キャロル」をすごく気にして動向を追ったりするようにもなっています。


 ただ、この後追いの時期の、一定の路線にとどまらず変容し続けたこと、プロデュースで才能を別に発揮したこと、そうでありながらソングライターとシンガーの基本がものすごくしっかりしているところは、アーティストの姿勢として鏡だよなと思ってましたね。

 
author:沢田太陽, category:ロック, 12:16
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デヴィッド・ボウイと僕〜リアルタイム篇
どうも。


本当ならここでゴールデン・グローブのベスト&ワースト・ドレッサーをやるはずだったんですけど、明るく空元気を振り絞ってもどうしても無理が出るので、最低1日、延期させてください。すみません。


やはり、この件がどうしても頭から消えません。




やはりボウイですよ。ロックの歴史において最大級の喪失のひとつですね、これは。


 だって、影響力が「ロック」って狭い領域に終わってないもの。彼は音楽表現のイノヴェーターであり、死ぬまで最高の感度を持ち続けた音楽リスナーであり、それでいてポップスターにもなりえた人であり、「目で見せるロック」の体現者であり、最高のルックスを持ったセックス・シンボルであり、ファッション・アイコンであり、性の価値観さえ刺激した。ここまで出来た人、どのポップ・ミュージックの歴史探してもいませんって。


 彼自身が影響を受けた引き出しだって、音楽にとどまらず、映画、文学、舞台演劇と多岐にわたっていて、それの総合表現がたまたまロックという形で表現されただけの話であって。この「総合芸術としての価値」だって、黒澤明とかキューブリックとか、フェリーニの映画とか、そういうのに匹敵すると思います。


 ただ、そう言ってる僕自身がそう言う結論にたどり着くのにも30年くらいの月日を擁しているものです。「自分の青春期で流行ってたから好きなんだ」って感じで好きになったんじゃなくて、時の経過と共に聴いていくうちに普遍的にずっと聴いていたい音楽として残ったのがボウイなんですよね。


 そんなボウイの世界との個人的な出会いについて、「リアルタイム」と「さかのぼり」の二つの体験にわけて語ってみようかと思います。


 ボウイのことを僕が最初に知ったのは1980年、10歳のときでした。きっかけはこれでした。




この宝焼酎のCMですね。子供心に「この人、すごくカッコいい人だな」と思ったのがキッカケでした。この少しあとから僕は洋楽に目覚めるんですけど、その頃に、あのCMに出てた人がロックシンガーだということを知ります。そして1981年の終わり頃に、この曲ではじめて音楽でボウイと出会います。





クイーンとの「アンダー・プレッシャー」ですね。クイーンが好きでそこから知ったんですけど、ここで気になりはじめたんですね。ただ、その頃、福岡のFBSっていう放送局で夕方の時間に洋楽のビデオ流す5分の番組があって、そこでボウイの少し前のビデオがよくかかったんですね。そのときに「Ashes To Ashes」「Boys Keep Swinging」「DJ」とかを見てるんですけど、小学校6年生には刺激が強過ぎてちょっと引きました(笑)。


 そうしてるうちに、これですよ。



  1983年に「レッツ・ダンス」の大ブームに、「戦場のメリークリスマス」ですよ。この当時、日本のラジオでも「レッツ・ダンス」「チャイナ・ガール」「モダン・ラヴ」の3曲はアルバム買わなくてもよくラジオでかかってたし、映画はYMOとたけしと共演のわけでしょ?あの頃の日本のサブカル的に最も刺激的だったものと共演したわけだから、やっぱり、すごく気になりましたね。


 そんな矢先、「10月にボウイの福岡公演が決まった」、という知らせが入ります。これは「やったね!」って感じで、僕は行く気満々でした。中2ではあったけど、既にクイーンとホール&オーツとジャーニーは見に行ってたので、これを4つめのライブにする予定だったんです。ラジオの番組聴いてて耳にした「シリアス・ムーンライト・ツアー」って名前の響きもなんかカッコいい感じがしてたので。


 ただ、残念なことに、福岡での公演が流れてこなかったんだよなあ。もし、このときにこれに行っていれば、ボウイが僕にとって「子供時代の思い出の音楽」にもなっていたかもしれません。


 いわば、この頃から少し後のボウイというのは、歴史の中で良く言われることはほとんどありません。ただ、リアルタイム体験者からしたら、この時期のボウイって大衆的ヒットが最も多い時期なんです。84年にも「ブルー・ジーン」、85年はライブエイド出演にミック・ジャガーの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」、86年には映画絡みの「アブソルート・ビギナーズ」に「アンダーグラウンド」のヒットもあって。パット・メシーニとの「ディス・イズ・ノット・アメリカ」もありましたね。ヒット曲連発だったんですよ。


 で、「次のアルバム、楽しみだなあ」と思って期待して87年、待っていたら、これでした。



 これ、好きだったのに、売れなかったんだよなあ。アルバム「Never Let Me Down」が、この直前までが信じられないくらい売れなくてですね。「グラス・スパイダー・ツアー」って名のツアーはそこそこあたってたようで、FMのライブで部分的に聴いて「見てみたいなあ」と思ったら、日本に来ませんでした。


 ただ、子供の好奇心って、高校、大学って移り気で、「もっと自分に近い世代のアーティスト」に親近感を覚えるようになる頃だったりするもので。加えて、ボウイ自身がこのあと、「ボウイ封印宣言」とかして、今聴いても正直カッコいいとは思えないティン・マシーンとかやりだして、すごく醒めてしまったんですね。この頃にキャリア総括のベストみたいのがたしか出てたはずなんですけど、なんか乗れなくて。ひとつは、批評家筋のいうところの「最高のボウイは70s」みたいな話がこの頃はピンと来なかったんですね。ボウイは80sのときにもすごく大スターだったんでね。


 そうしてるうちに90sになって、グランジとかオルタナの時期になって、僕はそちら側に心を奪われます。ボウイは93年に「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」でソロ復活するんですけど、これも、あの当時のグランジとかオルタナに慣れた耳で聞くと、「古いことやってるなあ」と思って、全然響かなかったんですよね。


 ただ、ひとつ強烈な接点がこの頃に出来ます。




このスエードの登場と、ニルヴァーナのアンプラグドのカバーですね。スエードはグラム期のボウイのリバイバリストみたいな形で、マッドチェスターが終わったあとのUKシーンの寵児みたくなってました。その当時、インディ・ダンス自体が好きになれなかった(ヴォーカルがダメなんだもん。今もローゼズ以外はあんまり)こともあってスエードの昔ながらのギターロックは気になり、そこまで大好きになったわけでもなかったんですけど、「グラム期のボウイ」に手を出し始めたのは彼らからで「ジギー」とか「アラジン・セイン」はこの頃に聴きました。で、ニルヴァーナのそのカバーで、「ジギーよりも前の時期もいいのか」と思って聴いてみたら・・。そこから先は次回にとっておきましょう。昔が嘘のように、「70sのボウイ」の熱烈なファンになっていたのでした(笑)。


 そうしていくうちに、ボウイがナイン・インチ・ネールズとツアーをするとか言う話が浮上したり、97年のボウイの生誕50周年コンサートにスマッシング・パンプキンズとかキュアーとかフー・ファイターズとかが出たことが話題になったりしたことで、「ニュー・ウェイヴやオルタナのゴッドファーザー感」が出て来たんですね。ティン・マシーンが実はピクシーズをやりたい企画だったことを知って「へえ〜」と個人的になったのもこの時期です。でも、ピクシーズには聞こえないんだよなあ、あれ。

 
 で、この頃に「アースリング」っていうドラムン・ベースみたいなアルバム出すんですけど、NINみたいだった95年の「アウトサイド」とともに、「流行には乗ってるかもしれないけど、悪いけど”それだけ”って感じだなあ」と思ったんですね。この頃になると、僕は「70sのボウイ」の熱烈なファンになってはいたけど、「リアルタイムはちょっとね」と思っていました。


が!!


 そんな僕のボウイ観に一大転機が訪れます。このあたりです。





 ここで僕は遂に「リアルタイムのボウイ」に遂にクリックすることになります。ここでのボウイって、「エッジィな最新サウンド」に乗るのやめて、自分のソングライティングの基本に戻って円熟を迎えてるような感じで、なにかボウイが本来の自分の姿を遂に取り戻したかのような感触を得たんですね。これはエキサイティングでした。


 特に下の「スローバーン」が入ってる「ヒーゼン」のときには、このときのライブがすごく見たくてですね、2002年8月、ニューヨークに渡ってジョンズビーチ・アンフィシアターってとこで、モービーとのジョイント・ライブを見に行きました。出順、ボウイの方が先立ったんですけど、そんなこと関係なしに、このときのボウイの後光差す感じにしびれあがりましたね。このとき、ボウイは55歳だったんだけど、なんと若い、王子様のような優雅さと微笑みと、異常なまでにまっすぐな背筋を持った人なんだろうと思って、それはそれはただ衝撃でしたね。後にも先にも、男見てこんなにカッコいいと思ったこと、ないですね。そんな人が「ライフ・オン・マーズ」でライブ初めて「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」で続いて、大雨の降りしきる中、「レッツ・ダンス」でシメた、それはそれは最高のグレイテスト・ヒッツだったし、「ヒーザン」の曲がそこに違和感なく収まっていたのも良かったんですよね。

 
 ボウイはその翌年に速くも出た「リアリティ」のときに来日しましたけど、ニューヨークでの思い出があまりにも神々し過ぎて、あれをとどめておきたい気分が強くて、結局日本公演、行かなかったんですよね。あのときは、ボウイもすごく創作的に元気に見えたし、フェスのヘッドライナーもバリバリやってたし、アーケイド・ファイアとTVオン・ザ・レディオを見つけたと言っては、子供みたいにはしゃいでたし、「驚異的に若々しいな、これは」と思ってて。だから、「自分の中で新しい記憶をすりこみたくなったときに」と、悠長に構えてたんですね。


 ところが!


 その後、ボウイは長い沈黙に入ってしまいます。「60歳(2007年)にはなにかするだろ」と思っていたらせず、「ジギー40周年(2012年)にこそ」と思ってたら、それもなく。人によっては、「もう引退でしょ」との声もあったんですが、そこで





 2013年に突如10年ぶりのアルバム「Next Day」で復活ですよ!これは狂喜乱舞しましたよ!99年の「hours」以降の原点復帰ボウイが本当に好きで、この路線で何枚も聴きたいと思ってた僕には大朗報でしたね。


 もう、この頃にはボウイも60代後半になってましたけど、もう僕にとっては、「好きな音楽を届けてくれる音楽家」を超えて、「全然及ばないけど、こんな風に年を取れればいいな」という憧れに変わってましたね。そんなアーティスト、80sのときに好きになったアーティストでほかにいませんよ。もう、時期の流行も何も関係ない、僕がずっと求め続けるリアルの中にボウイが僕に授けてくれたものが生きるようになってきました。





そんな感じだったから、この曲聴いてビデオ見たときも、「すげえ。円熟とともに進化までしてるよ!」とただエキサイトするだけだったんですよ。この死の淵っぽい演出も、「昔から、自身のキャラをいくつも殺して来たけど、そういう大きな演出も戻ってくるのかな」くらいに思ってたんです。だって、まさか、本当に命が危機にさらされてるなんてことは・・・、こんな70手前で音楽的にまだ伸びも見えるのに・・・。


 「70を過ぎてのボウイ」を体験することなく終わり、ある意味、僕が夢見たもの(死なないで何歳でも作品だけは作るんだろうという)はここで終わりました。ただ、彼が多方面で残して来たことというのは本当に甚大なわけですから。これからも死にはしないものが、今後、エンタメやアートの世界にどう息づくのか。見てみたいところです。

 
author:沢田太陽, category:ロック, 09:40
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再掲載:デヴィッド・ボウイ追悼:僕にとってのロック究極の理想の人は(2012年6月9日より))
どうも。


まだ、あまりにショックで現実のものとして受け止められません・・・。タイトルに「追悼」なんて書かなくてはならないのが、なんか屈辱的な気分にさえなります・・・。


本当は、これまでにないような、壮大な記事を書かなくてはいけないのかもしれませんが、この訃報を受けなくても僕にとって彼がいかに大切な人だったかは、2012年6月9日に書いたこの記事を読んでいただければおわかりになるのではと思います。


以下、その記事をここに再掲載したいと思います。その間に、自分の気持ちを整理したいと思っています。


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どうも。
 
では、さきほどの続き行きましょう。僕にとってロック究極の理想の人は
デヴィッド・ボウイ!!


厳密に言うと「自分の一生で一番好きなアーティスト」とまたちょっと意味が違うんですけど、「ロック・ミュージシャンって一番カッコいい形としてはこうあってほしい」と思わせる人なのはたしかです。
では、なぜそう思うのか。それは個人的な音楽体験によるものが多いですね。僕の場合、邦楽、洋楽のそれぞれの入りが
ジュリー(沢田研二)とクイーンでしたもので。これ、それぞれ、僕が出会ったタイミングに忠実な写真選びをしています。この時点で、ある程度、方向付けが出来てるような気がしますね。ちなみに中学のときは、というか割に今もなんですけど、デュラン・デュランに夢中になっております。
 
つまり、「こういう感じのものの全ての源泉」を求めたら必然的にボウイに行き着く訳です。
こういう背景をもとに、ボウイがどうして僕の基準値になっているか、その説明をしたいと思います。

 
1.「ロックとしてのカッコいい男性像」を教えてくれた
これが一番デカいかな。「男としてカッコいい」という感じを、「ロック」もしくは「音楽」という、あくまで「文化系」「アート系」という形で表した場合、やっぱスポーツみたいな「ガッチリした肉体美」みたいなものとは必然的に違うものになるわけで。どこか女性的な要素の混ざった「ユニセクシャル」な感じという方が、やっぱアート系の男性像としては適切ではないかと。
なにもこういう男性像はもとをただせばビートルズが嚆矢を切ったブリティッシュ・ビートのときに端を発しているし、ご他聞にもれず、僕もブリティッシュ・ビートは本当に大好きなんですけど、そのイメージをさらに強調したのがボウイとマーク・ボランだったのかなと。
 
ただですね、だからと言ってこれ、ヴィジュアル系的なものとは意味してるものがちょっと違うのも事実なんですよね。たしかに、そちら系への源泉でもあるんですけど、ボウイにせよ、ジュリーにせよ、クイーンにせよ、別に化粧してたから好きなわけでは全くなく、むしろ、そんなものにあえて頼らなくても自然と漂ってくる中性的なニュアンス、それが好きなわけであって。だから、80年代のアメリカのグラム・メタルとか日本のV系とかには全然興味はなくてですね。彼らの場合は外面にこだわりすぎて、内側から伝わってくるものが(少なくとも僕には)アピールしなかったんだよなあ。

 
2.先進的なのに同時にアンダーグラウンドな音楽性
あと、このポイントが究極的に僕にはデカいんだと思います。
今、ちょうどいいタイミングで「ジギー・スターダスト」の40周年やってます。もちろん僕にも重要な作品ではあるんですけど、ただ、ボウイの頂点をジギーに持ってこられるとそれは抵抗感があるのもまた事実です。
 
「きらびやかで派手なロックスター」という一点だけが特徴なら、さっきも言ったようなヘア・メタルとか、V系でもそれほど変わりがないと思うんですね。やはり、そうした外面だけの、むしろグラム的な格好であたかも「武装」しているようにさえ見える感じではむしろ逆効果で。
 
ボウイの場合、すごかったのは、そうしたマスにアピールできる要素を持ち得ながらも、同時にアート系の人たちが先端で憧れることの出来るものを提示できたことですね。音楽的な観点で言えば本当ならマスに受け得るものではないのに、その人の手にかかるとなぜかポップに昇華されてしまう。そういう感じに僕はどうしても惹かれる傾向があります。
 
それがあるからなんでしょうね。だから僕は「アンダーグラウンドなだけで完結するバンド」みたいなものにもそこまで興味がありません。もともとがトップ40育ちの体質だからだと思うんですけど、たとえそれが「リアル」だとか「鋭角的」であったとしても、どこか大衆的な人なつっこさとか、洒落心がないとどうしても物足りないというか。外面上に無関心すぎるのも好きではないですね。それがピクシーズとか初期のウィーザーみたいに、「カッコ悪いのがひとつのチャーム・ポイント」みたいな愛嬌になると心が逆にくすぐられるんですけど(笑)、「ストイック」とか、そういう感じを売りにされると正直苦手というか。僕がソニック・ユースとかフガジとかアット・ザ・ドライヴ・インあたりが「サウンド」とは関係ないところでなんか気持ち的に入って行きにくいものを感じてしまうのは、そうしたところがあるからなのかもしれないですね。優れたバンドだとは認めるんですけどね。
そんな文脈で言って、僕が「ボウイ的なもの」を感じるものって、こういうのだったりします。

 
こういう感じですね。プリンスに関しては「ボウイになりたかった黒人」のような気がしてなりません。「紫」にこだわる感じは「ブラックからのグラムへの回答」という気がするし、キャリアにおいてゲイでもないのに何10年も一貫してアイ・ライナー塗ってるのってやっぱそういう影響がないとそんなことはしないでしょう。レディオヘッドは、ジギー以降のボウイが「スケアリー・モンスターズ」でやったことをずっとキャリアでやり続けているというか。イメージとしては「ロウ」からのベルリン三部作のイメージですね。あと、フランツは、アレックス・カプラノスが素で「ボウイ・フォロワー」というか。アレックスとは電話で直接話したことがあるんですけど、あの低いためいきまじりで優雅に話すとこまで、まんまボウイでした(笑)。ステージで「目で殺す!」とばかりにキメてみせるあの感じとかまで一緒だもんなあ。
あっ、あと言うの忘れてた。このポイントも大事です。

 
3.無邪気な音楽ファンであり続けているところ
 
これ、すごく大事です。ボウイには熱心な音楽ファンとして「好きな誰かを手助けしよう」みたいな感覚が若い頃からすごく強いです。グラム全盛期の頃のルー・リードやイギー・ポップにはじまり、80sの終わり頃にはピクシーズやダイナソーJrに触発されてたというし、90sにはナイン・インチ・ネールズやプラシーボに熱を上げ、00sにはアーケイド・ファイアやTVオン・ザ・レディオに狂っていたというのも有名な話です。常にそのときどきの勢いのある旬なバンドをアップデイトし続けていたんですよね。
 
僕がボウイを今のように好きなのは、00sに入ってからの影響も少しあります。2000sのはじめ、彼は音楽活動にすごく精力的で「ボウイ復活」などともかなり言われていたものですが、その頃に上述のインディ・ロックにかなりハマってたんですよね。それが彼の音楽にも自分なりのやり方で刺激になってたと思うんですけどね。
 
あと、その当時(2002年)にライブをやっと体験できたんですけど、そのときのボウイが人としてやたらカッコ良くてね!当時で50代半ばとは思えない、贅肉や無駄なしわひとつない端麗な容姿で、背筋なんて針金入ってるのかと思うほどまっすぐで!そしてしゃべり始めると、すごく品のあるためいきまじりの低くて優雅なブリティッシュ・アクセントで、静かにゆっくりジョークを言ってひとりで無邪気にウケるのが、なんか妙にカッコ良かったんだよなあ。そのときに「ああいうオジサンには絶対なれないけど、憧れるなあ〜」と強く思ったものでした。
 
ただ、その後、ステージで客の投げたロリポップ・スティックが目に入ったり、心臓発作を起こして以降は長い沈黙が続いてますけどね。2002年と03年に2年続けてアルバム出した頃にはガンガン行きそうなことを彼も言ってたんですけど、それが口約束になったまま消えてしまう感じも非常にボウイ的ではあるんですけどね。
 
そんな感じですごく長くなってしまいましたが、そんなボウイの曲で最後はシメたいと思います。そもそもはNMEのサイトで今、「Greatest Bowie Songs」というファン投票をやってて、それの2位と3位に僕がボウイの曲の中で最も好きなこの2曲が入ってて思わずうれしかったことが、今回これを書こうと思った直接のキッカケなんですけどね。先に言った、僕が2002年に行った彼のライブの最初の2曲がこれで、それだけで本当に昇天しましたけどね(笑)。こういう「ボウイっぽさ」、受け継がれてほしいものです。

 
 
author:沢田太陽, category:ロック, 19:27
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「ロックと日本の60年」2回目、更新しました!
どうも。

先週お伝えしました新連載、早速もう更新しています。


こちらです!

http://www.drillspin.com/articles/view/812


今回のお題は、50年代後半のロカビリー・ブームを受けてのカバー・ポップスのブームです。時期にして1959〜63年。この時期に日本でのポップ・ミュージックがどう洗練されていったかに迫っています。


話の中心は今回は坂本九ですね。彼の「Sukiyaki」がどういう風に全米1位になったか。また、それを可能にした日本の音楽シーンの背景はなんだったか、などについて書いています。


また、それに限らず、1963年くらいまでに起こったレイ・チャールズをはじめとした初期のソウルや、さわやかなモダン・フォークなどについても触れています。ディランが入って来る前の話ですね。

今回は調べて行くうちに坂本九に結構ハマっちゃいまして、こんな発見などして楽しんでいます。





こういう風にリトル・リチャードのカバーなんかもやっているんですよね。この当時の日本人の場合、黒人のカバーをすると歌唱で力負けするものですけど、坂本九の場合、声量と声域と歌唱法もあって、歌いきれてるところがすごいです。1961年の話ですからね。あと、彼の場合、オールディーズの定番の「すてきなタイミング」とかでも、すごくよく通るファルセット聴かせたりもできましたからね。


 あとは個人的に、フランス、イタリアのポップスですね。この頃って、映画だと、フランスだったらヌーヴェルバーグがあって、トリュフォーにゴダール、役者だったらジャン・ポール・ベルモンド、アラン・ドロン、ジーン・セバーグ、ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イタリアだったらフェニーリとかヴィスコンティ、ヴィットリオ・デシーカあたりが監督でいて、ソフィア・ローレンにマルッチェロ・マストロヤンニ。すっごくオシャレな時代です。音楽にもその感覚が反映されてる頃で僕は好きですね。


こんな感じのヤツですね。



そうそう。映画で照らし合わせると、この頃、「ウェストサイド物語」とか「アラビアのロレンス」「大脱走」とか、そういう頃ですね。「007」も初期でははじまってるのか。なかなか字数の関係でそこまで書けなかったんですけど、時代のイメージを醸し出すにはいいネタなんですよね。


で、次回はいよいよビートルズとかブリティッシュ・ビートが出て来ます。そこでようやく手が伸ばし易く感じる方も多分いらっしゃると思います。お楽しみに。
 
author:沢田太陽, category:ロック, 04:01
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