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最近好きな本〜『Americanah』〜ビヨンセも注目のアフリカ女性作家の必読傑作!
どうも。

僕が、去年の(日本での)夏から外出の際に電車の中で読書をはじめたことは、たびたびこのブログでも書いていますが、それが今やつもりにつもって31册の本を読み終わっています。


前までは「小説を10册読んだ」ということで、それを報告する記事を書いていたんですが、つい昨日読み終わった、ごくごく最近の小説があんまりにも素晴らしいので、今回はその1冊を紹介します。これです!




この、題して「Americanah」(アメリカナー)。この小説はですね。




この人ですね、ナイジェリアの36歳の女流作家、チママンダ・ンゴシ・アディーチェ。彼女の作品です。


僕がこの人のこの小説に関して知ったのは去年の12月のことです。ちょうどビヨンセのニュー・アルバムが突如リリースされて話題になっている頃、その中の「Flawless」という曲の中で、このチママンダのフェミニズムに関するスピーチがサンプリングされた、という話を聞いたときからでした。




この曲の途中で入ってくるスピーチ、これの声の主がチママンダ、というわけです。

そして、このアルバムが話題になりはじめているちょうどその頃に、ニューヨーク・タイムスで「今年のベスト・ブック」の記事の特集記事があって、この小説が筆頭格で「今年のフィクションの5作」に、ピューリッツァー賞を後に取ることにもなるドナ・タートの「Goldfinch」などと一緒にピックアップされていました。そして、この「AMericanah」自体も、ことしの3月にピューリッツァー賞と並ぶアメリカ文学の重要賞「全米批評家協会賞」(National Book Critic Circle Awards)を受賞しました。これえ僕の好奇心がグンと上がりました。

そして今年の5月のこと、僕はこの小説を、家から比較的近い大型の書店に1冊だけアメリカからの輸入で入荷されていたのを手に取り、そのままレジに持って行って衝動買いしたわけです。


そして、読んでみたらこれが


本っ当に素晴らしい!!!


僕、さっき名前をあげたピューリッツァー賞受賞の「Goldfinch」も読んではいたんですけど、断然こっちの方が話に入り込みやすく、大いに共感出来るないようでしたね。今の世の中に現在進行形でこんな傑作を読むことができるんだ、と思うと、なんか嬉しくて誇りを持ちたくなったものです。


この本ですが、一体何の話かというと、ナイジェリアのミドルクラスの若者の90年代から2010年代までの現在の姿を描いたものです。主人公はイフェメルという女性で、彼女の幼少時から現在に至るまでの話です。

イフェメルはナイジェリアの首都ラゴスで、中の上くらいの家庭環境の中で育ちます。彼女のベスト・フレンドはオビンゼという、ちょっと文系で内向的な雰囲気のある男性で、女一手で彼を育てる大学教授のママの子供です。イフェメルとオビンゼは、高校の頃から恋仲で、将来の結婚さえ約束する仲でした。2人の関係は、情報通のオビンゼがイフェメルを引っ張る感じでした。ウィル・スミスの演技での出世作となる黒人ドラマ「Fresh Prince Of Bell Air」や「コスビー・ショウ」などの90年代当時のテレビの黒人番組の情報について、オビンゼはかなりの知識を持っていました。彼はアメリカに強い憧れを持って育ちます。


やがて2人は同じ大学に入りますが、その大学がキャンパスの内乱で、長引くストの影響で授業ができなくなってしまいます。イフェメルはこのタイミングで、当初そこまで気が進まなかったアメリカの大学の交換留学プログラムにひょんなことで合格し、はからずもアメリカで住むことになります。

一方のオビンゼはアメリカでの生活を強く希望するもビザが上手くとれず、かわりにイギリスに渡りますが、そこで不法侵入者扱いになり、国外退去の憂き目を見てしまいます。そのあいだ、イフェメルは、アメリカ暮らしでの慣れないことに落ち込み、引きこもりになりがちな時期があって、そのタイミングでオビンゼとの連絡も絶ってしまいます。ただ、イフェメルは大きな恋愛をいくつか経るうちに出世して行き、遂には「非アメリカ黒人の視点から見たアメリカ」というテーマのブログを立ち上げたところこれが大ヒットしてしまう・・という人生を歩むことになります・・・。

・・といった感じですね。


これ、何が優れてるかというと、以下の点においてですね。

1.ナイジェリアのミドルクラスの生活状況を知ることができる

2.クリントン政権時代以降のアメリカでの黒人問題の扱われ方について知ることができる

3.「セックス&ザ・シティ」的な、女性視点での知的で洗練されたスタイリッシュさがある

4.コメディとして優れている。

5.ロマンス小説として優れている。

6,青春小説として優れている。


文化研究的にはもう、1,2の要素としては素晴らしいのひとことですね。

申し訳ないとは思いつつも、僕らはアフリカというとどうしても「飢餓」だとか「部族社会」だとか、そういうものを思い浮かべてしまいがちです。先日も200人の少女がテロ集団から誘拐されて世界的な話題を呼んでいましたが、それに象徴される治安的に不安な要素とか、そういうものを思い浮かべがちです。しかし、アフリカの中でもGDPの高いナイジェリアの都市部となると、それなりに生活は都会化されていて、大学に行くような子供を持つ家庭ではそれなりに裕福だったりする。そして、そうした状況は90年代には既にあった。そういうことが客観的にわかったのは僕としても非常に勉強になりましたね。


加えて、イフェメルがアメリカに渡ったのはちょうどクリントン政権時の1990年代半ばのことです。その頃にはヒップホップが音楽界で一番の人気音楽になっていて、ハリウッドの黒人俳優の台頭が著しくなった頃。黒人の地位は一気に上昇し、公民権運動以前のような露骨な攻撃性を持つレイシストは表向きにはさすがにいなくなった。話の後半にはオバマ氏が大統領に選ばれるところまで描かれていて、それが黒人社会にとってどういう意味を持つものなのかもちゃんと書かれている。一般的に見れば黒人たちにとっては良い時代ではあるんだけど、しかし、それでも黒人立ちにとっては、マイノリティとして受けてしまう偏見などはそれでもどうしてもある。特にそれは、アフリカにいる頃には生活環境が黒人ばかりなので「人種問題」などについて悩むことのなかったイフェメルが、人種についての問題を意識せざるを得なくなるまでに厳然としてある。

決して激しいタッチではないけれど、人種問題的には改善はされた世の中において、黒人が正直なところどういう立場に置かれ、どう思って生活しているのか。その本音が淡々と説得力を持って描かれているのは興味深いところです。


このように、この本、社会観察上、きわめて参考になる側面がある一方で、娯楽作としても優れているんですよね。登場人物間でのやりとりと言葉のリレーがウィットとユーモアに富んでいます。中でも印象的なのはイフェメルの大好きな伯母さんで、アメリカに先に住むことでイフェメルの人生の指針のひとつにもなるアブジャですね。彼女はお医者さんになるほどの才女でファッション・センスも洗練されている、進歩的な女性の憧れ的存在ではあるんだけど、ナイジェリアの軍人の愛人になって子供を生みシングルマザーになったり、経済感覚が案外かなりいい加減だったり、直感で調な連れてアメリカに住むようになったり、とかなり面白い人です。彼女をはじめ、登場人物にひとくせ、二癖ある人が少なくありません。


そしてこれ、ロマンス小説としても、青春小説としても優れています。高校生以前の子供の時代から、紆余曲折や挫折もあった20代を経て、今30代を迎えている。その社会的かつ心理的な過程の描き方が見事です。そしてイフェメルが辿るロマンティックな恋愛の数々。そして、それは最終的にはかつてのピュアで初々しい恋の相手だった・・・ってな感じです。


これ、多分にチママンダ自身の半生を描いた作品で、それゆえに説得力の強い作品になっています。今のアフリカの知的な女性のアメリカ社会、そして祖国ナイジェリアの現在に対する本音がユーモアと巧みなストーリーの組み立てで描かれています。


そんなわけでチママンダは今、アメリカ黒人、アフリカ黒人の両方の女性たちからの強いリスペクトを受ける立場にもなっています。それは前述したビヨンセの件でもそうなんですけど




ここに来て、この小説の映画化権を、先日「それでも夜は明ける」でオスカーの助演女優賞を受賞したケニア出身の女優、ルピタ・ニョンゴが買った、という話が浮上してます。そして制作も、「それでも〜」を手がけたブラッド・ピットの会社がやるのでは、という説が流れています。たしかに僕も、「ルピタは何かしら絡むかもしれないな」とは思っていました。同じアフリカから出て来て世界的に有名になった女性同士、というのもあるんですけど、ルピタの場合、親が国で有名な政治指導者でもあるので、金はかなり持ってるはずなんですよね。そんなこともあり、この話が出て来ても何の不思議もないし、むしろ自然のことのようにも感じます。


これ、仮に映画化でもすれば、これまたかなりの期待をかけられることになるでしょうね。でも、それに値する作品だと僕は信じてます。これだけ、生きた時代を象徴している文学作品もそうは存在しませんからね。


というわけで、この小説、僕的に非常にオススメです。これ、日本語訳出ないのかな。チママンダの場合、過去の作品は日本語訳、出てるんですけどね。
author:沢田太陽, category:文学, 13:05
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とりあえず小説をもう10册読んでみた
どうも。


以前、こういうポストをあげたことがあります。

とりあえず小説を10册読んでみた


これが去年の10月24日付のポストだったわけですが、それから約3ヶ月、ようやくその第2弾ができました。10册読むのに4ヶ月近くかかってしまいました。

今回読んだリストはこんな感じです。


心は孤独な狩人/カーソン・マッカラーズ(1940)
個人的な体験/大江健三郎(1963)
万延元年のフットボール/大江健三郎(1967)
ビラヴド/トニ・モリソン(1987)
コレクションズ/ジョナサン・フランゼン(2002)
山に登りて告げよ/ジェイムス・ボールドウィン(1953)
カヴァリエ&クレイの驚くべき冒険/マイケル・シェイボン(2000)
オスカー・ワオの短く凄まじい人生/ジュノ・ディアズ(2007)
ハーツォグ/ソール・ベロー(1963)
キャッチ22/ジョセフ・ヘラー(1961)



今回のリストは「前から読んでみたかった」というものが目立ってますね。その意味であまり「お勉強のため」に読んだものがありません。今の段階なら、僕にはまだ「知らない物を知る」過程が必要だと思うんですけど、そのあたりの課題は次の10册で補おうかなと思っています。

順を追って感想を話そうかと思います。


「心は孤独な〜」は、僕が持ってるアメリカン・ニュー・シネマの本に載ってた作品です。映画はまだ見たことないんですけど「Heart Is A Lonely Hunter」というタイトルの響きがカッコいいなあと以前から思っていました。しかもカーソン・マッカラーズが「精神的に闇があり若くして夭逝した天才肌の女流作家」というのも好奇心を上げる要素になっていたと思います。

1940年代当時の南部の姿を現在進行形で現した、様々な登場人物から泣けるような空虚感が伝わる一作です。文体も随分読みやすい感じ(今回もまた英語原文で読んでいます)。ただ、期待があまりにもデカすぎたためか、そこまで後にグッと来るとこまでは行かなかったかもしれません。


続いて、これも以前からすごく読みたかった大江ですが、これはサンパウロ在住の日本人の友人が里帰りをした際に買って来てもらったものです。「個人的な体験」は去年エンターテイメント・ウィークリーが選ぶ「小説100册選」にも入ってた作品だったのですごく興味がわいたんですが、今の僕的にものすごく共感できる一作でした!生まれてきた自分の子供が障害児だったことで、独身時代の自由を奪い今後の苦しい自分の生活を嘆くあまり、息子の死を願い享楽にふける男を描いた作品なんですけど、これは現在まで強い普遍性がありますね。現在はこれが描かれた時代より50年も経っていますが、自分の若い時代をフルに活用したいあまり晩婚で子供の養育期を遅らせるのが当たり前になってるし、加えて、中絶に関する倫理的な問題も、どこの要素をどう取るかで解釈の全く違うものになり、いまだに何が人間的意見て本当に正しい判断なのかがわからない。そんな次元のことを50年も前に予見したかのように描いていることにはビックリしました。そして、改めて息子を持った自分の人生に感謝しなければと思うようにもなりました。

この「個人的な〜」があまりに気に入ったので、本当はもう少し間をあけてから読もうと思っていた「万延元年〜」も間髪入れずに次の作品として読みました。結果は「良かったんだけど、間はもう少しあけても良かったかな(苦笑)」という感じですね。話自体は、世の価値観が変わりつつある時の「革命」についての群集心理みたいな話で「よく”日本のアイデンティティが”といわれる人だけど、日本に限らずこの心理状態は他の国でもあてはまるぞ」とか「このときとは違うベクトルで今の日本にもあてはまることかも」とかとも思ったんですけど、とにかく読んでてしんどかったです(笑)。


つづいて、トニ・モリソンの「ビラヴド」を読んだのは、公民権運動に興味を持って以来、「1度は黒人文学を読んでおきたい」という願望の実現を果たしたい気持ちが強かったからです。もちろん、この話もそうした黒人差別にあてはまるものではあったんですけど、読んでて、このトニ・モリソンという人、話の展開が突然行ったり来たりになって、前回のときに読んだ「ヴァージニア・ウルフとかウィリアム・フォークナーみたいなところがあるな」と思って後で調べたら、この人、大学の卒論のテーマがウルフとフォークナーだったんですね。こういうところも、いろいろ読んで行くうちにつながるから面白いです。


そして、ここから最近のアメリカの作家率が高まるんですが、やはり、自分が今生きてる時代の生の作家の視点と言うのは面白い物です。それは特に、「現在最高のアメリカの小説家」とも呼ばれるジョナサン・フランゼンのこの小説を読んだことが大きかったかもしれません。老夫婦に、男2人、女1人の子供全員が全員問題を抱えてて連帯どころじゃないのに、クリスマスにたった1度ファミリー・リユニオンをしようとしてドタバタする喜劇なんですけど、現代の社会の縮図を皮肉とともに描きながら同時にそんな姿に愛情も込めてあるところがすごく心に染みました。加えてこのフランゼンって人、描写にロックを応用した場面が多い。この作品でも「REMのTシャツを着た学生にバイトを頼んだ」という表現があるんですけど、最新の長編「Freedom」ではデス・キャブとかジャック・ホワイトとかブライト・アイズとか出て来るらしいのですごく読みたい気分になっています。


続いては、モリソンと同じ時期に買った黒人作家のジェイムス・ボールドウィンなんですが、これはビックリしました。これ、黒人文学というだけでなくゲイ文学でもあったから!主人公の少年が死んだふりをして倒れているときに、何歳か年上の聖職者の青年に「彼が僕に触ってくれるのを望んだ」という描写があって「えええっ!」と思って調べたら、やはり作者自身がゲイで、その後そういう作風のものを書いて行ってたんですね。これまで僕が知ってたアメリカの黒人文学のイメージとは違う角度のものですごく参考になりました。


そして、また現代に戻ってマイケル・シェイボンを。彼も、「現在読むべき10人の作家」みたいな特集が組まれると必ず入るし、この「カヴァリエル&クレイ」もオールタイム常連の小説です。これは1930年代に、当時隆盛をきわめたスーパーヒーロー・コミックの作者だったカヴァリエルとクレイの2人の物語なのですが、当時のヒーロー・コミックが世に果たしたポジティヴな役割が当時の実情と共に正確にかつ詳細に描かれています。また、多分に当時のナチス・ドイツを批判する内容であるにもかかわらず、家族をナチに占領されたチェコのプラハに置き去りにされた状態のカヴァリエルが「復讐」を誓い入隊するも、戦争中に人を誤って1人殺しただけで萎縮して終わってしまう話の流れも、単調な図式かをあえて避けていて好感が持てました。


そしてそして、続いてはジュノ・ディアズの「オスカー・ワオ」なんですが、これ、メチャクチャ最高です!!



これなんですけどね。僕はこれはデヴィッド・ボウイが最近あげた「人生の100册」という企画で知ったものです。そのリスト中で一番新しかったものがこれです。これは2008年のピューリッツァー賞を取ったこともあって僕も聞いたことの会った作品でした。

この作品ですが、ドミニカの80〜90年代を舞台に、この国に生きるデブでもてないアニメとファンタジーのナード少年の話です。頭もよく、自分が「ドミニカのトールキン」にさえなれると思えるくらいに文才もあるのに、ついてない人生で20代半ばになっていまだに童貞。・・・というと、ギャグっぽい話のようにも思えるのですが、「この一家がツイていないのは、ドミニカに古くからまつわる怨霊のせいだ」として先祖の話まで遡り(このあたりは前回で触れたガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」にも似ています)、そこにドミニカで実際にあった軍事政権による圧政を描き、オスカーがその怨霊を断ち切るために自ら立ち上がるタイミングが、ドミニカで左翼の民主政権がはじまるタイミングと物語上同じにしてある(民主制のはじまり自体は描かれていませんが、だからなおさら良い)のが実にうまいんです、これ!しかも、オスカーが「AKIRA」や「ロード・オブ・ザ・リング」に夢中になっているとか、オスカーの姉さんがある時期ゴス系のパンクスだったとか、ポップ・カルチャーの描き方もすごく今日的で入りやすいしね。フランゼン同様、欧米のポップ・カルチャー好きならジュノ・ディアズの小説はオススメです!


こうやってフランゼンとディアズが気に入ってしまったことによって、「今に近い、第2次大戦後派のアメリカ文学を読んでみよう」という気分になり、誕生日プレゼントで買ってもらったのが最後の2作でした。この2作はいろんなオールタイムにエントリーしてましたが、これも「ボウイの100册」に入っていたのが決め手でした。


ソール・ベローは、アメリカの戦後派の代表格みたいな人ですね。全編に漂うユーモア溢れる描写にそれを感じました。この「ヘルツォグ」は、奥さん(しかも不倫して手に入れた)に逃げられた男がその原因をさぐりにとにかくいろんな人に手紙を出しまくり、話を聞きに行くという、それだけの話なんですが、そのいろんな人に当時のアメリカの断面が垣間見えて興味深かったです。


「Catch 22」の方は、ニュー・シネマの時代に「卒業」でおなじみのマイク・ニコルズの監督で映画化もされているんですが、「軍隊ってこんなにしょうもないことが行われているんだ」というていたらくなマッドネスから死者が相次ぐ混沌とした後半〜終盤まで、軍隊や戦争を冷笑でもしながら痛烈に批判する手法に、後のリベラルなロックや映画との接点を感じましたね。ただ、同じ戦争批判の映画でも、前回に読んだカート・ヴォネガットが「スローターハウス5」で見せた「宇宙との交信」という手法の方が、今日の読者的には入りやすいかな、という印象は持ちました。


・・と言ったところが今回の10册でした。


次回は多分5月頃かな。今度は伝統的な古典にちょっと戻るかな。あと、女流作家が多めになる気がしています。

 
author:沢田太陽, category:文学, 11:56
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とりあえず小説を10冊読んでみた(その1)
どうも。


ここのところ、話したいネタがすごく多くてまだ整理がついていません。ライブ評2つにテレビ評2つ、ブラジル絡み1つ、それから飛び込みでまだいろいろ入りそうなんですよね。

でも、今日はこの話をしておきたいと思います。


この話を覚えている人がどれくらいいるかわかりませんが、今年の7/14付の当ブログで僕は「読書宣言」なるものをしました。すごく恥ずかしかったんですが(笑)、でも、あえて公言してしまったことで、「いかん、これは読まないと」という一種の焦燥感を自分に起こさせた意味では正解だったと思います。僕の場合、それくらい昔から読書は「めんどくさい」と言ってやってなかったですからね。

でも、34歳のときに一念発起して「英語勉強しよう。今しなかったら多分一生話せない!」と思って勉強始めたら、今や家庭内での公用語になってしまうくらいになってしまったので、「文学作品も今読まなかったらきっと死ぬまで読まない」という気持ちで今読んでいます。


そしたら結構頑張れまして、3ヶ月強で10冊読めました!まあ、僕の場合、基礎的な読み込みが足りないので、かなり基礎から読んでますが、最初の10冊、こんな感じになりました!


ドリアン・グレイの肖像/オスカー・ワイルド(1890年)
嵐が丘/エミリー・ブロンテ(1847年)

罪と罰/ヒョードル・ドストエフスキー(1866年)
ダロウェイ夫人/ヴァージニア・ウルフ(1925年)
100年の孤独/ガブリエル・ガルシア・マルケス(1967年)
ねじまき鳥クロニクル/村上春樹(1992〜95年)
スローターハウス・ファイヴ/カート・ヴォネガット(1969年)
ポートノイの不満/フィリップ・ロス(1969年)

ゴーン・ガール/ジリアン・フリン(2012年)
響きと怒り/ウィリアム・フォークナー(1929年)



・・と、こんな感じでした。


経過を言うと、最初はすごく「初歩的な世界の文学作品」を読もうとしてたんですね。その路線は3作目まで続いててそれはそれで楽しかったし、19世紀の時代感覚も少しついたんですが、でも、今回の読書の本来の目的が、今の文学とか、映画の原作を読みたかったから、というのを思い出して、「20世紀のものを読もう」ということになったんですね。で、ヴァージニア・ウルフからはじめたら、これがまあ、えっらく難しくて(笑)。慣れないうちから読むものではなかったですね。


で、「次に何読もうかな」と思ったときに、本当はここで以前から読みたかった、インディ関係にもすごくファンの多いヴォネガットにしようかと思ったら、本屋さんで目星をつけておいたものが何と僕が心に決めて買いに行ったその日になくて、それでしかたなく急遽買ったのがガブリエル・ガルシア・マルケスでした。この小説は何のオールタイム見てものきなみ上位に入ってるし、僕の住んでる南米の巨人だし、今の時代に比較的近い作家ということで期待して読んだら、これが大当たりでした!まるで「南米の歴史そのもの」をある家系の一族に託して、生、愛、戦争、死などの人生を描ききってる様にグイグイ惹かれました。この人のは確実に2巡目に行きますね。


で、このタイミングで、僕のこっちでの日本での友達が日本に久々に里帰りをするというので、せっかくなので、これまで読んで挫折していた村上春樹を買ってきてもらいました。彼に関しては大学1年の年に周りの人がみんな読んでた「ノルウェイの森」を読もうとするも、別に嫌だった訳でも何でもなかったんですがめんどくさくなって読むのをやめてしまってたんですね。で、その間も僕の友人で熱心なファンが何人もいたにもかかわらず読まないで来てたんですが、せっかくのチャンスなのでこの際読んでみるかと思って読んでみたら、まあ〜、24年間、すごくもったいないことをしてしまったことに気がつきました(苦笑)。音楽とかカルチャーのディテールだけでもかなり自分好みだったのにね。加えて、ガルシア・マルケス読んだときもそれを思ったんですが、「映像表現が不可能な、小説だけにしかできない芸術表現領域ってあるんだな」と思って感心しましたね。意味をすごく読む人の感性にゆだねるタイプの話だなとは思いましたが、本来結びつかせるのが難しい複合的なテーマ性をよくもまあ、ここまでひとつの話の中にまとめきったなと思い、その手腕に素直に感心しましたね。彼も2巡目以降読みたい人だと思いました。


で、「ここまでなぜかアメリカ小説を読んでない」と思ったので、ここから先は米文学にしたんですが、やっぱり話の舞台に関しては、僕の生きてる時代に比較的近く、もっと庶民的で土の香りがするような感じのものの方が僕の場合はやっぱりイギリスの19世紀の文学よりは肌があうなと思いましたね。やっぱ、そこはロックと映画の育ちなんでね。


で、春樹のあとにヴォネガットというのは、やっぱこれはルーツつながりでもあったのですごく読みやすかったですね。「スローターハウス・ファイヴ」はアメリカの70sのニューシネマの関係でも語られる映画ですが、今まで僕、これは見てなかったんですね。で、今回、これを読み終わってネットで映画版を見てみたんですが、これは・・ガッカリしました。主人公の意識のタイムワープみたいなものはかつかつ描けてはいるんですけど、それが「頭の中で起こってる」感じが映像表現として描けているとは言いがたかったし、加えて、この映画に出てる人で後世に残った役者さんが全然いないのもなんかなあ。やっぱ、ジョージ・ロイ・ヒルって僕は相性の合わない監督なのかな、と思ってしまいました。


で、ヴォネガットと同じ世代くらいの、こないだ引退宣言したフィリップ・ロスを読んで。僕の読んだヤツは、ウディ・アレンの世界感を濃くしたような感じでしたね。すごくユダヤ教色の強い自虐的で強迫観念の強いコメディで。ただ、フィリップ・ロスは長い時代にわたって非常に多作なので、次にはちょっと行きづらいかもしれません。


そして、今度は思いっきり最近の作品で「ゴーン・ガール」。これはデヴィッド・フィンチャーの次の映画の原作として読みました。スリラーとしては非常に面白かったです!話の時代設定も思いっきり2008年の経済危機以降の話で入りやすい上に、主人公2人の人物設定や過去の経歴なんかもすごくユニークだし、近年のマス・メディアの動向とそれに踊らされる人たちの儚さも描けているし。ここまで今の時代をうまくつかめた作品もそうはないんじゃないかな。


で、続いては「ローリング20sから1人」ということで、ヘミングウェイでもフィッツジェラルドじゃなく、あえてウィリアム・フォークナーを読みました、それは彼の後世の評価が一番高かったのと、彼の代表作の何作かが現在映画化の話があることで興味を持ったんですが、まあ〜、これが激烈に難しかった!「意識の流れ」という、語り手の記憶の中で動いている、過去の記憶も非現実的な想像も今の現実も全てがごちゃまぜになって時間軸も消えてしまうような手法があって、それはさっき言ったヴァージニア・ウルフの小説でも使われている手法なんですけど、これが本当に難しかった。特に今回の読書は、春樹を除いて全て英語の原書で読んでいるので、なおさらキツかったですね。

仕方がないので、僕はネットで「解読法」をチェックし、話の大まかな設定をネタバレするのを覚悟で色々つかんで、それで読んでみたら、「話の筋や、伝えたいこと自体や、描かれている時代はすごく魅力的だな」と思いこれも強い興味を抱きました。この人も2巡目以降、読むでしょうね。


・・と、ここまでが最初の10册です。すごく話がわかりにくくてスミマセン。すごく独り言になってますよね(苦笑)。でも、これが3ヶ月強、それも仕事場への電車での行き帰りだけで原書で読めた、というのは自分としてはすごくためになったかな、と思います。「なんとなく自分の読んでみたい文学観」みたいなものが垣間見えたのも良かったような気がしてます。


ただ、もう今早速11冊目を読んでいるんですが、次の10冊は今回の10冊とまた違う感じになりそうな気がしています。また来年の1月頃くらいに、この話の続きが出来れば良いなと思います。
author:沢田太陽, category:文学, 10:50
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