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映画「Cold War あの歌、2つの心」感想 歴史翻弄型の、久々の大型正統派ロマンス

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どうも。

オスカー、昨日で作品賞ノミネート作のレヴューは全て終わっているのですが、重要な作品ならまだあります。例えば、これですね。

ポーランド映画「Cold War あの歌、2つの心」。これのレヴュー、行きましょう。ポーランドの作品、ということで、もちろん外国映画賞のノミネート作なんですが、この映画の場合、それだけでは決してありません。どういうことなんでしょうか。

では、早速あらすじから見ていきましょう。

 

話しは1949年。ヴィクトル(トマシュ・コット)は音楽学校の若い教師をしていましたが、その際に、才能あふれる美少女を見つけます。それが

ズーラ(ヨアンナ・クーリグ)でした。ズーラの才能に魅せられたヴィクトルは次第に自分の立場も忘れ、ズーラを愛するようになります。

音楽学校では次第にソ連からの圧力が強くなり、スターリン礼賛を強いられるようになります。創造の自由を求めたいヴィクトルは国外逃亡を考え、その気持ちはズーラもよくわかっていました。

ある時、二人はフランスへの逃亡を試みましたが、成功したのはヴィクトルのみ。一度、接触のチャンスはあったものの、その時も未遂。二人は離れ離れになります。

そうしているうちに時代は1950年代の後半になります。ヴィクトルはパリの映画音楽家として活動していましたが、そこにすっかり大人になったズーラがやってきました。

久しぶりに巡り合い、愛を爆発させたかった二人でしたが、長年の距離ゆえに疎通がなかなかうまくいきません。

ズーラはしばらく見ないうちに、すっかり西側社会の自由な空気の似合う奔放で魅力的な女性に育っており・・。

・・と、ここまでにしておきましょう。

これはですね

2014年度のオスカーで外国語映画賞を獲得した「イーダ」という映画を作った、パウェウ・パウリコフスキー監督の次なる作品です。この映画は1960年、共産圏時代のポーランドにおいて、自分探しをする修道女の少女の内面を探るストーリーをモノクロームの美しい映像とともに追った作品ですが

とにかく映像が美しい、この人!

これは「イーダ」の時のショットなんですけど、モノクロの色合いが絶妙なのと、この絵画的な絵の収め方するんですよね。引きの絵のキマり方がいつも絶妙です。

これ、見ていて

アントン・コービンの撮影したジョイ・ディヴィジョンの写真を思い出して、思わずウットリとしてしまうんですよね。今回の「Cold War」が外国語映画作品にもかかわらず撮影賞にノミネートされた理由も納得です。

 そして、今回の「Cold War」なんですが、名前からは「戦争映画?」「歴史映画?」と、ちょっと堅いイメージを思わせるのですが

今時珍しい、直球すぎるほどの、超正統派のラヴ・ロマンスです!

もちろん、「冷戦下の塔王国」というトピックは、ヴィクトルとズーラの愛の距離を近づきにくくするための障害として、非常にもどかしい機能をしています。ただ、この映画でそれ以上に大事なのは、どんな困難があろうとも、二人が、それが運命でもあるかのように、相手のことがどうしても話末れることができずに、どうしても求めてしまう。その姿を丁寧に折っていることが何より素晴らしいです。

特に

このヨアンナ・クーリッグの演技が素晴らしいの一言です。彼女、本国では大女優ならしいんですけど、36歳にして、純粋無垢な十代の少女も全く違和感なく演じていたし、その後の

ジャズやロックンロールという、この当時の東側の人からしてみたら西側の「自由」の象徴であるものがすごく似合う、「強い意志を持ったまばゆさ」の似合う、カッコいい女性、これも魅力的に演じています。

それと

そんな彼女に手を焼き、生き方そのものも不器用ながらも、強い包容力で愛さずにはいられないヴィクトルを演じたトマシュ・コットの演技も見事です。この人も本国ではかなり大きな俳優さんみたいですね。

そしてこれが

監督のパウリコフスキーの、両親のロマンスをもとにして作ったもの、というのもなかなか心憎いです。事実はここまでのドラマがあったわけではなさそうですけど、彼自身が、こういう障害を両親が乗り越えて育った世代、ポスト冷戦の子供、というわけだったんですね。

この映画は昨年12月の、ヨーロッパの映画界では一番の権威、ヨーロッパ映画賞で賞を総なめにしています。その勢いもあって、オスカーでは外国語映画賞、監督賞、撮影賞の3部門にノミネートされるという、非英語作品では異例の盛り上がりです。

が!

「Roma」さえなければなあ・・。

「Roma」、いい映画であることは疑わないんですけど、僕の個人的趣味だと、絶対こっちなんですけどねえ。悪いタイミングの時に当たっちゃったなあ。まあ、同じことは「万引き家族」にも言えることですけどね。僕が外国語映画賞選ぶなら、この「Cold War」ですよ。

そして、さらにこの映画が

「スタ誕」の勢いを微妙に殺してしまいましたね。おそらく、「同じロマンスものなら、こっちだろ」という、オスカーの投票者の流れがあったんじゃないかな。ブラッドリー・クーパーが監督賞のノミネート逃して、パウリコフスキーが代わりにノミネートされたのがすごく象徴的ですもん。

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 22:54
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映画「バイス」感想 「こんなアメリカに誰がした」第2弾は痛烈なチェイニー批判

 

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どうも。

では、予定が1週間遅れましたが、オスカー関連映画のレヴュー。作品賞ノミネート作の中ではこれがラストですね。これです!

クリスチャン・ベール主演の政治風刺映画「バイス」。これ、いきましょう。オスカーでは8部門と、かなりの数ノミネートされた本作ですが、どんな映画なのでしょうか。

早速あらすじから見てみましょう。

話は1960年代。若かりし日のディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)が大学をドロップアウトしたところから始まります。彼は、大学時代のカノジョで、彼よりはるかに成績優秀だったリン(エイミー・アダムス)との生活で肩身の狭い思いをしていました。

そんな彼は1969年、ホワイト・ハウスでのインターンの仕事を見つけますが、そこで当時のニクソン大統領の経済アドバイザーをしていたドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)と出会います。元軍人で、調子の良い物いいの彼に惹かれたチェイニーは彼の部下になり、そこで政治家としての出世コースを歩むことになります。そしてニクソン退陣後のフォード大統領時代には若くして大統領補佐官にもなります。

ただ、フォード退陣後に彼は心臓病を体験。体調面に不安を残します。それでも彼は下院議員として成功した後、ブッシュ政権で国防長官を務めるなどして出世します。

その後、石油掘削機の大企業のCEOを務め、政界の引退をしようとしていた矢先の2000年

ジョージ・ブッシュJr(サム・ロックウェル)に声をかけられます。いかにも頼りなさそうなブッシュ大統領の息子から彼は、大統領選での副大統領候補の依頼をかけられます。体調面に不安があり、さらには娘がレズビアンということで、共和党関係の選挙で勝つ自信もありませんでした。

ただ、いざ大統領に当選すると、頼りないブッシュをよそに、チェイニーは実験を握り始めます。それは、あの2001年9月11日を機に・・・。

・・と、ここまでにしておきましょう。

これはですね

父ブッシュで国防長官、ブッシュJrで副大統領を務めたアメリカ政界の大物ですね、ディック・チェイニーの伝記です。それを

クリスチャン・ベールが激太りする仰天演技で演じていて、それだけでかなり話題になりました。

クリスチャン・ベールって

「ファイター」でオスカー受賞した時は、もう、「拒食症にでもなったのか」ってくらい、骨と皮に痩せて、今度はこのふと利用でしょう?もう、ほとんどロバート・デニーロの域ですよ。体、大丈夫なのかなあ。

このように、ベールのことがとかく話題のこの映画ではあるんですけど、

この映画はやっぱり、監督のアダム・マッケイあってのものです。彼って

もう、僕の心の映画でもある(笑)伝説のコメディ、「俺たちニュースキャスター」の監督であり、ウィル・フェレルとコメディ・サイト「Funny Or DIe」の設立者として知られていますが、ここ最近は、ちょっと難しい角度から、現在のアメリカを風刺する知的コメディに活路を開いています。僕が受ける印象は

こんなアメリカに誰がした!

まさに、そんな感じですね。

その第1弾は、この「マネー・ショート」。ここではリーマン・ショックの原因となった不動産バブルの崩壊がいかに起こったかをブラック・ジョークを交えて風刺していました。クリスチャン・ベールはここでも出てきて

スラッシュ・メタル狂いの経済学者という、謎の役を演じてました(笑)。今回の「バイス」はこれでマッケイが気に入ったから実現したものだと僕は信じてます。

そして今回、チェイニーだったわけですが、いや〜、これ

大事なのは、あらすじの後です!

いや〜、ここからがキツいのなんの!これ、風刺の域を超えて

個人攻撃の域に入ってますから!

これ、最初はですね、「サタディ・ナイト・ライブ」で言うところの「Weekend Update」という、レギュラーのニュース・コーナーの拡大版みたいなノリで、それはそれでいいかなあとも思っていたのですが、この前半との落差が後半すごいんですよ。

このスティーヴ・カレルが演じたラムズフェルド国防長官なんて、本当に悪魔みたいな描かれ方ですからね。ちょっとビックリしましたね。

アメリカの映画界って、もちろんリベラルとか左多いし、この映画はそういう人たちからは大歓迎されたんだと思います。僕自身も本来、そちら寄りなので痛快な気持ちもしたことはしたんですけど

右側の人たちからしてみれば、これ、僕が数年前にこのブログで大酷評した「アメリカン・スナイパー」見てるのと同じような気分になっちゃったのかな、とも思いましたね。ちょっと、左的な視点に偏りすぎた気がして、僕自身、途中で笑えなくなってしまったのは否めません。ちょっと行き過ぎですね、これは。ただ、マッケイも賢いから、それさえ自虐ネタにしてましたけどね。

 ただ、まあ、以前から言われていたことではありましたけど、911からイラク戦争までがどういう過程を経て、いかに戦争が起こり、それでアメリカが実際のところどうなったかがハッキリ把握できたのはいいことだったと思います。特に

ジョージ・ブッシュJrは絶妙でしたね。昔、僕、Jrのことは忌み嫌ってたんですけど、これを見ると、僕が嫌うべきはチェイニーやラムズフェルドであり、彼では決してなかったんだな、ということがわかります。それくらい、彼、言葉は悪いですが、「無能」だったんだなと。そこんとこ、サム・ロックウェル、見事に演じてました。

ただ

エイミー・アダムス、この役でのオスカー・ノミネートは必要なかったかな。ちょっと印象薄いです。素晴らしい女優さんではありますけど、この演技なら「クワイエット・プレイス」のエミリー・ブラントや、「ファースト・マン」のクレア・フォイがノミネートされるべきだったと思います。

 これで、オスカー作品賞ノミネート作は全てみましたが、僕の個人順位はこんな感じです。

1.女王陛下のお気に入り
2.ブラック・クランズマン
3.アリー スター誕生
4.Roma
5.グリーン・ブック
6.ボヘミアン・ラプソディ
7.ブラック・パンサー
8.バイス

「バイス」、行きすぎじゃなかったら、もう少し上だったんですけどねえ。でも、この8作で嫌いな作品、一つもないです。この3年、嫌いな作品賞ノミニーはないですね。

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 22:16
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映画「女王陛下のお気に入り」感想 現在世界最高の奇才監督、オスカー作品賞なるか?!

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どうも。

オスカー作品賞ノミネート作品の映画、残りあと2本に迫ってますが、今日と明日でレビューやってしまいます。今日はこちらです!

今年のオスカーで最多タイ10部門でノミネートされたイギリス映画「女王陛下のお気に入り」、こちらのレヴュー、行きましょう。これも昨年9月に賞レースに加わって以来、ずっと評判の高い映画でしたけど、一体どんな映画なのでしょう。

まずはあらすじから行きましょう。

18世紀の初頭、イギリスがフランスと長期の戦争を行っている最中、アン女王(オリヴィア・コールマン)はそれとは無縁の優雅な生活を送っていました。

女王は兼ねてから浮世離れした子供っぽい人でしたが、それが体調不良も重なって悪化もしていました。そんな彼女は政治的な意思決定はすごく苦手で、それが下院議長のロバート・ハーリー(ニコラス・ホルト)らをイラつかせてもいました。

そんな女王を実質操っていたのは、彼女の幼馴染でもあった第一側近のサラ・チャーチル(レイチェル・ワイズ)でした。女王に対して唯一単刀直入に物が言え、指図もできた彼女は宮廷内での影響力を強めていました。

そんな中、一人の若い女性が宮廷入りしました。

彼女はアビゲイル・ヒル(エマ・ストーン)。サラの親戚の娘ですが、一族が没落したのに伴い、宮廷に侍女として使えることになりました。彼女は新入りとしていじめを受ける日も過ごしますが、ある日、足の痛みに苦しむアン女王にハーブを塗って看病したことを女王に気に入られ、昇格します。

そんなアビゲイルはある夜、女王とサラがただならぬ関係にあることを突目撃してしまいます。

これを見てアビゲイルは、「どうやったら女王の心を惹きつけられるか」ということを狡猾に考えるようになります。

アビゲイルの行動はだんだんと大胆になる、それをサラは快く思わなくなりますが、女王の気持ちはサラからアビゲイルへと映っていきます。

そして、アビゲイルとサラの立場関係が逆転する日が近づいてきて・・・。

・・と、ここまでにしておきましょう。

これはですね

1702年から1707年まで、5年という短い在任期間でしたが英国女王だったアン女王の話をモチーフにしています。彼女は、貴族の歴史においてはおそらくその先駆けだったんじゃないかな、レズビアンだったことでその筋ではかなり有名だったようですが、その話を元にしての今回の映画です。

それを

この現在の世界の映画界随一の奇才、ヨルゴス・ランティモスが監督することになったわけですが

「大丈夫なの、それ(笑)??」

と、僕は最初その話を聞いた時、やっぱり思いましたもんね。だって、この人

台頭してきた時から変な映画ばっかり撮ってきてますからね。僕が彼を知ったのは、2009年のこの映画「籠の中の乙女(Dogtooth)」ですね。これは、親に外界との生活を一切遮断させて監禁されて育った子供達の話なんですが、気持ち悪いの、なんの。長男の性的欲求を満たすためにそれ専用の女性を雇う父親も怖いんですけど、監禁された結果に動物みたいに育っちゃった女の子がとにかく怖くてですね。これはまだギリシャ撮った映画だったんですけど、この奇作がその年のオスカーの外国語映画賞にノミネートされたことで国際的に注目を浴びます。

そして、イギリスに移住して、ハリウッドでも有名な役者と英語で作品を作るようになった第1弾映画がこの「ロブスター」ですよ。これはいわゆるディストピアで、「期限内に愛する人を見つけないと動物にされてしまう」という異常な設定の中、恋人が見つからないとロブスターにされてしまうコリン・ファレル扮する男が数々の奇妙で恐ろしい体験をしながらも本当の愛を見つけていく、まあ、かなりグロいんですが(笑)、この監督なりの、かなりひねくれた純愛ロマンスになっています。

そして、これが前作「聖なる鹿殺し」。これは、この写真の青年が、コリン・ファレル扮する医師一家にストーキングし、ファレルの医療ミスで殺された父の恨みを晴らそうとするサスペンスなんですが、この青年が気持ち悪くてねえ。娘と息子を謎の力で半身不随の病にするんですけど、これに慌てふためくファレルが狂人と化す様も怖くてね。血生臭さがある上に、精神的にヒタヒタ迫る怖さがあります。

・・ね、どう考えてもまともじゃないでしょ?だから、彼が英国王室描くと聞いて「本当に大丈夫なの?」と思ったんですけど

まあ、容赦なかったですね(笑)。

レズビアンの性的描写に関して言えばこれ以上のものは見たことはあるんですけど、「英国王室」の名の下に、許される限界までやった、という感じですね。これ、日本の皇室だと、まず絶対アウトだったでしょうね。

で、僕的にさらに驚いたのが

このアン女王の描写ですね。ここまで、見るからに、精神不安定に描いちゃって大丈夫だったのかな、と。これ、ちょっと「表に出しちゃいけない人」なレベルで心配させられるタイプですね。この役をオリヴィア・コールマンが絶妙に演じてましたね。いつ見ても目がうつろで、何かを怖がってるような目つきなんですよね。それで次第に余裕がなくなって錯乱してみんなを困らせるという、理性働かないタイプです。「まあ、その昔、王国の王室で過保護に育てられた人にこういう人、いたんだろうな」とは思いましたけど、「こういう人に統治される中世、近世ってどんなよ?」と少し不安になりましたね。

それから

このレイチェル・ワイズとエマ・ストーンの確執の演技も素晴らしかったですね。エマは、おそらくキャリア史上、初めての汚れ役ですね。こんな底意地の悪い彼女をスクリーンの中で見たのは初めてです。いつも、明朗で楽しい、性格のいい人を演じてましたからね。これは彼女のキャリアのステップアップにつながりましたね。

そして、レイチェル・ワイズは、まずはとにかく美しい!造形的な美貌で言えば、40代後半になっても僕は未だにハリウッドのトップクラスだと思っているんですが、彼女の鼻につくくらい気高くエラそうな演技が最初イラッと来させつつ、後でだんだんひどい目にあっていく時の哀れさ。この両極を巧みに演じてましたね。僕は、今回、この映画からオスカーが出るんだったら、彼女の助演女優賞でもいいのにな、と思いながら見てました。

あと、あんまり触れられないんですけど、ニコラス・ホルトが演じた、この意地悪な政治家もかなりの好演でしたね。彼も、この手のイヤな役を演じたのって記憶にないから今後のキャリアには繋がったんじゃないかな。

 この映画、このように演技のアンサンブルが見事です。正直な話、なぜにスクリーン・アクターズ・ギルド(SAG)でこの映画がベスト・アンサブルを受賞しなかったのかが不思議です。

 そしてランティモスで言えば

またしても出てきました。猟銃!もう、この人の映画、何を見ても必ずこれが出てくるんですよ。この人の映画のアイデンティティですね。このアイテムが、この人の映画にまとわりついてる狂気を生み出す原動力になっているような気さえします。

 まあ、基本的に「性格のいい人」は誰も出てこない、血生臭さとジワッとくる怖さのある、まともとは言えない作品を作り続けるランティモスですけど、ただそれでも僕としては同じ奇才でもラース・フォン・トリアーあたりよりは圧倒的に見やすいですけどね。なんでかと言われると、まだちゃんとした論理的な説明がうまくできないんですけど、奇妙な話でも、あそこまでSM的でないというか、どこかまだ救いを感じるんですよね。そこがまた良いのかなとも思いますけどね。

 この作品ですが、オスカーに関して言えば、正直な話、難しいでしょう。それは、この映画のせいじゃなく、審査員が「Roma」とか「グリーン・ブック」のような映画の方を好んでいることはもうわかられているので。特に年配の投票者には、これはちょっと刺激強すぎでしょう(笑)。

 ただ、本国の英国アカデミー賞(BAFTA)は大勝するでしょうね。イギリスの方が、この映画で描かれるようなブラック・ユーモアは好みでしょうからね。地元贔屓というのもありますし。

で、僕的な評価でいうと

今回のオスカー作品賞ノミネートで一番好きなのがこの映画でした!

いやあ、監督のカリスマ的な作家性を感じさせた見事な映画だったと思いますよ。「これまでで一番わかりやすくてポップな映画にしてコレなのかよ!」とツッコミを入れたくなる感じとか(笑)。スパイク・リーの「ブラック・クランズマン」も大好きな作品ですけど、エンディングの処理のところだけ、こっちがわずかに上回りましたね。

 あと、最後に、この映画に興味を持ったら、ぜひ、この映画に出てくる人たちをウィキペディアで調べてみてください。日本語版にちゃんと出てくるくらいに有名です。さらに言うと、この映画の結末からすれば、ちょっと意外な後生も知ることができますよ。

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 02:44
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映画「スパイダーマン:スパイダーバース」感想 アメコミに回帰しての旅立ち

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どうも。

 

約束通り、映画評ですが、今回はこれです!

 

現在も世界的な大ヒットであるのに加え、オスカーのアニメ部門にもノミネートされた「スパイダーマン;スパイダーバース」です。すでに実写のスパイダーマンがシリーズとして存在しているのに、これをあえてアニメでやるというのは、どういう意図があったのでしょうか。

 

早速あらすじから見てみましょう。

 

本作の主人公は黒人青年のマイルス・モラレスです。彼はスパイダーマンに憧れる高校生ですが、警察官の父親はスパイダーマンをすごく敵視しています。

 

ある日マイルスは、叔父アーロンと共に、寂れた地下鉄の駅にグラフィティを描きに行きましたが、そこで放射能を浴びた蜘蛛に噛まれてしまいます。

 

これで特殊な能力を身につけたマイルスでしたが、それをコントロールできずに、せっかく上手くいきそうだった高校で気の合う女の子、グウェン・ステイシー相手にヘマをやる始末。ただ、そんな矢先、マイルスはスパイダーマンが戦いに敗れ、瀕死の場面に出くわします。マイルスは死にそうになっていたスパイダーマンこと、ピーター・パーカーからUSBスティックを受け取ります。

 

 

「ピーター・パーカーは死んだ」。ニューヨーク、そしてマイルスが悲しみにくれます。マイルスは「自分がスパイダーマンになろう」と決心しますが、その矢先にもらったUSBが壊れ、そこから別ヴァージョンのピーター・パーカー、パーカーBが現れます。そのピーター別ヴァージョンは、ピーターを殺した敵、キングピンことウィルソン・フィスクの野望を知ります。

 

 

それを阻止しようと、マイルスとパーカーBが動きますが、その過程でマイルスは、自分の他に、たくさんのスパイダーマンが異次元で存在していたことを知ります・・。

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

これはですね

 

原作はありまして、マーヴェル・コミックから2014年に刊行された「Spider Verse」をもとにしています。マーヴェルの中ではかなり新しい原作となります。

 

それを

 

「LEGO MOVIE」などで精鋭ぶりを発揮しているクリエイター、フィル・ロードとクリストファー・ミラーがプロデュースを担当しているのですが、これ、まず

 

カッコいい!

 

 

まず、ストーリーそのもの以前に絵がかっこいいですね。アニメの場合、通常の映画以上に絵のアイデンティティが重要視されるものだと思うのですが、この映画の場合、CGと、昔ながらのアメコミの手書きの、新旧の合わせ技が新鮮ですね。それプラス、この写真でもわかるように、コミックの歴史をリスペクトした形で多面的なキャラクターを出してきているのもクレヴァーな感じがしましたね。

 

あと、ストーリーそのもののポリティカル・コレクトな感じも評価できますね。これ、「Xメン」を60年代に作っていたマーヴェルならではだと思うんですよね。「Xメン」のプロフェッサーXとマグニートの二人がマーティン・ルーサー・キングとマルコムXをモデルにしたというのは有名な話ですが、それから約50年して、今どきの黒人青年を、ここまで大きくなった会社の作品の主人公に据えるというのもいい。この主人公マイルスに合わせて、音楽をトラップにしてあるところとかも最新な感じでいいとは思います(90s末の「マトリックス」みたいに音楽の風化が早い可能性はありますが)。

 

 そして

 

 

ピーター・パーカーが年取ってつかれたキャラクターというのもユーモアがありますね。これもなんかポリティカル・コレクトに、最近の白人男性の社会における位置を示したような感じですね。でも、なんで、こういう顔に?このヒゲの剃りあとの青さだと、モリッシーとか、長嶋茂雄みたいですけど(笑)。

 

 さらに、僕がこの映画を気に入っている理由として、マーヴェルがここにきて今一度アメコミの原点に立ち返っていることですね。前にもこれは書きましたが、マーヴェルって、ライバルのDCに比べて大きく立ち遅れていた歴史があるんですね。設立年度からして大体差があったし、テレビのカートゥーンに進出したのも、映画で上手く行き始めたのも、すべて遅れをとってましたからね。それがここ10数年でようやく追いつき、近年ではヒットの数も批評的な評価でも上回るようにもなってきた。

 

映画でもかなり深い表現ができるようになってきたマーヴェルではありましたが、そんな今だからこそあえてコミックに立ち返ることがあってもいいのではないか。そういう感じだったんじゃないかな。アメコミにしかできない、アメコミだからこそ表現可能な表現もあるんじゃないか。そういう気持ちがあったからなのか、今回のこのアニメからは、すごく初期衝動的な実験的なトライが感じられ、そこがすごく好感が持てますね。

 

で、そんなタイミングで

 

マーヴェル総帥、スタン・リーが世を去ったのも、運命的なものを感じさせます。この映画がおそらくは最後の、おなじみのキャメオ出演でしょうね。

 

この映画、前哨戦から強かったですけど、オスカーのアニメ部門でも受賞がかなり有力視されています。その背後には、こうしたアメコミへの原点回帰の姿勢がクリエイティヴな側面から評価されたこと。そして、リーへのセンチメンタルなオマージュを捧げたくなるからじゃないでしょうかね。

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 22:08
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映画「グリーン・ブック」感想 ステレオタイプを乗り越えて、つながった友情

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どうも。

 

では、今日は映画評、行きます。これです。

もう、ここでも既に何度か紹介しています。今年のオスカーの有力候補の一つですね。「グリーン・ブック」。これの感想、行きましょう。

果たしてどんな映画なのでしょうか。

早速あらすじから行きましょう。

話は1962年の事です。イタリア系ニューヨーカー、トニー・ヴェラロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)は、ニューヨークのナイトクラブで用心棒として働いていました。ちょっと腕っ節の強いコワモテな感じです。

そんな彼に、ある日、仕事が舞い込みます。それは「ドクター」と名前があったのでてっきり医者なのかと思いきや

それはミュージシャンで、しかも黒人のドン・シャーリーでした。彼からの仕事依頼の内容は、2ヶ月の間、アメリカ南部でコンサート・ツアーを行うので、その運転手を務めてくれないか、というものでした。

当初、妻(リンダ・カルデリーニ)と2人の子供のために躊躇したトニーでしたが、結局引き受けることにして、ロード・トリップが始まります。

いざ、車に乗せてみると、ドンはかなりの偏屈。トニーはドンに気を使い、黒人的な話題を道中で持ちかけますが、クラシック・ピアニストの彼は黒人のポップ・ミュージックなど聞いたこともなく、さらに黒人のトレードマークとも言えるフライド・チキンさえ食べたことがありませんでした。

そんなドンが、この当時、まだ公民権さえ生まれる前で、人種差別の激しかった南部に行くわけです。しかも、その偏見と闘うことにかなり意識的なドンは、道中で身の危険にさらされる行為を繰り返します。

そこを得意な話術と、いざという時の腕っ節で解決していくトニーでしたが、やがてドンとの間に友情が芽生え・・・。

・・と、ここまでにしておきましょう。

この映画ですが、

ストーリーは事実に基づいています。このクラシック・ピアニスト、ドン・シャーリーが体験したことがベースとなっていて、トニーも実在します。

で、この話なんですが

ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)が叫ばれる昨今に、非常に興味深い内容でした!

僕自身も最近は混同してしまいそうになる時があるんですが、「人種として”らしさ”が押し付けられるのが良いのか」どうかということは、それは難しいところです。トニーのように、もう思い切り、イタリア系のチャキチャキなステレオタイプで育った男と、「従来の黒人らしさ」の因習的な部分を超えたところで生きることを願うドン。これ、どちらが正しいとも言えませんし、実のところ、正解もわかりません。

ただ、一つだけ言えることがあるとするならば、「結局のところ、大事なのは”人種”ではなく、”その人、個人”」。そこを尊重することこそがコミュニケーションにとってもっとも大切であり、友情を築くものだ、ということをこの映画は語りかけてくれています。

あと、もう一つが「構えすぎないで、心を開くこと」、かな。そうしないと、結局のところは、どんな考えを持っていようがどうしても行き過ぎたり偏屈なものになりがちだし、本当のコミュニケーションを阻害する要因にもなる。そこも乗り越えるのに大事なことなんだなと思いましたね。

あと、「歴史もの」として見たときの社会背景も興味深いものがありましたね。ここでも描かれていますが、60年代初頭のイタリア系といえば、音楽で言えば、フランク・シナトラにフォー・シーズンズ。とりわけ、このころは東海岸イタロのシーンの全盛期で、ディオン&ザ・ベルモンツもいたし、もう少し遅れるとラスカルズも出てくる。そんなイタリアン・ショービズ全盛の背後には、のちの「サタディ・ナイト・フィーヴァー」や「ソプラノス」なんかにも出てくる、ちょっとガラの悪い、イタリアン・コミュニティの生活が、その後の何ら関わらない形で存在する。面白いものです。そこを、本当はイタリア系でないヴィゴが、完全にイタロになりきって演じているのが面白かったですね。

それから黒人側でいうと、62年と言うと、公民権運動が起こっている真っ只中です。その中で南部の白人の抵抗が目立っていたわけですから、非常に強い時代です。ただ、黒人の独自カルチャーは力強く築かれていき、それはロクンロ−ルやソウル・ミュージックの黎明期にもつながっていく。こうした背景もちゃんと描かれています。ドン・シャーリーも、そんな世の中で気を張って生きていますが、いかんせん、子供の時から神童として育ってしまったがために、ちょっと浮世離れした存在になって、なんとなくですけど、水谷豊の「右京さん」みたいになってしまっています。そんな役どころをマハーシャラ・アリがオスカー受賞した「ムーンライト」での「頼れるマッチョおじさん」とは全く違うイメージで演じ切ってるのも、これまた見事でしたね。

そして、個人的には、この内容の映画を

ピーター・ファレリーが監督したのも、なんかすごく嬉しかったですね。だって、彼って

これとか

これの監督ですからね(笑)。

「ダム&ダマー」にせよ「メリーに首ったけ」にせよ、ストーリー自体はしっかりしてて良い話なんですけど、いかんせん、おバカ・ユーモアのセンスが強すぎて、そのイメージにかき消されがちだったんですけど、ファレリーのストーリー・テリングが上手で、しかもその気になれば、こんなピリオド・ドラマ(時代設定のある昔の話)に、こうした社会的、政治的なメッセージも乗せて語れる人なんだなと思って感心しましたね。オスカーでは、こういう昔の作品のイメージがあったからなのか、残念ながら監督賞にノミネートされませんでしたが、僕はもうちょっと評価されてもよかったかなとも思います。

さて、オスカーですが、

アリの2度目の助演男優賞と脚本賞は取れると思います。ただ、作品賞となると、こないだも言いましたけど、プロデューサーズ・ギルド・アワード(PGA)はとりましたけど、対抗の「Roma」が強いのでキツいと思います。

ただ、これ、後年、ブロードウェイの舞台劇としていけそうなくらい、「二人の演技」で見せる話でもあるので、作品としての寿命は僕は長いような気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 20:08
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映画「天才作家の妻 40年目の真実」感想 グレン・クロースが”7度目の正直”でオスカーを受賞すべき理由

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どうも。

 

本当はオスカーのノミネートの発表があってからにしようと思ったのですが、日本公開が間もなくということを知ったので、今やります。これです。

 

 

原題「The Wife」、邦題「天才作家の妻 40年前の真実」。この作品で主演のグレン・クロースのオスカー・ノミネートが確実視され、ノミネート7度目にしての彼岸の受賞が期待されています。果たしてどんな映画なのでしょうか。

早速あらすじから見てみましょう。

 

 

ある日、アメリカの作家。ジョセフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)の元に一本の電話が届きます。それはスウェーデンのストックホルムからで「あなたがノーベル文学賞に輝きました」というものでした。

 

 

ジョセフと、彼を支えてきた妻ジョーン(グレン・クロース)は大喜びします。

 

そこからは祝賀の毎日が続きます。夫婦は娘のスザンナも出産間近でダブルでおめでた。彼らには息子のデヴィッドもいましたが、駆け出しの作家のこの息子とジョセフの関係はどうやらあまり良くないようです。

 

 

授賞式には、夫婦と息子の3人で行きましたが、そこに「ジョセフの伝記を書きたい」と意気込む作家のナサニエル(クリスチャン・スレーター)も帯同します。

 

そして、授賞式の前までは、予行演習以外はフリーな時間があるのですが、夫婦はあまり一緒に行動はしません。ただ、ジョセフは若いカメラマンのお姉ちゃんにいい歳して手を出すなどやんちゃで、ジョーンの方はナサニエルの商談を聞きに行きます。

 

 

 

 

ただ、ナサニエルはジョセフのこれまでの軌跡を疑っており、真相をジョーンに迫り、彼女は戸惑います。

 

 

そして話は時折、ジョーンが若かった頃にフラッシュバックします。そこでは1958年頃、当時文学部の大学生だったジョーンが大学の若き文学講師だったジョセフと出会ったこと。その当時、ジョセフは妻がいる身であったことなどが紹介されます。そして、それだけではなく・・。

 

 

 

・・彼女の中で「もう終わったこと」として心の中に鍵をかけたことが徐々に徐々に思い出されるようになり・・。

 

・・と、ここまでにしておきましょう。

 

実はですね、この映画

 

 

 

完成そのものはだいぶ前でして、2017年にトロント映画祭で公開されていたんですね。で、その時から実は「オスカーの主演女優候補」としてグレン・クロースの名前、上がってたんですね。それくらい当時から有力だったんです。

 

ところが、昨年のオスカー・レースの時点で、「来年に先送り」として断念してたんですね。その理由としては、去年のオスカーだと「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマントという手ごわい強敵がいてオスカー・チャンスが逃げると思われたからじゃないですかね。プラス、この映画、スウェーデンの監督の映画なので、その時点でヒット狙いではなく、限定された劇場での公開を睨んでいた作品だったので「小作品は不利」だと踏んだのではないでしょうか。

 

それで1年待って、アメリカでは2018年夏の公開で、その時からも「オスカー候補」と言われてたんですね。でも、下馬評は「スター誕生」のレディ・ガガや「女王陛下のお気に入り」のオリヴィア・コールマンの方がどうしても高くなっていて、「グレン、今回も厳しいかな」という感じだったのです

 

が!

ゴールデン・グローブでガガに勝ってドラマ部門の主演女優賞受賞してしまったものだから、俄然息を吹き返してきています。加えて、この後のクリティック・チョイス・アワーズでもガガと同時受賞。受賞争いが混沌としてきています。

そして、僕自身なのですが、これを見て

 

ぜひグレンが受賞すべきだと思いました!

 

なぜ、そう思うのか。それはやはり、「これまでのグレンの集大成の役」だと思えたから。

 

 

これまでグレン、オスカーには6度ノミネートされています。うち5回が80年代ですね。「ガープの世界」「ビッグ・チル「ナチュラル」「危険な情事」「危険な関係」そして「アルバート・ノブス」。僕が学生だった80年代の5作は懐かしいですね。僕の印象だと、最初は陰ながら強い包容力のある、凄く人間的に愛すべきキャラクターを演じていたんですが、「危険な情事」で当時ものすごくセンセーションを呼んだ超ヨゴレの悪役を演じて芸域が広がって、それが「危険な関係」にも行きましたね。そして、しばらくノミネートに縁がなかったうちにアルバート・ノブスで2012年に久々にノミネートされた時には「男として生きた19世紀の女性」を演じるなど難役もこなしました。

 

そして、今回彼女が演じている役が実に象徴的です。

 

不遇にも、自分の才能を評価されてきていなかった女性

 

ズバリ、これですね。まあ、彼女がオスカー取れなかったことへの恨み節にも取れないことはないんですが

 

 

「偏見上、女性が才能をなかなか認めてもらえず、男をたてる方向に回らざるをえなかった時代の女性」

 

これを演じているのが深いですね。おそらく、この歴史上、ここでのジョーンのような生き方をせざるをえなかった女性はゴマンといるでしょう。たとえそれが、今回の映画のように「ノーヴェル文学賞受賞の作家の夫」みたいな極端な例でなかったにせよ、そうした男性のイメージの傘にごまかされて、女性の働きが見向きもされずに終わった例は少なくないでしょう。

 

Me TooやTimes Upなどの運動もあり、女性が男性から受ける理にかなわない不当な扱いや被害を訴えやすくなった今のような時代でこそ、「こう言う事はおかしい」と、おそらくこの映画で起こったようなこと(別にセクハラがあるわけじゃないんですけどね。念のため)も今はかなり主張しやすい世の中にはなっていると思います。だけど、それがこと50〜60年前の世界を生きて来た人にとっては、「自分を押し殺して、夫を輝かせることが生きがい」と、腹をくくって自分で納得していきたような人というのは多かったと思うんですね。それは本人としても強いプライドを持っての決心だったはずだし、誇りだって持ってきたとも思います。

 

ただ、そうした生き方が本当に必ずしも正しいのか。もう少しそれも見直す必要があるのではないか。そうした疑問が、昔ながらの女性の美徳と激しくぶつかり葛藤する。そんな女映像を、おそらく、それをリアリティ持って演じることのできる、最後の世代のグレンが演じるからこそ、すごく説得力があるような気がしましたね。彼女は御年71歳です。

 

今回のグレンのこの役って、女性にとってのロール・モデルとしてもすごく魅力的だと思うんですよね。ここまで意義深い女性の役柄も、この10年のオスカーでそんなに多いわけではありません。

 

例えば、近年のオスカー主演女優賞と比べてみても、ハッキリ言ってジュリアン・ムーアの初受賞作やら、ケイト・ブランシェットの2回目の受賞作よりは圧倒的に上ですね。彼女たちはもちろん素晴らしい女優で僕も好きではあるんですが、グレンがあの年にノミネートされていたら確実に勝ってたでしょうね。

 

ここ最近の熟年世代の女性の役柄としても、この役より年は下にはなるんですが、さっき言ったフランシス・マクドーマントの「スリー・ビルボード」や、一昨年のオスカーでフランス映画ながらノミネートされたイザベル・ユペールの「ELLE」とか、そういうのに勝るとも劣らない名演だったように思います。

 

そう。だからこそ勝ってほしいんですよね。グレンとしても、もうこの先、これに匹敵する役ともう一回めぐり合うのは、そう簡単でもないと思いますしね。ガガの「スタ誕」での圧倒的な歌の才能と熱演もかなり捨てがたくはあるんですが、彼女には今後にまだチャンスがあると信じて・・。

 

author:沢田太陽, category:映画レビュー, 11:29
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