RSS | ATOM | SEARCH
海外進出アーティストが「洋楽っぽくなる」という印象の本当の意味

どうも。

 

 

ナンバーガールの話に続いて、日本の音楽の話になりますが、同時にこれ、国際的な音楽の話でもありますので、そこのところに着目して読んでいただけたらと思います。

 

 

というのも、ネット上でこういう話を聞いたからです。

 

 

 

 

ONE OK ROCKのインターナショナル・リリースの第2弾アルバム「Eye Of The Storm」がリリースされた際のファンの反応に「もはや洋楽って感じだよね」とネガティヴな声があった、というんですね。

 

 

それに対して「そんな感じだから、邦楽ファンは狭量なんだよ」という意見も起こっていました。

 

 

これに対して僕は「ん?」という印象を持ちました。「洋楽っぽいのは元からじゃん?」と。ONE OK ROCKってブラジルでもそこそこファンベースはあってですね、僕の直接知ってる知人でも「日本でこんなフォール・アウト・ボーイみたいなバンド、いたんだね」と言ってるのを僕との会話で2回聞いたことがあったくらいですから。2回くらいサンパウロにも来てて、1000人規模のハコ、埋めてますからね。さらに前作って、そんなに以前からの印象と変わってない印象で、英語メディアで音楽情報追ってても自然と情報が入っていたので、「ファンベース、地道に重ねられる感じなんじゃん」と思ってました。

 

 

なので、どういう意味かを確かめたくなって聞いてみました。そして意味がわかりました。

 

 

これ

アメリカのメジャー・レーベルが「こうしたら売れるよ」と考えがちな音

 

そして、こうも思いました。

これ、日本のアーティストがメジャーで海外進出するときに伝統的にやりがちなことなんだよな

 

ということですね。

 

 

なんか、今回のONE OK ROCKってラウドロックというよりは、むしろイマジン・ドラゴンズとかのイメージですよね。もいう一歩進めればバスティールとか、そんな感じの。それって、今のアメリカのロック系のラジオが好んでかける感じなんですよ。なんか「EDMをバンドでやる感じ」というか、そこにメロディ的にはフォーキーなテイスト入れるというか。あと、編集点多い感じね。一回、バックの音消してヴォーカルだけにして畳み掛けて盛り上げる感じとか特に。「グレイテスト・ショーマン」のサントラとか、そういう作りでしたね。

 

 

だけど、そうすることによって「えっ、今までの”らしさ”は?」という声もあるとは思うんですよね。例えばこれ、同じく「ポップになった」と言われるブリング・ミー・ザ・ホライズンとは似てるけど違うものなんですよ。BMTHの場合、彼らのセルフ・プロデュースなので、エレクトロの加減もハードの加減も自分たちで調節してやれている感じがするから筋は通って聞こえるんですよ。ところがONE OK ROCKの場合は、一人のプロデューサーに任せた作りになってるでしょ。そこのところで、なんかこう、「仕立てられちゃったかな」の感じが、なんかしちゃうんですよね。

 

 

そこのところを受けての、従来のファンたちの「洋楽っぽくなっちゃって・・」という距離感じゃないのかな、という気がしました。

 

 

ただですね、この違和感を感じたのは、僕はこれが初めてじゃなかったですね。一番最初に、これに近いことを感じたのは、もう40年前なのか、これ。

 

 

 

 

ピンク・レディの「Kiss In The Dark」。これは日本の特大アイドルだったピンク・レディが1979年から80年にかけてアメリカ進出した際のシングルです。これ、僕は小学校4年生の時でしたけどね。たいして好きだったわけじゃないですが、当時の日本のマスコミ、この2人一色だった時期ありましたからね。この時の彼女たちの進出プロジェクトって規模大きくて、アメリカのテレビのバラエティ番組のセミ・レギュラーみたいなことまでしてたんですよね。その結果、この曲が全米トップ40で37位だったかな。上がったので。まあ、それなりの成功といえばそうなんですが

日本での人気、急落したんですよ

それは、「日本での活動に穴を開けたから」というのが大筋の意見ではあったんですが、子ども心にこれ、違和感あったんですよ。「これまでの路線と、あまりに違わない?」と言うね。もちろん、この当時、「日本の歌謡ポップスなんて日本でしか通用しないよ」というのが社会通念としてはあったと思うし、「郷に入れば郷に従え」はある種当然だったのかもしれないです。ただ、いかにアイドルとはいえ、筋の通ったサウンド・イメージって、子どもながらに感じられていたものなんですよね。彼女たちの場合、ソングライター・チームもずっと同じだったし。だから、なんか「あ〜あ、変わっちゃったよね」と言うのはどうしても感じましたよね。で、この後、2年くらいして、ピンク・レディ解散しましたからね。

 

 

これと同じ轍として

 

この聖子ちゃんの1990年のアメリカ進出の「The Right Combination」もありましたね。これなんて、この当時、人気絶頂だったニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのドニー、今分かりやすく言うなら、マーク・ウォールバーグの兄貴ですよ。そのデュエットという、かなりの金額かけたデビューだったのに、これが全米で55位までしか上がらなくて、その後になんか頓挫しましたね。

 

 

これもねえ。それまでのイメージから、あまりにも違うことしちゃった感が強かったですね。仮にも日本で50〜100万人くらい、それなりの数惹きつけていた路線ってあったわけで、それをうまく英語仕様に転化すればよかったのに、と大学生だった僕は思ったものだったんですけど、まだ「日本のものなんて海外で通用しない」と思われてたのかなあ。彼女もこのあと、日本で以前ほどは・・という感じになりましたからね。

 

 

あと、ロックだと、これがありましたね。

 

 

 

 

ラウドネスの「Thunder In The East」ですね。このアルバムも1985年に全米チャートで74位まで上がるヒットになって、この次のやつがもう少し数字がよかったのかな。彼らも当時全米進出成功のイメージありました

これ聴いた時、「えっ、こんなバンドだったっけ?」という驚きはありました

 

彼らって、デビューした1982年頃って、イメージとしてはアイアン・メイデンとかに代表されるNWOBHMに近い印象だったんですよ。僕、当時、中学生でしたけど、そのあたりのメタルって「怖そう」という印象持ってて(笑)、見事にその感じだったんですよね。

 

 

ところが、このアルバムを耳にした時、「あれ?」って思ったんですよね。エラく聴きやすくなったというか、むしろ、ラットとかモトリー・クルーみたいな、カラッと(その当時の感覚で)聴きやすい感じになって。

 

 

 

 

ルックスも、この当時の典型的なヘア・メタルのバンドみたくなってますよね。今気がついたんですけど、アイライナー入れてたんですね。

 

 

確かにこの当時にメタルがイギリスで下火になって、大きなマーケットがアメリカに移ったから、という事情はありました。それは理解できるし、そこに対応したからその数字だったとも思うんですよね。日本でも、そこのところは理解されてたから、前述のピンクレディとかみたいに、日本で人気がガタ落ちする、みたいな印象もなかったです。

 

 

ただなあ。それがゆえに彼らは「時代感」と強く結びつけられた感は否めないかなあ、今の国際的なラウドロックの界隈からラウドネスという名前は聞かないですからね。逆に、日本のメタル界隈でバカにされてたはずのX JAPANの方が、特に海外仕様にしなくてもいつの間にか海外でファンベースができてて、2010年代前半の海外ツアーで人もかなり入って、イギリスでドキュメンタリー映画のサントラが全英チャートで27位まで上がったのと比べると、現状での国際的な認知度の差はかなり出来てるのは現実です。

 

 

この3つの例だけじゃないですね。オフコースの英語版リリースとかあったし、レベッカ解散後のNOKKOとか、さらに言えば荻野目洋子(!)とか、細かいのまで拾っていくと25年以上前まで、それなりに色々試みあったんですけど、なんか「かみ合わず、それまでの印象ともちょっと・・」というのが割とパターンとして続いてましたね。10年くらい前だったかな。宇多田ヒカルの「UTADA」名義の2枚目の方にもそれ感じましたね。1枚目はそうでもなかったけど。その根底には、「日本の音楽なんて、海外じゃ相手にしてくれないよ。だいたい、言葉も違うし」みたいな通念があったとおもうんです

 

 

が!

今や、時代が全く変わってしまった!

 

今、ストリーミングの時代になって、世界中の人たちがケータイからいろんな国の音楽が聞けるようになってしまった。そうしているうちに、「英語じゃなくてもいいと思ったら聞く」という人が飛躍的に増えてしまった。だから、Jバルヴィンとかマルマとかのコロンビアのレゲトン・アーティストでも、BTSとかブラック・ピンクとかのK-POPも、母国でやってるサウンドのイメージを変えないで国際的に成功できるようになった。それだけ、特に若い人の間で、「英語じゃなきゃ」という感覚は消えてきてるんですよね。

日本の音楽に対してでもそうですよ。以前にもここで書きましたけど、「Mitskiのファンサイトで、椎名林檎とかナンバーガールとか、1970年代のシティ・ポップとか密かに人気だよ」という事実があったりもします。その例じゃなくても、サンパウロでアジカンとかマキシマム・ザ・ホルマンとか、そこそこの規模のライブハウスで公演やって、「そこそこ人、入ってる」という話も聞いてるんですよ。もう、youtubeやストリーミングを介して「勝手に聞いてもらっている時代」に入ってるんですよね。

 

 

それを考えると、今回のONE OK ROCKって、「なんか、懐かしい感じのこと、しちゃったんだなあ」という感じでしたね。確かに、国際的に見て、彼らのやってるようなラウド系のロックって、一般目線で言えば人気落ちてることは事実です。でも、まだコアな層つつけばそれなりの人気も保てるものでもあります。今、特にその界隈って、「これからの若い、目玉になるバンド」って欲しいとこですからね。チャンス、あるはずなんです。そこを、この感じで来た、というのはどうなんだろうとは思います。

 

 

わかんないですよ。僕の感じ方の方が間違ってるのかもしれないし、もしかしたら何かがキッカケで火がついたりするかもしれません。「いや、誰かにやらされたんじゃなく、彼らから望んでそうしたんです!」という反論もあるかもしれません。おそらく、本人たちの意図としてもそうだったんだとは僕も思います。

 

 

ただ、今回の「もう、洋楽だよね」とそれまでのファンが感じた方向性はかなりリスキーだとは思います。そしてそれが、「だから邦楽ファンって、了見狭いんだよ!」ということでは必ずしもない気がしています。

 

author:沢田太陽, category:評論, 02:01
comments(3), trackbacks(0), - -
2019年はビリー・アイリッシュの年になる!

(現在、noteでも当ブログは展開中です。そちらのアドレスはnote.mu/themainstream)

 

 

どうも。

いやあ、本当は今日は映画評書くつもりだったんですよ。でもね、これを聞いてしまってから、どうしてもこれ以外に考えられなくなったので、結局、このことについて書きます。

今日、ビリー・アイリッシュのニュー・シングルが発表されました。これと同時にデビュー・アルバムがいつ出るか、タイトルがなんて名前なのかも発表されました。

このアートワークからして、マイケル・ジャクソンの「スリラー」の最後の「ウワ〜ッ、ハハハッ!ウワ〜ッ、ハハハッ!」というヴィンセント・プライスの高笑い思い出してしまいそうになりましたけども、MVも早速上がっています。

なかなかホラーっぽいんですけどね。

ただ、MVでなく、この曲を聴いた時、僕、ちょっと背中がゾクゾクッときたんですよ。

うわっ、これ、今年もう、決まっちゃったかも!
 

冗談抜きで、本気でそう思っちゃいましたね。この曲、この時代のアンセムになっちゃうかも。そういう、ちょっと確信めいたものまで感じました。

というのも、これ、登場タイミングが絶妙すぎるんですよね。今、ビリーって、一昨年の夏に出たEPが、ちょっと屈折したタイプのキッズの間でジワジワとカリスマ的な人気が出てきてるんですね。今、英米ともに、このEPがアルバム・チャートの10位台まで上がってきています。さらに言えば、こないだも言いましたけど、ビルボードのシングル・チャートの下の方に4曲も曲、ランクインさせている。さらに言ってしまえば、もう、本っ当の人気アーティストしかランクインしない、Spotifyの世界チャート「グローバル50」で、彼女、一人だけ浮くように、アリアナ・グランデとか、ドレイクとかポスティとかの中に混じって入ってるんですよね。

僕って、もう昔から、こういう「ヒットチャートの上位に、一つだけ異質なものが入ってるぞ」みたいなものにカタルシスを覚えるクセがありまして、そういうものこそにロック、オルタナティヴな匂いを感じるんですけど、今、まさにビリーがその存在になりつつありました。

で、そのタイミングに、この「Bury A Friend」でしょ。ちょっと「若き教祖様」的な感じになりつつあったところに、絶好なものが行ったわけです。

この「Bury A Friend」というのは直訳すると「友達を埋めろ」で、字面的にかなりショックですよね。それも

前の曲での彼女のこういう猟奇的なアートワークのイメージに合ったりもするものですが、この曲でいう「Friend」というのは、彼女曰く「自分の中にあるモンスター」。このモンスターを自分の中からいかに取り払うか。でも、そのモンスターというのは他ならぬ自分でもあり、やろうとしてもそう簡単なことでもない。

これ聞いて、「うまいなあ」とうなりましたね。これ、いろんなことで悩んでいる人のハート、刺しますね。それは小さな悩みでもいいし、あるいは鬱だったりとか、人によってはドラッグとかかもしれない。そうした負の苦しみを持つタイプの人には、これは響くし、それこそ彼女のファンに多そうなタイプじゃないですか。彼らにとってのアンセムになると思います。

しかも、そういう曲を歌うのが、「ロックよりもむしろヒップホップの影響の方が強い女の子」というのがこれからの時代ぽいし、それをハリウッドのティーン・ムーヴィーに出てきそうな、ちょっと物憂げな美少女が歌うという構図もなんかドラマティックじゃないですか。エルヴィスとかカート・コベインがブ男だったらロックの歴史も多少違ったものになってたような気がするんですけど、こういう、なんか「もしかして時代、変わるかもよ」みたいな時に、なぜか絵的に美しい人、用意されるんですよね。

しかも、ビリーがすごいなと思うのは、「作られた感」というのが実はほとんどないことなんですよね。だって、この曲含め、これまで世に出た曲って、ほとんど全部

彼女と、4歳年上のお兄さんが書いて自分らでプロデュースした曲だから
 

この隣にいるのがその人で、名前をフィネアスっていうんですけど、彼とて4歳上と言っても、まだ21歳ですよ!そう考えたら、すごいことでしょ?

こういう姉弟チームって、ポップ・ミュージックの歴史の中でも、ちょっと珍しいでしょ。しかも、お兄ちゃんの方が裏方で妹を立てるという。これもかなり現代的じゃないですか。その昔、こういう「兄妹」って、カーペンターズの例だけはありますが、あれとももちろん、明らかに違うわけでね。

ということもあって、この二人、ビリーが歌っている曲の世界観のみならず、「彼らの世代が憧れる理想のクリエイティヴ・チーム」としても憧れられる要素強いと思います。

で、この「Bury A Friend」。もう早速動きが出ています。これストローミング解禁になった、まさにその日にですよ、アメリカのキッズに絶大な人気を誇る歌詞検索サイト、Geniusにおいてアリアナ・グランデの「Seven Rings」についで、いきなりもう2位です!このサイト、普段は上位に入るのドレイクとかケンドリック・ラマーとか、トラップ系のラッパーばかりなので、これがいかにすごいことかはわかるでしょ?

そしてアルバムのリリースですが、タイトルは「When We All Fall Asleep, Where Do We Go」という、「Bury A Friend」の中の歌詞の引用から出てきたものです。さらに発売は3月29日です。

ただ、3月29日だと、僕は個人的にはちょっとガッカリすることがあるんですけどね。それは

ラナ様の新作の発売日と同じじゃないか!

う〜ん、これでラナ・デル・レイ、次のアルバムはどこの国でも初登場2位になっちゃいますね。彼女も国際的にどこの国でもカリスマなんですが、さすがにセールスで今のビリーには叶わないですからね。ぶっちゃけ、ドレイクやらケンドリックが、突然この日にアルバム・リリースとか言いださない限り、ビリーが全世界的に1位になると思います。

ただ、もう既にこういう写真が出回っているほど、ラナもビリーのこと、すごくかわいがってます。ビリー自身も、ヒップホップ以外の、メランコリックな部分のルーツとしてラナを具体名あげてリスペクトしてたりもしてますからね。なので、アルバム・リリース日はちょっとした師弟対決でもありますかね。

いずれにせよ、アルバム・リリースまで、すごく楽しみになってきました。

 

 

 

author:沢田太陽, category:評論, 18:55
comments(1), trackbacks(0), - -
ブリング・ミー・ザ・ホライズンとライヴァル・サンズに見るハードなロックの今後

どうも。

 

1/25の配信で気に入ったアルバムなんですが、この2アーティストでしたね。

 

 

はい。ブリング・ミー・ザ・ホライズンとライヴァル・サンズという、自分でも結構意外な結果になりました(笑)。BMTHの方は、前のアルバムから結構気に入ってたので自分的には他の人が思いそうなほどにはそうでもないんですけど、ライヴァル・サンズは予想外だったかな。

だって、コナー・オバーストとフィービー・ブリッジャーズの共演作があまりにも「まんま」すぎて新鮮味なかったりしましたからねえ。そういうこともあり、今週はBMTHとRSです。

 

BMTHですが

 

 

この「AMO」というアルバムですね。こちらは今、彼らの本国イギリスで、中間発表ですけど、どうやら1位、取りそうな感じです。あちらじゃもうフェスのヘッドライナー・クラスですからね。

 

ただ、このアルバムの評価をめぐってはハッキリ言って、とりわけファンの間でかなり割れてます。僕自身も「ポップに魂売りやがって」みたいなことを書きなぐる英語の罵詈雑言、かなり見ています。

 

そりゃ、そうでしょうね。だって、もともと「メタルコアの期待の星」としてその界隈の熱い支持得てたタイプのバンドがだんだんメロディックになって言った結果、今回

 

 

グライムスと共演まで行っちゃったわけだから!

 

これ、しかも、BMTHの方がグライムスに寄っちゃった、かなりEDM色の強い曲ですからね。これは、メタルというか、ラウドロックの免疫しかない人にはツラかったんじゃないかな。

 

あと、アルバムの中だと、まんま1曲、グリッチ・テクノのインストあったりもしますからね。

 

このアプローチだと、さすがにキツかった古くからのファンは多かったと思いますね。これ以外にもザ・ルーツのラーゼルのラップをフィーチャーした曲なんかもあったりしてね。

 

2015年の前作を聞いた時に僕は「後期のリンキン・パークがやろうとしてうまくできてないことをうまくやれてるよね」という感じで、ラウドロック系のバンドにしてはエレクトロの導入の仕方とかうまいなと思っていたんですね。ただ、それというのは「ラウドロックの領域内」でそれをやっていくものだとばかり思っていたら

 

もう、ラウドの領域さえ、踏み越えてしまった

そんな感じですね。

 

でも、僕は、「それだからこそ面白いじゃん!」と素直に思いましたね。

 

これ、思うに、本人たち的には「ラウドロック内で他ジャンルの吸収がうまい」程度の認知じゃ満足できなくなったのかもしれないですね。「ラウドでも、インディ・ロックや、ポップのファンにでも通用するもの」。そういう包括的でスケールの大きなものを作りたくなったんじゃないかな、と。

 

その意味で言えば、これ、THE 1975の新作とマインドが同じなんですよね。ただ、ルーツにしている音楽と、振り幅の差が若干あるだけで。THE 1975の新作を去年の11月にこのブログでやった時にその野心を僕は絶賛しましたけど、その気持ちはBMTHにもありますよ。

 

というのも、ロックって、もともと、そういう発展の仕方をしてきた音楽ですよ。同時代的に勢いのある他ジャンルの音楽も吸収しながらサウンドを発展させてきた歴史があるじゃないですか。

 

それこそ

 

 

こういう最高の見本が世界的に再評価もされているわけじゃないですか。その音楽的足跡、今一度思い出すべきです。レッド・ツェッペリンだってしかりです。

 

あと、BMTHの場合、今回僕が気に入ったのはエレクトロだけじゃないですね。初期のグランジみたいな、粗野でゴリゴリしたリフの音色にもセンスを感じたし

これのサビのメロディとかも、すごくセンス感じますしね。力ありますよ。

 

THE 1975同様、いい意味で「出る杭」になってほしいバンドです。

 

続いてライヴァル・サンズですけど

 

 

BMTH同様、彼らもこれが通算6枚目になるんですけど、この「Feral Roots」というアルバム、これが同じく全英チャートの中間発表で10位につけています。彼らをこれまでに知らなければ「すごい!」となりますが、ここにトップ20なら2回記録しています。あと北欧3国ではすでにトップ10の実績があって、ドイツ、フランス、イタリアでもチャート実績があったりと、ヨーロッパではすでにかなり大物だったりします。

 

そんな彼らですが、こんな感じです。

なんか、グレタ・ヴァン・フリート的に聞こえません?こっちの方が全然先なんですけどね(笑)。

 

このジェイ・ブキャナンってシンガーの声質からしたら、例えばGVFがツェッペリンなら、このバンドはさしずめ、ハンブル・パイの時代のスティーヴ・マリオットとか、そんな感じかな。曲にもよるけど、ザ・フーの70年代以降のロジャー・ダルトリーみたいなところもあります。

 

勢い、ジェイのソウルフルな歌い方に注目集まりがちなバンドなんですけど、今回、僕が気に入ったのはズバリ「録音」なんですよね。音の撮り方がものすごくシャープで、余計な添加物が一切ない感じでね。それは70sのモコモコ感とも微妙に違うし、80sの過剰すぎる装飾とも全く違う。むしろ、90sのブレンダン・オブライエン(パール・ジャムとかRATM etc)とか、00sのホワイト・ストライプスを通過した感じですね。芯の部分だけを切り取って、その生々しい音の中からソウルやブルーズを自然にあぶり出す感じというかね。そういう、時代の系譜の流れを経た末での原点回帰であり、ただ単に昔風にやったものを意味もなく録音したわけではないですね、これは。

 

で、彼らがそういう音をなぜ作れるのか。今回、その答えがハッキリわかりました。それは

 

 

はい。このデイヴ・カッブという人なんですが、彼、今、オルタナ・カントリー界の超重要プロデューサーです。メタル周りの人じゃないんですよね。

 

彼が手がけているアーティストというのは、カントリーの中でもすごくロック的に尖っている人たちばかりです。ジェイソン・イゾベルにクリス・ステイプルトン、スタージル・シンプソン。それから、今年のグラミーで主要部門で複数ノミネートされて話題のブランディ・カーライル。彼らはいずれも、カントリーだけでなく、ロックンロール、ソウル・ミュージック、ブルース、ゴスペルなどのルーツ・ミュージック全般の基礎値が非常に高い人たちです。そういう「ルーツ・ミュージックの達人」を多く手掛けるカッブがデビューの時からずっと面倒見ているバンドがライヴァル・サンズです。ブルージーでソウルフルな感じが全くうそっぽくないのに説得力あるでしょ。

 

ライヴァル・サンズはそんなサウンドしてるのに、なぜかアメリカだけ商業的に売れてなかったんですけど、このアルバムからカッブがアトランティック傘下に作ったオルタナ・カントリーのレーベルにメジャー移籍したので、アメリカでも人気が出るかもしれません。

あと、今、オルタナ・カントリーといえばこれですよ。

この「スター誕生」でブラッドリー・クーパーが歌うタイプの音楽です。これがまさにオルタナ・カントリーの一種なんですが、フツーのブルージーなハードロックでしょ?これを例えば、カントリー界の大御所ウイリー・ネルソンの息子のルーカス・ネルソンが作っていたりします。この映画で、このジャンル、かなり注目度、上がっています。

 

また、オルタナ・カントリーが絡まなくても、例えばグレタ・ヴァン・フリートもそうだし、ロイヤル・ブラッドもそうだし、HBOの「Vynyl」ってドラマの主題歌に使われてヒットしたキャレオってバンドもそうなんですけど、「オールドスタイルのハードロック」って、今、密かに勢力できつつあるんです。僕もロラパルーザ・ブラジルの時に彼らのライブ見てますが、客の反応、年齢問わず、すごくいいとこなんですよね。こういうところも僕がこのテのロックが「潜在的に需要がある」と思わせる強い理由になっていたりします。

 

この2バンドを見ることで、ちょっとロックの今後の流れの一部がちょっと垣間見れるような感じもします。

author:沢田太陽, category:評論, 19:34
comments(0), trackbacks(0), - -
アメリカ人だって悩んでる!? 近年の「ロックの殿堂」選出に見る、ポップ・ミュージック批評の複雑さ

どうも。

 

 

では、今日は1週間前に発表になった、2019年度の「ロックの殿堂」の殿堂入りアーティストの話をしながら、ポップ・ミュージック批評の複雑さについて話すことにしましょう。

 

 

 この「ロックの殿堂」なんですが、近年、選出が思い切り迷走しちゃってます(笑)。ちょっと、今年の殿堂入りアーティストをみてください。

 

 

 

左上から、デフ・レパード、ゾンビーズ、ロキシー・ミュージック、ジャネット・ジャクソン、スティーヴィー・ニックス、ザ・キュアー、レディオヘッドの順になっていますが

 

なんか、一貫性、なくない??

 

そういう意見があってもおかしくないと思います。

 

では、なぜ、こういうことが起こってしまったのか。そのことについて今日はお話ししましょう。

 

 

)榲は委員だって「今っぽい感覚」で選びたい

 

ロックの殿堂の基本的な基準は「デビューから25年経過」が有資格の目安となります。なので、現在は「93年にデビュー」までがアーティストの対象です。

 

この基準でずっと来てて、ここ数年はですね、いわゆるインディ/オルタナティヴ系のロックやR&B/ヒップホップのアーティストが対象になってきていました。

 

これ、例えば最近の音楽の批評基準だと、「ビヨンセだってケンドリック・ラマーだって、ロックよりいいアルバム出してるくらいじゃないか」という理屈はわかると思います。これに関しては一部の選考委員も同じような考え方です。僕もそうですね。というのは、やはり1992年くらいで、ポップ・ミュージックの批評感覚がガラッと変わってしまっっているから。その頃くらいから、インディ・ロックやエレクトロ、R&B/ヒップホップが影響力の強い音楽になっていきましたからね。R&B/ヒップボップはある時期、ちょっと商業的になりすぎて離れちゃってましたけど、2010年代以降はまた戻ってきてますからね。

 

 

で、実際。そうなった方がいいんですよ。それはやっぱり、「女性と黒人を閉めださないでよくなるから」。ロックの悪い癖としてどうしても「白人男性優位的傾向」というのがあって、長らく女性、黒人は狭義の「ロック」というものには入りにくいところがあった。でも、それがエレクトロやヒップホップであっても、黒人や女性が「音楽的に、または社会的な意義上、価値観を変えるような刺激的なことをしていれば選んでいいんじゃない?」という考え方でそれを「ロック」として捉えて選ぶような傾向が出てきたのは、当時を生きた実感としてもやっぱりありましたからね。もう、92年と言わず、その前からマイケル・ジャクソンとかマドンナの例も既にありましたからね。

 

 

 で、ここ最近の殿堂入りにも、グリーン・デイだとか、トゥパック、NWAという名前が並ぶようになりました。もう、殿堂入りの基準も93年まで来てるわけですから、これからはどんどんそういう名前ばかりが対象アーティストとして増えてきます・・・

 

 

 

が!

 

頑なに時代の変化を拒む、クラシック・ロック派の抵抗

 

これがあるんですよねえ。

 

悲しいかな、「ロックの殿堂」のコア・ファンは、「80年代までのロックのファン’が圧倒的に多く、特にベイビー・ブーマーと呼ばれる戦後生まれ、1946年以降から1960年くらいの生まれの人が多い。となると、必然的に「70〜80年代のアーティスト」をどうしても好みたくなる傾向が強いんです。

 

で、彼らに言わせると、「ギターも持たず、曲も自分で作れないようなヤツがどうしてロックの殿堂に入るんだ」となるわけです。で、しかもクレーマーとしてうるさいんです(笑)。僕、クラシック・ロック系のメディアもfacebookで情報得てますけど、コメント欄、たまにムッとしますからね。「こいつら、マジでレイシストかよ。トランプに票入れるのってこういうヤツか」って思う時さえありますからね。

 

まあ、政治的なことはさておき、彼らが特に2010年代に入って、特定アーティストの殿堂入りのファン嘆願運動というのを始めます。それが例えばKISSとかラッシュとかの範囲だったらまだよかったんですよ。確かに、後年まで影響力は確実にあるバンドだったんで。ただ、それがだんだんエスカレートしてきて、「あいつが入るなら、こっちだっていいだろ」みたいな意見が批評性無視してデカくなりすぎたんですね。

 

 

そこでロックの殿堂は一昨年から、「選考委員ではないけれど、ロックの殿堂のサイト主催の一般ファンの人気投票で4位までに入ったら殿堂に入れよう」というお約束を作ったんですね。それで17年のときの投票が「ジャーニー、ELO、イエス、パール・ジャム」で、この時は「イエスって若い人に曲知られてないけど、まあいいか」だったんですけど、その翌年になると「ボン・ジョヴィ、ダイア・ストレイツ、ムーディ・ブルース、カーズ」になって、僕でさえ、「おいおい、勘弁してくれよ!」となりましたからね。

 

 

ボン・ジョヴィってファンは世界中に多いけど「ボン・ジョヴィでバンドを始めたって人は多いのか?」の疑問と、昔からずっとある批評性の低さはどうしても引っかかるし、ダイア・ストレイツ、ムーディ・ブルースに関しては、それこそ「1992年以降に新規のファン、ついたバンドなの?」というのがどうしてもある。僕から見たらオーケーなのはカーズだけですよ。ニュー・ウェイヴ経由で曲が後年まで知られてますからね。

 

 で、選考委員もそう思ったんでしょうね。だから

 

 

 

だから、このあたりがゴリ押されたんでしょうねえ。

 

「おいおい、なんだ、そんな年寄りくさいのばっかり入るのって、勘弁してくれよ!」。一部の若めの選考委員が反旗を翻したのは想像に難くありません。

 

 

だからなんでしょうね。今年はその「ファン投票」の結果で選ばれたのは

 

 

 

この2組だけでしたからね。

 

で、これも賛否両論なんですよ。「スティーヴィー・ニックスはすでにフリートウッド・マックで殿堂入りしているのに2度入る必要があるのか」。僕は彼女の大ファンだし、コートニー・ラヴやラナ・デル・レイなどからのリスペクトがあることも評価できるんですけど、2回入る必要はない。

 

 

で、やっぱり、ごめんなさい、デフ・レパードというのは、僕からしたらありえない。僕、中高の時、リアルタイムですごく好きだったんですけど、やっぱり全盛期が短かったのと、「オルタナティヴ時代以降」になった際の時代への対応の悪さ。ここはすごいマイナス・ポイントなんですよねえ。

 

 

それにプラスしてですね、ぶっちゃけ

 

 

デフ・レパードとアイアン・メイデンやスレイヤーだったら、現状、どっちが新作のセールスも、ワールド・ツアーの規模も、影響力も、後続のファンの数も多いと思います?そういうところの視点が足りなすぎるんですね。今のクラシック・ロックのファンって「僕らが若い時に活躍したスター」なら誰でも入っていいと思っているところがある。だけど、それって、自分の世代より若い人の視点からすれば寒いだけ、ということに気がついてない人がアメリカ人でも多すぎますね。だいたい、ディランだとかボウイとかみたいに、80、90年代のうちに一発で殿堂に入っていないから遅れて殿堂入りするくらい、もう「Aリスト」ではないアーティストが遅れて殿堂入りしてる時期なのにね。「評価しそこなって遅れて殿堂入り」させるなら、現状のことをもっと知らベて本当にその価値があるのか確かめてからやるべきだと思います。正直、ウェブ上の「フォリナーとかバッド・カンパニー、パット・ベネターを殿堂いりさせるべき」みたいな意見にはちょっと辟易してます(笑)。

 

 

改めて今回の殿堂ですが、興味深かったことが幾つかありますね。キュアーが入ったのは、この殿堂が基本的に弱点だったUKニュー・ウェイヴを強化する意味で重要だし、レディオヘッドはもう批評家好みのバンドの典型ですからね。本当は去年入ってもよかったのに、あのひどいファン投票に妨害されて1年遅れましたからね。ただ、今年もレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが犠牲になって殿堂入り遅れましたけど(苦笑)。あと、ロキシー・ミュージック、ゾンビーズあたりが入ったのも「ヒットの数よりも、もっとカルトファンが後年までいるアーティストを入れよう」という姿勢の表れですね。すごく評価できます。

 

で、今回最も面白いと思ったのが

 

 

ジャネットの選出です。

 

これはなかなか綱渡りな選択だし、この先の「ありか、なしか」を考える意味ですごく興味深いんです。

 

 

R&B/ヒップホップ、エレクトロ、アイドル、カントリーをどう批評するか

 

今後の「ロックの殿堂」というのは、クラシック・ロックのファンがどう抵抗しようが、92年以降の基準、ヒップホップやエレクトロ、アイドル、アメリカの場合だとポップ・カントリーも入ると思いますが、このあたりをどう扱っていくか、にかかっていると思います。

 

今回ジャネットが、ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーよりも先に殿堂入りしたことはすごく実は意味を感じることです。「なんでだ。この2人の方がジャネットより歌がうまいじゃないか」と思われる方もいるかと思われますが、ジャネットの場合

 

・プロデューサーと組んでの1枚のトータル・アルバム

 

・プリンスの影響を受けた80s後半の先進的なファンク路線

 

・実はその後のメロウ系R&Bの雛形を作っている

 

 

この3点においての意味があると思うんですね。

 

「ロックの殿堂」に入るためには、いくら他ジャンルとはいえ、アップテンポの曲に弱いと致命的にダメです。その点、バラッディアーのホイットニーとか、マライアには圧倒的に不利です。あとジャネットの場合は、プロデューサー取っ替え引っ替えしないで、ジャム&ルイスという彼女にとって絶対的なプロデューサー使ってアルバムをトータルで作るから「アルバムの意義性」がすごく重視される。これはアルバム重視のロックには好まれることだし、昨今のプロデューサー取っ替え引っ替えが当たり前のR&B/ヒップホップにとっても良い教訓になりうる。

 

 あと、ジャネット、歌は上手い人ではないですが、その分、丁寧に歌うんで、そのせいかどうかはわからないんですが、彼女の曲って、そのあとのR&Bのメロウな曲の雛形になりやすいんですね。アリアナ・グランデの「Thank You Next」聞いた時にそれをすごく感じたし、僕が年間ベストで入れたナタリー・プラスのアルバムあたりにもその影響感じましたけど、そういうとこでの影響力も考慮できるかなと。これもマライアとか、ホイットニーからは感じられないものなので。

 

 

 こういう、「ジャネットならアリでも、ホイットニーやマライアならダメ」みたいな線引きは、これから大切になってくるかと思います。「ジャンル全対応で誰でもいい」だったら、クラシック・ロックのファンじゃなく、普通のロックファンでも「それはロックじゃないだろう」と反論されることは必至になりますからね。「アリアナはアリだけど、デミとセレーナはまだまだでしょ」とか「ポスティも現状じゃまだありえないでしょ」みたいな感覚は必要になるかと思いますね。そうじゃないと、ただでさえ「曲、自分で作ってない」時点で弱いんだから、何かで挽回しないとダメに決まってます。そうしないと、MTVの音楽アワードとかと変わらなくなるわけでもあるしね

 

 

author:沢田太陽, category:評論, 19:16
comments(0), trackbacks(0), - -
マライア・キャリーのアルバム、通して聴いたの、初めてだな。

どうも。

 

2日前にある映画を見たのでそっちにしようかとも思ったのですが、「このネタ、行けるかな」と思ったので、こっちにしてみました。

 

これです!

 

 

マライア・キャリーのアルバム、「Caution」。これをですね

 

頭から最後まで聞きました!

 

「・・・だから、どうしたんだ?」と思われる人もいるかと思いますが、僕にとっては大きな出来事です。だって

 

これまで、「アルバム、聴いてみよう」と思ったことさえ、なかった人だから!

 

彼女のことを知って、28年くらいになりますが、それが僕の彼女に対する「立ち位置」だと思っています。

 

というのもですね、このマライア・キャリーなんですが、年齢の査証がなければ、彼女、僕と同い年なんですよね。1970年の早生まれ、なので「世代」としては意識するんですが、こと「音楽」となると、どうしても距離を置いてたんですよね。ご存知の方も多いと思いますが、彼女はこと、「1990年代」という時代の最大のシングルのヒットメイカーでした。

 

ただ、それにはその当時のカルチャーの事情というのがありました。というのは

 

「みんなが同じもの聴くの、カッコ悪い」という時代においての最大の人気シンガー

 

だったわけです。つまり、90sという時代は、一つにはオルタナティヴ・ロックがあって、また別のところでR&B/ヒップホップがあって、また別のところではテクノとかクラブがあって、アメリカだと大きなカントリーのカルチャーなんてのもありましたね。そういうものというのは、シングルの総合チャートで流行るものではなく、その仲間内で流行るものだったんですよね。この当時のはやりもので、今に伝わっているものというのは、ほとんどがそういう「カルチャーにとって意味を持ってきたもの」だったんですよね。だから、そういう曲は、いわゆるビルボードのシングル・チャートでは数字で結果が出ていません。だから、わかりにくくもあるんです。

 

 では、90sの一般的なシングル・ヒットって、なんだったのか。それは、そういうカルチャーに属さない、最大公約数みたいなもの。そういうものばかりがヒットしてたんですよね。あの当時って、まだ、ヒップホップとか、オルタナでもそうかな、まだFワードのラジオ対策も進んでない時期(90s半ばまでそうだった)でもあったから放送でかけられない。だから、ある時期、「無難なものしか放送でかけられない」みたいな時代があったんですね。マライアという人はそういう時期にセリーヌ・ディオンとかホイットニー・ヒューストンとかと並んで人気ありましたね。彼女らの当時の大ヒット曲に、すごくバラードが多いのも、カルチャーなんてものに属しようがなかった中高年意識してたとこが多いにしてあったからです。

 

 そういう目で見てたんで、やっぱ、マライアって受け入れるの、難しかったんですよね。もしかしたら今の比較的若いリスナーの人で彼女を「R&Bシンガー」と思っている人もいるとは思うんですけど、ホイットニーがその括りに入れられても、マライアをそこに入れるのが難しかった人、というのはあの時代、多かったですね。少なくとも、多小熱心にR&Bとかヒップホップ聞く人にとって、「マライア、聞いてる」なんて言えない雰囲気、ありましたからね、やっぱ。あの当時で「女性でR&B」って言ったら、それはメアリーJブライジだったりアリーヤだったりTLCだったりローリン・ヒルだったり。とりわけ「歌唱力」でいうならメアリーかローリンで「ソウルフルな歌い手」ってイメージでしたね。マライアで「ソウルを感じる」なんてことは、一般には言えたかもしれないけど、R&Bとかヒップホップのファンの前では、まず言えなかった。言い方悪いけど、特に日本だと、「音楽の熱心なファンだとは言い難い女子大生やOLさん」が聞いてるイメージあったかな。「好きなのはドリカムとマライア」みたいなこと、言いがちな感じのね。だから、手を出しようにも出しにくかったわけです。

 

 で、実際にマライアってR&Bとかヒップホップとかやろうとしたらカッコ悪かったんですよ。いくらトム・トム・クラブの大好きな曲をサンプリングしても、「おいおい、勘弁してくれよ!」って感じでしたから(苦笑)。「曲を噛み締めて歌う」ってことじゃなくて、スキル先行させて歌う感じだったので、なんか響かなかったんですよね。最後のサビのリフレインであの超絶ハイトーンでも出されようものなら・・・、という感じでね。

 

 

 あと、もう一つが、これは特に2000sから顕著になるんですが、マライアの「怠惰」なイメージね。これが特に主演映画「グリッター」以降に顕著になりますね。すでに90s後半くらいから「わがまま説」みたいなものが出はじめて人気が少し陰ってき始めた時に、ちょうどブリトニーとかビヨンセとか出てきたんですよ。彼女らは、「(当時の)新世代感」とか「カルチャー感」を音楽でもファッションでも掴むのうまかったんだけど、マライアって、曲は一般に人気あっても、「ジェネレーションの声」とか「ファッション。リーダー」みたいな感覚で捉えられていた人ではなかったから、古臭くなっちゃって、そこに「グリッター」の大失敗でしょ。あれで、これまで「シングル連続1位」みたいなイメージだった人が、途端にヒット出なくなっちゃった。

 

 でも、それで彼女自身が「なんとかしなきゃ」って努力する風にも感じられなかったのがねえ。2000年代の半ばに一瞬、人気戻るんですけど、それも「We Belong Together」が1曲売れて、その余波があるうちは良かったけど、そこから何もナシでしょ。なんか見ててねえ、清原とか松坂のイメージだったんですよね。「若い時の才能で頂点に立ったけど、そこからが・・・」みたいな感じのね。だから、長いこと、興味持たずに来たわけです。

 

 

が!

 

そんな僕が、彼女のアルバムを聴いて最後まで聞けたから驚きだったのです!

 

 

それができた理由を挙げていくと

 

 

 屮汽屮好」の時代だから

 

これが一番大きいでしょうね。これ、「CDで買って聞く時代」だったら、まず、「買おう」という行為に至らなかったと思うから。そこがサブスクのいいところです。これまで「聴こう」とも思わなかったアーティストでも、金銭的なリスクを負うわけでもなく、「予想外に気に入ってしまう」可能性だってあるわけですからね。マライアじゃなくても、こういう経験をサブスクでしたことありますけど、いいものですよ。

 

 

で、二つ目が

 

▲廛蹈妊紂璽機漆悗鮓てビックリした

 

ここがやっぱデカかったですね。伝え聞いた情報でソングライターがNinety85だ、No IDだ、LIDOだ、デヴ・ハインズだ、ワンダーガールだ・・でしたからね。「ドレイクにジェイZにホールジーにブラッド・オレンジにトラップって、この人のソングライティング陣にしてはすごくアップデイトされてるじゃないか!」と思ったんですね。やっぱ、言い方悪いけど「いつになってもジャーメイン・デュプリ」ってイメージしかなかったですからね。カムバック・ヒットの時でさえそうでしたから。だから、「なんか、これまでと、情報の時点で何かが違うぞ」と思って聞いてみたんですね。すると

 

 

声が出なくなったことによって、かえって歌に説得力が増してる!

 

これが最大の驚きでしたね。

 

もう、「マライアの声が出なくなってしまった」という話は、もう4、5年前からあったことです。「何だ、ライブ、声が全然違うじゃないか」みたいなこと言われてたのがね。だから、そこも期待しないで聞いていたら、確かに声は出てないんですけど、「あれ、全然、前より聞きやすいじゃないか!」と思ったんですね。

 

歌いはじめでファルセット使うのは、自分のフォロワーであるアリアナ・グランデの逆オマージュみたいな形で面白いし、さらに、これまで聞いたことのないような、しゃがれた低い本人の地声生かした曲も今回多い。彼女って、地声って昔からこんな感じなの知ってたから、「地声と歌声の格差のある、ずいぶん無理な発声してるんだな。これ、後年、喉にくるかもね」と思ったことがあって、それが本当にそうなっちゃったのかな(実はこの危険性、ビヨンセにもあるんだけど。彼女のも地声とあまりに違うから)とは思いつつも、でも、だからこそ、逆説的に自然に聞こえてしまうというね。

 

 なんかですね、声が出なくて張り上げられなくなった分、逆に曲を丁寧に噛み締めて歌うことができてるんですよ、今作。それがあるから、曲そのものの良さがちゃんと伝わるし、彼女の声も、「昔のように出ない」とは言ってもそこはシンガーですから、それなりにはちゃんと歌えるわけで。これが昔だったら、曲がどうあろうと、彼女の歌いたいようなアドリブの方が目立っちゃって、曲の方がそっちのけになることも少なくなかったように感じるんですけど、そういうことが今回のアルバムにはないですね。

 

ということで、今回のアルバム

 

これまでマライアが好きじゃなかった人が、初めてマライアのヴォーカルが楽しめるアルバムになっていると思います。

 

 特に今時のR&B/ヒップホップが好きで、これまでのマライアをあまり知らないような若い人には、「ベテラン・シンガーによる、素敵なアルバム」と映りやすいかもしれません。その意味では、若いファンは獲得するかもしれません。実際、これ、批評的な評価はすこぶる良くて、欧米のメディアの評価だと80点超えてるところが殆どです!

 

 

これも驚きなんですけどね。「批評的にいいマライア」なんて、僕の記憶に殆どなかったから。

 

 

ただ

 

「これまでのファン」には、ひょっとしたら微妙なのかも・・。

 

とも思いましたけどね。

 

 

というのは、これ、各国のチャート結果、良くないんですよ。今のところ、アルバム・チャートのトップ10に入ってる国がなく、最高でオーストラリアの15位。イギリスなんて40位です!割と長いこと贔屓にしていた日本でさえも30位でしたからね。

 

 

 まあ、これはこれまでの彼女のツケで、コア・ファンの入れ替わりがなかったからこうなったのかな。90sからずっとついてきてるファン(つまり40、50代)で「最近のR&Bのはやり」まで抑えてる人はそう多くはないだろうし、ましてやそういう人たちにとっては「あの声が出せなくなった」ことの方がショックでしょうからね。そういう人たちは、今回のアルバムで「何かが違う・・」と思ってるかもしれないし、実際、ビルボードのサイトの書き込みでそのテのもの、結構見てます。

 

 

 ただ、この点に関しても、本人の今後の頑張り次第だと思うんですけどね。今作だけだと、悪い言い方すれば「周りにいたスタッフが良かったのでは」とか「声が出なくなった怪我の功名でたまたま吉と出た」という解釈も可能ですからね。僕自身も、そこのところ、本人の意図がどこまで介在しているのかが見えないから、正直なところ、僕の今年の年間ベストにまでは入れる予定はありません。

 

が!

 

 「ここから新しい彼女の時代」を作ることなら可能!

 

 

とは思います。

 

 次のアルバム出る頃には50代に突入だとは思いますが、そこで仮に調子が良くなったとしたら、それは「Cautionから始まった」ということになるような気がしてます。そういう意味ではこれ、彼女にとってはいいキッカケになる作品になるかもしれません。

 

 

 

author:沢田太陽, category:評論, 13:02
comments(0), trackbacks(0), - -
BTSのMステ問題に関しての個人的見解

どうも。

 

 

もしかして、日本では「もう済んだこと」扱いかもしれないんですが

 

 

 

BTS のこの原爆Tシャツ問題での「ミュージック・ステーション」出演見送り問題に、僕なりの個人的な見解をしておきたいと思います。

 

やはり、毎週全米チャートを紹介している立場上、ちょっと、何も語らずにいるのは良くないだろうと判断してのことです。

 

 

で、もう皆さんの方が詳しいかと思うので、先に結論から言います。

 

 

そのTシャツの件って、1年半前のことなんだけど、許されないものなの??

 

という感じですかね。

 

 

 知らなかったんですけど、ジミンがその、光復節の原爆Tシャツを着ていたのは17年3月のブラジルとアメリカのツアーの時だったんですってね。そんなことは、こちらに住んでて全く話題にもなっていなかったので知らなかったんですが、その時にインスタ上の写真でそれを見たファンの人から「そんな物を着てひどい」という苦情が起こっていたらしいですね。それで着るのをやめていたとか。

 

 

 これが仮に本当なのだとしたら、「今回のテレ朝はちょっと神経質な対応かな」とも思いますけどね。

 

 

 もし、これが仮に、例えば先月にそのTシャツを着たとするならば、それは僕とて、「出演見送りでもしょうがないかな」と思いますけどね。最初は起こった時期を知らなかったので、実際そう思いました。これ、このTシャツそのものが、別に右翼の人たちのみならず、「反戦反核の平和主義者」みたいな人を傷つける可能性もあるわけで。僕も、出身が八幡って言って、本当は長崎じゃなくて、そこに2つ目の原爆が落ちる予定だったところの出身で、かなり厳しく反戦教育受けていたりするので他人ごとではありません。「国の独立を語るのに、そんなもの、使うのよしてくれよ」くらいは思います。そして、いくら「日本人にとって、そんな傷になっていることだとは知らなかった」とは言っても、それを不用意に着るという行動も褒められたものではないですからね。

 

 

 ただ、それが過去のことであるのならば、まあ、写真映像的にはショッキングなことではあるけれど、そこまで尾を引かなくても・・というのはありますね。あと、「着まわしていた」とならば、そのTシャツを特に「アピールしたいから」着ていたのではなく、ただ単にそれを持っていて、部屋着感覚で着ていたのかもしれないですからね。

 

 

 一点、彼らに落ち度があったとするならば、ワールドワイドな展開を行い始めた時の、守るべき最低限のマナーの徹底ができてなかったことですかね。そのTシャツを着たのがワールドツアーの時というのは、よくないですね。いくら、該当の国に着て行かなかったにせよ、他の国である国を挑発するようなTシャツ着てたわけでしょ?それは本当なら、スタッフが止めさせないといけなかったんだけど、そういう感覚がなかったのかなあ。聞いた話だと、別のメンバーも日本デビューする際に「歴史をしっかりと学ばなければならない」と言って、かなり挑発的な印象与えていたと聞いてますからね。そういう「自分たちの音楽を聴いて欲しい国」を挑発するような行為は、インターナショナルなスターになりたいなら、やるべきではないでしょう。その対策が、国際デビュー時に甘かったツケが来てるのかな。

 

 

 でも、なんかもったいないですよね。BTSって、親LGBT的なイメージで売っていていたり、儒教の国の韓国で上の世代に反抗する感じのことを歌ったり、「強い女の子」を支持するフェミニスティックな曲があったりと、かなりリベラルなイメージで国際的には売ってるタイプなのに、それとは真逆の「偏狭な愛国主義が生む排他主義」みたいに捉えられてそれで嫌われるのだとしたら、すごい矛盾ですからね。

 

 

 まあ、そうしたある種のジレンマみたいなものが、「韓国から国際的スターになる」といった際の、今後も必要となってくる、K-Pop全体の課題なのかもしれないですけどね。

 

author:沢田太陽, category:評論, 13:25
comments(1), trackbacks(0), - -