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ソランジュ〜「スーパースターの妹」が、インディ・カルチャーでの信頼絶大のクリエイターになるまで

どうも。

 

 

いやあ、もう、本当に今

 

 

この、突如リリースされたソランジュのアルバム。昨日からもう、何度もリピートして聞いています。本当に素晴らしい、「ああ、先進的なクリエイターに成長したんだなあ」と思わせるアルバムですよ。

 

 

でも、すごいですよね。お姉さんのビヨンセは、今の世界を代表するエンターテイメント界のクイーンで、妹の彼女は、サブカルチャーのマニアたちを刺激する、音楽界の中でも有数なエッジィな存在になっちゃって。姉妹がそれぞれ別の意味で、多大なリスペクトとともに成長した例って、音楽以外の世界でもそうは見ませんからね。

 

 

でもなあ。ソランジュが今みたいな成長遂げるのって、昔だったら本当に考えられないこと。というか、よくぞここまでの存在になったと思います。今日はそんな彼女の成長録、そして新作がいかに革新的な作品にまでなったかをお話ししましょう。

 

 

よく考えたら、僕

 

 

 

 

ソランジュって、この時から知ってるんですよね。これが2002年に出たデビュー・アルバムで、この時、まだ15歳ですよ。で、この当時、実はデスティニーズ・チャイルドのジャパン・ツアーに帯同して、前座もやってるんですよね。

 

 

 

 

これ、覚えてますけど、これ、ただ単にお姉さんの路線の真似をしてるだけというか。まあ、その歳で、自分をコントロール術を知ってたら、そっちの方が恐ろしいですけどね。

 

 

 

 

で、この2年後の2004年には、青春コメディ「チアーズ2」でヒロインのライバルのチアリーダーなんて演じてます。今の本人からしたら、これ、絶対黒歴史だと思うんですけどね(笑)。

 

 

で、この頃に彼女は10代にして妊娠、出産もしてしまうので、ちょっとこれは、ノウルズ家が見込んだような成功を妹では得られなかったかな・・と

 

 

思っていたのですが!

 

 

驚くことが2008年秋に起きました。それが

 

 

 

 

これを筆頭とするアルバム

 

 

 

 

突如として彼女はセカンド・アルバム「Sol-Angel And The Hadley St.Dreams」というアルバムを出すんですが、

 

 

これが隠れた名作なんです!

 

 

これ、当時聞いて僕、ビックりしましたね。上の曲は思いっきりスプリームスの黄金期を意識した曲なんですけど、その他にも60〜70年代の音楽へのマニアックなオマージュがてんこ盛りなんですよ、これ。60年代のハーブ・アルパート(みたいな)トランペット曲をサンプリングした渋谷系みたいな曲はあるは、メンフィス・ソウルみたいな曲はあるわでね。で、これに近い時期に、BBキングのステージでデュエットしたりとかね。すごく、マニアックなオールド・ソウル好きはこの頃から知られるようになりました

 

 

そうかと思ったら

 

 

こうやって、自分のライブでMGMTの曲カバーしたり、グリズリー・ベアのライブで客演したりと、この当時のニューヨークはブルックリンのインディ・バンドのライブに足繁く通っては、彼らと友達になってるんですよね。

 

 

こういう経緯から、「ずいぶん、センスがいいんだなあ〜」と思うようになりましたね。で、ちょうどこのころ、姉さんのビヨンセが音楽的につまんない時期でしたから、なおさらそう思いましたね。曲でいうと「Single Ladies」とか「Halo」とか、ヒットは出てたんだけど、別にインディ・ロック聴くような人には「ポップ」にしか思われてないような時期でしたね。

 

 

なので、この当時、「同じ姉妹でもずいぶん違うんだなあ」と思っていたんですが、そんなころにこういうことがありました。

 

 

 

 

ビヨンセとソランジュが2009年のサマーソニックで揃って来日した際、姉妹そろってファッション・ブランドだったか化粧品だったか忘れたんですけど、なんかのプロモーションやったんですよね。その時のソランジュの浮きっぷりがすごかったんですよ。この時、ソランジュ、突然、坊主にして来日しましたからね。これ、テレビでも報道されたんですけど、「比較してくれるな」の無言のオーラ、放ってましたね、彼女。で、しかも、この時の日本の取材陣なんて、ソランジュの趣味的なこととか全く知らないでしょうから、すごく一般向けの「ザ・芸能界」な感じのプロモでしたね、これは。

 

 

で、その後、ソランジュは待てども待てども音源の話がありませんでした。ニューヨークでDJやってるとか、そういう話は聞いてたんですけどね。一説には鬱になったとか言われてもいて心配してたんですが、2014年に

 

 

 

 

「True」というEPを出して、これが好評を博します。このEPはブラッド・オレンジことデヴ・ハインズとのコラボレーションです。今振り返ると、ちょっとデヴ色強すぎたかなと思うんですが、与えた印象はかなり良いものでした。

 

 

で、もう、この映像センスとファッション・センスで、もうかなりサブカルよりになったの、わかりません?ここから彼女の表現スタイルがガラッと今に近づいてきます。

 

 

それには

 

 

 

 

現在の夫のアラン・ファーグソンと結婚したのもこの頃です。彼はフォールアウト・ボーイの一連のMVから、ジャネール・モネエのMVなど、かなり手広く手がける売れっ子なんですが、彼が彼女のヴィジュアル面での洗練されたイメージを引き出すのに大きく貢献します。

 

 

で、こうした妹に徐々に影響されだしたか、姉ビヨンセの作風も2013年くらいから変わってきます。それまではどちらかというと、幼い頃からの「タレント・ショー」のクイーンだったが故か、勢い「歌ってて気持ちいい」タイプのものから、もっと刺激的なビートやサウンドを作り上げるプロデューサーを吟味して選ぶようになってきましたね。僕はこれ、妹からの影響だったんじゃないかと睨んでます。

 

 

そして、そんなビヨンセ姉さんが、ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・ケーニッヒやジャック・ホワイト、ジェイムス・ブレイクなども参加した自身の最高傑作「Lemonade」を出した数ヶ月後の2016年9月

 

 

 

 

ソランジュはアルバムとしては「Sol-Angel」から8年ぶりとなるアルバム「A Seat At The Table」を発表しますが、これが

この年の年間ベストの一つとして大絶賛されました。

 

 

僕、このアルバム、最初、「ちょっと地味かな」と思って、最初はピンときてなかったんですよ。どこか「Sol-Angel」みたいな華やかさを求めているようなところおあって。

 

 

でもですね

 

 

 

 

この2曲のMV見て、このあまりにハイ・アートな完成ぶりに、「やっぱりこれはただ事じゃないな」と思って聞き直して、改めて衝撃を受けたんですよね。

 

 

音数を絞るだけ絞った簡素なサウンドの中に、予てから彼女が好きだった60sと70sのオーガニックな感触のメロディとグルーヴを備え、それを「Sol Angel」の時から定評のあった華やかな彼女自身のハーモニー多重録温で花を添える。そして驚いたことに、このアルバム、全作詞作曲、彼女自身になっていました!

 

 

で、参加メンツの人選も見事だったんですよね。全体の監修が90sの名ソウル・バンド、元トニ!トニ!トニ!のラファエル・サディークで、彼を軸にしながら、ダーティ・プロジェクターズやTVオン・ザ・レディオといったニューヨークのインディ・ロックの友達もしっかり入れてね。そうかと思ったら、この時期に忘れられかけてたサウス・ラッパーのマスターPがトークで参加するという、不思議な展開もあったりね。

 

 

そういうこともあってか、このアルバムは評判も高く、かつ、セールスでも全米1位になるなど、名実ともに注目されるアルバムとなりました。

 

 

・・で、それから2年半。今回満を持して

 

 

 

 

この新作「When I Get Home」となったわけですが

 

 

もう進化が止まらない!

 

 

絶賛された前作を元にはしつつ、そこから全く歩みを止めてはいないですね。

 

 

前作はメロディックでオーガニックでシンプルな、1曲1曲の楽曲素材の良さを大事にしたアルバムでしたけど、今回は

 

 

アルバム全体の流れを重視した、より未来志向のアルバムです!

 

 

で、しかも未来志向と言っても、これが絶妙に「レトロ・フューチャー」っぽいのが味があるんですよ。聞いててこのあたりを思い浮かべました。

 

 

 

 

トッド・ラングレンの「A Wizard A True Star(73)」、スティーヴィー・ワンダーの「Songs In The Key Of Life(76)」、そしてジョニ・ミッチェルの「Hejira(逃避行)(76)」ですね。

 

 

上の2つに関しては、今回大活躍の初期型のシンセサイザーですね。モジュラー通した、生々しい電子音の感じ。おそらくモーグ・シンセだと思うんですけど、あの当時の単音シンセが出す生々しい未来感が今も十分に未来的にひびくのをこのアルバム、証明してますね。それがまず、すごくかっこいいです。

 

 

それプラス、ジャズ期のジョニのそのアルバムは、女性イノヴェーターとしての佇まいと、甘さを抑えたメロディと、ちょっとどことなく、ジャコ・パストリアス風なフレットレス・ベースの浮遊感のようなものを感じるからですね。

 

 

いずれも、あの当時を代表するイノヴェーターですが、彼らを思い浮かばせるあたりが、もうソランジュ、立派なクリエイターですが、今回はそれを

 

 

 

 

ただ、踏襲するだけじゃなくて、今現在の先端な編集感覚のフィルターを通して行ってるんですね。上がティエラ・ワックの「Whack World」、下がアール・スウェットシャツの「Some Rap Songs」と、昨年絶賛されたアヴァンギャルドなヒップホップで、1曲平均が1分台で、それらの短い曲をコラージュした、新しいタイプのヒップホップ・アートだったんですが、ソランジュは、それをそのままそっくりにはやらなかったものの、30秒のインタールードを挟み、2〜3分程度の長さの曲をつなぎ、「19曲39分」の長さでそれをやっています。

 

 

まあ、上のトッドのアルバムがその作りに近いんですけどね。あれも1分台の曲でつないで、という手法でしたから。

 

 

 

 

これがその当時のトッドのイメージ写真ですけど、今回のソランジュのジャケ写になんとなく似てません(笑)?

 

 

あと、今回も参加メンツ、絶妙ですね。全体は前作と同じく、ほとんどの曲がソランジュの単独で作られたもので、全体プロデューサーとして、ジョン・キャロル・カービーという、白人のキーボード・プレイヤーがプロデュースに回ってます。

 

 

今回はそこにタイラー・ザ・クリエイターやパンダ・ベア、サンファといった、いかにも彼女が好みそうなメンツから、メトロ・ブーミンやグッチ・メイン。プレイボーイ・カルティといったトラップ系のアーティストも参加してますが、彼らにほとんどトラップらしいことをさせず、あくまでソランジュの世界に染めてしまう力強さもあります。

 

 

って、この記事の最初の方から比べると、エラい成長でしょ?ここまで来るのにはもちろん才能もあったと思うんですけど、彼女自身のかなりの努力があったかと思われます。尊敬しますね。

 

 

このアルバムで、ソランジュのシーンにおけるカリスマティックなポジションが決定づけられると思いますね。

 

author:沢田太陽, category:評論, 23:59
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ビートルズの1964年のチャート独占の記録に実質的に並ぶのは想像以上に困難であることが判明した件について

どうも。

モンキーズのピーター・トークが亡くなってしまいました。残念です。モンキーズの物故者は彼で2人目。彼はベース担当で、モンキーズの劇中ではビートルズで言うところのリンゴ、つまりちょっとトボケたキャラクタ)ーを演じていました。でも、そういうキャラの人はそれ故に結構愛されるんですよね。ご冥福をお祈りします。

僕はモンキーズって、ガレージ・サイケの観点からすっごく好きで、今日もこの追悼ニュースを聞いた後に曲数の多めのベスト盤をダウンロードして電車の中で聞きましたけど、そうしているうちに

本家ビートルズのことを思い出していました。やっぱ、モンキーズが彼らを意識して作られたバンドだから、どうしても聞いてて思い出すんですよね。

そこで、いろんなことを考えていて「あっ!」と思ったんですよね。

こないだの全米チャートで、大事なこと思い出すの忘れてた!

こないだの全米チャートというのは

アリアナ・グランデが全米シングル・チャートの1、2、3位を独占した話をしましたよね。

僕はこの記録自体は、さほど驚かなかったんです。だって、すでにエド・シーランとドレイクが近い記録を持ってたし。現行の、ビルボードのチャート・システムだと、アルバム解禁週に、その時代を代表するトップクラスの人気アーティストなら、トップ10を独占するようなことが十分あり得ることになってしまっているから。そうなると、これからは年に数回はこういう独占が起き、記録そのものは大きな意味を持たなくなる。そう思っていました。

だから正直な話、「メディアの騒ぎ方が大袈裟だな」と思っていました。

が!

そのメディア自体も9割がた伝え損ねていたし、僕自身もすっかり忘れていたことが一点ありました。それは

ビートルズのトップ3独占って、たったの1週間じゃない!

そのことを思い出したんですね。お恥ずかしい話、僕、この件は2014年1月25日にjugemのブログの方で書いていさえもしていました。ゾックリ同じことでこそなかったですけどね。

ビートルズって

トップ3独占なら5週記録してるんですよ!

ずっと「トップ5独占を記録」ってことの方で覚えがちじゃないですか、だから「トップ3が何週」とかって普通は考えにくいじゃないですか。だから忘れてたんですけど、よくよく冷静に考えたら「トップ5に5曲も送り込む時点で、トップ3独占なら結構な週数行ってるんじゃないの?」と思ってですね

我が家の宝の一つですね。この「ビルボード・トップ10ヒッツ」1958〜68。これは、その期間のすべての週のビルボード・シングル・チャートのトップ10ga掲載されている本なんですが、それによると、ビートルズのトップ3独占は、以下のようになっていました。

1964.3.14
1.抱きしめたい
2.シー・ラヴズ・ユー
3.プリーズ・プリーズ・ミー

1964.3.21
1.シー・ラヴズ・ユー
2.抱きしめたい
3.プリーズ・プリーズ・ミー

1964.3.28
1.シー・ラヴズ・ユー
2.抱きしめたい
3.ツイスト&シャウト

1964.4.4
1.キャント・バイ・ミー・ラヴ
2.ツイスト&シャウト
3.シー・ラヴズ・ユー
4.抱きしめたい
5.プリーズ・プリーズ・ミー

1964.4.25
1.キャント・バイ・ミー・ラヴ
2.ツイスト&シャウト
3.ドゥ・ユー・ウオント・トゥ・ノウ・ア・シークレット

3月14日から4月4日に4週連続、2週おいて4月25日にまた達成しています。4週目の4月25日にトップ5独占のおまけつきです。

そう考えると、これ

64年のビートルマニアの域に達するには、ストリーミングの時代になってもかなり難しいと言わざるをえません。

なぜなら、アルバムの解禁週なら、みんな一斉にダウンロードに走るから、数字高いに決まっているじゃないですか。だけどそのテンションを、アルバムから同時に3曲も保つというのはかなり大変なものです。

ましてや今。1964年とは比べ物にならないくらい楽曲数も多いし、利用するキッズも移り気だったりしますからね。特定のアーティストだけのヒットになる状況は簡単にはやっては来ません。

なので、アリアナも3月いっぱいくらいまで今回のトップ3を継続すれば、その時こそ本当に「ビートルズに並ぶ大記録」だとは思うんですけど、そこまではさすがに難しいでしょうね。ただ、気持ちとしては、何週かは粘るようだと面白いですけどね。

この次にこのトップ3独占の記録が誰になるか。エド・シーランでもドレイクでもケンドリックでもブルーノ・マーズでもアデルでもテイラーでも誰でも誰でもいいですけど、この「5週」の記録に並ぶかどうか。見てみたいですね。でも多分、既存のアーティストじゃ無理なような。次のセンセーションになるような誰かが出てくるときに、それが起こるかどうか、でしょうね。

 

author:沢田太陽, category:評論, 06:43
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海外進出アーティストが「洋楽っぽくなる」という印象の本当の意味

どうも。

 

 

ナンバーガールの話に続いて、日本の音楽の話になりますが、同時にこれ、国際的な音楽の話でもありますので、そこのところに着目して読んでいただけたらと思います。

 

 

というのも、ネット上でこういう話を聞いたからです。

 

 

 

 

ONE OK ROCKのインターナショナル・リリースの第2弾アルバム「Eye Of The Storm」がリリースされた際のファンの反応に「もはや洋楽って感じだよね」とネガティヴな声があった、というんですね。

 

 

それに対して「そんな感じだから、邦楽ファンは狭量なんだよ」という意見も起こっていました。

 

 

これに対して僕は「ん?」という印象を持ちました。「洋楽っぽいのは元からじゃん?」と。ONE OK ROCKってブラジルでもそこそこファンベースはあってですね、僕の直接知ってる知人でも「日本でこんなフォール・アウト・ボーイみたいなバンド、いたんだね」と言ってるのを僕との会話で2回聞いたことがあったくらいですから。2回くらいサンパウロにも来てて、1000人規模のハコ、埋めてますからね。さらに前作って、そんなに以前からの印象と変わってない印象で、英語メディアで音楽情報追ってても自然と情報が入っていたので、「ファンベース、地道に重ねられる感じなんじゃん」と思ってました。

 

 

なので、どういう意味かを確かめたくなって聞いてみました。そして意味がわかりました。

 

 

これ

アメリカのメジャー・レーベルが「こうしたら売れるよ」と考えがちな音

 

そして、こうも思いました。

これ、日本のアーティストがメジャーで海外進出するときに伝統的にやりがちなことなんだよな

 

ということですね。

 

 

なんか、今回のONE OK ROCKってラウドロックというよりは、むしろイマジン・ドラゴンズとかのイメージですよね。もいう一歩進めればバスティールとか、そんな感じの。それって、今のアメリカのロック系のラジオが好んでかける感じなんですよ。なんか「EDMをバンドでやる感じ」というか、そこにメロディ的にはフォーキーなテイスト入れるというか。あと、編集点多い感じね。一回、バックの音消してヴォーカルだけにして畳み掛けて盛り上げる感じとか特に。「グレイテスト・ショーマン」のサントラとか、そういう作りでしたね。

 

 

だけど、そうすることによって「えっ、今までの”らしさ”は?」という声もあるとは思うんですよね。例えばこれ、同じく「ポップになった」と言われるブリング・ミー・ザ・ホライズンとは似てるけど違うものなんですよ。BMTHの場合、彼らのセルフ・プロデュースなので、エレクトロの加減もハードの加減も自分たちで調節してやれている感じがするから筋は通って聞こえるんですよ。ところがONE OK ROCKの場合は、一人のプロデューサーに任せた作りになってるでしょ。そこのところで、なんかこう、「仕立てられちゃったかな」の感じが、なんかしちゃうんですよね。

 

 

そこのところを受けての、従来のファンたちの「洋楽っぽくなっちゃって・・」という距離感じゃないのかな、という気がしました。

 

 

ただですね、この違和感を感じたのは、僕はこれが初めてじゃなかったですね。一番最初に、これに近いことを感じたのは、もう40年前なのか、これ。

 

 

 

 

ピンク・レディの「Kiss In The Dark」。これは日本の特大アイドルだったピンク・レディが1979年から80年にかけてアメリカ進出した際のシングルです。これ、僕は小学校4年生の時でしたけどね。たいして好きだったわけじゃないですが、当時の日本のマスコミ、この2人一色だった時期ありましたからね。この時の彼女たちの進出プロジェクトって規模大きくて、アメリカのテレビのバラエティ番組のセミ・レギュラーみたいなことまでしてたんですよね。その結果、この曲が全米トップ40で37位だったかな。上がったので。まあ、それなりの成功といえばそうなんですが

日本での人気、急落したんですよ

それは、「日本での活動に穴を開けたから」というのが大筋の意見ではあったんですが、子ども心にこれ、違和感あったんですよ。「これまでの路線と、あまりに違わない?」と言うね。もちろん、この当時、「日本の歌謡ポップスなんて日本でしか通用しないよ」というのが社会通念としてはあったと思うし、「郷に入れば郷に従え」はある種当然だったのかもしれないです。ただ、いかにアイドルとはいえ、筋の通ったサウンド・イメージって、子どもながらに感じられていたものなんですよね。彼女たちの場合、ソングライター・チームもずっと同じだったし。だから、なんか「あ〜あ、変わっちゃったよね」と言うのはどうしても感じましたよね。で、この後、2年くらいして、ピンク・レディ解散しましたからね。

 

 

これと同じ轍として

 

この聖子ちゃんの1990年のアメリカ進出の「The Right Combination」もありましたね。これなんて、この当時、人気絶頂だったニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのドニー、今分かりやすく言うなら、マーク・ウォールバーグの兄貴ですよ。そのデュエットという、かなりの金額かけたデビューだったのに、これが全米で55位までしか上がらなくて、その後になんか頓挫しましたね。

 

 

これもねえ。それまでのイメージから、あまりにも違うことしちゃった感が強かったですね。仮にも日本で50〜100万人くらい、それなりの数惹きつけていた路線ってあったわけで、それをうまく英語仕様に転化すればよかったのに、と大学生だった僕は思ったものだったんですけど、まだ「日本のものなんて海外で通用しない」と思われてたのかなあ。彼女もこのあと、日本で以前ほどは・・という感じになりましたからね。

 

 

あと、ロックだと、これがありましたね。

 

 

 

 

ラウドネスの「Thunder In The East」ですね。このアルバムも1985年に全米チャートで74位まで上がるヒットになって、この次のやつがもう少し数字がよかったのかな。彼らも当時全米進出成功のイメージありました

これ聴いた時、「えっ、こんなバンドだったっけ?」という驚きはありました

 

彼らって、デビューした1982年頃って、イメージとしてはアイアン・メイデンとかに代表されるNWOBHMに近い印象だったんですよ。僕、当時、中学生でしたけど、そのあたりのメタルって「怖そう」という印象持ってて(笑)、見事にその感じだったんですよね。

 

 

ところが、このアルバムを耳にした時、「あれ?」って思ったんですよね。エラく聴きやすくなったというか、むしろ、ラットとかモトリー・クルーみたいな、カラッと(その当時の感覚で)聴きやすい感じになって。

 

 

 

 

ルックスも、この当時の典型的なヘア・メタルのバンドみたくなってますよね。今気がついたんですけど、アイライナー入れてたんですね。

 

 

確かにこの当時にメタルがイギリスで下火になって、大きなマーケットがアメリカに移ったから、という事情はありました。それは理解できるし、そこに対応したからその数字だったとも思うんですよね。日本でも、そこのところは理解されてたから、前述のピンクレディとかみたいに、日本で人気がガタ落ちする、みたいな印象もなかったです。

 

 

ただなあ。それがゆえに彼らは「時代感」と強く結びつけられた感は否めないかなあ、今の国際的なラウドロックの界隈からラウドネスという名前は聞かないですからね。逆に、日本のメタル界隈でバカにされてたはずのX JAPANの方が、特に海外仕様にしなくてもいつの間にか海外でファンベースができてて、2010年代前半の海外ツアーで人もかなり入って、イギリスでドキュメンタリー映画のサントラが全英チャートで27位まで上がったのと比べると、現状での国際的な認知度の差はかなり出来てるのは現実です。

 

 

この3つの例だけじゃないですね。オフコースの英語版リリースとかあったし、レベッカ解散後のNOKKOとか、さらに言えば荻野目洋子(!)とか、細かいのまで拾っていくと25年以上前まで、それなりに色々試みあったんですけど、なんか「かみ合わず、それまでの印象ともちょっと・・」というのが割とパターンとして続いてましたね。10年くらい前だったかな。宇多田ヒカルの「UTADA」名義の2枚目の方にもそれ感じましたね。1枚目はそうでもなかったけど。その根底には、「日本の音楽なんて、海外じゃ相手にしてくれないよ。だいたい、言葉も違うし」みたいな通念があったとおもうんです

 

 

が!

今や、時代が全く変わってしまった!

 

今、ストリーミングの時代になって、世界中の人たちがケータイからいろんな国の音楽が聞けるようになってしまった。そうしているうちに、「英語じゃなくてもいいと思ったら聞く」という人が飛躍的に増えてしまった。だから、Jバルヴィンとかマルマとかのコロンビアのレゲトン・アーティストでも、BTSとかブラック・ピンクとかのK-POPも、母国でやってるサウンドのイメージを変えないで国際的に成功できるようになった。それだけ、特に若い人の間で、「英語じゃなきゃ」という感覚は消えてきてるんですよね。

日本の音楽に対してでもそうですよ。以前にもここで書きましたけど、「Mitskiのファンサイトで、椎名林檎とかナンバーガールとか、1970年代のシティ・ポップとか密かに人気だよ」という事実があったりもします。その例じゃなくても、サンパウロでアジカンとかマキシマム・ザ・ホルマンとか、そこそこの規模のライブハウスで公演やって、「そこそこ人、入ってる」という話も聞いてるんですよ。もう、youtubeやストリーミングを介して「勝手に聞いてもらっている時代」に入ってるんですよね。

 

 

それを考えると、今回のONE OK ROCKって、「なんか、懐かしい感じのこと、しちゃったんだなあ」という感じでしたね。確かに、国際的に見て、彼らのやってるようなラウド系のロックって、一般目線で言えば人気落ちてることは事実です。でも、まだコアな層つつけばそれなりの人気も保てるものでもあります。今、特にその界隈って、「これからの若い、目玉になるバンド」って欲しいとこですからね。チャンス、あるはずなんです。そこを、この感じで来た、というのはどうなんだろうとは思います。

 

 

わかんないですよ。僕の感じ方の方が間違ってるのかもしれないし、もしかしたら何かがキッカケで火がついたりするかもしれません。「いや、誰かにやらされたんじゃなく、彼らから望んでそうしたんです!」という反論もあるかもしれません。おそらく、本人たちの意図としてもそうだったんだとは僕も思います。

 

 

ただ、今回の「もう、洋楽だよね」とそれまでのファンが感じた方向性はかなりリスキーだとは思います。そしてそれが、「だから邦楽ファンって、了見狭いんだよ!」ということでは必ずしもない気がしています。

 

author:沢田太陽, category:評論, 02:01
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2019年はビリー・アイリッシュの年になる!

(現在、noteでも当ブログは展開中です。そちらのアドレスはnote.mu/themainstream)

 

 

どうも。

いやあ、本当は今日は映画評書くつもりだったんですよ。でもね、これを聞いてしまってから、どうしてもこれ以外に考えられなくなったので、結局、このことについて書きます。

今日、ビリー・アイリッシュのニュー・シングルが発表されました。これと同時にデビュー・アルバムがいつ出るか、タイトルがなんて名前なのかも発表されました。

このアートワークからして、マイケル・ジャクソンの「スリラー」の最後の「ウワ〜ッ、ハハハッ!ウワ〜ッ、ハハハッ!」というヴィンセント・プライスの高笑い思い出してしまいそうになりましたけども、MVも早速上がっています。

なかなかホラーっぽいんですけどね。

ただ、MVでなく、この曲を聴いた時、僕、ちょっと背中がゾクゾクッときたんですよ。

うわっ、これ、今年もう、決まっちゃったかも!
 

冗談抜きで、本気でそう思っちゃいましたね。この曲、この時代のアンセムになっちゃうかも。そういう、ちょっと確信めいたものまで感じました。

というのも、これ、登場タイミングが絶妙すぎるんですよね。今、ビリーって、一昨年の夏に出たEPが、ちょっと屈折したタイプのキッズの間でジワジワとカリスマ的な人気が出てきてるんですね。今、英米ともに、このEPがアルバム・チャートの10位台まで上がってきています。さらに言えば、こないだも言いましたけど、ビルボードのシングル・チャートの下の方に4曲も曲、ランクインさせている。さらに言ってしまえば、もう、本っ当の人気アーティストしかランクインしない、Spotifyの世界チャート「グローバル50」で、彼女、一人だけ浮くように、アリアナ・グランデとか、ドレイクとかポスティとかの中に混じって入ってるんですよね。

僕って、もう昔から、こういう「ヒットチャートの上位に、一つだけ異質なものが入ってるぞ」みたいなものにカタルシスを覚えるクセがありまして、そういうものこそにロック、オルタナティヴな匂いを感じるんですけど、今、まさにビリーがその存在になりつつありました。

で、そのタイミングに、この「Bury A Friend」でしょ。ちょっと「若き教祖様」的な感じになりつつあったところに、絶好なものが行ったわけです。

この「Bury A Friend」というのは直訳すると「友達を埋めろ」で、字面的にかなりショックですよね。それも

前の曲での彼女のこういう猟奇的なアートワークのイメージに合ったりもするものですが、この曲でいう「Friend」というのは、彼女曰く「自分の中にあるモンスター」。このモンスターを自分の中からいかに取り払うか。でも、そのモンスターというのは他ならぬ自分でもあり、やろうとしてもそう簡単なことでもない。

これ聞いて、「うまいなあ」とうなりましたね。これ、いろんなことで悩んでいる人のハート、刺しますね。それは小さな悩みでもいいし、あるいは鬱だったりとか、人によってはドラッグとかかもしれない。そうした負の苦しみを持つタイプの人には、これは響くし、それこそ彼女のファンに多そうなタイプじゃないですか。彼らにとってのアンセムになると思います。

しかも、そういう曲を歌うのが、「ロックよりもむしろヒップホップの影響の方が強い女の子」というのがこれからの時代ぽいし、それをハリウッドのティーン・ムーヴィーに出てきそうな、ちょっと物憂げな美少女が歌うという構図もなんかドラマティックじゃないですか。エルヴィスとかカート・コベインがブ男だったらロックの歴史も多少違ったものになってたような気がするんですけど、こういう、なんか「もしかして時代、変わるかもよ」みたいな時に、なぜか絵的に美しい人、用意されるんですよね。

しかも、ビリーがすごいなと思うのは、「作られた感」というのが実はほとんどないことなんですよね。だって、この曲含め、これまで世に出た曲って、ほとんど全部

彼女と、4歳年上のお兄さんが書いて自分らでプロデュースした曲だから
 

この隣にいるのがその人で、名前をフィネアスっていうんですけど、彼とて4歳上と言っても、まだ21歳ですよ!そう考えたら、すごいことでしょ?

こういう姉弟チームって、ポップ・ミュージックの歴史の中でも、ちょっと珍しいでしょ。しかも、お兄ちゃんの方が裏方で妹を立てるという。これもかなり現代的じゃないですか。その昔、こういう「兄妹」って、カーペンターズの例だけはありますが、あれとももちろん、明らかに違うわけでね。

ということもあって、この二人、ビリーが歌っている曲の世界観のみならず、「彼らの世代が憧れる理想のクリエイティヴ・チーム」としても憧れられる要素強いと思います。

で、この「Bury A Friend」。もう早速動きが出ています。これストローミング解禁になった、まさにその日にですよ、アメリカのキッズに絶大な人気を誇る歌詞検索サイト、Geniusにおいてアリアナ・グランデの「Seven Rings」についで、いきなりもう2位です!このサイト、普段は上位に入るのドレイクとかケンドリック・ラマーとか、トラップ系のラッパーばかりなので、これがいかにすごいことかはわかるでしょ?

そしてアルバムのリリースですが、タイトルは「When We All Fall Asleep, Where Do We Go」という、「Bury A Friend」の中の歌詞の引用から出てきたものです。さらに発売は3月29日です。

ただ、3月29日だと、僕は個人的にはちょっとガッカリすることがあるんですけどね。それは

ラナ様の新作の発売日と同じじゃないか!

う〜ん、これでラナ・デル・レイ、次のアルバムはどこの国でも初登場2位になっちゃいますね。彼女も国際的にどこの国でもカリスマなんですが、さすがにセールスで今のビリーには叶わないですからね。ぶっちゃけ、ドレイクやらケンドリックが、突然この日にアルバム・リリースとか言いださない限り、ビリーが全世界的に1位になると思います。

ただ、もう既にこういう写真が出回っているほど、ラナもビリーのこと、すごくかわいがってます。ビリー自身も、ヒップホップ以外の、メランコリックな部分のルーツとしてラナを具体名あげてリスペクトしてたりもしてますからね。なので、アルバム・リリース日はちょっとした師弟対決でもありますかね。

いずれにせよ、アルバム・リリースまで、すごく楽しみになってきました。

 

 

 

author:沢田太陽, category:評論, 18:55
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ブリング・ミー・ザ・ホライズンとライヴァル・サンズに見るハードなロックの今後

どうも。

 

1/25の配信で気に入ったアルバムなんですが、この2アーティストでしたね。

 

 

はい。ブリング・ミー・ザ・ホライズンとライヴァル・サンズという、自分でも結構意外な結果になりました(笑)。BMTHの方は、前のアルバムから結構気に入ってたので自分的には他の人が思いそうなほどにはそうでもないんですけど、ライヴァル・サンズは予想外だったかな。

だって、コナー・オバーストとフィービー・ブリッジャーズの共演作があまりにも「まんま」すぎて新鮮味なかったりしましたからねえ。そういうこともあり、今週はBMTHとRSです。

 

BMTHですが

 

 

この「AMO」というアルバムですね。こちらは今、彼らの本国イギリスで、中間発表ですけど、どうやら1位、取りそうな感じです。あちらじゃもうフェスのヘッドライナー・クラスですからね。

 

ただ、このアルバムの評価をめぐってはハッキリ言って、とりわけファンの間でかなり割れてます。僕自身も「ポップに魂売りやがって」みたいなことを書きなぐる英語の罵詈雑言、かなり見ています。

 

そりゃ、そうでしょうね。だって、もともと「メタルコアの期待の星」としてその界隈の熱い支持得てたタイプのバンドがだんだんメロディックになって言った結果、今回

 

 

グライムスと共演まで行っちゃったわけだから!

 

これ、しかも、BMTHの方がグライムスに寄っちゃった、かなりEDM色の強い曲ですからね。これは、メタルというか、ラウドロックの免疫しかない人にはツラかったんじゃないかな。

 

あと、アルバムの中だと、まんま1曲、グリッチ・テクノのインストあったりもしますからね。

 

このアプローチだと、さすがにキツかった古くからのファンは多かったと思いますね。これ以外にもザ・ルーツのラーゼルのラップをフィーチャーした曲なんかもあったりしてね。

 

2015年の前作を聞いた時に僕は「後期のリンキン・パークがやろうとしてうまくできてないことをうまくやれてるよね」という感じで、ラウドロック系のバンドにしてはエレクトロの導入の仕方とかうまいなと思っていたんですね。ただ、それというのは「ラウドロックの領域内」でそれをやっていくものだとばかり思っていたら

 

もう、ラウドの領域さえ、踏み越えてしまった

そんな感じですね。

 

でも、僕は、「それだからこそ面白いじゃん!」と素直に思いましたね。

 

これ、思うに、本人たち的には「ラウドロック内で他ジャンルの吸収がうまい」程度の認知じゃ満足できなくなったのかもしれないですね。「ラウドでも、インディ・ロックや、ポップのファンにでも通用するもの」。そういう包括的でスケールの大きなものを作りたくなったんじゃないかな、と。

 

その意味で言えば、これ、THE 1975の新作とマインドが同じなんですよね。ただ、ルーツにしている音楽と、振り幅の差が若干あるだけで。THE 1975の新作を去年の11月にこのブログでやった時にその野心を僕は絶賛しましたけど、その気持ちはBMTHにもありますよ。

 

というのも、ロックって、もともと、そういう発展の仕方をしてきた音楽ですよ。同時代的に勢いのある他ジャンルの音楽も吸収しながらサウンドを発展させてきた歴史があるじゃないですか。

 

それこそ

 

 

こういう最高の見本が世界的に再評価もされているわけじゃないですか。その音楽的足跡、今一度思い出すべきです。レッド・ツェッペリンだってしかりです。

 

あと、BMTHの場合、今回僕が気に入ったのはエレクトロだけじゃないですね。初期のグランジみたいな、粗野でゴリゴリしたリフの音色にもセンスを感じたし

これのサビのメロディとかも、すごくセンス感じますしね。力ありますよ。

 

THE 1975同様、いい意味で「出る杭」になってほしいバンドです。

 

続いてライヴァル・サンズですけど

 

 

BMTH同様、彼らもこれが通算6枚目になるんですけど、この「Feral Roots」というアルバム、これが同じく全英チャートの中間発表で10位につけています。彼らをこれまでに知らなければ「すごい!」となりますが、ここにトップ20なら2回記録しています。あと北欧3国ではすでにトップ10の実績があって、ドイツ、フランス、イタリアでもチャート実績があったりと、ヨーロッパではすでにかなり大物だったりします。

 

そんな彼らですが、こんな感じです。

なんか、グレタ・ヴァン・フリート的に聞こえません?こっちの方が全然先なんですけどね(笑)。

 

このジェイ・ブキャナンってシンガーの声質からしたら、例えばGVFがツェッペリンなら、このバンドはさしずめ、ハンブル・パイの時代のスティーヴ・マリオットとか、そんな感じかな。曲にもよるけど、ザ・フーの70年代以降のロジャー・ダルトリーみたいなところもあります。

 

勢い、ジェイのソウルフルな歌い方に注目集まりがちなバンドなんですけど、今回、僕が気に入ったのはズバリ「録音」なんですよね。音の撮り方がものすごくシャープで、余計な添加物が一切ない感じでね。それは70sのモコモコ感とも微妙に違うし、80sの過剰すぎる装飾とも全く違う。むしろ、90sのブレンダン・オブライエン(パール・ジャムとかRATM etc)とか、00sのホワイト・ストライプスを通過した感じですね。芯の部分だけを切り取って、その生々しい音の中からソウルやブルーズを自然にあぶり出す感じというかね。そういう、時代の系譜の流れを経た末での原点回帰であり、ただ単に昔風にやったものを意味もなく録音したわけではないですね、これは。

 

で、彼らがそういう音をなぜ作れるのか。今回、その答えがハッキリわかりました。それは

 

 

はい。このデイヴ・カッブという人なんですが、彼、今、オルタナ・カントリー界の超重要プロデューサーです。メタル周りの人じゃないんですよね。

 

彼が手がけているアーティストというのは、カントリーの中でもすごくロック的に尖っている人たちばかりです。ジェイソン・イゾベルにクリス・ステイプルトン、スタージル・シンプソン。それから、今年のグラミーで主要部門で複数ノミネートされて話題のブランディ・カーライル。彼らはいずれも、カントリーだけでなく、ロックンロール、ソウル・ミュージック、ブルース、ゴスペルなどのルーツ・ミュージック全般の基礎値が非常に高い人たちです。そういう「ルーツ・ミュージックの達人」を多く手掛けるカッブがデビューの時からずっと面倒見ているバンドがライヴァル・サンズです。ブルージーでソウルフルな感じが全くうそっぽくないのに説得力あるでしょ。

 

ライヴァル・サンズはそんなサウンドしてるのに、なぜかアメリカだけ商業的に売れてなかったんですけど、このアルバムからカッブがアトランティック傘下に作ったオルタナ・カントリーのレーベルにメジャー移籍したので、アメリカでも人気が出るかもしれません。

あと、今、オルタナ・カントリーといえばこれですよ。

この「スター誕生」でブラッドリー・クーパーが歌うタイプの音楽です。これがまさにオルタナ・カントリーの一種なんですが、フツーのブルージーなハードロックでしょ?これを例えば、カントリー界の大御所ウイリー・ネルソンの息子のルーカス・ネルソンが作っていたりします。この映画で、このジャンル、かなり注目度、上がっています。

 

また、オルタナ・カントリーが絡まなくても、例えばグレタ・ヴァン・フリートもそうだし、ロイヤル・ブラッドもそうだし、HBOの「Vynyl」ってドラマの主題歌に使われてヒットしたキャレオってバンドもそうなんですけど、「オールドスタイルのハードロック」って、今、密かに勢力できつつあるんです。僕もロラパルーザ・ブラジルの時に彼らのライブ見てますが、客の反応、年齢問わず、すごくいいとこなんですよね。こういうところも僕がこのテのロックが「潜在的に需要がある」と思わせる強い理由になっていたりします。

 

この2バンドを見ることで、ちょっとロックの今後の流れの一部がちょっと垣間見れるような感じもします。

author:沢田太陽, category:評論, 19:34
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アメリカ人だって悩んでる!? 近年の「ロックの殿堂」選出に見る、ポップ・ミュージック批評の複雑さ

どうも。

 

 

では、今日は1週間前に発表になった、2019年度の「ロックの殿堂」の殿堂入りアーティストの話をしながら、ポップ・ミュージック批評の複雑さについて話すことにしましょう。

 

 

 この「ロックの殿堂」なんですが、近年、選出が思い切り迷走しちゃってます(笑)。ちょっと、今年の殿堂入りアーティストをみてください。

 

 

 

左上から、デフ・レパード、ゾンビーズ、ロキシー・ミュージック、ジャネット・ジャクソン、スティーヴィー・ニックス、ザ・キュアー、レディオヘッドの順になっていますが

 

なんか、一貫性、なくない??

 

そういう意見があってもおかしくないと思います。

 

では、なぜ、こういうことが起こってしまったのか。そのことについて今日はお話ししましょう。

 

 

)榲は委員だって「今っぽい感覚」で選びたい

 

ロックの殿堂の基本的な基準は「デビューから25年経過」が有資格の目安となります。なので、現在は「93年にデビュー」までがアーティストの対象です。

 

この基準でずっと来てて、ここ数年はですね、いわゆるインディ/オルタナティヴ系のロックやR&B/ヒップホップのアーティストが対象になってきていました。

 

これ、例えば最近の音楽の批評基準だと、「ビヨンセだってケンドリック・ラマーだって、ロックよりいいアルバム出してるくらいじゃないか」という理屈はわかると思います。これに関しては一部の選考委員も同じような考え方です。僕もそうですね。というのは、やはり1992年くらいで、ポップ・ミュージックの批評感覚がガラッと変わってしまっっているから。その頃くらいから、インディ・ロックやエレクトロ、R&B/ヒップホップが影響力の強い音楽になっていきましたからね。R&B/ヒップボップはある時期、ちょっと商業的になりすぎて離れちゃってましたけど、2010年代以降はまた戻ってきてますからね。

 

 

で、実際。そうなった方がいいんですよ。それはやっぱり、「女性と黒人を閉めださないでよくなるから」。ロックの悪い癖としてどうしても「白人男性優位的傾向」というのがあって、長らく女性、黒人は狭義の「ロック」というものには入りにくいところがあった。でも、それがエレクトロやヒップホップであっても、黒人や女性が「音楽的に、または社会的な意義上、価値観を変えるような刺激的なことをしていれば選んでいいんじゃない?」という考え方でそれを「ロック」として捉えて選ぶような傾向が出てきたのは、当時を生きた実感としてもやっぱりありましたからね。もう、92年と言わず、その前からマイケル・ジャクソンとかマドンナの例も既にありましたからね。

 

 

 で、ここ最近の殿堂入りにも、グリーン・デイだとか、トゥパック、NWAという名前が並ぶようになりました。もう、殿堂入りの基準も93年まで来てるわけですから、これからはどんどんそういう名前ばかりが対象アーティストとして増えてきます・・・

 

 

 

が!

 

頑なに時代の変化を拒む、クラシック・ロック派の抵抗

 

これがあるんですよねえ。

 

悲しいかな、「ロックの殿堂」のコア・ファンは、「80年代までのロックのファン’が圧倒的に多く、特にベイビー・ブーマーと呼ばれる戦後生まれ、1946年以降から1960年くらいの生まれの人が多い。となると、必然的に「70〜80年代のアーティスト」をどうしても好みたくなる傾向が強いんです。

 

で、彼らに言わせると、「ギターも持たず、曲も自分で作れないようなヤツがどうしてロックの殿堂に入るんだ」となるわけです。で、しかもクレーマーとしてうるさいんです(笑)。僕、クラシック・ロック系のメディアもfacebookで情報得てますけど、コメント欄、たまにムッとしますからね。「こいつら、マジでレイシストかよ。トランプに票入れるのってこういうヤツか」って思う時さえありますからね。

 

まあ、政治的なことはさておき、彼らが特に2010年代に入って、特定アーティストの殿堂入りのファン嘆願運動というのを始めます。それが例えばKISSとかラッシュとかの範囲だったらまだよかったんですよ。確かに、後年まで影響力は確実にあるバンドだったんで。ただ、それがだんだんエスカレートしてきて、「あいつが入るなら、こっちだっていいだろ」みたいな意見が批評性無視してデカくなりすぎたんですね。

 

 

そこでロックの殿堂は一昨年から、「選考委員ではないけれど、ロックの殿堂のサイト主催の一般ファンの人気投票で4位までに入ったら殿堂に入れよう」というお約束を作ったんですね。それで17年のときの投票が「ジャーニー、ELO、イエス、パール・ジャム」で、この時は「イエスって若い人に曲知られてないけど、まあいいか」だったんですけど、その翌年になると「ボン・ジョヴィ、ダイア・ストレイツ、ムーディ・ブルース、カーズ」になって、僕でさえ、「おいおい、勘弁してくれよ!」となりましたからね。

 

 

ボン・ジョヴィってファンは世界中に多いけど「ボン・ジョヴィでバンドを始めたって人は多いのか?」の疑問と、昔からずっとある批評性の低さはどうしても引っかかるし、ダイア・ストレイツ、ムーディ・ブルースに関しては、それこそ「1992年以降に新規のファン、ついたバンドなの?」というのがどうしてもある。僕から見たらオーケーなのはカーズだけですよ。ニュー・ウェイヴ経由で曲が後年まで知られてますからね。

 

 で、選考委員もそう思ったんでしょうね。だから

 

 

 

だから、このあたりがゴリ押されたんでしょうねえ。

 

「おいおい、なんだ、そんな年寄りくさいのばっかり入るのって、勘弁してくれよ!」。一部の若めの選考委員が反旗を翻したのは想像に難くありません。

 

 

だからなんでしょうね。今年はその「ファン投票」の結果で選ばれたのは

 

 

 

この2組だけでしたからね。

 

で、これも賛否両論なんですよ。「スティーヴィー・ニックスはすでにフリートウッド・マックで殿堂入りしているのに2度入る必要があるのか」。僕は彼女の大ファンだし、コートニー・ラヴやラナ・デル・レイなどからのリスペクトがあることも評価できるんですけど、2回入る必要はない。

 

 

で、やっぱり、ごめんなさい、デフ・レパードというのは、僕からしたらありえない。僕、中高の時、リアルタイムですごく好きだったんですけど、やっぱり全盛期が短かったのと、「オルタナティヴ時代以降」になった際の時代への対応の悪さ。ここはすごいマイナス・ポイントなんですよねえ。

 

 

それにプラスしてですね、ぶっちゃけ

 

 

デフ・レパードとアイアン・メイデンやスレイヤーだったら、現状、どっちが新作のセールスも、ワールド・ツアーの規模も、影響力も、後続のファンの数も多いと思います?そういうところの視点が足りなすぎるんですね。今のクラシック・ロックのファンって「僕らが若い時に活躍したスター」なら誰でも入っていいと思っているところがある。だけど、それって、自分の世代より若い人の視点からすれば寒いだけ、ということに気がついてない人がアメリカ人でも多すぎますね。だいたい、ディランだとかボウイとかみたいに、80、90年代のうちに一発で殿堂に入っていないから遅れて殿堂入りするくらい、もう「Aリスト」ではないアーティストが遅れて殿堂入りしてる時期なのにね。「評価しそこなって遅れて殿堂入り」させるなら、現状のことをもっと知らベて本当にその価値があるのか確かめてからやるべきだと思います。正直、ウェブ上の「フォリナーとかバッド・カンパニー、パット・ベネターを殿堂いりさせるべき」みたいな意見にはちょっと辟易してます(笑)。

 

 

改めて今回の殿堂ですが、興味深かったことが幾つかありますね。キュアーが入ったのは、この殿堂が基本的に弱点だったUKニュー・ウェイヴを強化する意味で重要だし、レディオヘッドはもう批評家好みのバンドの典型ですからね。本当は去年入ってもよかったのに、あのひどいファン投票に妨害されて1年遅れましたからね。ただ、今年もレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが犠牲になって殿堂入り遅れましたけど(苦笑)。あと、ロキシー・ミュージック、ゾンビーズあたりが入ったのも「ヒットの数よりも、もっとカルトファンが後年までいるアーティストを入れよう」という姿勢の表れですね。すごく評価できます。

 

で、今回最も面白いと思ったのが

 

 

ジャネットの選出です。

 

これはなかなか綱渡りな選択だし、この先の「ありか、なしか」を考える意味ですごく興味深いんです。

 

 

R&B/ヒップホップ、エレクトロ、アイドル、カントリーをどう批評するか

 

今後の「ロックの殿堂」というのは、クラシック・ロックのファンがどう抵抗しようが、92年以降の基準、ヒップホップやエレクトロ、アイドル、アメリカの場合だとポップ・カントリーも入ると思いますが、このあたりをどう扱っていくか、にかかっていると思います。

 

今回ジャネットが、ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーよりも先に殿堂入りしたことはすごく実は意味を感じることです。「なんでだ。この2人の方がジャネットより歌がうまいじゃないか」と思われる方もいるかと思われますが、ジャネットの場合

 

・プロデューサーと組んでの1枚のトータル・アルバム

 

・プリンスの影響を受けた80s後半の先進的なファンク路線

 

・実はその後のメロウ系R&Bの雛形を作っている

 

 

この3点においての意味があると思うんですね。

 

「ロックの殿堂」に入るためには、いくら他ジャンルとはいえ、アップテンポの曲に弱いと致命的にダメです。その点、バラッディアーのホイットニーとか、マライアには圧倒的に不利です。あとジャネットの場合は、プロデューサー取っ替え引っ替えしないで、ジャム&ルイスという彼女にとって絶対的なプロデューサー使ってアルバムをトータルで作るから「アルバムの意義性」がすごく重視される。これはアルバム重視のロックには好まれることだし、昨今のプロデューサー取っ替え引っ替えが当たり前のR&B/ヒップホップにとっても良い教訓になりうる。

 

 あと、ジャネット、歌は上手い人ではないですが、その分、丁寧に歌うんで、そのせいかどうかはわからないんですが、彼女の曲って、そのあとのR&Bのメロウな曲の雛形になりやすいんですね。アリアナ・グランデの「Thank You Next」聞いた時にそれをすごく感じたし、僕が年間ベストで入れたナタリー・プラスのアルバムあたりにもその影響感じましたけど、そういうとこでの影響力も考慮できるかなと。これもマライアとか、ホイットニーからは感じられないものなので。

 

 

 こういう、「ジャネットならアリでも、ホイットニーやマライアならダメ」みたいな線引きは、これから大切になってくるかと思います。「ジャンル全対応で誰でもいい」だったら、クラシック・ロックのファンじゃなく、普通のロックファンでも「それはロックじゃないだろう」と反論されることは必至になりますからね。「アリアナはアリだけど、デミとセレーナはまだまだでしょ」とか「ポスティも現状じゃまだありえないでしょ」みたいな感覚は必要になるかと思いますね。そうじゃないと、ただでさえ「曲、自分で作ってない」時点で弱いんだから、何かで挽回しないとダメに決まってます。そうしないと、MTVの音楽アワードとかと変わらなくなるわけでもあるしね

 

 

author:沢田太陽, category:評論, 19:16
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