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ビヨンセ最新作「Beyonce」が名盤な理由〜これを10年待っていた!
どうも。

本当は違うことも考えていたんですが、やっぱ、時節柄、これはやらないといけないと思うのでやっておきます。

このアルバムのレヴューです。



そう!この、ビヨンセのニュー・アルバム「ビヨンセ」なのですが


ビヨンセのキャリア史上でも重要な意味を持つ大傑作です!!


「最高傑作」という言葉を安易に使うのが好きじゃないのであえて違う言い方をしてますが、それとほぼ同義だと解釈していただいても構わないです。これはかなり立派な、「2010年代を代表するアルバム」にさえなりかねない作品だとさえ思います。


「それがなぜなのか」の理由をここでは語って行こうと思います。


1.ようやく「時代の波」に乗れた製作陣でアルバムが作れた。


まず、聴感上で一番大きなポイントはここですね。今回これがとにかく圧倒的です。


たしかにデスティニーズ・チャイルド時代にも、シェイクスピア(短命だったな、この人は)だとかロドニー・ジャーキンスとか、その当時の最新の売れっ子はたしかに使ってはいたし、1999〜2000年当時に流行っていた、音符を極端に短く切った、一小節に思いっきり歌詞を詰め込んだフレーズをものすごく早く歌いきるビヨンセを「すごいな、これは!」と思って聴いていたものです。で、そのときが僕個人の中でもっともビヨンセに入れこんでいた時期でもありました。


そういうビヨンセのサウンド的なカッコ良さは2003年のソロ・デビュー作までは続いていました。「Crazy In Love」でのリッチ・ハリスン(この人もどこ行ったんだろうなあ)とか、当時はすごく冴えてた人でしたからね。


ただ、デスチャの最後のアルバムとか、ソロ第2弾の「B-Day」の先行シングルで、リアルタイムで見ても明らかに勢いが落ちていたロドニー・ジャーキンスの曲を持ってきたあたりで僕はかなり「?」でしたね。で、ちょうどこの頃にR&B/ヒップホップ界でのEDM化がはじまりカニエ・ウェストの「Stronger」だったりリアーナの「アンブレラ」を筆頭とした「Good Girl Gone Bad」のアルバムからのヒット連発ではじまっていただけに、ビヨンセのアルバムでの製作陣の人選が僕にはすごく古くさく見えていたものです。


で、2008年の「I Am Sasha Fierce」でリアーナの制作陣でもあるスターゲイトとかThe Dream
あたりを起用しはじめはするんだけど、極力エレクトロっぽいニュアンスを抑えたトラックにしてもらっている印象は拭えなかったし、さいわい「Single Ladies」の大ヒットはあったので面目は保てはしたものの、あの当時、レディ・ガガとかケイティ・ペリーとかテイラー・スウィフトなんかの新しい女性アイコンが次々と出て来てた中で、「いくらパフォーマンス・レベルが段違いとは言え、いかにビヨンセと言えども、油断すると危ないな」とは思っていました。


続く11年の「4」では、先行シングルの「Run The World」では「オッ!」と期待させたし、フランク・オーシャンやカニエ、アンドレ3000が参加してるあたりも「オオッ!」だったんですが、いざフタを空けたら、一番印象に残った曲が80sのアーバン・コンテンポラリー調の「Love On Top」(いや、好きなんですけどね。ただ、ちょっと唐突かと)だったり、そうかと思ったらダイアン・ウォーレン作の歌い上げバラードがあったりとかでアルバムとしての統一感にはすごく欠けるものだったので、「この人は一体何が作りたいんだろう」と正直なところ思ってました。それにもかかわらず、セールスがある一定以上は必ず売れてたので、「それでも売れ続けるってのは、すごいよな」と逆説的な意味で感心してました。


しかし!


今回ようやくやってくれました!

これまでの流れで相性の良かったThe Dream、フランク・オーシャン、ワンリパブリックのライアン・テッダーといったメンツを残し、そこにティンバランドやファレルといった、なぜかこれまでビヨンセ作品との縁を感じさせなかった大御所が加わり、そこに加えて、今をときめくドレイクのプロデュースでおなじみ"40"、ミゲル、ASAP Rockyやカニエの仕事であてたHit Boyが加わった!

いや〜、これはこれまでのビヨンセからしたら、すごい進歩ですよ。今までのビヨンセだったら、この人選ができていたとは正直思えないもの。こういうトラックメイカーへの目配せ、聞き分け能力に長けている人と言えば、これすなわち



この人的なセンスなんですけどね〜、どう考えても。僕はこれまで、「ジェイZはあれだけプロデューサーとかを引っ張って来る才能があるのに、ヨメのアルバムには口出しはしないのかね?」とかねがね思ってたんですけど、とうとうアドバイス、出ちゃったかなあ、これは。真相はよくわかりませんが。

そのおかげで、ヨメがこういう曲をモノに出来たのは大きかったと思います。
 

こういう音数を抜いたエレクトロのダウンビートの中でビヨンセが抑えて歌うなんてことはこれまでになかったことです。ドレイクの作風に感じていたようなドビュッシーみたいな浮遊感があるのもすごく素敵です。


2.「ビヨンセのアルバムに参加」のハクを、駆け出しの人に与えた。

そして、今作が立派なのはそこだけではありません。既に名の通った「勢いのある旬な人」を使ってるだけではなく、これまで聴いたことのなかったような人、もしく起用そのものが意外な人、それが出来ています。本当に優れたアーティストって、たとえばJay-Zが2001年の「ブループリント」というアルバムで起用したことではじめてカニエ・ウェストの名前が世間一般に広まったような、そういうことをやってのけるものですけど、今回のビヨンセのアルバムではそれを感じさせることが起きてます。

今回でもっとも曲を多く提供(3曲)したのは
Bootという無名の人で、さらにもう1曲にはブルックリンのインディ・バンド、チェアーリフトのキャロライン・ポラチェックが参加しています!これも随分思い切ったものだと思います。しかも、これが


しかも良い曲なんだ、これが。
 


3.「強い女、ビヨンセ」が帰って来た!

あと、今回のビヨンセが良いのは、彼女特有の、タンカを切った「強い女」像が戻ってきたことですね。

そういうイメージって、デスチャで大ブレイクのキッカケになった「Bills,Bills,Bills」の「アタシのケータイ、勝手に使わないでよね!金は払ってちょうだい!」とダメ男に攻めよってた頃から「Independent Woman」や「Survivor」の頃に至るまではとにかく彼女の代名詞のように言われていたものです。その後も、「SIngle Ladies」なんかはそのテのアンセムの系譜にはなっていましたけど、でも、なんか、初期の頃の、ちょっと大げさにも見えかねなかったあの威勢の良さ、あそこまでのはなかなかないなあ〜と思っていました。

ただ、今回、「妻」「一児の母」となったことで、彼女の中でもう一回アイデンティティを強く見つめ直すような事態にどうやらなって来たようです。それを象徴するのが、この久々のストロング・アンセム。


 


これは言うなれば、批判的なことを言ったり「女は黙ってろ」みたいなことを言われることに対し、親、家族に教え込まれたように自分の生きたいように自信を持って生きることをアピールした、すごくビヨンセらしい一曲です。ここまで主張強くやったビヨンセは久々に聴きましたね。

で、しかも、この曲、途中のサンプリング部分で、注目のナイジェリアの女性作家のスピーチが使われています。



これがその、チママンダ・ンゴシ・アディシーという人です。この人年齢はまだビヨンセと4つぐらいしか違わない非常に若い作家さんでして、なんと彼女の小説の最新作「Americanah」が今年のニューヨーク・タイムスの「年間ベストブック10册」に選ばれています!僕は先にそのNYタイムスのリストで彼女のことを知ったんですけど、その数日後にビヨンセのこのアルバムで彼女の名前が出て来て、さらにまたビックリしてるところです。そんな注目の社会的人物を、アルバムの中にちゃんと時代の空気としてパッケージできてることもワザありだと思います。

そのチママンダのスピーチでは「女性は野心を持って良いが、男性の邪魔にならないようにしろと教えられます。結婚は男女互いの支え合いがあって喜びや愛が得られます。でも、どうして女性だけが結婚を求めるように教えられるのでしょうか。男性にも同じようになぜ教えないのでしょうか。私たち女性は、仕事や達成したいことのためではなく、男性のめがねにかなうように争うように教えられます。フェミニストとは、社会的、政治的、経済的に男女平等であることを信じる人のことを指すのです」と、そんな感じですね。


4.人生の一断面を切り取った強いコンセプトがある。

そして、このアルバムですが、「ビヨンセ自身がどういう時期にあるタイミングでの作品か」というのが通して聴いてすぐわかる点でもポイント高いですね。


アルバムのオープニングを飾るのが「Pretty Hurts」。この曲では、外面だけをプリティに飾ろうとする態度や世の風潮に疑問を投げかけるビヨンセが描かれています。そこから、「Ghost/Haunted」に流れるのですが、この曲が幼い頃からタレント・ショー・ガールとして徹底的に鍛え込まれてきた自身を振り返ったものなのなんですね。このアルバムはまるで、今、妻、母となったビヨンセがふと自分のアイデンティティに対しふと立ち止まって改めて考え、自分が元来どういう形で自己を確立していったか、そしてどうやって今の自分があるのか、を辿ったような、「魂の彷徨」みたいなものがいつも以上に感じられる作品になっていますね。ラストが愛娘ブルー・アイヴィに捧げた「Blue」になっていることでも、そのあたりは割と露骨なような気がします。


5.「名盤誕生」にふさわしい斬新な売り方

そして、今回のアルバムのリリースの仕方、これも「名盤」を飾るためのひとつの粋な演出だったような気がします。


僕が今作に関しての言及のされ方で好きじゃないのは、「画期的なリリース法で音楽界を変える」というもの。特にこれ、日本のメディアでよく言われるタイプですけど、あまりにデジタルの音楽ビジネスについて過剰に考え過ぎですね。


僕の印象だと、今回の場合はむしろ、「せっかく自信のある良いアルバムが出来たんだから、普通に売るんじゃつまらないから、なんか特別なことをやってみよう」というスタッフの意向の方が強かったんじゃないかな、と思います。「ビジネスを変えてやろう」というよりはそっちのニュアンスの方が強いと思います。

正直、これがあったところで、予告なしのリリースが増えるとは思えない(音源を売る側にしても”ビヨンセ”という名のビッグネームだから特例として許したんだろうし、ヴァリューのないアーティストがそんなことをたくさんされても売る側としては迷惑なだけだろう)し、ましてや全曲でミュージック・ヴィデオ制作できるアーティストなんて、世の中一体何組いることか。これはむしろ「ビヨンセだから出来るやり方」としてうなるべきものであり、真似を促すものではないし、ましてや出来ないでしょうから。


でも、それにしても、「打ち上げ花火」としては、これは非常によく効いたと思います。スタッフの演出まで含め、パーフェクトだったと思います。こういう話で音楽界も盛り上がっていかないとね。


・・と、これはもう、2014年がはじまる前から「14年を代表する傑作」として語られる(奇しくも各メディアが年間ベストを組むときには間に合わなかったし)ものになると思います。ここから代表曲がいくつ生まれるか、それも楽しみにしたいと思っています。これはいきなり幸先がいいね。




 
author:沢田太陽, category:CDレヴュー, 10:38
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