RSS | ATOM | SEARCH
映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」感想 100%ゲイリー・オールドマン

どうも。

 

今日も映画レビューですが、こちらです。

 

 

 

話題作ですね。イギリスの伝説てきな首相、ウィンストン・チャーリルの伝記映画。原題は「Darkest Hour」。主演のゲイリー・オールドマンに悲願のオスカーの主演男優賞がかかっている映画です。映画ファンで注目している人も少なくないんじゃないかな。

 

では、早速あらすじから行きましょう。

 

 

 

1940年5月、第二次世界大戦はヒトラーのナチス・ドイツが飛ぶ鳥落とす勢いでした。イギリス・フランスの連合軍も太刀打ちできる状態ではなく、議会では、野党の労働党が、イギリスの国防の弱さを責め、チェンバレン首相の退陣を迫っていました。

 

 

 その頃、ウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)は秘書になったエリザベス・レイトン(リリー・ジェイムス)にタイピングの指導を仕込み、彼女がうまくいかないと怒りあげるのでした。その様子を見て妻のクレメンタイン(クリスティン・スコット・トーマス)がチャーチルをなだめるのでした。

 

 

 そんな矢先、チャーチルは国王、ジョージ6世(ベン・メンデルスゾーン)から呼び出しを受け、首相の就任を命じます。ただ、国王の本音は、彼の友人でもある外相のハリファックス伯爵に首相になってもらいたかったのですが、ナチに対する強攻策が取れるのがチャーチルしかいないと踏む人がいたのと、伯爵が首相就任に難色を示したために止むを得ずの選択でした。

 

 

 チャーチルは、過去の言動から、国民や議会からのウケは良くなく、さらに就任早々、ドイツへの好戦的な発言を行ったために野党からはかなり心配され、批判もされます。それを見かねたチェンバレンとハリファックスは、イタリアの大使を使って、イタリアが戦争に介入しないように裏で調停をかけようとします。彼らはチャーチルにもそれを望み、それができないならチャーチルを内閣不信任案にかけるつもりでいました。

 

 

 そうこうしているうちうにドイチがフランス軍に大敗し、ダンケルクの戦いからイギリス軍が撤退します。イギリスでのナチスとの戦争も避けられそうにもない中、チャーチルは「和平か、戦争か」を迫られることにもなりますが・・

 

 

 ・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 これはですね。

 

 

過去に「つぐない」などを手がけたジョー・ライトの監督によるチャーチルの伝記ですね。彼は僕よりも年下で40代前半と若いんですけど、トラディショナルな文芸ものは得意な人なのですごく適役だと思うのですが

 

まあ〜、難しかった!

 

第二次世界大戦の流れは理解しているつもりではあったんですけど、そこまで細かく把握していなかったので、1940年5月にそこまで色々なことが起こっていたとは知らなかったものですから、見ながら話を整理するのが結構大変だったんですけど、でも、それでも

 

 

ゲイリー・オールドマン様様の映画でした!

 

 とにかく話そのものよりも

 

 

なんで、この風貌から、こうなるかなあ、という驚きの方が上回りましたね。

 

 

 

これが実際のチャーチルですけど、まあ、見事に乗り移ってましたよ。オールドマンの声、比較的、地声からそう遠くはないものではあるものの、しかし、まあ、非常によく研究されていましたね。

 

 

 あと、話がどんなに複雑であろうと、頑なに「意志の男」を彼がしっかりと軸になって演じているので、とっちらからずに映画を見ることができました。そこもすごく立派だったと思います。

 

 ただ!

 

これはあくまで、ゲイリー・オールドマンの映画であり、それ以上でも、それ以下でもなかったです(笑)!

 

 

 それくらい、彼の存在感が圧倒的すぎて、他の役者の人の記憶が、それがジョージ6世にせよ、チェンバレンにせよ、ハリファックスにせよ、あまり残らないんですよね。同じイギリスの政治ものなら、メリル・ストリープがマーガレット・サッチャ_演じた時も同じようなことが起きましたけど、良くも悪くも「主役独壇場」の映画でしたね。

 

 

 

秘書役のリリー・ジェイムスあたり、もっと効果的に生かすのかと思ってましたけど、案外そうではなかったですね。「ベイビー・ドライバー」以降、お気に入りの女優さんなんですが。彼女が別に悪いとかそういうのではなく、生きるようなストーリー展開には、そこまでなっていなかったですね。

 

 

 

 

 

ただ、奥さん役のクリスティン・スコット・トーマスはうまかったですね。90sの頃に「イングリッシュ・ペイシェンス」とかでよく見た女優さんでしたけど、その後も地味に渋い映画で姿見てましたけど、演技に余裕があるというか、ああいう歴史的な人物を裏で支える気丈で勝つ上品な役をやらせたら上手いですよね。

 

 

 ただ、それでも

 

 

30年前に、チャーチルとは179度くらいかけ離れた(笑)、シド・ヴィシャスやってた人が、今やイギリスの伝説の首相の役、やるんだもなあ、という感慨には、どうやっても勝つことはできませんでしたけどね。

 

 

レオンでの、この凄まじく恐ろしい冷血悪役から20数年でこれでもある。ぶっちゃけ、歴史のことわからなくても、彼の演技見ているだけで、十分に成立する映画ですね。

 

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 14:01
comments(0), trackbacks(0), - -
映画「BPM ビート・パー・ミニット」感想 「LGBT映画の傑作!」・・と言いたいとこなんだけど・・

どうも。

 

 

今日、明日と、また映画評、行きましょう。今日はこれです。

 

 

これは話題の映画ですね。「BPM(ビート・パー・ミニット)」。こちらの感想です。これは去年5月のカンヌ映画祭に出展して、実質的な準優勝を意味するグランプリを受賞した映画です。しかも内容がフランスのLGBTということで、僕もこれ、かなり期待値の高い映画でした。さて、どんな映画なんでしょうか。

 

 

早速あらすじから見てみましょう。

 

 

舞台は1990年代初頭のパリ。ゲイのエイズ患者を中心に結成された啓蒙集団ACT UP(アクトアップ)は、国の保険省の治療薬の方針やキャンペーンの不徹底などに強い不満を感じ、ゲリラ的な抗議活動や啓蒙活動を展開していました。

 

 

 彼らの抗議のやり方は突発的で過激なものではありましたが、その中にはユーモアもありました。彼らのこうした作戦は、学校の教室みたいなところを借りて日々行われる会議場でした。

 

 

 

 時には、こうした感じで、パリのど真ん中でゲイ達がチアリーディングを行いながらキャンペーンをする、なんてこともありました。

 

 

 

その中でショーンは、屈指の論客として知られていた存在でしたが

 

 

 メンバーの一人、ナタンと恋に落ちていくことで、その後の人生が大きく変わっていくことになってしまいました・・

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 これはですね

 

 

 

2008年にカンヌでパルムドールを受賞したことで知られる「パリ20区、僕たちのクラス」で脚本を手がけたロバン・カンピヨの監督作なんですね。そういうこともあって話題性は高かったし、実際に今回のカンヌでグランプリも受賞。あと、オスカーの前哨戦の外国語映画賞で受賞することもありましたね。

 

 

 そういう風に実績が固められてしまうと、ましてやそれがLGBTという、社会の進歩性を推し進めたくなる題材だと、なおさらポジティヴに作品を見たくなるものではあるんですけど・・・、すみません

 

 

僕、正直、この映画は少し微妙でした・・。

 

 

 いや、もちろん最初は期待がメチャクチャ高かったんですよ。やはり

 

 

 

 エイズの認識を社会一般に高めるための活動をしている人たちの集団、というのは、話の題材として、かなり新鮮じゃないですか。だから、彼らが今から20年くらい前にどういう風な、ある意味、青春と呼んでもいいとさえ思うんですが、ほとばしる若さとともに、どう偏見や社会と戦って行ったのか。これだけで十分に映画や人間ドラマの題材になります。実際の話、僕は前半に関しては食い入るように見てて、勝手に「傑作の予感」を感じていたんですけど

 

 

 

このロマンスがなあ〜。

 

 

 そりゃ、ゲイとエイズを題材とした作品の中でロマンスが出てこない方が不自然だし、あるべきだとは思います。この2人による絡みのシーンもそりゃ美しくはあるんですけど、だけど、話の流れ上、「この愛が高まってしまったらどうなるか’・・」というのは、もう、台本見なくたって、もう自然と想像がつくじゃないですか。

 

 

 ストーリーは、その「予想」のまんま、いや、僕の予想以上に予想のつく方向性に進み、更に言うと、前半部にむしろショーンと同等かそれ以上だったキャラクターの出番が極端に減ってしまいます!

 

 

 だからですね、なんか2つの違う映画を前半と後半に分かれてみているような気分になっちゃったんですよね。「あれ、これ、前半部の意義、消えてない?」みたいな感じで。なんか社会派ドラマが突然メロドラマに切り替わったような、そんな違和感を感じるんですよね。あるいは、前半は導入でしかなく、通俗的な中身をパッケージを変えてみせようとした戦略みたいというか。そこにすごく物足りなさを感じたんですよね。

 

 

 あと、すごく先が読めるストーリーの割にすごく長い上に、最後の方が急にまた軌道修正を飛び込みでかけたみたいになっているのも、少なくとも僕の好みではなかったです。

 

  

 まあ、それでも評判が良かった、というこちは「そんなこと気にせずに見なよ」ということなのかなあ。なんか今ひとつ、腑に落ちないんだけど。

 

 

 ただ、そういう良くも悪くもポップな味付けがされているがために話自体がすごく覚えやすくなっていることは認めます。でも、それと引き換えに、この映画がオスカーの外国語映画賞のフランス代表になっていたのに、最後のノミネート選考の8作品にも入れなかった理由もなんとなくわかりました

 

 

 これ、長い目で見て、どういう認知になるか。それも興味ありますね。

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 11:40
comments(0), trackbacks(0), - -
映画「ザ・スクエア 思いやりの領域」感想 なかなかにシュールなカンヌのパルムドール

どうも。

 

 

今日も映画レビュー、行きましょう。これです。

 

 

 

 

去年のカンヌ映画祭のパルムドール受賞作です。「ザ・スクエア」。日本では4月の公開のようですね。

 

これはカンヌであることに加え、オスカーの外国語映画賞のスウェーデン代表作でもありまして、受賞の有力作品にも見られています。

 

 これ、果たしてどんな映画なんでしょうか。

 

 

 舞台はスウェーデンのストックホルム。主人公の現代アーティストのクリスチャン(クラエス・バング)は、新作の展示のプロモーションの準備に入っていました。そんな彼はアメリカ人女性で彼のファンというアン(エリザベス・モス)のインタビューを受けます。

 

 

ただ、アンの言葉は、評論家の評論をただコピーしただけで本人が意味をわかっていません。それがわかったクリスチャンはただ呆れるだけでした。

 

 

 そのあと、クリスチャンは街を歩いていると、ある女性が「殺される助けて!」と叫んで彼に駆け寄りました。クリスチャンは正義心を働かせ、襲おうとしていた男性を周囲の人となだめます。「いいことしたかな」と思ったのもつかの間、彼は自分の携帯電話と財布が盗まれていたことに気づきます。

 

 

 それを返して欲しいクリスチャンは、スタッフと考え、各アパート1軒1軒に、「盗難された。ケータイと財布を返して欲しい」というビラを配って回る作戦をとります。

 

 

 一方、展示会「ザ・スクエア」の準備も進められます。宣伝スタッフはやる気を見せますが、どうも彼の芸術を理解しているようには見えません。

 

 

 準備が進む中、クリスチャンはアンとパーティで再会します。一見、真面目風を気取っていたクリスチャンですが、アンの魅力には抗えず、一晩を共にしてしまいます。ただ、そのセックスは実に興味のものでもあって・・。

 

 

 一方、ケータイとサイフに関しては、「それは僕の家にある」という子供が名乗り出ました。ただ、チラシに、それがあたかも泥棒の仕業のように書いてあったのを見て「とっといてあげてそれはないだろ。謝れ」と命令します。奇しくも、子供にそれを言われたのはクリスチャンではなく、彼のスタッフでしたが。

 

 

 そして、展示会は近づいてきましたが、直前になってスタッフがイメージダウンとなる大失態をおかします。そして、事態はどんどんおかしな方へと進んでいき・・

 

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 

これはですね。

 

 

スウェーデンのルーベン・オストランドという、まだ40代の監督です。彼は前作の「フレンチ・アルプスで起きたこと」でもオスカー外国語映画賞の最終5本の候補で残っていましたが、その次の作品がカンヌのパルムドールと、世界的にすごく注目されている監督なのです

 

 

が!!

 

すみません。僕の上に書いたあらすじの意味、わかります(苦笑)

 

 

いやあ、これ、見ていて、話の内容を理解するのに結構大変でした。

 

 

これですね、ストーリーは一応一つにつながってはいるんですけど、どっちかというと、一つ一つのエピソードのぶつ切りをくっつけた感じみたいになっているので、話の連続性を理解するの、結構大変だったんですよ。しかもこれ、僕の場合、スウェーデン語(部分的にだけ英語)をポルトガル語字幕で負わなくてはならなかったので、しんどかったですね。

 

 

 まあ、なんとなく言えるのは、「物事をわかったふりをして生きている人たちの空虚さ」であったり、「受動的に人任せで生きるとロクなことない」とか、そういうことなのかなあ、と思いながら見てましたけどね。おそらくそれだけじゃないと思いますけど。

 

なんか見ていて

 

 

 フェリーニの名作「甘い生活」を思い出しましたけどね。生きてる世界は華やかで、時代も明るい時代なんだけど、どこか惚けてしまって、登場人物たちの人生や生活、人とのつながりが空虚な姿を描いたものでしたけれど、この映画にもどこか、時代や国は違いますが、近いようなニュアンスを少なくとも僕は感じましたね。

 

 

 あるいはスペインの鬼才、ルイス・ブニュエルの後期の不条理系の作品ですね。「皆殺しの天使」とか「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」あたりの。社会的に地位がありそうな人たちの群像がひたすら無責任で、困ったことが起きてもお構い無しで、ひたすら自分勝手なことをしている、みたいなね。

 

 この映画が、すごく抽象的で説明の少ない映画ながら、かなりの絶賛を受けている背景には、こうしたヨーロッパ映画の偉大な先達の影を感じるからなのかな、と思いながら見てましたけどね。2014年のオスカ_の外国語映画賞を受賞した「グレイト・ビューティ」なんかも、フェリーニ色の非常に強い映画だったしなあ。

 

 あと、ハリウッドの映画ファンとしては

 

 

エリザベス・モスのいつにない怪演がよかったですけどね。彼女と言えば、「マッドメン」のペギーとか、エミーやゴールデン・グローブで主演女優賞を受賞した「The Handmaid's Tale」でのジューン役など、シリアスな役のイメージが強いんですけど、ここでは不条理コメディにあう、かなりシュールな笑える演技に徹してます。かなり器用な女優さんだなと思いましたね。

 

 

 あと、これ、本当に謎な映画でして、上の話に出てこないんですが、出回っている媒体用で一番使われているのがこれですからね。

 

 

 

これ、意味わかります(笑)?とにかく、どんなに話しても謎だらけの映画なので、興味ある人は劇場で楽しんでください。

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 12:33
comments(0), trackbacks(0), - -
映画「グレイテスト・ショーマン」感想 人生描写も音楽も、とにかく軽すぎ

どうも。

 

 

これから2月までは、毎週のように何かしら映画レビューが入るようになります。やっぱりオスカーが近い上に、その上に話題性のある映画の公開が続きますからね。

 

 

今日はこちらの映画のレヴュー、行きましょう。

 

 

この「グレイテスト・ショーマン」。19世紀のニューヨークの伝説の興行師、PTバーナムの生涯を描いた伝記映画で、バーナム役をヒュー・ジャックマンが演じています。昨年の初め頃から期待値の高い映画だったのですが、さて、どんな感じだったのでしょうか。

 

 

早速、あらすじから見てみましょう。

 

 

 舞台は19世紀のニューヨーク。PTバーナムは貧しい育ちで、子供の頃から父親と一緒に地元の裕福な家庭ハリエット家に、父親と一緒に仕立屋として出入りしていました。そこで彼は、ハリエット家の同世代の女の子チャリティと恋に落ちます。

 

 

 

 

 やがて大人になったPT(ヒュー・ジャックマン)とチャリティ(ミシェル・ウィリアムス)は結婚し、チャリティは勘当同然で家を出ます。そして2人は2人の女の子の子宝に恵まれますが、生活は苦しいままでした。さらに追い討ちをかけるように、PTの勤めていた会社が倒産となってしまいました。

 

 

 なんとか妻と娘を助けたい。PTはその一身でしたが、奇想天外な転職を行います。それは街中に劇場を立てて、自分のサーカスを作ることでしたが、

 

 

 PTはそのサーカスの団員を、身体的に異常を抱えた人たちなどで構成しようとしました。そこには、小人症の人や、髭の生えた女性などが集まり、いわば彼らを見世物にする、俗に言う「フリーク・ショウ」を主催します。

 

 

 このやり方に世間からの批判は高まり、抗議運動まで起きます。しかし、娘の言った「特別なことをやらないとダメ」という言葉を信じ切ったPTは気に留めません。また、PTは自分の団員を差別しているつもりでは全くなく、むしろ逆に「キミのその人との違いは立派な個性なんだ」と励まし、これまで日陰を生きてきた彼らにスポットライトを当てさせます。そして、このショウは、批評家の予想を覆し、大成功します。

 

 PTは一躍ニューヨークで話題の人物となり、その手腕には賛否両論が集まります。「成功はしているが、やっていることは卑しいこと」。そのような見られ方をします。そんな中、PTは上流階級青手に劇作家をしていた若者フィリップ・カーライル(ザック・エフロン)を説得して自分の仲間にしてしまいます。最初は半信半疑のカーライルでしたが、アクロバット担当のサーカスの女の子

アン(ゼンダヤ)に一目惚れをすることで人生観が変わってしまいます。

 

 

 そんなある日、PTはカーライルの絡みでの女性歌手ジェニー・リンド(レベッカ・ファーグソン)を紹介されます。ジェニーはヨーロッパで最も成功した女性歌手でしたが、未踏の地アメリカでの成功を目指していました。その彼女の全米ツアーをPTが手がけることになりますが、これが大成功。PTはジェニーのツアーに没頭するようになります。

 

 

 しかし、その間に、省みられなくなった家族やサーカス団員は彼に複雑な心情を抱くようになり・・。

 

 ・・と、ここまでにしておきましょう。

 

 

 いや〜、これですね。僕の事前の期待、高かったんですよ。だって、これ、話の組み立て方いかんでは、

 

 

「興行師版市民ケーン」みたいにすることも可能な映画だったから!

 

 

PTバーナムの存在自体はすごく興味深かったんですよ。彼は貧しい育ちから、人生の逆転劇のように上流階級を見返すように成功した。でも、そのやり方は、人道に反したと見られる卑しいやり方での成功だった。

 

さらに

 

幸いなことに、フリークショーのメンバーたちはPTのことに対して信頼を抱いている。だけど、いくら「キミたちは特別な存在なんだ」と励ましたところで、彼らを利用して自分が金儲けしていたことには変わりはないわけで。そこに対しての人道的な良心の呵責とか葛藤みたいなものがなかったのか。まあ、19世紀だから、そこまで突き詰めて考えなかったのかもしれないけど、でも、それを21世紀の、これだけポリコレがうるさい世の中であえて映画にするってことは、そこのところで何らかの説得力を持たなくてはならない。ましてや、この当時の観客が体に異常のあるサーカス團員を温かい目で見ていたから集まっていたとは、それこそ19世紀の倫理観で考えてあるとは思えない。蔑んで好奇の目だけできてた人もたくさんいたはず。

 

 ・・そこのところ、どう返答するのかな・・・と思って見ていたんですけど・・

 

 

 特に、その答えらしいののがありません(苦笑)!

 

 だから、全然心が打たれなかったんですよ。いや、それどころか、

 

 彼とサーカス団員が直接絡むシーンそのものが圧倒的に少なくさえあった!!

 

 いや〜、そこはすごく残念でしたね。確かにミュージカルという形式は、登場人物の深い人間描写に向いているとは思いません。あまりそれやりすぎると、ミュージカルに不可欠なテンポ感が失われてしまいますからね。だけど、もっと、PTとサーカスとのふれあいのシーンを増やすことで、PTの人となりをほのめかすことなら十分できたはず!それがないのに、抗議に来る人を一方的に差別主義者的に描くのも違和感ありましたね。さっきも言ったように、サーカス見に行ってる人がそこまで人道的に彼らにあたたかかったのかどうかもわからない世の中だったのに。

 

 この違和感も最後まで引っかかったんですが、もう、それ以上に

 

音楽!!!

 

 も〜う、これが聴いてて辛かったの、なんの!

 

 別に「こんなの19世紀にあるわけないじゃないか!」なんて野暮なことは言いません。ポップスのフォーマット上のミュージカルで全然大丈夫です。

 

しかし!

 

 もっと、普通のアレンジでよかったんじゃないの???

 

 

 このアレンジがですねえ。なんかいかにもこう、ここ10年、5年くらいの、芸能界よりのポップスの妙に作り込まれた感じが一気に凝縮していたというかね。

 

 

 わかりやすく言うなら、なんかR&Bもエレクトロもフォークもコールドプレイみたいなものとか、なんか一緒くたになった、ただただオーヴァー・プロデュースなアレンジなんですよね。全方向にいろんなもの、足し算でくっつけすぎた。だから聞いててとにかくうるさいんです。

 

 

 「でも、こういう曲、本当にある時期のトップ40に多いよねえ」と思いながら聞いてましたけど、なんというか、P!NKとかデミ・ロヴァートあたりに提供しようとしてボツにされた曲みたいというか、サイモン・コーウェルが自分の番組で勝ったアイドルにあげる没個性的な曲みたいというか、曲そのものよりも、「今どきの流行りのポップスのお決まりフォーマット感」みたいなものの方が先行して表に出てしまっているというかね。

 

 まあ、それだからこそ、キッズにウケて全米アルバム・チャートで1位になったんだと思うんですが、この今のフォーマットが通用しない時代になったら、真っ先に恥ずかしいものになりそうな気がします。

 

 

 あと、「フォーマットすぎる」といえば

 

 

このザック・エフロンとゼンダヤのロマンスのシーンね。これ別に、PTバーナムの伝記であるわけだから本来ならいらないはずなんだけど(笑)、お互い別の世代のもとディズニー・アイドルが共演ということで、ほぼ話題作りのために無理矢理くっつけましたね、これ(笑)。「主役以外に、若い人のロマンスのサブ・プロットがあったらさらにウケる」みたいな、そういう方程式を信じ切ってる気がしますね。これも、やっぱそもそもの脚本と音楽がしっかりしないことも手伝い、 熱さがまったく伝わらないロマンスでしたね。まあ、ミュージカルなんで「あった途端に一目惚れ」は許すにしても、やっぱりこれも、フォーマットの方が先に目立ってしまい、心を打ちませんでした。だいたい、何でエフロンが一方的にハートに火をつけているのかがわからないですもん。

 

 

こういう感じなので、この映画、批評自体はかなり悪かったんですが、それでもゴールデン・グローブのコメディ/ミュージカルにノミネートされてしまいました。GGって、発表が1月と早いから、票を入れる人が対象作品を見きらずに期待値だけで入れるケースがあるんですが、これがまさにその一つですね。

 

 

 こういう風にツッコミどころ満載の、僕にとっては残念な映画だったんですが、一番個人的にズッコケたのは

 

 

 

ミシェル・ウイリアムスがこんなチャラい映画に!!

 

 今や30代のハリウッドの女優の中で最高の演技派と呼ばれる彼女がですよ、ロングヘアのウィッグかぶってトレードマークの超短髪が見えなくなってるだけじゃなく、なんと歌まで披露してしまってます!!う〜ん、その選択でよかったのか、ミシェル?少なくとも、ここ10年の彼女で、こんなにイメージに合わない映画、ズバリないですね(笑)。

 

 

 あと、ヒュー・ジャックマンはミュージカル大得意な人なんですが、「伝説のショーマン」の描き方がこんな感じで本当によかっんでしょうか?そこも疑問に残りますけどね。

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 11:03
comments(2), trackbacks(0), - -
映画「ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル」感想 予想以上に面白い!オリジナルとは全く違う痛快青春コメディ

どうも。

 

 

新年早々、映画レビュー、行きます。これです!

 

 

 この「ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル」です。昨日の全米映画興行成績のとこで、この「ジュマンジ」が「最後のジェダイ」にも迫る大成功をしていることを伝えましたが、それがなぜなのか、幸いなことにブラジルでも公開されたばかりだったので確認することができました。うちの息子のトムが「最後のジェダイ」を見に行った際に予告トレーラーでこれを見て「これ見たい!」と言ったのがキッカケだったんですけどね。

 

 これ、もちろん、話自体は、90年代の同名のヒット作の「続編」という形をとってはいるんですが・・さあ、どんなお話でしょうか。

 

 

 早速、あらすじから見てみましょう。

 

 

 

 話は1996年。前作の映画が終わった直後の設定からはじまります。ニューハンプシャー州の高校生、アレックスは、父親が拾ってきたこの謎のゲーム、ジュマンジを開けてしまい、そこから行方不明となってしまいます。

 

 

 それから約20年後、その近くに高校では、4人の高校生が学校生活での警告のために放課後の呼び出し(デテンション)を食らっていました。それを食らったのは主人公のやせ形でナードな優等生タイプのスペンサー、彼の幼い頃からの友人で黒人のフリッジ、ケータイ電話が片時も離せない頭の軽いブロンド少女のベサニー、そして体育の授業が大嫌いな、自分に自信の持てないくらい少女のマーサ。

 

 この4人はデテンションの結果、学校の倉庫の掃除を命じられなしたが、そこになぜかジュマンジがあるのを見つけました。4人はジュマンジを開け、ゲームが指示する通り、それぞれのキャラクターをなんとなく選んだところ

 

 

 

 4人は似ても似つかぬ姿に変わり果てて、ジャングルに身を置かれてしまいました。つまりこれは、ジュマンジの指定したキャラクターに変身してしまった・・ということです。

 

 変身後の姿は、リーダーが無敵で頭脳も明晰なマッチョマン、ブレイヴストーン博士(ドウェイン・”ザ・ロック”ジョンソン)、小柄でひたすらまくしたててしゃべるフィンバー(ケヴィン・ハート)、マーシャル・アーツの達人のセクシー美女、ルビー・ラウンドハウス(カレン・ギラン)、そして地図読みの名人の中年男性シェルドン・オブロン教授(ジャック・ブラック)。本来、男女2人ずつのところが男3、女1になるという、実に不自然な設定となってしまいました(笑)。しかも、現実生活にかぶるキャラクターには、誰一人として結びついていません。それがどの組み合わせでどうなっているのかは、ここでは言えません。

 

 

 

 この4人の前に、ゲームのガイド役のナイジェル・ビリングスリー(リュス・ダービー)が現れ、ゲームの説明をします。それによると

 

 

 このジャングルは、悪党ヴァン・ペルト(ボビー・カンナバル)によって危機にさらされているとのことです。ヴァン・ペルトは、ジャングル内の秩序とパワーの源となっている「ジャガーの目」という名の緑に輝く宝石を自分のものにしようとしています。幸いにも、この宝石は彼の手に入りそうだったところをナイジェルに盗まれた状態にあります。4人の使命は、この宝石を、本来あるべき場所に置きに戻す、というもので、これを成し遂げない限り、元の姿には戻れないとのことです。

 

 

 4人は慣れない自分の姿と、道中では言い争いなども行いますが、とにかくミッションを達成しないことには元に戻れないため、協力します。自分の持っている命は3回で、2回までは死ぬことができるルールにもなっています。

 

 

 

 そして4人は道中で、謎の美青年、ジェファーソン(ニック・ジョナス)と出会い、飛行機運転が得意な彼の手腕にもだいぶ助けられます。彼は、このジュマンジのゲームに前から参加していたと言いますが・・・。

 

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

これはですね、ここまで読んでお気づきになった方もいらっしゃると思うのですが、

 

前作とは全く違います!

 

 

 

1995年に公開された前作というのは、あの当時の大人気俳優だったロビン・ウィリアムスを主人公にしたものでしたけど、彼に典型的な、子供を中心としたほんわかしたファンタジーものでした。その時の小役が写真見てもおわかりのようにキルステン・ダンストでもありましたけどね。なんか、スピルバーグの子供ものが流行っていた当時を思い出しますけどね。

 

 

 

 ところが今回のは、ザ・ロックを中心とした、思い切りコメディに寄った路線に大胆に方向転換しています。だいたい、出演キャストの中に、ケヴィン・ハートとジャック・ブラックいるわけですからね(笑)。

 

でも、

 

その大胆変更が功を奏し、大成功しています!

 

 

まず一つ成功なのが、前作とあまりに違いすぎて、ストーリーの予想が全くつかないとこなんですね。ここはよかった。見ていて次の展開が全く見えないので「どうなるんだろう?」と思いながら見続けることができた。この幻惑作戦は意表をつきましたね。

 

でも、それ以上に

 

役者間のケミストリーがすごく光っています!

 

 

 

 まずはザ・ロックですね。彼のコメディ路線はここしばらく続いているものではありましたけど、これ、ベストですね。この人、演技が器用で軽妙なんですよね。見ていて、ある時期のシュワルツェネッガーを思い出したし、彼自身もかなり意識してるんじゃないかな、これ。

 

 

あとケヴィン・ハートね!彼も、主演のコメディもの、興行ではヒットし続けてはいたものの、決定打に欠けるというか、なぜかスタンダップの時の彼の良さが生きていないような作品ばっかりだったんですけど、ようやく彼の話術がストーリーの中で生かされることができましたね。

 

 

 

 

それから、ジャック・ブラックはさすがでしたね。今回、間違いなくこの中で一番変な役なんですけど(笑)、いつもよりはだいぶ抑え目ながら、もう、いかにもこの人でしかないような演技でしっかり見せてました。ある意味、この役を彼が演じていなかったら失敗してたんじゃないかな、この映画。「トロピック・サンダー」の時の助演を思い出すんですが、あの時よりもよかったです。

 

 

 

 あと、カレン・ギランも収穫でしたね。彼女は元々イギリスで「ドクター・フー」の相手役として本国で人気出た人ですけど、今のとこお一番有名なのって、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のネブラですよね。あの最初のヤツでは実際に頭を剃ってまで演じた人でもあるんですが、今回で彼女にコメディエンヌとしての資質が高い人なのはわかりましたね。元々、インタビューの時とかで結構三の線で、一本アメリカで失敗したテレビ・コメディもあったりもしたからその素質はあるのはわかってはいたんですけど、これで確信したというか。ここから主演のコメディものとか増えるんじゃないかな。

 

 

 あと、今回、ベースにしたものがよかったですね、これ。

 

 

 

すでにアメリカでは方々で指摘されていますけど、これ、「ブレックファスト・クラブ」の現代版とも言える感じなんですよね。だいたい、「放課後のディテンション」で、これまで全く素性を知らなかったキッズ達がそれぞれ全く違うタイプながら心通わせていくあの感じ。これを同じエイティーズの「グーニーズ」とかに応用した感じですね。このあたりの、ちょっとノスタルジックな戦法も、上の世代に懐かしく、下の世代には新鮮だったような’気がしますね。

 

 

 そう思ってこれ、クレジット見たら、監督と脚本、ジェイク・カスダンなんですね、これ。お父さんのローレンス・カスダンは「スター・ウォーズ」の脚本家として有名な人です。「フォースの覚醒」の脚本も彼でしたね。「最後のジェダイ」の脚本は書いていませんが、この「ジュマンジ」が父のゆかりでもある「スター・ウォーズ」と予想外の興行首位争いを演じているのは興味深いですね。

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 12:26
comments(1), trackbacks(0), - -
映画「Battle Of The Sexes」感想 70年代のテニス界伝説の女王の2つの戦い・・なんだけど

どうも。

 

では、今日も映画レヴュー、行きましょう。今日はこれです。

 

 

 

この「Battle Of The Sexes」。これ、行きましょう。

 

これは、1973年、アメリカのテニス界の伝説の女王、ビリー・ジーン・キングの伝説の試合、元男子のせ怪チャンピオン、ボビー・リグスとの世紀の一戦にまつわる頃を描いた映画です。ビリー・ジーン・キングといえば、クリス・エバート・ロイドとか、ナブラチロワの前に、日本でも「キング夫人」と呼ばれ、有名だった人ですけどね。女子テニスが世界的に注目されるようになった頃の偉大な選手ですが、これを「La La ランド」でオスカーの主演女優賞を受賞したばかりエマ・ストーンが演じることでも話題です。さて、どういうお話なのでしょうか。

 

 

早速、あらすじから見てみましょう。

 

 

 

 1972年、テニス界の女王、ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は選手としてのキャリアの頂点にありました。テニスのグランドスラムのうち、ウィンブルドンなど3つを制覇。まさに最強のテニス女王でした。

 

 

 

 しかし、これほどまでの強い選手でも、収入に恵まれているとは言えませんでした。その理由は全米テニス協会の会長ジャック・クレイマーとの対立です。クレイマーは、女子が手にする賞金を男子の8分の1に定めようとしていたのです。彼曰く、「女子では客を呼べない。人は注目しない」というのですが、男子と同じだけ客を集めていたビリー・ジーンにその理屈は納得できません。これを不服としたビリー・ジーンはマネージャーのグラディス・ヘルドマン(サラ・シルヴァーマン)とともに、女子のテニスの組合を作ります。

 

 

 

 その団体を女子選手たちと立ち上げ、「さあ、これから新しい人生」とばかりに選手たちとヘアサロンに行った際、髪をセットしてもらっている最中に、ビリー・ジーンはこれまでに感じたことのない胸の高鳴りを感じたのでした。

 

 

 

 

 一方、かつてのテニスの男子世界チャンピオン、ボビー・リグス(スティーヴ・カレル)は、引退後も富豪の娘と結婚し、金には一生困らない生活を送っていたはずでしたが、引退後の空虚感ゆえか、刺激を求めてギャンブル癖を悪化させ、妻から顰蹙を買ってしまい、生活の危機にありました。

 

 

 そんなボビーはある日、ビリー・ジーンや彼女の団体の選手の試合を見ていき、さらに友人たちのちょっとしたアイデアも加わって、「この俺が、今の女子のプロの選手を試合をして稼ぐっていうのはどうだ?」と思いつき、それを実行に移します。

 

 

 

 まさにその頃、ビリー・ジーンは、ヘアサロンでときめきを感じたマリリン(アンドレア・ライズボロウ)とただならぬ仲になっていきます。マリリンはいつしかビリー・ジーンの団体の専属のヘアドレッサーになりますが、彼女ら2人の様子は、不意に宿舎を訪れたビリー・ジーンの夫ラリーにも「何かおかしいぞ」と感づかれてしまいます。そうしたことがビリー・ジーンを焦らせ、彼女はある試合を落としてしまいます。

 

 

 

 すると、ボビー・リグスは、そのビリー・ジーンに勝った選手、マーガレット・コートに試合を挑みます。リグスはすでに55歳でしたが、マーガレットに危ないところを見せることなく圧勝してしまいます。

 

 

 

 当初、リグスの挑戦を、「女子テニスを見世物にしている」と相手にしていなかったビリー・ジーンでしたが、マーガレットの惨敗を目の当たりにし、「女子選手のプライドを見せなければ」とリグスの挑戦を受けて立つことにしました。これには全米のマスコミも飛びつき、巨額のファイトマネーもつきました。そして1973年9月20日に世紀の一戦を迎えますが・・。

 

 

 と、ここまでにしておきましょう。

 

  この映画はですね

 

 

 

 

 監督をしたのは夫婦コンビ、ジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリス。この2人はかつてオスカーの候補にもなった「リトル・ミス・サンシャイン」で有名になった人たちですね。この人たちの2作目が「ルビー・スパークス」と言って、昨日も紹介したポール・ダノとゾーイ・カザンの2人を主役に、かつての天才売れっ子作家とロボットの女の子とのロマンスを描いていましたね。

 

 このように、基本はコメディ、というか、それ以前は実はMTVの監督として有名だった2人なんですけど、それだからか、エフェクト関係は強い強い!

 

 この映画、何が一番良かったか、となると、もうダントツに映像です!

 

 もう、これは実例見せたほうが早いでしょうね。

 

 

トレイラーですけど、「どこの70年代の記録映像だよ」って感じじゃないですか(笑)?これはすごいと思いましたね。

 

なんか見ていてですね、70年代のブラウン菅のテレビ見ているような錯覚に陥りましたね。もしかしたら、その当時のカメラとかフィルム使って撮影したんじゃないかとさえ思いましたから。

 

 そこに加えて、メイク、衣装も立派でしたね。だって

 

 

 

エマがこんな感じで、さらに

 

 

 

スティーヴ・カレルに至ってはこれですからね!カレルのはよくここまでボビー・リグスに似せたものだと思いましたね。

 

 

 あと、やはりコメディ畑の監督なので、話がスカッとわかりやすく、話のテンポもいいから最後まで飽きさせません。見ていて、ダレるとか、飽きるといった類のこともなく、最後まで楽しく見れます

 

が!

 

正直な話、

 

 

 

ビリー・ジーン・キングその人の伝記としては、今ひとつかなあ。

 

 

なんか見ていてですね、すごく尊敬すべき人なんですよ。女性テニス選手の地位向上のために、賃金改正させたのは永遠に評価されるべきことだと思うし、さらに有名人でレジビアンの先駆者でもありますからね。フェミニズム的にすごく描きがいのあるアイコンだとは思うんですけど、

 

なんか、サラッと普通に描きすぎてて、「共感や尊敬できるポイント」がつかめず、感情移入しにくい!

 

 ここが問題ですねえ。

 

 実はビリー・ジーンに関しては

 

 

 

これも偶然、昨日の映画とつながっちゃうんですけど、ホリー・ハンターが2001年にテレビ映画で、まさに今回の試合の頃の彼女の伝記で主役を演じてるんですね。この時は完全に、「女性テニス選手の地位向上のために戦った」ところだけが描かれて、同時進行していたレズビアン・ロマンスに関しては描かれてなかったということです。ただ、「それだからこそ、的が絞れてて、素直に見やすかった」と、テニス好きのうちのワイフのアメリカ育ちのママが僕に教えてくれました。

 

 

 まあ、つまりはですね

 

ビリー・ジーンのレズビアンとしての描き方と、その展開がなんか今ひとつなんですよね。

 

 

今回の映画見たときに思ったのは「えっ、でも、70年代だよね??」ってことですね。なんかですね、周りの人が、ビリー・ジーンとマリリンのロマンスにあまりに簡単に感づいていたんですよね。これは正直「えっ??」と思いました。だって、70sの初冬の時点って、

 

レズビアンとかバイ・セクシャルって、当時はまだそんなに世間一般に認知されたものではなかったから。

 

 その頃に、ただホテルの部屋の行き来をしているだけで、そんなに簡単に勘づく人、いたのかなあ。そういう疑問がどうしても湧いたんですね。アメリカでさえ、そこまで理解されていた概念じゃなかったはずなんだけどなあ、と。

 

 その疑問を、先ほどのワイフのママにぶつけてみたんですね。そうするとですね

 

「あの当時、知ってる人でバイセクシャルの人はいたことは痛んだけど、こっちとしては”バイ・セクシャル??それ何??”って感じだった。ビリー・ジーンのことも、そういうことが知れたのはだいぶ後のことだった」というんですよね。

 

 

 確かに、そうしたレズビアン・ロマンスに関しても、その当時のビリー・ジーンの人生の事実だったとは思うんですね。だけど、ドラマ盛り上げよう、話を分かりやすくしようとするあまりにちょっと現実とは違う脚色をやりすぎちゃったかな、とは思いましたね。わからない話ではないんですけど、そこは伝記なので、忠実な方が良かったかな。

 

 

あとですね、レズビアンのロマンスとはいえ、

 

 

形としては「不倫」だったわけですよね?

 

 なんかですね、見ていて「男性とケッコンしているはずの自分が女性に恋してしまった」戸惑いとか、夫に関する罪悪感とか、そういう点の描き方が今ひとつ甘いから、せっかくレズビアンの面を取り上げても共感ポイントがどうしても下がっちゃうんですよね。ここはもう少し丁寧に描いて良かったんじゃないかな。なんか、せっかく取り入れたのに、中途半端な感じになっちゃったんですよね。

 

 

 まあ、とはいえ

 

 

 

ビリー・ジーン・キングというテニスの伝説、フィーメール・アイコンを知るキッカケとしてはいい映画です。

 

なお、世紀の一戦ですが

 

 

 

この映像で、実物が一瞬見れます。興味のある方は是非。

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 03:24
comments(0), trackbacks(0), - -