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最新全英チャート

どうも。

 

 

いやあ、すごかったですね、ドイツ。「もう、いよいよグループ予選の崖っぷちか」というところでクロースの勝ち越し弾が漫画の脚本みたいに決まったのはすごかったですね。FKもらった時に「もしかして」とは思ったんですけど、本当に決めてしまうとはね。

 

 

では、全英チャート、行きましょう。

 

 

SINGLES

1(2)Solo/Clean Bandits feat Demi Lovato

2(4)Shotgun/George Ezra

3(3)2002/Anne Marie

4(1)I'll Be There/Jess Glynne

5(5)No Tears Left To Cry/Ariana Grande

6(6)Better Now/Post Malone

7(8)Leave A Light On/Tom Walker

8(12)If You're Over Me/Years&Years

9(9)I Like It/Cardi B feat Bad Bunny&J Balvin

10(7)One Kiss/Calvin Harris&Dua Lipa

 

 

クリーン・バンディッツ、1位獲得です。その前の週のジェス・グリンといい、本当にこの国だと強いですね。

 

あと、イヤーズ&イヤーズのニュー・シングルがトップ10に入ってきましたね。これまでの中で屈指にいい曲なんじゃないかな。

 

 

では、アルバムに行きましょう。

 

 

ALBUMS

1(1)The Greatest Showman/Soundtrack

2(2)Staying At Tamara's/George Ezra

3(-)Youngblood/5 Seconds Of Summer

4(4)The Beach Boys With Royal/Beach Boys

5(-)Everything Is Love/Carters

6(5)÷/Ed Sheeran

7(-)Call The Comet/Johnny Marr

8(6)Beerbongs&Bentleys/Post Malone

9(83)?/XXXTentacion

10(13)Speak Your Mind/Anne-Marie

 

まだ、このサントラ、1位なんだなあ。これで20週めの1位。大概でゲンナリですけどね。

 

3位初登場は5セカンズ・オブ・サマー。聞いてみましょう。

 

 

別にトラップみたいなこと、やりたければやればいいと思うんですけど、わざわざギター、肩から下げてやるようなサウンドなのかなあ。いっそのこと、踊ってみればいいのにと思うんですけどねえ。

 

 

5位初登場は、ビヨンセとジェイZの共演アルバム。名義は「カーター家」ことカーターズです。

 

 

7位初登場はジョニー・マー。これも聞いてみましょう。

 

 

この人も50代に入っているんですけど、いつまでも若々しくて元気ですね。アルバム、かなり骨太なギター・ロック・アルバムなんですが、これなんかはかなりザ・スミスを思わせる出来でファンは「おやっ」という感じですよね。

 

9位には、こないだの月曜日に射殺されたXXXテンタシオンのアRYバムが再登場。アメリカはもっとすごいことになってるでしょうね。

 

 

author:沢田太陽, category:全英チャート, 09:38
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「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」第3回 1970-1972

どうも。

 

 

では、「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」、行きましょう。今回はこんな感じです。

 

 

時代的には、1970年から72年にかけて。英語圏的にもロックの発展期にあたります。激動の60年代末を経た後、非英語圏のロックはどうなったのでしょうか。まずは、これから行きましょう。

 

 

Cambodian Rocks/Various Artists(Early 1970s Cambodia)

 

 

 最初はこの「Cambodian Rocks」。文字通り、カンボジアでのロックシーンを追ったものですが、極めて悲しいものです。

 

 当時、ベトナム戦争のあった影響で、米兵や米軍放送などから持ち込まれたんでしょうね。ロックが東南アジアに入ってきます。この時期、これらの国では無数のバンドが、それが産業として大きくなったか否かは別として、サイケやソウルの影響を受けたロックの音源をこの時期に多く残しています。それは現在もコンピの類で聞くことができ、youtubeでも検索にかければ出てきますが、その中で最も大きく有名なのが、1996年に編纂された、このカンボジアのものです。

 

 これを聞いたらわかるのですが、歌い方などはいかにもあの当時のアジアっぽい、頭のてっぺんから歌ったようなすごく甲高い女性ヴォーカルのものが多く、そこに強いローカル性も感じさせはするのですが、ギターにかかった深いファズや16ビートのリズムのキレはかなり良く、かなり充実したシーンが存在していたことがわかります。収録時期は60sから70sの前半とされ、パン・ロン、ロス・セレイソセア、シン・シサマウスといった、いわゆるシンガーの曲が多いのですが、中にはヨル・アウラロングといって、エレキゴターでサウンド・メイキングをしていた、このシーンの仕掛け人のような人も存在していました。これが可能だった理由には、この当時のカンボジアがまだ農業輸出国として、ある程度経済的に潤っていたことが大きかったようです。

 

 しかし、1975年、舞踏左翼派の、ポル・ポト率いるクメール・ルージュと呼ばれる勢力が政権につくと、「完全なる共産主義を実施する」との名目のもと、資本主義の国の影響を受けたものを極度に敵視し、虐殺まで実施しました。悲しいことに、このアルバムに収録されているアーティストも1975年から79年の間には処刑されて命を落としているようです。

 

 そのあと、20年を経て、音源もまばらになり、関係者もよくわからなくなっていた状態で、このコンピは出されたみたいですけどね。ただ、その悲劇性とともにかなり話題になり、

 

 

2015年にはこれの映像版とでもいうべきドキュメンタリー映画「Don't Think I'm Forgotten」も発表されています。ロックのみならず、世界史的に重要な作品群だと思います。

 

 

Histoire De Melody Nelson/Serge Gainsbourg(1971 France)

 

 

続いてはフランスに戻りましょう。非常に重要な人ですね。セルジュ・ゲンズブール。僕も大好きです。

 

多岐にわたる活躍で知られるゲンズブールですが、元はと言えば50年代に「ジャズの新星」としてデビューし、その時点でもかなりの評価を得ていた人ですが、60s初頭にフランス・ギャルなどのフレンチ・ポップスに曲提供する作曲家としても知られますが、脂が乗り始めるのは、彼がロックやソウルに傾倒し始めた60s後半から。まずは当時付き合っていたフランスのファム・ファタール女優ブリジット・バルドーとの共作アルバム。そして、そのあと、1969年にはのちの妻、ジェーン・バーキンとのデュエット「Je Táime...Moi Non Plus」が、そのセンセーショナルな官能性も手伝って、本国フランスのみならずイギリスでもシングルでナンバーワンを記録。ヨーロッパ中で大ヒットしたことで、一躍世界的存在となります。

 

 で、その「ジュテーム」の次作として発表されたのが、最高傑作の誉れ高い「メロディ・ネルソンの物語」。これも、中年男性が少女と恋に落ちる、内容的にはかなりきわどいロマンス悲劇なんですが、この作品の場合、後年に影響を与え続けているのが、ゲンズブールの作った「トラック」ですね。このアルバムのビートはファンクに影響されたものなんですが、リズムの芯の部分だけでグルーヴ作ってるんですよね。スネアとキックだけで。この頃にすでに、ヒップホップ的なリズムのループを使っていることにまず驚きますが、そこにプロの編曲家らしいストリングスを上乗せして、さらにファズのかかったサイケなギターをかける。今聞いてもサンプリングにはバリバリに使えるし、実際、ベックも「Sea Change」という、彼の歌ものでの最高傑作でサンプリングしてますね。

 

 ゲンズブールはこの後も意欲作を出し続け、レゲエやニュー・ウェイヴ、R&Bの要素などを見せながら91年に心筋梗塞で亡くなるまでトップ・アーティストであり続けました。

 

Mediterraneo/Joan Manuel Serrat(1971 Spain)

 

 

 続いてはスペイン行きましょう。フォークシンガーのジョアン・マヌエル・セラットです。

 

 この頃になると、ビートルズが世界中にロックを広めたのと同様に、ボブ・ディランも全世界にフォークシンガーを広めているのですが、スペインの代表がこのジョアンです。1960年代の後半から現れて、スペインのフォークの神様になっています。

 

 彼の歌が愛される理由となっているのが、彼がバルセロナのシンガーということですね。やはり近年でもバルセロナを含むカタルーニャ州の独立運動が話題になっていましたが、この地方は昔からスペイン国内で差別と貧困で虐げられているイメージで、その立場で歌われる彼の歌というのがひときわ共感を集める理由にもなっているようです。

 

 これはそんな彼が1971に発表した、彼の最高傑作というだけでなく、スペイン国内のオールタイム・アルバム企画で必ず1位を争うことで知られる名盤です。タイトルの意味は「地中海」なんですが、カタルーニャを含む、その周辺に住む人たちの実情やアイデンティティを記した1作となっています。そして、この当時のフォークやロックはストリングス・アレンジが非常に重要な仕事を果たす場合が少なくないんですが、ここではアントニ・ロス・マバーという人の施したエモーショナルでゴージャスなストリングスが絶妙なケミストリーを産んでいます。

 

 また、ジョアンはメロディメイカーとして秀逸でして

 

 

「イージーリスニングの王様」として日本でも一家に一枚の時代があったポール・モーリアの人気曲に「エーゲ海の真珠」という曲があるんですが、実はその元曲を作った人こそジョアンで、彼の「Penelope」という60sのヒット曲が元になっています。

 

 

Kazemachi Roman/Happyend(1971 Japan)

 

 

 

続いては日本です。いよいよ、はっぴいえんどの登場です。

 

まず、はじめに断っておきますが、何も、はっぴいえんどが日本のロックを始めたわけではありません。それ以前にロカビリーもGSもあるわけですから。ただ、彼らが日本のロックに対し、一つの大きなアイデンティティを作り上げたことは間違いないと思います。

 

 彼らが登場した1970年代初頭の日本の音楽界はこうでした。若者たちはベトナム戦争と日米安全保障条約の更新に強い抵抗を示したこと、多くの大学で学園紛争が勃発したことで反体制の色が強くなっていました。その時代に支持された音楽はフォークで、その支持者たちは、芸能界主導でアイドル的な売り方をしていたGSを目の敵にしました。一方、GSの側は、そのなかの実力派たちが今度は国際進出を目指すべく、サイケやハードロック、プログレなどに傾倒するテクニカルなバンドが増えます。

 

 そんな中、はっぴいえんどは、フォーク派が強く支持した、日本で最初のインディ・レーベルの一つ、URC(アングラ・レコード・クラブ)からデビューしますが、彼らの存在は最初から異端でした。まずは音楽性ですね。彼らが手本としたのは、バッファロー・スプリングフィールドやモービー・グレイプといった、この当時、国際的にも知る人ぞ知る、アメリカ西海岸のバンドでした。これは、中心人物の大滝詠一が「ビートルズなどイギリスのバンドはアメリカのバンドを手本にしてオリジナリティを獲得したのだから、アメリカ以外の国のバンドはアメリカのバンドを手本にすべきだ」という発想から生まれたようなんですが、まずこの発想が世界でもかなり珍しいです。なぜなら、この時期、世界の他のバンドはハードロックやプログレ、グラムなどのイギリスのロックを手本にすることがほとんどで、アメリカのバンドを参考にする例が少なかったから。実際、このリストでも、とりわけ70s以降はそういうバンドはほとんど出てきません。ましてや、このセカンド・アルバム「風街ろまん」のようにカントリー・ロックにまで接近した例もほとんど聞きません。

 

 そして、もう一点が、松本隆の描く、日本の都市風景ですね。これまでの「惚れた腫れた」の恋物語が一般的だった歌の詞の世界に、絵的な想像を膨らませる私小説的風に展開される。「高度経済成長を経て豊かになった、(その当時の)これからの日本に生きる若者のリアリティ」とでもいうんでしょうかね。それはとりわけ、「全共闘の世代」の後の時代の日本の音楽シーンを予見していたような感覚も感じられます。

 

 後はやはり、「ビートルズ的な、バンド内民主主義」。これも特筆すべきことだと思います。大瀧詠一と細野晴臣の双頭がソングライティングとフロントを2分し、そこにやや歳の下のギタリストの鈴木茂が時折割って入り、ドラムの松本が詞を担当する。リンゴ・スターなんて詞を書いたわけじゃないから、ある意味、はっぴいえんどの方がすごいですよ(笑)。こう言う構成のバンドは世界的に珍しいし、日本でもこの後、ちょっとないですね。

 

 ただ、そのあまりに早い才能が彼らが存在した時代に大衆的に受けいられることはなく、その先駆性は、73年の解散後、メンバー各自のソロ活動での成功とともに徐々に浸透することになり、解散時に生まれてもいなかったような若者たちから発見、理解され、継承されていくことにもなります。

 

 

Construcao/Chico Buarque(1971 Brazil)

 

 

続いてブラジルにいきましょう。シコ・ブアルキです。

 

この人も前回の「トロピカリア」で紹介したカエターノ・ヴェローゾと並んで、この時期のブラジルの反抗の闘士です。この時期のブラジルは、「南米のキューバ化を避ける」ことを目的化した右翼軍事政権の時代でしたが、その圧政に反旗を翻した存在にこのシコもいました。彼も60年代後半からテレビのソング・コンテスト番組「ムジカ・ポプラール・ブラジレイロ(MPB)」でのプロテスト・ソングで有名となりましたが、軍から目をつけられ、結局、カエターノはロンドンに、シコはイタリアに一時亡命することになります。

 

 このアルバムは彼がイタリアから帰ってきてすぐに発表したアルバムですが、見事なフォーク・アルバムとなっています。「トロピカリア」のところでも述べたストリングス・アレンジャーのホジェリオ・ドゥプラの鮮やかでゴージャスなストリングス・アレンジが、シコのスリリングな楽曲と相まって、独特の緊張感を生み出しています。彼の場合はカエターノと比べると、かなり伝統的なサンバ色の強い楽曲が通常は目立つ人なんですけど、ここでの彼はどっちかというとニック・ドレイクあたりにも通じるバロック・ポップとして十分に通用する、ロック・ファンにもかなり聴きやすい一昨となっています。

 

 ただ、シコを語る場合に重要なのは、その作詞家としての才能です。これはちょっと専門的すぎて語るのが難しいのですが、彼はポルトガル語による掛言葉の多用の名人でして、ちょっとした歌詞の中に巧みに軍事政権への批判を織り交ぜるんですが、それが軍の検閲の目をかいくぐって、気がついてみればそれが70年代のブラジル国民にとっての反抗のアンセムにもなっていました。こうしたセンスは彼の出自によるところが大きいです。彼はおじさんがブラジルで最も流通している国語辞書を編纂した著名な国文学者。そして彼のお父さんも大学教授。この当時のブラジルとしては極めて珍しい、超高等教育を受けたお坊ちゃんでもあったわけです。

 

 シコは70代を迎えた現在でも精力的に活動していて、2017年にも最新作が出ています。

 

 

Blues/Breakout(1971 Poland)

 

 

 続いては東欧に飛びます。ポーランドです。

 

 東欧でソ連に対して反抗的だった国にハンガリーとチェコがあったことは前回お話ししましたが、3番目の国がポーランドで、この国もソ連のやり方とは異なる社会作りを求めていまして、若者文化には寛容だったようですね。そもそも映画でロマン・ポランスキーを60年代に生んでいるような国です。普通のはずがありません(笑)。

 

 この国にも60年代からブリティッシュ・ビートの影響を受けたバンドのシ−ンはあって、それなりに充実していたようですが、僕が聞いててグッと来たのが70sのこのバンド、ブレイクアウトですね。このバンドは1969年にデビューをしていまして、これが3枚目のアルバムとなりますが、タイトルがそのまんま示す通り、ブルース・ロックのアルバムです。

 

 全体的にゆるい感じのブルース・ナンバーが続く作品で、もしかしたらブルース・ロックそのものを聴き慣れた耳にはそれほど衝撃はないかもしれません。ただ、60年代後半当時、ロンドンの若者でさえ、「そんなアメリカの古いフルースをキミたちはどうやって学んだのか?」と言われていたものなのに、ましてやポーランドに住んでいて、なぜ、国の外からのブルース・ロックをそんなプロフェッショナルに吸収することが可能だったのか。そのことにとにかく驚かされます。東欧圏でも比較的自由な国はあったとはいえ、「鉄のカーテン」が敷かれ、それ以外の社会には謎に映っていたこの東欧圏でここまでのロック文化が発展していた事実に改めて驚かされます。

 

 ポーランドのwikiによりますと、彼らのアルバムは1969年の1stから73年発表の6枚目のアルバムまで、第4作目を除く5枚のアルバムが、現地で最も影響力のあるとされている音楽メディアの再発盤レヴューで5つ星の評価をえています。いかにこの国にとって大きな存在だったかが、それだけでもうかがえますね。

 

Smog/Los Dug Dug’s(1971 Mexico)

 

 

 続いてはメキシコに行きましょう。紹介するのはロス・ドゥグ・ドゥグズです。

 

 1960年代後半が世界各地で学生運動の嵐が吹き荒れたことはここでも多く語っていますが、それはメキシコでも同様でした。1968年10月、ちょうどメキシコ・オリンピックが始まる直前に、「トラテロルコ事件」が起きます。これは首都メキシコ・シティの広場で学生と労働者たちが集会を開いていた時に警察が入り込み、学生たちを大量殺戮してしまったんですね。これでオリンピックそのものの警戒もかなり強くなったという話を聞きます。

 

 これを持って、メキシコにおけるカウンター・カルチャーは盛んになっていきまして、それは「ラ・オンダ」という名で、映画や文学にも渡って展開されますが、その一つとしてロックにも白羽の矢が立つわけです。第1回目で紹介したように、メキシコではロカビリーの時代にバンドブームがあったのですが、どういうわけだかビートルズの時代にはその文化が不毛になっていました。しかし、この国内での学生たちによる動乱により、再びロック・カルチャーに火がついた、というわけです。

 

 やはり時代が時代だけに、この時代のメキシコのロックはかなりサイケデリックかつハードです。直接メキシコではなかったものの、サンフランシスコのメキシコ移民のカルロス・サンタナのサンタナが成功したことが勇気を与えます。代表的なバンドにはレヴォルシオン・デ・エミリアーノ・サパタ、スリー・ソウルズ・イン・マイ・マインドと言ったバンドが出ますが、それと同時期にこのドゥグドゥグズも出るわけです。

 

 このドゥグドゥグズ、このジャケ写のコミューンのヒッピーそのまんまの姿がかなり強烈ですが、サウンドの方もレッド・ツェペリンのギター・リフに、ジェスロ・タルの不穏な響きのジャズ・フルートを重ね合わせた、かなり混沌としたドロドロの世界観を提示してくれます。この当時の人気ではスリー・ソウルズやサパタほどではなかったものの、放つ空気の不気味さ、異様さのインパクトではこちらの方が上回っていて、そのためか、「メキシカン・ロックの名盤」みたいな企画でも、このアルバムの方がむしろ目立つことが今日では多いですね。

 

 この時代、メキシコでのヒッピー・ムーヴメントは71年9月、「メキシコのウッドストック」とも呼ばれた2日間フェス、ルエダス・デ・アヴァーンダロ・フェスティバルで頂点に達します。

 

 

 これはこのような形で映像記録としても残されていて、ドゥグドゥグズやスリー・ソウルズなども出演しています。

 

 このように隆盛を見せたメキシコのカウンター・カルチャーですが、他の国のヒッピー文化の衰退とともに下降していき、75年に政府が行った「ロック禁止令」とともに、この国のロックはしばらく不遇の時代も迎えます。

 

 

Clube Da Esquina/Milton Nascimento & Lo Borges(1972 Brazil)

 

 

続いても、もう一つブラジル行きましょう。今度はミルトン・ナシメント。

 

サイケデリック・ロックの影響を受けた後のブラジルの音楽のことを、前述したカエターノやシコがプロテスト・ソングを披露した音楽番組にもちなんでMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイロ)と呼ぶのですが、ミルトンもそのMPBの代表的なアーティスト。デビューも彼らと同じく60s後半です。

 

 ただ、政府と真正面から戦ったカエターノやシコと違ってミルトンの場合は、彼の地元、ブラジル第3の都市(1はサンパロで2はリオ)ベロ・オリゾンチで、気の合う職人肌のミュージシャンたちとハイ・ブリッドなポップ・ミュージックを作っていました。それを彼らは「街角のクラブ」という意味を込めてで「クルービ・ダ・エスキーナ」と呼びました。名義がロー・ボルジェスとの共演という形になっているのは彼がフロントになる曲を分け合っているからですけど、バックを含めての仲間意識がここでは強いです。その意味で、すごく地元レペゼン色が強いです。

 

 そのサウンドですが、これは「ブラジル版のスティーリー・ダン」まで言うと大げさかもしれませんが、ソウル・ミュージックと当時のウェスト・コースト・ロックに近い感覚のことをやっています。ある意味、日本のシティ・ポップの感覚に近く、そういうこともあって日本人リスナーの方には聴きやすい感じはします。事実、このアルバムの後くらいにミルトンは国際デビューもしていますが、AORやフュージョンの畑で彼は人気高いですからね。

 

 それから、ミルトンの鼻から抜けるような、清涼感あふれる独特の歌い方は「ザ・ヴォイス」とまで呼ばれ、それはジェイムス・テイラーやポール・サイモン、さらにはなんとデュラン・デュランのアルバムでまで聞くことができます。それくらい国際的に引っ張りだこでした。あと、近年でも、デヴィッド・ボウイの遺作「ブラックスター」に収録されている「Sue」という曲が、このアルバムに入っている「Cais」という曲のパクリ疑惑があったり(実際、かなり似ています)、アークティック・モンキーズが2018年の新作を出すにあたり、ミルトンではなく、ここでの相方のロー・ボルジェスを「今回のアルバムを作る際のインスピレーションになった」と呼ぶほど、現在の音楽にも国際的に影響を与え続けています。ミルトンもローも、現在も活動中です。

 

 

La Poblacion/Victor Jara(1972 Chile)

 

 

 続いても南米でチリに行きましょう。紹介するのはフォーク・シンガーのヴィクトル・ハラです。

 

 チリという国は、南米版のフォーク・ミュージックに当たる「フォルクローレ」の中心の地域です。この音楽も他の国同様、貧しく苦しい生活を送っている人の気持ちを代弁し、世に物申した歌が人々の共感を得ていました。

 

 その代表的存在となった人がヴィオレタ・パラという女性シンガーで、彼女の起こした「ヌエヴァ・カンシオン(新しい歌)」というムーヴメントに、劇作家でもあったヴィクトルも参加します。このムーヴメントの人たちはチリの共産党に入党して歌いますが、これには伏線がありました。南米の場合、これは現在まで続くことですが、貧富格差が社会上の市場システムとしてなくなりにくい性質を持っていました。だから、「社会主義」というシステムが望まれやすい状態にありました。そして、1970年、国民が選挙で選ぶという、歴史上初の出来事で、チリで社会主義政権が誕生しました。

 

 このアルバムは1972年にリリースされた彼にとっての通算7枚目のアルバムです。これはチリの虐げられた労働者に捧げられたコンセプト・アルバムで、彼らがやがて立ち上がるようになるまでを描いた作品です。サウンドの方も、これまではどちらかというと「ロック」というカテゴリーでは紹介しにくいほど民族色が濃くはあったのですが、このアルバムではアメリカやヨーロッパでのフォーク・ロックやバロック・ポップなどの影響も受け、ロックファンにもかなりアピールしやすいようになっています。全体の作品のトーンとしては、かなり前向きなエネルギーな触れた、明るい社会の到来を願った感じになっています。

 

 しかし、これがリリースされた翌73年9月。アジェンデ大統領の社会主義改革路線に軍がクーデターを起こします。軍は社会主義者を大量に逮捕し、さらには処刑までしますが、その中にヴィクトルも含まれました。伝説によると、サッカー・スタジアムに収容されたヴィクトルは、ギターを持ってプロテスト・ソングを歌おうとしたところ、両手から先に撃たれて殺された・・との事ですが、「いくらなんでもそれは話が美しすぎる」としてのちに否定もされています。ただ、そう人々がそう崇めたいくらいに彼はヒーローだった、という事です。また、この粛清にはノーベル賞詩人だったパブロ・ネルーダまで含まれています。

 

 クーデターを起こした将軍でのちの独裁大統領ピノチェ(日本ではピノチェトと呼ばれていますが原音通りに)は、このクーデターや粛清で3000人ほどの死者、10万人の人権侵害者、100万人の亡命者が出たと言われ、その圧政ぶりはクラッシュやスティングの歌の題材にもされています。

 

 ピノチェの政権は1990年に終了して、チリは民主国家に戻っています。ヴィクトルが殺害されたスタジアムは、今は「ヴィクトル・ハラ・スタジアム」という正式名称になり、改めて国葬もされています。

 

 

Per Un Amico/Premiata Forneria Marconi(1972 Italy)

 

 

今回の最後はイタリアで締めましょう。プログレ・バンドのプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ、略してPFMです。

 

 以前、「イタリアやフランスといった国は、トルバドール(吟遊詩人)の文化があってソロシンガーが好まれる傾向がある」と書きました。それがゆえに、ビートルズ・タイプのバンドが流行らなかったことも確かです。ただ、そんな、とりわけイタリアにとっては、プログレこそが「バンドへの扉」となりました。

 

 なぜか。それはプログレがクラシックの要素を取り入れた音楽だから。ロック・ミュージックに関して言えば、当初諸外国は、「アメリカからの音楽」「黒人のリズム&ブルースが元になった音楽」という概念がとりわけヨーロッパでは強く、それがゆえに好奇心を持ってあえて取り組む人がいる反面、「ヨーロッパの白人である自分にはルーツがない」と躊躇する人もいました。ところが、オーケストラとの共演やクラシックの要素を大胆に取り入れるプログレが出てきたことで、「これだったら自分でもできる」とロックに参入した白人が増えたことも事実です。日本でプログレが流行ったのも、ピアノやエレクトーンを習っていた子女が入りやすかった、という事情が実際にあるから、これは民族ルーツ的に避けられないことだったのかもしれません。

 

 ということもあり、まさにクラシックとオペラの国であるイタリアではプログレが大人気。1970年前後に数多くのバンドがロックシーンの顔となっていきます。それを築き上げたバンドはアリア、ル・オルメ、そしてPFMでした。

 

 フロントマンのフランコ・ムッシーダと多彩な楽器を操るマウウロ・パガーニ、そして重層的で展開力溢れたシンセサイザーを奏でるフラヴィオ・プレモーリを主体としたこの五人は1972年にデビューするとたちまち高い注目を集めます。その評判はちょうどイタリアをツアー中だった、当時、飛ぶ鳥落とす人気だったエマーソン・レイク&パーマーにも注目されます。EL&Pは彼らを自分のレーベル、マンティコアに迎え入れ、イタリア本国で72年11月に発売されていたこのセカンド・アルバム「Per Um Amico」の改作を、よくね73年に世界リリースします。これは彼らのような非英語圏のバンドにとっては願ってもいないことでした。その結果、彼らは国外のファンにも知られることになりました。

 

 

 ただ、その売り出し方は、今日の基準で考えて問題がないわけではありませんでした。このアルバムを編集し直して出されたアルバム「幻の映像(Photo Of Ghost)」は1stから1曲、2ndから5曲の編集で、曲順もバラバラ、さらにオリジナルとは全く違う英語詞で歌われることになりました。今の世の中だと、そのままセカンドを出せばそれで済む話だったんですけど、この当時の国際戦略では「英語で歌わないと不利になる」という思い込みが強かった、ということなんでしょうね。結局、マンティコアからは1977年までアルバムを発表。途中で英語で歌うのが上手いヴォーカリストも加入はしましたが、微妙に何かが失われたことと、国際的にプログレが衰退したことで目立たない存在となりました。

 

 現在、オリジナル・メンバーで残っているのはドラマーだけで、あとは2代目ベーシストが在籍しているようですが、その他は変わっています。ただ、彼らは現在も活動を続けていて元気に世界ツアーもやっています。

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 11:00
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ポール・マッカートニーの新曲2曲。9月にアルバム

どうも。

 

 

相変わらず、特集の原稿書きとワールドカップに時間を費やしていますが、そんな矢先にこんなニュースが。

 

 

 

ポール・マッカートニーのニュー・アルバムが9月に出ます!

 

 

「Egypt Station」というのがタイトルで、これが9月に出るそうです。前作、2013年の「New」以来のアルバムですが、「新作は制作している」と言われつつ、ずっとツアーをやっている印象があったんですが、ついにめどが立ったようです。

 

 

これに合わせて新曲も2曲発表されています。

 

 

 

バラードの「I Don't Know」にロックな「Come On To Me」ですが、どちらもすごく「らしい」曲ですね。どちらにも言えることは、彼の68、69年からウイングスの時代を思わせるタイプの曲ということですね。とりわけ後者のピアノの刻みとブラスの入れ方は「レディ・マドンナ」の頃からずっと一貫したものを感じてなんか嬉しいですね。

 

 

両曲共、すごく彼のツアーのセットリストとのハマりが良さそうな曲ですね。おそらく、そのことを意識して作ったんじゃないかな、これ。全く違和感、ないですもん。

 

 

それにしても、もう70代も後半に差し掛かって、期待に胸ときめきながらポールの新作を待つ、なんて日が来るとは予想もしてなかったですね。特に彼の40〜50代の時には。それが、50代後半からまたキャリアがよくなって、60代からのライブがすごく良くて、70代でニュー・アルバムが良くて・・なんてことが起こるとはねえ。

 

 

肉体の衰えは確実にあるし、それは感じられる(でも、バラードの時の方が声の加齢が目立って、ロックの時の方が気にならないというのは、ある意味ビックリ)んですが、創作感覚は依然として若いままなのは立派ですね。アルバムが楽しみです。

 

 

author:沢田太陽, category:音楽ニュース, 14:24
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最新全米チャート

どうも。

 

 

いやあ、日本、やりましたね!全く勝つことなんて予想もしてませんでしたけど、いくらコロンビアが1人退場し、ハメスが故障で途中出場するという、極めて悪いコンディションでの試合だったとはいえ、そうした運も、こうした短期決戦では実力のうちですからね。誇っていいと思いますよ。僕は、コロンビアの選手も、南米の大会などを通じて馴染みの選手たちではあったから、「彼等に勝ったんだあ。信じられないなあ」の気分でいっぱいですね。

 

 

では、全米チャート、行きましょう。

 

 

SINGLES

1(2)Nice For What/Drake

2(1)Psycho/Post Malone

3(3)I Like It/Cardi B,Bad Bunny&J Balvin

4(5)God's Plan/Drake

5(4)Girls Like You/Maroon 5 feat Cardi B

6(9)Lucid Dream/Juice WRLD

7(6)Boo'd/Ella Mai

8(10)The Middle/Zedd feat Marren Morris&Grey

9(13)No Tears Left To Cry/Ariana Grande

10(12)Meant To Be/Bebe Rexha&Florida Georgia Line

 

ドレイクが1位取り返しました。

 

9位にアリアナ、10位にベベがそれぞれトップ10に返り咲きましたねo

 

では圏外に行きましょう。39位初登場のこの曲で。

 

 

 

 

4週連続でリリースしているカニエ関連作品のこれが3作目ですね。キッド・カディとのユニット、「Kids See Ghost」のアルバム。

 

エレクトロとヒップホップの融合感覚で注目されたカディらしいサウンドも聞かせつつ、カニエ本来のオーガニックなテイストも生きた作品になっていますね。うまくはできてると思います。ただ、こと「カニエとのケミストリー」で言えば、今回のシリーズの第1弾だったプッシャTのアルバムでのケミストリーには追いついていませんけどね。カニエの作るトラックの冴えでは、あのアルバムがやっぱ1番なので。

 

 

ALBUMS

1(-)Come Tomorrow/Dave matthews Band

2(-)Kids See Ghost/Kids See Ghost

3(-)The Mountain/Dorks Bentley

4(2)beerbongs&bentleys/Post Malone

5(1)Ye/Kanye West

6(5)Invasion Of Privacy/Cardi B

7(6)Goodbye&Good Riddance/Juice WRLD

8(7)The Greatest Showman/Soundtrack

9(9)Harder Than Ever/Lil Baby

10(8)Shawn Mendes/Shawn Mendes

 

すごく久しぶりのデイヴ・マシューズ・バンドのアルバムが初登場で1位です。Kids See Ghostは2位でした。

 

3位は男性カントリーの人気者のダークス・ベントリーが初登場。

 

さて

 

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、XXXテンタシオンが月曜日に射殺されて亡くなりました。マイアミsでショッピングをしようとしていた矢先に強盗に襲われて亡くなったようです。まだ、あまりにも若いのにすごく気の毒です。

 

 彼に関しては言及したいことは決して少なくないのですが、今はこれ以上はあえて語らずにいたいと思います。RIP・

author:沢田太陽, category:全米チャート, 10:44
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「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」第2回 1967-1969

どうも。

 

 

では「非英語圏の101枚の重要なロック・アルバム」、2回目行きましょう。今日はこんなラインナップです。

 

 

 

 

今回は1967年から69年の11枚でいきます。なぜ、ここで11枚にしたかというと、ここで1枚追加が出たからです。この時代は、いわゆる激動のサイケデリックの時代ですが、非英語圏の国では果たしてどうだったのでしょうか。

 

 

A Go Go/Dara Puspita(1967 Indonesia)

 

 

これはインドネシアが生んだ、世界最初の、というか”世界で初めて語る価値のあるオール・ガールズ・バンド”ですね。ダラ・プスピタです。

 

インドネシアという国が50年代にティールマン・ブラザーズのようなすごいバンドを生んでいたことは前回語りましたが、その影響もあって、ビートルズの時代の60年代半ばにこの国にもバンドブームがあって、この女の子4人組の彼女たちも出てきたのです。

 

 彼女たち、実力もかなりのものがありました。1965年に登場した時のイメージを見てみると、どことなくインドネシアの民族音楽をロックにしたような感じも伺えたんですけど、この4枚目にあたるアルバムは、ソウル・ミュージックの影響を受けたかなりグルーヴィーなもの。ベースラインのスピード感が優れていて、かなり踊れるロックンロール・アルバムになっています。ベーシストはフロントウーマンの妹さんなんですけど、姉妹でやっているようにバンド内コンビネーションも良かったようです。このように、演奏テクニック的にもかなりのものがあった彼女たちは、本国インドネシアでは2万人入るアリーナでもライブをやり、ヨーロッパにも度々ツアーに行き、1974年までと、かなり長い活動を行うことができました。

 

彼女たちはガレージ・ロックのコンピなどを通じて国際的にガレージ・マニアには有名なバンドで、本国インドネシアでもカルトバンドとして今日まで愛されています。近年ではドキュメンタリーも制作されていますし、

 

 

このように、インドネシア版のローリング・ストーンでは2015年の号で表紙になって特集もされています。彼女たちは、公式のfacebookも持っていて、そこで見る限り、まだメンバーは個人的な演奏活動はやっていて、再結成の意欲もあるようです。みんな70前後くらいですけど、今現在の見た目も若いですよ。

 

 

Ezek A Fiatalok/Soundtrack(1967 Hungary)

 

 

続いてはこちら。実はこれが、最後に足した「101枚目のアルバム」でした。だから、ここで11枚にしてあるのです。

 

これは「Ezek A Fiatalok(多分、「エゼク・ア・フィアタロク」、意味は、「この若者たち」らしい)という、区分で言うと、映画のサントラです。ただ、映画といっても記録映画に近いものだと思います。これは、この当時のハンガリーのロックシーンを記録したものだそうで、当時のシーンを支えたバンド、イリェーシュ(Illes)、メトロ(Metro)、オメガ(Omega)の3バンドに、読み方に自信がないんですが、ザラトナイ・シャロルタ(Zalatnay Sarolta)、コンツ・ジュージャ(Koncz Zsuzsa)という女性シンガーが集まった、この当時の同国の最強のポップ・カルチャーの顔が集まったものとなっています。当時の共産圏で、このようなオムニバスがこんな形で出ていたことがまずかなり貴重です。

 

 なぜ、こうしたことが可能だったのか。それはハンガリーという国の文化背景にあります。ハンガリーは戦後にソ連の影響下で共産主義の国となるわけですが、1956年に「ハンガリー暴動」という、ソ連の支配に対しての民衆の反抗運動が起こっているんですよね。こうした事実からも、当時の東奥の共産圏の国では最も反抗的な体質だったことがうかがわれます。ロックが若者の自由の象徴だったんでしょうね。

 

 ここに参加したバンドたちはソ連に目をつけられて活動休止を余儀なくされたものもあります。ただ、その残党でロコモーティヴGTという、この国で伝説化した大物ロックバンドを結成したり、さらに女性シンガーのシャロルタやジュージャ(ハンガリーは日本同様、名字が先なので名前はこっちです)は、これ以降も現在に至るまで、この国でかなりのリスペクトを浴び続けるアーティストになっています。

 

彼らのその後に関してもyoutubeには映像がバンバン上がっていますので、気になる方は見てください。

 

 

Em Ritmo De Aventura/Roberto Carlos (1967 Brazil)

 

 

 続いては南米行きましょう。ブラジルのスーパースターです。ロベルト・カルロス。

 

 前回、「全世界にエルヴィス・フォロワーがいる」という話をしましたが、彼が「南米のエルヴィス」にあたる人で、1960年代の初頭から活躍してきました。イタリアやフランスが、「ビートルズやストーンズの時代になってもバンドが流行らずに、アイドルがギター・ロックまでカバーしていた」という話を前回しましたが、ブラジルもまさにそうで、そういう時代が60年代後半まで続きます。

 

 ロベルト・カルロスは当時の最大のアイドルで、同じような「ロック世代のアイドル」たちとともに「ジョーヴェン・グアルダ」というテレビ番組に出演し、これがこの当時のブラジルの少年少女たちにとって不可欠なものとなります。ロベルトと、後に本格的なロッカーで成功するエラズモ・カルロス、女性アイドルのヴァンデルレアの3人がとりわけ番組の顔でした。

 

 そして、ビートルズの時代までのアイドルの常として「主演映画」の存在があるのですが、ロベルトの最高傑作として一般評価が最も高いのが1967年発表の同名映画のこのサントラ。ノリとしては「ハード・デイズ・ナイト」の「忙殺される人気者」を描いた感じですが、サウンドの方は67年という時代よりは少し前の、どことなくマージービートな感じで、ソウルっぽいリズムが混ざり始めている感じですね。ただそれはそれで完成度は高く、ロベルトの甘い声も相乗効果をなし、この時代のブラジルのロックの名盤として恥ずかしくないものはできています。

 

 ロベルトは70年代に入りバラード路線に転じ、以後、70歳を超えた現在まで活躍中です。カテゴリーは現在もアイドルで、長めのサラサラの髪に、ブルーのジャケットに、シャツはノー・タイで第2ボタンまで開き、マイクを持たない手にはバラの花を持っている、そんなおじいさんになっています(笑)。だけど、未だに人気すごいんだ、これが。年末に毎年テレビで彼のクリスマス特番があるんですが、40年以上、毎年高視聴率で終わりそうにありません。クリフ・リチャード、チェレンターノ、ジョニー・アリデイ、そしてロベルト。エルヴィス・フォロワーは屈強な人が多いようです。

 

Hljomar/Hljomar(1967 Iceland)

 

 

 続いては一転して北に飛びます。アイスランドでヒョルマー。

 

「アイスランドという国には、きっと充実したロックの伝統があるはずだ」。それはビヨークやシガーロスが話題になった頃から思っていました。だって、何も土壌もないところから、あんな30万人くらいの人口の国からあんなにたくさん趣味の良いアーティストが次々と出てくるはずがないと思っていたから。そうしたら、ちゃんと調べたらあるんです。しかも60年代から。

 

 このヒョルマー、ブリティッシュ・ビートの影響を受けたバンドなんですが、初期はソーズ・ハンマーと名乗って(マイティ・ソーのハンマー。このネーミング自体がいかにも北欧)、イギリスでデビューしようとしてデモ盤を作っていました。これ、すごいガレージロック的で カッコよく、ガレージの名もコンビ、「ナゲッツ」にも入っていて、僕はそれで知りました。

 

 そしてヒョルマーに名前変えてアイスランドで活動して彼らは国内でカリスマになったんですけど、この名義だとフォーク・ロック〜サイケですね。北欧っぽい湿っぽいメロディ感覚が強いですが、1966年くらいの国際的フィーリングがしっかりと受け止められます。その中の1曲に

 

 

この、タイトルの読めない曲が彼らの代表曲なんですが、実はこれがのちに

 

 

 1981年に、ディスコ・アレンジでカバーされ、なんと日本の洋楽マーケットでヒットしています。曲名は「ユー&アイ」でアーティスト名もユー&アイというので、あの当時ちょっとした話題でした。これを覚えていたものですから、オリジナル知った時の衝撃はデカかったです。

 

 このヒョロマー、中心人物のグンナル・ソルザルソンは「アイスランドのポール・マッカートニー」とも呼ばれている人で、このバンドの解散後もプログレのバンドを2つくらいやったり、ソロでも活動したりして、かの国ではかなりの大物だったようです。彼の存在が、この国のその後の繁栄を築いたと言って良いのではないでしょうか。

 

 

Hip/Steppeulvene(1967 Denmark)

 

 

 続いてはデンマーク、行きましょう。バンドの名はステッペウルヴェーネ。

 

 この人たちと似たバンド名に、映画「イージー・ライダー」のオープニングで有名な「ワイルドで行こう」のヒットでおなじみのステッペン・ウルフがありますが、意味は同じです。ドイツの文豪、ヘルマン・ヘッセの小説「荒野の狼」の英語題が「ステッペン・ウルフ」でデンマーク語が「ステッペウルヴェーネ」です。

 

 このバンド、何が重要かというと、ドラッグやアルコールのオーヴァードーズという、いわゆる「ロックンロール・デス」を遂げた世界で最初の人物がこのバンドのヴォーカリスト、Eik Skaløe(誰か読める人、教えて下さい)で、彼は1968年10月に命を落としています。

 

 ただ、それもありつつ、やはり音楽性こそが重要です。このバンドの登場するまで、デンマークにはバンドのシーンもあったんですが、それは全て英語によるものだった。しかし彼らが登場したことで、デンマークが母国語でロックを歌い始め、サウンドもブリティッシュ・ビート一辺倒から、ディランやアメリカのフラワー・ムーヴメントの影響が強くなっています。いわば、「イージーライダー」の世界を自ら実践してしまったデンマークのバンドだった、ということでしょう。

 

 そんなEikの一生は

 

 

なんと2015年に映画化されています。タイトルも「Steppeulven」。ここで描かれているのは、「ことのきっかけは女の子にモテたかった。それだけのところからビート詩人にもなり、バンドを組み、平和運動も行った・・」みたいな内容でしたね。僕も言葉はわからないながら、ネットで見つけ出して少し見ましたけど。この映画が話題になったこともあり、唯一のアルバム「HIP」は、公開時にデンマークのチャートで4位まで上がる再ヒットも記録しています。

 

 

Tropicalia Ou Panis Et Circencis/Various Artists(1968 Brazil)

 

 

 続いてはまたブラジルで行きましょう。これはオムニバスで、俗に「トロピカリア」と呼ばれているアルバム。もっと言うと、「南米のサージェント・ペパーズ」とさえ呼ばれているものです。

 

 時は1968年。ブラジルが「共産圏化を防ぐため」との名目で右翼軍事政権になった際、政府による言論の自由の抑圧ぶ反対する若者たちが、サイケデリック・ロックとともに反抗を始めます。その中心となったのが、北部の”田舎の”大都市、バイア州サルヴァドールから出てきたカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジル、そして彼の仲間たちでした。彼らはこの当時ブラジルのテレビで盛んだった、視聴者投票による楽曲コンテスト番組「ムジカ・ポプラール・ブラジレイロ(MPB)」にプロテスト・アンセムを持ち込み、そこで人気をえていきます。

 

 その勢いのまま、カエターノたちはスタジオには入り、名アレンジャー、ホジェリオ・ドゥプラの指揮のもと、テープの逆回転や編集、ストリングスやホーン、ディストーション・ギターを駆使した実験的なポップ・アルバムを作り上げます。そこにはカエターノやジルを始め、ガル・コスタやトン・ゼー、ボサノバ歌手のナラ・レオン、そしてカエターノ自身がバックアップしていたサンパウロのロックバンド、オス・ムタンチスが加わります。

 

 ジャケ写もサージェント・ペパーズを意識したように見えますが

 

 

これはむしろ、こちらのパロディです。これは1922年に、当時のブラジルの現代芸術家たちが行った「現代芸術博覧会」の時の写真なんですが、これをモチーフに使ったことでも想像できるように、サイケデリックでありながら、同時にかなりブラジルの固有の感覚も強調された作品です。それはリズムのグルーヴ感を聞けばわかります。

 

 

 このアルバム、さらにすごいのは、ここに参加したアーティストのいずれもがその後に伝説となり、50年経った今でも現役であり続けていることです。カエターノやジルは未だに音楽界の重鎮的存在で、カエターノに関しては80sに一時的に落ち込んだ以外はずっとハイレベルな作品作り続けてもいますしね。言動に多少問題はある人ですが、またそれは別の機会に(笑)。

 

The Savage Rose/The Savage Rose(1968 Denmark)

 

 

 

続いて、今度もデンマークのバンド、行きましょう。サヴェージ・ローズです。

 

「野生のバラ」という意味を持つこのバンド、その名の通り、女性シンガー、アニゼット・コッペル擁するバンドです。この当時、女性がリードシンガーを務めるロックバンドは、ジャニス・ジョプリンのビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーやジェファーソン・エアプレインのグレース・スリックくらいのものでしたが、彼らは明らかにそうしたサンフランシスコのフラワー・ムーヴメントの影響を受けたバンドです。

 

 

当時のアニゼットです。見ての通り、黒人の血を受け継いでいます。おそらく、白人とのミクストだと思うんですけどね。ただ、彼女の歌唱法そのものは、ソウルフルというよりは良く伸びる高音を、響かせるだけ響かせるタイプですね。その意味でヨーロッパのロックとは相性が良かったかもしれません。この人たちは分類上、「プログレ」と定義されることが多く、その関係でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ただ、少なくともこのデビュー・アルバムの時点では、そこまでプログレな感じはないというか、やっぱりフラワー・ムーヴメントっぽいフォークロック、あるいはそこからのサイケデリック・ロックの趣が強いですね。ただ、プログレ流れの関係で、英語圏にもファンが少なくないバンドです。

 

サヴェージ・ローズですが、現在も現役です。ただ、今はもうバンドというよりは

 

 

アニゼットの実質ソロですね。彼女たちは90sにアダルト・コンテンポラリー路線で人気が復活して、今現在は、ブルーズやソウルに傾倒した感じのロックになっています。現在はバンドリーダーだった彼女の夫は亡くなっていて、娘さんがバックアップ・シンガーをやっていますが、現在でも本国ではアルバムがチャートのトップ10に入るくらい人気です。さらに言えば、今回紹介のファースト・アルバムはデンマークの文化省から国宝にまで指定されています。

 

 

Tutti Morimmo A Stento/Fabrizio De Andre(1968 Italy)

 

 

 

 

 続いてイタリアに戻りましょう。この国が誇るフォークシンガーです。ファブリツィオ・デ・アンドレ。

 

 イタリアは中世からトルバドゥール(吟遊詩人)と言って、絃楽器弾き語りのシンガーの文化があるためにソロ・シンガーが好まれる風潮があるんですが、それが60s後半にフォークと結びついた結果に台頭したのがファヴリツィオです。

 

 60年代後半は68年5月のフランスの五月革命、69年1月の日本での東大安田講堂事件など、国際的に学生運動の激しい時期でしたが、イタリアでも68年3月から学生運動が全国に拡大し、そこからさらに左翼過激派による抗争が激化。それはやがて労働者にも拡大し、69年には工業地帯の北部の工場が軒並みストライキを行うなど、国が動乱します。

 

 ファヴリツィオはそんな時代の波に乗って支持されていきますが、彼はただ単に歌詞だけで評価されたのではありません。彼はイタリアにおいて、「コンセプト・アルバムを作り上げる名手」として知られていたのです。このアルバムは、そんな彼にとっての最初のコンセプト・アルバムで、名映画音楽家のエンリオ・モリコーネを意識した壮大なストリングスに乗って、「世界最初のプログレ・アルバム」と呼ばれるムーディ・ブルースの「The Days Of The Future Passed」を意識したアルバムを作ってます。そして、これが、イタリアで70s前半に開花するプログレ・ブームの先駆けにもなります。

 

 あと、ファヴリツィオのコンセプトの立て方は文学的でもあります。このアルバムも中世のフランスの詩人の「生と死」をテーマにしたものですが、`1969年にはキリスト教における異端信仰について、71年には20世紀初頭のアメリカの詩人の作品をイタリア社会に置き換えたもの(最高傑作の呼び声高いのがコレ)を、72年には68年の暴動に参加した労働者の人生を、81年にはイタリア原住民とアメリカ原住民の対比を、84年には彼の故郷ジェノヴァと中東世界の関係について歌ったもの(これも傑作の誉れ高し)といった、格式高い文学世界を音楽を通して展開してきました。

 

 その後も精力的な活動を続けましたが、1998年の夏のツアー中に肺がんが発覚。翌年の1月に58歳で亡くなっています。

 

 

Ptak Rosomak/Olympic(1969 Czech)

 

 

 続いて、もう一つ東欧行きましょう。今度はチェコで、その名もオリンピックというバンドです。

 

「この国も60年代、絶対にロックのシーンがあったはず」。僕はかなり前からそう思っていました。なぜなら、渋谷系クラシックにもなったガーリー映画「ひなぎく」(ヴェラ・ヒティロヴァ監督)が1966年に制作されていたような国です。あと、のちに「カッコーの巣の上で」「アマデウス」でオスカーの監督賞を2度受賞したミロシュ・フォアマンもチェコ・ヌーヴェルヴァーグの監督です。映画でそんなムーヴメントのあった国で、ロックのシーンがないわけない、と思っていました。

 

 ただ、それでも探すのは困難でしたね。それはwikiに「Czech Rock」という項目がなく、言語の関係上、検索の仕方が難しかったから。

 

 しかし、こういうものを見つけて、一気に解決しました。

 

 

これは1967年の12月に首都プラハで行われた「ビート・フェスティヴァル」という、チェコで最初のロック・フェスティバルの記録映像です。この動画の解説にあるバンド名を手掛かりに検索を始めましたね。さらに、別の動画では、チェコのロックシーンの世代別のトップ10アーティストの動画、というものも存在します。そういうので検索していった結果、当時トップ人気だったのがオリンピックで、この他にマタドールズ、ブルー・エフェクトというバンドだったり、カレル・クリルというフォークシンガーだったり、政府に目をつけられて共産圏崩壊まで20年活動の停止を余儀なくされたマリア・クビソワという女性シンガーソングライターがいたり、という情報を手に入れました。

 

その中から、オリンピックのセカンド・アルバムを。68年に出たファーストはまだ初期のブリティッシュ・ビートの趣きだったんですが、たった1年で、西欧のサイケの流れにキャッチアップしてるのが驚きですね。この当時の東欧社会に生きながら、しっかり外に情報のアンテナ張り巡らせて、自分たちの住んでいる世界の矛盾をしっかりと把握していた、その行動自体に頭が下がりますね。

 

 というのも、このチェコ、ハンガリーやポーランドといった国と同様、1956年にスターリンの粛清政治が暴露された際に、ソ連に反旗を翻し、「ソ連が押し付ける形でない、自分たちならではの社会」を望んで叫んでいたところだったんですね。それゆえにこれらの国では、この当時から西欧並みのカウンター・カルチャーが盛んだったわけです。そして68年には「プラハの春」という大きな抗議活動も起こります。これは結果的にソ連の軍事介入によって押しつぶされてしまいます。ただ、東欧間でのソ連への不信は高まり、チェコでのロックも、革新的な方向ではなかったかもしれないけど、続いていくことになります。オリンピックは現在も現役で活動中です。

 

 

Monster Movies/Can(1969 Germany)

 

 

続いて、ようやくドイツです。アーティストは、今もインディ・ロックやエレクトロ方面に絶大なファンの多いカンです。

 

ドイツといえば、「ビートルズがハンブルグで修行した」というイメージをお持ちの方もいるので、昔からロックに強いと思われる方もいらっしゃるとは思うのですが、実は全くその逆で、60年代、ドイツではロックは全く盛り上がっていません。なぜかというと、この当時、ドイツの音楽市場では代々伝わるドイツ民謡”シュラーゲル”が圧倒的に強く、ロックが入り込む余地が全くなかったんです。ロカビリーも、アイドルも、ビートバンドも流行った形跡がありません。

 

 そんな状況が一変したのは60年代後半。国の外でロックがサイケデリックを通じてアートに転化したこと、さらに学生運動が世界各地で起こったことで、ドイツの若者の間でも「ロックでアートしよう」という機運が盛り上がります。そして1968年9月にはこの国で最初のロック・フェス、「エッセン・ソングターゲン」が開かれますが、この時に欧米から招聘されたバンドというのがフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンション。この時点で、この先のドイツのロックがどうなるかはやや想像できるところではありました。

 

 そして69年。ドイツの新世代のロックバンドがアルバムを出し始めます。先述のエッセンのフェスに出たアモン・ドゥールやグルグルなどもアルバムを出しますが、先陣を切ったのはカンのこのアルバムでした。このカン、いや、カンに限ったことではないですが、これまでの他の国のロックのそれとは明らかに方向性が異なっていました。他国のロックが、歌の旋律を基調にリズムをつける楽曲作りなのに対し、こちらはあくまでもリズムの反復によって生まれるグルーヴが主体で、しかもその繰り返しが延々と長く、そこに歌の旋律を乗せていくという作り方ですね。いわば歌メロが、ジャズで言うところのアドリブみたいな感じのものになってて、楽曲の中心そのものではなくなっているんですね。

 

 今なら、エレクトロも同じような曲作りをするし、レディオヘッドの「キッドA」以降のアルバムを聴き慣れた耳ならむしろ心地よく聞こえるんですが、ただ、それでも軽く30年くらいは時代を先駆けていたわけで、リアルタイムに近かった人にはかなり実験的に映ったのではないか。そんな風にも思えます。

 

 このカンを筆頭としたドイツの実験的な新しいバンドは、ドイツ料理のお供え野菜として有名なサワー・クラウトにちなんで「クラト・ロック」と呼ばれ、70sの前半から半ばはプログレ・ファン、それ以降はニュー・ウェイヴやオルタナ・ファン、エレクトロのファンに愛されていきます。中でもカンはその中のトップバンドで、少なくとも5枚目の73年の「Future Days」までは何も傑作。とりわけ3〜5枚目にはドイツでヒッピーをやっていた日本人、ダオ鈴木の存在もあり、そこで親近感を覚えられてもいます。

 

 彼らは70年代後半には失速し79年に解散。89年に再結成もしますが、うまくはいきませんでした。しかし、中心人物だったホルガー・シューカイやイヒャエル・カローリ、ヤキ・リーヴェツァイトは長きにわたりマニアの間で強いリスペクトを受け続けていました。

 

 

Almendra/Almendra(1969 Argentina)

 

 

 では、今日の、というか60sのラスト行きましょう。アルゼンチンのバンド、アルメンドラです。

 

 このバンドそのものは短命だったんですが、このバンドの中心人物、ルイス・アルベルト・スピネッタにとっては初のバンド。まだ彼が10代だった頃のバンドです。

 

 このアルバム自体は、60sのアメリカのフォーク〜シンガーソングライター系のサウンドをややハードロックに寄せた感じとでも言おうか。どことなく、ニール・ヤングが加わった際のクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングに似ている印象ですけどね。

 

 ここを皮切りに、アルゼンチン・ロック史が生んだ最大のロックスター、スピネッタのキャリアが始まるわけですが、このスピネッタ、顔からしてかなりの美少年でした。

 

 

これは相当モテたろうと思います。

 

 彼はアルメンドラの後に、ペスカード・ラビオーゾ(70s半ば)’、インヴィンシブル(70s後半)、スピネッタ・ジェイド(80s前半)といったバンドを何もも成功させて、その後にソロになりますが、この国最高のロックスターです。2005年には大統領官邸に招待されて90分のショーをやってるくらいに国宝扱いもされてます。

 

 そんな彼ですが、ギタリストとしては、どことなくジェフ・ベックみたいというか、ハードロック志向からジャズ/フュージョンに傾倒する感じですね。なのでアルバムも曲によっては非常に長尺も目立ちますが、そうでありながらもフォークに基軸があるせいで、曲がポップでわかりやすい。そこも人気の秘訣だったんでしょうね。ソロになってからは、アルバムによってはちょっと甘ったるいAOR風のシティ・ポップにもなりがちなんですが、そこにトッド・ラングレン的な実験要素がスパイスのように加わる感じですね。

 

 スピネッタは本人の長きにわたる成功、さらに息子ダンテのユニット、イリャクラキ&ヴァルデラマスが「アルゼンチン版ビースティ・ボーイズ」的な成功も収める充実した一生を送りますが、2012年にガンで62歳で早逝しています。

 

 

 ちょっと長くなってしまいました。すみません。次回、第3回は木曜か、金曜の予定です。

 

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:非英語圏のロック・アルバム, 12:50
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最新全米映画興行成績

どうも。

 

連日、サッカー、おもしろいですね。ブラジルに関してはスイスのラフプレーと判定に不満があったりはしましたが、その前のメキシコのドイツ相手にして全くひるまなかった完璧な試合運びは最高でしたね。あと、その次の日はイングランドのケインの逃げ切り弾に熱くなりましたね。

 

では、そんな感じで、全米映画興行成績。

 

 

 

1(-)Incredibles 2

2(1)Oceans 8

3(-)TAG

4(2)Solo Star Wars Story

5(3)Deadpool 2

6(4)Hereditary

7(-)Superfly

8(5)Avengers Infinity War

9(6)Adrift

10(7)Book Club

 

 

初登場で1位は「Mr.インクレディブル2」。一家揃ってのスーパーヒーロー・ムーヴィー、前作から早いもので14年も経ってしまっていますが、ピクサー作品の中でも屈指の人気と評判の作品ということもあり、今週の興行、1億8000万ドルですよ!すごいなあ。マーヴェルものでも、そこまで行く作品はそうはないですよ。

 

これですが、今回も評判はとても良いです。Metacriticで80点、Rottentomatoesで94点。僕のところでは今月末にあります。

 

今週は2位が1800万ドルと1位の10分の1しかないんですが、3位で初登場は「TAG」。これは子供の時から強い友情で結ばれた5人の男たちが大人になって1ヶ月限定で集まって見て、子供の時にやっていたタグ付けゲームをやったところから展開するストーリーを追ったコメディ。主演はエド・ヘルムスやジョン・ハム、ジェレミー・レナーと、かなり渋いとこついてます。

 

評判はまあ間のようです。Metacritic、Rottentomatoesで共に57点。

 

7位初登場は「Superfly」。あの1972年の、「ブラックエクスプロイト・ムーヴィー」と呼ばれるタイプの黒人のアクション映画の代表作「スーパーフライ」のリメイク。カーティス・メイフィールドが手がぇたサントラでも有名でしたね。今回のサントラはフューチャーを中心としたトラップものですね。

 

これですが、評価はまあまあから、ややキツいくらいな感じですね。Metacriticで52点、Rottentomatoesで53点でした。

 

 

 

 

 

author:沢田太陽, category:全米映画興行成績, 11:36
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