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映画「ザ・スクエア 思いやりの領域」感想 なかなかにシュールなカンヌのパルムドール

どうも。

 

 

今日も映画レビュー、行きましょう。これです。

 

 

 

 

去年のカンヌ映画祭のパルムドール受賞作です。「ザ・スクエア」。日本では4月の公開のようですね。

 

これはカンヌであることに加え、オスカーの外国語映画賞のスウェーデン代表作でもありまして、受賞の有力作品にも見られています。

 

 これ、果たしてどんな映画なんでしょうか。

 

 

 舞台はスウェーデンのストックホルム。主人公の現代アーティストのクリスチャン(クラエス・バング)は、新作の展示のプロモーションの準備に入っていました。そんな彼はアメリカ人女性で彼のファンというアン(エリザベス・モス)のインタビューを受けます。

 

 

ただ、アンの言葉は、評論家の評論をただコピーしただけで本人が意味をわかっていません。それがわかったクリスチャンはただ呆れるだけでした。

 

 

 そのあと、クリスチャンは街を歩いていると、ある女性が「殺される助けて!」と叫んで彼に駆け寄りました。クリスチャンは正義心を働かせ、襲おうとしていた男性を周囲の人となだめます。「いいことしたかな」と思ったのもつかの間、彼は自分の携帯電話と財布が盗まれていたことに気づきます。

 

 

 それを返して欲しいクリスチャンは、スタッフと考え、各アパート1軒1軒に、「盗難された。ケータイと財布を返して欲しい」というビラを配って回る作戦をとります。

 

 

 一方、展示会「ザ・スクエア」の準備も進められます。宣伝スタッフはやる気を見せますが、どうも彼の芸術を理解しているようには見えません。

 

 

 準備が進む中、クリスチャンはアンとパーティで再会します。一見、真面目風を気取っていたクリスチャンですが、アンの魅力には抗えず、一晩を共にしてしまいます。ただ、そのセックスは実に興味のものでもあって・・。

 

 

 一方、ケータイとサイフに関しては、「それは僕の家にある」という子供が名乗り出ました。ただ、チラシに、それがあたかも泥棒の仕業のように書いてあったのを見て「とっといてあげてそれはないだろ。謝れ」と命令します。奇しくも、子供にそれを言われたのはクリスチャンではなく、彼のスタッフでしたが。

 

 

 そして、展示会は近づいてきましたが、直前になってスタッフがイメージダウンとなる大失態をおかします。そして、事態はどんどんおかしな方へと進んでいき・・

 

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 

これはですね。

 

 

スウェーデンのルーベン・オストランドという、まだ40代の監督です。彼は前作の「フレンチ・アルプスで起きたこと」でもオスカー外国語映画賞の最終5本の候補で残っていましたが、その次の作品がカンヌのパルムドールと、世界的にすごく注目されている監督なのです

 

 

が!!

 

すみません。僕の上に書いたあらすじの意味、わかります(苦笑)

 

 

いやあ、これ、見ていて、話の内容を理解するのに結構大変でした。

 

 

これですね、ストーリーは一応一つにつながってはいるんですけど、どっちかというと、一つ一つのエピソードのぶつ切りをくっつけた感じみたいになっているので、話の連続性を理解するの、結構大変だったんですよ。しかもこれ、僕の場合、スウェーデン語(部分的にだけ英語)をポルトガル語字幕で負わなくてはならなかったので、しんどかったですね。

 

 

 まあ、なんとなく言えるのは、「物事をわかったふりをして生きている人たちの空虚さ」であったり、「受動的に人任せで生きるとロクなことない」とか、そういうことなのかなあ、と思いながら見てましたけどね。おそらくそれだけじゃないと思いますけど。

 

なんか見ていて

 

 

 フェリーニの名作「甘い生活」を思い出しましたけどね。生きてる世界は華やかで、時代も明るい時代なんだけど、どこか惚けてしまって、登場人物たちの人生や生活、人とのつながりが空虚な姿を描いたものでしたけれど、この映画にもどこか、時代や国は違いますが、近いようなニュアンスを少なくとも僕は感じましたね。

 

 

 あるいはスペインの鬼才、ルイス・ブニュエルの後期の不条理系の作品ですね。「皆殺しの天使」とか「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」あたりの。社会的に地位がありそうな人たちの群像がひたすら無責任で、困ったことが起きてもお構い無しで、ひたすら自分勝手なことをしている、みたいなね。

 

 この映画が、すごく抽象的で説明の少ない映画ながら、かなりの絶賛を受けている背景には、こうしたヨーロッパ映画の偉大な先達の影を感じるからなのかな、と思いながら見てましたけどね。2014年のオスカ_の外国語映画賞を受賞した「グレイト・ビューティ」なんかも、フェリーニ色の非常に強い映画だったしなあ。

 

 あと、ハリウッドの映画ファンとしては

 

 

エリザベス・モスのいつにない怪演がよかったですけどね。彼女と言えば、「マッドメン」のペギーとか、エミーやゴールデン・グローブで主演女優賞を受賞した「The Handmaid's Tale」でのジューン役など、シリアスな役のイメージが強いんですけど、ここでは不条理コメディにあう、かなりシュールな笑える演技に徹してます。かなり器用な女優さんだなと思いましたね。

 

 

 あと、これ、本当に謎な映画でして、上の話に出てこないんですが、出回っている媒体用で一番使われているのがこれですからね。

 

 

 

これ、意味わかります(笑)?とにかく、どんなに話しても謎だらけの映画なので、興味ある人は劇場で楽しんでください。

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 12:33
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映画「グレイテスト・ショーマン」感想 人生描写も音楽も、とにかく軽すぎ

どうも。

 

 

これから2月までは、毎週のように何かしら映画レビューが入るようになります。やっぱりオスカーが近い上に、その上に話題性のある映画の公開が続きますからね。

 

 

今日はこちらの映画のレヴュー、行きましょう。

 

 

この「グレイテスト・ショーマン」。19世紀のニューヨークの伝説の興行師、PTバーナムの生涯を描いた伝記映画で、バーナム役をヒュー・ジャックマンが演じています。昨年の初め頃から期待値の高い映画だったのですが、さて、どんな感じだったのでしょうか。

 

 

早速、あらすじから見てみましょう。

 

 

 舞台は19世紀のニューヨーク。PTバーナムは貧しい育ちで、子供の頃から父親と一緒に地元の裕福な家庭ハリエット家に、父親と一緒に仕立屋として出入りしていました。そこで彼は、ハリエット家の同世代の女の子チャリティと恋に落ちます。

 

 

 

 

 やがて大人になったPT(ヒュー・ジャックマン)とチャリティ(ミシェル・ウィリアムス)は結婚し、チャリティは勘当同然で家を出ます。そして2人は2人の女の子の子宝に恵まれますが、生活は苦しいままでした。さらに追い討ちをかけるように、PTの勤めていた会社が倒産となってしまいました。

 

 

 なんとか妻と娘を助けたい。PTはその一身でしたが、奇想天外な転職を行います。それは街中に劇場を立てて、自分のサーカスを作ることでしたが、

 

 

 PTはそのサーカスの団員を、身体的に異常を抱えた人たちなどで構成しようとしました。そこには、小人症の人や、髭の生えた女性などが集まり、いわば彼らを見世物にする、俗に言う「フリーク・ショウ」を主催します。

 

 

 このやり方に世間からの批判は高まり、抗議運動まで起きます。しかし、娘の言った「特別なことをやらないとダメ」という言葉を信じ切ったPTは気に留めません。また、PTは自分の団員を差別しているつもりでは全くなく、むしろ逆に「キミのその人との違いは立派な個性なんだ」と励まし、これまで日陰を生きてきた彼らにスポットライトを当てさせます。そして、このショウは、批評家の予想を覆し、大成功します。

 

 PTは一躍ニューヨークで話題の人物となり、その手腕には賛否両論が集まります。「成功はしているが、やっていることは卑しいこと」。そのような見られ方をします。そんな中、PTは上流階級青手に劇作家をしていた若者フィリップ・カーライル(ザック・エフロン)を説得して自分の仲間にしてしまいます。最初は半信半疑のカーライルでしたが、アクロバット担当のサーカスの女の子

アン(ゼンダヤ)に一目惚れをすることで人生観が変わってしまいます。

 

 

 そんなある日、PTはカーライルの絡みでの女性歌手ジェニー・リンド(レベッカ・ファーグソン)を紹介されます。ジェニーはヨーロッパで最も成功した女性歌手でしたが、未踏の地アメリカでの成功を目指していました。その彼女の全米ツアーをPTが手がけることになりますが、これが大成功。PTはジェニーのツアーに没頭するようになります。

 

 

 しかし、その間に、省みられなくなった家族やサーカス団員は彼に複雑な心情を抱くようになり・・。

 

 ・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 

 いや〜、これですね。僕の事前の期待、高かったんですよ。だって、これ、話の組み立て方いかんでは、

 

 

「興行師版市民ケーン」みたいにすることも可能な映画だったから!

 

 

PTバーナムの存在自体はすごく興味深かったんですよ。彼は貧しい育ちから、人生の逆転劇のように上流階級を見返すように成功した。でも、そのやり方は、人道に反したと見られる卑しいやり方での成功だった。

 

さらに

 

幸いなことに、フリークショーのメンバーたちはPTのことに対して信頼を抱いている。だけど、いくら「キミたちは特別な存在なんだ」と励ましたところで、彼らを利用して自分が金儲けしていたことには変わりはないわけで。そこに対しての人道的な良心の呵責とか葛藤みたいなものがなかったのか。まあ、19世紀だから、そこまで突き詰めて考えなかったのかもしれないけど、でも、それを21世紀の、これだけポリコレがうるさい世の中であえて映画にするってことは、そこのところで何らかの説得力を持たなくてはならない。ましてや、この当時の観客が体に異常のあるサーカス團員を温かい目で見ていたから集まっていたとは、それこそ19世紀の倫理観で考えてあるとは思えない。蔑んで好奇の目だけできてた人もたくさんいたはず。

 

 ・・そこのところ、どう返答するのかな・・・と思って見ていたんですけど・・

 

 

 特に、その答えらしいののがありません(苦笑)!

 

 だから、全然心が打たれなかったんですよ。いや、それどころか、

 

 彼とサーカス団員が直接絡むシーンそのものが圧倒的に少なくさえあった!!

 

 いや〜、そこはすごく残念でしたね。確かにミュージカルという形式は、登場人物の深い人間描写に向いているとは思いません。あまりそれやりすぎると、ミュージカルに不可欠なテンポ感が失われてしまいますからね。だけど、もっと、PTとサーカスとのふれあいのシーンを増やすことで、PTの人となりをほのめかすことなら十分できたはず!それがないのに、抗議に来る人を一方的に差別主義者的に描くのも違和感ありましたね。さっきも言ったように、サーカス見に行ってる人がそこまで人道的に彼らにあたたかかったのかどうかもわからない世の中だったのに。

 

 この違和感も最後まで引っかかったんですが、もう、それ以上に

 

音楽!!!

 

 も〜う、これが聴いてて辛かったの、なんの!

 

 別に「こんなの19世紀にあるわけないじゃないか!」なんて野暮なことは言いません。ポップスのフォーマット上のミュージカルで全然大丈夫です。

 

しかし!

 

 もっと、普通のアレンジでよかったんじゃないの???

 

 

 このアレンジがですねえ。なんかいかにもこう、ここ10年、5年くらいの、芸能界よりのポップスの妙に作り込まれた感じが一気に凝縮していたというかね。

 

 

 わかりやすく言うなら、なんかR&Bもエレクトロもフォークもコールドプレイみたいなものとか、なんか一緒くたになった、ただただオーヴァー・プロデュースなアレンジなんですよね。全方向にいろんなもの、足し算でくっつけすぎた。だから聞いててとにかくうるさいんです。

 

 

 「でも、こういう曲、本当にある時期のトップ40に多いよねえ」と思いながら聞いてましたけど、なんというか、P!NKとかデミ・ロヴァートあたりに提供しようとしてボツにされた曲みたいというか、サイモン・コーウェルが自分の番組で勝ったアイドルにあげる没個性的な曲みたいというか、曲そのものよりも、「今どきの流行りのポップスのお決まりフォーマット感」みたいなものの方が先行して表に出てしまっているというかね。

 

 まあ、それだからこそ、キッズにウケて全米アルバム・チャートで1位になったんだと思うんですが、この今のフォーマットが通用しない時代になったら、真っ先に恥ずかしいものになりそうな気がします。

 

 

 あと、「フォーマットすぎる」といえば

 

 

このザック・エフロンとゼンダヤのロマンスのシーンね。これ別に、PTバーナムの伝記であるわけだから本来ならいらないはずなんだけど(笑)、お互い別の世代のもとディズニー・アイドルが共演ということで、ほぼ話題作りのために無理矢理くっつけましたね、これ(笑)。「主役以外に、若い人のロマンスのサブ・プロットがあったらさらにウケる」みたいな、そういう方程式を信じ切ってる気がしますね。これも、やっぱそもそもの脚本と音楽がしっかりしないことも手伝い、 熱さがまったく伝わらないロマンスでしたね。まあ、ミュージカルなんで「あった途端に一目惚れ」は許すにしても、やっぱりこれも、フォーマットの方が先に目立ってしまい、心を打ちませんでした。だいたい、何でエフロンが一方的にハートに火をつけているのかがわからないですもん。

 

 

こういう感じなので、この映画、批評自体はかなり悪かったんですが、それでもゴールデン・グローブのコメディ/ミュージカルにノミネートされてしまいました。GGって、発表が1月と早いから、票を入れる人が対象作品を見きらずに期待値だけで入れるケースがあるんですが、これがまさにその一つですね。

 

 

 こういう風にツッコミどころ満載の、僕にとっては残念な映画だったんですが、一番個人的にズッコケたのは

 

 

 

ミシェル・ウイリアムスがこんなチャラい映画に!!

 

 今や30代のハリウッドの女優の中で最高の演技派と呼ばれる彼女がですよ、ロングヘアのウィッグかぶってトレードマークの超短髪が見えなくなってるだけじゃなく、なんと歌まで披露してしまってます!!う〜ん、その選択でよかったのか、ミシェル?少なくとも、ここ10年の彼女で、こんなにイメージに合わない映画、ズバリないですね(笑)。

 

 

 あと、ヒュー・ジャックマンはミュージカル大得意な人なんですが、「伝説のショーマン」の描き方がこんな感じで本当によかっんでしょうか?そこも疑問に残りますけどね。

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 11:03
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映画「ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル」感想 予想以上に面白い!オリジナルとは全く違う痛快青春コメディ

どうも。

 

 

新年早々、映画レビュー、行きます。これです!

 

 

 この「ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル」です。昨日の全米映画興行成績のとこで、この「ジュマンジ」が「最後のジェダイ」にも迫る大成功をしていることを伝えましたが、それがなぜなのか、幸いなことにブラジルでも公開されたばかりだったので確認することができました。うちの息子のトムが「最後のジェダイ」を見に行った際に予告トレーラーでこれを見て「これ見たい!」と言ったのがキッカケだったんですけどね。

 

 これ、もちろん、話自体は、90年代の同名のヒット作の「続編」という形をとってはいるんですが・・さあ、どんなお話でしょうか。

 

 

 早速、あらすじから見てみましょう。

 

 

 

 話は1996年。前作の映画が終わった直後の設定からはじまります。ニューハンプシャー州の高校生、アレックスは、父親が拾ってきたこの謎のゲーム、ジュマンジを開けてしまい、そこから行方不明となってしまいます。

 

 

 それから約20年後、その近くに高校では、4人の高校生が学校生活での警告のために放課後の呼び出し(デテンション)を食らっていました。それを食らったのは主人公のやせ形でナードな優等生タイプのスペンサー、彼の幼い頃からの友人で黒人のフリッジ、ケータイ電話が片時も離せない頭の軽いブロンド少女のベサニー、そして体育の授業が大嫌いな、自分に自信の持てないくらい少女のマーサ。

 

 この4人はデテンションの結果、学校の倉庫の掃除を命じられなしたが、そこになぜかジュマンジがあるのを見つけました。4人はジュマンジを開け、ゲームが指示する通り、それぞれのキャラクターをなんとなく選んだところ

 

 

 

 4人は似ても似つかぬ姿に変わり果てて、ジャングルに身を置かれてしまいました。つまりこれは、ジュマンジの指定したキャラクターに変身してしまった・・ということです。

 

 変身後の姿は、リーダーが無敵で頭脳も明晰なマッチョマン、ブレイヴストーン博士(ドウェイン・”ザ・ロック”ジョンソン)、小柄でひたすらまくしたててしゃべるフィンバー(ケヴィン・ハート)、マーシャル・アーツの達人のセクシー美女、ルビー・ラウンドハウス(カレン・ギラン)、そして地図読みの名人の中年男性シェルドン・オブロン教授(ジャック・ブラック)。本来、男女2人ずつのところが男3、女1になるという、実に不自然な設定となってしまいました(笑)。しかも、現実生活にかぶるキャラクターには、誰一人として結びついていません。それがどの組み合わせでどうなっているのかは、ここでは言えません。

 

 

 

 この4人の前に、ゲームのガイド役のナイジェル・ビリングスリー(リュス・ダービー)が現れ、ゲームの説明をします。それによると

 

 

 このジャングルは、悪党ヴァン・ペルト(ボビー・カンナバル)によって危機にさらされているとのことです。ヴァン・ペルトは、ジャングル内の秩序とパワーの源となっている「ジャガーの目」という名の緑に輝く宝石を自分のものにしようとしています。幸いにも、この宝石は彼の手に入りそうだったところをナイジェルに盗まれた状態にあります。4人の使命は、この宝石を、本来あるべき場所に置きに戻す、というもので、これを成し遂げない限り、元の姿には戻れないとのことです。

 

 

 4人は慣れない自分の姿と、道中では言い争いなども行いますが、とにかくミッションを達成しないことには元に戻れないため、協力します。自分の持っている命は3回で、2回までは死ぬことができるルールにもなっています。

 

 

 

 そして4人は道中で、謎の美青年、ジェファーソン(ニック・ジョナス)と出会い、飛行機運転が得意な彼の手腕にもだいぶ助けられます。彼は、このジュマンジのゲームに前から参加していたと言いますが・・・。

 

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

これはですね、ここまで読んでお気づきになった方もいらっしゃると思うのですが、

 

前作とは全く違います!

 

 

 

1995年に公開された前作というのは、あの当時の大人気俳優だったロビン・ウィリアムスを主人公にしたものでしたけど、彼に典型的な、子供を中心としたほんわかしたファンタジーものでした。その時の小役が写真見てもおわかりのようにキルステン・ダンストでもありましたけどね。なんか、スピルバーグの子供ものが流行っていた当時を思い出しますけどね。

 

 

 

 ところが今回のは、ザ・ロックを中心とした、思い切りコメディに寄った路線に大胆に方向転換しています。だいたい、出演キャストの中に、ケヴィン・ハートとジャック・ブラックいるわけですからね(笑)。

 

でも、

 

その大胆変更が功を奏し、大成功しています!

 

 

まず一つ成功なのが、前作とあまりに違いすぎて、ストーリーの予想が全くつかないとこなんですね。ここはよかった。見ていて次の展開が全く見えないので「どうなるんだろう?」と思いながら見続けることができた。この幻惑作戦は意表をつきましたね。

 

でも、それ以上に

 

役者間のケミストリーがすごく光っています!

 

 

 

 まずはザ・ロックですね。彼のコメディ路線はここしばらく続いているものではありましたけど、これ、ベストですね。この人、演技が器用で軽妙なんですよね。見ていて、ある時期のシュワルツェネッガーを思い出したし、彼自身もかなり意識してるんじゃないかな、これ。

 

 

あとケヴィン・ハートね!彼も、主演のコメディもの、興行ではヒットし続けてはいたものの、決定打に欠けるというか、なぜかスタンダップの時の彼の良さが生きていないような作品ばっかりだったんですけど、ようやく彼の話術がストーリーの中で生かされることができましたね。

 

 

 

 

それから、ジャック・ブラックはさすがでしたね。今回、間違いなくこの中で一番変な役なんですけど(笑)、いつもよりはだいぶ抑え目ながら、もう、いかにもこの人でしかないような演技でしっかり見せてました。ある意味、この役を彼が演じていなかったら失敗してたんじゃないかな、この映画。「トロピック・サンダー」の時の助演を思い出すんですが、あの時よりもよかったです。

 

 

 

 あと、カレン・ギランも収穫でしたね。彼女は元々イギリスで「ドクター・フー」の相手役として本国で人気出た人ですけど、今のとこお一番有名なのって、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のネブラですよね。あの最初のヤツでは実際に頭を剃ってまで演じた人でもあるんですが、今回で彼女にコメディエンヌとしての資質が高い人なのはわかりましたね。元々、インタビューの時とかで結構三の線で、一本アメリカで失敗したテレビ・コメディもあったりもしたからその素質はあるのはわかってはいたんですけど、これで確信したというか。ここから主演のコメディものとか増えるんじゃないかな。

 

 

 あと、今回、ベースにしたものがよかったですね、これ。

 

 

 

すでにアメリカでは方々で指摘されていますけど、これ、「ブレックファスト・クラブ」の現代版とも言える感じなんですよね。だいたい、「放課後のディテンション」で、これまで全く素性を知らなかったキッズ達がそれぞれ全く違うタイプながら心通わせていくあの感じ。これを同じエイティーズの「グーニーズ」とかに応用した感じですね。このあたりの、ちょっとノスタルジックな戦法も、上の世代に懐かしく、下の世代には新鮮だったような’気がしますね。

 

 

 そう思ってこれ、クレジット見たら、監督と脚本、ジェイク・カスダンなんですね、これ。お父さんのローレンス・カスダンは「スター・ウォーズ」の脚本家として有名な人です。「フォースの覚醒」の脚本も彼でしたね。「最後のジェダイ」の脚本は書いていませんが、この「ジュマンジ」が父のゆかりでもある「スター・ウォーズ」と予想外の興行首位争いを演じているのは興味深いですね。

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 12:26
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映画「Battle Of The Sexes」感想 70年代のテニス界伝説の女王の2つの戦い・・なんだけど

どうも。

 

では、今日も映画レヴュー、行きましょう。今日はこれです。

 

 

 

この「Battle Of The Sexes」。これ、行きましょう。

 

これは、1973年、アメリカのテニス界の伝説の女王、ビリー・ジーン・キングの伝説の試合、元男子のせ怪チャンピオン、ボビー・リグスとの世紀の一戦にまつわる頃を描いた映画です。ビリー・ジーン・キングといえば、クリス・エバート・ロイドとか、ナブラチロワの前に、日本でも「キング夫人」と呼ばれ、有名だった人ですけどね。女子テニスが世界的に注目されるようになった頃の偉大な選手ですが、これを「La La ランド」でオスカーの主演女優賞を受賞したばかりエマ・ストーンが演じることでも話題です。さて、どういうお話なのでしょうか。

 

 

早速、あらすじから見てみましょう。

 

 

 

 1972年、テニス界の女王、ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は選手としてのキャリアの頂点にありました。テニスのグランドスラムのうち、ウィンブルドンなど3つを制覇。まさに最強のテニス女王でした。

 

 

 

 しかし、これほどまでの強い選手でも、収入に恵まれているとは言えませんでした。その理由は全米テニス協会の会長ジャック・クレイマーとの対立です。クレイマーは、女子が手にする賞金を男子の8分の1に定めようとしていたのです。彼曰く、「女子では客を呼べない。人は注目しない」というのですが、男子と同じだけ客を集めていたビリー・ジーンにその理屈は納得できません。これを不服としたビリー・ジーンはマネージャーのグラディス・ヘルドマン(サラ・シルヴァーマン)とともに、女子のテニスの組合を作ります。

 

 

 

 その団体を女子選手たちと立ち上げ、「さあ、これから新しい人生」とばかりに選手たちとヘアサロンに行った際、髪をセットしてもらっている最中に、ビリー・ジーンはこれまでに感じたことのない胸の高鳴りを感じたのでした。

 

 

 

 

 一方、かつてのテニスの男子世界チャンピオン、ボビー・リグス(スティーヴ・カレル)は、引退後も富豪の娘と結婚し、金には一生困らない生活を送っていたはずでしたが、引退後の空虚感ゆえか、刺激を求めてギャンブル癖を悪化させ、妻から顰蹙を買ってしまい、生活の危機にありました。

 

 

 そんなボビーはある日、ビリー・ジーンや彼女の団体の選手の試合を見ていき、さらに友人たちのちょっとしたアイデアも加わって、「この俺が、今の女子のプロの選手を試合をして稼ぐっていうのはどうだ?」と思いつき、それを実行に移します。

 

 

 

 まさにその頃、ビリー・ジーンは、ヘアサロンでときめきを感じたマリリン(アンドレア・ライズボロウ)とただならぬ仲になっていきます。マリリンはいつしかビリー・ジーンの団体の専属のヘアドレッサーになりますが、彼女ら2人の様子は、不意に宿舎を訪れたビリー・ジーンの夫ラリーにも「何かおかしいぞ」と感づかれてしまいます。そうしたことがビリー・ジーンを焦らせ、彼女はある試合を落としてしまいます。

 

 

 

 すると、ボビー・リグスは、そのビリー・ジーンに勝った選手、マーガレット・コートに試合を挑みます。リグスはすでに55歳でしたが、マーガレットに危ないところを見せることなく圧勝してしまいます。

 

 

 

 当初、リグスの挑戦を、「女子テニスを見世物にしている」と相手にしていなかったビリー・ジーンでしたが、マーガレットの惨敗を目の当たりにし、「女子選手のプライドを見せなければ」とリグスの挑戦を受けて立つことにしました。これには全米のマスコミも飛びつき、巨額のファイトマネーもつきました。そして1973年9月20日に世紀の一戦を迎えますが・・。

 

 

 と、ここまでにしておきましょう。

 

  この映画はですね

 

 

 

 

 監督をしたのは夫婦コンビ、ジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリス。この2人はかつてオスカーの候補にもなった「リトル・ミス・サンシャイン」で有名になった人たちですね。この人たちの2作目が「ルビー・スパークス」と言って、昨日も紹介したポール・ダノとゾーイ・カザンの2人を主役に、かつての天才売れっ子作家とロボットの女の子とのロマンスを描いていましたね。

 

 このように、基本はコメディ、というか、それ以前は実はMTVの監督として有名だった2人なんですけど、それだからか、エフェクト関係は強い強い!

 

 この映画、何が一番良かったか、となると、もうダントツに映像です!

 

 もう、これは実例見せたほうが早いでしょうね。

 

 

トレイラーですけど、「どこの70年代の記録映像だよ」って感じじゃないですか(笑)?これはすごいと思いましたね。

 

なんか見ていてですね、70年代のブラウン菅のテレビ見ているような錯覚に陥りましたね。もしかしたら、その当時のカメラとかフィルム使って撮影したんじゃないかとさえ思いましたから。

 

 そこに加えて、メイク、衣装も立派でしたね。だって

 

 

 

エマがこんな感じで、さらに

 

 

 

スティーヴ・カレルに至ってはこれですからね!カレルのはよくここまでボビー・リグスに似せたものだと思いましたね。

 

 

 あと、やはりコメディ畑の監督なので、話がスカッとわかりやすく、話のテンポもいいから最後まで飽きさせません。見ていて、ダレるとか、飽きるといった類のこともなく、最後まで楽しく見れます

 

が!

 

正直な話、

 

 

 

ビリー・ジーン・キングその人の伝記としては、今ひとつかなあ。

 

 

なんか見ていてですね、すごく尊敬すべき人なんですよ。女性テニス選手の地位向上のために、賃金改正させたのは永遠に評価されるべきことだと思うし、さらに有名人でレジビアンの先駆者でもありますからね。フェミニズム的にすごく描きがいのあるアイコンだとは思うんですけど、

 

なんか、サラッと普通に描きすぎてて、「共感や尊敬できるポイント」がつかめず、感情移入しにくい!

 

 ここが問題ですねえ。

 

 実はビリー・ジーンに関しては

 

 

 

これも偶然、昨日の映画とつながっちゃうんですけど、ホリー・ハンターが2001年にテレビ映画で、まさに今回の試合の頃の彼女の伝記で主役を演じてるんですね。この時は完全に、「女性テニス選手の地位向上のために戦った」ところだけが描かれて、同時進行していたレズビアン・ロマンスに関しては描かれてなかったということです。ただ、「それだからこそ、的が絞れてて、素直に見やすかった」と、テニス好きのうちのワイフのアメリカ育ちのママが僕に教えてくれました。

 

 

 まあ、つまりはですね

 

ビリー・ジーンのレズビアンとしての描き方と、その展開がなんか今ひとつなんですよね。

 

 

今回の映画見たときに思ったのは「えっ、でも、70年代だよね??」ってことですね。なんかですね、周りの人が、ビリー・ジーンとマリリンのロマンスにあまりに簡単に感づいていたんですよね。これは正直「えっ??」と思いました。だって、70sの初冬の時点って、

 

レズビアンとかバイ・セクシャルって、当時はまだそんなに世間一般に認知されたものではなかったから。

 

 その頃に、ただホテルの部屋の行き来をしているだけで、そんなに簡単に勘づく人、いたのかなあ。そういう疑問がどうしても湧いたんですね。アメリカでさえ、そこまで理解されていた概念じゃなかったはずなんだけどなあ、と。

 

 その疑問を、先ほどのワイフのママにぶつけてみたんですね。そうするとですね

 

「あの当時、知ってる人でバイセクシャルの人はいたことは痛んだけど、こっちとしては”バイ・セクシャル??それ何??”って感じだった。ビリー・ジーンのことも、そういうことが知れたのはだいぶ後のことだった」というんですよね。

 

 

 確かに、そうしたレズビアン・ロマンスに関しても、その当時のビリー・ジーンの人生の事実だったとは思うんですね。だけど、ドラマ盛り上げよう、話を分かりやすくしようとするあまりにちょっと現実とは違う脚色をやりすぎちゃったかな、とは思いましたね。わからない話ではないんですけど、そこは伝記なので、忠実な方が良かったかな。

 

 

あとですね、レズビアンのロマンスとはいえ、

 

 

形としては「不倫」だったわけですよね?

 

 なんかですね、見ていて「男性とケッコンしているはずの自分が女性に恋してしまった」戸惑いとか、夫に関する罪悪感とか、そういう点の描き方が今ひとつ甘いから、せっかくレズビアンの面を取り上げても共感ポイントがどうしても下がっちゃうんですよね。ここはもう少し丁寧に描いて良かったんじゃないかな。なんか、せっかく取り入れたのに、中途半端な感じになっちゃったんですよね。

 

 

 まあ、とはいえ

 

 

 

ビリー・ジーン・キングというテニスの伝説、フィーメール・アイコンを知るキッカケとしてはいい映画です。

 

なお、世紀の一戦ですが

 

 

 

この映像で、実物が一瞬見れます。興味のある方は是非。

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 03:24
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映画「The Big Sick」感想 傑作!ロマンティック・コメディの生まれにくい時代に

どうも。

 

今日、こっちは祝日なのですが、2日続けて映画レヴュー、行こうかと思っています。

 

まず最初はこちらです。

 

 

 

 これはもう、半年くらい楽しみにして待っていた作品です。「The Big Sick」。こちらのレヴューです。

 

 この映画の評判はサンダンスの時から耳にしていて、アメリカで公開が始まるや短館規模でかなりのヒットになって、拡大になって、全米映画興行成績でもトップ10に入るほどの話題になった作品です。

 

 今回のこの映画、主役は、知っている人は少し知っている程度、僕も顔なじみはあったんですけど、「えっ、主演なの?」と驚いたくらいの知名度の人。その人の作品がどう話題になったのでしょうか。

 

 

 まず、あらすじから行きましょう。

 

 

 

 舞台はシカゴ。主人公のクメール(クメール・ナンジャーニ)は、友人たちとともに、スタンダップ・コメディの夜の舞台に立っていました。

 

 

 彼は、ある夜、自分のスタンダップの回で、話している途中で声をかけてきた女性と知り合います。終演後、「ああいう時に声をかけるのは良くないんだよ」と彼女に注意します。

 

 

 

 その彼女、エミリー(ゾーイ・カザン)は、ちょっとつかみどころのない不思議な女性でした。知り合って恋に落ちても、なかなか急いで愛に突っ走らせすにクメールに色々ルールを課します。それは、同じくワケアリのクメールにも都合が良かったのでした。

 

 

 

 クメールはパキスタン移民の子供で、基本は一人暮らしでしたが、たまに実家に帰らなければなりませんでした。それは、お母さんが薦める見合い相手との、家族くるみでのデートがあるからです。パキスタン系の家族の場合、見合いは絶対なのです。

 

 

 

 クメールは、そもそもは高い教育を受けている人で、本当は医者にされるところでしたが、今は弁護士を目指して勉強し、「コメディは趣味」ということになっていました。そんな環境の中、クメ−ルには白人のエミリーなど、家族が受け入れてくれるワケがないと思っていたからです。それほどまでに、ママの言うことが家族の中で絶対になっていたのです。

 

 

 

 そんなクメールでしたが、エミリーのことを愛さずにはいられなくなってきます。クメールは彼女のことを知っていきます。それは彼女が心理学を学んでいること。そして、過去には実は離婚歴があること。ただ、そんなことは気にならないほどに彼女のことを愛していくのですが、ある日、エミリーは、クメールの部屋に女性の写真がたくさんあるのを見てショックを受け、せっかく上手くいきそうだった恋愛が壊れてしまいます。

 

 

 

 それからしばらくして、クメールはエミリーの友人から、彼女が急病で倒れたという話を聞きます。入院先の病院に行くと、エミリーは変わらずクメールに釣れなく接しますが、たがて意識不明に陥ってしまいます。

 

 

 

 しばらくして、エミリーの両親が駆けつけますが、なかなかクセモノのこの両親(レイ・ロマノ、ホリー・ハンター)を前にクメールもタジタジとなり、そこからちょっと不思議な数日間が始まります・・。

 

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 これはですね。

 

 

 アメリカでも、ここ最近になって、ようやく名前と顔が知れはじめたコメディ俳優ですね、クメール・ナンジャーニ。彼は、この上の写真の、HBOのドラマ、「シリコン・ヴァレー」の中に出てくる、コンピューター・ナードの一人として有名になった人です。だから、この映画も彼が主役と聞いた時に「えっ、もう、そんなことに!?」と僕も驚いたほどです。このドラマでも、彼、インパクトに残る役ではあるんですけど、脇役でしたからね。

 

 そういうことが起こるのは、この映画が彼が自分自身の実体験をもとに、自ら脚本を書いて作ったからなんですが、それを

 

 

今や本当にアメリカン・コメディの大仕掛人ですね、あのジャド・アパトウがプロデュースを買って出たところ、ことが大きくなりました!

 

 いやあ、彼の才覚って、本当にすごいですよ。10年ほど前には「俺たちニュースキャスター」とか「40歳の童貞男」とか「スーパーバッド」とか、典型的な野郎コメディ、ブローマンスを作っていたのに、2010年代に入ってクリステン・ウィグの「ブライズメイズ」、エイミー・シューマーの「エイミー・エイミー(Trainwreck)」、そしてドラマの「Girls」と言った女性コメディを開拓し、そして今度は移民系コメディアン。ちゃんと時代の先を読んでコメディの可能性を開拓していますよね。

 

 

 そして、この映画自体が、アパトウの注目に値するほど、本当に完成度が高いんです!

 

 まず、何に驚いたかって

 

 

 このクメールとエミリーの2人のケミストリーですよ!

 

 クメールは、映画初主演とは思えない、堂々とした演技っぷりでしたね。愛する彼女が病気になる際のシリアスで献身的な演技も、普段のちょっとトホホで情けないところも、本当にうまくやれてた。いくら自分が書いて、実生活に基づいた話だからって、なかなかここまで演じることは難しいですよ。

 

 あと、パキスタン移民であることを自虐的に描いたところ、これも昨今のアメリカ社会の姿を如実に表してうまいなと思いましたね。

 

 

 

 実際、クメールは、先にインド系のコメディアンとして成功したアジズ・アンサーリやハッサン・ミナージュとともに早速比較されていますが、いずれの人たちも、インド系ということを逆手にとって、それを巧みに笑いに転化させていますね。とりわけインド系と言うと、民族的にやはり本来すごく保守的で、それゆえに西洋社会の観点から見たらすごく古臭く、時としてダサ区さえも見えてしまう瞬間に少なくないんですが、すでにアメリカで生まれ育った彼らには、そのインドとアメリカの文化の距離感というのが客観的にわかるし、彼ら自身も、「必ずしも自分や他にもそうじゃない人はたくさんいるのに、古臭い伝統にとらわれている民族性と思われて困る」という感覚を、すごく自虐的に表現しますね。アジズがネットフリックスでやってるドラマ「Masters Of None」もまさにそういう内容で、なんか「インド版ウディ・アレン」みたいで本当に良いものです。

 

 

 この映画でも、そこんとこはしっかり描かれてますね。とりわけ、クメールの場合、インドではなく、「パキスタン」ですからね。そこのところの微妙な違いを、かなりお約束的なステレオタイプの国民性ギャグを頻繁に駆使してますね。

 

 

 であると同時に、パキスタンといえば、どうしても「アルカイダの活動拠点」という印象も持たれてますよね。その辺りで、すごく差別と偏見にあって苦労している姿も、さりげなくですが、しっかりと描かれています。

 

 

 そして、もう一人注目が

 

 

 ゾーイ・カザンですよ!

 

 彼女、5年くらい前から若手の注目女優として見られていましたけど、ようやくハマる役が見つかったというか、コミカルな役やらせて、こんなにうまかったんだと思いましたね。あと、その笑いの中に、どこか憂いの隠せない、そのあ青い目の感じ。これがすごくゾクゾクッとさせるものがあります。

 

 

彼女って、私生活では

 

 

かの、現代の怪優ポール・ダノの奥さんですよ!そういえば、「ルビー・スパークス」って映画で共演してましたけど、あの時点で実は結婚してたんだそうですね。なんか、今回の映画見て、ダノの役者としての影響が彼女にも生きるようになったなと思いましたね。

 

 それから、この映画、脇役もすごくいい。特に

 

 

ホリー・ハンターは絶品だったなあ〜。

 

もう、彼女も50代後半かな。もうすぐ孫ができるくらいの役をこの人がやったのは初めて見たし、そこまで老けた役ってやったことのある印象ってなかったんだけど、ものすごくリアルに、かつ、ちょっとクセのある娘の、さらにクセのあるお母さん(笑)の役を、ユーモアと人間味、その両方を巧みに演じてましたね。ぶっちゃけ彼女、この演技でオスカーの助演女優賞にノミネートされても、全くおかしくないし、むしろ積極的にされるべきです。

 

 

 あと、彼女のダンナ役のレイ・ロマノも良かったですね。彼は「Everybody Loves Raymond」っていう90年代のテレビ・ドラマの主役で、どっちかというと純朴な役柄の人だったんですけど、ここでの「朴訥だけど、なんか変な人」を、これまでに泣き意外性を込めながら演じてましたね。

 

 

 あと、クメールの両親とお兄さんの家族たちもすごく笑えるし、スタンダップ界の友達たちもいい感じでしたね。「サタディ・ナイト・ライブ」のキャスト・メンバーでもあるエイダン・ブライアントっていう、ちょっと体の大きな女優さんがいるんですけど、彼女も友人役でいい味出してましたね。

 

 

 ・・というふうに、コメディとして、ロマンスとしてなかなか見ごたえのある映画なんですが、同時に

 

 

 これだけの要素が揃わないと、今、ロマンティック・コメDHいは難しいんだなあ〜

 

とも痛感しましたね。

 

 これ、見ててですね

 

 

 もう、本当に愛さずにはいられない、大好きな映画です。「世界に一つのプレイブック」。これを思い出さずにはいられなかったんですけどね。

 

 

 これも、精神的な障害を負った2人のラヴ・ロマンスで、なかなかトラブルありの、一筋縄ではいかない話でしたよね。今回の「Big Sick」も、一方は病気、そしてもう一人はあまり一般に知られていない国からの移民という、これくらい極端なセッティングがないと、今、ロマンティック・コメディって成立しないんだな、と思わされましたね。

 

 

 あるいは、ホアキン・フェニックスの「her」ですね。あれも、人間とコンピューターのOSの恋の物語じゃないですか。そういう、特殊な設定じゃないと、古くからの伝統のあるロマンティック・コメディが描けない時代なのかあ、と思って、見ていてワクワクはするんだけど、同時に寂しくもありますね。

 

 

 あと、ちなみにこの映画、何気にグッとくるのがラストです!ネタバレさせたくないので、あまり言えませんが、ニヤリとしますよ(笑)。

 

 

 これ、日本でも公開されて欲しいんですけどね。有力候補ではないですけど、批評はかなりいいし、オスカーでも推す声上がってるから、少しくらいノミネートされて欲しいんですけどね。そしたら、公開に近づけるとも思うので。

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 13:13
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映画「Detroit」感想 裏黒人音楽史としても見ごたえのある「Black Lives Matter」の元祖

どうも。

 

 今日は映画レヴュー、行きましょう。これです。

 

 

 

この「Detroit」という映画。これは1967年に起こった、デトロイトでの黒人暴動を元にした実話の映画化・・との話を僕も聞いてて、興味あるテーマで楽しみにしていました。監督は「ハートロッカー」で2010年のオスカーで女性監督による初のオスカーの作品、監督賞を受賞したキャサリン・ビグロウ。来年2月のオスカーの候補作の一つにも見られています。果たして、どんな映画なのでしょう。

 

早速、あらすじから行きましょう。

 

 

 

 1967年7月23日、デトロイトでは、歴史的ににかなり有名になる黒人暴動が起きていました。その理由は、公民権運動が施行されて2年になるのに黒人の就業の平等が達成されず、郊外に押し寄せてきた白人たちに生活基盤を追いやられていたこと。そして白人の警察による、無闇矢鱈な黒人の取り締まりにありました。

 

 

 この有名な暴動も、事の発端は、違法経営の黒人のナイトクラブを取り締まろうとしたことにありました。その夜、そこで行われていたのはベトナム戦争に出陣していた黒人兵の帰還パーティだったのですが、警察はそこにいた人を全員逮捕してしまいます。それに怒って黒人たちは暴動を起こしたのでした。

 

 

 

 白人警官のひとり、フィリップ・クラウス(ウイル・ポウルター)は、その中でも特にタチの悪いタイプでした。彼は、この暴動の最中、ただ、スーパーマーケットに入って窃盗をしただけに過ぎない黒人男性を、ただ逃げているだけなのに後ろから銃で撃つような暴挙をして、警察の上司からも目をつけられているような輩でした。

 

 

 暴動が始まって2日目。デトロイトのローカル規模ながらちょうど注目され始めてきていたばかりのソウル・ヴォーカル・グループ、ザ・ドラマティックスはフォックス・シアターという劇場で1曲のパフォーマンスを行おうとしていましたが、暴動が激化したことを受けて、彼らの出演の出番の直前にショウがキャンセルになってしまいます。

 

 

 

 

 そのリードシンガーのラリー・リード(アルジー・スミス)は友人フレッドと、近くにあったモーテルに宿泊します。そこで彼らは、宿泊客の2人の白人女性ジュリー・アンとカレンに会います。この女性2人は、モーテルの黒人の主人のカールと顔なじみで、ラリーたちをカールに紹介しました。

 

 

 その紹介の場で、カールは友人と喧嘩をして、おもちゃの銃で撃って死んだふりをする、というキツい冗談を演じて、女生2人の顰蹙を買います。彼女たちは黒人ベトナム帰還兵とこの後時間を過ごし、ラリーたちも自分の部屋に戻っていました。

 

 

 ちょっと酒が入っていてゴキゲンだったのか、カールはそのおもちゃの銃を勢いでパーンッ、パーンッと何度か窓の外からならします。しかし、そこから悪夢が始まってしまいます。

 

 

 それは、暴動にそなえ警備していた警察の耳に入ってしまったのです。暴動だと思い込んで忍び込んだ警官の中には、クラウスがいました。そしてクラウスは、「なんか俺、ヤバイことした?」みたいな感じで降りてきたカールをテロリストだと思い込み射殺されてしまいます。

 

 

 そして、モーテルの宿泊客たちは、カールの遺体現場の眼の前で壁に後ろを向けられた状態で「銃はどこだ」と、乱暴に乱暴を重ねて、「真実を話せねば殺す」くらいの勢いでした。

 

 

 この現場には、周辺の警備を行っていた黒人のメルヴィン・デスムークス(ジョン・ボイエガ)も立ち会い、銃がないかを調べる作業などを手伝っていましたが、そこで行われていることを目撃していました・・

 

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 いや〜、これですね。

 

 

 想像していたものと、ぜんぜん違いました!

 

 

 僕はですね、もっとデトロイトの黒人暴動そのものを描いたものだと思っていたんですよ。僕としては、そういう話に興味がありました。だって、いわゆるこの時代の黒人の差別問題って、「公民権施行でそれでめでたし」みたいなものになりがちだったけど、実際には施行して数年後に黒人暴動は多発していたし、ブラック・パンサーみたいな党も台頭していました。そこで「めでたし、めでたし」のものではないよなあ。もっと、その当時の黒人社会の実際のところを知りたいなあ、と思っていたからです。

 

 今回の映画は、黒人暴動そのものではありませんでした

 

が!

 

 むしろ、それ以上でした!

 

 というか、これ、黒人暴動の話というよりは

 

 

 Black Lives Matterの元祖じゃないか!

 

 

 そういう意味で、黒人暴動そのものを扱うより、もっともっとコンテンポラリーな問題だったんですよね、これ。

 

 

 

 このBlack Lives Matterというのは、2013年に白人警官のジョージ・ジマーマンが黒人小年のトレイヴォン・マーティンくんを射殺したにもかかわらず、裁判で無罪になったことに端を発して始まっています。その翌年も、ミズーリ州ファーグソンでマイケル・ブラウンさんという18歳の青年が同じように白人警官に撃たれ、この時は直後に暴動に発展しています。

 

 

 この問題って、僕が大学生だった1992年にもLA暴動と言って、この時は殺害まではいかなかったんですが、白人青年が警察のリンチにあったのに、それが無罪になって、この時は暴動が数日続いたものでしたけどね。ちょうどこれをキッカケに、僕が本格的にヒップホップやブラック・ムーヴィーに興味を持つようになったものです。

 

 この映画が描いているものは、それからさらに25年後、50年後に続いていることの、ことの本質を描いたものです。その意味で、悲しいかな、まだ普遍性のあるもので悪い意味であり続けている、白人の黒人に対する差別心、もしくは、一旦、「この黒人は悪い奴」と決めつけたら命をも軽視してしまうその態度の悪しき伝統、というか、ここまできたら病魔ですね、それを描いたものになっています。

 

 この映画で描かれているものは、中でも最悪ですね。この当時は今よりもさらにその偏見が根深かっただけに、起こったこともさらに最悪です。見ていてすごく気分悪くなりましたが、でも、それが現実だったんだなと思います。

 

 

 そして、これ、驚くべきことに

 

 

 ドラマティックスがその後、成功して、今も現存する人たち、ということです!

 

 

 

 

 

 

この2曲70年代に全米トップ10に入る大ヒットになって、ソウルファンにはそこそこ知られたグループです。その彼らに、こんなにシャレにならない、悪夢のような事件があったとは。

 

 ちなみに、ラリー・リードは、このヒット当時のメンバーではすでにありませんでした。どうなったかは・・映画を見て知って欲しいんですけどね。

 

 でも、リリックによるメッセージじゃなく、実際の体験でここまでえげつない、後の世に対する強烈なプロテスト・メッセージにもなりうるものを彼らがしていた、というのは本当に勉強になりましたね。目からウロコが落ちたような気分になりました。

 

 

 こうしたとこも含めて

 

 

やっぱり、キャサリン・ビグロウってすごい監督だなと思いますね。

 

 いわゆる女性監督って、「女性だから女性らしい映画を作る人」と「女性だからといってそうしたものに左右されずに映画を作る人」の二手(僕はどちらでも良いですが)に分かれて、前者の方が多い印象があるんですけど、彼女は後者側の第一人者ですね。言われないと、監督の性別なんて全くわからないタイプですけど、今回もその徹底ぶり、すごいですね。あくまでも、自身の問題意識のある社会的問題に踏み込むことだけにこだわって作った(それは前作の「ゼロ・ダーク・サーティ」も基本そう。CIA女性捜査官への差別問題もすごく客観的に描かれてるし)感じがあって。あくまでも「社会派監督」としてだけで勝負して、その結果、現在、その道で完全にトップの監督の一人ですね。

 

 そして、前にも書きましたが、この題材を取り扱う際に「めでたし、めでたし」にしないで、今日までしっかり続く問題にしてある点で、やっぱり信頼がおけますね。白人監督だと、「ミシシッピー・バーニング」のアラン・パーカーあたりがそうでしたけど、そういう風な作りにしてしまって後味が悪くなるものもあるんですけど、そういうのがないのも良いです。

 

 

 ただ、惜しむらくは、これだけの良作が、完全なるどインディの配給で、商業的にコケたことですね。もうオスカーも受賞しているし、そうした名誉にはこだわらないとも思うんですけど、やっぱり「優れた作品」というものは多くの人に届いて欲しいじゃないですか。その意味では、惜しい気もしましたね。

 

 

 

  

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 14:14
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